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進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

或る若年ブログ・ブロガーからのフォロアーを、辞めた。私のブログ論へとなだれ込んでゆく!

2024年06月26日 16時56分28秒 | ブログ論。私の本音。一人語り。物故録。恋愛論。恋話。大いなる自分の好み、嗜み。
 或るブログのフォロアーだったのだが、私は今日を限りに、潔く辞めにした。
 今では、惜しくも何ともない。むしろ、清々とした。
 こちらも、その人は、若い人で、まだ三十代くらいだろうが、余りに、書いている内容が、世渡りの上手さを考え抜いていて、要領の良さにばかりこだわり、それらの総合性が大切なんだと言わんばかりの話のオンパレード。
 女の子と遊んだのが楽しかった、だの、今日行ったラーメン屋はおいしかった、サウナが最高、資格、投資にはどうの、あと何十年で定年だ、それまでにどうたらこうたら、とこうだ。自分の貪り、欲望の話ばっかりだ。
 まだ青さが抜けていない、青年然とした、年に似合わぬ幼さの残ったその「青年君」には、私はこれは付いてはいけないと、判断を下した次第。
 その青年君も、同じく心の病らしいが、私には付いてはいけない。そう私は断じた。
 その、数年間、去年からか、ずっと最初から、「いいね」等々を私は押下していたが、これも撤回、こちらから皆、取り下げた。それ程に醜悪な感じのするブログ、ブロガーであった。
 それに、いつも私の片想い、私からの一方的な、「いいね」や、コメントばかりであり、その返礼返答がないのも不信感を懐く原因、端緒とはなった。
 誰だって、「片想い」はないでしょう…。多少の、いいねを押したら、いいねで返す。これ位の礼儀はあって然るべきでは。それは私が厳しすぎるとは、ちっとも思いませんがね。ええ。
 とにかく、私は、片想いはイヤです。片想いをする位ならば、少しフォロワーが減っても、こちらから願いを下げて、解除、するしかないのでは。
 あれだけ頑固な人、若者も初めて見た。道理で、そのブログ記事のページが、いつも、毎度、閑古鳥が鳴いていた訳だ。
 私も他山の石として、気を付けたい。自分も、他人様のページに寄る時は、そこへお邪魔させて頂く際は、よーく吟味して、よーく文章、画像、動画等に注意着目して熟読愛読させて頂いて、そして、いいねを惜しみもなく押下する。気に入った記事には、必ず四つ、という風に。忙しい時以外は出来るだけ。
 私の最大一に考える日蓮正宗のお寺に関する朝夕土日含む一般関連行事、私の自宅での自行化他にわたる勤行唱題行。後は私自身の生活、最初の第一義の福祉の関係やら趣味やらこのブログの執筆、撮影等々に抵触しない範囲内に於いては最大限のサービスを私から見舞い、皆様へと心から平伏しつつ低頭平身していいねを押下し続け試みる事を精励したい。最低でも日に一度は。お寺ファーストではあるが。
 これです。この心意気なのです。私の「ブログ道」、「SNS道」というのが、この言葉自体が、あるのか無いのかは、分からず、私の勝手な造語かも知れないが、とにかく、私なりのこれは今日の結論なのであります。

※編集後記
今日もこれから、お寺の夕べの勤行に行って参ります。皆様のブログ記事へ辿り着き、見て「いいね」等々押下するのは、夜半に至る事が予想されます故、何卒お見知り置きを。

以上。よしなに。wainai

私の反コロナ論、大日本国皇室擁護論!=訂正修正版

2024年06月09日 19時48分27秒 | ブログ論。私の本音。一人語り。物故録。恋愛論。恋話。大いなる自分の好み、嗜み。
URL。
このブログを舞台に、私はコメントを投稿した。
余りに腐った意見だと思ったからだ。
何より、今時コロナ?!皇室を侮辱もしている。
二重の罪を重ねた女性と見受けられる方に寄せた、
コメント記事である。これは、正に言論戦である。
言葉と言葉、言論と言論との戦いである。
どっちが勝とうが私は勝敗にはこだわらない。
ただ、反コロナの立場からも、皇室尊重の立ち位置からも、
是非、理非、正否を糺したく、論考を重ねた次第です。
以上。よしなに。wainai

2 コメント
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コロナなんて嘘です!それに皇室侮辱です! (wainai123753)2024-06-09 19:35:38
あなたは騙されていると思います。
日本の代表的マスゴミに。
コロナなんて嘘です!
コロナなんてなかったのです。
この期に及んで、又、今頃何を仰るのですか?
ただの風邪です。
それをマスゴミ、日本医師会、自民党公明党政権が、突如として作り上げた、誇大な、巨大な、妄想の産物です。
それにあなたの場合、大事なる、日本の万世一系の天皇家の悪口罵詈。
これは、果たして許され得る話でしょうか。
得意の、皇室は、四民平等の世には合わない。民主主義の対極の如くに、国民扇動をする積りですか。
日本の皇室は、皇紀二千六百年余、わが国の歴史に固有の、世界で最も長大で、遠大なる、歴史と伝統を誇る、王家であります。
これを意図的に否定する者は、一部の共産主義者か、特亜の息のかかった者達である事は、論を待ちません。
とにかく、この、あなたの記事には、私は賛同できません。むしろ、反対です。
コロナ騒動にもう一度世間を惑わす罪、皇室を侮辱した罪、二重の罪を、あなたは行ったのです。
私は、今の自民党政権ではダメだと思う。特に公明党がダメ。
しかし、日本の伝統文化遺産とも言える、皇室をないがしろにする、これは一国民としては断じて許せません。
これでは、人非人の誹りを受けてもしょうがないじゃありませんか。
もう少し、記事を書くならば、デリカシーを、ネットリテラシーを持って、書いて頂きたく存じ上げます。
以上。よしなに。wainai

