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進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

総本山第六十五世 日淳上人猊下 御著述「聖訓講話」。ヤマハ製電子ピアノ練習

2024年06月29日 18時54分29秒 | 朗読版・折伏破権門理・邪教破折日蓮正宗御本読上げ・勉強趣味楽器演奏動画特集
総本山第六十五世 日淳上人猊下 御著述「聖訓講話」。ヤマハ製電子ピアノ練習 総本山第六十五世日淳上人猊下御著述「聖訓講話」をお読みしています。88鍵ヤマハ製電子ピアノP-225での、バーナム教則本で練習。以上。よしなに。wainai 
※編集後記
何度も述べておりますが、本日から明日の午前二時五十分出発の、日蓮正宗総本山富士大石寺行きの為、皆様の所行きへは辞させて頂いております。以上。よしなに。

夏の台所の部屋の配置替え。ピアノを再度、88鍵に戻した

2024年06月29日 12時47分37秒 | お天気系、天候、気候。四季折々の風景。季節の花など。

 夏の直前、それから、秋が来て冬が始まる前の一年に二回は必ず、コタツの布団、敷布団等を片付けたり、敷き直したりして、夏バージョン、冬バージョンへとチェンジするのが私のうちでの習いなのである。
 これは、冬の厳寒の東北地方ならではの風習として、コタツは必須の道具なのだ。
 けれども、これがいつまで出来得るものか。私には判らない。情けないが、体力が、若さ、年齢が続く限り。これだけ物を積んでいるうちは皆無であろう。
 私の母が我が家にいたころは、母にも同時に手伝ってもらっていた。そうすると、この、物をコタツに置くようになったのは、かなりの前からだと推察できる。
 私にはいつからこうなったのか記憶にはない。いつの間にかこうなってしまった。それに加えて、最近、今年初頭からの、電子ピアノのコタツ上の占拠、61鍵にしろ、88鍵にしろが重きをなす。
 今日、気分が代わって、より重たくなるが、ヤマハの88鍵、P-225の電子ピアノに又もや戻した。このピアノじゃなきゃ、自分のパフォーマンスが限られる、と判じた次第。不都合があれば、又、カシオの61鍵に戻したって一向に構わない。それ位の軽い気持ちである。
 とにかく、今年はもう、梅雨寒は無いのではないのか。これだけ暑い日々が打ち続いていて、去年もそんな風だったし。
 油断は禁物だが、もう、日本も世界も、地球温暖化がそれだけ進んだ、という事なのだ。今までの、四季がはっきりした日本ではなくなった。まるで冬と夏の、二季制の、二つの季節しかなくなった。春も秋も無いのである。こうだと考えて、これからの時代は、諦めて生きてゆくしかない。それが私共人類の生きてゆく、生き残る道だと考える次第。
 それに対して、以前の地球の世界の気候に戻す、対策を打ち出すのが政治家、役人の役目。それに国民としても、協力協調も必要だが、過敏に過激に、電力不足だからと、電気量が高いからと言って、電気を使わない。詰まりは、エアコン等の使用を控える、などは以ての外だ。そんな横暴は、政府政治家には、そんな命令をする権限など有り得ない。
 とにかく、我が家では、夏を迎える準備は出来た。もう、暦の上でも夏なんだろう。又この季節、行事が来たかと、一年がバカに早い気が最近とみに感じている。

※編集後記(私からの心からのお願い!!)
 本日から明日にかけて、特に明日、月末の、六月三十日(日)AM二時五十分までに郡山市の菩提寺のお寺、無量山寿海寺に集合して、日蓮正宗総本山富士大石寺の講習会へと、マイクロバスで行って参ります。移動距離も移動時間も非常に長く、バスの中で仮眠です。時間が非常になく、時間が限られていて忙しく、その関係で、皆様のブログページにも、読み逃げで、済ましてしまうやもしれません。その時は、誠に申し訳ありませんが、ごめん下さいませ。
 尚、これを今日の日を最終に、おそらく、ブログも、動画配信も、今日明日と留めて、全ての更新が滞り、不可能になるのではと睨んでいて、思っています。
 私も若くはないので、御登山の後遺症、疲労困憊するでしょうし。
 その時は、私の心を心として、察して下さり、思いやりとして、御思い下さいませ。

以上。よしなに。wainai

外国人参政権賛成!私の考え方、こういう考え方もあったという事~「さくらもちさん」のブログ記事から考えてみた事共

2024年06月28日 19時16分26秒 | 政治政党・左右政党・国際情勢・時代論・護憲憲法論・日蓮正宗から見た政治論
以下は、「さくらもち」さんというお方の、ブログ記事からの一部引用である。とっても示唆に富む内容であったので、コメント欄もなく、連絡は取れないので、無断だが、引用をさせて頂く。引用後、私の愚考というか、改まった考え自身の清新溌溂たる意見の一端をも披露披瀝したい。(以下、引用はじまり)。

  • Happy Birthday / 傘コレクション
#ペットの肖像画

#検証新型コロナ
日記
2024-06-28 11:50:02


外国人参政権について
外国人参政権には反対の人が多いと思う。保守的な人達ばかりではなく、コロナのカラクリやワクチンの危険性を訴えている人達でも反対の人が多いようだ。私は賛成である。
なぜか?いやそれよりも反対する理由は何なのだろう?外国人に有利になるような法案が増えるからだろうか?外国人に占領されてしまうのを恐れているのだろうか?
しかし考えてもみよ。何もしなくても自公政権は外国人に手厚く、日本国民には厳しいではないか。今のままでももう相当な土地が外国人に買われているし、いろいろな分野でどんどん外国に市場開放されている。
第一、日本国民は選挙に行かないではないか。ということは何も変わらず、どんどん外国寄りになって行くだけだ。それなら何も外国人の参政に反対する理由などない。

脱税する人達にこんなこと言う資格があるのだろうか(笑)。
外国人と一口にいっても様々だが、特にヨーロッパ人は政治に興味を持ち、日本国内に住んでいる人達の中には日本人より遥かに日本の政治に詳しい人もいる。こういう人の方が何も知らずに自公に一票を投じる愚かな日本の高齢者などより、余程まともな投票をするのではないだろうか?彼らの方が自公の腐敗ぶりに詳しかったりするのである。
日本人は政治に無関心で、政治に興味を持つこと自体良くないことのように思われている。おかしくはないだろうか?政治は国民のためのものであるはずなのに、興味を持ってはいけないとはどういうことなのだろう?そこへ行くと、フランスはじめヨーロッパの人達は政治に詳しく、各議員の政策や人柄にまで通じている。議員は国民を代表するのだから、政策や人柄を知るのは当たり前ではないだろうか?

