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進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

"道をひらく"(松下 幸之助 著)を読書中。今日の立て続けの福祉関係者来訪とピアノ練習について

2024-04-26 16:52:15 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
"道をひらく"(松下 幸之助 著)を読む。

"思い悩む 

 人間は神さまではないのだから、何もかもが見通しで、何もかもが思いのままで、悩みもなければ憂いもない、そんな具合にはゆかないのである。 悩みもすれば憂いもする。迷いもする。わからん、わからん、どうにも判断がつかん、どうにも決心がつかん、そんなことが日常しばしば起こってくる。 碁ならば、わからんままに石を打っても、別に人に迷惑をかけるわけではないけれど、人と人とがたがいに密接なつながりを持つこの世の中で、わからんわからんと思い悩んだままで仕事をすすめたら、とんでもない迷惑を人に与えてしまう。 わからなければ、人に聞くことである。己のカラにとじこもらないで、素直に謙虚に人の教えに耳を傾けることである。それがどんな意見であっても、求める心が切ならば、そのなかから、おのずから得るものがあるはずである。 おたがいに、思い悩み、迷い憂えることを恥じるよりも、いつまでも己のカラにとじこもって、人の教えを乞わないことを恥じたいと思うのである。"(松下幸之助「道をひらく」より)


 今日は私にとり、とても人疲れしたというか、いっぺんに、訪看さんと、相談室の長の方が二時台、三時台と来られて、私は大わらわで迎えた。
 その時、相談室の長の方は、ちょっと辛口な受け取り方で、そうやってムスッとした私の対応で、誰も喜ぶ人などいない。もっと、相手の顔を見て、笑顔位見せたら、と言われて、成程、と思うが、私なりに、何かしら、言い訳じみた態度、対応となってしまう。
 本来ならば、相談室の長の方は、水曜が私へのPCのエクセルの講義の日だったが、その日はあいにく長の方は出張で、本日の相談の日となった。
 そこで、最初の訪看さんは、私の体調を心配されて、最近は、コンビニ食と、カップ麺ですか、と言われて何でわかるのかと思っても、私から直接、コンビニで食事を調達している事は聞いているし、ゴミ箱に、昼食べたカップ麺のゴミを見れば、一目瞭然だ。
 それに加えて、心配なさったのが、私の睡眠時間の取り方で、昨日など、夜中の一時頃寝たというと、少し時間をせめて夜0時以前に出来ればベストなのにな、とは言われた。
 そして、来週は通院ですね、と言われた。
 そこでも、私は色々と話したが、私にとっては大事な事でも、後に話す、相談室の長の方は、自慢しいだと言われてしまった、私が元々。
 そして訪看さんが帰られ、すぐさま今度は、相談室の長さんが来られた。
 そして冒頭の、洗礼のような、お客様を迎える態度について、すぐに私の事を叱られた、というか御注意、御忠告を受けた。私なりに、これ程叱ってくれるのは、私の母親以来である。
 だいぶ長い事、話した気がする。その場では、私の買い物が、問題になった。
 私が、何台もラジオ機器を持っているにも関わらず、又買った事に、その方はショックを受けたようだった。それが病気だと。
 成程、とこの時も、私は膝を叩いて唸った。そういう見方があるのだ。これは私が増長し、慢心であったと。
 普通の人ならば、ラジオは一台二台で済むはずである。それが私と来たら、それが際限が無い。これが無ければ、今頃、お金が少しずつ余裕が出来て、今よりも苦しくはならないだろうと。
 私(長の方)だったら、そんなキーボードなんか買わずに、レストラン等で、フルコースの、美味しいものを食べる、と。
 その方には、栃木のKさんも、信頼を寄せる所があり、その長の方への私の苦情をKさんに言うと、その長の方の言葉の中に、私が愚痴る言葉は、皆、私の脳が全てその愚痴、マイナス感情を聞いているのだと言っていたと言うと、その方はきっと、今の話題になっている脳科学者の中野信子さんの説とおんなじ事を言っている、だから、長の方を信頼しても良いのではないのか、とこう、栃木のKさんは言った。
 それ以来、私も、これら、福祉相談室の方々を見直すキッカケを与えられたと自身で思うようになった。
 今回のラジオの件でも、しばらく、私から、あれ買った、これ買った、との声が聞こえなくなったので、その相談室の長の方は私の悪い癖が治ったのかと思ったそうであった。しかし、今日、私は、それを裏切るような、やっぱり無駄遣い、買っていたのだと知り、それ程、怖くは叱られなかったが、白々しい自分が、まるで眼前にいるかのように、そこは意表を突かれる形で、私の目の前に迫って来た。
 とにかく、私の無駄遣いは、これは福祉の方には、知られる所となり、私としても、恥じ入るばかりである。
 この為に、善処をして、生活改善に取り組みたいと考え、望んでいる。
 その他、この日、私が迷惑をかけた、それぞれ、相談室、訪看さん、二名の方に、私からの謝罪状、詫び状も、私から事前に用意して、その場で渡させてもらった。
 とにかく、恥をかく事の多い私であり、その事は、事の後先には、必ず気付く、気付かなくても、時間が経てば、必ず気付く私でありたいと、それら、不義理不知恩をこちら側からしてしまった方々には、非常に申し訳ないと、ここで改めて、謝罪を申し上げたい。
 何だか今日は、謝ってばかりの日和であった。

 ※編集後記・追記
 相談室の長の方と帰り際に、ピアノは習えない立場でしょうね、と私が言うと、勿論、と返され、そんな幾らかかるか、判らない位の、相場なんだと仰る。 
 その方は、親類に、音大卒がいる関係で、何でも音楽の事は御存知なのだ。
 その長の方は、PCのエクセルも、今はただにしているけれど、そんなこと言うならば、有料にしちゃうよと言われて、私はあわてて、あれだけ、実際にマンツーマンで、手取り足取り、教えてもらうと、簡単にエクセルが習得できるのだから、ピアノだって、そうならば簡単に…、と言うと。
 その方は、ピアノは、その技術を一つ一つ、積み上げてゆくのが、お金でそれらを買ってでも、習得してゆくのがピアノの世界である。PCの比じゃないと言う。簡単ではない道が、ピアノだと。練習量が、努力が必要であり、それを上回る程、お金が掛かる。ピアノの方が何よりも難しい。それを私などは、貧者のピアノ演奏家として、敢えて難行苦行の道を行っているんだなあと思う。
 それを、だから、私が一人で、独学で習わないでやってゆくのも、一つの流儀なんじゃない?!とキッパリと言われて、まだこの、いばらの道は続くのか、との、遥か彼方にある、一人前に演奏ができる自分が、余計に遠くなったようで、しかしその、長の方は、やるからには、立派に正々堂々と真っ当にやってみろ、との、叱咤激励を受けたようで、私なりに今日のこの方々との会合と言うか、話しには、自己反省と教訓を先頭にして、興味と関心を引き、非常に勉強と収穫になったと実感した一日であったと思う事、大であった。