尚。 (wainai123753)2024-06-09 19:45:41

尚、このような、反コロナの立派なブログがある事を、ここに表明致します。うんと勉強になりますから。(勉強して下さい。)



私の文章論・ブログ論、以前我が家へ来ていたヘルパーさん達、文章に費やす時間に驚く!ザ・ビートルズ論

2024年05月23日 00時24分19秒 | ブログ論。私の本音。一人語り。物故録。恋愛論。恋話。大いなる自分の好み、嗜み。
 私は、ブログを書く、世間でいう、一応はブロガーなのであろう。その関係で、文章を綴るのが大好きな方である。
 そして、私は今から二年前以上、それからさかのぼって、その時には、まだ我が家にヘルパーさん達が、入れ代わり立ち代わり、来ていた。
 その他にも、訪看さん、訪問看護のIさんという、私の初の看護師担当者もいた。
 その方々に、私が心を込めて書いた、ブログ記事を読むと、誰が書いたの?とか、言われて、私が書いたんだ、というと、本当に、とこれは誉め言葉も多少あるとは思うが、公の文章家が書いたのかと思ったとか言われた事もあった。
 それから、その一連の文章を読み上げた時、ヘルパーさん方を中心に言われた事は、その文章をどのくらいの時間をかけて書いたの?という、素朴な疑問と質問である。
 私が、一~三時間かかって書いた、とか、それの手直し推敲に、或る時は六時間かかった、とかいうと、もう、ワ~、という感じでビックリされる。その時間はまさに、作家じゃない!と。小説家になれるんじゃないとか言った人もいる。
 しかし、私は作家には成りたくないと言った。時間に拘束されたり、何本もノルマを課された仕事の為の書き物など、私は御免だと思った。何より自由が欲しいし、それは健康的じゃない。余りにも。
 それでも、私は、これを正に綴っているのが深夜帯であり、かなり矛盾した事を言っている。けれども、私はとにかく、日本のあの、日本ペンクラブのような、あんな、それから、なんとか賞のような、物書きを、随分持ち上げ過ぎのような気もするし、それで、その賞、クラブに属すれば、一流人の仲間入りをした気分でいるのが、世の作家なのかなあ、との、漠然とした思いが渦巻く。
 とにかく、この世には、大学の文学部卒、出身者なんて、日本の人口の一定な割合、全人口の一割強は確実に居るのではなかろうか。そんな御仁紳士淑女令嬢に交じって、私のような者が初めから勝てる訳がない。それは認める。
 しかし、その他の点で、何もどこの出身ばかりが問われれば、戦前戦後の名経営者の松下幸之助さんにしても、名宰相の田中角栄氏にしても、書く文章は立派だ。それらの愛読者たちは今なお、立派に存する。
 その伝で言えば、何も、文学部を出たからと言って、文章が人より上手いか、と問われれば、さあね、といった所であり、確かに、大学修士を修めれば、大学やその人の勉強量・力量によるならば、文章力が立派な方も片一方では存在するであろう。
 しかし学歴や経歴で、文章力が左右する程、世の中甘くはない。世の中はもっと広い。あの、自由闊達な作詞作曲法を、どこで身に付けたのか、イギリス英国の「ザ・ビートルズ」は極めて、独力、独学、独自に、おのれを磨いて貫いて、ああまで立派な楽曲群、人々に感動を与える作品を世に生み出す事に成功した。
 これに続いて、二陣、三陣と、日本でも世界でも、同じように、ビートルズ世代から今に至る、音楽の作詞作曲家の系譜、歴史が、何よりもその、プロアマ精神を物語る。
 とにかく、ビートルズは、同時に、音楽であり、文学(詩)でもあった。それが商業的にも大ヒットして、大成功している。一挙両得だ、正に。
 とにかく、私の文章論は、だいぶ脱線したが、あのビートルズが、私の音楽にしろ、文学にせよ、目指すべき、一つの指標と言うか、目標である。
 私は憧れの、ザ・ビートルズになりたい!なれないのは判っているけれども、ファンの一人として、彼らに近づきたい。(遂に言ってしまった)。
以上。よしなに。wainai

