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進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

私のピアノ学習の当面の指針・方針・夢 ! ジャズはからきしダメな私。私の好きな分野・傾向

2024年07月18日 08時17分15秒 | 音楽楽器・演奏・歌・楽典楽譜・ハーモニカ・電子ピアノキーボード
※これはあくまでも、私の希望です !
 私の雑然とした、愛着のあるモノばかりに囲まれた、台所の一角の書斎。兼、コタツ上の電子ピアノ一台。愛機、ヤマハ製P-225。88鍵。


 私は、ピアノにおいて、ジャズも出来て、ロック・ポピュラー音楽も、という、二足のわらじを目指そうと考えたが、ジャズは何となく気難しく、私は聴くのは好きな方ですが、自分で演奏しようと志す程、熱狂的になってやる感じでもない。
 自分はジャズには、それ程の思い入れもなく、関心も薄く、全然仮に自分が弾けたとしても、カッコ良いなどと自分に酔わない自信すらある。それ位、ジャズにはお構いなしで、余り興味がない。残念なのかも知れないが。
 ただ、黒人音楽のジャズは、マイルスデイビスなどのトランペット等は優れて好きだが、ピアノは果たしてどうかな。これは私個人の特別な感情である。
 これは個人の嗜好、好みであるから、これは如何ともし難いものがある。
 ただ、ビルエヴァンスのジャズピアノは、聴きやすい。同じジャズピアニストのキースジャレットの演奏で、クラシックのバッハの作品があるが、これも良い。
 とにかく、私はジャズは難解で余り親しみがないので、ポップス・ロック路線を志したい。何なら、日本の唱歌童謡、歌謡曲、演歌等々。etc…。
 それプラス、たまにベートーヴェンのエリーゼの為に、などのクラシックでも小品佳作でも良いであろう。まあ、理想は高く…。
 これも絵に描いた餅では情けないので、出来れば毎日少しでもピアノに触れる習慣が必要だ。これが意外と難しい。
 要は自分でピアノを一日五分、十分間でも毎日の日課、習慣化しつつ、継続は力なりでやるしかない。しかし、肩肘張らずに。独学の道のりの、難しく険しく、無限の可能性の、本領発揮な所かも。
以上。よしなに。wainai 

私のポケカラ、カラオケ全集。主に昭和歌謡版、時々バブル以降の曲!

2024年07月14日 14時10分06秒 | 音楽楽器・演奏・歌・楽典楽譜・ハーモニカ・電子ピアノキーボード
三善英史「雨」昭和歌謡を歌いました!  
昭和歌謡のゴダイゴの「ガンダーラ」を歌いました。  
昭和歌謡の中村雅俊の「俺たちの旅」を歌いました!  
サザンオールスターズの「夏をあきらめて」を歌いました!  
昭和歌謡、中森明菜の「スローモーション」を歌いました!  
昭和歌謡、菅原洋一、「今日でお別れ」を歌いました!  
昭和歌謡の五輪真弓の「少女」を、歌いました!これは難曲でした!  
 郡山高校卒のオリジナルラブの「プライマル」を歌いました!  
バブル盛んな時期の歌、爆風スランプの「大きな玉ねぎの下で」を歌いました!  
フォークの松山千春さんの「時のいたずら」を歌いました。  
フォークの井上陽水「傘がない」を歌いました!  
井上陽水の「いっそセレナーデ」を歌いました!  
昭和歌謡の沢田研二の「勝手にしやがれ」を歌いました!  
山下達郎さんの「スプリンクラー」を試しで歌いましたが難しかったです!
村下孝蔵さんの「初恋」を歌いました!

以上。よしなに。wainai 

最後は私の今後の「ピアノ学習」についての自ら下した結論を見た。本日の相談室からのメール、「演技性パーソナリティ障害」とは。基礎疾患、発達障害、多動、アスペルガー症、他について

2024年07月05日 02時23分58秒 | 音楽楽器・演奏・歌・楽典楽譜・ハーモニカ・電子ピアノキーボード
 本日、福祉相談室から来たメールには、大体、次のような内容のメールが含まれていた。

RE: 私は、wainai
  • 12時間前2024/07/04 木曜日 11:20
wainai様
昨日の件、昨日私はずっと会議や車の運転中で、電話に出られなかったことと、いろいろやり取りを見ていると、今は介入しない方が良いとの判断で連絡は取りませんでした。
別に見放すわけでもなく、嫌っているわけでもありません。
あまり極端に判断しないでください。
メール から送信
*************************************

 これを見て、私は一安心した。私の勝手な、一人相撲だった事が判明したからだ。
 これで、私の、心の拠り所、居場所はまだ、確保されている安心感につながる。首の皮一枚つながった。良かった。これは心強い事だ。

 それに付け加えて、私はお寺の、栃木のKさんとも、メールのやり取りで、私の一方的な言い振りによって、彼を傷つけてしまう、という、難を与えてしまっていた。後日、というか、翌日、数時間位を開けたか、その位で私から大層、大謝りで謝罪をして、それら発言を撤回して、これも許された。
 ここに、その時のKさんからのメールの一部を紹介する。

Re: 今、再びの、もう一度、お詫びを申し上げます。wainaiより

  • 2024/07/03 水曜日 14:08
大丈夫ですよ。
こんなに早いとは思いませんでしたが、
2,3日のうちに電話があると思ってましたよ。
(以下略)

2024年7月3日(水) 14:03

 これらを全て承知の上で、相談室の室長さんには私の昨日今日起こっていたメールでの動きを逐一報告、送っていたのだ。それで、上記の様な反応となった。

 私は最も信頼する、今まで生み育ててくれた親を始め、今ではそうした、私に関わって下さる福祉やお寺の方々に対して、これは甘えだとは思うのだが、これを、けちょんけちょんに貶めて良し、としてしまう所が私には元来ある。最も大事な大恩人に対してである。これは異常行動、異常思考だと思う。前世からしょい込んで来た、重い重い罪障だと自省反省する。
 自身で、反省に反省、猛省を加えて、サルでも出来る反省だが、人間ならば、形だけでは済ませずに、それらの大恩人の方々に、恩を報いる関係性の構築の努力が必要だと痛感する。
 とにかく、愚痴が一番いけない。今やらなきゃならない事は、お仏壇の御本尊様の前での合掌端座、勤行唱題である。これが、一番に、仏教徒、日蓮正宗信徒として、何を差し置いても、やらなきゃならない手始めの行動の指標・指針である。

 話は代わるが、私はこれは、或る病気、症状の本の中で読んでいるのだが、「突然大きな声を出す人間に注意」として、挙がっていたのは、大勢の前で、突然大声を出す人にも注意。「認知症・演技性パーソナリティ障害」の可能性もある。というではないか。

 私の場合は、わざと大声を出すというよりも、地声が大きく高い事。これが最大の目下の悩み。

 ただ、その本は、医師が書いたものではなく、患者発信であり、最初に、責任逃れのように、この本に書いてある事を現実に当てはめてしまい、その結果の被害損害については私は一切の責任は負いません、との何とも言い逃れにしか聞こえない自信のない発言、しかし、その正直さは言い分を買ってもいいとも思う。 

 この本は、私はアマゾンの、「アマゾンkindleアンリミテッド」の、サブスク、サブスクリプション、定額制読書コースにて読んでいるので、後は返すのみ。買わない。買う積りも一切ない。
 ただ、貴重な情報源ではある。患者発信という、当事者目線では。それにこの本は、予防医学的見地からも患者目線で書いてある所がミソだ。

 話は代わって。以下に簡単なその症状の概要・要約、まとめを書いた。
 

演技性パーソナリティ障害(ウィキペディアより要約
 その症状は、虚言癖、演技性、自己に過剰に注目を引こうとする行動様式、対人関係が不安定になる、機能的な障害。

 外向性が強く、他者の影響も受けやすい。虚言傾向も。行動様式の不適切性は、患者の文化を基準とすべき、と。

 いろいろな理由で、対人関係を遠ざけてしまう。新たな刺激に渇望しており、日常は退屈と感ずる傾向性もある(こうは私は思わない自信がある)。

 今でも自分の存在が周囲に認められていない事などがしばしば原因としてあげられる。

 外向性 
 外向性が強い事が特徴。同時に内面が希薄。アイデンティティの確立が弱い。そのため、被暗示性が強く、他人からの影響を受けやすい。他者からの注目が自己の基準となり、そのために外見など表面的な手段を使う。
(⇒昨日から今日までの、私の行動、このブログ記事の、その通りじゃないか!?)