 以上。よしなに。wainai、長文失礼。

看護師さんとの想い出シリーズ、或る看護師Iさんとの会話から

2024-04-22 19:48:06 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
 私は今でも後悔しているのだが、(金銭的にも私が損したので)おかしな買い物をしてしまった事がある。
 それは、私はついつい、恥を忍んでこれから言うのだが、その、今から二年程前位に、このおかしな買い物をしてしまった。
 それは、私はその頃から、電子タブレット・アマゾン版を購入していて、その頃から、電子書籍にのめり込んだ。
 その中から、私は、自分が福祉を受けている立場にも関わらず、まるで、私の黒歴史だが、アドルフヒトラーの「我が闘争(上下巻)」を買ってしまった。 
 当時、と言っても、二年くらい前であり、それらの本は、今は紙媒体では売っていなくて、電子書籍のみであった。
 それに、その当時から、その本は、電子版の文庫本の体裁であるが、一冊、千円近いか、千円を突破していたであろうか。
 その本を買った事で、ひと悶着あった。
 その購入した事を、これを当時、我が家に来ていた、訪看さん、訪問看護婦さんのIさんに言うと、大目玉で、何でそんな、ファシズムのドン、原因を作った人、戦争で悪い事をした人の本なんて買うの?ダメ!とこれは、ヒトラーよりもその看護師さんの顔の方が、余計に怖いと言った風なやりとりであった。
 それでも、私は、この書籍は、何とあの、創価学会率いる、池田大作氏の愛読書でもあるんだ、というと、余計に、そんなのダメ、と言われる始末。
 結局、私にとり、この本は、正に鬼門のような本となり、全くその後も、取って置くだけ無駄な如くに、一切、一ページたりも読まなかった。
 それが幸いした。私は、差別的な思想は一切、身につけずに済んだ。
 その後、私なりのケジメをつける日が来る。その電子書籍を、抹殺、根っこからの除去、詰まりは、消去削除したのである。
 買った事実は消せない。しかし、根本から消した事で、その書籍とはおさらば、読む為には、もう一度買う他ない。誰が買うか?という所。
 その看護師Iさんには、私は、何もドイツのあの時代は確かに間違った時代だった。
 しかし、元々の、ナチスドイツの政党も、長たらしいが、なんとか社会主義労働者党と言って、福祉を、特に当時ドイツで社会問題化していた、失業者問題を解決したり、その頃の、ナチス政権下で生まれた車が、世界中に広まった、フォルクスワーゲンビートル。それから、食品では、パンに塗るマーガリン等々、その時代では、全てが悪のように言うが、これはこじつけかも知れないが、悪い事ばかりでもなかったが、確かに、ヒトラーのはやり過ぎであり、特に、高齢者、障碍者、ユダヤ人差別等の人種差別、世界制覇欲は、あれは酷い、酷かった、と私は言った。
 それにしても何にしても、私は世界を見渡してみても、ドイツと言う国が大好きなのだ、と言った。
 それらを、その看護師さんは知らなくて、そういう背景があったのですね、とちゃんと受け止めてくれた。
 そのI看護師さんが、我が家へ来なくなって、今は又そこの長の、私とはタメのWさんと言う方が我が家に来ているが、その方に、改めて、その時の話や、私が今回述べたような、ヒトラーの書物、電子書籍はもう、全部削除した、と言った。
 それに関しては、Wさんからは、どうとも感想は無かったが、私は、自分のお金の使い方を、この時程反省した事は無かった。

 しかし、先々月、二月の、電子ピアノは話が別である。これはこれで、良い買い物、使い道となり得るし、音楽の、ピアノの勉強ができる。楽しみも増えた。
 これは良い縁なのである。これを楽しまずして、芸術は語れない。

 その他にも、私なりに、少額ながら、芸術家・岡本太郎さんの書籍や、最近に亡くなられた、NHKアナウンサーの鈴木健二氏の「気くばりのすすめ」等々を、私はタブレットで毎日時間を見ては読んでいる。

 そして、私は、音楽を聞く事にも貪欲であり、これもアマゾンで、ピアノの初歩の、バイエルだとか、ブルグミュラーなどの、ピアノ曲集を、出来るだけ安価で買い求めている(電子版・中古品含めて)。
 少し高かったが、久石譲さんの宮崎アニメ・スタジオジブリのピアノや音楽も買った。
 しかし、或る現実に直面した。
 それは、それらの一部が、何と我が市立図書館にも、その一枚ならぬ、何枚かは、存在して、既にそこに在ったという事を…。
 それらを借りていれば、ただで聴けたのである。それが私とした事が。
 それらは、郡山市立図書館の、蔵書の検索を掛ければ、一発で出て来る。
 そういうひと手間を省いた私が全て悪い。
 何とした事か、と、敵前逃亡にあった軍の兵隊の如くに、最近はガッカリとしている。

 以上。長文失礼。よしなに。wainai

私の福祉相談室にて「エクセル」を習得学習する!これも大仏法、正法による、信心の功徳と実証の御蔭!

2024-04-17 13:58:00 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
 私の所属する、「A相談室」さんの方や、社協のあんしんサポートさんにも、私が、PCの、ワードは以前、近所のパソコン教室で一月から八月まで習ったから(一か月で、六、七千円以上した。それに別途、千数百円の教材費、千円程度の施設使用料等々も掛かった)、今度は、「エクセル」が習いたいんだ、との熱望・要望を、私なりに、事細かには、それら施設・団体さんには私の学びへの志し、希望を打診し、出していたのだ。その時までは、お金が絶対に掛かるものだと、ずうっと考えていた。

 すると、先週あたりから、「A相談室」の女性所長のKさんが、うちで習いなさいよ、無料で習えるから、うちに来なさい、というので、私は大喜びで、本日の午前中は、長の方のお仕事の邪魔にならない限りにおいて、色々と質問もありで、手取り足取り、迅速丁寧にお教えをこうむり願えたのである。誠に、望外の、有難い限りの極みでもある。

 これも、元々は、入院を勧めた開業医、個人医院のかつての私の医師主治医が、私の薬は1960年代の古い薬を一切変えずに何十年も使い続けて、自信のない自分の薬の調合を大病院に全て丸投げした結果、私が一か月間の任意入院を余儀なくされた。言ってみれば、薬の調合さえ合い出来得れば、必要のない入院であった。

 去年の春、私がもう一度働きたい、との私が発した自然の発露、願いに、この医師は大反対し、それらを私に焚き付けた福祉関係者を、一人残らず電話をこの医師の所へ寄越せ、と私に凄い剣幕で言い渡した。

 それを聞いて、これが決裂点、最後となり、もう、これじゃあ、話しにならない。この医院医師は、私の最良の居場所じゃないと即断即決して、私は、その場に於いて、この病院はもう辞めにする、と宣言。今まで通り、元の大病院に再度の通院を決めた。

 そして、私の症状が安定に向かい、やっと、快方へ進んだと見たこの相談室長の御判断・御裁量に、私は任されるまでになった訳なのである。それへの証拠が今日という日だったのだ。

 来週も、水曜日に私は勇んでそこの事務所に参集する事になっている。自分で、自前のPCを持ち込んでのレッスンである。

 私は、普段はノートパソコンで、タッチパッドで操作しているのだが、所長さんの言う事には、マウスがあった方が断然、尚良い、との事なので、アマゾンで、今は三千五百円以上買わないと、無料で届けてはくれないので、私のは千円台のマウスを買い、それプラス、母のブラウスを、二千円中盤台にて見繕(みつくろ)って同時に、買い物をした。

 これが、最短で、四月の十九日金曜日には届く予定。今からもう、待ち切れない感じ。生活に必要な道具で満たされていく事が、非常に楽しみである。

 今日は、初めてPCのエクセルを(実際上は、過去には、私の二十代前半以降の、雇用促進事業団やら、商工会議所、職業訓練校等々で高度な関数に至るまで、何度か習ったのだが、普段、全く使わないので、皆全て忘れてしまった…)習ったので、とてもうれしくて、こうやって、文章にしている次第です。

 最初に、以前の最近習った、パソコン教室での、腕に覚えあり、を試すために、ワードをやってみたが、問題はなかったので、エクセルへと進んだ。

 何よりも好条件で、無料というのが良い。けれども、只ほどコワいものはない、ともことわざでは言うが。福祉の人だから、悪意はない、と受け取って言っても思っても大丈夫だと。一応、皆、私の応援団となって下さっているから。

 普段、去年と、あれだけ揉めていた、福祉関係者達と私。それがこうして、私の今年初めからの決意・目標「今年からは平和主義者を望み、それを実践・実行に移す」を地で行く私にとって、これらが日蓮正宗の仏法の「実証」、尊い宗是、御教えを森羅万象に映し示す好機として、絶対に軽んぜられない事柄となる筈である。

 尚更、幸せへの直道へと結実してゆかなければならぬ。それがこの信心の踏ん張り所なのである。

 道がない、助けてくれる人がいない、お金がー、と思っていても、幾らでも、人から助力を頂ける事ってあるものなんだなあと、しかし、決して当たり前と思ってはいけない。これは役得でもあり、それらが、私に関わって下さる皆様方が人知れず「神々」と成り代わる、正に、諸天善神となって頂けて、人生の機微、人情に触れたようで、私はニッコリと微笑んで幸福感を味わい、ますます上機嫌になれそうです。

 これを、私なりに解釈すると、大仏法仏教哲学を任ぜられた、私共、日蓮正宗信徒の、大功徳そのもの、御利益そのもの、だとも言い切れるのである。皆、因果応報の理法、原因があるからこその、果報、結果がある。全ては日頃の「仏道修行」の、悪を極めて怖れ慎み、御本尊様にかしこみひれ伏し祈願を致して、大願成就を祈り、大いなる善行の行い実践の積み重ね、全てに、如何(いかん)に掛かっているのだ、と断ぜざるを得ない。

 全ては仏道修行による、自行化他にわたる、「実証」の実践、実現にあり、と見えたり。

 世の中、そうそう、悪い事ばかりは、続いたり、ありはしないのである。それを身をもって体験、体感した一日であった。

以上。よしなに。wainai、長文失礼。

大草原の小さな家「オルガの靴」涙腺崩壊、一話完結米国ドラマ(ネタばれ注意かも…)