角栄や中曽根の時代が懐かしい。
更に申せば、外国人の方が日本の伝統文化に理解があるように思える。日本の祭りなどは今や外国人なしには神輿も担げないところまで来ている。日本人はどうかと言えば、その地域に密着した人々はともかく、大都市で活動している人達の伝統文化に対する関心が薄いように思える。自公政権などは伝統を破壊しようとさえしているではないか。外国の人の方が日本の伝統芸能の保存に積極的だったりするのである。日本の自民や公明では日本の文化伝統を守っていけないことを誰しも承知のはずである。
こういった観点から私は外国人参政権には賛成であり、一日も早く実現してもらいたいと思っている。           
 (引用ここまで。)

 祭り、御輿までは、私は言及は避ける。これは、私共の、宗教の日蓮正宗では神社神道は御法度なので、この説は私は取らない。致し方ない。
 ただ、外国人の方が、日本の伝統文化に深い関心、造詣が深いのは、これは認めたい。この一点に、私も私の思想信条を懸けてみたい!

 しかし、これも時代なのか。今振り返り、思えば、私共、家族の母子、親子は、外国勢力、ここでは、中国、朝鮮(韓国・北ふくむ)、台湾、ロシア、フィリピン、ベトナム、他、etc…。沢山のこれら他国の、特に石原都知事などが警戒して差別発言をした「三国人」などを、差別する意図は無かったものの、かなり、石原氏ではないが、警戒して、親子では外国勢力に対して、危機意識を持っていたものだ。
 うちの既に亡くなった父も、朝鮮人・韓国人が大嫌いであった。生前に、何かその人種と、揉め事があったのやも知れぬ。
 とにかく、2009年の、民主党政権樹立の時には、与党の民主党・社民党等はおろか、野党の日本共産党までもが、「外国人参政権」に賛成に回ったり、法案を明日にも提出するのではないのかと、気が気でなく、非常に母子で気を揉んでいて、その危機感から出来上がったブログがこのブログの前身の、「日々雑感、わたしが思う、あの事この事」という、私が既に退会、止めてしまったブログ、同じくgooブログが、今言った、2009年の民主党大勝選挙前に産声を上げたのだった。
 詰まりは、全てが、その当時、私が文章を紡いだブログの中身とは、私の趣味や当時信じていた宗教、今の日蓮正宗とは百八十度違う、「創価学会」の事を応援して書いたり、(しかし、当時から、決して創価の支持する「公明党」には一票も入れずに、自民に親子して頑なに入れ続けた。何故なら、「公明」も「外国人参政権」には賛成していたからだった)、とにかく、民主党政権が憎くて憎くて、自民党の応援団を買って出ていた。その時の自民党の総裁は、今では記憶にないが、谷垣だったか、安倍に代わった時期だったのか。そのいずれかだった。
 そこで健在だった母との、民主党批判をこのgooブログで繰り広げて展開して、面白いように、読者数も増えて行った。
 決まって、民主党の政治姿勢、手法を叩く、その批判に興ずる、というのが、私と母の基本スタンスだった。
 それもこれも、全ては「外国人参政権」を法案として通らせないために、母と私の親子同盟みたいなものだった。母からは文章の指導、指南も受けていた。
 しかし、時が過ぎてみれば、やがて、安倍首相は狙撃されていなくなる。その時には既に、私の心は、与党自民からは、その時、一時的にせよ、関心は全く薄れて、立憲民主党と日本共産党に心が応援に傾いた。それは私の三年とも四年ともつかぬ数年間はそうだった。確実に今と同じ、完全に野党支持に回っていた。
 その後、一か月の入院。その時に安倍首相の国葬等があり、段々と、自民党応援支持回帰へと自身が向かい、完全なる、右翼、保守派系となる。
 その頃の自身のブログを読むと、恥ずかしい位の、自民擁護、与党保守右翼賛美へと、自身の思想信条が変遷している。
 誰だって、浮動票が国民の大半を占める位の世の中だから、政党支持なんかは、自分としても、どうだって良い、と言えばどうでも良く、自由だとは思う。自分は現在は確信のある浮動票だ、それも人物本位、人柄で選ぶという感覚だ。
 しかし、あの頃の自分は、悪乗りをしていたと、実感としては大きくある。
 その頃の世相と言えば、むしろ、自民には追い風どころか向かい風、逆風であり、特に、「元統一教会問題」が尾を引いていて、誰も自民なんかには目も向けなくなる時期に、私と来たら、時代遅れの様な、自民支持。
 それでも自民党が勝つのが不思議だった。安倍首相死去で、多少の同情票がもらえたとしても、何か不正の臭いもした。
 それにしても、邪教創価学会が支持する邪政治団体の公明党が、下駄の雪よろしく自民党に付いて行っている最悪の自公政権下で、国民皆が苦しんでいる最中の私の所業は一体何だったのだろうか?
 その後、私は、今の自民はヤバい、自浄能力が全くないんじゃないか、と薄々感じ始めて、お寺の親身にしている人も支持していた、「参政党」の一時的な無料サポーターとなる。
 この政党は、小さいが、保守系であり、宗教色も一切ないのが売りだったので、信用して入った。
 しかし、金には汚く、えげつない程であった。それを、そのお寺の信徒の人は「自民党は大政党だからお金が潤沢にある。この政党は小さく、政治には金が非常に掛かるから」の一言で裁決しようとした。
 私はちょっと待って。皆が、クリーンで、清潔で、お金が出来るだけ掛からない政治をやろうと腐心して、野党を始め、政党達が立ち上がりつつあるのに、その言葉はまやかしに聞こえた。正に、自民党を始めとする「保守」「右翼」が信じられなくなった瞬間だった。
 それに、その政党、「参政党」の準党首の、神谷宗幣氏が、異性関係問題を影で起こして、愛人二人を、会議で自分と一緒に同席させた。その話は、私はユーチューブ動画で、元同党応援団だった、中部大学教授の武田邦彦氏の暴露の決定的な動画を見てから、疑念が確信に変わった。私の考えは間違ってはいなかったと。道理で、金にも汚ったねえ小政党、政治屋だったと。信じた私がバカだった。
 それから、話しは自民に戻り、その時以来、私は今まで自民党及びその取り巻きが、昭和時代から、平成令和と、説き続けた全てに疑問符を投げ掛けるようになった。勿論、軍事予算の増額にしろ、日本の核武装論にしろ、その他の、自民党が言い続けて来た「日本国憲法の改憲論議」にしろ、だ。
 とにかく、自民の全てを疑り出した。そこへ、去年から今年にかけての自民党の出て来るわ出て来るわの「裏金献金問題、疑惑」。疑惑なんてもんじゃない。実際に、大っぴらに、派手にやってくれたもんだなあ、と、一国民としても、以前の自民党支持者としても、これには大いに不満、反感、疑問、不審感をいだいた。道理で、今となっては、一番我が身大切、であり、自公は、一芝居、身動きすら取れずに、選挙すら出来ない訳だ。
 それに、自民党が、いまだに党を始め、党首もがこれだけ問題を起こしているのに、いまだに岸田文雄が依然とした党首であり、この、一切のデリカシーのなさ、自浄能力のなさ、もう、政党としての役目、役割、消費期限は、この自民党という政党は「終わった」とはっきりと私自身が自覚をした瞬間だった。
 後は、瞬間湯沸かし器の如くに、毎日聞かされるテレビラジオ等々での、品のない、えげつない、偉ぶった議員さん共の、聴きたくもない政治ニュースを聞くたびに、その都度、こちらも怒りに一人、否、日本国民で、これらの政治家という人種たち、特に自民・公明、最近では維新の会に、怒りに燃え、表さない一般大衆など、いないのではないのか。それ程までに気が狂った政治を、今般の国会、彼らの政治行動で見せつけられたのが、いまだに一日本国民としての私にとってトラウマになった。正に今の政治に幻滅した。
 
