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進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

皆様、今年もお世話になりました。令和四年二〇二二年の12月31日年末、大晦日にあたって

2022年12月31日 11時12分25秒 | 人生訓・人生論・人の生き様・年末年始賀正・正月祝・祝誕生日・記念日・祝祭日旗日
 今年も私にとっても、日本国、世界においても、様々、色々ありました。
 世界に目をやれば、ロシアのウクライナ侵攻には大変に胸を痛めました。これは今も継続中の戦争状態です。早期の解決、国際軍事裁判等々での、最期はプーチン氏の処刑、処断まで決済、手打ちが出来たらいいのに、それだけの事、あのプーチンは悪行を行ったんだという、世界の共通認識に、どれだけロシア国内が呼応できるのか。
 日本は円安地獄で、狂乱物価高であり、日々の生活に困る人々も出てきており、自邪公政権の、特に岸田首相の、やる気のなさには、私などは怒りをもってして、この邪政権には鉄槌、天誅を下したい。
 勿論、韓国発・新興キリスト異端・邪カルト宗教・元統一教会(現・世界平和統一家庭連合)のカルト性、その政治関与、日本からの宗教法人法の適用外に置き、必ず法人格を剥奪し、日本での布教を勿論一切認めず、政界からも去ってもらう。今まで日本国内で稼いだ金の全ても、日本に返還してもらいたい位だ。
 そして、日本の邪宗教団体・カルト宗教の総本山・大元締めの、これも日本発の新興宗教法人・邪教創価学会が支持母体の、邪政党・公明党との連立を外した上での、一切のカルト性を排除した上での、清潔・潔癖クリーンな次の政権、次期、私が望むのは、自民党単独による、或いは、友党・国民民主党・参政党と連立を組む「高市早苗女性初首相政権樹立」を期待して待ちます。必ず成し遂げます。
 私個人の今年の振り返りは、今年九月の一か月弱の間の入院生活にありました。ここでの生活で、私の今までの過てる、野党・立民、共産党支持から、その病院への大量の書籍、ノート二冊、メモ帳一冊、メモ用紙数十枚、使ったボールペン四、五本に上る、インプット入力と、アウトプット出力の両バランスの取れた思考能力・方法の進化、努力、自省を続けた結果、今までのこの五年間の一時的な政治思想が間違えていたことに気付き、その、自身の政治信条を改めて、もう一度、日本の伝統文化を守る、保守政党『自由民主党』を信じ、信奉し、支持をしてゆこうと、心に思い決めました。
 元統一教会問題で騒がれていて、この時期に何で、自民支持?といぶかる向きもあるかも知れませんが、私は、自民党の、自己自身の、自浄作用・自己改革、血の滲むような革命的努力を必ず致すと信じて、この政党を決して諦めずに、辛抱強く応援してゆこうと決めています。
 ともかく、激動の一年であったと、私自身、思います。
 来年が、更に、今年の災禍、コロナ禍にまみれたここ数年間ですが、これら諸問題が、必ずや解決の道を歩み、来年の今頃には、終わり良ければ総て良し、の、全てが快方に向かうよう、ご祈念致し、今年最後の言葉に代えさせて頂きます。
 皆様もよいお年をお迎えください。

 以上。よしなに。wainai

『m.c.A・T』のベスト盤をダウンロードする

2022年12月31日 01時09分53秒 | クラシック洋楽日本邦楽演歌雅楽江戸明治大正昭和平成令和現代歌謡伝統音楽集

 m.c.A・Tのベスト盤、「m.c.A・T Best Singles+」を、アマゾンにて、ダウンロードで、購入した。
 これら楽曲は、私が1990年代の、あの二十代の頃、凄く流行っていた歌であり、皆、知っている曲ばかりである。
 聴いていて、非常に懐かしい。郷愁の強い、濃い、色合いの曲ばかりであり、m.c.A・T、富樫明生氏のハイトーンボイスと、アップテンポの曲調が織りなす、千変万化の楽曲の数々。非常に素晴らしい。
 これは、ヒップホップ、ラップ音楽なんだが、今のそれら音楽よりも、非常にキャッチ―であり、メロディアスであり、テンポが良く、音の鳴り、詩の乗せ方が素晴らしく良い。ノリノリなのである。カッコいい。これは良い。
 うちに居ながら、その場で買えて聴けるのだから、これ又素晴らしい。
 iTunesの操作は、上の帯の、ファイル(F)、ファイルをライブラリに追加(A)、で簡単にアマゾンから曲が移設出来た。これはもう、慣れてしまった。
 真夜中にダウンロードし、朝の今現在まで4、5回は聴き続けている。いかに私がこれら楽曲に入れ込んでいる事か、読者の皆様には分かるだろうか?
 とにかく、その人間性、感動的な歌詞と、感動的な音楽。泣けて来る!
 とても、私自身が、心豊か、心が優しくなってくるのを感ずる。ユーモアもあるし。
 何というのか、明るく、楽天的・楽観的なその歌詞が、更に感動を、生きる希望を呼ぶ。私は、もう、本格的なm.c.A・T氏の信奉者である。
 最近では、大ヒット連発のダンスボーカルグループ「DA PUMP」の曲の作詞作曲、プロデューサーをも引き受け、多忙な毎日を送れらている。
 これら楽曲は、まさしく、私好みの、私の生きた時代の、ヒット曲集である。青春を思い出した一日となっている。

 以上。よしなに。wainai

来年の私の『三大目標』決まる!!

2022年12月30日 16時59分27秒 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
 本日、福祉の、訪問看護師の方が来られ、「私のクライシスプラン」という、病院でもらった定型用紙書面があるのだが、そこに於いて、来年2023年令和五年の『三大目標』が、今日、2022年令和四年12月30日金曜日午後に、我が家に於いて、看護師さんとの相談の上で、書き置かれ、取り決められた。

(来年の)『三大目標』

 一、笑う事。

 二、きちんとご飯を食べる事。

 三、生活リズムを整える事。早寝早起き。

 この三大目標に加えて、私の、お寺に於いて懇意にしている、日蓮正宗無量山寿海寺元副講頭Kさんのその後の電話でのご発言、
 「これらの三大目標に君臨する、最大にして、最高の基本はやはり『勤行・唱題』である」とのお言葉を賜り、今年を締めくくるには、最高の日和(ひより)となった。
 
 それから、看護師さんと私の取り決め、約束では、こちらからの電話、Tel.は、5分間以内を心掛け、迷惑が相手側に掛からぬよう、十分な配慮が必要である事。

 孤独を感じ過ぎたり、夜寝ない、何かに集中し過ぎるきらいがあるので、電話し過ぎず、何で怒っているかを書面に書き綴る。夜は薬を飲んで早めに充分に眠る事。

 音楽を聴いて気晴らしをする。

 心の栄養、本を読む事もあり。(マンガ等で笑う事も有り。)

 落ち着く事をやる、する。

 あと、一番は、夜寝る、風呂、お薬。これに尽きる。

 お薬は、お祈りの次、同じ位大事、と退院の時、私の帰宅に際して、荷物運びを手伝って下さった看護婦さんが、私の帰宅へと向かう帰り際、タクシーへ乗リ込む間際も、口を酸っぱくして、言って下さっていた。彼女は、私の日頃からの、私のこの信心への取り組み方、熱心さを、看護婦さんなりに、つぶさに見て実感して、私の信仰を理解し、認め、知っていた。

 人の悪口を言いたくなったり、人を呪ったりはダメで、悪口を相手に向かって言わない。言葉を慎む。

 人の話も聞く。耳を傾ける。自分ばかりを主張はしない。これも、自身を、慎み深くする。

 話の、心の、キャッチボール。お互い、一方的でなく、会話が成り立つように、上手くする。(長話はダメ。これは常日頃、うちのお寺の御住職様に、ひどく御注意・御忠告を受けて居る。話を短くまとめる。学校で習った、三分間・一分間スピーチ。電話は、要点を、メモに書いてメモ書きして簡略に話す位じゃなきゃダメだ、と。)

 冗長な長話をする方が、本人は極めて楽だ。それでは、ひと様に迷惑になる。要は、どう話をまとめ、話を簡略化するかだ。短文の価値が、そこにある。

 相手を気遣う事を言ってあげる。優しい言葉を掛けてあげる。相手を察する。思いやりの慈悲の精神。等々。

 相手のいいとこ探し。

 自分の体や心を大切に、いたわる。相手も同じ。

 とにかく、自分、私が今日、看護師さんから学んだのは、何事も、仏教仏法の、「中道・中庸」が大事なんだと思い知らされ、非常に為に成り、自身に堪(こた)えて、大変に勉学、勉強になりました。大切な極説、卓見だと思い致しました。本当に、毎日が勉強なんだと。これを成し遂げるのが大変なんだけど。一つ一つ、焦らずに、山歩き、山登りの積り、要領で、日々、精進してゆきたい。一度に一遍には、何事も、一気呵成(いっきかせい)は、土台、無理であろう。本当に、一年を掛けて、じっくりと実現を図ってゆきたい。(私の希望)。

 「一、人の一生は重き荷を負いて遠き道を行くが如し 急ぐべからず。」(『徳川家康遺訓・萬人処世訓』より)

 今日は看護師さん、誠に有難う御座いました。自身を振り返る、自己反省の、良い機会、良いよすがとなり、貴重なひと時でした。本当に、規則正しい生活を心掛けます。

 以上。よしなに。wainai

ジリ貧、死に体の、岸田自民党政権、岸田おろしを期待し、この政権への別れを告げる!!即刻、岸田、お前は「クビ」だ!!内閣・国政から出ていけ!!この腐れめが!!