東横線での想い出、或る少女に寄せて

2024年04月25日 21時50分54秒 | ブログ論。私の本音。一人語り。物故録。恋愛論。恋話。大いなる自分の好み、嗜み。
 私は、今までで一番モテた時期が、小学校に入る前の、保育園時代にあるのではないか、と思う時がある。
 私と母は、当時の、横浜桜木町行きの、私鉄・東急東横線に乗っていた。
 しばらく、私は、外の車窓を、まぶしげに見詰めていた。
 そうしたら、目の前の横座りの座席に座っていた、私と同じくらいの女の子が、私の前にいて、しきりに、その母親に、この或るものを私にあげてくれ、と必死に指図しせがんでいる様子が私の目にも認められた。
 そうして、私と母の分、詰まりは二個分の、当時、今ではもう売らなくなってしまった「チェルシー」の紅茶味だか、コーヒー味のキャンディーを、私達母子に、その母親が、笑顔満面で、その女の子がどうしてもこの男の子(私)にあげて欲しいと言うものですから、と言って、それを差し出して、母の手に渡した。
 あいにく、私たちは、飴も何も持ち合わせずに、悪いわねえ、何にもお返しが出来なくて、と母は言い、私にそのキャンディーを差し出してくれた。
 その場には、その女の子の、明らかに私に好意をいだいた印としての上品な雰囲気が客席には漂い、私にとっても、何か大げさな感じがしないでもなかったが、その女の子の、これは少女の自然な感情なんだと、私なりに受け止めた。
 確か、私は母に促されて、「ありがとう」とお礼のあいさつをしたように思う。
 確か、私達が横浜へ着く前に、その少女とお母さんは、途中で下車して行った。
 私は、その後、横浜の街で、その日一日、それらの事を心に留めながらも、いい気分がした日和であった。
 そのチェルシーの宣伝文句も丁度、「あなたにも、チェルシーあげたい!」という、外国人風の女子が語るCMであり、私も当時を思い出しても、そのCMそのまま、地で行っていたと思う。この話も良くできたものだが、全て、事実である。
 私にとって、この一点を思い出しても、少年の頃の私の方が、今は三枚目どころか、五枚目かも知れず、脇役人生、助演男優賞を受けたい位の、目立たなくても良い存在の私でいたい、とさえ思っているが、この当時は、どうやら私は、二枚目で通っていたようである。
 むしろ、これからの人生が、その私の真に望む、脇役人生の真骨頂となるべく、縁の下の力持ちを任じて、私なりの一生を責任を持って生きて行こうと思う、私である。
以上。よしなに。wainai

私の平身低頭宣言!皆様のブログを始めSNSから学ぶ事、大なり!

2024年04月15日 19時30分52秒 | ブログ論。私の本音。一人語り。物故録。恋愛論。恋話。大いなる自分の好み、嗜み。
 私は、世間のSNS、ソーシャルネットワーキングサービスへの、非情なる偏見にさらされた世情から、私も一時期、その偏見に捉われてしまっていました。

 しかし、私にとって、これらブログ含めて、SNSを、非常に健康的、かつ、理知的、かつ、創造的に、皆様の御ブログサイトへと、私は非常なる興味を持って、訪れる事が、習い性となってきました。

 今までの自分ならば、時間が勿体ない、人様に、怪訝な面持ちで、相対していたと、非常に反省しきりであります。

 仏法には「和顔施(わがんせ)」という法理があります。どんな人に対しても、あたたかで、朗らかで、にこやかな慈悲のあふれる態度で、接してゆきなさい、との、仏様の御教えです。それに、今までの私は反する行為をしてきた、という訳です。

 今では何のわだかまりもなく、それらに接して行ける自信がみなぎってきています。むしろ、私自身の血や肉にそれらが、自身の情報発信において大いに有益で役立つ事だと、今更ながら、 最近分かってきました!

 私の今年の、自身の目標標語「今年からは、平和主義者で進む、過ごしたい!」との、私の念慮からして、皆様各種ブロガーの御方々にせよ、フェイスブックの御方々にせよ、それに、X・旧ツイッターの御方々、余り更新はしないがInstagramの御方々、最近(去年)からこれも始めたユーチューブ動画の御方々、それぞれに、皆様、特色がおありであり、こちらも、その接触により、何か、触発される事しきりなのであります。新たなる発見に、驚きの毎日なのであります。

 今年からは、一皮も二皮もむけたいと願う私自身となって、損得勘定などに捉われず、ただ、無知を知る、皆様のサイトを訪れさせて頂いて、御知恵を拝借し、お教えいただき願えれば、本当の幸甚に存じ、思い考えております。

 要するに、「華麗で素敵なる私への転身、変身」を可能ならしめるツールが、それらSNSの各種のサイトの、皆様とのネット空間でのふれあいにある、と睨み、私なりの答えが、皆様から謙虚な心で学ぼう、と学習したるものが、私の現在とこれからであると言えます。

