Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

オレンジカフェ・ポエムに数年ぶりに参加

2021-02-21 13:37:48 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
高齢者や認知症当事者、その家族、それらに関心のある方を対象とした、オレンジカフェ・ポエム、郡山市安積町雷神山まで、自転車を漕いで行ってきました。
数年ぶり、二年ぶり位のブランクがあり、皆さんにもその事を言われ、Y田さんなどは「おー、生きていたか」と言って歓待してくれた。
昔は二百円で手作りの飲み物やお菓子が出たが、今は百円でペットボトルの飲み物が出た。昔の方が良かったかなぁ。
Y田さんと話が弾んだが、Y田さんの話だと、日本の仏教の葬式仏教化が気になると語っていた。キリスト・イスラム教を例にとり、日本もそういった精神性があれば、Y田さんの菩提寺も以前聞いたのは浄土宗で、御他聞に漏れず葬式仏教だ、と答えていた。しかし、Y田さんは宗教、特に仏教を道徳となぞらえて考えている所があり、私は聞き役に徹していたが、日蓮正宗という権教ならぬ実教、現代に生きた宗教があるんだと力説できなかったのが残念でした。
Y田さんも、宗教に迷う一般大衆とおんなじだな、と思いました。
帰りに安積町から柴宮を通り、帰ってきた。その途中の柴宮で、母がうちにいた頃、わざわざ歩いて通っていた美容院をカメラでパシャリ。こんな所まで母は歩いたのかと、その一歩一歩の尊さに胸が締め付けられた。人間、生きるのも大変だ、と今日のカフェでの思い思いの会話を思い出し、家路についた。

小説「人間革命」とは、池田大作の壮大なる日蓮正宗からの退転劇だった

2021-02-08 20:11:16 | 読書・本を読む事への楽しみ誘い。日蓮正宗御本。その他一般著作物電子書籍・辞書類
 小説「人間革命」を読んでいると、特に旧人間革命は、日蓮正宗創価学会を退転しそうになり、それをどうやって防ぎ、過ちに気付き退転せずに済んだかの体験も載っている。
 ほんの1ミリ、信心の姿勢が狂っただけで、信仰の根本も必ず狂うことが説かれていて、自分の信心を見直すきっかけにもなった。
 多くの学会員達の過ちが描かれるが、実は、主人公山本伸一こと池田大作の、日蓮正宗からの離脱劇でもあったことが、今から思えばそうか、と納得できるが、それら小説では池田が主人公である為、常に池田が美化され、離脱の過ちは過ちと指摘され叱責されることもなかった。
 堂々と主人公自身が過ちを犯し、それを池田目線で美化し、読者は煙に巻かれ、誤魔化される。そこには当然、池田および創価学会の被害者意識も書かれる。
 創価を去った人の、そこでは退転者の悲哀が語られるが、当の池田自身の退転劇には、小説では池田をほめそやし、非難の文字は見当たらない。
 当然、山本伸一こと、池田大作を主人公にした物語なので、自画自賛、我田引水の話になり、話が片手落ちであり、陳腐なものに感じる。
 旧人間革命は、池田も主役級だが、本当の主役は戸田城聖第二代会長だ。戸田目線でこの小説を書き換えるならば、池田は袋叩き、責めに責められ、獅子身中の虫として、戸田先生の叱責に遭い、ノックアウト必定だ。
 その面で、旧人間革命も、新人間革命も、論理が破綻していて、とてもじゃないが、読めた代物ではない。
 全ての間違いは、池田大作に三代会長の座を乗っ取られた、創価学会の失態に尽きると言わざるを得ない。誰もその時は、池田の野心・野望を見抜けなかったので、多くの人が池田に一杯食わされた、という体たらくである。
 まことに歴史の裁きは厳しい。

森元首相の低レベル発言

2021-02-08 14:45:18 | 政治政党・左右政党・国際情勢・時代論・国防憲法論、太田西ノ内病院医師の件含む
 森喜朗元首相、オリンピックの会長の女性蔑視発言が問題となっている。
 この人は昔っから、総理だった頃から問題発言を繰り返してきた。思い出せば、神の国発言とか色々と問題を起こした。何十年振りかでゾンビが復活したような気分。
 森氏にインタビューをしたこともある田原総一朗氏などは、彼の場合は人間的に弱く、本当はか細い性格だから、あんな強がりを言う。彼の家はかかあ天下ですよ、と言って擁護していたが、何であんなこと言うかなあ、と疑問も投げかけていた。
 元々女性を下に見る環境で生きてきたのかもしれない。世界中にこのニュースが駆け巡った点を見ると、いい恥さらしだ。
 この問題発言を繰り返す森氏の後に、小泉純一郎長期政権が来たのだから自民党も中々人材は豊富なようだ。今後もそう上手く行くのかは疑問だが。
 森元首相の顔のアップがマスコミで写るたんびに何か時代の潮流の変化の兆しを感じる。その意味で、森氏の存在はつゆ払いの意味合いがあるのかも知れない。