2022年12月28日 16時08分40秒 | 政治政党・左右政党・国際情勢・時代論・護憲憲法論・日蓮正宗から見た政治論
 この内閣、岸田文雄首相率いる自民党・公明党政権も、もうこれまでだろう。
 後に続く者達は、手ぐすね引いて、この政権の終焉を待っている事だろう。
 私は、色々な方々の御意見を聴くたびに、「高市早苗」議員の、首相、内閣総理大臣就任が、一番望ましいと思う。女性初の、日本での首相には、期待感と共に、何かやってくれるんじゃないか、との希望の念が湧く。
 思えば、イギリスでも、数十年前、女性初の首相、「サッチャー」女史が戦後就任し、イギリス病とまで言われた大国難を大解決に導いた。そして、サッチャー首相は「鉄の女」とまで言われて、後の世まで語り継がれている。
 今こそ、高市早苗議員、候補が、女性首相候補として、自民党総裁に躍り出る時だ。
 女性が、リーダーシップを執った方が、この国は上手くゆく。日本古代歴史、女王「卑弥呼」の例を挙げるまでもなく。
 いまだに、岸田なんかに国政のかじを取らせている場合ではない。岸田は、即刻、「クビ」、である。あの男、岸田は、彼奴(きゃつ)は、この国には百害あって一利なし、の、大悪党、大悪人、大罪人、人非人である。増税ばかりやりやがって!日本国には、媚中の、あの、岸田など、害悪ばかりであって、一切、要らない!!あの、ヌーボーとした、表情に冴えのない、気色・気持ち悪い男。やる気のなさそうな、無理してやってる感満載の、あの、毎日、顔を見るだけでウンザリだ!!国政から早く出ていけ!!
 こいつと、公明党は、ジリ貧、死に体、末期症状の姿、ガン、末路を晒してらあな。
 岸田文雄という男、及び、それらに付随、忖度した、邪政党・邪政治団体・公明党連合は、国政を乱す、みだりな、不届きな、保守でも何でもない、不要なばかりの人間達の巣窟であると断ずるものである。

 以上。よしなに。wainai

※以下、URL、自民党内での、欺瞞性に満ちた、派閥人脈関係への一考察。貴重な我がお寺・前副講頭Kさんの御意見。

日蓮大聖人の教えと、日本神話、キリスト教、景教、イスラム教、その、外道一神教の恐怖の教え。それに対して日本国を救った、秀吉・徳川幕府にグッドジョブ!!

2022年12月27日 16時12分49秒 | 邪宗教キリスト教一神教・邪教占い・統一教会・神社神道・新興宗教・神様系・等々邪教
 日蓮大聖人様の「御書」を読むと、仏教各派の話は結構、微に入り細に入り、書かれている。しかし、神の話となると、立正安国論には、「神天上の法門」の初期の形が説かれ、大体、神は天界に留まり、この地上から、鎌倉時代の悲惨な災害、天変地異の打ち続く世の中で、神々は、神社等の、社(やしろ)からは逃げられて、天上へ帰られたと説く。これが、「神天上の法門」の原型である。

 しかし、法華経を説かれた釈尊の時代には、釈尊自身が、法華経を守る神々の代表として、諸天善神、大梵天王、帝釈天王、大日天王、大月天王、大明星天王、等々の、神々を配置し、それらがこの経典を守る誓いをする儀式が既に法華経に書いてある。だから、それら法華経を守る神々には、我々日蓮正宗信徒は、朝の勤行時には、五座の内の、第一座、初座に於いて、東方、東の方を向いて、拝礼し、方便品一遍、寿量品自我偈一遍を唱えて、御観念文に目を通し、祈りを捧げる。

 以前の、昭和初期の、創価教育学会当時、それから、昭和二十年代の、古い、おそらくは、戸田会長が会長職に就いたばかりの頃の、古い時期の創価学会、及び日蓮正宗御宗門では、古い経本を使い、その、梵天、帝釈等々と、もう二つ、それらに加えて、天照大神、八幡大菩薩、を加えて、それに、天皇陛下の文字まで入れて拝んでいた時期が、戦前戦時中から戦後にかけて、あった。
 大聖人様の御本尊を拝し奉ると、その御右側下方には、天照大神、御左側下方には、八幡大菩薩、と、認(したた)められている。

 これは、この宗教、日蓮正宗が、日本生まれの、日本発の宗教であるという認識で宜しいと断ずる。沖縄に行けば、日蓮正宗などは、多分「ヤマト神」の一派と断ぜられるであろう。

 しかし、これら、御本尊には、釈尊、多宝如来、インドの神・王、中国の高僧(天台・妙楽大師等)、日本のそうした神々が配置されて居るが、一切、ギリシア神話の神、ローマ神話の神、等々は、多神教のそれらならば、日本の神々を祀ってある御本尊様ならば、配置されてもいいのではないか、とも思うが、どうか。やはり、ダメであろう。

 その頃の、鎌倉時代の世相、国際宗教事情とは、そんなもので、まだ、未知の世界が、西洋であったと言える。

 その、西洋や、アラビア諸国では、とっくに、この時代、世界大宗教の、キリスト教・イスラム教が跋扈し、世界を席巻し始める兆候が伺えたが、鎌倉時代は、日本はまだ安閑として居られたのであろう。

 中国では、この、鎌倉時代の前の、西暦600年代から、既に首都長安にて、景教(キリスト教異端・ネストリウス派の一派)が布教、伝道を開始し、700年代には、寺が立てられたりして、一大勢力として、中国全土を覆うが、時の皇帝にこれを阻まれ、仏教禁教禁制と共に、一緒にこの、景教も禁教され、急速に衰えた。

 と、このような経緯を、鎌倉時代の、生年が1222年、没年が1282年の、日蓮大聖人様が知らなかったのは、御書のどこにも、キリスト教についての記述が無いのが物語っている。全く、キリスト教、イスラム教については、無知だと言える。

 これが、未だに世界中をこの当時から覆い、今も世界の不幸の原因、遠因なのに、肝心の、大聖人様は、お知りになられない。

 だから、大聖人様の御書をもってして、キリスト教を破折する時は、大聖人様の、五重相対の、内外相対、内道(仏教)と、外道(仏教以外の宗教)として扱い、それらを破折するか、浄土教、念仏の教えの、極楽思想が、キリスト・イスラム教の、天国思想と酷似している為、それをもってして、破折、となる。

 いわゆる、応用技である。それ、そのもの、その本体の、本物の教えに対する、大聖人様直接の、お教え、破折法は、無かった。

 その後に、歴代の猊下様方が、キリスト教などの、一神教に接し、その過ちに触れ、独自の一神教への日蓮正宗独自の破折論が編まれていったのであろう。

 その後、日本にも、キリスト教が、戦国時代に伝来し(1549年、イエズス会のフランシスコ=ザビエルにより鹿児島上陸、カトリック教が日本に初伝道)、以来、日本では、キリスト教、及び、南蛮文化が発達し、キリスト教(カトリック)が教勢を広げた。

 しかし、これが、時の支配者・為政者、特に、日本の全国統一を果たした、豊臣秀吉、徳川家康のその後の後継者の江戸幕府は、これら、キリスト教・カトリックが、非常に危険で、日本の統治支配の、秩序を乱し、人心を混乱、荒廃させるものだと、喝破、見抜いたうえでの、キリスト教禁教令が、秀吉・家康、安土桃山(戦国時代)と、江戸時代には、成立・完成されていった。

 これで、このまま、このキリスト教が、以前の昔に、日本全土に、日本国の大勢多数が、キリスト信徒になって居たら、どうなってしまっていたか?後から、西洋の軍隊、船に乗った大群の兵士たちが、特に、ポルトガルやスペイン等による悲劇が、南アメリカ・南米で起こったような悲惨な出来事が、ここ、日本でも起こり兼ねなかった。

 それは、まず、キリスト教の神父が最初に上陸してきて、まずは、人心掌握、心、精神の支配化を進めてゆく。それから、その、心服随従する姿を見た後、あとから、西洋の軍隊が、日本を目指して進んで攻めて来る。詰まりは、日本の西洋による、属国化、植民地化である。それは、幕末、明治の御代の興る前にも、続いた。

 この国の文化は、根こそぎ失われ、それら、植民地宗主国に支配され、奪われ、搾取・簒奪され、日本の人民は、奴隷化されたり、殺される。これらの運命を未然に防いだのが、豊臣秀吉、徳川幕府であったのである。

 今日現在、日本に於けるキリスト教徒の数は、日本総人口一億二千万人とも、一億一千万人とも言われる中の、たった、1%いるかいないかの、弱小教団たちに成り下がった。これは、勿論、キリシタン対策の、豊臣・徳川政権の武勲、功を褒めるべきでもあるが、実際は、日蓮大聖人様も御書の中で散々仰られているように、大乗教、大乗仏教が成り立った国に於いて、元々、この国、日本国は、大乗仏教の国なのである。そんな国に、元々外道の宗教、キリスト教や、ましてやイスラム教などが、馴染み、流布する余地など、微塵もないのである。

 だから、我々は、安心して、日本の国文学に親しみ、日本語もちゃんと、昔ながらの、日本伝統の、漢字・平仮名・片仮名の文字を使い、そんな、南米の様な、ポルトガル語やらスペイン語やらの、外国語に、地元の、元々あった南米独自の文明、文化、言語を失ってまで、キリスト教を弘めてしまった最悪の事態は、何とか、あの、戦国・江戸時代の、時の権力・支配者の先人の方々たちの高名な、非常に高くして、先見の明のある見方、筋を通した眼力で、全てを見通して、今の現代日本の礎を築いて下さったのである。

 それが、結局、仏教界にとっては、宗門改め、寺請制度に代表される、「葬式仏教化」を招く因となるが、一人、「日蓮正宗」のみは、現代に生きる、現実世界に活躍し輝き続ける「伝統仏教」として、頑張って今日も活動的に、邪宗邪教の折伏教化、破折に勤しみ励んでいる昨今なのである。

 以上。よしなに。wainai

どの電子辞書が良いのか?カシオとシャープ、二大メーカー 紙の辞書についても語る

2022年12月26日 09時14分27秒 | 読書・本を読む事への楽しみ誘い。日蓮正宗御本。その他一般著作物電子書籍・辞書類

 今、日本の電子辞書メーカーには、「カシオ」と「シャープ」の二大メーカーがひしめいている。どちらが良いかは、読者諸氏にお任せするが、私は、やはり、「カシオ」派である。(アマゾンのブラックフライデー価格で、二万五百円台で、ケースも付けて、アマゾン合同株式会社、アマゾン本社からお安く買えた)
 その理由は、ハードの、バッテリー機構にある。カシオは、電源・電池が、一般の電池を使えて、勿論、エネループ等の充電池も立派に対応し、充分使える。電池は単三2本である。だから、バッテリーが外付けであり、本体が壊れない限り、あと、充電池の寿命もあるが、ほとんどコストが家での充電でのみの、無限の安い電気代の、エネループの使用が可能なのである。
 これが、シャープは、問題なのは、バッテリーが内蔵充電池式であり、本体ごと充電しなければならない。
 これはこれで、使い道もあるだろうが、この、バッテリーがイカレて、へたって、使えなくなれば、修理に出すなり、本体ごと捨てるなりの、勿体ない使い方となる。これが、シャープのネックだ。