 診断基準 
 私に当たっているもの。
 一、感情の表出がすばやく変化しそれは浅薄である。
 一、印象的だが中身のない話し方をする。
 一、他の人から見ると芝居がかったような演劇的な表現を行う。
 一、被暗示性があり、その場面や流行に影響されやすい。
 [一、他者を実際以上に親密とみなし、知人をかけがえのない親友のように言ったり、会っただけの人を下の名前で呼んだりする(これは畏れ多くて、呼んだり言ったり見做したりは自分には絶対に出来ません)。]

 これら以外からも、五つ以上満たす必要が診断基準にはある(自分はギリギリセーフ。しかし4つと、極めて微妙で濃厚である)。DSM-IV-TRによると注意をひこうとする行動を伴い、単に社交性などを証拠とする前に、臨床的に著しい苦痛や機能の障害をもたらしているかの評価が重要である。

 疫学
 構造化された評価法を用いた場合、男女比は同じである。

 治療
 ありのままの自分でいいのだという安心感を持つ事ができると、特別な行動をする必要がなくなり、精神状態も安定していく。そのため、周囲(家族等)が、どのような時でもありのままの本人の姿を認め受け入れていけるよう、サポートが大切である。

私自身の症状
 私は基礎疾患で、或る心の病だが、これは今の所、お薬で非常に抑えられていて、妄想、の類以外は、実によくお薬が効き、一切の、幻覚幻聴等が全くない。これは正に仏様の御加護ご恩寵である。現代医学の勝利とも言える。

 先にあげた、「演技性パーソナリティ障害」やら、これはこの病名症状は今回初めて私は知ったが、非常に自分の胸に突き刺さる。これはこの症状は、昨日と今日の私の極端な発言そのものだからだ。特に、ピアノを先生に付いて習いたい、等々、etc。

 それ以外にも、私には「発達障害」や、「アスペルガー症候群」や、多動障害やらが、含まれるらしい。これは先月か先先々月、星ヶ丘病院の私の担当の若手女医先生に聞いた。
 それらが、私の勘では、症状が重なっているのではないのか、と私が第一に疑いを持った。それで、女医先生に心理テストは出来ないのですか、というと、出来るが、もう、wainaiさんは、自分で答えを出してしまっている。最初から答えが判っているものに、答えを再度、出しても意味がない。wainaiさんも賢いね。とこうであった。
 それに、その時の、女医先生の診断、見立てでは、私の場合は、アスペルガーと、多動が大きく考えられるが、その点は、微妙な範囲であり、現在もそれらに関する薬など、現在の医学でもないので、このまま様子を見ましょう、と仰られた。
 元来、どんな人でも、私の福祉相談室でも、この、発達障害などの症状に当てはまる人は、結構な数でいるらしい。先生も、相談室の人も仰っていた。
 それ位ポピュラーな症状であり、気にする必要もない。ただ、自身で自覚はしておいた方が良い、という話。
 
 (まだまだ話が続く…。「演技性パーソナリティ障害」について)これに当てはまるかは私としては、女医先生に聞いてみないと判らない。ただ、声が大きいのは、元々、私の耳が小さい時からラジオなどをイヤホン等で大音量で聴いていて、それに伴い、耳から内容物の液体が始終、出て来た、という体験と、学校時代、先生に左の頬と耳を平手打ちにされて、一週間位、耳が遠く難聴になった事。これに関しては、その時一切、病院には通わなかった事、が大きいので、ここで取り上げた「演技性パーソナリティ障害」には何分の一かで、当たっているし、当たらないとも自己判断で思ってはいる。
 あと、二千年代に、私はゲームセンターなどの、ゲーム機の机状の台座を加工し作る仕事で、NC加工という、コンピュータ制御の仕事もやっていた事があり、一日で、その固い木材をコンピュータ通りに切って行く、その騒音で耳がやられてしまい、その次の朝、会社へ行く直前に、福島民報だかの、新聞を当時取っていて、それに健康歳時記のようなミニコラムがたまたま載って出ていて、大きな音を聞くと、難聴になりやすく、そうなった場合は、一刻も早く、なるべくならば耳鼻科専門の大病院へ、との記事を読み、これは大変と、母と相談の上で、母の運転の車に乗って市内の太田西の内病院へ行った。
 そこで、最新式の、防音室のある、素晴らしい位施設が整った、大病院での診察を受けて、医師からは、難聴です、との診断を受けて、二週間位のお薬を出され、その日から飲んだらこれが快調で、それでも真っ正直に、最後の日までお薬は大事に飲んだ。そのお蔭で、今の所、難儀ではない。一日で仕事は辞めてしまったが、健康には代えられない。お金、給料はちゃっかりしっかりともらった。
 その時の新聞には、耳なりがキーンと、金属音の様な音がして、それは大音量の中に身を置くとなり、なるべく早く耳鼻科の大病院へとあった。病院へ行かないと後遺症として残ると。
 たまたまの新聞記事が、こうした幸運な巡り合わせとなる。実にこの時は助けられたと思う。
 しかし、やはり、子供、生徒学生時代からの、耳の酷使、折檻等を受けて、私の耳は弱ってしまった。それで、今日の様な、人より大きな声、声高な声、目立つ声、に私はなってしまった。
 決して、目立とうなどという、そんな浅はかな、大袈裟なものではない事を、皆様にはご留意ご理解を頂き、心に留めて頂きたく、存じ上げます。


※編集後記
今日は異様に遅いブログ更新である為、もう眠る時間帯であり、皆様の所へ伺うのは、あしたにさせて頂きます。必ずに。毎度の事、済みません。<m(__)m>(ぺこり)。

結論としての私の意見・陳述・忌憚なき発言・最も言いたかった事
 上記からの関係上、今まで、否、昨日、突如として、私の発言から飛び出した、「ピアノ独学からクラシックの先生に付く!」論を、ようようと引っ提げて登場し出した私ではあったが、ここへ来て、又もや「君子、豹変す」じゃないが、独学を、これは筋を通し直して、一からやっても良いとも思っている。
 しかし、今、数か所、特に大手の楽器メーカーの所属のピアノ教室等々との見学体験予約を絶賛、私は取った最中ではあるが、これもどうしようか、一応、覗くだけのぞいてみるか、との冷やかし半分の好奇心のみが私の胸中には湧いてある。
 一応の賭けとして、その日に、雨模様だったら、見学は、即座に辞めにする。大晴れの、暑くて体に危険な日も、これも棄権にする。これを背水の陣として決めた。やるかやらないかは、私の自由な裁量だ。言い出したのも私。撤回する自由な権限を持つのも自分。この結果は如何。正直私は辞めたい。ハッキリ言って、もう予約を取り消す積り、算段、腹づもり。
 これは勿論、福祉関係者達、或いはお寺関係の人の指図などは、一切、私は受けてはいずに、全ては一人行動である。その点の誤解のなきように。
 ただ、福祉関係者には、今流行りか廃れたかの言葉、忖度、はあるやも知れぬ。これ程心配、配慮に欠けた私が今後、取るべき行動は、又もや振り出しの、独学に戻る事に絶賛、決めたのである。決して、圧力、権威に屈した訳じゃ御座いません。悪しからず。
 皆様、お見苦しい文章・動画に、これからもお付き合い願えれば、これ幸いです。昨日と言ってることがまるっきり違くてすいません。
 やるならやるし、勿論、独学で、となると、あの私が提示した動画では、クラシックは型にはまって大変無理でも、ポピュラー・ジャズならば、個性を生かせて、大丈夫、表現上、クセが個性になる、とのご意見でしたからその出演者の、私の出身母校の安高出身者の人の話だと。
 だから、その方も仰っていた、私も元々大好きな、肩の凝らない音楽、ロック、ポピュラーのザ・ビートルズを目指せば良いんですよ!簡単な結論ですよ。ジャズのビルエヴァンスその他を目指せば宜しいのですよ!これで、ポピュラー路線で、ストリートミュージシャン、路上ライヴ、駅ピアノ、街角ピアノを目指せば誠に良い!これが私の生きる道です。やっと見つかりました。我が人生の趣味の生きてゆく道のりというものが。

 片方で、お母さんが具合悪い時に、一人で趣味に大金を使う、その腐った心根が、私には自分で自分が絶対に非常にどうしても許せなかった!これが第一義に一番に本来ならば言いたかった事!

 どんなに優しい言葉を使っても、それは遊び遊興の類は「魔」以外の何物でもない。それがこの世、第六天の魔王の支配下の方程式なのだ。

 それらから脱する道は、ただ、今回の様な「迷い」「貪り」「いかり」「おろか」「我欲」「煩悩」からの脱出。これの良薬(ろうやく)が「法華経」、「南無妙法蓮華経」が一番のお薬なのである。私にも一般大衆にも。いつもの、結論が戻る所に戻ってきたよ!

 それも「日蓮正宗」の三大秘法の戒壇の大御本尊様が一番に大事なのだ!

 とにかく、ピアノは「独学」。これが私の既定路線。このまま突っ走ります。クラシックがなんだ。お作法よりも、「感動」だ!私の魂は「ロックンロール魂」だ!