2024-04-16 18:41:34 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
 今から、数十年前に、アメリカの西部開拓の時代を描いた米国ドラマで、「大草原の小さな家」という作品があった。

 このドラマの、私は新品を二千円ちょっとで、アマゾンで買い求めたのであった。

 このドラマは、いつも見る度に、考えさせられて、涙を流して泣けるというのか、感動するドラマなのである。

 私が今回見たのは、「オルガの靴」というドラマで、まだ、全部でDVDが八枚ある内の、三枚目の一話目であり、一枚のDVDに三話ずつ入っている。

 私の多忙?な、というか、やる事見る事をちゃんとやっていないのが原因だが、これでも、頑張って、映像には親しんでいる積りなのではあるが。

 やはり、映像よりかは、音声、音楽の方が自分は親しめるなあとは思う。

 そして、今作では、元々、足に障碍を負った、オルガという少女が出て来る。

 大体が、このドラマはいつも一話完結式なのが特徴だ。

 いつもひとりぼっちでいて、この少女の男親や、その祖母も見守って、大事に育てているのが判る。しかし、この父親が、古風で、片意地張った、娘を大事にする余り、娘が仲間外れにされているのだろう、と言って、学校にやるのも一時期は反対であったという堅物なのだ。

 それに対して、祖母は、もっと開放的で、学校に行く事に反対では無かった。

 このドラマの主人公の、チャールズインガルス父さん一家の娘、ローラと仲良しになった事で、変化が見られる。

 父さんのチャールズは、この少女の足が片方短いのを、一緒に遊んだローラから、少し足場が高い板の上でならば、普通にその少女オルガが歩けた事を聞いて、或る考えが思い浮かぶ。

 そして、障碍者用の特別な靴を作る事を、その一家の家にまでチャールズ父さんは出向いて勧めるが、堅物のその家の父親の反対に遭う。

 しかし、娘を連れて、後でその家の祖母が、チャールズにその父に内緒で、靴の製作を頼み込む。

 結果、靴を作り上げて、少女は無事に歩けるように、…。

 その後の物語は、私からは言う必要はないだろう。

 とにかく、この、「大草原の小さな家」というドラマは、泣かせられるドラマだ。いつも感動をもらえる。

 それに、いつも、差別されている者、貧しい者へのエール、応援しつつ、差別に真っ向から反対している。正義を訴える。これが、このドラマの特徴だ。

 私は、このドラマの制作国の、宗教、キリスト教にも原因の一端があるのではないのか、とも思う。

 キリスト教は、聖書を読む限り、弱者の為、応援した宗教の特徴がある。北欧なども、キリスト教国だからというのか、福祉に手厚い。

 決して、仏教が、福祉に弱い訳ではないとは思う。日本も、福祉には、厚く保護している国であろう。

 しかし、あと一歩、足りないな、とも思う。もっと、日本が福祉国家となる為には、もう一段の努力が必要だ。

 私は、日本の仏教、日蓮正宗を信ずるものとして、日本の自民党と手を結ぶ、創価率いる公明党では、福祉とはかけ離れた、自民党のイエスマンの政党であり、イケダ創価私党であり、日本にとって有害な政党であると断ずる次第。

 とにかく、話しが横道に逸れたが、欧米にも負けない、福祉の国へと、日本が成り代わって欲しいと願う。

 以上。よしなに。wainai

今日も母の施設や、市役所支所、郵便局めぐり

2024-04-04 17:01:31 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
 今日はいの一番に、市役所支所にて、住民票を取り忘れていたので、それを取り、郵便局にて、本籍地の定額小為替が母と私の分で、二つ、三百円で、二百円が確か税金。計千円。
 そうして、母に会いに、施設に伺う前に、農協で、母の好きなかんきつ類やらを買った。
 その前に、母が段々、食が細くなっていると言う。しかし、母の担当の職員さんが発見したのだが、母は、バウムクーヘンのような、歯にも負担の少ない、ふかふかの、スポンジケーキのようなものは大好きらしい、との言葉を聞いて、私も、それらに似た商品を、コンビニにて見つくろった。
 母に会うと、いつもの笑顔だが、少し腕がやせたかな、とは思うが、一緒に一座の勤行唱題をした。これを、たったの十五分内で全て執り行わなければいけないと思うと、それが不憫だ。
 とにかく、今日は、あちこち行って疲れた。目まぐるしく転々として、動き回った。
 こんな一日じゃあ、私の体は太っちょのままで、やせたりはしないのだろう。母がやせた分だけ、私が代わりに太っているみたいで、母には非常に申し訳ない気もする。
 とにかく、母子ともに、前を向いて、日々の生活に立ち向かっていこうと、心に決めている。 
 頑張っていきたいとただ、願う。
 以上。よしなに。wainai

福祉相談室長、K女史、我が家へ来訪-今までの事は無しに、打ち解けて話し合う関係性

2024-03-11 15:48:34 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
 福祉相談室長のK女史、が我が家へ来訪した。
 私はちょうどトイレに入っている所で、バツが悪かったが、何食わぬ顔で、対面した。 
 そして、私の話を聞いて、色々考えていた風で、最後には、相手側も、この年になり、あんまり、心臓にも体にも良くない事、一方的であった私であり、もう、本当に私が辞めるのかと思ったそうである。悪い事をしてしまった。

 それでも、私は調子よく、一人しゃべりを続けて、Kさんは、半分、眠くなったように、居眠りしながら私の話を聞いているので、そんなに私の話が眠くなる、説教がましいのかな、と個人的には思った。

 とにかく、その後、福祉まるごと相談のS藤氏にその後の一報を電話で入れると、私からも、個人的に済まなかったと、相談室側へはショートメールでは謝罪の言葉を入れていて、今回、丸く収まったので、良かった、と私もS藤さんも言い、それに対して同意のお言葉も頂き、私は恐縮した。
 
 今日は、私から正式に、謝罪を告白するのは控えめだったきらいがあったのが、それを今は後悔をしている。何度も謝るのが、何か、こちらが引け目を感じて、卑屈になり過ぎるのではないのか、との考えが私を支配する、これも、一種の被害妄想であろうが、謝っていれば、もっと相互の理解も今以上に深まったろうに。
 謝罪する事が、自分で恥ずかしいとの、照れ、もこの年でも勿論ある。有り過ぎる位、有る。それらが分かってもらえないもどかしさ。

 とにかく、福祉相談室長のK女史は、私が、個人的な悩みは、そうやって、すぐムキになって怒ったり、時には涙を流して悲しんでみたり、感情の起伏が激しいのは、これは私の年の初めの、今年は平和主義者で行く、との、想い、理念にも反する行為なので、K女史も言うのだ。それは、仏教的な世界観からも外れた行為なんじゃないの、と。
 
 それ以外にも、私の買い物が、どうしても、アメリカ発の、アマゾンでばかり買い物をしているので、時には、地産地消を心掛けたら、と言われたが、それは私も同意なのだが、今回の算盤は、どうやら郡山市内には売っていない感じだ。昔はやまのいカルチャーセンターがあった時が華だったのに、というと、あそこはなくなったの?と聞き返され、とっくに無くなった、と私は答えた。
 とにかく、市内の文房具屋のどこを探しても、算盤など買えない、というと、大槻の文具房という、大型文具店はどう、と言われたが、あそこも今は知らないが、その、二十何年前に既に私は確認済みで、無い、と言われた事を言った。
  
 とにかく、私のこの、相談室とのお話しも、一時間を経る前に、午後一時四十五分頃から始まったのだが、二時半を回ると、これから三時から、別の約束があるのだ、と言って、Kさんは颯爽とうちを出て行かれた。

 その後に、福祉まるごと相談の電話窓口に電話した訳だ。
 とにかく、今日は、関係性が終わりだと思われながらも、必死で、ショートメールが元で、印象が悪くなったのを、その後の同じメールで、謝罪に次ぐ謝罪で火消しに躍起となり、それが奏功したのかな、との想いが非常に強い。

 一度は許されても、おそらくは、二度目は、許される事などないのではないのか。しかし、私とは、そこの相談室とは、これで何度目の衝突だったろうか。何度か心配をかけている。そこが、私の配慮が足りない所であり、症状、病気の所なのだと思う。