 ここで、そうした個人的な経験論体験論一般論ではなく、最初の核心の議論に戻りたいが、そのアンチ・反「外国人参政権」とは、与党、特に保守系、右翼系と称する、自民党にとり、最大限の国民への「撒き餌(まきえ)」に他ならない。
 実際には、自民党自身が段々と、圧力団体の「経団連」等々に言い寄られて、「移民政策」に踏み切る姿勢も見せて来た。
 大体が彼の著書、本で読んだが、元自民党環境庁の長官だか何だかで、元東京都知事も務めた、故石原慎太郎氏が、太鼓判を押して、移民政策に賛成した文章を読んで、私など、裏切られたと心底思ったものだ。何が「NOと言えるニッポン」だと。嘘八百、ウソばかり並べた人種であり、石原の軽薄さ、日本への裏切りともこちらは取った。保守ってそんなに軽薄だったのかと。昭和平成の社会党系政党が言うんなら納得はしたんだが。
 しかし、頭を話を、百八十度変えてみて、故石原さえ夢見た、移民にしろ、外国人参政権にしろ、実際の所はどうなんだ、という話。それによる、メリットは全くないのか。メリットはあり過ぎる程、あるのではないのか。
 第一、日本国民の、大半、特に若者たちが、政治には関心が無さ過ぎる。これを代える方法として、先ほど上記で、さくらもちさんのブログ記事の一部をコピペ、コピーアンドペーストして、転載を願ったものであるが、そこでも述べられた通り、非常に、外国人の方が、選挙行動に於いては、非常に現在の日本人、日本国民よりも、大変にスマートで、政治に御詳しい方々もおられるのは事実である。
 これを利用しない手はない。若者がいわゆる「バカ」過ぎて、自分の遊ぶ事しか考えない「エゴイスト」なんだから、それを叱咤激励して、改めさせて、外国人の方が今では非常に賢い、勉強家が多いのならば、その影響下に触れさせて、彼らに爪の垢を煎じて飲ませて、見習わせるしかないではないか。
 元はと言えば、そんな日本の若者たちを生んで育てたのは、他ならぬ、日本の同胞の親たちや、その祖父母にまで、その責任の一端が繋がっていて、あるのだ。
 それのみならず、そんな教育しか出来なかった、戦後体制がいまだに続く、自民党政治の中の、文部科学省の、教育方針にも、私としては疑問符を投げ掛けざるを得ない。
 それに今まで、選挙に行かなかった人たちに対して、何らのペナルティーも課して与えて来なかった現政府自民党公明党政権は、一刻も早く、選挙へ行かなかったら、罰金刑、選挙棄権税を取る、くらいの矜持を持たないでどうするのか。
 税を取られたくない人は、どうしても一票を入れたい人が見当たらなければ、強制じゃないから、「白票」として、自由に無記名で投ずる制度でいい。それも民主主義の一つの形態、在り様だ。
 何よりも、自分の「意志」を示すことが、何よりもここは重要なのだ。だから、選挙の大事さも目立って来る。そこに外国の方が関われば、政治が大きく変わる可能性は、ゼロじゃない。
 集団で、束になられて、現与党政権の壁となり、逆風が吹くのを非常に怖れて、「ネット投票」の解禁にも踏み切れない現自公政権。チキンで、弱虫な、実は国民に反旗を翻され、国民の「真の声」に一番に耳を傾けたくはない、都合のいい、場当たり的な、耳心地のよい言葉しか聴こうとはしない、現政権与党、自公の、岸田一派たち。
 今、幾ら評判が悪いと言って、いざとなれば選挙時に岸田の自民という低俗雑誌の表紙替えをしたからって、国民を騙せない。我々は絶対に騙されないからな。覚えて置け、自民党公明党政権、及び、金魚の糞の裏切り者の維新の会よ!!
 選挙権の棄権へのペナルティー、ネット投票、それが出来ないのは、それら腐った政党共が、悪の権化の小選挙区制のカラクリで、自党に有利な実際は小規模なせこい組織票にこだわる余り、大多数の国民が本気を出して、国民皆に選挙に一斉に行かれたら、大反発、大反乱を受けて、自分らの体制が一気呵成に一日であっけなく崩れ壊されて、自分の首を締めて、困るからだろう。
 その働きを外国人の方々に担って頂けるならば、今の日本においては、実に情けないが、これはウェルカム、大歓迎ではないのか。今のバカ者共の日本の選挙に行かない若者たち。遊びにばかり興ずる、公共心の全くない、本当の「バカ」な人種共などに、選挙権が果たして必要なのか、とのこれは逆の見方もでき得る。逆にいえば、全く、選挙に行く気が無いのならば、永久に選挙権を剥奪したっていいんじゃないのか。全く、義務を行使せずに、権利を今度は主張する気でいるのか、本気かよ、おい。
 日本に新鮮な、清新な風、空気を入れ替える。この国を根底から、底の底から代える。良い機会に、「外国人参政権」が果たせる可能性というものに、私は今日からは、これらブログ記事に触発されて、次第に固かった頭の中身が、穏やかに柔らかく変わってゆくのを、この梅雨空の雨の最中に、一人考え、ぽつねんと、想いに想いを重ねている。それに懸けてみても良いと、思い始めた、自分がいる。
 それは、「売国」「売国奴」「非国民」「人非人」などの、否定的な、ネガティブで侮蔑的で、差別的な言葉で私を評しようとしてもムダだ。私の「信念」はもう出来上がっていて、中々に代えられない。私の「心の中」までは、代えようがない。それ程に、今日仕上がった、私の考え、意志は固い。