 昔、うちで買った、シャープの電子辞書、「Brain」PW-NA1は、この点、一般電池も使えたが(この場合、単四電池2本)、これは、一万三千円、一万五千円位の、破格の値段であり、新品だったが(私はいつも、新品しか買わない)、電池は外部のが、勿論エネループも使えるのが非常に良かった。けれども、辞書数が極めて限られ、貧弱と成り、数点、あっても10コンテンツ位の少なさであり、国語辞書一冊、英和和英各一冊、簡略的、比較的簡素な、ダイジェスト版の百科事典一冊、漢和辞典一冊、と、あとは、六か国語の位の、現地での想定対話集位が入っていた。価格は安いように見えるが、コンテンツが10程度では、非常にコスパ、コストパフォーマンスが悪かった。
 しかも、カシオとシャープで違うのは、カシオには、必ずと言っていい程、日本の国民的辞書と言われる「広辞苑」が大体の電子辞書には入っている。「広辞苑によれば…」で有名なフレーズは、誰でもマスコミ、新聞等で聞いたり読んだりした事があるであろう。
 しかし、これが、シャープには、「大辞林」が大体入っているが、やはり、「大辞林」では物足りない。それから、大辞泉か何かも入っているものもあるかも知れないが。

 私は、うちで初めて買った紙の大中辞書は、「広辞林」(第六版)(一九八三年九月一日第一刷)という、三省堂書店の辞書であり、これは、大きいばかりで、中身が極めて貧弱であった。調べても載っていない項目が余りにもあり過ぎた。しかし、買ったのが私の小学生時代であり、私の乏しいお小遣いの中から、やっと買い求めたのである。最初はとてもうれしかったが、やがて次第に、何で「広辞苑」を買わなかったのだろう?という、自己否定、自己否認、自分を肯定などは出来なかった。
 それから、数年が過ぎ、私は高校生になって居た。その時にも、図書カードを或る方から数千円分もらい、この時、岩瀬書店桑野店(確か、国道49線と、さくら通り、新さくら通りの側にあった)にて、「大辞林(三省堂書店)」(一九八九年一一月一〇日、第一版第一六刷発行)という大辞典を、当時売り始まっていたので、初版の時に買い求めた。当時の値段で、定価6,300円税込み、であった。
 この時の大辞林は凄い宣伝量、宣伝の仕方が上手いというか、新聞紙上で宣伝を大量にして、ほとんど、国民的辞書の「広辞苑」にケンカを売る、というか、ホントにケンカ状態であり、対抗意識剥き出しであり、私は、その当時は三省堂の大辞林を応援して居り、語句収録数も広辞苑を上回る、というのを信じ、その出来たばかり、出版したての三省堂書店の「大辞林」派となっていった。
 しかし、依然、国民的辞書の岩波書店の「広辞苑」への憧れは止む事無く、私の家には、「広辞苑」が全然無いんだなあ、といった、悲嘆、後悔の念がいつも付きまとっていた。これは、私が、当時の高校生時代、大学時代に、常に日頃、日常生活で懐いていた感慨、感想である。

 それが、変わる時が来た。私は、お金を貯めて、ついに、1998年平成10年3月16日月曜日に、当時、どこの書店で買ったのだか、多分、その時には岩瀬書店はないから、近くの、これも今は無き、ツタヤの大槻の書店か、或いは遠出して、郡山駅前まで行って、郡山市最大の書店だった、こんなのも最終的には惜しまれて閉店した「東北書店」にて、大威張りで買ったのか?忘れたが、とにかく、「広辞苑 第四版」(岩波書店)を、定価(本体6311円+税)で買った。この時の私の喜びようったらなかった。もう、やっと、国民的辞書、「広辞苑」を、この僕は、手にやっと入れられたんだあ、その嬉しさったらなかった。
 うちに「広辞苑」がちゃんと既にあるのに、わざわざ郡山市図書館に行ってでも、「広辞苑」をその場の書棚から借りて、そこのテーブルの上にバンと置いて自習して、自身、非常な喜び、少しキザに気取った風にして読み、自分は学問をしているんだと酔い痴れながら、実際に文学書・宗教書・実用書などの検索・字引にその場で利用させてもらったりもした。

 それから、二十年。私は、又又、紙の「広辞苑」を買い求める事になる。現在の最新版『広辞苑 第七版(岩波書店)』(二〇一八年一月一二日第七版第一刷発行)を、私は大々的発売中、大絶賛大宣伝中の、その同じ年の忘れもしない平成三十年一月一四日、詰まり、その発売日の二日後に、私はツタヤみどり書房桑野店にて、本来は定価(本体9000円+税)なのに、特別定価が、その年、二〇一八年六月三〇日まで、特別定価(本体8500円+税)で無事にお安く購入できた。
 この時の模様、購入の様子は、私のこの拙著ブログにて紹介済みである。
 とにかく、紙の辞書から、電子辞書に話は戻るが、電子辞書は、数百コンテンツ、大体、うちのカシオの電子辞書(EX-word,XD-SX4800 )は、220コンテンツもの、多彩な書籍類が充実して居り、これ程の紙の量の書籍を、実際に家に持ち込もうものならば、場所が本類で充満し、家の部屋が本で一杯になるであろう。
 それに、紙の本は高い。皆、今となっては、高級な嗜(たしな)み、高級品となった。紙の本はそんな部類の、お気に入りの本しか買わない、と言った人も増えた。
 だから、私は、辞書、辞典を買うならば、紙でなく、電子書籍版の、「電子辞書」をお薦めする。これしか選択肢は無い。紙の辞書は第一、重量が重たい。片手で持って居たら、腱鞘炎になってしまいかねない。カシオの電子辞書は、今話題の、ブルーライトカット機能もある。健康面でも、価格面でも、コスパ、コストパフォーマンスが、大変に、非常に良い、宜しいのである。
 私は、現代に生きていて、こんなに便利な世の中に居るんだ、この便利さ、簡便さを享受できる喜びに溢れて、今のこの二〇二〇年代、令和の御代を正に生きているのである。

※私の、電子辞書購入の記事。以下、URL参照。

※広辞苑第七版の買い物について。

※私の、シャープの電子辞書の買い物について。

以上。よしなに。wainai

これが、アマゾン詐欺である!!➡無事、解決。お金、戻って来る。アマゾン側の度量の深さ。➡しかし、消費者も、自衛策が必要!!

2022年12月25日 18時48分08秒 | IT、PC、Windows、マルチメディア、OS、携帯電話、スマホ・電化製品等々
 私は、一か月以上前に、アマゾンで、microSDカードを買った。1TBであった。
 しかし、市場価格よりも、異常に安過ぎたのである。普通ならば、一万円位、むしろ、一万を越える金額が、このmicroSDカードの1TB、1000GBである筈なのに、このカードは、三千円とちょっとで買えてしまった。
 これを早速使って、音楽資産をmicroSDに移し替えようとしても、形ばかりで、曲名などは移せても、肝心の中身は何一つ移っては居なかった。
 これを、私の任天堂スウィッチのゲーム機器に使い回そうとしても、一切、1TB、980GB位の容量が表示されるも、受け付けずに、それが詐欺、全く機能していない。
 これを、ネットで調べると、どこでも、アマゾンに騙された、という声で満ち溢れて居た。
 特に、高容量のmicroSDカードに騙されて、詐欺に引っ掛かる人が多いとも書いてあった。
 正に、私の状態なのである。
 これに怒り、私はメールで、アマゾンに抗議した。しかし、回収、引き取り期間の一か月はとうに過ぎているし、その、買い物をした、中国系の会社も、アマゾンとの契約を既に終了していて、幽霊会社であり、私は、完全に諦めざるを得なかった。
 これが、アマゾン詐欺、である!!
 それは、「アマゾンマーケットプレイス」という仕組みを巧みに使った、新手の詐欺であった。まんまと、やられた訳である。
 その後、私は、郡山市大槻町の、近所の安い物が売っているスーパー、「トライアル」にて、今度は256GBの、microSDカードを五千円(実際は、4,990円)で買い、ソフトの再ダウンロード、カードに移設すると、何と今度は、ちゃんと起動し、動き始めるではないか?!これは一年間の保証もちゃんと付いている。
 私は、アマゾンに騙され、三千幾らをドブに捨ててしまった。これは怖ろしい事だ。
 暫くは、アマゾン(特にマーケットプレイス)には、近づきたくはない。コワい。
 「安物買いの銭失い」という、ことわざは、現代にも正に、生きていた訳である。
これが、証拠の、サンディスク社そっくりの、偽物のmicroSDカードである。五年保証、など謳っているが、これらは全くの、皆、嘘、でたらめ、である。
これの為に如何に私が苦しむことになるか、この業者と、アマゾンには天誅、鉄槌を!!である。

※【朗報】めでたしめでたし、めでたい報せ。
アマゾンに即刻電話し、問題解決への抗議の訴えをすると、即、アマゾンカスタマーセンターにて対応してもらい、私は三千幾らと誤認していたが、四千円全額、アマゾンギフトカードにて、私のアカウントに戻って来た。
一応は、良しとして、アマゾンもやる時はやる。これも、消費者の行動力・訴訟力・訴えた者が勝つ事が証明された。アマゾンにも良心がある事が判った。
その点は評価するが、いかんせん、時間と手間とお金の、膨大な無駄は解消が出来なかった事は、いかにしようとも、嘆けども、還っては来ない。
この点のアマゾンの無知さ、開き直りともとれる行状は、是非とも改めて欲しい。
何はともあれ、終わり良ければ総て良し。これで手を打ち、良しとする。