 それにしましても、皆様、お騒がせ致しまして、誠に済みませんでした。

以上。よしなに。wainai

悩んだが、やっぱり、今まで通り、ピアノ教則本はバーナムで、否、やっぱり復習おさらい路線で。

2024年06月17日 15時29分51秒 | 音楽楽器・演奏・歌・楽典楽譜・ハーモニカ・電子ピアノキーボード
 私はつい先日、バーナムピアノテクニックミニブックを卒業ならぬ、終了した(と個人的に判断する)。
 そして、次は、ピアノの有名曲を一曲ずつ制覇していく、そんな学習法に挑戦しようとも思ったが、これは、かなり骨が折れそうであり、早くも断念した。憧れではあるが、私にはまだ早いと思う。
 今まで通り、バーナムの、ピアノテクニック・導入書、というのに取り組みたいと思う。
 しかし、ネットで調べると、このオレンジ色の導入書あたりまでは、鍵盤数が61鍵でもなんとかなるが、この一つ上あたりのピンク色の教材あたりから、どうやら、それだけでは賄えなくなるらしい。だから、これが一つの心配、懸念材料。
 もしも、そうなったら、そこを飛ばすか、或いは又、うちの奥の間に置いてある、88鍵がコタツにまた舞い戻って来るのか。私には手には負えない範疇だ。
 私が今言った、次の候補として、やろうとしていた、丹内真弓さんの本も、やはり、61鍵の、低音部が、鍵盤が足りない感じ。やはり、88鍵、おそるべし。中々バカには出来ない。
 福祉関係者達も、この間、訪看さん、訪問看護婦さんが我が家に来た時、完全に、私がピアノを88鍵から61鍵に代えた事など、これっぽっちも気付いてはいなかった。私から言って、やっと判った位であり、この場合、私が髪を自分で切るのより、気付いてはもらえなかった。
 それだから、誰も気づいてなんか、いやしないのだ。もう済んだ事なのだし。私が幾ら、その時お金の無駄遣いをしたからと言ったって、私の全権の裁量には私に任されていて、誰も文句が言えない。幾ら福祉とは言え。他人様に口出す権利など、これっぽっちもないのだ。それが自然なのだ。
 とにかく、私は、それは、クラシックの人の場合だと受け止めて、しかし、やっぱり、88鍵には、どの道、最終的には行き着くのだろうけれども。
 だから、今は、これは様子見である。何とも個人的な事で申し訳が立たない話ばかりで、失礼しました。
 こちらが、私が次の候補だった、ピアノ教則本。やはり、バーナムに慣れると、再度、バーナムを使いたくなる。バーナムは、こどもも使うので、大人にも安心感がある。こちらの丹内真弓さんの本は、初めから、中級者上級者向けには良いのかも。
 それにこちらの画像の本は、鍵盤が、低音部が、学習上、調べた所、数鍵、私のカシオの61鍵では足りない事が判明。(これは先にも述べた通りだが…)。
 「すぐに弾ける」というタイトルが、如何にも胡散くさいが。そんなにピアノの練習、レッスンは、一朝一夕で出来る訳がない。まあ、私も指使いに何とか慣れて来た時に、冷やかし程度に使ってみるか、といった所。
以上。よしなに。wainai

※編集後記 
 先程、家族に音大卒がいる、音楽にも詳しい福祉相談室の女性所長とお話する機会があり、その時、その終わった教則本をおさらい、復習を何度もする、という手がある事を伺い、成程、とも思った。
 それで時間稼ぎである。そんなに私は上手くはないのだから、そんなに急ぐ必要は全くないのである。じっくり地道に本気になって取り組み、繰り返し繰り返し、何度でも、目の前の道を、一歩一歩登る気持ちでゆけばよい。
 結果は後から付いてくる。今が本気を出す時、正念場である。宗祖日蓮大聖人様の「臨終只今」である。正直な話が。仏法仏教にも相通ずる話だ。
 「法華経を持つとは是なり。所詮臨終只今にありと解りて 」(「御書」生死一大事血脈抄 文永九年二月十一日 五一歳 )

 そこで、徳川家康の遺訓。「萬人処世訓」。これがものをいう。
 「一、人の一生は重き荷を負いて遠き道を行くが如し、急ぐべからず」
 「一、不自由を常と思えば不足なし、心に望おこらば困窮したるときを思い出すべし」
 「一、堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思へ」
 「一、勝つ事ばかり知りて負くる事を知らざれば、害其の身に至る」
 「一、おのれを責めて人を責めるな」
 「一、及ばざるは過ぎたるよりまされり」

 以上。再度、よしなに。長文失礼。wainai

【感動】『オネスティ』女子高生の弾くピアノに涙が止まらない…【 ビリージョエル / Honesty / ストリートピアノ 】他、ピアノ数曲/本家本物アーティスト歌唱!

2024年06月17日 00時12分20秒 | 音楽楽器・演奏・歌・楽典楽譜・ハーモニカ・電子ピアノキーボード
私は、ここ数日で、この女子高生ピアニストを、動画サイトユーチューブにて見つけてしまいました。それ以来の、感動であります。それと、本物の歌手、アーティスト版の競演です。
ここで、私からも披歴したく存じ上げます。
以上。よしなに。wainai


【感動】『オネスティ』女子高生の弾くピアノに涙が止まらない…【 ビリージョエル / Honesty / ストリートピアノ 】
 

【泣ける】『ヘッドライト・テールライト』女子高生の弾くやさしいピアノに涙…【 NHK「プロジェクトX〜挑戦者たち〜」エンディング曲 / 中島みゆき / ストリートピアノ 】  


【感動】『 初恋 / 村下孝蔵 』女子高生の弾くピアノ、涙が止まらない…【 ストリートピアノ 】


[本家・本物アーティスト版]
ビリー・ジョエル|Billy Joel - 「オネスティ (Honesty)」 (日本語字幕ver)  


中島みゆき|ヘッドライト・テールライト


初恋 村下孝蔵  


台所のピアノ、配置換え、88鍵ピアノ撤去!代わりに又、カシオCT-S1の61鍵を置く!