 そういって、私をそれらの言葉で批判する者こそが、逆のブーメランで、さらし者となり、「差別主義者」のレッテルを貼られる日もそう遠くないだろう。

 それこそが、正に、仏法で説く所の、「還著於本人(げんじゃくおほんにん)」であり、全ては言い出した、その張本人に還ってゆくものなのだ。これが仏法の定理だ。

 大体、今までの日本の在り様が、外国人に対して、何様だという位、頭が高くて、差別体質であったのだ。それも全然是正、改善が為されずに、そのまま放置されて来た。
 意外と日本ほど、外国、外国人を恨み差別し、憎む国も、フレンドリーではなくて、自国民ですぐに固まる国民性。排外性。
 だから、明治が来る以前の江戸幕末には排外運動としての「尊王攘夷」運動がまかり通り、この国の侍、浪人、士農工商の国民の間で巻き起こっていたのだ。その事実が全てを物語るではないか。その弊害たるや、如何ばかりかと。

 それこそ、その希望の政策こそが実行実現されれば、我が日蓮正宗、宗祖日蓮大聖人様が御説き遊ばされた、我々が最も願う至上、史上、最高崇高な、一般民衆の平和楽土、「仏国土」「衆生所有楽」の現世の在り様が、映し出されて、この世に現出する日もそう、遠くないのではないのか。

 その日こそが来るのが、待ち遠しい私にとって、いとおしくも、待ち望んでいる日々こそが正に今日という新しい旅立ちの日なのである。そしてそれを今か今かと希望の光を見据えて待ち続けている私である。

 合掌。南無妙法蓮華経。

以上。よしなに。wainai、長文につき、失礼。

顕正会の教祖、浅井昭衛の信仰、を読了。複音ハーモニカC調で「昴」

2024年06月28日 13時09分13秒 | 朗読版・折伏破権門理・邪教破折日蓮正宗御本読上げ・勉強趣味楽器演奏動画特集
顕正会の教祖、浅井昭衛の信仰、を読了。複音ハーモニカC調で「昴」 顕正会の教祖「浅井昭衛の信仰、なぜ異流義へと逸脱したか!?」を読了、読み終わりました。最後の日蓮正宗各信徒方の感想も、非常に為になるお話ばかりであり、本書の内容共々、今後の顕正会の折伏に使わせて頂きたいと思いました。 複音ハーモニカC調で谷村新司の「昴」を演奏しました。仏道修行、音楽道は楽しい、を実感する毎日です。以上。よしなに。wainai 

※編集後記
動画中、日顕上人に破門された、とありますが、第六十六世日達上人猊下様の誤りでした。訂正いたします。以上。よしなに。

中大法卒の弁護士だった祖父にしてみれば東大生は使い物にならないなあとの感想を母の思い出の言葉から取り上げた!幸せのさなかの日蓮正宗の御事!

2024年06月27日 14時23分38秒 | 日蓮正宗総本山富士大石寺・御宗門・その御教え・教学・信行学
 私の祖父は、私立の中央大学法学部を卒業後、国家資格の司法試験に受かり弁護士で警察官僚まで勤めた。昔は中央大学法学部の方が、今の東大京大早大慶大等々よりも、断トツで司法試験の合格者数ではそれらをはるかに上回っていたのだ。法学の中央、と。

 そして、私は祖父には、祖父は私が生まれる前には亡くなっていたので、私にはその祖父の様子、行状は知り得ないが、母から聞いていた事が幾つかあった。

 それは、こうだ。

 祖父一家、詰まりは、母の父親は、貸家住まいであった事は先のなおともさんから頂いた転載の私のコメント記事からも書いてあったが、母によると、その部屋数は多かったようだ。

 何といっても、女中さんが何人もいた位だから。その貸家は、東京新宿早稲田にあった。当時祖父や母の一家の住まいは、早稲田大学安部球場の裏手にあった。

 女中さん達は、一応その頃は、料理を作ってくれて、子供時代の母の遊び相手、面倒を見てくれた。母と同じ女性同士でもあり、年齢も、十代後半から二十代位で、中には福島県の矢吹町だか、鏡石町からも来ていた女中さんもいたと母からは聞いている。