 こうやって情けを掛けて頂いている、その事実、その結果に、ただ、喜びと感謝を捧げなければ、これは、虚妄、恩知らずの汚名を着た事になる。

 これは、相手が女性達だから、私はあと腐れもなく、何とか許されているのかな、とも思うが、そんな性差などは、この場合、きっと関係はないのかも知れない。

 その相談室のK女史さんも、今は、セクハラ(セクシュアルハラスメント)、パワハラ(パワーハラスメント)、カスハラ(カスタマーハラスメント)、モラハラ(モラルハラスメント)、ストーカー行為等々…、と、幾つものハラスメント、つきまとい、嫌がらせ行為が沢山概念が出来上がり、コンプライアンスで法的にも、違反、違法となり得る難しい厳しい時代だから、利用者さんと言えども、昔の様には振舞えなくなって来ている。利用者が加害者と成り得る事共も同時にあり得る事を、強く訴えておられた。

 口は災いの元、とはよく言ったものだ。一時の感情だけで人と話してはいけないのだ。自分の中でよーくと噛んで含んで咀嚼して、考えを巡らせて、用意周到に発言する。その際は、自分に非はありはしないか、を十分弁えて、細心の注意を払って、気を付けて発言をして、それに責任を持つ、一人の大人として。その一言で、誰か傷つく人はいないか、それを良く深く考える事。

 しかし、折伏に於いては、相手におもねるのは厳禁だ。しかし、相手の話にじっと注目し、傾倒、傾聴して、よーくお話を聞かせて頂くのは、これは鉄則だ。自分が語るよりもまずは、相手の言い分を徹頭徹尾、徹底して聞く。聞き役に徹する。

 その上で、反論が必要ならばする。その折伏の正論を述べるのは、相手の話の最後の最後に、こちら側が最終的に打って出る事である。相手の間違いを破折する。決して相手の人格までは否定しない。その依って来たる思想の誤り間違いを指摘し批判しつつ、やんわりと折伏する。
 こういったスタンスが、日蓮正宗の折伏行ではなかろうか。感情的になるなどは以ての外で、御法主日如上人猊下様が常々非難申し上げている、「折伏はケンカでは決してない」を信徒として守っていない事となる。それは一番に、避けなければならない事である。

 昔、孔子は「論語」で、巧言令色鮮し仁、といって、言葉が巧みで、発言を多くする人には、誠の、仁、愛や、慈悲はまれで少ない人が多い。むしろ、寡黙で、言葉を慎み、発言を控えて抑えている人の方の味方を、立派な御仁だと、孔子様は制したのだ。正に、今の議論は、それだ。(おしゃべりの私には痛い言葉だが)

 ただしゃべっていれば、無駄口叩いていれば、思い付きを話せば、いいと言うものでは決してない。そういうのを仏法上でも「愚痴」と言う。言わば、仏教でも御法度の「貪瞋痴」の三毒、小罪・大罪なのである。

 言葉とは余程、選んで人と話さなければならない、との想いを強く懐いた、今日この頃である。

 以上。よしなに。wainai

私の趣味・学習が、いわくつきのものとなるか、それらを見返したら見違える程のものとなるか、伸るか反るかの大一番

2024-03-06 18:15:30 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
 私は自分の趣味や学習が、これ程まで、特に福祉関係者達に、見透かされて、バカにされたような気がして意外に思っている。
 金銭の掛かり方の多寡によって、それらが見劣りするか否かをそれら者達に天秤にかけられているような、変な気分がする。
 私にとり、出来得るべきは、お金が掛からない趣味が良いが、世の中に、そんなに誰もが望み、しかも経済的にも本当に一切金の掛からない安い趣味なんてあるのだろうか。私はお金は掛ければ掛けた分だけ、やがて自分に戻ってくると必ずに信ずる。
 皆さん、私の生活を心配されて、一言言いたい人ばかりのようだ。私自身にとっては、お金が無くなれば潮時、との思いも強い。
 だから、福祉の皆さんは余計な心配のし過ぎだと思う。皆、福祉業界は女性が多く、しかし、去年の今頃は、福祉まるごと相談の、男性相談員の、S藤氏などは、お金の使い方が、リボ払いで借金苦をしていた、あの頃にも似てはいないとは言えないが、実際上は、現金のみでやりくりをしていて、その点は感心であり、心配は要らないのかな、との、男性らしい、骨太の意見を仰っていた。
 私としては、そういった、自由闊達な男性らしい意見を望む。何か女性のような、めそめそとした意見ばかりが目立つ、この福祉業界にあって、その私の価値の評価を上げてもらえる方は、やはり、同じ気持ちの分かる、男性に限られてくるのかな、女性は、どうしても、近視眼的な、事、財政事情、人と人との交際に於いては、中々、大ナタも振るえない、足の引っ張り合いのような、見苦しさも垣間見られるのではないのか。私は女性じゃないから分からないが。
 とにかく、女性差別でも何でもなく、心配をし過ぎるのが、取り越し苦労するのが、女性なのではないのか。それが、私の見立てである。
 
 いつかは、芸術・学問・仏法仏教の「事の一念三千」の実践修行の力で世間の皆様を見返すよう努力しますから、必ず私を見詰めていて下さいね。

 以上。よしなに。wainai

私の肉親の父母の私への教育上の投資を今では有難く想う!

2024-03-06 17:43:02 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇

 私は学生時代から、「地理」の授業が大好きであり、大の得意であった。
 私は、子供の頃から、地図や地球儀に慣れ親しんだ。
 特に、父は、子供の私に「地球儀」を買ってくれて、それを使って、その父の自由な時間からレクチャー、講義をたっぷりと受けた。
 その時、それ以前は、三、四千円位の、それですら高価なものなのに、それでは小さくて、判りづらいからと、今度は、七、八千円も掛けて、私の為に、地球儀を買い求めてくれた。
 その買い出しに行く日は、父にとっても上機嫌で、母には、こいつ(私)に地球儀を買ってやるんだ、と朝食の時から、得意然として、声も上ずっていた。
 そして、当時、神奈川県川崎市中原区の、確か南武線のそばにあった、「ダイエー」で、父と私は歩いて出かけてゆき、無事にその「地球儀」を買ってもらった。
 父にとって、地球儀とは、世界を見渡すに足る、大人としてのマナーを子供に教えてあげる、最良の道具であると思っていたようだ。実際、私はそれ以後、世界のニュースがテレビなどで報じられると、地球儀をくるくると回して、自在に世界観が身について行った。
 そういう、私にとって、父や母が、今までは、私に必ず寄り添ってくれて、何不自由なく、私の教育に対しては、私が心配しなくていいように、私の為になって、教育費を多額であろうと惜しみなく投じてくれた。
 これを、今になり、両親には、言葉にならぬ程の、感謝を捧げたく思う。
以上。よしなに。wainai

今、本音、本当の事を言えば

2024-03-06 15:57:58 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
 今日は、先日来、ここで取り上げている、A相談室長の、K田氏が我が家に午後、来た。

 そうして、こちらから、昨日、無事、そろばんのアマゾンでの注文をキャンセルした事を告げた。

 それから、私のお金の使い方を、その方は説教為された。

 その前から、この、私の目の前にある白いヤマハのピアノを見つめて、そうやって一人で皆決めてしまって、その後、私がヤマハピアノ教室もキャンセルした事等を考慮して、それだって、やる前に、相談してから決めても良く、買うのが早かったのだ、という。

 しかし、私にとっては、この、やがて、88鍵のピアノが必要になる、との、そこの教室の男性店員に言われるまでもなく、自分もその内にと考えていた事なのだ、と言った。

 そうして、昨日今日の、あの算盤騒ぎも、私の全ては思い付きによるものだ、というと、その女性相談長は、思い付きは辞めましょう、という。

 それだったら、と私は言い、食い下がり、全ての私の人生は、「思い付き」で成り立っている、と私は強調して、語った。

 このピアノにしたって、それら、これら、人生上、安高、安積高校や法大、法政大学を受けたのだって思い付きだし、日蓮正宗に入って、今までの創価学会との決別を誓った七年前にしたって、これですら、思い付きと言えば、思い付きだ。

 だから、何も、私が思い付いたのを、そう、目くじら立てる必要はないのではないのか?というと、その相談員長は、お金が絡むから、とは言うが、結局最後は、ぐうの音も出ずに、その論は引っ込めた。

 しかし、せっかく買ったのだから、そのピアノの、曲が何か一曲弾けるようにしたら、と勧めるのだが。

 私は言った。結局、私は思い付きでこのピアノを始めた。しかし、よーく考えると、男がピアノなんて、何て「キザ」なんだろうと、思い始めているんだ。良ーく考えれば、このピアノは今ここにあるが、その、ヤマハのピアノ教室に言われなければ、本当にここには無かったはずだし、その、全ては思い付きだと語った。