 謙虚、謙遜、謙譲、譲り合いの姿勢で、それら世界に、私は第一歩を踏み出したく、存じ上げるもので御座います。

 至らぬ所の多き私ですが、多忙の時を除き、私の実生活を守れる限りにおいて、一日に最低でも一度は、皆様の所へと出向ける私でありたいと望みます。

 以上。よしなに。wainai

小柳ルミ子のベストアルバムを買う、「純情一直線」-私の志向性、芸能界清純派路線への恋慕を綴る

2024年01月20日 09時43分51秒 | ブログ論。私の本音。一人語り。物故録。恋愛論。恋話。大いなる自分の好み、嗜み。
 こんにちは。長文失礼仕ります。
 小柳ルミ子のベストアルバムを購入しアマゾンでダウンロードした。
 小柳ルミ子は、元々は清純派で鳴らしていた。それが、いつだったか、私は子供時代だったから知らない。しかし、実際上、ヌードを披露した過去を持つ。清純派を脱ぎ捨てたのだ。
 その頃、昭和時代、小柳は紅白に毎年連続で出場していた。うちの父などは、その清純派路線が父には好みで、大ファンとまではいかなかったろうが、その小娘然とした、素朴で純真だった小柳ルミ子が大好きだったようで、いつだったかの紅白歌合戦に、小柳ルミ子が、どんどん服装が派手気味で、露出度があらわに成ってゆく姿に見ていられずに、ついつい、母に、「あれは、上の人に命じられて、あんな派手な服を着せられているに違いない」とこぼすように、父は昭和一ケタ生まれの堅物であったから、どんどんイメチェンしてゆく小柳には、父は戸惑い困惑して語っていたのを思い出す。
 父は、平成の初めに亡くなったので、その後の、何だか、後年、小柳夫妻は離婚したが若手男性俳優と結婚したり、情報通でもなかった父は、ヌード写真集を小柳が出していたのも一切存じ上げなかったのだから、父にとっては、その方が幸せだったのかもしれない。
 私は何が悲しいかと言って、一男性として、それら、「清純派」と呼ばれて、世間でもそれで通ってきた女性が、何を思ったのか、それを裏切る如くの行為、肌を裸を見たくも見せたくもないものを、本人にとっては秘すれば花なのに、隠していたから、イマジン、想像力で補っていたその人の長所だったものを、全て裏切り、全てさらけ出し、男女間の濡れ場を演じ、特に、AVなんぞに出てしまう神経が分からずに、理解が非常に出来ない。
 衆目を集めた所で、性の営みを映像で見せられるこちら側の苦痛は、(その、相手の、映像中の人々も、損得有りの、義理義務で演じているのは当然であろうが)それに対して、パニックし、慟哭してしまう。
 男性女性問わず、着衣、服を身にまとい、それが、最低限、それら芸能人にしろ、自信のあるスポーツ的な健康的な肉体美の身体の持ち主で他を圧倒する程の、それ程自慢し正直に勝負したいならば、水着程度ならば、身にまとうものが存している方が、まだこちらも好ましくもあり許せるし、その人の魅力を最大限に生かしていると果たして判ぜられるし、断じる事が出来得るのだ。
 余りに安易で気色悪く汚すぎるのだ。ヘアヌードにしろ、その極みのAVなどは。子供の教育上も、最悪で、悪辣過ぎる。
 今の携帯スマホ全盛の時代、子供達のネット環境は、果たして大丈夫なのだろうかと、他人事ながら、非常に心配もする。現代の闇は、業というものは深い。
 物事には、決して、やり過ぎない、仏教の中庸の徳というものが存すると信ずる。
 それでは、今までの、あの健康的な美的な笑顔で振りまき接して、一般大衆に魅せて演じて来た一時代の一定の自身が築いてきた安心感の信用信頼の蓄積の成果を、丸投げして、世間的に裏切ることになるのを、その女性は知らないのだろうか。
 社会から人格まで否定に処される事への怖れがない位、お金にでも困ったのであろうか。理由が売れなくなって来たから、とか、遊び半分・快楽の為なのだったとしたなら、絶対に私は許せない。
 その女性のファンで、その自分が清純派から、肉体派に変貌を遂げた時、男共は皆が皆、喜ぶ人種ばかりだと、果たして思うのが、芸能界のしきたりなのかと勘繰る。
 私も、当然、あの、健康的な、まだ、水着程度で一般に肌を露出して、笑顔を見せている内は、安心し納得できる。しかし、これが、ヘアヌード、AVと来れば、眉をしかめざるを得ない。その女性芸能人には、哀れだ、可哀そうだ、悲しい、裏切られた、という、失望の念慮しか起きない。
 もっと、いつまでもしがみついて、そんなことする位ならば、芸能界を引退して、モデルケースとしたら、昭和の頃の山口百恵のように、潔くその世界から立ち去れなかったのだろうかと私は思う。そんなにしてまで、芸能界に縛られる必要などどこにもない。