 そして、弁護士見習いや、弁護士を目指した、書生さんまで家にはいた。その中で、東京大学、東大生の書生もいたのである。

 しかし、祖父に言わせると、母から聞いたのだが、どうしても、頭が良すぎるせいなのか、何なのか、当たり前の事、誰が考えても分かる事が全く出来ない、というのだ。

 全く使い物にならない、と祖父が匙を投げる場面もあったとか。それでいて鈍感な感じで、プライドばかりは異常に非常に高過ぎる。頭が高すぎる。これでは使いづらくて、使い物にもならないのも、何とはなしにうなずける気がする。まるで鈍牛みたいだったと。

 母も言っていたのは、現在はどうか知らないが、東大生の、二人に一人は受験ノイローゼの後遺症で、大学生活で、悩みの最中に居る人も多いという事だ。今、幸せそうな身分に見えていても、そこには他人がうかがい知れない、世界観があるのかも知れない。

 とにかく、東大生は、中大法卒の、祖父にしてみれば、使いづらい学生達、書生であった。これが事実である。今はどうかは知らない。しかし、そんなにどんなに時代が変わっても、それぞれの大学、学校の学風が変わらないように、大して変わりはないのではないのか。

 頭が良すぎる、というのも善し悪しである。最高に学問が出来る、という事は、その他の別の面では、人よりもどうしても劣っている面、能力、特性がある、という事だ。万能な人などいない。皆、欠点を抱えた人間なのだから。

 成績ばかりが異様にトップクラスだった人でも、人の中でも性格が大変偏り、性格が悪くて、意地悪だったり、ずっと人生独りぼっち、誰も友達、友人がいなかった、と言った東大生など、ザラだろう。そんな人など、別に珍しくもない。

 しかし、人を押しのけて、人よりももっともっとと、欲深く、貪欲過ぎて、要領ばかりを考えたり、自分が自分が、であって、決して他人に慈愛の手など差し伸べない人間、人種などには、幾ら東大であっても、私はなりたくはない。

 そんな詰まらぬ東京大学四年間を過ごすならば、仮にたとえ三流大学であっても、心が優しい自分であったならば、人にその優しさで尽くせる自分であったならば、それだけで私は十分満足するであろう。東大ブランドなど、私には不要無用、要らないのだ。

 いや、別に、今の自分は、高校卒で充分満足しているが、現在の大学中退であっても、否、たとえとして仮定して、あの時、中学しか出ていなかったとしても、それなりの人生を自分は歩める自信がある。それは、大卒者には敵わない、と言わしめるだけの可能性を秘めたものとも言える。

 しかしその可能性は、その時期その時期で、多様性を持っているとさえ言える。

 私にしか歩めない、私しか出来得ない、人様が真似できないユニークな芸当と言うものが、私には確実にある。これは「秘すれば花」であるので、ここでは言わない事にする。一切、秘密だ。

 果たして「秘する」程の芸当が自分にはあるのか、本当に…。何か自信がなくなって来た。

 だから、私は「秘するもの」が「有る事」にしたい。嘘のまことで、あれば、あると思えば、きっとあるんだ、必ずに。絶対に。

 これから、事を作ってゆくのだ。私はいまだ、「発展途上人」なのである。

 実際、世の中はそんな風に、優しい人の下には、人々の関心を集めて、沢山の人達が多く集まって来る。世の中はそういう風に出来上がっている。

 「自分が自分がー」という、エゴイスト、ナルシシストには、友がいない。永遠に、エゴイズム、ナルシシズムを自分で気づいて改めない限り、心の許せる友人など、絶対に未来永劫、出来やしない。そこに気付くべき。

 私は、幸い、今の福島県郡山市土瓜での、日蓮正宗無量山寿海寺においては、年齢、男女の差を超えて、交友関係には恵まれており、皆さんには大変に大事に可愛がられていて、親しい尊敬する信徒の方々が数多く存している。これは実に嬉しく幸福な事だ。この大海の中に居て、私は幸せ感、満足感を覚える。

 非常にお寺にも日蓮正宗という宗団にも、お寺の御住職様、奥様、講頭さんはじめ幹部の皆様、老若男女、善男善女の、講中の皆様には、感謝をし尽くしても、し過ぎるという事など決してない。

 だから、折伏をこの地域でも必ずにして、この幸福感を、私の信ずる日蓮正宗に今はいない、多くの創価、顕正会、キリスト教、新興宗教、伝統宗教にしても、邪宗邪教の方々にも、その幸せの一端を深く味わって欲しいと心から念願して思い願っているのだ。

 であるからして、我々、日蓮正宗法華講員は、身軽法重、不自惜身命を心から追及してゆくのであり、日夜、折伏行の為の勉強にも実践にも励んでいるのである。これは、実に尊い最高度のエラい仏道修行の方法、方途なのである。

 これで話は完全に脱線してしまった。要するに私が一番に言いたかった事は、優等生の、頭でっかちでは、全く使い物にならず、ダメである、ということ。

 多少の人生の荒波を経験しないといけない事。順風満帆ばかりが人生ではない。不撓不屈の精神をもって困難や人生に立ち向かう事。

 その唯一の解決法が大日本国東海地方の静岡県富士宮市にある、日蓮正宗多宝富士大日蓮華山総本山富士大石寺にある法本尊の大御本尊様。人本尊の御本仏宗祖日蓮大聖人様の一仏乗の大切な御教え。この両者が相まって、人法一箇となる。

