Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

新編日蓮大聖人御書を完読

2021年01月26日 20時44分49秒 | 読書・本を読む事への楽しみ誘い。日蓮正宗御本。その他一般著作物電子書籍・辞書類
 日蓮大聖人様の御書を全て読み終わった。これで終わりではなく、一書の人として、また最初から読むつもり。
 母がうちにいた頃から少しずつ読み進めてきた。今日で二、三年位になるか。
 読み終わった感動感激が残っている。大聖人様は一生かかってこの書を残されたのだと思うと、その遺徳を偲ぶ。
 素晴らしい書物である。聖書を読んだ時よりも感動がある。聖書は今から思うと、物足りなく、つまらない書物であった。
 古文書でもこれだけ現代に訴求力がある。今もなお、行動、思考の指針となる書物だ。

高級コンデジDSC-RX100

2021年01月23日 11時51分23秒 | 写真・カメラ・画像
 ソニーのコンパクトデジタルカメラRX100を買った。今週の火曜サプライズと言うテレビ番組で、若手俳優三人が中古カメラ屋に行き、一人がフジの小さなデジカメを買っているのを見て、私も無性にカメラが欲しくなった。
 私は中古の鑑識眼がないので違うメーカーの新品を買ったが、今までミラーレス一眼を使っていたが、大きく重く、余りに大袈裟でこれを使いこなせない、ある程度小さなカメラなのだが、カバンからサッと取り出して使う、という訳にはいかない。
 キャノンのIXYという小型カメラもうちにはあるが、手ぶれ補正もなく、かなり古いのでソニーのデジカメにした。
 このカメラは誰でも上手くなったつもりになれる、プロも使う芸術的な撮影も出来るという。小さいがずっしりと重く、かなり部品が詰まっているのが判る。
 2012年から発売され、現在も現役で販売されている。
 パナソニックのうちのミラーレス一眼を携行して、母と一緒に行った日蓮正宗富士大石寺では母との思い出の写真を残せなかった。コンデジと比べると、ミラーレスは余りに大きく大袈裟で、決定的チャンスを逃しやすい。残念であった。
 星総合病院で行われたオレンジカフェでも、今日買ったソニーのRX100シリーズらしいカメラを持った女性を見たことがある。私は前述のパナのカメラだったが、その女性のカメラの方が機動性に優れ、自由自在にカバンから出し入れしていて、小さいことは正義、だと思い、うらやましくそのカメラを見つめていた。
 何も大きなカメラを、宝の持ち腐れで使いこなせないカメラを担いで持つこと等ないのである。このRX100には小さいが自由がある。
 ポケットに入れたり、カバンからサッととり出せる、小ささ故の余裕。それに一眼カメラにも劣らぬ高性能。実に理にかなったカメラだと思う。
ここで、RX100で早速写真を撮るのと、カメラを入れるポーチを買いに近くのダイソーまで行ってきた。
帰りに去年ガス爆発のあった場所を通ってきた。周囲はいまだにその後遺症に悩んでいるようだった。
東邦銀行は閉鎖されていた。
爆心地。


となりの赤いのが昔使っていたデジカメポーチ。これではRX100が入らないため、大は小を兼ねるでスマフォ用のケースを200円で購入。上側にチャックがあるので出し入れしやすいと考えた結果。
私の写真は芸術とは言えず、記録写真の傾向がある。これを芸術に持っていくのには、カメラのことをよく考えて、その仕組み、センスを磨かねば。
中々、奥が深く、ヨークカルチャーセンターでカメラ講座を習っていた身としても、その難しさは理解している。
あんまり堅苦しくならずに、自然体でパシャパシャ写していきたい。

池田を産み落とした創価の罪

2021年01月18日 20時11分58秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 池田大作は青年時代、日蓮正宗創価学会の座談会に来て、学会で伝わる所の、その場で自作の詩をそらんじた、等々は真っ赤な嘘であり、当の本人は折伏されて理論的に反論もできずにその場で入信が決まってしまったのが悔しかったと後年池田は語っている。
 そして、頂いた御本尊もそのままほったらかしで、一週間ほどして、自分の家の頭上で雷が始終鳴っていて、恐ろしくなってつい、題目を唱えた、という感じの入信であり、創価学会内などで言われている程の美談は無いのである。
 戸田城聖第二代会長には常に叱られっぱなしで、総本山富士大石寺で戸田会長を乗せようとした御輿が金をかけた割には使い物にならず、その時も戸田会長の叱責を受けた。
 戸田会長亡き後は、権力闘争に打ち勝ち、三代会長に就く。戸田会長死去後三年も会長職が不在だったのは、池田が後継者と指名されてはいなかった事を物語る。
 最初のうちは日蓮正宗宗門に従うよう見せかけていた池田だったが、徐々にその本性、新興宗教の新教祖となる野心、野望を現わす。
 何といっても、自身が三代会長に就く前にも、「会長先生は仏様です」と言って、お膳立てを自分で行い、その仏様の会長に自分がなる。根回しは欠かさない。
 昭和平成と、少しずつ創価という巨大な船の舵を正反対に持っていき、最終的には宗門に泥を塗り、裏切った。巨大な船には、何も知らずにそのまま乗っている哀れな学会員達が残った。
 これを用意周到、と言わずして何と言う。
 池田のような人間を生み出した創価学会の罪は万死に値する。