2024年06月13日 09時52分38秒 | 音楽楽器・演奏・歌・楽典楽譜・ハーモニカ・電子ピアノキーボード

 私の、今年二月の、88鍵の電子ピアノ、五万円位の価格、これを、福祉関係者達には、何の相談もなく買い求め、否、相談したかしないかの内には既に買って届いていた。
 これに対して、福祉の人などは、何の相談もしないで、とか、私だったら、こんなの買わない、だの、総スカンであり、私もそれに対して、反抗したり、反省を加えたり、どうしようもなく、この後、ただ目の前にある、その、歯をむき出しにしたような、88鍵ヤマハピアノに対して、ただ、威圧感を覚えるのみ、戦慄を感ずるのみであった。
 これでは、ピアノの学習になど、面と向かって、大見栄切って、出来得るはずがない。大体が、福祉関係者達は、私の上に君臨していて、私の、これは、借金生活で首が回らなかった時代から、見知った関係性に在るのだから。
 それで、本日、福祉関係者達とも相談の上、奥の間に、88鍵ピアノは、撤去の憂き目になった。憂き目というよりも、そうと私が初めから望んだのである。
 これを売却すれば、また、私の事だから、欲しくなって欲しくなってうずうずし出すに決まっている。そう、福祉の金銭管理の方は睨んだ。だから、敢えて、目の前から一時的に奥の間に消えてもらったのである。
 それで、そうして、元々は、今年の二月過ぎに、その、悪評判の、ヤマハの88鍵を買ったのだったが、君子豹変す。気が代わり、それを撤去して、その後、今年の一月に購入した、三万円の、カシオのCT-S1という、最初からお気に入りの、61鍵の、ミニサイズの、こじんまりとした赤色の電子ピアノが、写真画像でも判る通りに、今、現在の今日では我が家の台所にでんとして、置いてある。
 このサイズが私にはピッタリなのだ。持ち運びにしても、私の様な、幼児に等しい、初心者としてのピアノの技量にしても。私は非常に、今年の初め、年頭に当たり、このピアノを高く評価して、購入した経緯がある。だから、親しみ感は半端ない。大好きなカシオの電子ピアノの機種であり、キータッチも優れていて、これなら、福祉関係者にも、二度と文句は言われないだろう。今年の夏の、コタツの、布団を奥の間に持って行き整理する事も、これも可能な軽さ、小ささである。
 ずっと悩んでいたのである。我が家のピアノの配置の関係には。これは、ヤマハの88鍵にしたのには理由があり、そこへ、ヤマハへと、大人のピアノ教室へ通いたいと電話を入れると、そこの年老いた男性店員が、いずれ、88鍵のピアノが必要になりますよ、との説明を真に受けて、私の暴走が始まった。
 あれを聞かなかったら、こうは成らなかったはずである。今まで通り、カシオの61鍵のCT-S1を使っていた筈であった。そこが私のおかしな所なのである。
 すぐ、人の言う事を鵜呑みにする。疑いもせずに突っ走る。これでは、今現在、私は福島県警のポリスメールの愛読者なのだが、そこでは、今も尚、振り込め詐欺やら、フィッシング詐欺などを警告するEメールがわんさか来る。
 それらに私などは、赤子の手をひねるが如くに、今の状態ならば、引っ掛かりかねない。幾ら法政大学法学部時代(中退)に法律等を習い、法に詳しいと自認しようが、今回の、ピアノ屋のセールストークにこうまでも乗せられるのだから。
 ある、ピアノ通信教育(ユーキャンだったか)では、初めから、ピアノは61鍵に対応している教材を使い、そんな、88鍵などは一切要らないそうである。
 ユーチューブ動画を女性が電子ピアノを弾いているのを見て、感心したのは、簡単単純な、44鍵程度の、トイピアノ程度の電子ピアノでも、立派にモーツアルトの、トルコ行進曲のピアノソナタを演奏しきっていた事だった。詰まりは、鍵盤数など、プロでもなければ、それ程関係なく、編曲次第でどうにでもなる、という訳だ。
 この件からしても、私は金に飽かせて、放漫経営、ありったけの金を使って使い果たして、しかも場所も取り過ぎて重たく、軽くは決してない重量であり、悪い欠点だらけの88鍵の電子ピアノに凝り固まっていた事を、今、非常に自身で恥じて反省している。
 今の私の力量で、果たしてそんな、88鍵のピアノが必要なのか、疑問なのだった。
 誰しも、身の丈に合った、暮らし向き、というものがある。プロフェッショナルの、それで食っていける位の御仁がやるならば、これはそれこそ、もっと上の、生ピアノ、アコースティックピアノも必要だろう。
 しかし、私などの初心者が、手を出すには早すぎた、大袈裟、大仰な、88鍵の電子ピアノであった。私はこれを後悔するものだが、後は綺麗さっぱり、あと腐れなく、今度は、カシオの61鍵、CT-S1の電子ピアノの愛器で、またもや、ピアノ道、音楽道、ミュージックの道に邁進、ばく進する積り、覚悟である。渡りに船とはこの事だ。
 今のこの時が、非常に貴重で大事なのである。それが、今までの重しのように自分にドシンと乗せられていたプレッシャーとも別れられるのかと思うと、望外の嬉しさ幸せ感が心に込み上げ満ち溢れ染みて来る。
 これは負け惜しみでも何でも一切なく、心からの、自然なる発露がそうさせているのである。
 ただ、心から嬉しい。今の私にとり、それだけなのだ。
 要するに、食費等々、自分の為になるならば、その為のお金はケチらない。しかし、今回の様な、一番ムダだった出費には今後は絶対にサイフのヒモを締めて、一切使わない。関わらない。自己を、自分に厳しく戒める事をここに誓う。これを自身の一大決心、大原則、大目標とする。
 大袈裟だが、人生に於ける、自由を獲得した、と。何て自分は自由で捉われていないのかと。そして、かつての買い物に於いての無駄遣い、正に放漫な在り方が、自身の反省点として、これを、一日、二省も三省も加えて、自己反省をする毎日なのである。その結果が、総決算が、今日というこの日なのであった。

以上。よしなに。wainai、長文、誠に失礼。

アマデウス室内管弦楽団第37回定演、於:けんしん郡山文化センター

2024年05月19日 17時16分50秒 | 音楽楽器・演奏・歌・楽典楽譜・ハーモニカ・電子ピアノキーボード
 私は本日、けんしん郡山文化センターで行われた、クラシックコンサート、「アマデウス室内管弦楽団第37回定期演奏会」に、行って来たのである。
 
 まずは腹ごしらえで、安高そばの「ロッテリア」で、ハンバーガーセットを買った。しかし、今の時代はどこも高くて、740円だった。
 以前、お寺の近くのマクドナルドで、月見バーガーが、やはり、七百円台だったのを、食べてきた後、お寺の婦人方に言うと、高いねーと言われたのを覚えている。こうやって、庶民は皆、世の中の物価高に耐えに耐えているのである。分かるか、「岸田一派」めが!
 
 完食。残らず食べるのが、私の流儀。
 けんしん郡山文化センターに着く。自転車にて。
 ちょっと、建物や、彫刻などのデザインが、芸術に凝り過ぎている気がしないでもない。そのせいか、この間の、東日本大震災、その後の、最近の二年続けての大地震でも、たしかここは、大損害を受けた気がするが…。デザイン重視か、或いは、骨太で、安全第一がいいのか。答えは決まっている気が…。
 当時の、昭和の頃の市民文化センターでは、当初、クラシック専門の殿堂にしようという、構想があった。私も当時から、地元新聞で読んでいて判っている。
 クラシックの殿堂たるべきか、はたまた、聖子ちゃん(当時の新聞の見出し)を呼べる位の、派手目な、一般大衆に開かれた音楽センターにするのか。
 その時出た結論が、聖子ちゃんもあり、大いに結構、だったのである。
 だから、当時、尾崎豊やら、あと、CD盤では、音にこだわりうるさい、山下達郎氏などが、大変に気に入って、ここを舞台に録音にも使った。それは山下達郎氏の「JOY」などの作品になっている。
 私のメインは、ここで、今日開かれる、クラシックコンサートを聴きに来たのである。
 まず、事前に、撮影許可をもらった。私は、数日前に、市民文化センターに問い合わせて、写真を撮っても良いのか聞いた。すると、主催者の、M橋さんに聞いて下さいと、丁寧にも、電話の連絡先を聞いた。それで聞くと、コンサートの最中はダメだけれども、終わった後、指揮者がこちら(観客席)に向き直って、お辞儀をする場面、あそこまでいけば、ようやく、それは宜しいと判断されるといい、私はオーケーが出た。
 まあ、今現在は、肖像権だなんだと、うるさい時代であり、私など、ユーチューブには、自分の肖像権なんか気にはしていないし、どこ吹く風だ。
 うちの、福祉相談室でも、そこの長の人が嘆いていた。いつも、そこの行事があり、その時に写真、デジカメで撮る。その時、知的障碍者の人も、身体障碍者の人も、あんまり文句って出て来ない。
 それが、精神の人になると、あれがヤダ、この写真はまずいと、後になってからブーブーと文句を言う、という。
 とにかく、私も気を付けようと思った。
 
 これらは、三々五々、皆、帰ってゆく場面である。指揮者の人も言っていたが、今回は盛況で、例年になく、一杯人が集まった、うれしいというと、万雷の拍手が巻き起こり、場内を埋め尽くした、多くの人の歓呼に応えていた。それ程の人気ぶりだった。
 

 ここで、作品プログラムを紹介する。

交響曲第15番 ト長調 K.124 W.A.モーツアルト

ピアノ協奏曲第24番 ハ短調 K.491 W.A.モーツアルト

(休憩十五分)

序曲「美しいメルジーネの物語」Op.32 F.メンデルスゾーン

交響曲 第8番 ヘ長調 Op.93 L.v.ベートーヴェン

 私が聴いて何を弾いたか分かったのは、ピアノの向山良作氏(安高卒)が、モーツアルトのピアノ協奏曲の後のアンコールで、ドビュッシーの「月の光」を演奏した。これも感動作だった。私は最前列の方の席で、しっかりと、氏の指使いをじっくりと見詰めてピアノの勉強に勤しんだ。(主に目と耳、それに肌というか毛穴というのか、全魂を使っての、六根の全てで感じ取る、仏教的な感じ取り方、学習法)。

 そうして、指揮者の、高橋裕之氏(福高卒)がこれもまたアンコールにて、冒頭の、モーツアルトの交響曲の、一番早い「プレスト」の部分の楽章をなぞるように、もう一度聴衆の前で再演した。

 とにかく、今日は、私にとり、特に、ピアノにずっと注目していた。使われていたグランドピアノは、何と、ピアノ志望者ならば誰もが憧れる、「スタインウェイ」のピアノだった。
 スタインウェイと言えば、一台、一千万円は下らない、最高級のピアノだ。
 あのピアノは、郡山市の、文化センターの持ち物なのか、それとも、ここで出て来た、ピアニストの向山氏のものなのか、聞いていないので判別が出来ない。
 どちらにしても、金が大掛かりに掛かっていた、今日、本日の、クラシックコンサートなのであった。
 非常に勉強になりました。私の音楽道に於いて、今日は佳き日和であったと思うし、天気も下り坂と言われていても、どちらかと言えば、曇天模様で、雨も降らず、これはこれで、何不自由なく、良かったと思います。