ただ、これからは、アマゾンの販売方法、手法には、確実に、疑問、疑いの目を持って、怪しいものをも売っている事実は確実であり、それはHP上でも隠せない訳であるからして、こちらも二度と騙されないよう、細心の注意を払い、買い物をしてゆく事を、ここに誓い、宣言し、銘記しておく。騙されてからでは、遅いのである。時間も、手間も、労力も、お金も…。全てがムダに帰してしまう。

以上。よしなに。wainai

大寒波到来中!!「日蓮正宗の冠婚葬祭 すぐわかる よくわかる」大日蓮出版。私の買い物。ゲームの事。ワークマンの服の事。厳しくも優しい、お母さんの御教え。何でも東京だ!衣服靴鞄の教え。

2022年12月24日 10時20分25秒 | 読書・本を読む事への楽しみ誘い。日蓮正宗御本。その他一般著作物電子書籍・辞書類

 私は、今年、2022年令和四年12月22日木曜日に、西友系の、ザ・モールで食品を大量に買ってしまい、二千数百円の買い物だったが、袋が二袋も掛かってしまった。

 それを、自転車に乗っけって、走る訳である。その間に、私が買った、美味しい、酪王乳業のカフェオレ(実に、三百円超はする)などは、自転車のハンドルにぶら下げて(もう一袋は、ちゃんとカゴの中)いたから、かなりぶつかり合い、少し紙パックに穴が開き、うちでそれが、コーヒーが漏れているのに気付いたのが、次の日の昼頃であった。

 勿体ないから、速攻で、一日でカフェオレを飲んでしまった。しかも、1リットルである。大変に勿体ない。大事に何日かで飲もうとしていたのに。

 お陰で、それら、カフェインのせいか、昨日はいつまでたっても眠くならずに、今日の午前三時位まで起きて、電子辞書で調べ物をやったり、PCを見詰めて居たりで、かなりの時間だった。

 とにかく、その帰りの途中の、22日木曜は、そんなに荷物が沢山あるのに、何故か、大槻町の、ローソンというコンビニに寄り、アマゾンギフトカード五千円分を買う訳である。うちには、あと、六、七百円位(確か)私のPC上のアカウントに、アマゾンの金額の残金があるから、大丈夫、任天堂スウィッチのソフトが買える、と睨んだのである。

 そして、帰って来て、まずは、その、カードの入力済ませ、アマゾンのページに行き、任天堂スウィッチのソフトを見た。私は、ダウンロード版が欲しくてたまらなかった、すぐ出来るから、待たずに。それで、本当はマリオ、任天堂と言えば、マリオだろうと思い、マリオを見た。

 でも、微妙に高い。皆、私の思う額より、本当に若干、百円、二百円、何十円高くて買えない。これがネックだった。

 その他、人気作、ゼルダの伝説、スプラトゥーン2,3、全て見ても、微妙に、それらは、確か任天堂作品らしく、中々、同じ値段設定で、ダウンロードが買えない。

 そして、昨日も書いたが、「PSゲームblog」「a67cd」さんが主宰するブログで、以前、私が、質問というか、報告というか、「任天堂スウィッチを買いました」という知らせをそこで書くと、その御方は、親切にも、私に、「ドラゴンクエスト(ドラクエ)(XI)11S」が非常に面白く、おすすめです、と書いてあったのが、思い起こされた。というより、その事実に対して、私は実際、そのソフト名は、メモ書きして、そのメモ書きは、いつでも見える所に、こたつの上のテーブルの小物置きに常に置いてあった。

 それを見ると、一応、買えるかな、と思い、アマゾンのダウンロード価格を見て見たら、ギリギリで買えそうだった。それで、購入した。

 でも、不思議だったのが、五千五百円以上の物が、この時は、10%割引きで、4千9百円幾らで買えたことだ。もしかしたら、その以前の、マリオのゲームソフトも、十パーセント割引きと書いてあったので、もしかしたら、買えたかも知れないのだ。

 まあ、これは、実際に買ってしまったので、もう文句は言うまい。

 そして、残りの金額が、七百円以上あったので、この時、私は考えた。

 以前、お寺(福島県郡山市土瓜、日蓮正宗無量山寿海寺)で、毎月初日の一日の、御先祖様に御供養を申し上げる、「御経日」で、必ずうちの御住職様は、日蓮正宗の御本を使って、御説法為されている。その、今から、一年以上前に使っていた御本に「日蓮正宗の冠婚葬祭、すぐわかる よくわかる」というものがあった。

 これを、私は、余り御経日には参詣しなかったので、買わずにいた。でも、その本が欲しかった。

 今もその本が今のお寺で売ってるのかは、全く判らないが、恐らくないだろう。この間、お寺に行った時も、書籍売り場の本棚を見ても、それらしき本は一切なかったようだ。 

 だから、私は、アマゾンの残金を利用して、この「日蓮正宗の冠婚葬祭」という御本を購入した。定価、本体463円+税、アマゾンでは509円で買えた。
 この御本は、数多くの図版、絵入りであり、写真画像も多く、ビジュアル的にも大変に見やすく、カラーであり、最新式の本だなあ、と思いを致している。 

 かなり装幀も立派であり、日蓮正宗の、冠婚葬祭、結婚やら、お祭り、葬儀、成人式、七五三等々、一杯の格式ある行事、作法、儀式、いわゆる、化法化儀(けほうけぎ)が事細かく載っていて、大変に為に成りそうな御本なのである。

 こんな立派な御本が、今どき、509円、しかも、アマゾン販売で、新品は皆、送料が無料、である。

 配送も速い。早過ぎる位で、昨日おとといの、22日木曜夜に頼んで、今日、24日土曜朝には到着である。自分は、家で待って居れば事済み、全てが自宅で完結している。素晴らしい、お値打ちで、大量仕入れ、大量販売。迅速なサービス。何をかいわんや、である、正に。アマゾンが世の人々に支持され、愛されている訳である。その理由が実に、このネット社会では、理解実感が出来る。

 けれども、今日は、大雪である。郡山市は、大変に雪模様であり、大寒波到来の、悲惨な無情な非情な一日である。

 今日は実は、お寺寿海寺で、五時間唱題会が、午前九時から午後二時まで、本当に五時間行われているのであるが、これは、幾ら、私のうちが同じ大槻にあり、近くても、おいそれとは、行けない。これは無理だ。自殺行為だ。

 それでも、福島市から来ている、講頭のH田さんなどは、昨日電話したところによると、明日は必ず行く、それも、トイレとか、食事とかで、途中で退席はするが、必ず五時間やる!!と息巻いていた。本当にやる気なんだろう。

 私なんか、どうせ十分間で終わりだろう、どうせ唱題会に来たって、とH田さんは言う。私は、その日、つまり昨日、勤行は、朝、ゲーム機のトラブルや、PC、パソコンでのブログ更新に追われ、その日の昼一時に朝食と昼食を兼ねて食べ、その後、午後一時半に朝勤行夕勤行の、朝五座、夕三座だから、結局八座を一遍にやってしまった。それで、その時、唱題、お題目を十分間唱えた、というと、講頭のH田さんは、びっくりしたように、本当に○○君が十分もやったの?と言って驚いていた。 

 私だって、以前までは、毎日のように、正に、朝の唱題会に参詣し、一時間のその間の唱題、御題目なんて、楽勝だったわけである。その頃はね。

 最近は体が入院生活で、影響・ダメージを受けて居るので、大変であり、体がフラフラとふらつき、家の中でですら大変であり、外に自転車で出ると、電柱に体の一部、カバンはぶつけるは、家の垣根や塀には体や衣服、又、カバンは擦るはで、大変な思いをしている。

 それで、何で、そんな状態なのに、郡山市の虎丸町にあるザ・モールにまで行ったのかは、様々な色々な事情があって、ここでは言えないが、とにかく、そこでの或る人に会って、その人の言い分に納得できずに、そのストレスから、私はこれも自分自身の心のやり場の無い、腹立ち、腹いせで、結局、五千円を投資して、帰りのローソンで、こうして、ゲームソフトも買い、日蓮正宗の御本も買い、の、買い買い尽くしの、自分では良い思いをしたとは思って居る。居たんだけれども。しかし。けれども。

 けれども、その事で、後で、郡山市社協の、あんサポ、あんしんサポートの、私の金銭管理を担当している、障碍者部門の、M野さんという女性の私の直属の担当の方と電話で御話すると、そのゲームも、その方は元々ゲーマーであり、任天堂スウィッチから何から、おそらく、ソニーのプレーステーションの最新版まで、やって居られる大家だとは思うんだが(女性でゲーマー、というんだから凄い、尊敬の念を常に私はいだいて居る)、その方が仰るには、中古品の方が、安く、安価に買えたんですよ、と言われた。

 確かに、中古は、考えていなかった。私は、その日に遊びたくて、でも、結局は、その日はそのソフトのダウンロードに日も暮れて、夜中までかかって、結局、何とか出来たから良かったが、そういう手間ひまを考えると、日数、この場合、うちまで宅送、宅配されるのには、時間が掛かるが、その手もあった。

 実際、ダウンロード版は、新品のソフトよりも、若干割高であり、何割かは高いのが相場である。しかも、最新の、光回線でも、送信に何十分、一時間以上、と時間が掛かる。こんなに時間も金も労力も掛けるならば、いっそ、その、中古の選択肢がなぜできなかったのか?自分が甚だ疑問である。
 
 世の中って、一杯、お得な方法、立派で簡単な筋道、抜け道抜け穴って、これは世の中の例外の話だが、幾らでもあるものなんだなあ、と、この冬の寒い極寒・酷寒の、大雪の、大寒波の中の最中、邪教キリスト教の祭典の、邪クリスマスイブの12月24日土曜日の、午前中にふと、思って居た。

 何度も言ってるかもしれないが、今日の、お寺の、大槻土瓜の、寿海寺での、五時間唱題会は、やっぱり行くのは無理である。私はこの他、ワークマンで、五千円以内の、これも、冬の為のあったかいメンズコートも電話予約していて、一週間以内に買いに行かないといけない。これを逃すと、ワークマンでは、大晦日が18時までで閉店。正月は1月1~3日の三日間はやはり閉店となって居り、それまでにはワークマンに行かないといけない。

 ワークマンは、朝の七時からやってるので、非常に助かる。これを利用しない手は一切ない。(早速、12月25日日曜日昼過ぎに、ワークマンへ行き、プレミアムコート、色はチャコールグレーを4,900円税込にてゲットした。母のチョッキ、ベストも同時購入し、そのまま、その日、母の施設に預け届けに行ってきた。)