 大仏教仏法哲学・高等宗教・極度に極まり切った御教えこそが唯一つ、日蓮正宗のみである事。それが私の一番に言いたい事の全てである。

以上。よしなに。wainai、長文失礼。

日蓮大聖人御金言義類別入文集。法華経の項、続き。ピアノ練習。信仰の自由を侵害して脅迫恐喝威嚇強要するバカな近所の男性について

2024年06月27日 12時43分23秒 | 朗読版・折伏破権門理・邪教破折日蓮正宗御本読上げ・勉強趣味楽器演奏動画特集
日蓮大聖人御金言義類別入文集。法華経の項、続き。ピアノ練習。信仰の自由を侵害して脅迫恐喝威嚇強要するバカな近所の男性について
日蓮大聖人御金言義類別入文集をお読みしました。
大事な事を言い忘れた。
今日の朝十時頃の私の勤行中、お経を唱えた。ただそれだけで、「うるせい」と怒鳴る男性の声がここまで聞こえた。私が「なんだ、このバカ、出てこい!」と答えても、行方をくらました。
私はその事を今日来た福祉の方にも警察にも通報・相談した。私は猊下様の言う通り、中音で唱えていた。信仰の自由を侵害する行為。その中には私の宗派と敵対する人間が必ずいるとこれは確信。最近我が家の近所はきな臭い。うちには敵が多過ぎる。私は小声、中音で唱えているので私に非は無い。
犯人は単に騒音嫌いではなく敵対した邪宗邪教関係者だと私は睨んでいる。そして智慧が足りない人間、人種。
創価学会信者時代にはこんな嫌がらせ、経験は少なくとも皆無であったのだし。創価は良くて日蓮正宗はダメな訳?!それって差別じゃない!!
用心は必要だが、私にとり、こんな手合いは、幼稚な者との戯れに等しい。同じ土俵で争うのは愚かな所業だ。かなり悪どい。
おい、犯人!段々とお前の姿が追い詰められて、お前が動けば動く程、 証拠が挙がって来てるぞ。今日はその声まで聞こえたのだからな。正義は必ず勝つんだからな!覚えて置け、このタコが。 いいか、覚悟して置けよ!  
以上。よしなに。wainai 

「優しい日々」なおともさんのブログのコメント欄から。母の生い立ち生き様。祖父祖母達、憎っくき継母との関係性。私達の一家の物語

2024年06月26日 22時15分14秒 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
syousyu-wainai123753
1分前
私の母方の祖父は、鹿児島県奄美大島出身で、郷土の名士、あの、西郷隆盛を尊崇していたので、「子孫に美田は残さず」という遺訓を頑なに守り、一切、子どもたちには財産は遺しませんでした。
祖父は、中央大学法学部を優秀な成績で卒業し、国家資格の司法試験にも合格し、弁護士資格と、警察官僚として、明治から大正昭和と駆け巡りました。
祖父の経済力からすれば、そのころの東京の土地と家くらい楽々買えたはずでしたが、生涯、貸家住まい。慎ましく、暮らしました。
しかし、私の母は三女ですが、その母、私の祖母とは仲違いして、後妻を迎えます。母にとり、地獄の日々が始まりました。継子イジメです。
継母は、自分の産んだ子には、目に入れても痛くない程溺愛する。母には無視。母は東京都立戸山高校に通うも昼ご飯も出ない。教科書代も足りない程、お小遣いを渡さない。しかし、その時でも母の成績はトップクラス。元々戸山は、東京では当時から、日比谷、西と並び称される程の、ハイクラスの進学校。全国から越境入学するために倍率も高かった。
母の話に戻すと、母は御茶ノ水女子大を目指していたし、実際、短距離で行ける立場だった。級友からは、御茶ノ水ならぬ、「お湯の水」と敬い称された。
実際には、母は、戸山高校を卒業するが、父親、詰まり私の祖父と継母との息詰まる生活に限界を感じて、当時、看護婦事務所を経営していた母の母、詰まり私の祖母、弁護士と官僚の祖父の元妻だったおばあちゃんの家に、「そろばんと実家の印鑑」を持って一目散に逃げ出した。おばあちゃんも今にして思えば、女だてらにやり手だった。離婚されても、ただじゃあ起きない。女としての生きる道、術は持っていた。
そうして、母と祖母との、二人三脚の、母子による共同生活が始まる。祖母の事務所は東京の江古田にあった。今でもあるのか、当時は日芸、日大芸術学部などもある土地であった。そこで母は誰よりも事務所で最初に起きて、木製の看護婦事務所の看板をまずは出す。それから看護婦さんたちへの食事券の切符を切ったり、事務仕事。訪問看護で、病院で付きっきりで看護婦が看護した利用料の回収に各大病院、逓信病院やら女子医大病院、慶応病院、鉄道病院、どこへでも行った。
おばあちゃんも、最後は事務所を引退して、母は事務職その他、女手一つで稼ぎ、町田に家を買う。おばあちゃん、詰まりは母の母と親孝行で一緒に暮らす為だった。
そこで福島から出稼ぎで来ていた父に見初められて、実はおばあちゃんが父に母の写真を託して、キューピッド役を演じたのだが。そこでうちの父母は結婚した。その後、私が生まれた。
結局、結論として、我が家は、祖父も祖母も、自立して当時から立派に生きて来たが、今思えば、財産らしい財産など、微塵も残さなかった。祖父は鹿児島の西郷の影響下、祖母は江戸っ子の、宵越しの金は持たない?果たして、祖母は決して贅沢などはする人でも全くなかったが、結果としても、誰に迷惑も掛けずに、消え去るように安祥としてこの世を去った。
面白いのは、この内、母と祖母とは、当時から、二代続けて日蓮正宗だった事である。これが実に母子としては傑作だ!
以上。よしなに。wainai

※編集後記
なおとも様、この長文の文章、私が大変に気に入りましたので、最近ネタ切れ気味の私のブログにも転載させて下さい。お願い致します。よしなに。

なおともさんのブログ記事URL。gooブログ。



なおともさんの返信コメントから。
コメント一覧


なおとも
30分前
@syousyu-wainai123753 様
とても読み応えのあるコメントを頂き、本当に有り難うございました。文章の内容の一部はブログや私に頂いたコメントで存じ上げておりましたが、もっと深い物語があったのですね。土地勘があり戸山高校はよく知っていますし、前を通った事も何度もありますよ。お母様が戸山高校にお通いだったのは存じ上げていましたが、そんなドラマがあった事に驚きました。人に歴史ありですね。素晴らしいお話だと読みいりました。ご苦労も沢山されたのですね。考えられません。よく頑張られたと思い感心しました。

「子孫に美田は残さず」は本当に正解だと思いながら、揺れ動く駄目な私です。でも、本当に考えるきっかけになりました!

