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進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

ロマンチックな日蓮正宗の御祈念

2017年09月30日 11時00分02秒 | 日蓮正宗総本山富士大石寺・御宗門・その御教え・教学・信行学
日蓮正宗の御祈りは、まず、朝の初座の勤行で、諸天善神への御祈念のお祈りがある。
 そこでは、大梵天王、帝釈天王、大日天王、大月天王、大明星天王、等々の諸天善神へのお祈りが最初に行うお祈りだ。
 梵天様、帝釈天様。大日天とは太陽の神様、大月天とは月の神様、大明星天とは明けの明星、宵の明星などの、明星、金星の神様へ、他、諸天善神の神々への荘厳なお祈りが続く。
 本当に雄大で、悠久の昔からの神々へのお祈りで日蓮正宗の御祈りは幕を開ける。太陽や月、金星の天体、惑星にまで祈りを捧げる用意周到さ、ロマンチックでもあり、大宇宙の神々に今、自分は守られているんだ、という安心感。
 素晴らしいではないか。こうした立派な、ロマンに溢れたお祈りを捧げられる事に、感謝だ。奇跡に近い、素晴らしい、立派なお祈りを捧げられて、私は感動、感謝の毎日を送っている。

うちの庭のダリアの花

2017年09月29日 17時45分57秒 | お天気系、天候、気候。四季折々の風景。季節の花など。
母が植えたうちの庭の花、ダリア。母の生家にもダリアの花があったという。母の父親が植えたという。ブリモスと言うニワトリもいたという。一番初めに生まれたのは文京区本郷で東京大学のそばだったが、花があったのは、引っ越した新宿区早稲田の早稲田大学のそばの家だったという。まあ、派手だが、綺麗な花だ。
うちの庭は、今は盛んにコオロギなどの虫の声が鳴いている。うるさい位だが、秋の風物詩を楽しんでいる。

自宅にシャワーを設置

2017年09月29日 17時30分36秒 | 買い物系。温泉。自転車話。日々の暮らしなど。
この写真にシャワーは写っていないが、我が家に待望のシャワー&給湯器を設置した。
今までは、ゆワイターと言う、太陽熱でお湯を沸かしていたが、大分前に壊れた。しかも、夏しか使えなかった。それらの撤去を五年前くらいに行った。
今日は、シャワーを初めて利用して見た。非常に快適だった。何でこれを早期に導入しなかったのかと悔やまれる。
今日はシャワー設置記念日だ。

希望の党は…

2017年09月28日 10時12分55秒 | 政治政党・左右政党・国際情勢・時代論・護憲憲法論・日蓮正宗から見た政治論
希望の党は、民進党と合流するならば、ただ単に、民進党が表紙を代えただけの、党名を変えただけの政党に成り下がってしまうのではないか。正に、又、大所帯の、右から左にブレにぶれまくるだけの政党に。
 何より、自民の対抗勢力になるのはいいが、表紙を代えただけでは、老舗ブランドの、総合商社、ぬえのような、一枚上手の自民に本当に勝てるのか。ちょっと疑問だ。
 民進党は民進党、希望は希望、そして共産党とも大連立を組む、と言う形が一番ベストだったと思うのだが。折角の野党連合にも影を落としかねず、一定の得票数を上げる共産とも是非とも組んだ方がいいと思うが。
 まあ、やってみるだけやってみた方がよい。自民も新政党、希望の党を畏れて来ている所であり、余り水を差すのも悪い。ただ、希望になっても、野党連合、共産党と組んだ方が野党共闘の上からも望ましい。

林部智史の”あいたい”がたまらなく、いい!

2017年09月26日 20時50分55秒 | クラシック洋楽日本邦楽演歌雅楽江戸明治大正昭和平成令和現代歌謡伝統音楽集
今年の春ごろに、林部智史の「あいたい」を音楽サイトからダウンロードして購入した。この曲が、本当に素晴らしく良く、聴くとつい、涙腺が潤み、感動する。
 この曲を、性懲りもなく、日蓮正宗の寿海寺にパソコンを持ち込み、皆で聴いた。皆、感動していた。中でも非常に感銘していたG講頭さんにはこの曲ほかをCD-Rに録音し、焼いて、手渡した。
 後には、S楽さんという男性で年上の方にも録音し、贈った。
 この曲は、皆、どこかで一度は聞いた事があるらしく、私も最初、ラジオで初めて触れて以来、ずっと気になっていて、今年の春についに購入。毎日のように聴いている。
 去年のレコ大、レコード大賞の新人賞に林部智史さんが出演され、私はずっと彼を応援していて、彼の受賞を願ったが、叶わず、韓国人の無名のグループが受賞した。私は思わず、嫌気がさしてテレビのスイッチを消した。
 「あいたい」の作詞は、どうやら林部さん本人が書いたらしい。哀切に、高音を駆使して歌い上げる熱唱と絶唱は、聴く者をして感動で揺さぶり、その熱情に私はノックアウトされてしまった。悲しくて、切なくて、何ていうのだろう、本当に、この人は心が清い人なんだろうと思わせられた。
 悲しいまでに美しくはかなげで、いつも、感動を貰っている。いい曲に出逢えたものだ。
 この一曲だけでなく、その続編が聴きたいが、林部さんは、今度は新趣向のものを歌っているようだが、私は聞いた事がない。この、「あいたい」の路線でずっと突っ走って欲しいのだが。
 兎に角、いい曲。感動するから、皆様も是非、聴いてみて下さい。この秋にピッタリじゃないかな。

