Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

[動画版]三、四日前、講頭さんがその場の皆にお話しした事~私の「君子豹変す」論へとなだれ込む!

2024年06月16日 20時11分03秒 | 朗読版・折伏破権門理・邪教破折日蓮正宗御本読上げ・勉強趣味楽器演奏動画特集
[動画版]三、四日前、講頭さんがその場の皆にお話しした事~私の「君子豹変す」論へとなだれ込む! 私の先程のブログ記事のユーチューブ動画朗読読み上げ版です。以上。よしなに。wainai

或るフェイスブックのサイトから。
日蓮正宗 法遍寺

人には恨(怨)むという心が存在する。この害毒は人の心のエネルギーを奪い、さらに体内にも浸透して活力を失い、心身ともに崩壊の一途をたどる。 真剣な唱題は、恨みの元である貪欲・瞋恚・愚痴の三毒を成仏させ、気がつけば過去の出来事を受け入れ、他人を慈しむ境界へと変える。 大聖人は「人をあだ(怨)むことなかれ。眼あらば経文に我が身をあわせよ」(御書568)と仰せになった。「眼」とは単なる目ではなく、「心と魂」のことである。そして「経文」とは法華経の文底のお姿であり、これを大聖人は戒壇の大御本尊として顕された。 魂のこもった信心こそが人生を変える。怨む心の強い人は「成仏」の道を自ら塞いでいる。怨む心が消えるまで御本尊に題目を唱えきることが自身の救済である。そして唱題によるすべての体験が妙法広布の源泉であることを知ろう。

三、四日前、講頭さんと車座になり、皆にお話しした事~私の「君子豹変す」論へとなだれ込む!

2024年06月16日 19時58分08秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
 三、四日前、講頭さんが、夕方の勤行の後で、お話ししていた。
 それは、こちらが挨拶をすると、必ず返してくれる人。最初はいぶかしがって、敬遠していても、その内にこちらの気負いに負けて、挨拶を返してくれる人。
 これらが、挨拶を交わす人の八、九割くらい。
 そして、残りの一割が、こちらが幾ら、温情をかけて、情に訴えて、挨拶を交わしても、どうしても返してくれない人。てこでも動かぬ人。
 こんな風に、世の中は出来ていて、動いている。
 しかし、ここからが、講頭さんの面白い説だ。
 挨拶の返事が返って来ないのは、自身、我が身の前世での所業、行いにあったのだ、と、講頭さんは論を進める。
 挨拶が返らないのは、何も相手が悪いんじゃない。自分が過去世で、何か、浅からぬ因縁で、その人に意地悪をしたり、何がしかの理由が、こちら側にはあるのだと。
 仏教仏法は、自己責任といえば、何だか嫌がる人もいるかも知れないが、基本は、やはり、自身に全ての責務を負う、と見る宗教だ。
 だから、私はこの欄、このブログ記事に於いて、否、そのユーチューブ動画にて、2011年3月11日の、「東日本大震災」を、心を込めて怒り散らしたが、仏法の眼から見れば、自分の内面、心が、その時の、その場にいた一般大衆の心持ちが、それだけ、罪障に包まれ、汚れていたとも言える。それが、その時の、東北の大地を、大空を、覆っていたと。そうも考えられる。
 それを、仏法では「依正不二」ともいう。依報(国土)と正報(衆生)の一体不可分の関係性で言えば、その理論は成り立つ。
 「夫(それ)十方は依報なり、衆生は正報なり。依報は影のごとし、正報は体のごとし。身なくば影なし。又正報をば依報をもて此れをつくる」(新編御書九一八頁)
 それが、創価、顕正、他の、邪宗邪教の跳梁跋扈の結果だ、とも捉える事も出来得る。
 だから、故元東京都知事・石原慎太郎氏の「天罰」「神罰」発言も、その真意は不明で私も定かではないが、全く故のない事でもない。有り得る事とも言える。
 これは、私の、朝令暮改ではない。又、朝三暮四でもない。私の正に「君子豹変す」の例えの通りである。
 私は君子ではないが、このブログでも何度も言っているが、「君子」ではありたい、君子を目指したい、とは常々思っているし、そうやって生きて来た。
 だから、私は、幾らでも、カメレオンのように、意見が自分が間違えていたと気付き判った時点で、その場で自分の気持ち、意見を代える。これが私の流儀である。私の通す筋である。
 だから、そういった人種だと、それまでの私を知らなかった人は、私はそういう人間なのだと、新たに判断を加えて欲しい。
 
 話がだいぶ脱線したみたいだが、大筋では私の意見は間違ってはおらずに、私の言いたい事は全てここの場で言えたのである。言いたい事が言えて、私にとり、これが実に気持ち、気分がいいのである。

以上。よしなに。wainai

短歌、六月十六日、日曜に一首作歌す

2024年06月16日 09時38分14秒 | 短歌・和歌・作歌、歌会。歌を作る、短歌を味わう。表現する。批評する。俳句鑑賞
 朝の勤行の時にかつて起こった、二羽のつがいの鳩とのふれあいを描き短歌に一首としてまとめました。まあ、これが私の今日の限度、限界です。

 法華経を我唱へをる時鳩二羽の窓に寄るなり法を求むか
  
 今日はこれからお寺で五時間唱題会です。行って来ます。

以上。よしなに。wainai