どうぞ、ブログにお使い下さいませ。こんなにきちんとした文章をコメントだけでは勿体ないです。お心の籠ったコメント本当に有り難うございました!
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或る若年ブログ・ブロガーからのフォロアーを、辞めた。私のブログ論へとなだれ込んでゆく!

2024年06月26日 16時56分28秒 | ブログ論。私の本音。一人語り。物故録。恋愛論。恋話。大いなる自分の好み、嗜み。
 或るブログのフォロアーだったのだが、私は今日を限りに、潔く辞めにした。
 今では、惜しくも何ともない。むしろ、清々とした。
 こちらも、その人は、若い人で、まだ三十代くらいだろうが、余りに、書いている内容が、世渡りの上手さを考え抜いていて、要領の良さにばかりこだわり、それらの総合性が大切なんだと言わんばかりの話のオンパレード。
 女の子と遊んだのが楽しかった、だの、今日行ったラーメン屋はおいしかった、サウナが最高、資格、投資にはどうの、あと何十年で定年だ、それまでにどうたらこうたら、とこうだ。自分の貪り、欲望の話ばっかりだ。
 まだ青さが抜けていない、青年然とした、年に似合わぬ幼さの残ったその「青年君」には、私はこれは付いてはいけないと、判断を下した次第。
 その青年君も、同じく心の病らしいが、私には付いてはいけない。そう私は断じた。
 その、数年間、去年からか、ずっと最初から、「いいね」等々を私は押下していたが、これも撤回、こちらから皆、取り下げた。それ程に醜悪な感じのするブログ、ブロガーであった。
 それに、いつも私の片想い、私からの一方的な、「いいね」や、コメントばかりであり、その返礼返答がないのも不信感を懐く原因、端緒とはなった。
 誰だって、「片想い」はないでしょう…。多少の、いいねを押したら、いいねで返す。これ位の礼儀はあって然るべきでは。それは私が厳しすぎるとは、ちっとも思いませんがね。ええ。
 とにかく、私は、片想いはイヤです。片想いをする位ならば、少しフォロワーが減っても、こちらから願いを下げて、解除、するしかないのでは。
 あれだけ頑固な人、若者も初めて見た。道理で、そのブログ記事のページが、いつも、毎度、閑古鳥が鳴いていた訳だ。
 私も他山の石として、気を付けたい。自分も、他人様のページに寄る時は、そこへお邪魔させて頂く際は、よーく吟味して、よーく文章、画像、動画等に注意着目して熟読愛読させて頂いて、そして、いいねを惜しみもなく押下する。気に入った記事には、必ず四つ、という風に。忙しい時以外は出来るだけ。
 私の最大一に考える日蓮正宗のお寺に関する朝夕土日含む一般関連行事、私の自宅での自行化他にわたる勤行唱題行。後は私自身の生活、最初の第一義の福祉の関係やら趣味やらこのブログの執筆、撮影等々に抵触しない範囲内に於いては最大限のサービスを私から見舞い、皆様へと心から平伏しつつ低頭平身していいねを押下し続け試みる事を精励したい。最低でも日に一度は。お寺ファーストではあるが。
 これです。この心意気なのです。私の「ブログ道」、「SNS道」というのが、この言葉自体が、あるのか無いのかは、分からず、私の勝手な造語かも知れないが、とにかく、私なりのこれは今日の結論なのであります。

※編集後記
今日もこれから、お寺の夕べの勤行に行って参ります。皆様のブログ記事へ辿り着き、見て「いいね」等々押下するのは、夜半に至る事が予想されます故、何卒お見知り置きを。

以上。よしなに。wainai

「青春をどう生きるか」(完)要領など要らない。冒頭、私のラジオ投稿メール採用の報せ!ハモニカ

2024年06月26日 15時06分54秒 | 朗読版・読み上げ一般書籍読書社会情勢・勉強趣味楽器演奏動画特集
「青春をどう生きるか」(完)要領など要らない。冒頭、私のラジオ投稿メール採用の報せ!ハモニカ。 冒頭で、私のラジオ福島への投稿、「座右の銘」についての採用された話。今日は「青春をどう生きるか」第8章ためらわずにやり直そう。この本の巻末の書き込みには、一九八九年平成元年秋、購読。東北書店にて。とあった。以上。よしなに。wainai

今日は正直、疲れました!一応、今日の出来事を文章化致しました!