本日、星総合病院「オレンジカフェ」いざ、参集!

2017年09月26日 17時45分31秒 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
新桜通り~桜通り、駅前大通りを通って、いざ、本日のオレンジカフェの開かれる、星総合病院へ、いざ、出陣なのだ。
内環状線と桜通りの交差点。ここも必ず信号が赤になる。じっくりと待つ。待つのは慣れてるからね。
大友パン。ここのパンもとても美味しい。
清水台の坂道を下る。
旧国道4号線。この界隈には、昔、熱帯魚屋で巨大なカメを飼っていて、この辺の道路をのっしのっし、歩いてうろついていた。今はどうしているのかなあ、あのカメ。
中町通りとビューホテルアネックス。この中町通りの途中に百貨店「うすい」がある。
丸井郡山店はもうなく、ホテルと雑居ビルが出来たようだ。
郡山駅前。もう駅前のど真ん中の、写真撮りにはおいしいスポットだ。大郡山の威容が見て取れる。こおりやま、我が街。
以前は西武だった、アティ郡山。ここにヨドバシカメラ郡山駅前店や百円ショップ、他、あと、タワーレコード郡山店、島村楽器屋さんがある。
GReeeeNグリーン(歌手・バンド)のどこでもドア。何でこんなの作ったかなあ、と言う不思議スポット。まあ、遊び心で、たまにはこんなのもいいのかな。
バスターミナルを渡る。
このトンネル、高架線路下を通り、東口へ。
星総合病院では、毎度おなじみの朝市が開かれていた。
いざ、オレンジカフェへ。
淡々と座学(地域包括支援センターの方の)お話を聴いたのち、オレンジカフェ本編へ。
200円でお菓子や飲み物が振舞われた。
ここで、今日も色々な事を話した。司会の包括センターの方も私達のテーブルに来てくれて、皆気さくに話した。男の方ばかりの席で、一人の方は獣医師をやっている方で、もう一人は主夫の方、この方と、この方はパソコンはやらないが、スマホ(スマートフォン)やデジタルカメラ談義で盛り上がり、私と獣医師の方は二つ折りの携帯、ガラケーが本当はいい、と言ったり、獣医師の方の太平洋戦争、戦時中の中国大陸、満州での生活などを聴き、参考になった。この日はむしろ、深刻な老々介護、認知症の話などは余り出ず、せず、皆で世間話に花が開いた。こういう日があってもむしろ、いいのかも知れぬが、本来の趣旨の認知症、介護の話も聴いたり話したりしたかったような。まあ、お菓子も御飲み物も美味しかったし、言う事も無し。良かったんじゃないか。毎回こうでもどうだか困るかも知れぬが。
星総合病院を後にして、一路、家路を辿るが、まずは駅前をまた経由して駅前通り、桜通りへ。
星総合病院まえ。
旧国道4号線。今は何線というのかは知らない。
今日は帰りに西友のモールに寄って、お食事休憩アンドお買い物。
すき家にて牛丼(並盛)を所望。安くてボリュームもあり、おなかを満たせた。
完食。おいしかったー。
この他、母の服や食品売り場LIVINで食品四千円近く、百円ショップで食器他千円近く、服と含めて一万円近くを使ってしまった。でも必要経費なので仕方ない。今日は良い買い物が出来たと思う。
家に帰る時、モールそばの道路に立つ街路樹の木の支えの棒に足をぶつけ、ケガをした。ちょっと痛い。しかし、一両日中には、否、三、四日で治るだろう。あそこでは、以前も自転車をぶつけて自転車を壊しそうになった事もある正に鬼門。今度からはよーく気を付けて運転しよう。
今日も心地よい疲れが体にビシビシ迫り、今はNHKラジオ第一の福島の「こでらんにファイブ」を聴いている。結構楽しい。
いやあ、疲れたけど、楽しい一日だったなあ。