お年寄りを大事にしよう

2021年01月05日 12時28分32秒 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
 私の母が施設ではなくまだうちにいた頃、今から三年位前、福祉関係者の勧めでオレンジカフェに通いだした。
 オレンジカフェとは、認知症当事者やその家族、若しくはそれに関心のある人達の会合だ。私は初めて市立介護病院のカフェに参加し、そこで高齢男性のY田さんと知り合った。
 私たちの前にトイレットペーパーの芯位の双眼鏡のような手作りの筒が渡され、司会の人は「高齢者の視界はこんなに狭いのですよ」と言った。
 Y田さんが実際に顔に当て、「ほんとだなあ」と声を上げ、私に筒を渡した。
 私も顔に当てた。
 確かに視界が狭い。母を含め、高齢者は日頃こんなに苦労をしているのか、と実感した。
 よく、うちの地方のテレビなどを見ていると、時々高齢者になった体験特集のような自治体番組を見る。五分か十分位の放送だ。
 そこでは、子供などが、手や足に重りを付け、目に黒っぽいゴーグルを付けて数歩あるくような事をやっている。皆、口々に、「大変だあ」と声を上げる。高齢者がいかに大変かを体験していた。
 私は、高齢者には、この日本を支えて頑張って来た先駆者として、もっと大事にしたい、と心から思った。

あけましておめでとう、私は創価に寝返る事は決してない

2021年01月01日 17時20分21秒 | 人生訓・人生論・人の生き様・年末年始賀正・正月祝・祝誕生日・記念日・祝祭日旗日
あけましておめでとうございます。今日は、私のメールのやり取りの中で、メールの受け取り主の人にも、ブログで紹介した方がいいと言われたいい話があったので、紹介致します。その方は、私の母親の存在の有難さを語っていました。

今日、ヘルパーのSさんが来たので、私が四年前の今頃、交通事故に遭い、創価学会の限界を感じて次の年の二月に日蓮正宗のお寺に救いを求めた、良かったという事を言った。
話が唐突過ぎたのか、話はから透かしに終わってしまった。
創価学会に戻ろうか、とふい思ってしまった事も恥ずかしながら、ある。しかし、樋田昌志さんのユーチューブ動画を見ていたら、創価に戻った日蓮正宗の人がいた、と言う。
しかし、罰として、半年?一、二年間もあの!ニセ本尊を又もらうのにも時間がかかると言う。猶予を持たせて伸ばすと言う。
とても馬鹿らしいとしか思えない。それに私の場合は母が日蓮正宗であるので、母を一人残してしまう事になる。それでは余りに母に無慈悲だ。近所の学会員で、座談会場の提供をしているおばさん(Tさん)がいて、よく面倒を見てくれて、そこに行くと、大白蓮華の冊子をうちでは取っていないのに只で必ずくれる。
うちとも仲がいいほうだったが、今回の日蓮正宗入信を機に疎遠になったのが残念。
でもその人以外は、創価の人は冷たい人が多く、十一月か十二月の福島文化会館で行われる会合に来い、と私に言った夫人がいた。けれども私は行かなかった。その人はうちには意地が悪く、
どうせ財務の時期で、その会合だろうと踏んでいた。その夫人は、座談会でも自分のうちの自慢(娘やその彼氏等々)が多く、うちの母にも、Tさんが皆にあげたお菓子を自分があげたみたいに「食べなー」と言っていて、母は座談会から帰ってきて、その夫人の不作法にカンカンに怒っていた。
母も学会では嫌な目にばかり遭っていて、どうしてこうも教育のない人達ばかりなんだろう、と嘆いていた。
母はお寺に来てからは、怒ることも少なくなった。
母は椎名御住職の時の、平成二年十月三十日の寿海寺で行われた御会式(おえしき)に参詣している。証拠にその日付の日めくりの大聖人の御聖訓の本がうちにある。
母は思い出したように、その当時、日蓮正宗の儀式の素晴らしさを私に語り、「あんたも行ってみな」と創価の日顕宗批判に埋没していた頃の私に時々言っていた。
私は、以上の経過から、二度と創価に戻ることはないと断言したい。