Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

日如御法主上人猊下「御指南集 二十八」を読了

2021年12月19日 19時52分15秒 | 読書・本を読む事への楽しみ誘い。日蓮正宗御本。その他一般著作物電子書籍・辞書類

 今日お寺に行くと、新しく「御指南集二十九」が置いてあり、奥様が、前回まで使用していた「二十八」は御説法で読み終わって今はこれを使っていると仰るので二十九を二百五十円で買い求めた。
 そこで、今日、「総本山第六十八世御法主日如上人猊下 御指南集 二十八」を早速うちに帰り、今日頂いた新聞「大白法」「慧妙」12月15日号と合わせて、凄い勢いで今、読み終わった。
 日如上人猊下様は、それはそれは大変読みやすい、判りやすいお言葉で噛んで含めるようにお話になり、それも私共の一人ひとりの心に染み入るように感じ入り、大変有難くそのお言葉を受け取った。
 いつもの御約束のように、折伏で喧嘩をするなと言うたとえ話も心を打つ。折伏しないのは悪、自分一人だけで妙法を独り占めし、他人に与えないのは無慈悲であり、決して仏様はお悦びにはならないと猊下様はいつも強く訴えておられる。
 私も折伏したい、と強く思わせられる御本である。
 大日蓮出版。定価250円(税込み)。

今日、また折伏に行ってきました

2021年12月19日 15時50分43秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 今日も、また先日行った創価学会員のお宅に折伏に行きました。
 今日は、O合さんとHN田さんという頼もしいベテラン法華講の方々を連れての訪問折伏。
 先日の相手方の質問、と言うか意地悪な問いに、こちらも答えて、神札は宗門は物置に捨て置け、と言って拝みはしなかった事、を話して相手も一応は納得。
 けれど、正本堂は安普請で、耐震上も危なく、柱は赤さびだらけ、と言うと相手方は猛反発。正本堂は「永遠に」使える建物だった、世界中の人から愛され、名建築家が建てた立派な建物、私は何度も大石寺に行ったのよー、と言う。
 私が二十年経ったら、壊れて来て、毎年の修理費が何億、何十億円も掛かるので壊した、と言うと、この人は若いからわからないのよー、誰かに焚きつけられて、嘘を信じている、嘘よ、と言う。
 確かに、私も実際の所、正本堂が建っていた頃は全く行った事が無く、日蓮正宗に入ってからの登山なので、黙ってしまった。
 伴った御婦人二人も間に入り、大御本尊様が根本なんです、間違った組織にいると自分も分からない間に間違ってゆく、寿海寺に来て下さい、と応援してくれた。
 相手の高齢の女性が、多趣味で玄関先の色々な自身の手作りの置物等々を見せたので、伴った二人の御婦人と私も興味津々で暫く見入る。その前に私はお寺でもらった新聞とパンフレット2通を相手方に渡すも、暫くその女性は私に返そうとするも私は身振り手振りで断る。しかし、余りに自分の話に夢中になった女性は、しまいにはその新聞とパンフを大事そうに抱きかかえていたので私は笑いそうになるのを隠して、安心した。
 今日の所はドローと言った所で双方、自分の言いたい事も言え、帰りに伴った二人の御婦人方も、折伏は小さな一つひとつの積み重ね、あの人も私の事をよく見ているんだと思う、と言うので、何か怖いですね、と言うと、
 そうじゃなくて、 私が折伏するのをこの人は一回限りの人なのか、わたし(相手の人)を長い目で見て本気で折伏しているのか、今が大事な時だね、と仰った。
 又、あの人もあの人なりに、悩みは隠しているけど当然あると思う、とも仰っていた。
 今日は、相手の邪義を破折し、日蓮正宗法華講御婦人二人にも助けられ、御天気にも味方され、大いに励み、勉強になった一日でした。

今年最後の御報恩御講に参詣、ふと思い出した事

2021年12月12日 19時03分00秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
 今年もこれで終わりだなー、と、郡山市無量山寿海寺の御講に行って参りました。
 太鼓がボンボン、と凄い。読経唱題の後、御住職様の御説法で、創価の間違いについても触れられて、興味深かった。
 以前までいたうちの土曜日のヘルパーさんが、御住職様はどんな説法なさるの?と興味津々に聞いてきたので、「創価学会の批判をする」と言うと、
「そんな、しょうもない」と言ってガッカリしていた。
 中には、人生の事や社会の事、一般世間の事も言うんだから、私が単に「創価」に興味があるからって、そういう伝え方はダメ、と言ったお寺の先輩もいた。が、ある別の先輩は、「別に創価学会の批判をするからって、そう十把一絡げに残念がるその人もおかしい。創価の批判は、聴くに値する」と言う人もいた。
 考えてみれば、そのヘルパーさんも、公明党の市議会議員と接点があったり、選挙ではフレンド票として必ず公明党に入れていたので、これ以上、創価・公明の批判は聞きたくなかったのだろうと思う。しかし、何故か創価学会にはそのヘルパーさんは入会はしないのだった。
 私は出来るだけ、そのヘルパーさんがうちに来た時には、日蓮正宗のお話をしていた方である。かなり感化を与えた、と自負する。
 しかし、今一歩の所で、こちらも腰が引け、折伏教化に甘かった所もあったとも思う。
 土曜ヘルパーさんが、人は年老いてから、キリスト教に入る人もいるんだってね、とその日は妙にキリストびいきの時があった。
 あの調子なら、キリスト教にそのヘルパーさんが入ってしまうんじゃないか、と心配もした。
 今は全く疎遠になったそのヘルパーさんとは、それ以来、会ってはいない。
 あの快活だったヘルパーさんが、幸せである事を祈ると同時に、今日のお寺での御法話を思い出し、一日の充実を感じた。

折伏に行ってきた

2021年12月08日 18時49分54秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 先日、近所の家に折伏に行ってきました。
 うちの母の元仕事仲間の高齢女性で、母より幾らか若い方ですが、創価学会を信仰されています。
 「日蓮正宗はいいですよー」とこちらが言うと、初めは「わかるー」と言っていたのですが、「戦時中、宗門は神様拝んだでしょ」「日顕(上人)は建物壊したでしょ」と、お決まりの創価のデマが連発。私はしかし、防戦一方で、「事実は違うんです」「理由があるんです」との言葉を発するのみで、理由を言えなかった。
 私が今、一人で暮らし、家の事を何でも自分なりにやり繰りしている事を言うと「偉いねー」との言葉。
 この日の事を菩提寺である寿海寺の先輩に相談すると、「その場で一つ一つ反論、破折して、一言でいいから言った方が良い」とのアドバイスを頂いた。
 「事実と違います。宗門は形式的に神札を物置に置いておけといって信徒の余計な軋轢を避けたし、拝みはしなかった」
 「正本堂は安普請で、二十年経った時点で錆びだらけ、大地震の耐震上も問題があるので、建て替えた。今は奉安堂が同じ地に建っている」
 「偉いのは大御本尊様の功徳のお陰です」
 このお母さんも、悪い人ではないのだが、以前、二十年位前の創価の私の地区の座談会で、この女性は、泣きながら体験発表をして、「池田センセー」と訴えた位だから、余程の強信者と見える。中々手ごわい。
 この日は私一人で乗り込んだが、日蓮正宗のパンフレットは受け取ってもらえた。
 又、「懲りず候」で、今度はお寺の応援を頼み、是非とも行きたいと思いました。