Panasonic DMC-GF7W Lumix ミラーレス一眼レフカメラ

2017年09月25日 19時21分24秒 | 写真・カメラ・画像

 私にとって、生まれて初めてのミラーレス一眼レフデジタルカメラ、パナソニックのルミックスDMC-GF7Wを、市内の家電量販店で買った。かなりの冒険的なお買い物。
 これで市内の中央図書館まで借りたCDを返しに行く傍ら、このカメラを使って撮り試しをして来た。
 この下の写真だけは、同じ日の郡山市土瓜の日蓮正宗無量山寿海寺の写真画像。ここに私はかなりの時間、楽しくも実りある時を過ごしている。
 どうでしょうか。私には綺麗な写りだと思います。福山雅治さんがラジオで言っていたが、今のデジタルカメラは、青空を撮ると、かなりブルーの青が強調されると仰っていた。言わずもがな。本当ですね。
 けれど、この日、つまり昨日もかなりの青空だった。この一眼レフ、ルミックスは、日付が個別に焼き付け処理をしなければ映らないので、少しがっかり。私は日付を今まで重宝して使って来たから。しかし、データを別に見れば、別の所に日付や時間のデータもちゃんと載っているので、安心であり、パナソニック社は省略しちゃったけれど、そうやって使うしかない。
 このカメラは持ちやすく小さくて軽い。レンズももう一本、計二本付いて来る。家電量販店ではSDHCカード、カメラバッグ、液晶保護フィルムを付けてくれた。有難い。
 これから、このブログは、このカメラを多用させて頂く。有難い、力強い味方が出来た事に感謝!

おお、我が母校

2017年09月25日 18時00分08秒 | 学校・教育特集・学生生徒時代の想い出
私は、福島県郡山市の地元高校、福島県立安積(あさか)高等学校に入学し、栃木県の中央にある、栃木県立宇都宮高等学校を卒業した。
 今でも両校の歌は歌えるが、中でも伝統校、進学校安積は、十曲前後の校歌合わせて応援歌が沢山ある。
 「安積高等学校校歌」「紫の旗ゆくところ」「天地の正気(凱歌)」「送歌」「勝利の歌(迎歌)」「霜に乱るる」「唯に血を盛る」「嗚呼天日の輝きに」「チャカホイ節」「あの子はだーれ」他、これら応援歌を覚える為に、我ら一年生は桜花さく四月に、放課後、居残されて校庭の片隅で、応援団の方々に怒鳴られながら、校歌・応援歌をみっちり教え込まれた。
 私は、声が大きく、歌っている我々を見回る応援団の一員の一人に、「あとで(応援団)部室に来い」というので行ってみると、何の事はない、応援団加入の勧誘であり、最終的には、私は硬式テニス部に入るのだが、その時はバドミントン部にも興味があり、バドミントン部に入りたいので、残念ですが、断らせて頂きます、と言うと、「そっか、残念だな。バド部に行っても頑張れヨ」と仰られ、その場を後にした。
 一か月位たった、ゴールデンウィーク前には、みっちり歌を教えられた為、皆、立派に応援歌を歌えるようになる。そして、応援団の先輩達が「お前達もよーく頑張って、よく俺達に付いて来てくれた。もう、お前たちは立派な安積高校生だ。これからはお前らを、安高生として認めてやる。この一か月に覚えた事を、これからも忘れずに、各式典、高校野球の応援にと、活用してくれ。俺達も、本当に嬉しい。本日は有難う」とか何とか言われて、応援団の方々は颯爽と立ち去り、我ら一年生の皆誰もが誇らしげに校庭を後にした。
 入学当初、鬼のような怖い形相だった、それまで大ブーイングの我ら等相手にもしない、歯牙にもかけない、先輩達、応援団の団長、各団員の皆さんが、優しい仏のような顔と言葉使いで我々を母校、安積の真の生徒として認めてくれた一瞬だった。
 あの頃の事が、今だに私の脳裏に蘇る。あれから何年経ったのだろう。今もなお懐かしい。
 みんなに逢いたいのだが、中々連絡も取れずに、御無沙汰だ。
 母校も、宇都宮高も安積高も同窓会には全然出席していない。かなりのほったらかし状態。
 でも、それも仕方ないとも思う。私は過去に生きるのではなく、現在を生き抜く。今を見つめ、歩いている私がいる。だから、悔やみはしない。
 私は私、それでいいと思う。
安積高等学校正門前、旧本館にて。某日、筆者私、写す。安積高は、県立中学(当時)高校の中では、その歴史、優に百数十余年を越す福島県下一の最古参・最古豪の伝統校。

大義無き解散-安倍自民に鉄槌を!