 それに、私は、大体において、ピアノなんて弾いている男が私は男としても世間体からしても、キザで許せないと思うし、認められないし、大嫌いだ、とまで言い放った。

 そうすると、その女史は、ピアノに飽きてしまった、嫌いになったってことかねえ、と言い、私は、暴論かも知れないが、そんな風に、率直に思った事を言った。

 私は例え話で、「もしもピアノが弾けたなら」という歌を歌った、「西田敏行」さんが、歌の上ではピアノが弾けないのに、実際は、歌いながら弾いていた事共を語り言い募り、ああいう人が弾けば様(サマ)になって、カッコよい、となるが、私なんかが弾いたって、誰もカッコよい、などとは思うまい、ともうこれは、駄々をこねる子供同然である。

 それに対して、K女史は、wainaiさん(私)の方がカッコ良いと思うよ、何もそこまで言わなくても、と言いつつ、もう手に負えないと思ったのか、これにて終わります、と言って、うちを出て行った。

 そうして、そうやって私のお金の使い方に注文ばかり付けたがる、それら福祉関係者達が、何ともやり切れない、極論を私がここで述べなければ、私としてもやり切れない、元も子もない、と思い、酷い日になったものだと、今日の福祉相談室によるモニタリングは、ここに幕を閉じたのであった。

以上。よしなに。wainai


数年振り IN 星総合病院・オレンジカフェ☆キラリ、へ行って参りました!

2024-02-13 16:01:11 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
 本日二月十三日火曜日は、星総合病院にて、高齢者の認知症の学び、それに伴う、高齢社会の問題を話し合う、「オレンジカフェ☆キラリ」へと、私は一目散に、馳せ参じたのである。

女子大の開成山の49線と、新桜通りと桜通りの交差点。
市役所の通りを進む。
この建物群が郡山市役所。
横切る内環状線とさくら通りの交差点。
ザ・モールの屋並。
こちらは某宗教施設、邪教新興宗教の真如苑。こんな所に行ってはいけない。
ホテルハマツが見えて来た。(自称、郡山の応接間)
旧4号線、今は何というのか?そこと、駅前大通りが交わった交差点。
同じく。

同交差点。
うすい百貨店の中町通り。スクランブル交差点。
郡山駅前大通りを進む。By チャリンコ、愛用の婦人用自転車で。
とうとう郡山駅に着いた。あと少し。
南を見ると、ヨドバシカメラ、100ショップ、島村楽器、タワーレコード等が入った「アティ」が見える。
郡山の名所!ビッグアイ。とGreeeenの緑の扉、ドア。
東部ガスの交差点。ここを右へ曲がれば、高架下の、トンネルが見えて来る。
高架下、トンネルの中。
星総合病院の建物群が見え始める。こちらからは、階段のスロープを登って、向こう岸へと急ぐ。
無事渡った。
もう大丈夫である。星総合病院への道の途上、ここまで来れば上出来。時間も間に合った。
構内は、自転車置き場や車の駐車場等があり、停められる。
いよいよ核心の、「☆キラリ」会場へ。
看板がさりげなく、掲げてあった。
トイレでの一コマ。入ると自動的に、ライトが光る。普段は省エネルギーの為、暗がりである。マスクは医療機関なので、半ば強制であるが、これも致し方ないと、屈服して、諦めた。
ここで「座学」の、本日は「フレイル」についての講義。その前に、軽い体操があった。面白かった。講義は、非常に為になった。「フレイル」は、実は私のような若輩者にも身近らしく、四十代でも起こり得る病気、症例だと知り、それは大変、と、私も興味津々で先生役の職員さんの説明に聞き入った。
それが、午前十時から、十一時くらいまであり、その後は十一時から正午十二時まで「オレンジカフェ」となった。

100円で、お菓子と、飲み物が出た。ここには写っていないが、看護師さんから、お菓子の入った小さな袋をお開きの時に頂いた。ここで写っている赤いお菓子は、おそらくは、利用者さんの皆へ振舞ったプレゼントだった気がする。
もう、九十になられる、Y田さんと久しぶりにしゃべり、初めは私が余りに借りて来た猫のように大人しくしていたので、Y田さんは、この人は一体誰だと思ったと言う。それもこれも、私がこの会合に出たのが、コロナが始まってから、三年も四年も前の事であり、それ以来の再会を、お互い喜び合った。(正にお互いの生存確認!)

その後、私は、そのオレンジカフェが終了後、寄る場所があり、方八町のベニマルで買い物をして、東部幹線をそのまま行き、イオンタウンを過ぎ、昭和町へ行き、或るお寺の信徒の御方の所でほんの少し休ませて頂いて、うちへとこれも又、一目散に、晴天の晴れやかで穏やかで朗らかな諸天も寿(ことほ)ぐ安らかな薫風かおる春の陽気の気候の中を私の自転車を軽やかに思い切り走らせた。
 そうして、安高通り・文化通りの途中の、例の店、パン屋さんのガトーナカヤに寄り、夜食べる分の、今日の夜はパン食だと決めていて、早速買い物をした。以下が我が家でのその収穫物である。中には、郡山名物の、「クリームボックス」という、地元では馴染みのパンがある。これが非常に旨いので病み付きになる。その他、カレーパン、チョコ生クリームパン、ウィンナー入りピリ辛マスタード付き&ケチャップパン、そんな所か。パンには事欠かない、私の今日の買い物である。
今日も程良く疲れた一日であった。誠によろしい日よりであった。満足な一日だった。
以上。よしなに。wainai

※付記
今日持って行った、ハーモニカ類、複音ハーモニカ、スズキハミングメイトは、出さず仕舞い、何度もその場に於いて、Y田さんなどの、ハモニカ好きが集まる会合でもあり、そこで医学的な講義をなさった方も、「ハーモニカって、島村楽器で見ましたが、結構値段がしますね」というと、Y田さんも、「あそこは結構値は張るよ」等々話していたので、私もその間隙を縫って、ハーモニカの演奏をしても良かったが(看護婦さん達には、私の趣味が沢山あって、その内の一つがハーモニカだ、と言うと、皆一様に驚いていたのだが)、余りに、普段からこうした場に慣れてはおらず、おくびにも出せなかったのが、非常に残念であった。しかし、それもしょうがない、と、自身の音楽の技量が、世間様に見せて聞かせる程のものでもない事は、いつものユーチューブで証明されているので、致し方なかった。

それと、Y田さんは、余り、最近の能登地震の募金には不賛成であり、その義援金も、本当にその場に届くのか、その運送費、トラック何台分は、誰が支払うのか、等々を疑難の目をもって見ていて、それは、私が信ずる、総本山富士大石寺も、何となく疑わしいと言っていたので、何を抜かす、絶対に、そんな事はありません。有り得ません、とハッキリとお断り、お答えした。
この、Y田さんは、私の地元の母校の高校の先輩に当たり、私もあんまり、大きな声では先輩には逆らえないのだが、言うべき時は言わなくっちゃとの、先んじて、切っ先を制した形で、その裏腹な彼の言い草を止めて、火消しに一生懸命に私なりに取り組んだ。
とにかく、邪宗の人は、これだから、海や川で溺れた人と同じであり、自分が間違っているのを全く知らない御仁ばかりが揃いもそろっているのが今現在の日本の在り様なのだと、これは、私なりに悟らされた次第です。
再度。以上。よしなに。長文失礼。wainai

久方振りに、母の施設に行く-コロナの騒ぎについての一考察

2024-01-31 18:18:17 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
母の為に途中の自販機で買ったホットレモンや、ホットのコーンポタージュ。母が飲むというそれらが、実際どんな味か、私も実際、飲みたくなり欲して、もう二本同じく同じ買い物を帰りにしてみた。一本当たりがお安く、丁度100円。これらと同じ商品が、この母のホームの自販機でも売っているが、130円~140円位する。途中で寄る通りのそこのその自販機は、当たりのくじ引きのような事もやっていて、私は運良く、二度程、当選して、もう一本もらえた事がある。この時はラッキーだと私は思った。