 帰りに例の安高そばの、パン屋さん「ガトーナカヤ」にて、パンを買い求めました。今日は少なめに買いました。

 しかし、よーく考えると、今日という日は、お寺で、我が1地区の、座談会が開かれ催された一日でもあり、私は何やってんだ、という一日でもあったのでした。そこが、今の最大級の反省点です。

 (最近お寺に行っていない。どうしよう。悲しい。自分の楽しみ事ばかりで、それは三毒、貪瞋痴の、貪り、地獄餓鬼畜生の、餓鬼界なのかな。私の今の境涯は。それじゃダメである。遥か彼方の仏界を目指さないと。そこまで行かなくても、人界天界…。これも、六道輪廻で、同じ穴の貉だ。どっちにしろ、私の今の境涯が低すぎて、話にならない。これは今日の反省点です。)
以上。よしなに。wainai

けんしん郡山文化センターで、クラシックのチケットを購入

2024年05月14日 21時30分26秒 | 音楽楽器・演奏・歌・楽典楽譜・ハーモニカ・電子ピアノキーボード

 私は、今日、福祉相談室の長の方の事務所で、PCをせっせと教わっていた。
 そして、私は、学習時間内に、潤いが欲しいと、皆さんの迷惑にならない範囲の、本当に小さな音で、クラシック、それも、ピアノ曲の、特に今お気に入りなのが「バッハ」や「ブルグミュラー」等の、楽曲なのだ。これらを掛けながらの勉強ははかどる。
 そして、私の人生相談も、この場は兼ねている。長の方と、差し向かいで話し合い、PCを学ぶ時は、私の隣にて、マンツーマンでのパソコン学習である。
 そこで、私なりに、ピアノの事も、この場では相談に乗ってもらったりもする。その時、長の方は、私に、キーボード等を買うんだったら、生の音楽、コンサート・音楽会に行って、是非勉強する事だ、と仰る。
 憧れをあこがれだけに終わらせない。本物の音楽、音に触れてみる。
 私は今日、一旦、食事の為に家に帰り、その後、一直線で、中央図書館へ行き、クラシックの主にピアノ曲のCDを借りて、その後、「けんしん郡山文化センター」にて、今月から来月にかけての、コンサートの案内のビラに注視した。
 すると、今月も19日に迫った日に、クラシックコンサートがあるのを見つけた。
 それには、「アマデウス室内管弦楽団定期演奏会」とあった。
 そして、値段はかなり安く、一千円だった。
 これだ、とばかりに飛びついた。
 そして、ピアノ曲は、モーツアルトの、ピアノ協奏曲第24番との事で、これも楽しみの一つだ。
 他にも、モーツアルトの、交響曲第15番。メンデルスゾーンの序曲「美しいメルジーネの物語」。ベートーヴェンの交響曲第8番。
 これだけ聴ければ、千円でおつりが来そうだ。私は、ピアノを志しているが、総合音楽のオーケストラも、昔から非常に興味がある。
 だから、今度のコンサートが非常に楽しみなのである。
以上。よしなに。wainai

ピアノを巡る、訪問看護師さんとの問答と、私なりの答え

2024年04月22日 18時31分31秒 | 音楽楽器・演奏・歌・楽典楽譜・ハーモニカ・電子ピアノキーボード
 私は、今年の二月に、ヤマハの電子ピアノを、五万円とその前半台の金額で、アマゾンで購入した。
 それ以来、私の心の中で、途中でそろばんを買ってみたりと、変遷があったものの、今は部屋の(台所の)中心部には、でんとピアノが落ち着いてどっかりとその場所、地位を占め続けている。
 今から一か月位前になるだろうか。訪看さん、訪問看護婦の長の方が来られて、私の今、この状態の部屋の様子を見て取り、丁度、その頃、白の化粧板、ホワイトボードも二千円台で購入を済ませて、我が家にそれもどんと置いてあった。
 そうやって、私なりに自分の生活を創造的に、工夫を重ねて私が生きている様子を見ても、その看護師さんは、「私なら、買わないな」「その白の化粧板は、色々とモノが置けて、便利でいいとは思うけど」と一言二言、申された。
 私は反論を試みて、「じゃあ、車になら、百万円、幾らと、当然、お金を出すんでしょう。それとおんなじで、私にとって、車が、電子ピアノに化けただけですよ」と言ったが、看護師さんは「車は移動手段で、ピアノのような趣味とはちょっと違うかなあ」とは言っていた。
 私は、少し残念に思った。この件、電子ピアノについては、私の勇み足と受け取られて、福祉相談室の方にも、以前、文句と言うか、意見を言われた。その時は、私もこのブログで書いたかも知れないが、時期尚早であると。ピアノを実際に習う段階で、その教室で聞いてからでも遅くなかったのに、と。
 しかし、私は警戒した。どうしても、それら、大手のピアノ教室、特に楽器メーカーが主催するピアノ教室や、その加盟する教室と言うのは、おそらく、これは、ノルマのようなものが必ずあると私なりに信用ならぬと睨んでいる。
 そうして、私のような、丸ビ(丸貧)のような人間にも、誰彼関係なしに、アコースティックピアノ、生ピアノをこれは確実に売り付ける、売り付けようとするのだ、必ずに。
 それを私は第一に怖れた。実際に、今回のように、既成事実を作り上げれば、これは、私がもう既に、既成の製品を持っているのだから、これで手を打とう、と出来る。
 それが、相手方には、私の持つ電子ピアノが、そこの会社、メーカー製品ならば尚更、認めてくれるのではないかと、これは私なりの、処世術と言うか、予防線を張ったまでである。
 それでも尚、私に、それら、何十万円単位の高価なピアノを売りつけて来るとしたら、私なりに、そこは潔く辞めにする。それ位の心構えである。
 とにかく、私には、今は余裕、お金がない。これは認めざるを得ない。
 よーく考えると、私の子供の頃からも思い出してみても、ピアノなんて習う家の生徒とは、かなりの実家が裕福か、うーんと大事に育てられていた人達ばかりのようだった気がして来た。それ程、箱入り娘、息子が、皆、ピアノ習得者であり、それらの家庭のレベルは、かなりのハイクオリティーではあったのだろうと、今更ながらに思う。
 そこへの、コロナ禍以来からの、一人家にこもり、独学でピアノを代表とする、習い事を自分一人で習おう、という、機運が、今、これは日本のみならず、おそらく世界中での近年の動きだったのかも知れない。
 私もその時、その動き、気流・時流に乗って、やる事をちゃんとやって、人に自慢出来得る位の何か、資格でもそれら趣味でも学問でも、何にしても、やって置けば悔やみはしなかったろうに、と言う後悔と、まだ間に合う、という悪あがき的、頑張るマン精神に則って、本当に頑張りたいと考えている。

 とにかく、これ以上、誰も私の邪魔立ては出来ない。邪魔をするとすれば、おのれ自身が邪魔をする、怠ける、という事だ。本当に、趣味の世界の事など、その、それら、訪問看護師さんなんて、だって、何一つ分かっちゃいなくて、海のものとも山のものとも、ハッキリとは知らない、世間が狭いのがおそらくは、そういった、医学や看護学の業界の人達の世界なのだろうから、私は私が信じた道を一心に突き進むのみである。

 以上。よしなに。比較的長文失礼。wainai

電子ピアノと生・アコースティックピアノ、その超えられない差、それをしのぐ技術力・楽器愛

2024年04月13日 00時09分20秒 | 音楽楽器・演奏・歌・楽典楽譜・ハーモニカ・電子ピアノキーボード

 私は、あるユーチューブ動画を見た。そこで、男性の方(声楽家?=後で判明。私と同じ安高の車田和寿氏。彼は音大卒)が、ピアノと電子ピアノの差について語っていた。

 そこでは、電子ピアノと生・アコースティックピアノとは、その生ピアノとチェンバロやオルガン程、違いがあり、電子ピアノという分野と、生ピアノと言う分野、これらに二極化・二分化できると言う。

 それでも、その方は、音大に入る時に、父親から、これは高級なんだからと、当時、ヤマハの電子ピアノ、クラビノーバを買ってもらう。

 しかし、音楽教室だったか、その学校の先生か、いずれかの先生に、絶対にアコースティックピアノじゃなきゃ、学習に偏りが出て、いけません、と言われて、二度目に、生ピアノを買う。

 そして、妻と結婚して、妻も生ピアノを持ち寄って、しばらくはそれらで弾いていて、その二台は日本に置いて来た。今はドイツに住んでいて、確か、今は、電子ピアノを使っているという所。これが電子ピアノ2台目だとか。

 それで、まずは電子ピアノを使うメリットとして、音量を変えられる、ヘッドフォンにして、無音にも出来る、という点。

 それから、音色を変えて、違う雰囲気の楽器の音を鳴らせられる点。この二点を挙げた。

 しかし、生・アコースティックピアノに、音源も限りなく近づけたにせよ、それは模倣に過ぎず、本物ではない。限りなく、「偽」に近いモノではある事は否めない。

 そして、電子ピアノでピアノは上達できるか、との自らの問いに、その方は、電子ピアノ同士として弾くのは出来るが、電子ピアノから生ピアノへとは上達が出来ないと言い切った。