2017年09月25日 17時29分08秒 | 政治政党・左右政党・国際情勢・時代論・護憲憲法論・日蓮正宗から見た政治論
こんな訳の分からない解散ってあるだろうか。自民党の安倍が、国会衆議院の冒頭解散に踏み切る。「仕事人内閣」だなんて大見得切っても、何も仕事らしい仕事をせずに、打算だけで解散する。ここで解散すれば、自民党に痛手を負わずに、大量得票、大量当選に結び付くという考えのようだ。
 冗談じゃない。国民は、安倍自身の、森友、加計問題を忘れてなんかいない。首相安倍から、直接国民に何も語り掛けずに、雲隠れ状態だ。自身の汚職問題に触れずに、この期に及んで選挙とは。余程の自信があるのか。
 ならば、国民皆で自民党、並びに安倍には思い知って頂こう。自民敗北のその日まで、国民みんなで頑張って安倍を引きずり降ろそう。国民を二度までも舐めまわし、バカにしようとするその前に、退陣願おうではないか。
 憲法改悪を狙う、安倍自民。絶対に憲法改悪は阻止しなければならぬ。
 丁度、小池都知事が代表で、新政党「希望の党」も誕生した。国民には、又選択肢が増えた。邪教の創価学会が母体の邪政党の邪法公明党も暗躍する中、今の自民にはほとほと愛想が尽きた。公明党と組む間は自民党は応援はしないと決めた。自民党の公明党との連携解消までは、自民党には一票も入れない。
 安倍がそう出るならば、こちらもこうと出る。この心意気を、安倍も心して見よ!この腰抜け侍めが!

星総合病院での「オレンジカフェ」

2017年09月25日 10時06分01秒 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
オレンジカフェと言う、高齢者・認知症の方や、それを介護する者たちの寛ぎ、座学、喫茶的な娯楽の場がある。郡山市では、市内で何カ所かの場所でオレンジカフェがある。
 今まで行ったのは、星総合病院(郡山市向河原)、市立介護病院(ビッグハート、郡山市亀田)で行われた二カ所。ビッグハートでは、私のハーモニカ教室での授業が今年の五月から重なった為、行けなくなったが、星総合へは、ほぼひと月に二回、第二第四火曜日に、通っている。
 来ている方々は、当事者や、これからの老いに備えての勉強を兼ねての方々、私のような介助者の人など、様々。皆、真剣な時を重ねて、じっくり、楽しく、日々の喧騒を忘れて、会合に参加している。
 色々なヒントが得られたり、こちらも息抜きがてら、色々な事をおしゃべりしたり、楽しい時を過ごしている。一般の方々、医療スタッフ、看護師、等々の皆さんと一緒に会話の時を楽しむ。一人二百円で、お菓子や飲み物も振舞われる。
 ここで、母の事を話すと、皆、一様にじっくりと聞いてくれる。ヒントも貰える。
 母が、朝、私と一緒に仏壇で小一時間、夕方も、お経を唱えると言うと、びっくりなさる方もいたが、意外と、お経とかって決まりきったパターンの繰り返しで南無妙法蓮華経とかって唱えるから、認知症の人でも今までやって来た人ならば楽勝なんじゃないの、と楽観的に言う方もいた。
 私も日常の悩みを語り、手探り状態の毎日を、淡々と話す。みんなに聴いてもらえるだけで肩の荷が下りる(気がする)。
 星病院の場合、午前十一時に始まるが、その三十分前には、医療スタッフによる介護だけじゃなく、様々な座学がある。この前なんて、福島交通の方を招いて、実際にバスを病院構内に運び込んで、「ノルカ」と言う電子マネーのカードを使ったバスの乗り方講座が行われ、私も大変面白かった。雨の日だったが、沢山の方々が実際にバスに乗り込み、構内をバスで走って乗り降りをした。
 毎回、いろんな人といろんな話が出来て、私も大変、息抜きになる。明日も確か星病院であるから、興味ある方は行ってみても悪くない。
 本当に、生きているといろんな事があるが、皆、とても悩んでいる人が多い中、こう言う場は、大変助かる。国や厚生労働省、郡山市の委託事業だが、大変心強く、有難いと思っています。