 今日は、母の施設が今まではコロナ(?!)の為に、閉鎖、面会謝絶状態だったのが、担当の内科の先生が、ゴーサインを出して、面会可能となり、私達親子は、再び、今日の午後三時半に、たった十五分間との制限を守って、親子水入らずの時を過ごした。
 これでも私などは、一時期のコロナ全盛(?)時代などは、永遠に母に会えないのかと気をもみ、泣き叫ぶような感じの、母との面会謝絶の時を、一年近く続け、去年あたりから、徐々に、ZOOM等を経て、やっと面会出来得るようになった。
 その矢先の、今回のコロナ騒ぎ。私は、完全に、そのホームも、共産党系の病院の系列なのに、何で自民党を支持する日本医師会のお先棒を担ぐような、わざとそんなコロナの時流に乗って、騙されているの?貴方方は、政府自民党公明党政権に、完全に騙されているんだよ、と昨日時点でも、私は電話で強く強盛に訴えた。
 それで、今回は、「山が動いた」とも言える。再び親子が会える勝利を勝ち取ったのである。
 それにしても、私は母と今日も、いつ行っても変わらないが、勤行の簡単な行の、実践行の仏道修行の一環としての、日蓮正宗のお寺でも、朝昼の唱題行の時間の初めに唱える、方便品と自我偈(この作法を後の創価は学び盗み獲り、簡単簡略お粗末下品な省略怠惰懈怠(けたい)勤行に仕立て上げたとも言える)を唱えてから、唱題行へと移り、心置きなく、懇(ねんご)ろに母と一緒にお経、お題目を唱えた。
 今後、面会時間が伸びたり、制限が撤廃されたならば、必ず、朝なら五座、夕べなら三座の、日蓮正宗の正規の真っ当な勤行唱題行を母と共に行いたいと望み、思っている。
 その後、私と母は、私が持ち込んだお寺では例の、と言われそうな、パナソニックのPC、Windows11の1TBの仕様の小型パソコンを持って行き忍ばせて、早速、音楽を二人で聴いた。
 何といっても、時間が十五分間しかない。そこで、短い曲集の、「八代亜紀」の昭和の流行歌、ヒット曲ばかりを、二、三曲しか聴けなかったが、私たちは、PCを前にして、それら楽曲をしんみりと、じっくりと耳を傾けて聴いたのである。
 母からは特に感想はなかったが、その曲の終わりの一分前位には、既に職員の方が姿を現して、私どもの間に入り、制限が過ぎた模様、様子、事共を言い募り、我々親子母子を引き離すが如くに、楽しい時間はこれにて終わりを告げた。
 後はいつもの、母の御見送り、私がその皆がいる居間のような、ホールで、私の姿が見えなくなるまで、私と母とはずっと、永遠の別れを惜しむかのように、お互い手を振り続けて、私も後ろ髪引かれる思いをしながら、別れるのである。あの時が実は一番辛い。
 一番の喜びは、母と最初にいの一番に序盤で逢えた時。この時程、待ちに待った時は絶対にない。この最初の逢えた喜びで、私の一生分の喜びが爆発すると言ってもいい位、喜びに包まれる。
 その後の、最後の、あの、母はいつも笑って私を見送ってくれるのだが、あの場面が、私にはきつく、辛い、最も悲しい場面である。もっと家族水入らずでいられないものか、との、今の仮病じみた、「コロナ」が憎らしくてたまらない。
 それらの鬱憤が溜まりに溜まって、今の自公政権への憎しみ、それら、日本医師会との癒着、賄賂、リベートをもらって、最大限の圧力団体として政界に君臨する同医師会を個人的に恨み、憎む。私は絶対に、こいつらのカラクリ、まいないを受け取り捧げ合い、利益を享受しているこいつらを、絶対に許しはしない。金輪際、こんな癒着関係、それは、コロナワクチンを開発して、アメリカから輸入して、在庫が大量に余り残り、その七回八回と、特に病気と称する発病を気に掛ける年寄り相手に、ムダに注射を打ちまくる、政府自民公明党とその一番の責任者の首相岸田、その他の、アメリカからすでに買い付けたワクチンを、返す事も出来ずに、日本人をまるで実験台の如く、踏み台にして、暴利をむさぼる、ファイザー社、モデルナ社他の悪徳企業が、ワルの巣窟だ。
 このファイザー社とは、私が聞いた話では、中国がまだ清だった頃、アヘン戦争で、このファイザー社の前身だか何だかが、アヘンの商取引を行っていた張本人の会社だったと、私は何かで聞いた覚えがある。これが本当ならば、相当な悪徳企業だ。アヘン戦争の当事者が、現代でも、コロナにかこつけて、又もや人々を副作用だ、副作用による病気発症だ、被害者死傷者まで出したと騒ぎを引き起こす。
 それを知ってか世界中で、こんなに、いまだに、コロナの予防注射、ワクチンを打つ者は、日本人だけだと言い、まだ、第十波だ、第十一波だ、と、これは詐欺どころか、悪質なドロボウ企業による、日本という国を亡ぼす基じゃないのか。
 とにかく、騙されやすい高齢者、それから、このワクチンを打って死んでいった犠牲者、皆が皆を不幸にするだけの、悪徳企業、悪徳政治屋に騙されたが最期、骨までシャブられる。怖い話である。
 私の母は、もう、これだけ打っても、まだワクチンが打ち足りないのか、と言わんばかりであった、五回目だか、六回目を境に、福祉関係者たちにはそれまで、予防にはなるんだからと余計な心配をされて、打ち続けては来たが、その今言った回数で、打ち止めにした。
 しかし、その副作用が、今後、どういった成り行きで出て来ないとも限らず、それをひたすら怖れている。それら指導が、自民公明系の施設ならばまだ分かるが、共産党系の施設でさえも、そうした国の指導に従うというのは、共産党も、日本の保守層とおんなじ構造、形を持った団体だという証明じゃなかろうか。だから、私は、自衛隊は、日本共産軍として、やがては改組され、組織編成を、洗脳教育を施した上で、やるんだろうな、と今から踏んで考え続けているのだ。これは私の一つの持論、確信論である。必ずそうなる。共産党が政権を獲る時代が来るならば。
 とにかく、もう、そんな、コロナだ何だといった、感染症ごっこの、お遊び、マスクをしていれば無敵、などという、子供の戦隊ヒーローの変身願望のような、マスクを身に着けただけで、自由を得た積り、実はそのマスクに拘る余り、不自由さを手にしているのだという事だけは、一般の人達や、それら医療福祉関係者達には、自分の頭で実際に感じて考えてほしい。あのマスクの、布の繊維の網目の中の、どこにそれら、ウイルスの一つ一つから、我が身を守る手立て、仕組みがあるのかを。どこにも、本当本来ならば、防御の仕様のない事等、子供でも分かるのではないのか。
 要するに、子供の童話の、「裸の王様」と相似、同じなのだ。マスク姿は、自分一人悦に入り、良しとして、周りの多くの人から(特にコロナから解き放たれた自由な外国から来た人や、特に田舎じゃなくて先進的な東京などの都会の人から見れば)バカにされるのがオチなのである。
 もう、こんな「(なんとか)ごっこ」など、お互い、やめようではないか。そう思わない方が、むしろ不健全であり、おかしい。狂っていて、クレージーである。私は、この国の腐った時代の現実・現状から、早く、いの一番に、一抜けたしたいと思い続けて今に至っている。
 この世にはびこる、悪党共を憎み恨む!与党・自由民主党・公明党政権、それらに付随した、日本医師会・支持母体の邪教創価学会等々の、圧力団体の全てを!!早くこの世から綺麗さっぱり消え去りいなくなれ、悪党共よ!!!
以上。よしなに。wainai


1/9火曜日受診日、女医先生とのお話し

2024-01-11 13:58:48 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
 今年2024年令和6年1月9日火曜日、私は星ヶ丘病院へ通院日で赴いた。
 そこで、診察を待っていると、それ程待たずに、I女医先生の私の新年の初受診となり、新年の挨拶とともに、色々、話した。
 そこで、私は今年の一月一日に、アマゾンで、カシオの電子ピアノ・キーボード、カシオトーンCT-S1を三万八百円で買ったことを言うと、あれ、この間、たしか、ヤマハの電子ピアノ・キーボードも買わなかったっけ、と突っ込まれ、それは本当にいい機種なんだけれども、たまたま、ユーチューブで、街角ピアノや駅ピアノで最近ピアノ奏者、ストリートミュージシャン的な立ち位置の、若い女性ピアニスト「ハラミちゃん」が、その、カシオのピアノの宣伝をしていて、その音が素晴らしく良く、そのデザインにも惚れ込み、遂に買ったんだ、と言った。
 すると、「まあ、〇〇さん(私の事)たら!」と先生は仰り、私は、本当に音が素晴らしいんだ、儲けものの電子ピアノなんだ、と熱を入れて語った。
 そうしたら、その前、先月か先々月かの受診の時も、その、ピアノの話で私たち女医先生と私は意気投合しており、先生は、昔、子供時代から、十年以上、ピアノを実際習っていたという。その時私は知っている限りのピアノの知識を言って、バイエルも、チェルニーも、ハノンも習ったのですか?と聞くと、そうですよ、と先生はお答えになった。私(先生)もピアノが趣味なんだよ、って。
 昨日も、私が、高校時代はクラビノーバも買い、先々月買った、ヤマハもいいんだが、今はカシオ派なんだ、というと、先生も、以前はヤマハクラビノーバだったが、今のお気に入りはローランドなんだ、と言った。
 私もあらん限りの知識を持ち出して、ヤマハ、ローランド、コルグ、カシオ、その辺が有名どころかなあ、などと話して、先生とは話が合うなあ、先生が私に合わしてくれているのか、否、そんな感じは微塵も感じさせずに、楽しい診察のひと時となった。
 全国の病院で、こんな、ピアノの趣味の話をしている私たちのような先生と患者の関係性は、余りに珍しいだろうが、私には非常に息抜きともなり、楽しく面白い先生だと思う。