 そして、長くお話をされて、最後には、現地のドイツでは極めて安いのだが、日本では若干高くて食べられないようなチョコレートと、普通のコーヒーを飲んで、動画を締めくくった。

 私はこれを見て、そうさなあ、そうだろうなあ、と、嘆息した。

 私にとって、電子ピアノは、どうしても、プアマンピアノ、なんちゃってピアノ、の最たるものである。絶対に、高価なアコースティック生ピアノは、憧れではあるが、おそらく永遠に手には出来ないだろう、という位、諦めもあるし、経済観念からして、楽器に少なくとも数十万とは、かなりの冒険だ。

 まあ、それ位、余裕やゆとりがないという事。だから、この現実を受け入れるのは容易である。最初から、そんな、生ピアノなんて諦めている。敢えて距離を取っている。見ない振り。別段、そんなに欲しいとも今の所思わない。どっちが優れているのかは判ってはいるが。むしろ、要らない。代用はその、電子ピアノが占めているのも大きいが。

 まあ、そんなに本格的でもないかな、とも私は私の音楽・ピアノの指向性を認めて、思う。

 初めから分っていたのだ。そんな事は。しかし、今の楽器メーカーの技術が、生のピアノを弾いているような錯覚を起こさせる程、現代の電子ピアノの性能は凄いものがある。

 これも、その方は批判していて、今の電子ピアノ業界が、そういう風に、このコロナ禍も終わったが、その間に、世の中の人の引きこもり需要を見込んで、ピアノがバカみたいに売れて、第何次のピアノブームが沸き起こり、これに乗り遅れるな、とばかりに今まで来たとその方は言う。

 その楽器業界も、何の説明もなしに、生ピアノと電子ピアノの違いを皆に周知徹底しないで、そこがおかしいと。これは一理はあるだろう。

 それ以前にも、ヤマハが、電子オルガン・エレクトーンを発売した時、その商品を売り出すにあたって、テレビで全国ネットで、一時間だか、番組そのものを買い取り、その中で、子供が必ずエレクトーンを弾くシーンを見せるというコーナーまで作り、その番組が当たって、それ以降、電子オルガン=エレクトーン、という図式が成立、見事に成功したと言うのは周知の事実。

 その二匹目のどじょうを狙っているのだろうと、その動画でも言っていた。

 しかし、あくまでも、生ピアノと電子ピアノは、構造から音の出し方から違う、別物だ、という意識を持ってもらいたいとその動画作者は言っていた。

 今現在は、その方は夫婦でドイツに住んでいて、重たい生ピアノは海外へは持ち込めなかった。だから割り切って電子ピアノにしているのだと思う。いずれにせよ、今は旅の途上なのだろう。

 私の家には、アコースティックピアノを置く場所、広さがない。経済的な観点を言う前に。それに、防音や、重さに耐えられる床、等々の、幾つもの難所、難題、断念せざるを得ない事柄が多すぎた。

 だから、今現在の、私が電子ピアノにした、と言う選択は、全くの、大ありなのである。これを否定されると、非常に困ってしまう。

 電子と生、その差を縮められるように、各メーカーも頑張っている。今日の電子ピアノの隆盛たらしめた、各々メーカー独自の技術力も、大したものだと、私は却って改めて褒めて上げたくもある。

 とにかく、現代では、私も特に「軽薄短小」の、電子ピアノが、楽器の中でも最良最大の選択足り得る、そんな時代なんだと。私は、小難しい事は抜きにして、便利な世の中になったものだと、むしろ、電子ピアノにおける隔世の感に慶びと拍手と喝采と讃嘆を送りたいと思う。

 その、生ピアノと、電子ピアノとの、差については、良く吟味して、別物だとの意識を常に置けば、これは応用が効き、何でも対処が出来得ると思う。

 その違いも、十年二十年前の比ではないのだから、その進歩をまずは慶びたい。

以上。よしなに。wainai

【音楽談話32】電子ピアノビジネスの問題!音楽にとって最も大事な事が宣伝の影で忘れられていないだろうか?

カラー化粧棚板・ホワイト、ピアノの下に据え付けるーアイリスオーヤマ製品、アマゾン

2024年03月26日 13時03分35秒 | 音楽楽器・演奏・歌・楽典楽譜・ハーモニカ・電子ピアノキーボード
 私は、数日前、二千円前半で、我が家のヤマハの電子ピアノP-225WHホワイトの為に、下を支えて、そのスペースの自由さに期待して、同じ色、ホワイトのカラー化粧板、LBC-1240、という、板厚18㎜、120㎝×40㎝、の室内用収納棚を買い求めた。製造元はアイリスオーヤマKKであり、販売サイトは、アマゾンにて、である。
 これは、ちょうど、ユーチューブにて、女性のユーチューバー・ピアノ奏者が、一生懸命に、電子ピアノに必要な物を列挙していて、その中で、あれば便利なものとして、この商品も紹介されて、画面にリンクが貼ってあり、そこで、リンクをたどり、この商品と私は出会った。
 最初、段ボールで包まれた状態を見た時は、奥行きの横幅がこんなに大きくて、コタツのテーブルの上に載るのかな、と思ったが、段ボールから出すと、化粧棚は特に横幅はこじんまりとしていた。

 その女性は、この化粧板に、自由に飲み物を置いてみたり、好きなもの、文房具にしろ何にしろ、載せる事が出来るのを見て、私もこれは便利だ、と思い、早速、購入に踏み切ったのだった。

 しかし、参ったな、と思ったのは、ただでさえ、ピアノの鍵盤が、こたつの上では高すぎる位置にあったのに、この、二センチ近い板厚により、余計に私の眼前で、視界がピアノを見上げる姿勢の状態となってしまった事が、これは計算外だった。
 これは良くはなかった。夏の時期になって、うちのX状の、金属製の電子ピアノ置き台にでも応用して、改めて置くしかないかなあ、とも、楽しみと言うか、嬉しい悩みも今の所ある。

 けれども、これで、二千円前半なので、しっかりした製品に違いない。私は気に入った。
 この新たなスペースを利用して、私なりに、何でもこれからは置ける。良い買い物ができた。私の心の迷いが覚めて減ったような気がした今日一日であった。
以上。よしなに。wainai

ピアノについて、ユーチューブ動画からの一考察、ピアノへの経済的なる問題と愛着度

2024年03月20日 20時04分26秒 | 音楽楽器・演奏・歌・楽典楽譜・ハーモニカ・電子ピアノキーボード
 私は、「ピアノ」とキーで打ち込んで、ユーチューブ動画を調べる事が最近多く、そこで、或る、二人の女性、しかもどちらも「アラフィフ」を名乗る、代表的な、各々女性の弾いている楽器としてのピアノに俄然、注目した。

 その一人は、以前、出世した友人たちの食事会だかに参加して、自分の趣味がピアノだと言う。それに対して、そのマダムの一人が、「あの、同じ友人の人よりどうせ下手なんでしょ」と言われてモヤモヤする、という話だった。

 その同じ友人と言うのが、音楽大学の大学院位まで出たらしく、そんな人と比べられても困り、それが元で、長年、ピアノが趣味です、とは言えない程、トラウマになった、と言う。

 これだけだと、確かに可哀想、とも思える。
 しかし、その部屋に置いてある、ピアノに目をやれば、ヤマハのハイブリッド式の、立派なアップライトのピアノが部屋に鎮座している。これは、経済的にもご立派な家庭だなと、想像がつく。

 そして、その私だって買えないような高級そうなピアノで、六、七年使い、今度は、何と、それと引き換えに、グランドピアノを、百万円単位で買おうとする。

 ここまで来て、私には、私の経済観念が安っぽい、貧乏風なのであろうが、そこまで行くかあ、との驚き仰天がまずあった。まだ、自動車なら分かるが趣味に?と。私が古臭いのだろう。

 その、動画の、高級グランドピアノの購入の場面の紹介では、実際にお店に行き、今は、ピアノの第何回目のピアノ・バブル・ブームの時であり、引きこもり需要で、高級・高価なピアノを求めに先程も、中国からのバイヤーが来ていて、とにかく、飛ぶように売れるのだと言ってのけた。

 そうして、彼女は、おそらく聞き逃してしまったが、中古で、99万円だか、百万単位の、今度は音が気に入った、カワイのグランドピアノを買う。
 その模様が、動画で流された。

 もう一方のアラフィフさんは、こちらは倹約家というか、前にも別の楽器会社の電子ピアノを所有していたが、こんどは、コルグの、一応88鍵の、三、四万円の電子ピアノを購入する。