物忘れ、母の病状

2017年09月24日 09時07分11秒 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
 この写真は母の三輪自転車の無くなった鍵の片割れである。もう一本のカギが出て来ないので、捨てるに捨てられずにまだ取っているが、やがては捨てなければならない。
 母はここ数年、記憶力も弱まり、良く物を無くす。三輪車の元々付いていた鍵も一本無くし、最後の一本を使ったがそれも無くし、自転車屋さんに来てもらって鍵を壊してもらった。
 その鍵も、ポッチを押さえて鍵を開けるのが母には難しく、大分難儀していた。もう、世に出回る三輪自転車用のカギはそれしかないらしく、諦めて、輪っかのカギに交換した。
 母は、大事なものが無くなると、決まって、誰かが盗みに家に来た、と騒ぎ、その度に、水掛け論の私との大騒ぎが起こる。私もほとほと疲れる。
 もう、母も齢(よわい)、八十を越える。父とは晩婚だったので、年を取ってから私が生まれた。
 オレンジカフェと言う、市内で開かれる認知症の懇親会的なものに参加しているが、答えが出ず、暗中模索の状態だ。
 まあ、爆弾を抱えて生きているようなものだけれども。なるだけ、母との人生の時を、楽しみつつ、気負わずに母と共に歩いてゆきたい。

日蓮正宗に入って、本当に良かった!

2017年09月22日 20時43分05秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
私は、今年の二月に、日蓮正宗に改宗した。私が初めて、勧誡式をする為、お寺に出向いた時、そこで出逢い、御世話になった御婦人方二人、G講頭さんとY口H美さんと今年の四月ごろ、お寺でお食事をしていると、ふと、Y口さんが、「あんたは変わった、あの頃は本当に不幸を背負ったような、暗い顔をしていたが、今日の今の顔は笑顔に満ちていて、自信ありげで、大変宜しい」と仰って下さった。
 G講頭さんも「確かにあなたは変わった。二月に初めて逢った時よりも、より元気になったよ。本当に良かった」と仰った。
 私は「そうかなあ、あの頃と今の自分と、全く同じで、変わった気など更々ないし、ホントかなあ?!」と言うと、御婦人方、二人して、
 「あなたは変わった。良い方向に変わって来ている。顔つき一つでそれが分かるよ。」
 「自分じゃ、分からないものだよ。そうやって成長していくんだよ」と仰った。
 それを聴いて、自分を客観的に見ると、確かにそうだ、と言う確信めいたものもなくもないが、そんなに自信もないが、食事中の話を今、振り返ってみても、その頃が正に私にとってターニングポイントだったのかも知れぬ。
 あれから、色々な事があった。まだ年末でもなく、この一年を振り返るにはまだ早過ぎるが、本当に目まぐるしく物事が動いたこの半年、一年であった。
 まず、あれ程、戸田先生の講話や小説で読んで自身の中で憧れ恋慕し続けた、総本山富士大石寺での、三大秘法の戒壇の大御本尊様に生まれて初めて巡り逢え、拝謁して、涙を流して男泣きに大泣きして感動、感激の嵐、雨、あられの、素晴らしい時間を過ごせた事。この得難い体験で、正に、私の人生は百八十度、転換し、人生のベクトルと言うものが正に変わり、考え方が一変した事。
 お寺で仏道修行、修行と言っても、人々が想像する程には、なんにも難しくも厳しくもなく、本当に簡単であっさりとした、やさしい行を皆さんとご一緒して日々を過ごして来た数々の思い出達。これも日蓮大聖人の仰る「人界の思い出なりき」の、私にとって大切な人生の一コマ、一ページになった大切な思い出達だ。
 皆、お寺の方々は、善男善女の、優しく素晴らしい御方ばかりで、私は、毎日、お寺に来るのがとても楽しい。
 喜んで、大聖人様の弟子として、お仕えして、これからもつつがなく、毎日を勤しみ、努力をやめず、努力を諦めず、何かいい事ないかな、と毎日を探検者の如くに、胸をときめかせて、ワクワクしながら、感動の人生を送って行きたいと今日を正に生きて生きて生き抜いてゆく、私が、居る。ちっぽけだが、人生の確かな道のりを、確実に一歩一歩足を踏み締め、歩いてゆく、私がここに確かに居る。私は、私であり、他の誰でもない、私を生きて行く。私は私であり続けたい。この私しか出来ない、私だけのユニークな人生を、私なりに歩いてゆこう。
 そんな感慨を持った、私なのであった。

柴田淳さんの懐メロ路線、ここに極まれり

2017年09月21日 11時07分26秒 | クラシック洋楽日本邦楽演歌雅楽江戸明治大正昭和平成令和現代歌謡伝統音楽集
-以下は、アマゾン日本への私の寄稿・投稿文。
CD楽曲音楽集・柴田淳「COVER 70's」MP3ダウンロード購入
5つ星のうち5.0
柴田淳さんの懐メロ路線、ここに極まれり
投稿者福島のあまっこ2017年5月20日
形式: MP3 ダウンロード
|
Amazonで購入
柴田淳さんを初めて知ったのは、たまたま地元の図書館で借りたCD「ため息」であった。その清楚で清らかな声に魅了され、全編通して少し暗い気もするが、「拝啓、王子様」での茶目っ気たっぷりの明るい曲などを聴くと、この人は本当は暗く見せているけれど、本来が根が生真面目なのであり、それが多少、暗いと誤解を受けているのかなあ、と推察する。「月光浴」なども真に迫っていてよい。