 それに関して、以前、AKBで、やっぱり、今まで歌を歌ってきた女性アイドルが、AVに出演が決まり、そのファンとして、どうしたら良いのでしょうか、というメール投書が、私が愛聴している、ふくしまFMのラジオ番組「DJナイクのeトーク」で紹介された。その時、DJのナイクさんは、その女性が本当に好きならば、最後まで見届けてあげる事だ。それがファンというものだ、的な事をその番組で述べていたが、私はそれを聞いていて、反対だ、と思った。
 私の心の中では、いつまでも、清純派、歌手として、それ以前の、笑顔を振りまいていた、あの頃の姿を永遠に自身の心に永久に留めて置いて、それ以上、深入りする必要など一切ないと断ずる。 
 ナイクさんは、芸能界も、そのAV転向した女性アイドルも、お金に困ったのだろう、おそらく、だから、ファンだったら、筋を通して、最後まで、その女性を応援した方が良いとの判断からだったのだろうが、私が自分がそのメール投書者の立場だったら、そんな苦痛は耐えられない。悪いが、一抜けた、ファンを辞めてさせてもらっても結構。それが、私の、正にファン道、筋の通し方である。私のこの考え方は意固地でしょうか。私みたいな人間が、一人くらいいたって、この世は困らず、むしろ宜しいのではないのでしょうか。
 そうして、一切、そのアイドルの今の窮状、惨めで、悲惨で、仰々しい姿など、一切を葬り去り、自身の中で、清純派時代を思い起こし、これは、自己陶酔かも知れないが、時代に乗り遅れ、ポンコツだ、と誰彼から言われようと、自分の心と体の平安を守る為に、清純派のアイドル、芸能人を偲び、そのまま、既定路線として、今の派手でけばけばしい時代のその芸能人の状勢、情報は一切、身にも目にも耳にも心にも寄せ付けないよう努める。
 それから、今までの、清純派時代のみの時代の彼女を、それ以降も追い求め続ける。思い出して、自身の永遠の記憶に刻み付ける。現在の堕落した彼女の姿は一切考慮には入れない。思い出のアイドル、として、自身の想像の世界の中で遊ぶ、というか、思い起こし、今と過去とを比較は決してしない。
 それ位やって、初めて、そのアイドルに奉仕、給仕が出来得るものと私なりのこれは答えだ。その位、ファンにとっては、ナイーブな心の問題だ。
 私が、そこまでストイックなのは、何か、宗教的なものがやはり関連しているのですか、と問われれば、否、と答える。我が信奉・信仰する日蓮正宗では、この宗教を非難する、謗法以外は、悪い事以外、善なる事を含めては、自行化他を重んじ、何をやっても良い事となっている。別に個人の性的嗜好まで非難、批判はされない。本当に自由な宗教だ。
 これが、日本のプロテスタント、カトリックもそうだろうが、キリスト教だと、そうはいかなくなる。妻帯者、結婚を既にした者以外は、性的なものを自身に近づけたが最後、神への裏切り行為、罪となる。これが、表向きは羊を装い、裏では狼に変ずる、キリスト教の二重人格・偽善者の性格を、本領発揮する結果となる。キリスト教は余計なお世話をしている事になる。
 私は、十年間近く、このキリスト教をやって来た関係からか、極めて性的な事には厳格すぎるのかも知れないが、やはり、染まり切ってしまうものなのであろう。うちには、害悪の最たるAVの類は、一切ない。これは一種の自慢かも知れない。それで良いと、本人が一番判っている。決して私は特殊特別な人間ではないとは、今でも信じつつ、思っている。
 それを見て取った我が家の母などは、きっと、性的な、男女の交わったビデオなんて言ったって、そんなものはおそらくこの世には出回っていない、ハッキリ言って無いのだろう、と健気に私に語っていた。我が家にいた母が施設に入る前、母は気丈にも私にそう、答え、断定し、話していたのを思い出す。無知の極みだが、母の天真爛漫さ、余計な事を知らない愚直素直さ、が微笑ましい。私は今も頑なにそれを守り続けている。
 とにかく、今日は何でこんな話になったのか判らないが、ともかく、男性と見れば、すぐに女性のそうした、AVだか何だかを望む輩ばかりだと見做すのはやめて頂きたい。私も、女性の水着位までは許す。しかし、それ以上になると、敬遠する。これでそれの何が悪い!そこまでの精神、気概で私は私なりに今までもやって来たので、それを今後も貫き踏襲させて頂く。
 私のこんな事は、ストイックとも何とも言えない。ちょっと今日は、脱線し、ずっこけた話に陥ってしまったと、自身で反省を加えている昨今である。