 施設に居るお母さんも、服と靴に金を掛けない人はダメだ、服と靴、それにカバンにお金を掛けないで、ケチる人らは、結局身を滅ぼす、と口を酸っぱくして、私に子供の頃から言い聞かせていた。それは、真実の言葉であり、私はお母さんの一人っ子の長男だから、そんな、本当の真実・真理・極説を伝授、相承を真直(まじか)で、受けた。

 どんなに家の中で電化製品だ、テレビだ、パソコンだ、本なんかもそうだ、本なんかは、図書館でだって幾らでも読める。そんなものに金を掛けたって、だーれも見やしない。

 私は常に、母には、私が、電化製品、本等に御金ばかりを掛け、重視しているの見て、その点を母は常々批判していた。私と母とは、お金の掛け所、お金の使い方が、非常に異なっていた。

 食べ物にお金の比重をかけ、例えエンゲル係数がよその家よりも高かろうと、もっと美味しく、食べ物にはお金を掛けて、その方が、自身の資本、資産を増やす、自らの肥やし、血や肉となる、自分の心と体に貴重な栄養を身に着ける事には、母は誰よりも重視をしていた。

 そんな電化製品・本。それよりも、服や靴や、カバン、そういったものにお金を掛けて、この身をさっぱりさせて、身にまとう。それが第一でしょ。身だしなみってのは、人が見て、一番に大事なんだよ、って、お母さんは口を酸っぱくして語り、言っていた。

 私が通っていた学校が、福島県立安積高等学校という、福島県内で一番に古い学校、最古豪の、当時、バンカラな、男ばかりの男臭い県中地区郡山市にある進学校・男子高であり、そこで、そこの校風に染まり、質実剛健・文武両道・開拓者精神、でそれで良いんだが、何だか、身の回り、そういった、自分の身だしなみには一切関わり合いが無い風に変わってゆく私を、母は母なりに心配はしては居たが、その内に、母も、私の強引さに根負けして、私のだらしなさには、あんまり、でもしかし時折、母は私への注意は常に心掛け、しょっちゅう叱られ、私自身もそれにはしょっちゅう、母へは内心、反発していた。

 母の持論では、特に靴とカバン(鞄)を買うのは、何と言っても、東京都だ、東京でそれらが、一見、高く見えても、それが一番良い品で、非常に大変に長持ちして、結局は、長い目で見ると、コスパ、コストパフォーマンスが非常に良く、最後はお買い得、お安い買い物となる。東京まで行って買う価値が有ると。

 お母さんは、カバンは凝った。女性ものの鞄ばかりだが、良い鞄を持って居る。服も、和服、着物、洋服等々、私が母が外出する機会が減り、私が買ってあげた、安物の服よりも、母が実際に選んだ服には、何か威厳があるというか、どんなにラフな、普段着にでも、母なりのこだわり、自信の様なものが感ぜられ、私が見ても、とても母の容姿にピッタリと似合っていた。

 母は、「私は、どんなに衣装が派手な色、風合いでも、衣装負けしないのよ!!」と豪語し、実際に、派手っぽいかな、と思う服も有るには有ったが、本当に、決して衣装負けなどはしなかった。

 うちに来た福祉のヘルパーさん達に、私の母の若い頃の写真を見せると、皆、呉服、和服、着物も多く、私が生まれた頃には、その十数年位前からも、洋服の写真も増え出すが、それらを見せると、決まって必ず母の写真に、その母の綺麗さ、美人さ、美女風の佇まいに感嘆の声を上げ、皆、古い写真なんだが、「美人さんだねえ!」「美人だ!」「本当に”三沢あけみ"に似ている!」との御声を頂く。これには、息子の私も、自慢の母である。私も、息子冥利に尽きる。

 とにかく、ここで、母への反論になるが、母が言った、本など買ったって、図書館行けばよい、と言う事だが、残念なことに、残念ながら、郡山市図書館に置いてあるのは、宗教本の話だが、神道、既成仏教、創価学会、最近では顕正会、幸福の科学、他、キリスト教、等々の、邪師による邪義を構えた、新興宗教・邪宗邪教の本、著作ばかりであり、ここ、中央図書館でも、滅多に、というか、日蓮正宗の本なんて一冊も全く蔵書が見当たら無い。基本、日蓮正宗の本の貸し出しなんて、図書館では、やってない。買うしかない。

 だから、お金を掛けて、しかも、中古の方が、古本の方が、日蓮正宗の場合、非常に高値で吹っ掛けて売って居たりする。然も、アマゾンの場合、マーケットプレイスで、中古の方が送料がかかって、余計に高くなる。

 だから、この場合、新品の、新しい新たな、日蓮正宗の正当(正統)な大出版社、大日蓮出版なり、暁鐘編集室の、確か、「暁鐘~」はアマゾンでは取り扱いが一切なかった気がするが、大日蓮出版KKの方は、必ずと言っていい程、取り扱い売っているから、これを利用した方が、大変に良い、と言う事である。しかも、本代のみで、送料は幾ら安くても、今は無料だ。

 だから、日蓮正宗の御本を手に入れる唯一の方法は、アマゾンで、大日蓮出版の御本を手に入れる。或いは、郵送料が掛かるが、暁鐘編集室の御本は、電話で、その出版社の事務所に電話を掛けるなり(メールは無かった気もするが)する。

 それか、うちのお寺、日蓮正宗無量山寿海寺の御本の本棚の販売部、売り場で、直接、買い求める。これが一番、手っ取り早い。

 後は、総本山の出版社、売り場が総本山富士大石寺にあるから、総本山に行った時に、そこで買い求める。

 これ以外に、私が日蓮正宗の御本を手に入れる方法は、この郡山に於いては、全く無いと思う。

 だから、お母さんは、そんなこと言ったら、そんな、本が、中々手に入らない宗教なんて、辞めちまえ、位の事言い出しそうな感じがするのだが、今では実際の所、母自身が、私と共に日蓮正宗信徒である。

 今でも、郡山のツタヤみどり書房桑野店などで、注文すれば、時間はかかるが日蓮正宗御本が買えると思うし、手に入りづらいからって、世に広まらないからって、正か邪かは、これは判別判断は、出来ない。それは、大聖人様の御書にも書いてある。それが、文証となる。

 今の世の中の、現世の、邪教キリスト教イスラム教がこれだけ間違った教えが未だに跋扈して居り、これらの本・著作はそれはそれは、世界中の本を集めたら、大変なもの、大規模になるのに決まっている。

 しかし、それらが、本当に正しいのかどうかは、広まっているから正、正しい、とは全く言えない。

 邪でも、広まる時は広まる。中国の、魏呉蜀の、三国志の、黄巾党の乱の時の話の、中国大陸全土を当時、覆った、間違った、邪宗教邪政治団体のこの世での一世風靡した類の実例は、日本では、邪教創価学会で、実証証明され、現実に日本発のカルトとして、後世、語り継がれてゆくであろう。

 邪教創価学会の存立自体は、果たして、万代まで、否、本当に、百年・二百年後にも存続を図り、その組織体がその後まで継続し、続いて行っているかは、私などには、全く悲観的、その存亡の危機にいついかなる時に自身新興宗教邪教創価教団に降りかかって来るかは、全く判らない。百年後には、邪教創価自身が、跡形もなく、教団としての形は失われ、無くなっているかも知れない。

 伝統宗教に根差さない、新興宗教特有の、あぶなっかさ、常に何を今考えていて、今、何をやろうとしているのか、具体策が提示、一切見えて来ない。常に邪教創価は秘密主義である。秘密主義で自身を統一、定義している。

 邪教創価自身の教義、教団としての、自殺・自滅行為等々、この教団のやる事は常に場当たり的であり、その場限りの言説ばかりなので、いつかは、いずれもボロが出て来て、何かのきっかけで、滅亡、衰亡、衰滅、破滅、廃滅、壊滅、全滅、滅びの始まり、終了、終結、終止、終息、終わりの始まりへのカウントダウンが、既に今、今時に始まって居るのではないのか、と極めて厳しく邪教創価自身を悪評価し、その極悪性を、極悪と判断を下し、破折し、折伏し、断ずるものである。


 以上。よしなに。wainai

ゲームの世界。任天堂スウィッチに見る、その娯楽性、楽しみ。「ドラゴンクエストXI(11)S」の事。

2022年12月23日 10時17分07秒 | 映像・映画・ゲーム・アニメ系
 昨日、アマゾンにて、「ドラゴンクエストXI(11)S」を、ダウンロード版として購入した。
 これは、以前、「a67cd」さんという、「PSゲームblog」というブログを主宰なさってる方に、私が、任天堂スウィッチを買ったと報告すると、真っ先に、このゲームを推薦為されたのが極めて大きい。
 このダウンロードに、機械に不慣れな私は手こずり、夜中までかかってしまった。
 結局、ダウンロードに成功し、夜は安心して眠る事が出来た。
 まだ、ゲームはしては居ない。これからだ。
 それから、アマゾンで、ポイントが付いて来たので、これも任天堂e-shopにて、「机で野球」を安価にて、ポイント範囲内で買う事が出来た。何と、150円である。今なら、大幅割引期間らしい。
 それにしても、ゲームは本当に世界が広く深い。余りどっぷり沼につからないよう、気を付け、節度を持ってやっていきたい。
「あつまれ、どうぶつの森」
「世界のアソビ大全51」
「ドラゴンクエストXI(11)S」
「机で野球」

 以上。よしなに。wainai

創価学会が、人生の、最終形の、究極、極説では全く無い。日蓮正宗御本『諸宗破折ガイド』と共に、語り尽くす。

2022年12月21日 07時40分44秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 私は、以前は、創価学会員であって、創価学会を大々的に信奉していた。それは非常に(財務以外は)熱心な信徒であった。書籍はほとんど手に入れて、自ら、創価学会の教え、教義は身に着けていた。だから、その信者、学会員達の気持ちは、痛い程、分かる積りだ。

 創価学会の文化会館で行われる同中(同時衛星中継放映)の時は、喜んで馳せ参じて、母と一緒にその場で、池田大作さんの最後に出て来る学会指導を、今か今かと待ち続け、その、池田さんの説法の間は、私などは、ずーっと正座で居て、足がしびれても、池田さんの話を聞き続けた。