2024年06月25日 21時51分05秒 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
 今日は朝早く起き、勤行唱題。これは全然疲れません!むしろエネルギーの源泉です。
 その後、朝食後、自転車で桑野ベニマルヘ。少し早く着きすぎる。暫し待ち、今度はシャトルバスで星総合病院発、星ヶ丘行きに乗る。
 そして、診察。今年からバスのダイヤが代わり、午後一時だいぶ過ぎ出発。その後、市役所で三時半まで待ち、そこで弁護士相談を受ける。
 余り芳しくない返答に、隣の社協、その後、進路を西に進み、一路、福祉相談室へ。女性室長に挨拶かたがた、作戦を練る。というより、皆一様に、私の一人相撲。皆忘れた事。今は争わずにとの御意見で一致を見て今日は一件落着。私も矛を納めよう。否、今暫く、ほって置いて忘れよう、の心境、結論に至る。
 その相談室での私の相談中にも、室長所長には電話がひっきりなしにかかる。私は、受話器から漏れる声が女性だと気が付く。何とも流暢で自由闊達で楽しそうだ!
 私は電話が終わった室長に、こう語り掛けた。今の女性同士の会話は、相互に双方向であり、見事な言葉のキャッチボールが成立していた。
 私は男だから、あーは、ゆかない。数多くの主に政治家を生んだ早稲田大学の雄弁部を見れば判るが、あれは、皆が皆、男だけの世界だ。雄弁とは男特有の感情と言うのか世界で、女性は余り見当たらない。ナチスドイツのヒトラーも雄弁家だった。
 何で男性はあーも凝り固まり、まー、一種の「バカ」なんだろう。これは男性の私が言うのだから本当で折り込み済みだ。と私は語った。
 それに対して、女性室長は、まあね、と言ったが、否定も肯定もせず、確かに男性にはそういう所がある。wainai(私)さんもだね。と言われたのが悔しくもなく、素直に認めた上で、今年の、否、私の後半生の生きる目標、「平和主義者として生きてゆく」。これを何としても実現したい。それに、私自身の人生上、生活上の自律、自立志向を高めたいと望んでいる事。この二点に私の今後が集約されていると。
 その場では、私の日蓮正宗の仏法仏教的な事も話した。これには、以前は我が家へ来ていた頃の室長は、如何にも眠そうな、居眠りする真似をその室長はしていたが、ここ暫く、私がこの相談室へ通いつめ、仏法を語る機会が多いのを見て取った女性室長は、大体、私がお寺から習った、「聞くは仏法の初めなり」。この一言で室長の態度が代わった。というより、それは見事に私に還って来た。wainaiさんは出来ているの?と。
 それに対しては、これは心苦しいが、いまだに出来てはいないだろう。と私の苦しい胸の内を吐露した。
 まあ、誰しも至らない所は有るものだと見て取った女性室長は、おそらく、私の(バカ)正直さ加減を、これも褒めはしないが、私を信用する気にはなったろう。ここまで、PC教室に無料で参加する権限を与えて頂いておられるのだから。
 しかし、今度は、それもブーメランの如くに私に還って来て、次は私が室長を信用信頼する番なのだ。
 いいですよ!幾らでも、人を信じて信用信頼して見せますとも。そうして、私は、二度と絶対に裏切らない自信は私の心の中には全幅の信頼を必ずに置きますから。
 今に見ていて下さい。私が如何に真剣に物事に取り組む男、人間だ、と言う事を。
 そうして、日蓮正宗という、極、世界に稀なる宗教、御教えの正当性をこの私が、証明して見せます。
 「今に見てみい、おはま…。ワイは日本一になるんや。日本一やで。なんや、その辛気臭い顔は…。おい、おはま。酒や酒。酒買おうてこんかッ!」(岡千秋作曲・都はるみの歌、「浪花恋しぐれ」の一節)。
(こう見えても、私は酒は全くやりません。やれません。一滴も飲めません。飲めば、最初の一口ですぐに赤くなり、次第に青くなり、酷いと嘔吐…。頭は割れる程ガンガンして、朝まで眠れません。そして、次の日は二日酔いで、二日連チャンで七転八倒です。医者にも止められています。酒に憧れたのは二十代だけ。無理して飲んでいました。今はお酒と別れられて清々とするし、非常に体が楽で嬉しいです。もしもどんなに他人に酒を勧められても、「自分はオレンジジュースで結構です」を貫き通します。酒は全くダメなので御座います。)。
以上。よしなに。wainai

質問会集、日蓮正宗。死刑廃止、死後の世界について。ハーモニカふるさと

2024年06月24日 21時52分22秒 | 朗読版・折伏破権門理・邪教破折日蓮正宗御本読上げ・勉強趣味楽器演奏動画特集
質問会集、日蓮正宗。死刑廃止、死後の世界について。ハーモニカふるさと 「質問会集」日蓮正宗。死刑制度の是非、死後の光の世界の嘘など。複音ハーモニカで「ふるさと」を演奏。以上。よしなに。wainai 

文章の書き方・辰濃和男著。歌よみに与ふる書・正岡子規著。文学特集号!

2024年06月24日 18時48分40秒 | 朗読版・読み上げ一般書籍読書社会情勢・勉強趣味楽器演奏動画特集
文章の書き方・辰濃和男著。歌よみに与ふる書・正岡子規著。文学特集号! 「文章の書き方」辰濃和男著。「歌よみに与ふる書」正岡子規著。文学に特化して、朗読致しました。音楽をやる積りでしたが、出来ませんでした。例によって、冒頭に私の近況報告。これは昼の動画でもやりましたが。私には珍しく宗教色の飾りは一切ないです。大聖人様も、和歌を詠まれた実績があるので、これで良し、とします。 以上。よしなに。wainai 

信仰のさんぽ道2、日蓮正宗。まさか、について。ピアノ・バーナム教則本

2024年06月24日 14時59分15秒 | 朗読版・折伏破権門理・邪教破折日蓮正宗御本読上げ・勉強趣味楽器演奏動画特集
信仰のさんぽ道2、日蓮正宗。まさか、について。ピアノ・バーナム教則本 信仰のさんぽ道2、日蓮正宗による。朗読。まさか、について。電子ピアノ・バーナム教則本による、初心者の練習。以上。よしなに。wainai 

仏様の人生観・世界観、御住職様の御説法、プリントから。ハモニカ君が代

2024年06月23日 17時36分13秒 | 朗読版・折伏破権門理・邪教破折日蓮正宗御本読上げ・勉強趣味楽器演奏動画特集
仏様の人生観・世界観、御住職様の御説法、プリントから。ハモニカ君が代 「仏様の人生観・世界観」日蓮正宗、御住職様の御説法、プリントから。複音ハーモニカ、君が代。以上。よしなに。wainai #日蓮正宗無量山寿海寺 #複音ハーモニカ君が代演奏 

自分の運命に楯を突け、第三章。岡本太郎著。ピアノ・バーナム教則本再復習

2024年06月23日 09時39分02秒 | 朗読版・読み上げ一般書籍読書社会情勢・勉強趣味楽器演奏動画特集
自分の運命に楯を突け、第三章。岡本太郎著。ピアノ・バーナム教則本再復習 「自分の運命に楯を突け」岡本太郎著。第三章・キミも人間全体として生きてみないか。電子ピアノ・バーナム教則本紫色、初歩を再復習練習に取り組んだ。以上。よしなに。wainai