 再度、私の愚にも付かない長文にお付き合い頂き、大変、失礼致しました。とても心苦しく存じ上げます。しかし、申し上げずには、おられませんでした。以上。よしなに。wainai

これら、UPした記事群について

2024年01月08日 23時50分46秒 | ブログ論。私の本音。一人語り。物故録。恋愛論。恋話。大いなる自分の好み、嗜み。
 今日、ここに掲載したブログ記事は、今から数年前、十年近く前に、私が今よりもまだ多少若く、同じくgooブログにて披露して文章を綴ってきた「日々雑感 わたしが思う あの事この事」という、今の私とは、宗教的、政治的にも多少の違いがあるが、それには読者諸賢には目をつぶって頂き、じっくりと(少し多すぎたか…)目を通して頂きたく存じ上げます。何十に近い文章群ですけれども。以下、その、ブログ記事です。
以上。よしなに。wainai

成りすまし詐欺(振り込め詐欺)は許せないが…

2024年01月08日 22時40分58秒 | ブログ論。私の本音。一人語り。物故録。恋愛論。恋話。大いなる自分の好み、嗜み。
成りすまし詐欺(振り込め詐欺)は許せないが…
May 15, 2015, 3:31 am≫ Next: 最近のニュース≪ Previous: 無音・小声・サイレント勤行のすすめ
 成りすまし詐欺、振り込め詐欺の被害のニュースを聞いていて、世の中には本当に身内の心配をしてくれて、身銭を切ってまで身内に尽くす姿を見て、内心、そのお人好しの度が過ぎるのを悪意じゃなく笑ってしまうのだが、被害に遭われた方々には冗談じゃ済まなく、電話でお金を要求するものは皆サギ、騙されているんだよ、と注意喚起する他はない。
 これら騙された方々は、本当にいい人ばかりで、その気の良さに、気の毒にも思うが、うちの血も涙もない(特に東京の)親戚連中には、爪の垢を煎じて飲ませてやりたいくらいの、馬鹿でケチな連中ばかりだ。
 何しろ、うちが貸した大金を未だに返さない馬鹿がいる。ひどいのは海外まで行って逃げて渡り歩き、国際人だとか何とか自惚れて日本にいる時間が余りなく、お金も遺産がある癖に返さない。しっぽを中々つかませないで、どこまでも逃げ切れると思っている。
 他の親戚も、うちのお金に群がり、母がおばあちゃんに預けていたお金を何の関係もないのに、濡れ手で粟でせしめて誰の金かわからなくなり、うやむやになったケースもある。
 こういう手合いに、うちが電話一本でお金の無心、返せと言った所で、金にずるく業突く張りでしみったれた人種のるつぼのうちの親戚じゃあ、お金の動きようがない。
 親戚中、教師一家ばっかりで、「先生と呼ばれる程の、馬鹿はなし」で、皆に持ち上げられて裸の王様状態で、他人の目、自分がどう見られているかばかり気にしていて、地域では名士気取りで、給料はちゃんちゃんと黙っていても入って来て、貧乏などした事もなく、他人の痛みなどわからない。そんな世間体ばかり気にする愚かな人間どもがのさばる。
 金を借りたら返す、これは人間ならば当然の守るべき掟だ。この点、うちの親戚たちは、お人好しなど一人もおらず(他人には優しく身内には鬼のように厳しく、これは福島の親戚にも言えるが)、永遠に振り込め詐欺などには無縁の人種たちばかりだ。

暫くこのブログを休眠してた理由

2024年01月08日 22時34分25秒 | ブログ論。私の本音。一人語り。物故録。恋愛論。恋話。大いなる自分の好み、嗜み。
暫くこのブログを休眠してた理由
March 7, 2015, 6:30 am≫ Next: radikoを聴いての感想
 あるイニシャル1文字の方が、コメント欄に度々投稿してくれたので、軽く受けていたが、前回、立て続けに幾つも幾つも「質問」と称して独身税だの犯罪だのの、「難問」を突きつけられ、答えに窮してしまった。わたしだって年がら年中犯罪の事ばかり考えているほど異常じゃない。それだのに酷いと思った。
 それからブログを書く気がしなくなり、一月中はしっかりと休んだ。こんな事はわたしのブログ史上初めてだ。その間コメント欄も閉じていた。それから一時的にブログを再開し、コメント欄も再開すると、女性らしき人から道路族と公明党についてのこれもレベルが知れたコメントが届き、一時間くらい載っけていたが、次のコメントで、あるおばさんに見つかったら困ると言われたので消した。
 とにかく、質問等は受け付けないですし、おかしなコメントがあればバシバシ削って行きます。それだけは覚悟して。以上。

追記

 後日、その自分で難問と名付けた質問には全問コメント欄にてお答えし、別に考えてみれば難問でも何でもなかった。その時は時間的にも物理的にも心にも忙しくて落ち着かず、余裕もなかった。言わば考える時間という物が不足していたのであろう。
 女性らしき人の道路族への意見も、意見は意見として伺い、レベル云々よりも、これも縁と思い、嫌うばかりじゃ駄目かもしれぬと今は思う。
 これより以降も、迷惑が降りかからぬ限り、皆様からのコメントは自由にお待ちします。


傘を見ると…

2024年01月08日 22時25分42秒 | ブログ論。私の本音。一人語り。物故録。恋愛論。恋話。大いなる自分の好み、嗜み。
傘を見ると…
November 28, 2015, 1:50 am≫ Next: バックハウスのベートーヴェン・ピアノソナタ全集≪ Previous: うつくしま未来博、福島が輝いた日
 傘を見ると憂鬱になる。嫌な思い出しかない。
 小学校の時に、柄も支柱も木でできた傘を学校に持って行ったら、その日の内にへし折られていた。おそらく学校の不良達が、力自慢で壊したのが想像される。
 二度目は中学校時代。東京のおじさんから雨の日にあげてもいいともらった傘。黒い何の変哲もない傘だったが、これも盗まれた。学校の連絡日誌で担任の先生にこのことを書いたが、しょうがないですねぇで終わってしまった。
 今日も母がわたしの傘を使い、帰ってきたが、しっかり傘を忘れてきた。忘れたらしい店に電話をしても、なかった。これだから雨の日の傘は、嫌いだ。
 傘を見ると、手元に本当にあるのは寿命で言えば良くて数年、運が悪ければ数日数週間でどうせなくなる。仏教の諸行無常を痛感する。
 雨が悪い。雨さえ降らなければ、とも思うが、わたしも自分で覚えていないだけで、結構、傘なくしてるかなぁ?否、途中で取りに戻ったことはあるが。
 傘を見ると、いまいましいか、むしろ酷いことをするね、でいつも自分は一人取り残され、一人むなしく考え、あきらめる。人生って一体何かとも思う。
 こればかりは答えは出ない。一言で言えば、失くした物への郷愁か。執着か。傘は、あの形からして、何かおとぎの国のもの、道具のようで。自分の中では儚い夢のようなものなのであろう。
 ああ、傘のない国へ行きたい、って今のうちの状態だよ。