さて、この「COVER 70's」であるが、わたしが初めて聴いて感動したのは、我が家のラジオ機器、SONY ICF-EX5MK2というAMに元々特化した一万円少々で買える日本製名機ラジオであり、勿論FMも短波放送のラジオNIKKEIも聴けるのだが、その機械でたまたま数年前の夕方、ラジオ日経第二放送でその時、音楽を集中的に流していた。

聴いてみると、女性の歌声で「異邦人」や「みずいろの雨」「あなた」「東京」「22才の別れ」「秋桜」などの昭和の往年の流行歌が我が家のソニーのEX5MK2のラジオ愛機から次から次へと流れてきた。しばし聴き惚れ、我を忘れてその素晴らしい歌唱に耳を傾けていた。誰が歌っているかは、ラジオ日経では全く言わない。「これはいったい誰が歌っているのだ?」という疑念がまず湧き、自分の少ない音楽体験を、頭をこねくり回して、考え考え、答えを導き出した。「これは図書館で借りたCDのしばじゅんこと、柴田淳さんのお声なのではないか?」と言うことになり、早速わたしはネット等を駆使して調べてみると、確かに柴田さんは七十年代の歌曲集(つまりはこのページのCD、配信楽曲)が載っていた。「やっぱり柴田淳さんだ!」。

わたしは、すぐには飛びつかずに、時間をかけて考えてみて、この曲は、きっとこれから、愛聴盤になるだろうとその時確信した。しかし、その頃は母の入院や自分の身の回りが多忙を極めていて、中々地元のCD店へは足を運ぶのが極めて困難だった。わたしはいつもCDは、地産地消、地元経済の活性化を考える観点から、必ず地元の音楽CDショップを利用しているが、そのCD店にないものや安く入手出来る場合等はAmazon、HMV、タワーレコード等のネット通販、アップルのストアなどを申し訳ないが利用する。今回も、アマゾンでダウンロードした。本当は形として残る、CDディスクを欲しかったのだが、やはりダウンロードの手軽さには勝てず、その場ですぐ聴ける誘惑につい負けてしまった。

この楽曲は、主に七十年代の、フォーク・ニューミュージックの粋を集めた、柴田淳さんの清らかで透き通るような透明感に溢れた歌声で、聴く者を感動せしめ、わたしなども、何度聴いても飽きることなく、この曲集をうちの中でも外出先のiPodでもしょっちゅう聴くヘビーローテーション、ロングリピーターとなってしまっている。やはり最初聴いた時の第一印象、直感は当たっていた。本当に買って良かったと、高すぎず安過ぎず、何でもその価格、値段に見合った掘り出し物ってあるもんだな、と思う。

わたしは、その後、暇を作り、近所のレンタルCD店で、しばじゅんの二枚組ベスト盤、「All Time Request ~しばづくし」とこのCDの姉妹盤、初回限定盤(このページの楽曲の他、唯一荒井由実の「卒業写真」のカバー曲が入ったこの特別CDは、柴田さんの幼い子供時代と思われる写真が表紙ジャケットを飾る。しかし、ジャケットは、やはり、この、こっちの後年発売のCDジャケットの方が素晴らしく良いとは個人的には思う)を借り、我が家のパソコンに入れ、かなりの割合で聴いている。

柴田さんは、どの曲も捨て曲がなく、皆、聴かせ所のある、その可憐で立派で優美で真面目な女性の感性のこもった、言わば「努力の人」「感性の人」「繊細な中にも確とした信念、女性らしい思いやり溢れた傑出した歌のお姉さん、シンガーソングライター・音楽家」という本質を忘れない人だ。

わたし自身も基本、自分がそれに陥りやすいので自戒を込めて厳戒の下で言うが、わたしは、どの人を見ても見回しても、その人の人間の本性・根性がねじ曲がり、卑怯卑劣でふざけていたり、不真面目であるなど、決して努力を忘れたり、努力をしない人、怠け者は嫌いなタイプであり、格言「努力」を崇高なる人生の指針、座右の銘に置いている。それはわたしの音楽の趣味にも当然反映し、わたしの信奉し尊敬して余りある、絶対的な困難を克服した努力の人々、ドイツの音楽家ベートーヴェン、そしていとも容易く簡単に努力の素振りも微塵も見せず、しかしその実、彼らの音楽性は努力の賜物以外の何物でもない、イギリスのロックンロールの当時の明朗快活な若者世代を代表した大家たち、四人組ビートルズ等。