 その、モノを大切に扱う、扱い方は、その方の心の内面の楽器愛を表していて、そんなに私から言わせれば、高くはない方だろうなあ、とは思うものの、ピアノに対する愛情が半端なかった。

 何と、その、それから、コルグのピアノ到着の開封の儀を動画撮影してから、もう、五、六年経つのに、その女性はずっと一つの楽器を愛し続けていた。いつも、その女性と、その電子ピアノは仲良し、一緒、一体なのだ。

 どちらが、楽器を大事にして、心の底から、宝物のように扱い、心得ているか。否、これは、安易に比較してはいけない。しかし、これは私の、お金の使い方、その桁違いの額に対する、偏見や妄想も大いにあろう。

 しかし、こと、楽器一つの話だが、私には、その、一台の楽器にしても、すぐに十年経たずに手放して、更に高級な楽器を買う人も、それはそれで、日本の経済を回しているのだから、良しとする。
 
 けれども、だ。私は、庶民派でありたいと自身、望んでいる。私はその、傾向性、系統から言えば、すぐに楽器を乗り換える私ではあるが、しかし、その後は、一定数的に、固定する。つまり、もう買うのを止める時が自分でも来るのが判る。金銭的にも続かない。余裕があっても買わない。
 
 それら、グランドピアノにしろ、電子ピアノにしろ、各自、大事に扱ってくれれば、私には文句の付けようがない。それ位の心意気、感覚だ。

 だけれども、その、安値の、三、四万の楽器に魅入られて、質素に、五、六年も同じピアノ楽器を使い続けるその根性!その気風の良さ!私は気に入った。!

 そんな、人目など一切気にせず、余程、その楽器が気に入ったのであろう。初心忘るべからず。楽器も、非常に喜んでいる気がする。

 しかし、グランドピアノさんも、それが自身にとり、最良の選択であろうから、私はつべこべは言わない。

 けれども、気分が違う。安価でも、長年使い続けるその気持ち。高い買い物を、何度も自分に合う楽器を探す旅に出ている人…。しかし、お金持ちで、お金が許せるならば、個人のこれは自由だ。

 金額じゃない。演奏のワザ、技量にも大いに関係している。弘法筆を、…、止めて置こう。

 私はどうなのか、と問われれば、私も、貧には苦しめられていて、何か前世で、とんでもなく意地が悪かったのかといぶかしがるが、私も、こうして、何万円かは見事に電子ピアノには掛けた方だから、もういいだろう、という念慮も働く。壊さない限り、永久保存の楽器類だ。

 私にはまだ他にも、ハーモニカだ、カリンバだ、と、まだ音楽・楽器を極め尽くしていないモノが沢山ある。そして何より、今一番目指す頂点なのが、電子ピアノだ。

 とにかく、安価なものに愛着を持つ人を見ると、何だかこちらもホッとして癒される。でも、楽器に数万円なんて、一万でも、考えてみれば、高い方だと思う。まあ、これが、ねたみでなければ、それで良いのではなかろうか。
 
 正直言うと、高い楽器を買って満足している人は、私は余り感心しなくて、且つ、少しうらやましい。それだけの「グランドピアノ」が家に置けるだけの、スペースやら防音やら、立派な重さに耐える床だとか、それに今言った、経済力やらが、私にはうらやましく映るが、「隣の芝生は青い」をこの時ばかりは実感する。

 何も、人の後追い、人真似ばかりしたってダメだ、と言う事。いつか限界が来る。自分は自分、人は人。そこさえ弁えていれば、何にも人生、迷いがない。これが今日の私の答え、結論だ。

以上。よしなに。wainai、長文失礼。

ピアノ練習の同志、栃木のKさん、信心にはケチらない立派な志

2024年03月15日 09時26分34秒 | 音楽楽器・演奏・歌・楽典楽譜・ハーモニカ・電子ピアノキーボード
 私の高校の母校の先輩にもあたる、栃木のKさんは、私と同じ趣味、「電子ピアノ」演奏を為さっている。
 私は去年、複音ハーモニカの高額楽器を購入しようと、アマゾンの商品の並びを見ていると、突如として、電子ピアノの画面が誘いかけて来た。
 それが運の尽き。私は案の定、そのページに導かれて、やがて、ヤマハの61鍵のピアノに魅せられて、購入に至った。その後は、知っての通り、ヤマハの88鍵にまで手を出してしまう。
 その事を、栃木のKさんに言うと、実は、自分も、「夢グループ」の、一万円で買える電子ピアノをちょっと前に購入していて、今は時間が取れないけれども、練習は常々したいとは思っているんだ、と言う。
 私は、その、商品の、夢グループのページに行くと、そのピアノは、光で鍵盤に示して、その光をたどれば弾けるようになる、自動演奏で、との触れ込みであり、そういう機種もあるんだな、で見終わった。
 どうりで、彼、栃木のKさんのメールで、時々、ピアノの練習もまだ道半ば、とか、練習が疎かになっている、等々の、ピアノの練習についての話が自然と出て来ていたんだな、とその時、初めて判った。
 だから、彼の場合は、小一万で出費が済んでいるが、私の場合は、下手の横好きで、何万も掛けての出費だから、これは気合いの入れようが違う。本気度と言っても良い。
 けれども、栃木のKさんも、私もその日に行くのだが、今月最後の、三月三十、三十一日の土日の、日蓮正宗総本山富士大石寺への御登山へ、皆行くことになっている。
 その時、Kさんは、電車で行き、しかも、もう、泊まる旅館も現地で予約を早くも済ませていると言う。
 私は、駅東口のS楽さんと共に、その話を聞いて、「金持ち~!」と思わず声を発したが、そのKさんは、○○さん(私)だって、電子ピアノに何万円も掛けている。そのお金で、私は信心にお金をかけているんだよ、と言われた。
 成程、人により、お金の掛け方は千差万別であり、栃木のKさんは、信心にお金を大枚はたいて、功徳を得ている。これは見習わないととも思った。
 とにかく、お金の使い方、使い道が、人に寄りけりで、千変万化する。ある人は食べ物に費やし、私は電化製品、楽器、他、趣味に費やす。ある人は信心に。ある人は親孝行に。ある人は子供達の教育費に、と。私にとっては、信心に勿体ながっていてはいけないというお話がある。丁度、夏のお盆の時期に、よく話題に上る、目連尊者の母親の事を思い出すのだ。
 その母は、決して悪い人ではないのだが、生前に、自分の息子、目連尊者には食べ物をふんだんに与えるのだが、確か、僧侶の旅人には、食事を与えるのも惜しむ程の、ケチであった。
 その後、目連尊者の母は、亡くなった後は、餓鬼界へと堕ちてゆき、今言った、神通第一の目連尊者が、死後の母の姿を見ると、その異形の姿に驚き、現世から食べ物から飲み物から、それらを欲する母親に送ってみた。
 すると、どうした事か、それらは皆、火に変わったり、薪、油に変わったりで、余計に母親は炎の中で非常に苦しんだ。
 そこで一計を案じた目連は、釈尊に相談申し上げて、釈尊から、お盆の時期に、十方の聖僧に食物等をご供養しなさい、と言われて、その通りにする。
 すると、母は、餓鬼界から逃れられてめでたしめでたし、とのお話が仏教経典にはある。これが、仏教のお盆の由来である。
 仏法、法事に、ケチったり、吝嗇(りんしょく)になっていれば、自然と、功徳も消え失せる、という話である。私には耳が痛い。普段から、私は以前よりかは、御供養も足し増しているつもりだが、それでも、それらを、払ってやったんだ、と言うのは、増上慢であり、慢心であり、第六天の魔王が喜びかねなくて、せっかくの真心の善意が魔の道に陥ってしまう。
 よーく、これら逸話を噛みしめて、私も行動を厳しく見つめて行きたい。

 何の話からこうなったのか?私は又、脱線したが、ピアノの練習を、栃木のKさんもしている、と聞いただけで、私などは、同好の士を見つけたようで、とてもうれしい。
 以前、と言っても最近、私は算盤にも凝りだして、ピアノは辞めるかも知れない、と栃木のKさんに電話で言うと、勿体ない、せめて、ストリートピアノが出来得る位まで、上達していかなければダメだよ、とダメだしされて、そこで、私は発奮する訳です。やってやろうじゃないの、と。

 とにかく、私は、趣味を、それぞれ沢山持っていますが、それらを、日替わりメニューにしろ、一つに徹するにしても、難なくそつなくやって参ろう、と勇んで取り組もう、との、これは、ホントのまるで道楽だなあ、一つの、との思いがあふれて、こんな境涯は、幸せな身分じゃなきゃ出来ないんだ、との思いも持ち合わせている、昨今であります。

 以上。よしなに。wainai、長文失礼。

電子ピアノ・ヤマハP-225が、コタツの上に遷座し、鎮座し、舞い戻って来た!