私の動画の製作姿勢について、路線を若干、変更を加えたい

2023年11月15日 09時35分17秒 | ブログ論。私の本音。一人語り。物故録。恋愛論。恋話。大いなる自分の好み、嗜み。
 私は、動画の時間短縮化、から、音楽の楽器演奏、ハーモニカ演奏を省く、と宣言はしたものの、それ以来、複音ハーモニカの演奏が滞ってしまい、楽器ハーモニカ演奏のモチベーション、やる気がそれだけでしおれて、自信を失くす結果となってしまった。今、最近の自身の動画を見ても寂しく感ずる。これは、私が目指す傾向の動画では全くないな、と。
 これは私が決める事だから自由なはずであると信ずる関係から、ハーモニカを、一曲~二、三曲のオマケの演奏は許して頂きたいと、この小欄で、宣言させて頂きたい。
 なるべく、二十分以内を限度に放映時間を限る事を目指したい。
 本の朗読と、私のハーモニカ演奏は、対になって、結構、相性が良いと、自分自身では、思っている。
 ハーモニカ好きを自認している私にとり、自身で愉しく楽しめられれば、本編動画と合わせて一石二鳥である。自己満足も、自己のハーモニカ研鑽、自信がつき、一石三鳥とも成りうる。
 とにかく、私は、本編とハーモニカで、なるたけてんこ盛りにはせず、時間厳守で、頑張ります。

以上。よしなに。wainai

ここ、11月の10日間のブログ記事の内容を吟味してみる

2023年11月11日 08時37分37秒 | ブログ論。私の本音。一人語り。物故録。恋愛論。恋話。大いなる自分の好み、嗜み。
 私はまず、自己分析、自己反省の為に、自分が世に発表して来た、ブログ記事について、これを大体の所に於いて自己診断してみた。この昨日までの10日間の記事についての日をさかのぼっての一考察。
 10日(金)動画ばかりが、4つ。
 9日(木)動画4つ。大長文1つあり。
 8日(水)動画3つ。比較的短文1つ。
 7日(火)動画3つ。大長文1つ。
 6日(月)動画5つ。動画は歌カラオケ中心。写真入り長文あり。
 5日(日)久々に、総本山へ行きその疲れで、ブログ更新を休む。
 4日(土)動画1つ。
 3日(金)比較的短文3つ。その内1つは写真画像入り短文、即ち文化の日の報。
 2日(木)動画3つ。内、他動画引用1つ。私の歌カラオケ含む。比較的大長文1つ。
 1日(水)動画5つ。私の歌カラオケ含む。比較的大長文1つ。

 こう見て来ると、何とも、最近は、動画に私のブログ記事が偏っているのが、最大限に判り切って判る。正に動画偏重である。これが、最近の私は面白くないと思っている。
 私は思う。動画は、1日最低、1つのコンテンツ、一動画で良いのではないのかと。
 スマホユーザーで、動画を家のWi-Fiのルーター経由で見ている人はいいだろうが、これが外出先で見るとなると、最大限の通信の制限に遭い、自己の容量不足、情報がその分遮られ、スマホが重たくなりはしないか。そこまで、私としては、読者の気持ちを察して、おもんぱからなければならない。非常に申し訳ないと。
 これら、記事、というか、毎日の動画アップロードに勤しみ過ぎて、栃木のKさんへと送ったEメールの自己大反省の文章が、だいぶ後半、ページが先の先の方へと向かい移って行ってしまったのだが、あれが、私の、Kさんに対しての、これからはEメール主体のお付き合いに戻る、もう、出来るだけ、電話は掛けたくはない、との、私からの悲痛なるメッセージが、とっくに過去のものとして、これは大事な、数日前の事、話しなのに、先の先のページに行ってしまっている。これも、私の駄作動画のせい、悪弊である。動画をやるからには、もっとこんな垂れ流しではなく、しきたり、流儀、作法をしっかり守るべきであると考える。
 これも、私が、動画をろくでもなく、非常なスピードと、多量なヒマを持て余して、自転車操業宜しく、人力で、まあ、その努力は私自身敢えて大したものだと認めてあげたい気も少々するが、これが、果たして、どれだけの人に見られて来たのか。特定の動画は見てくれているらしいが、その他は、全く、見てもらえていない、見るのが苦痛だ、というのか、それに、余りにそれら単体の動画の時間数が長く多すぎる。
 何度も出て来るが、栃木のKさんが以前、仰られていたのだが、幾ら長くても、動画は、二十分以内が限度であり、なるべく忙しい現代社会では、短ければ短い程良い、と。
 その法則に則って、私は思い、考える。私も、あんまり、あれもこれもと、欲張らないで、本の朗読ならば、朗読だけに徹する。ハーモニカならば、完全に練習を積んで、人様に自慢出来得るような作品に仕上げたものを動画発表する。世間話もいいが、時と場合による。いい加減な、雑な、俗っぽい、ゴシップだらけの話は、なるべくならば遠慮願おうと、それらここに書いた事UPした事全てが、読者・視聴者ファーストになるんだと、私は切実に考えている。
 とにかく、動画の作成には、人一倍、気を付けねば、との思いを深くした、今年11月も中旬に成りつつある、今日この頃である。