以上。よしなに。wainai

Panasonic レッツノートを持って、母の施設に行く

2024-01-06 12:08:54 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇

 私の今年からの新たな軽量で小型、小回りの利く、記憶容量も1TB、1000GBある、日本製のパナソニックのレッツノートを、私の午後の訪看さんが我が家から帰った後、急な話だが今から行くと母の施設と土壇場でアポ取り、面会の予約を取り、母の施設に自転車でリュックにPCを入れて背負って持って行った。
 母の施設では、いまだに、面会時間が十五分間と、コロナ以降から、制限されている。こちらも、訪問の際は、マスク必着、という不自然さ。
 それでも、母に会うと、母は自分の部屋のテレビで、たしか、NHKテレビの、みんなの歌、というのがやっていて、それに夢中みたいで、一緒に声を合わせて、楽し気に歌っていた。
 私もしばらくそれを見ていた。そうして、その時間のちょっきりの、午後三時か四時位には、ニュースの時間であり、そこでは、石川県能登半島での、心痛む、能登半島地震での、死亡者が確認されたとの、悲痛なニュースが流れていた。
 テレビを消して、母との、法華経方便品と寿量品自我偈の、日蓮正宗の簡略な読経唱題のお祈りを済ませ、母と一緒に、それら、地震被害者たちへのご冥福とその復興を一心に願った。母も少したどたどしいが、一緒にお経、お題目を唱えた。
 それから、私が持って行った、その前述のPCを母の机というか、用具・物入れのテレビが載っている台で、私のごく軽量でかさばらない、パナソニックのレッツノートを置いて、そこで、私はiTunesの、音楽を掛けた。ビートルズの音楽である。
 母もその場で聞いていたが、特に感想などはなかったが、パソコンを開くとき、画面にアルファベットで「Panasonic」と映ったのを見て、母も「パナソニック!」という声を上げていた。
 そのビートルズ音楽は、たった十五分間という、短い時間に掛ける音楽などたかが知れている。だから私は、ビートルズの代表曲の、「レットイットビー」「イエスタデイ」「ペニーレイン」の三曲の、誰でも知っている曲を掛けた。
 ビートルズで悲しいのは、ビートルズの代表曲といえば、必ず、ポールマッカートニーの作詞作曲に限られてしまうことだ。他の、ジョンレノンやら、ジョージハリスンの曲じゃない。しかし、彼らも頑張ってはいるのだが…。
 しかし、彼らが解散して、ソロとして独立した時、ジョージハリスンは真っ先にソロ活動、レコード発売に踏み切り、彼らの中では、第一番にスタートを誰よりも早く切った。そこで「マイスウィートロード」などの傑作群の楽曲を生み出した。
 ジョンレノンも、今は平和を願う歌として、必ず人々の脳裏に刻まれている「イマジン」、クリスマスシーズンによく流れている「ハッピークリスマス(戦争は終わった)」等々、ビートルズ時代よりもその活躍の場を広げ、ポールマッカートニーもソロ時代は名曲は多かったが、これらジョンレノンの代表曲には、少し見劣りもする感じだ。何てったって、代表曲という第一点で、ポールは皆、平板無難な曲、魅力的な曲ばかりがポールの真骨頂であるが、今いち、彼の代表曲といえば、やはり、ビートルズ時代が最高潮であったと言えまいか。
 クリスマスソングを、ジョンもポールも作っているが、その軍配は当然にジョンレノンに上がる。ジョンのクリスマス曲は、二十世紀のクリスマスソングの中でも、最大一の、優秀な楽曲だ。これに類するポールのクリスマス曲は、何だか、ジョンの曲を聴いていると、かすんでしまう。
 とにかく、母の施設では、職員さんのお話だと昨日はお餅が振舞われ、それも今は、のどに詰まりにくい、口の中で程よく溶ける、それでも、お餅を食べた感覚が味わえる、特殊なお餅、たしかお雑煮が振舞われたとか。母が大事に職員さん、施設の中で大切に取り扱われているのを見て感じて、安堵安心した。
 今年の初めは、今回は、母のところに日蓮正宗無量山寿海寺と東邦銀行のカレンダーと、途中の自販機で買った、ホットレモンと、ホットココア二本を、それとゆったりめの母の肌着を母のところに届けて来た。正に良い、空もそれに増して暖かく晴れた、正月を寿ぐにふさわしい、絶好の一日であった。
以上。よしなに。wainai

Re: Re: 本来ならば、ごめんなさい、長文失礼。wainai

2023-12-16 10:23:19 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
※おことわり・おふれがき、このブログ記事について。

これは、私と栃木のKさんとの間で交わされた、
私の心の悩み揺れ動きに関する、
一筆したためた、メール文章群です。

これを公表することの意義は、第一に、
私の今後の人格陶冶、人生勉強の一助となり得るものと、
自身、感得いたしまして、
これを世に問いたいと思う。否。受け取る人、側の自由な裁量に任せる。

何より、私の信心の深化、進化の為には最大限の、
成長に利して、欠かせない程の滋養に富む、お話しである。
それに着目している、私である。これら文章群の、私にとっての、
最終結論、最終目標は、皆、仏道修行、それも、日蓮正宗の、根本尊敬(こんぽんそんぎょう)の、
自行化他行、勤行唱題行、御題目の祈りの大事さにどうしても収れんして、行き当たる。これが私の宿命使命、定め、の様なもの。
私には、これしかない。有り得ない。

以下、このメール文章の、栃木のKさんへの、
メール使用の承諾を得ようとしたその刹那に、
もうすでに、私は見切り発車で、動き出している。
非常にKさんにも申し訳ないが、これも私にとり致し方ない。
Kさんも、御許し願えるであろう事を祈り念じつつ、
この文章群を公表発表致す事とする。以上。以下にその文。


(栃木のKさんの私の要望に対する、Kさんからの一言、返答メール)
2023/12/16 土曜日 11:22

OKです

(私:内心、良かった、了承して頂いたと、ほっと一安心!)

(私のメール文)
2023年12月16日(土) 10:22

このメール文章群、私のブログへの転載の一助として、
使わせて頂けないでしょうか。
勿論、氏名、等々個人情報は伏せたままで、
私にも、私の成長に利する事、大でありますので、
その旨、宜しくお願い致します。

wainai、より。栃木のKさんへ。


----- Original Message -----

From: "Kさん" <>
To: "wainai、メール" <>
Date: 2023/12/15 金 16:09
Subject: Re: 本来ならば、ごめんなさい、長文失礼。wainai

(Kさんのメール文)
最近寒くなって、11時過ぎから1時間ほど散歩に行くこともあって
出られなかった(電話に気づかなかった)かもしれませんね。
なので、今は午後1:30から2時頃がいいかもしれません。

ところで、今日のメールの内容興味深いですね。
お二方のご意見はどちらも正しいと思いますよ。
すなわち、
言葉のキャッチボール(=コミュニケーション)がうまくできるように
自分を変えていくよう努力することも大事なことであるし、
そのために無理することもないという考えも正しいと思います。
まとめて言えば、
結局、修行(祈り・唱題)によって自ずと解決していくということです。
悩むようなことではないと思います。


2023年12月15日(金) 15:55 <>

(私wainaiのメール文)
本来ならば、十二時前後、昼に電話を掛けるのが、
礼儀と言うものなのでしょうが、
誠にすみません。昼過ぎ三時頃に、掛けてしまいました。