 私は、書籍は、旧人間革命全十二巻を読破し、何度も何度も読み返した。勿論、新人間革命も。池田会長の、著作はほとんど、目を通し、読んで感動もしたが、後に、それら池田さんが書いたものは、すべて、学会聖教新聞記者や、旧人間革命などは、篠田善太郎さんという、或る書籍出版社社長が書いた、代作書物、皆が皆、ゴーストライターが書いた、嘘っぱちだと判る日が来る。

 しかし、或る時、創価の座談会に出た時、ある婦人部の、私より十歳位上の方が言っていた。「この信心しかない。この信心が、世界でも、日本はもちろん、絶対に真理で、他はみーんなニセモノ。偽信心。これが最上の、最終形の究極の宗教なんだわ!」と。

 私もその時は、確かにそれに賛同する気もあった。そう私も信じていた。その時を限りの場面に於いては。創価は世界に百何か国も広まり、日本最大の宗教団体と、自他ともに認め、政界には、公明党という、心強い、我ら創価学会員を応援してくれる、政治家たちが大挙して国会に今も集い、今では、天下の政権政党、自民党とも手を結び、「自公政権」として、政権与党とまでなって活躍してくれている。

 それに比べて、旧宗門、日蓮正宗、日顕(上人)宗は一体なんだ、C作戦で、我々学会員や、池田センセーをカット(cut)して、平然としている。今では、学会が八百万余世帯なのに、日顕(上人)宗では、その十分の一にも満たない。情けない宗門と、池田会長の世界からの顕彰、表彰され、大学教授資格受賞、一杯勲章などもらっているのを、妬み、嫉妬に狂った日顕(上人猊下)。

 とそれは、それは、モノ凄い勢いで、昭和の頃の、あの、創宗和合の、麗しい、素晴らしい日々を、創価学会自らの手でぶち壊し、打ち壊し、破壊、破戒、破滅、残滅して、残虐の限りを尽くして自ら亡ぼし焼く尽くした。

 決して、創価は、「宗教界の王者」などでは全く無かった。無慙なまでに、それらは、嘘と偽りに満ちた、欺瞞の言説に他ならなかった。

 創価は、実際は実数が少ない。八百万信徒というのも実態を無視し、実数は、およそ、二、三百万人位が信者の実態であろう。神社本庁が、日本人口、一億二千万、一億一千万の内の、五、六、七千万人が、神社神道の、信者、神道なのである。創価学会など、この国内ですら、その後塵を拝する以外に全く無い邪宗教教団・弱小教団である。神社が果たして本来の、本義の宗教に値するのか、只の形を借りた儀式儀礼ではないのか?という問題はここでは置いておいて、話しを抜きにする。(神社神道も、神社の周りの街の総人口を、そのまま、氏子としてカウントしているので、実数・実態は全く度外視・無視されている)。

 大体、創価が世界宗教だというのもどうかしている。創価の世界広布など、全世界百万人かそこらだろう。そんな数、世界大宗教の、キリスト教カトリック・プロテスタント・東方正教会、イスラム教、ヒンズー教なんて言ったら、それこそ、何億人、何十億人が信仰する、モンスター・怪物級の大宗教教団群ばかりである。

 そんな、何百、何千分の一の、弱小宗教が、創価の実態である。

 第一、創価の折伏など、昭和四十年代で、終わりを告げている。彼らは、決して折伏などは、しては居ない。もう、彼ら、創価の、折伏の季節は、終わった。

 何故か。丁度昭和四十年代中頃、出版言論妨害事件というものを、創価は犯す。それに対して、世の議論が沸騰して、創価が大々的に叩かれる。

 それに対して、創価は、「折伏」という言葉を封印して、「仏法対話」なる、軟化路線を打ち出し、創価の折伏行、破邪顕正の、破権門理の、自行化他に亘る折伏教化弘宣の行為、即ち、広宣流布という、それらを目指した一連の一大行動は、この時、終わった。

 それ以後は、会員は、爆発的には増えずに,昭和以降、ジリ貧、横ばいが続いたままである。

 創価にとり、昭和時代の、あの、第二代会長戸田城聖先生から空白の二年の後、その、戸田先生が築いた、盤石な折伏体制に、自身、権力闘争に打ち克ち、周りの幹部たちを金や女で誑し込み、只で乗っかり、自身の権威権力を確立した、青年・三十代の池田大作、その人が、後は、地獄の創価の苦しみへと、創価を暴走爆走自爆運転へと、やがては導いていく。

 つまり、創価学会とは、昭和四十年代の、あの頃の爆発的な会員の増加を見たが、それ以後は、極めて大人しくなり、こじんまりとした邪教団となったに過ぎぬ。数は、その頃のまま、日本の広宣流布など、この団体には、手には負えない程なのかと勘繰る程の、やる気の無さである。

 かつて、日蓮正宗御宗門第六十六世日達御法主上人猊下様の当時の御指導では、およそ、日本人口の三分の一、三千万?位の人々が、日蓮正宗・創価学会(当時)の真剣な真面目な信徒になった時点が、日本一国広宣流布の時、時代だ、と仰られて居った。それに、全然、足りてはいないではないのか?

 創価は、今では、全く、「折伏」に身が入らずに、今までの創価自身の古株の教団内の会員たち、今までの馴染み客相手に、今まで通りに、その宗教内においてのみの、囲い込み・宗教ビジネス・商売をしているに過ぎぬ。

 言ってみれば、只の、時間つぶし、金つぶし、労力つぶしの、三ない尽くしの、やってられない、目も当てられない惨状が、創価の真の実態である。

 やるだけ、やってるだけが、ムダばかりなのである。無駄しかない。

 ほとんど、宗教というよりも、政治団体か、何か得体の知れない、人生修養団体、新興宗教の類ではないのか、全くの話が…!!

 これでは、組織が上意下達、トップダウンの、官僚制・官僚主義ビューロクラシー、管理主義、文書主義、権威主義、形式主義、秘密主義、縄張り主義(セクショナリズム)、事なかれ主義、法律万能主義等々、組織内の硬直化、今現在も突き進む少子高齢化により、人々は組織の歯車に過ぎず、疎外感を増し、やがては主体性も失くしてゆく。

 この創価学会という団体、邪教団に、絶対に未来などは全くと言っていい程、有り得ない。

 それもこれも、全ては、あの、創価学会第三代会長・名誉会長・池田大作の、過てる指導の結果、結論、独裁、直裁、裁断、裁量の全てが間違えていたからだ。池田の指導が全て、狂い、間違えていたに過ぎぬ。

 それを、あの男、池田は、昭和の頃から、一切の自覚の有る、意図的に、野心野望を持って、既に画策しつつ、いつ断行するか、いつ実行するか、と、自分自身に誓い、次第に宗門を裏切り逆恨みに思い、会員を振り回し、日本一国に、我が独立国家「池田王国」の実現、自身が大魔王・国王・国主になる日をいつ来るかと、手ぐすね引いて、待ち構えていた。

 今の創価員たちは、宗門が良かれと思って教導して来た事などを聴く耳も持たない、そんな、池田の個人的な逆恨み、私怨、怨恨、怨嗟を、池田に成り代わって、代理の戦争・闘争に明け暮れているが如くの、全くの時間のムダ、生産性のない、非情な論理で池田の操り人形になって居るだけである。

 それら謗法は、以前、平成の頃から、噂では上がって来ていた。平成二年に、池田さんが、「謗法スピーチ」、というのをやったのだ。

 (実際は、「昭和五十二年路線」という大謗法を、昭和の頃・時代に、トップの池田大作が行い、それも酷い話なんだが、後に日達御法主に特別に許されて、「お詫び登山」という形で幕引きした事件から、尾を引いていた。そう、それ、自身が、日達猊下様に謝らされた事が、後の積年の恨みつらみとなり、それが、日達上人亡き後の、猊座に登られた第六十六世日顕上人猊下様による支配下に於いて、池田が又、暴れ出す始末・所業に至るのである。池田曰く「オレの十年後を見て居ろ、見て見ろ、絶対に許せねえ!!あの坊主共めが!!」これである。元々、池田には、御宗門との確執、個人的な意図的な、勝手気ままな恨みつらみ、全ては自身が悪く、全てが私怨、逆恨み、個人妄想に基づく、精神異常者の狂った者の様なのの権化の塊が、池田さんと言う事の謂れの、実際、事実上の話の全てである)(まるで、オウム真理教の如くの、情けない新興宗教・洗脳教団が、今の、創価学会である)


 <平成の分離独立路線>
 平成二年一一月一六日、池田大作は全国の学会員に対し、衛星放送を通じて、法主上人への誹謗と宗門蔑視のスピーチを行なった。その内容は、
 「猊下というものは信徒の幸福を考えなきゃいけない。権力じゃありません」
 「五〇周年、敗北の最中だ。裏切られ、たたかれ、私は会長を辞めさせられ、ね。もう宗門から散々やられ」というものだった。
 (これ以外にも、猊下の話は、ドイツ語みたいに難解で、何言ってるのか、さっぱり分かんねえんだ、など、謗法路線を敷いて、歯を剥き出しにし出したのは、創価学会側が、最初であり、当初から、宗門に立てつき、歯向かっていった。)
 これら発言は、法華講総講頭(昭和五九年再任)にあるまじき発言であるばかりか、「お詫び登山」(昭和五三年一一月)に於ける反省懺悔の言辞を全て反故にするものであった。

 <教義・信仰の逸脱>
 平成三年初頭から創価学会は、全組織を挙げて法主・宗門僧侶への誹謗・中傷・嫌がらせを開始し、日蓮正宗の信仰の命脈である下種三宝や血脈相伝の否定、僧侶不要の友人葬の執行など、日蓮正宗の教義・信仰から大きく逸脱する謗法を犯すに至った。
 これに対して宗門は、日蓮正宗本来の信仰姿勢に立ち還るよう訓戒を重ねたが、創価学会はまったく聞き入れず、さらに宗内に対する誹謗を繰り返した。