 何なら、元の地点、場所へと戻り、最重要と自身が考えた場合の動画以外は、動画は余程の時の番外編として大事に取って置き、むしろ、文章主体の、私本来の在るべきブログに立ち還り戻ってゆく事も、考慮に入れている最中である事等を付記しておきたい。

以上。よしなに。wainai、長文長々と、失礼致しました。

ここまでやるか?即、通報。正義は勝つ(喝)!

2023年10月17日 19時59分31秒 | ブログ論。私の本音。一人語り。物故録。恋愛論。恋話。大いなる自分の好み、嗜み。
 私の家の庭を、午後三時まえ、二時半ころ、見てみたら、何と、卵の殻と、黄身白身みたいなものが散乱していた。
 ここまで、我が家を敵対視しているんだな、と思った。
 そこで、もう我慢がならず、まず、私の福祉相談員の方に電話した。すると、やはり、そこまでやられたならば、真っ先に、警察に訴えた方が良い、と言われ、私の腹は決まった。 
 そうして、警察官二人が来た。その前に、電話で大体の事情を話し、警察官からは、我々が行く前に、家の鍵を十分に掛けて置いて下さい、と言われた。
 それから、うちで改めて、そのいきさつ、経過を話し、私の身元調査を受けた。
 大体が、もう、警察に三度もお話して居り、その警察がうちに来たのは、これが初めてである。
 警察官は、私はいずれの時も、市内局番024で始まる、警察署の番号で電話を掛けていたが、今度からは、110番で結構ですから、と言われ、心強かった。
 とにかく、今日の事は、これまでの事も、文書化して、記録に残す、と言われた。
 しばらくしてから、その警察官二人は、辺りを見回って、帰って行った。
 それから、私は、ご飯を炊いていたので、小分けして、大部分を冷凍庫に入れ、その前に、仏壇の御本尊様へ、ご飯をお供えして、すぐに引き下げた。
 それから、もう、何か月ぶりであろうか。この期間、全くと言っていい程、声を出せずに、黙りこくるような夕べの勤行が、久方振りで、中音で、行なう事が出来た。これが最大の収穫である。
 私も、外に出て、庭のコンクリートに嫌がらせで、派手に打ち付けて散乱した、卵の殻や黄身白身を、これだ、とその場で言うと、警察官二人も納得していた。
 とにかく、正義は勝つと言う事だ。この世には、我々は法で、法によって守られている。悪は滅びるのだ。
 これからが、長い戦いとなるのか。これで収束するとは、私は思わないが。今日の出来事は、それなりに意味があったと思う。
 それらが正に、小人閑居して不善を為す、の謂い、であり、そのツケが、そいつら悪党に、今、重く罪障として自身らに刻まれていく。この一家の救いようのない、宗教など鼻からバカにした、その態度の因果応報、自業自得の全ての罪業が、還着於本人で、すべて自身へと還ってゆく。
 いずれにしても、救われない、悲しい話。

以上。よしなに。wainai

坂本龍一:ラストエンペラーをダウンロードする、ただ、合掌。御悼み申し上げます

2023年04月04日 03時52分58秒 | ブログ論。私の本音。一人語り。物故録。恋愛論。恋話。大いなる自分の好み、嗜み。
先日、ラジコのFM放送のNACK5の中の、「松山千春のOn The Radio」内に於いて、千春さんが、緊急速報として、坂本龍一さんが先月亡くなった事を報道した。
それに対して、今年初めの、髙橋幸宏さんに続いて、坂本龍一さんまで亡くなるんだというショック。
私は、この際、ラストエンペラーをダウンロードした。それに元から持っていたCM曲「ウラBTTB」の中の「エナジー・フロー」以外にも、YMOの作品、「シスターM」の親子共演の作品等々。この曲は渡部篤郎演ずるストーカーの役が話題になった問題作のテーマ曲。他にも、戦場のメリークリスマス等の楽曲が既にうちにはあった。PCにすでに保存済み。「ウラBTTB」は、クラシックのブラームスのピアノを思い出させるピアノ曲。
音楽で教授の果たした役割は極めて大きい。
日本に於いても世界でも、かなりの信奉者たちが立ち上がり、盛り立てていくであろう。
惜しい人を亡くした。日本も世界もやがて、その大損失に気付く時がやがて訪れるであろう。
彼ほど世界平和を願った人も皆無だ。
とにもかくにも、御霊が安かれと、後生安穏を祈らせて頂きます。
立派な方でありました。二度と、このようなお方は、不世出なのではないかと、私の様な凡下凡人にも、音楽の楽しさを味わわせてくれた、音楽界の巨人、坂本龍一氏の、御冥福をお祈り申し上げます。
合掌。南無妙法蓮華経。