わたしは自身、赤の他人から例え”がり勉””小賢しい”と蔑まれ、罵られ、悪口罵詈の罵倒を受けても、「努力」を自身、最上至上のものとして拝命し頂き、自他共に、絶対に「努力」している人しか認めたくはない。

オーストリアウィーンのモーツアルトのように、音楽を頭の中、お遊びで作る、わたしは基本、大金持ちだったくせにお金の無駄遣い、生前死後の共同墓地に葬られお墓も一切残っていないモーツアルトは曲のそこここに彼独特の憂鬱さ、暗さ気色悪さがあり、そのデモーニッシュな作品群には辟易していて、自分は、中にはトルコ行進曲や暗くて矛盾するようだが「レクイエム」などは聴くに値すると思うが、それらは余技として聴くほか滅多には聴かない。

柴田淳さんの場合の暗さというか実直な姿勢は、時として努力する人に共通して現れる、誠実さ、生真面目さ・真剣さが世間の人々にそうと逆に映り、仇(あだ)となり、誤解を与えてしまっている。今の時代は、正直、昭和や平成バブルの頃の、明暗、根暗ネアカの表面上のキンキラキンという誤解に満ちた虚飾の時代ではなく、バブル崩壊後の現在現代は、実は何が真実・本物でどれが嘘っぱち偽物かの、真偽を見極めるのに特化した、本当の意味での物事の本質を見抜く確かな目が各世代各人に求められる事が必要な時代なんだろうと思う。

その意味で、柴田淳さんのこの楽曲・曲集の「COVER 70's」は、まさしく本物中の本物、一応、題名の通り、他人の楽曲のカバー集なのだが、万人が日本のJ'POP、フォーク・ニューミュージック界の成り立ちを知る上でもどういう時代背景・音楽環境の中で柴田淳さんが時代の空気を吸収して育って来たのかを知る上でも格好の彼女の良きよすが、格好の基礎の入門編でもあり、その発声、声質の素晴らしさ、真摯で立派な歌唱、歌声に於いて、多分にオリジナルの楽曲をも遥かに凌駕する、万人にお勧めできる、(読者諸賢には、余力があれば、これを聴いたら後は彼女の創作の森の作品群に分け入って頂きたく、わたしも目下、オリジナル作品、アルバムに興味を持って接しつつある)、昭和の原作を今時に於いて上回った高水準ハイクラスの、現代日本の音楽界における至宝、宝玉の如くの良質の作品群である事を、ここにわたしははっきりと明言明記しておきたく、存じ奉る次第です。以上

柴田淳さんの直球勝負、一曲入魂の歌作り、聴いているこちらも私も幸せ気分、かどうかは聴いてのお楽しみ!