2024年03月12日 09時50分04秒 | 音楽楽器・演奏・歌・楽典楽譜・ハーモニカ・電子ピアノキーボード

 私が今年の二月に買った電子ピアノ、ヤマハ・P-225が我が家のコタツの台の上に戻って来た。誠に喜ばしい限り。
 じゃあ、算盤は、という事だが、私は余りにマイナー過ぎて、算盤は、もういいかな、との小さく身を低くして、しかし、使い道は沢山あり、いまだに私の家の帳簿付け、家計簿は算盤である。だから、それに応用したり、時々算盤の本を広げて練習するのもあり、なのである。
 正に「君子豹変す」とは、この事なのである。
 とにかく、何日か振りで、家のコタツに電子ピアノが戻って来た事を以て、私は又、ピアノ教則本により、ピアノ独学に身を入れる事を誓うものである。
 何とか、一曲でもモノにできれば、と思うが、初心者のピアノのイロハは、それは、地道な、曲の一小節分の、自己練習習得鍛錬に徹するのであり、全貌が一曲となるのは、遥かに彼方の事なのだ。
 初心者シリーズの、曲本、楽曲集もあるにはあるが、私にはまだ早いと思う。
 皆さんのリクエストに答えられないのが恥ずかしい限りだが、その、教則本に則った練習曲の披露でも、私なりに、皆さんが全然構わないのならば、披露しても良いとも思う。
 とにかく、私は又、ピアノの一年生に舞い戻って来た。これからは、このピアノで、心置きなく練習三昧の日々を送る事をここに記し置きたい。
以上。よしなに。wainai

私はピアノ演奏の趣味を、あきらめた訳じゃあないですよ!

2024年03月11日 21時25分39秒 | 音楽楽器・演奏・歌・楽典楽譜・ハーモニカ・電子ピアノキーボード
 私はこの所のブログ記事群で、何か一方的に、電子ピアノを辞めた形にはなっているが、決して、ピアノをあきらめた訳じゃないのです。
 その存在が、自身の趣味の中では、影が薄くはなっているが、全くあきらめた訳じゃない。いざとなれば、このコタツの台の上にのせて、今はそろばん、PCが一番に載せているが、電子ピアノとの交代劇も重々、あり得る訳なのです。
 ピアノを決して、敵対視している訳じゃありません。むしろ、いまだに素晴らしい憧れの存在として自身の中で輝き存在し続けています。
 それも、昨日の日蓮正宗無量山寿海寺での御講で、否、携帯での通話だったか、栃木のKさんに、そんなに多趣味ならば、日替わりメニューで、自分で予定や計画を立てて、趣味の時間の切り替えを行えばよい、の、励ましの言葉が大きいです。
 何も、一つに集中するばかりが能じゃない。私は、それらを、今日来た福祉関係者にも、その人のせいにして、曲一曲を、弾けるようになったら弾いて下さいね、と言われたのがプレッシャーになった、それも、その人以外にも、私の金銭管理を担う社協のあんしんサポートの方にも言われて、ダブルショックで、取りやめたのは事実かも知れませんが。
 私自身の努力学習不足を人のせいにしている事は否めませんね。実に卑怯です。
 しかし、栃木のKさんは、そんなのはお世辞で言ってるんだから、気にする必要などないし、言ってくれるのが有難いと、そこは受け取らなくちゃ、と言われました。
 その、今日来た、福祉の女性も、聞かせて、というのは、私は本当に聞きたいから言ったのに、と言われて、私は、片手で、「チューリップ」のドレミの歌位しか弾けないですよ、というと、「いいじゃない」と言って、まあ、私のこれも一人相撲の様相だったので、今までの考えが自身、凝り固まっていたな、とは思いました。
 向こうとしても、私を応援したくてふいに出て言った言葉でもあり、悪気などこれっぽっちも無かった訳ですからね。これは私が悪い。むしろ、善意に受け取らないといけない所、筈でしょう、ここは。
 でも、あの、88鍵の、ヤマハのピアノP-225は、音やタッチ、重厚な質感は最高に良い楽器、電子ピアノであり、演奏するには完璧なのは判り切っているから、お気に入りなのは今でも変わりません。が、いかんせん、場所も取るし、重量も重たい。
 だから、ここはカシオの、CT-S1の、電子ピアノか、それ以外にもまだうちには、ヤマハの61鍵、又、カシオの44鍵のキーボードが、これだけ持てれば、音楽三昧が、十分出来得るであろう、との、音楽人生には事欠かない、道楽者で物好きの私であります故。
 だから、本格的に弾くならば、ヤマハ88鍵。普段は61鍵、44鍵と、練習を、計画的に、予定を立てても良いのかな、とも思います。
 でも、計画を立てて、それが崩れるのを見たくない私は、おそらく、予定や計画は立てないで、やるのかどうか、です。
 計画倒れは、学生時代で身に染みて、判った事だからやらない、私に計画などは似合わないと思うのですが、これは私の信条、ともいえるのですが。
 けれども、それですら思い付きであって、大した信条でもないのです。
 先日から、だいぶ、「思い付き」という言葉がこのブログには出て来ましたから。ゴーイングマイウェイな私の事ではございますが。
 それが間違いならば、自分自身で、自動的に軌道修正する位の可能性、応用力は私は秘めて、持ち合わせています。だから、予定計画もあり、です。
 人生、どんとこい。それが有用ならば、やってみる価値はあるのだろうと考えます。
 飽きたり、諦めた訳じゃない、という事が、この稿では最も言いたかった事です。
 それは、ピアノと平行して、私のライフワークの趣味の、最近出て来た算盤や、PC、タブレット、スマホ、ラジオ聴取、複音ハーモニカ、カリンバ、デジタルカメラ撮影、音楽鑑賞、読書、短歌の作歌活動、その他、色々様々な趣味に応用していこうと、私なりに、考え、思っています。
 ラジオがあるなら、テレビ鑑賞も、私はこれはこれで、それなりに、立派な趣味だと思っています。
 私にとっては、ハッキリ言えば、なんだって趣味になり得る、という話なのであります。
 とにかく、意固地になったって、何にもいい事などありはしないのです。私は、心を、もっとより柔軟にフレキシブルにしなやかに、ニコニコと、笑顔で過ごす生活でいられる毎日でありたいと切に願い望んでいます。
 御本仏宗祖日蓮大聖人様の「懲りず候」(新編御書)の心境が、この年にして、改めて初めて判って来たような心地が致します。これをも、自行化他の折伏行にも応用していこうと、念じつつ、思い考えております。

 勿論、これらの趣味・楽しみ事の中心、基礎、基盤、土台となり得るものは、大仏法仏教哲学の金剛の如くの、日蓮正宗の御信心、日頃からの勤行唱題の御題目、それに応じた利他の折伏の慈悲の実践行。この仏道修行にのみこそあれ、それこそが正に芸の身を助けるのだ、人生を潤(うるお)すのだ、道を開拓してゆけるのだ、という事は、私を含めて万人にも匹敵して受用されるべく、遥かに凌駕して尽きせぬ想いであり、この信心以外には他には求めるべきものが全くなく、有り得ない事は、言うまでもない事でございます事を、ここに付言して、掉尾を飾りつつ、キーを叩き終えます。

 まあ、余計な付け足しですが、自分の事ばかりおしゃべりして、かつての日本の習いの昔の侍武士のように、「不言実行」が出来れば、一番に良かったであろう。

 現代人の私は、一言多すぎる。こういう時は、武士らしく、一言の言い訳もせず、潔く、ただ、単に、実行に移す。有言実行よりも不言実行の言葉の方が、私は真理のような気も致しますが。

 世界的には、日本人は何を考えているのか分からない、不気味だ、と思われて、有言実行という概念が出て来たのか。

 私は、やっぱりいつも、実行力がいまいち伴わないので、不言実行でも良いのかな。その時は失敗しても言い訳をしなくて済むから。幾らでも実行出来て、成功すればその時改めて自己主張出来る、と余計な弱気な事も思う、昭和の人間の私であります。

 とにかく、最初に一歩を踏み出す勇気を持つ事。そして、ただ、やれば良い。やり切る事。やり遂げる事。それは、何事も、やらないから出来ないんだ。その、やる為には、手段を択ばず。何が何でもやり抜く。山の頂上を見つめて、目指して、黙々と、決して愚痴・文句を言わずに目の前の事だけに一直線に取り組む。一足一足、歩を進めてゆく。他人と比べず、過去、現在、未来の、自分のみをじっと見つめ続ける。実行力・行動力が全て。つべこべ文句は言わない。まずは初めにやって見なさい。それからものを言いなさい。正にこれですね。至言。

 これらの教えは、全て日蓮正宗の御教えから教わった事。それらの縮図が今の以上の言葉。

 以上。よしなに。長文失礼。wainai