 <宗門から創価学会への解散勧告と破門>
 謗法行為を重ねる創価学会に対し、平成三年一〇月、宗門は「通告文」を送って強く反省を促したが、学会はこれに反発し、法主上人及び宗門に対する誹謗・中傷をますますエスカレートさせた。
 そこで宗門は、もはや創価学会は本宗の信徒団体として認められないと判断し、同月二八日、海外組織である「SGI」とともに「創価学会」を破門した。これは、あくまでも組織そのものに対する処置であり、個々の会員については日蓮正宗信徒としての資格を残す、というものであった。

 <池田大作の信徒除名と「ニセ本尊」作成>
 創価学会は勤行時に於ける観念文を改変し、独自の過去帳を作るなどして、独立路線を露わにしていった。そこで、宗門は、実質的責任者である池田大作個人に対して、弁疏(べんそ)の機会を与えた上で、平成四年八月一一日、信徒除名に付した。
 翌年、九月七日の本部幹部会に於いて会長の秋谷は、浄圓寺(平成四年一一月一二日に日蓮正宗より離脱)所蔵の日寛上人の御本尊を、コピーして会員に授与する旨を発表し、ついに創価学会は『ニセ本尊』を販売するに至った。

 <創価学会員の信徒資格喪失>
 宗門は創価学会の組織破門より約七年後の平成九年九月三〇日、「宗規」の一部改正を行い、「本宗の檀信徒が本宗以外の宗教団体に所属したときは、その資格を喪失し除籍される」こととした。そして二カ月の猶予を設けた同年一一月三〇日を期限とし、創価学会にそのまま籍を置く者は信徒資格を喪失する旨、学会員に通告した。しかし学会は、会員がこれに応ずることのないように指導し、ついに多くの会員が日蓮正宗信徒の資格を喪失し、除籍されるに至った。これによって創価学会に所属する会員は、すべて日蓮正宗とは無縁の身となった。

 <「会則」「規則」の改変>
 創価学会は、平成一四年三月に「会則」を改変し、それを受け、文部科学省の認証を得て「規則」を変更した。その内容は、本尊や教義の裁定はすべて会長が行い、実質的には池田大作を「永遠の指導者」に定めるというものであり、本来、日蓮正宗の信徒団体として認可されながら、日蓮正宗と完全に分離した集団に改変するものであった。
 かくして創価学会は、日蓮正宗とはまったく無縁の新興宗教集団となったのである。

(『諸宗破折ガイド』大日蓮出版発行。p162~164、参照、引用。一部、字の改変あり。()括弧書きで、私独自の言葉挿入あり。一部省略箇所あり。これら水平線以後、後半の全て日蓮正宗の御本「ーガイド」大文字表題の引用以降文章になり、よる。より、前半、水平線以前のみは、その全文(前文・上文)は、私自身個人独自の著作、見解、文章群発表論文論説記事による)

 以上。よしなに。wainai

庶民の味方、「エスカップ」、ドリンク剤

2022年12月20日 08時05分52秒 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
 私は、今まで、栄養ドリンク剤を、リポビタンD、チヨビタ等々、色々替えて買って来た。
 しかし、今のこの、物価高の中、どれも高いのがネックだった。
 けれども、ドラッグストアにて、エスエス製薬の「エスカップ」を見つけた。
 これが、良心的に安い。普通は、十本入りでまとめて六百円位だが、このエスカップは、今だけかもしれないが、十二本入りでその位、消費税入れて六百円位。
 もう、これは、この製品・商品を買う以外に、選択肢は有り得ない。
 朝、これを飲むと、しゃっきッとする(感じ、気がする)。
 私は、虚弱体質というか、大変に疲れやすく、体も弱い方だと思う。
 そんな時に、この、栄養ドリンクは、大変に助かるのである。

 以上。よしなに。wainai


陸上自衛隊郡山駐屯地の極そばに住む者にとって、今回のセクハラ問題について

2022年12月20日 05時45分33秒 | 政治政党・左右政党・国際情勢・時代論・護憲憲法論・日蓮正宗から見た政治論
 うちの我が家は、郡山市大槻町にあり、何と、今般、女性元自衛隊員、五ノ井さんという方が所属していた、「陸上自衛隊郡山駐屯地」まで、歩いて一分もかからず、そこの自衛隊のフェンスに辿り着ける。
 この自衛隊にて、五ノ井さんという女性は、筆舌に尽くしがたい程の、セクハラ、セクシュアルハラスメントの被害を受け、自身、最大限の、心と体に傷、トラウマ、精神的肉体的被害苦痛を受けた。
 私は、日常的に、ここの、郡山駐屯地に勤める、自衛官を見かける。コンビニや、近所のスーパー・トライアル、その他、自転車で通勤している自衛官等々も散見される。
 時折、進軍ラッパというか、時刻を知らせる、自衛隊での定時のラッパの鳴らす音も、我が家まで良く耳を澄ますと聴こえてくる。
 その全てが、これら、セクハラをやったとは思いたくもないが、昔の軍隊同様、そこは男性中心の支配下に置かれ、かなり女性たちは、狭い、苦しい状況下に置かれている事は、想像に難くない。
 私は、五ノ井さんに深く同情する。心も体も傷つき、可哀想だと思う。天下の自衛隊が、女性自衛官に、そんな、寄ってたかって、悲しい取り扱い、悲劇しか生まない機関だとすれば、組織を挙げて、大改革、大変革をし、今後、二度とこんな事、悲劇が起きないような、大々的に革命的に改める努力に心底、取り組まないといけない。それ以外に、これら、自衛隊の、生き残る道は、有り得ない。
 私は、ハッキリ言ってこれは、郡山市の恥だとハッキリ言う。女性の敵だ。郡山市の地元の掲示板に、以前載っていたのは、こんな、セクハラの巣窟の、陸上自衛隊郡山駐屯地なんか、大迷惑でしかなく、大鬼畜の様なおかしな行いしかしない団体なんだから、郡山から早く即刻出ていけ!!郡山には自衛隊などは要らない!!自衛隊は郡山から居なくなれ!!と怒りに燃えた地元民の意見、コメントが載っていた。
 私も、絶対に、二度とこんな、セクハラ、女性も男性も言える事だが、こんな悲劇が、郡山市を中心、舞台として、日常的に行われていた事に、戦慄と、憮然慄然とした、失望と怒りと恐怖を非常に感じ、女性元隊員五ノ井さんの今後の闘いには、大々的に賛同し、同情し、応援致す次第である。防衛省は、即刻、再発防止に、最大限の極みで、取り組むべきである。
 自衛隊、防衛省の、猛省を促したい。

 以上。よしなに。wainai

『冬のソナタ』の『ポラリスネックレス』と、郡山市の、星病院系の『ポラリス保健看護学院』

2022年12月18日 05時33分30秒 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
『ポラリス(北極星)』のネックレス。

 「冬のソナタ」という、韓国ドラマが、以前、今からちょうど二十年位前に大きく日本に於いても取り上げられ、盛んに、NHK総合、NHK-BS衛星放送などで放送されたのを御存じだろうか。
 あの頃の、冬ソナブームは、正に、社会現象と言って良く、まるで、日本のトレンディドラマの様な、日本風の若者たち、日本風の街並み、日本風の車、等々、韓国が日本と同等、若しくは生活水準が上のような、そんなリッチ感も少しはあったドラマだった。
 美しい映像。美しい音楽。素晴らしい脚本。素晴らしい俳優女優陣。彼ら彼女らが語る言葉の、何の違和感もない、丁寧で美しく珠玉の非常に練られた気品ある洗練され凝縮された言葉たち。何もかもが、あの頃の韓国ドラマ、「冬のソナタ」は非常に高い水準で輝いていた。
 その中で登場するのが、「ポラリス」という、ネックレス、及び、チュンサン、後半の、イミニョンの、詰まりはペヨンジュンが、ユジン、即ち、チェジウにあげるネックレスが、この「ポラリス」であった。
 チュンサンも、冒頭の確か高校生の頃の、第一話か第二話では、皆でキャンプに行き、そこで、チュンサンとユジンがペアを組み、道に迷うシーンが確かあった。
 そこで、ペヨンジュン、チュンサンが、あのポラリスを見てごらん、と言って、空を見上げて指示したのが、ポラリスと呼ばれる「北極星」であった。
 あの星を目指し、たどれば、僕たちは、何の心配もなく、道に譬え迷っても、必ず目的地にたどり着ける。だからユジン、安心して、僕らの歩を進めてゆこう、とチュンサン、ペヨンジュンはユジンこと、チェジウを大いに励ます。その後の、この物語の行く末をも、この言葉(ポラリス・北極星)は暗示する。
 後に、チュンサン、後のイミニョンさんは、チェジウに、この「ポラリス」のネックレスを贈り、それがこの「冬のソナタ」の非常に重要なモチーフ、暗示となって、この物語を左右せんばかりに、大活躍する。
 何と言っても、男性としても、このペヨンジュンさんは、非常に柔和で優しい方なんだと、画面を通しても、俄然、判る。こちらがそうと判断せざるを得ない程、とてもペヨンジュンさんは立派な紳士だった。チェジウさんも、その透き通るような白い肌、素晴らしく美人女優さんであり、このドラマを彩り、その彼女の女性として本当に心を込めて流す涙の一粒一粒に、こちらも共感し、感動をもらい、私の涙腺崩壊、非常に泣かせてもらった。
 その、ペヨンジュンさんが、北極星の象徴の、ポラリスのネックレスを、チェジウに、贈る重要なシーン・場面。
 実は、福島県郡山市の、私がお世話になっている(現在も訪問看護でお世話になって居る最中の)星病院の、訪問看護ステーションの元となる、学生さんたちが学ぶ看護学校に、公益財団法人星総合病院附属系列、「ポラリス保健看護学院」と言う、看護学校がある。
 うちに来ている訪問看護ステーションの方も、そこの「ポラリス」出身者だと語っていた。
 郡山市の看護学校では、結構有名な方、部類の、看護学校である。
 私ら親子、母子も、その二十年前の「冬のソナタ」の地上波NHK放映の時、食い入るようにその映像美、音楽美に魅せられ、魅了されていた時、そのドラマで、突然、この、「ポラリス」という単語が出て来て、親子共々驚いた記憶がある。
 うちのお母さんも、当時から、(地元の、私自身も星病院に通院し通って居り、)ポラリス看護学校を知って居り、母が「あんた、ポラリスって、あそこ、星病院の!」私も「うんうん、そうだね」と言って、非常に興味馴染み深く、当時、それら映像を見ながら聴きながら、その物語の展開を追っていた。それだけ、私ら患者、家族にとっても、「ポラリス看護学校」とは、馴染み深かった。
 あの頃は、母も私も大変に若く、お母さんなんて、ペヨンジュンさんに非常に夢中になって、喜ばしく、大変なお気に入りの俳優さんとして、彼の事が何よりも大事に大切に心の中にしまっておく位の、大ひいきの人であった。ああいう人が、母の好みの男性なんだな、と私は一人合点をしていた。母も大変に、ヤングで、若かった。母にとっては、ペヨンジュンさんは、永遠の、正に恋人なんだと思う。
 とにかく、あの頃が大変に懐かしい。私の正に、青春そのものだった、あの物語、「冬のソナタ」は!!どんなに言葉を言い繕っても、あの感動は忘れられない。私の大切な貴重な青春の季節を彩った、非常に懐かしい思い出である。