2017年09月21日 10時22分30秒 | クラシック洋楽日本邦楽演歌雅楽江戸明治大正昭和平成令和現代歌謡伝統音楽集
-以下、アマゾンへの寄稿・投稿文。 
二〇一七年九月二十日発売 柴田淳「私は幸せ」CD音楽楽曲集・通常盤3,000円(+消費税)
5つ星のうち5.0
投稿者福島のあまっこ2017年9月20日
形式: CD
 ヨドバシのネットで買ったら発売日の一日前に届いた。嬉しかった(アマゾンさん御免)。
 しかし、「私は幸せ」というアルバムタイトルの割には、結構ヘヴィーでビターな大人の魅力といった曲達が並ぶ。三曲目の「轍」は、柴田さんも自身のラジオ番組「柴田淳のドクハク(東京エフエム)」で語っていたが、彼女が生徒だった時分に確かクモ膜下で若くしてお亡くなりになられた恩師がいらして、「轍(わだち)」とはその恩師の学級通信紙の名前。担任教師が「ほら、お前らこれを書け」と言って教室の机にバンと原稿用紙を大量に持ち込み置いて、柴田さんはワンワン泣きながら、何枚も何枚も亡き先生の棺に入れるべく、原稿用紙に別れの言葉を書き殴った。正にその若い先生と、今以上に若かった柴田さんとの、別れの歌がこの曲のモチーフである。
 「助けてよ お願い連れて行って 何故私を一人 置いて行ってしまったの?」悲しい程に美しい詩。これは心して聞き手は聴かなくては、と思わせられた。一人のうら若き乙女の女性にとっては、過酷な体験。この事が、彼女のその後の生き方、歌の作風にまで多大な影響を与えたのは想像に難くない。
 「嫌いな女」なんかも、ラジオで、本当に嫌いな女の人がその時浮かんだが誰だかは忘れたのか、兎に角、この曲もビターでヘヴィー。この柴田淳さんと言う方は、今作のアルバムでは容赦なく聴く者を刺激し、手厳しい。正に愛の鞭かも知れぬ。しかし、お声から、しばじゅんさんのやさしさは十分伝わって来る。そして、アルバム名「私は幸せ」の意味も、逆説なのか、うっすらと浮き彫りにされて来る。こんなに悲しい人生を生きる私、それでも、幸せ、と。
 「いくじなし」は男として聴いていて辛かった。柴田さんは、今までお付き合いのあった男性で、決断力のない、勇気のない、思い切りの弱い、「いくじなし」の男は、バッサリ切って、「ハイ、次の人」と付き合いを止めて来たそうな。けれど、私は男として言うが、決して、世の男達が、そんな都合よく、思い切りの良い人ばかり揃っているのかな、と正直不思議に思う。恋愛においても、女性より男性が女々しい、生物学的にも女性の優位は証明されている。女性のが長命だ。そんな中で、果たしてしばじゅんさんのお眼鏡に叶う人はこの世にどの位いるのか。
 本人の好みがそうなのだから、しょうがないが、結局、そんな欠点を補って余りあるものを身に付けていれば、合格点じゃないのか。各論で不足があっても、総合点で合格、とは行かないのか。
 私は、まだまだ、しばじゅんさんも若いな、青いな、とそのラジオを聴いて思った。しかし、ラジオの柴田さんは、かなり面白い。楽しい話題の振り方をする方として、尊敬している。CDとは全然、人格が違う。これは、譬えは適当かは知らぬが、中島みゆきといい勝負だ。
 「~拝啓、王子様☆」シリーズも佳境を迎え、今回はミステリータッチ、殺人事件を描き、今迄とは異色の出来栄え。この王子様シリーズをこれからも続ければ「王子様CDベスト」一枚が当然出来上がり、あと、彼女のインストゥルメンタルのオリジナル楽曲集もそのCD制作の一翼を担い得る。出たら私は買うよ。まだまだ話題提供に事欠かない柴田淳さん。
 私は彼女の歌作りに於ける壮大な世界観、世界を高みから俯瞰するようなカメラアングルの、壮麗な詩の世界が大好きだ。詩の言葉が上品で綺麗。一種のファンタジーであり、しかし、現実を決して忘れてはいない。リアリティーもあり、研ぎ澄まされた詩の世界、柴田淳さんの(女優壇れいさんに似た、否、より以上に美しい)ビジュアル面での際立った美的なルックス、立派で綺麗で美しいその素晴らしい歌声、全てが彼女の魅力となって、私以外のファンの方々は、皆異口同音にその素晴らしさを語る。天は二物も三物も与える証左だ。
 私も御多分に漏れず、一枚一枚と、しばじゅんさんのCDを買い集める旅にまい進中だ。それだけの絶対的な魅力が彼女にはある。しかし、余りメジャーじゃなく、ひっそりと活動している謙虚な柴田さんがまた堪らなくいい。女性にも男性にもコアなファンには人気があるのも頷ける。
 柴田淳さんの歌の世界は、美しく、儚く、哀しく、せつなくて、聴いているこちらが不覚にも涙に溢れ濡れてしまう。その綺麗で壮麗壮大な世界観にいつも私は圧倒される。柴田淳さんは本当に強い人、けれど女性としてたおやかで、柔和で、芯のある、菩薩のような人なのかも知れぬ。
 どんなに褒め上げ、褒め殺そうとも、微動だにしない柴田さん。意外に、これだけバイタリティ溢れてCDを提供し続けて下さるしばじゅんさんは、心は「諸善男子」(法華経寿量品)のボーイズメンズの、本当は男っぽい人なのかな?その華奢な姿からは一切が謎だが。
 閑話休題。このCDは、辛口だが、大人の女性の独白に満ちた、芯の強い、本音の強みがある。私は、限定盤のジャケットは、黒の喪服みたいな感じで、こちらの盤は清新な白の普段着であり、只の私の好みから、この廉価盤通常盤のCDを購入したが、別にどっちでも良かった。音楽CDの中身はおんなじで、まあ、写真ブックレットは限定盤の方がお得でボリューミーで良かったかな。
 この貴重なCDを、柴田淳さんの私達への不定期のポートレートとして、大事に、自分の人生の糧として聴き込んで行きたい。私の大好きな季節、秋。今年の秋・冬は、この一枚と共に過ごして行きたいと思う。
 柴田淳さんの今回の立派で素晴らしい歌唱・楽曲に触れられて、私は幸せ、だよ。