 ※ここに、ブログ執筆者、Kirakiraさんの、冬のソナタのブログ版の、文書版、書き取り物語り版の、記事、非常に読めば感動する事請け合いのブログだから、私のこのリンクをたどって、是非ともお読みになって頂ければ、幸いである。以下、キラキラさんの、リンクURL挿入。

 以上。よしなに。wainai

Apple Gift Cardで、今度は五千円分で、楽曲の購入!でも、次回は辞退。次は…。(含み笑い)。

2022年12月17日 21時21分09秒 | クラシック洋楽日本邦楽演歌雅楽江戸明治大正昭和平成令和現代歌謡伝統音楽集
 今週は、アップルカードにて、最初は、四千円分、コンビニで、カードに充当して、曲を購入したんだが、yoasobiの、「群青」がどうしても追加で欲しかったのだが、Dellのパソコン上で、それを最後まで、料金が足りないのに最後まで買い物しようとしたら、最後が、クレジットカードの決済を求める画面まで行ってしまい、やばいと思い、帰って来た。
 こちらの、Dellのパソコンでは、不具合は一切ないのであるが、Asusのパソコンでは、再度、何度も、パスワードの確認画面が出ては消えないので、きっと、それが、クレジットカード決済の画面が出ているのに、逃げるようにその画面から退出したのが原因かなあ、と思い、もう一回、コンビニで千円足して買って来た。それで、余計には、表示金額の、額面以上には、決して買わないように今度はした。
 これで、Asusのパソコンで、又同じなら、エイスースPCがおかしい事になる。音楽ソフトのiTunes側がおかしいのも十分考えられるが…。それなら、もう、エイスースのパソコンでは、アップルカード購入の、クラウド化、共同使用は、諦める事にする。(その後、その千円分のカードが奏功したのか、一切、おかしな警告の表示はエイスースのPCからはなくなった。)
 とにかく、購入楽曲は、次の通り。

 ①柴田淳「蓮の花がひらく時」(アルバム、全十曲)
 ②柴田淳「あなたの名前」(ネット限定楽曲)
 ③柴田淳「TOUR2007~しばじゅん、はじめました(Live)」ー「片想い」「月光浴」二曲
 ④YOASOBI「夜に駆ける」
 ⑤LiSA「紅蓮華」
 ⑥LiSA「炎」
 ⑦スガシカオ「Progress」
 ⑧YOASOBI「群青」
 ⑨崎谷健次郎「もう一度夜を止めて」
 ⑩竹内まりや「いのちの歌」

 一曲当たり、255円であり、アルバムは、まとめて買うと若干安い。けれど、以前よりは、アルバムの値引き率が低い。そんなに割引せず、一曲ずつ全曲買っても、まとめて買うのと余り変わらない感じであった。
 この「柴田淳」のアルバムは、中古で買うと、今のネット通販のアマゾンの販売価格では、このCDに限るのか、非常に高いのである。中古では買う気がせずに、(新品はもっと高いが)、ダウンロード版を試した次第である。
 前回、柴田淳さんの、高級ベスト盤に付いて来た自伝本にこのCD、「蓮の花がひらく時」について、思い入れたっぷりに書かれてあったので、どんなもんかと思い、買ってみたが、あの、高級ベスト盤の、全三枚のクオリティに比べては、いけないとは思ったが、あのベスト盤は、彼女の二十年間の集大成の傑作群だから、どこを聞いても、最高の品質、音質であり、最大限の柴田淳さんの歌、演奏、声が聴けるのだが、決して比べてはいけないんだが、この、今回の「蓮の…」は、それ程の感動は無かった。
 しかし、これが、スルメの様な楽曲のようで、アマゾン側のレビューでは、聴いている内に、最初は慣れてなかったのが、皆好きになった、等のファンの声で溢れて居るから、買って損も無かったのかな、とも思う。
 この「蓮の…」のCDは、数年前に、出たばかりの時に、欲しかったが、地元の、ツタヤみどり書房桑野店では、新品が取り扱っては居なくて、その後、その店でレンタルも出なかった。その後、このツタヤのレンタルコーナーは、廃止、廃業し、無くなった。
 今回、このCDを、ダウンロード楽曲版が買えて、ダウンロードは高い方だが、他にも、色々な有名な、最新に近いものから、オーソドックスなもの、アニメ系から何から、様々な楽曲を買えて、本当に良かったと安堵に胸を撫で下ろしている。
 でも、もう一回、買うかと言えば、NOであり、今回の様な大盤振る舞いは、今回だけであり、欲しい楽曲が無い限り、今回のみに、抑えて、控えたいと心から思う。
 今度こそは、郡山市民として、郡山市図書館の貸し出しCDを借りるのを、虎視眈々と、狙えたらなあ、と、狙いたいと思う。自転車で行けば、それ自体が運動になり筋肉も付き、脂肪も落ち、自身の健康、体にも良く、それが一番、安上がりなんだと、野心野望を大いに抱いている。

 以上。よしなに。wainai

高齢者にとって、PC・パソコンとは、魑魅魍魎、余りに複雑不思議な代物、に映るらしい!我が家の母の、私のPC、パソコンへの理解度は、半端なく、良かった!!

2022年12月16日 08時40分10秒 | IT、PC、Windows、マルチメディア、OS、携帯電話、スマホ・電化製品等々
 最近、高齢者の、うちのお寺、菩提寺の、福島県郡山市土瓜にある、日蓮正宗無量山寿海寺の、高齢の女性と、昨日、電話で御話していて、ある、高齢者に共通項、共通点がある事に気付いた。
 それは、例外も多々あるが、皆、高齢者たちは、PC、パソコンに疎い、ということだ。
 それはこんな話が物語っている。私が、一日、何時間もパソコンに向かっていると言うと、そんな不健康で、目も悪くするし、そんな事よりも、テレビを見たり、音楽を聴いたりして、自分を高めなさい、と仰る。
 そこで、私は真実を述べて、PC、パソコンでは、音楽も聴けて、実際に、パソコンに、音楽CDを、それこそ、何千枚、一万枚(曲)単位で、取り込めてしまうんだ、と私が言うと、その高齢女性は、「私は○○君(私の事)の言ってる意味が、難しくて、ちーとも、なんにも判らない。どうしてそうなるのかも、仕組みがさっぱり判らない、本当に難し過ぎて、まるで、宇宙人と話してるみたいだ。」と言って、私の意見など、さっぱり判らない、を繰り返し強調する。
 私は、噛み砕いて、わかりやすく、本当の事なんだ、実際に、私が時々、「CD-R」に焼いて、録音して、皆様特にこの女性に音楽を贈ったりしているのも、皆、このPC、パソコンに入っている音源から、取り出して録音してるんだ、と言っても、ちんぷんかんぷんで、全く訳が分からない風であった。
 そんなもんなのかなあ、とも思う。うちの母などは、私がPC、パソコンライフを堂々と送り、パソコン道を極めているのを間近で知って見て判っていたので、母なりに、私が有意義に、人生、生活を謳歌し、パソコンと共に歩んで楽しんで生きている、生き甲斐にしているのを見て、母として、安心、安堵の、私の気持ちが、一生懸命になって、そちら側、詰まりは、PCパソコンの世界、Windows、マイクロソフト・オフィスの、ワードやエクセル、パワーポイントだの、その他、Macintosh時代の私はMacに凝っていて、そこでの、iPodだの、iTunesだのと言った、音楽関連のこだわりに関して、母なりに、私が集中して自分なりに取り組めるものがある事は、良い事だ、との見解に立ち、母からは一度たりとも、パソコンの事で、文句を言われた試しなど、一言たりとも、一度も一切無い。むしろ、母は、私にとってのPC、パソコンの、最大の理解者、応援者である。
 それよりか、「ブログ」と言う、インターネット上の、万人に向け発表する文章日記の可能性に母はいち早く気付いてしまい、これは一般人が、素人なりに、自分の意見の表明、自己発信の有力な武器になり得るとの、母なりに、早期から注目注視着目していて、母からは、私の文章の書き方等々を、事細かに直接指揮指導訓導を受けたのが、昨日の事のようだ。母にとっても、夢の世界の、自分が若い頃、実現が成し得なかった時代の到来、IT社会の世界を、好ましく、私が夢中になるのも、致し方ないと、むしろ、それを私に鼓舞し、応援し続け見守った。
 母は、私の、ネット意識、ネットリテラシー、PC機器の、パソコンに次第に日頃から使い慣れてゆく、毎日の努力の積み重ね方を、良ーく母なりに見て、観察して、感心し、これは息子にも実際に有益で、成るだけ、世の為、人の為になる様な使い方をして欲しいと、母なりに思って居た事だろう。
 特に、2009年に起こった大政変、総選挙での、民主党政権樹立、自民党敗北下野の大事件の時には、私ら親子は、これはたいへんだと、大騒ぎして、ネット上のその年立ち上げたばかりの以前の私のブログ(これもgooブログ)に、自民党の正義を訴える為に、我が家では母子での自民党応援の大論陣を張って、反民主党の記事を書き連ね、危機感を持って一生懸命になって書きこんで居た。あの日々の事が、非常に懐かしい。

 以上。よしなに。wainai