先日、お昼はこの頃、散歩に出歩いている、と聞きましたもので…。

実は、本日、福祉の方々、お二人がまたまた、
我が家に来られまして、
その対応に今の今まで、
追われて居りました。

その時に、一人の相談室の年上の方が、
wainai君は、喋りが過ぎる。
黙っている時間も必要、と言いまして、

私も反省致しました。

私は、お寺の御住職様の御意見御指導で、
「聞くは仏法の始まり」「言葉のキャッチボール」等の、
お話をすると、流石は仏教者、とでも云うような、
私の場合、お寺に通って勉学、研鑽に励んでいる強みがあり、

多少、私に厳しめの御意見を受けても、
そういった、仏法に基づいたお話をすると、
しばらく、皆を黙らせる、と言うのか、
考えさせる言葉をも、私は独壇場で、話せる訳です。

その、第一に、私が責められた、その一人の、
福祉相談室の割と年上の女性が帰られた後、

今日は訪看、訪問看護の日でもあり、
訪看の長をやっておられる、
私と共に、同じ年位の、タメの、看護婦さんは、

私は(その看護婦さん)、wainaiさんが、
必要以上に、今のスタイルを変える必要性はない、
私(wainai)のような、一方的に話してくれるような方を求める、
方々も実際居られて、ある所では場面では、貴重で、人気者にもなれる可能性もあり、
そういう需要は、実はこの広い世の中、一杯あり得る。

まあ、相手の言う事を聞くのは鉄則なんだけれども、
今のwainaiさんが、それ程うるさいか、というと、そうでもない。

私(W看護婦長さん)から見ても、特に異常、と言う程でもない。

だから、そのまま、自分を変える必要もないのではないか。

と、その看護婦さんは仰る。

そうして、私の悪乗りかも知れませんが、言ったのが、
ラジオなどでは、言葉をラジオ放送で数秒から数十秒間、
沈黙させたら、これは放送事故となり、大変な、始末書書かなくちゃならない。

それには、最初にその場にいた、福祉相談室のKさんと言う方は、
何もwainai君は、アナウンサーでも何でもない、と言っていましたが、
私はその方が帰った後、言ったのが、

結局、私のユーチューブチャンネルの登録視聴者数が、
二百四十人を越えている。今は確かに、少ない方かも知れないが。

この、重大で、これだけの私のファンが、実際にいるわけで、
この方々が、私の背景、バックにはおられる以上、
話し好きな私、で通っている。正に。

その、相談室のKさんと言う方は、
私がおしゃべりなのを嫌う人もいるし、
実際、聞いていると、イライラする、と仰ったが、その方は主に、
人の言う事を聞く事を強調された。

しかし、これは話が平行線になるのだが、
この、先程まで最後までいた、
看護婦長さん、私と同じくらいの年の方は、

無理して、自分を変えようとしなくても良い、と仰る。

どっちがどっちなのか、私には自分でも計りかねる、というか、
困った命題を与えられたなあ、との念慮しかないのです。

まあ、ひとそれぞれ、受け取り方には、千差万別、
いろんな感受性の方がこの世にいるんだな、
という、人生勉強にはなった、今日の午後の一日でした。

以上。よしなに。wainai


不倶戴天の敵、現時に於いての私の見識、見解! ※長文失礼。先日の書き残し文。←今は全て解決済み

2023-12-05 18:43:51 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇

今日は、星ヶ丘病院へと、自分から、昨日に今日の診察受診を予約して、今帰って来たばかり。

 お薬を替える為。ところが、それらお薬が勿体ない、今までの薬は替わるが、後一週間分は我慢して今までのを飲んで、と、一週間早く来すぎた私も悪いが、と仏法の慳貪の罪を犯しかねない、主治医の先生の判断に、私も異を唱えたが、やはり、勿体ない、という先生のご意見を最後は聞いて、それプラス、今年も師走を迎えて、来年来月初頭までのお薬をもらって来た。

 (中略)(省略)

 私とは、悲しい形で別れた、訪看、訪問看護の、Iさん。この方は、私は,色々と、現在、我が家に来てもらっている、Wさんという、このIさんよりも年上であり私とはタメか、同じくらいの年齢の、お互いの話題が妙に合う、長をこの看護師事務所で務めているお方から、その時の以前からの模様は、割かし、沢山、詳しくその時のいきさつ、詳細を聞かされている関係があるから、恨みは全く無い。

 これは断言でき得る話。やはり、全ての物事の相互の理解、問題解決には、自他共の、数多くの物的な情報量が相当、断然、当然、必要、必須、必然だね!

 それは、母の施設にも、このIさんは来ていて、いつだったか、施設の来訪者のメモを見ると、Iさんと、その訪看事務所の名前を見つけて、いつかは会うだろうな、とは確信をもって思っていた。

 それが、先々月辺り、実現した。向こうから、私が気付くよりも早く「○○さん!こんにちは!」と言い、私と目が合いそうだったが、私は敢えて目も交わさずわざとそらして、合わせずに、会釈だけして、その場を切り抜けた。あっという間の、ニアミスだったが、それ以上の事は、なーんにも起こらなかった。それで良かった。

 ただ、私はその後、そのIさんを、悲しむ、というか、可哀想な人、私を心底から理解する事に失敗した人、人種、といった、憐れみ、のような、仏教でいう、慈悲とは、慈しみ悲しむ、とも書くが、悲しんで、ただ、その時が過ぎるのを見守りつつ、去り際を惜しむ事も無く、ただ、去ってゆくのを待つ。
 
 その、音も立てずに、仏教的無常観でこちらは打たれ満たされた。勿論、無論、軽蔑の意味ではない。一期一会。諸行無常の、仏教的仏法的な世界観である、あくまでも。

 それだけの、縁でしかなかったのだ。私共、元々、私達の間の、間柄、詰まりは、「縁」とは、それきりの、物悲しい程の、宿業、宿命という、一瞬にして終わりを告げた、因縁果報の、因果応報の、関係性、付き合いでしかなかったのだと、その時にハッキリと自覚し理解した。

 だから、私と看護師・保健師Iさんとは、もう、清算された関係に終始しているしこちらも、もう、何のわだかまりもない。有り得ない程、すがすがしさ、清々としている。

 ただ、その、今までの、濃密だった、お互いのやり取り、からすると、この場合だったら、Iさんなら、こう言うだろう、等と、女々しい事などを、今現在の私の担当看護師長の方には言う事も多い。

 それだけ、私としては、Iさんと出会った時から、深くその看護学に透徹、通底した学識に、私なりに、感得し、御尊敬し申し上げていた部分があったのは事実だから、これは隠しようがない。隠し通す積りも必要性必然性も毛頭ない。ただ、立派な人だったと。出来た人だったと。それを私は最大限、褒めている。

 ただ、もう、終わった話は、これ位にしよう。早く忘れようと思う今日この頃だ。記憶が良いのも、その使い方によると、間違って記憶力を異常に発達させたり、異常な記憶力は、人生に間違いを、不幸を、起こすんじゃないか、とさえも近頃は思う。
 

 私の人生の作法・流儀・生き方は、まるで戦前の日本の、清(日清戦争)や、ロシア(日露戦争)、米英仏ソ中の連合国を敵に回した、日独伊三国同盟を枢軸国とする、最悪な結果結末しか生み出せなかった、第二次世界大戦・太平洋戦争・大東亜戦争をついつい想い起こしてしまう。

 あの日本の無謀な、戦争に勝てるという、戦略、勝算の何もない、ただのインチキ戦争の、あのキナ臭い戦争に、ほとんどバカみたいな戦争に、あくどくえげつないあんな愚か過ぎる戦争に、私が歴史からは何も学んではいないな、とは思う。

 しかし、自分をあの、大日本帝国になぞらえる程、私は大人物でも、大失敗者、大戦犯、でもないのではあるが。失敗者ではあるか。愚かさ、物に狂った点が、日本一国と私という自分とを、何故か、同一視してしまう自己自身が確実に自分の心の内に居る。

 ハワイ・パールハーバー、真珠湾攻撃という、やけのやんぱちをやる、すぐにやりかねない、やりたがる、自身の軽はずみな野蛮性などを見て聞き思う限りにおいて。

 それが、自分の人生において、どれだけの大きな損失を生み出すかを、私自身、もっと真剣に考える事だ。

 どんなにひ弱で、卑怯と思われようとも、私の生き方は絶対的に「平和主義者」である事だ。何なら、自分を守るため、その修羅場、争いの場から一人、一目散に逃げ出したって一向に構わない。

 逃げるのは恥でも卑怯でも何でもない。自己を最大限に守るための誇りと希望と自己防衛だ。潔くその場から逃げよう。人目など一切気にはせずに。大義名分はしばらくは置いておいて。

 何か、私の生き方は、時として、戦前戦中の軍国少年青年壮年の様な気がしてならない。絶対に勝つ。欲しがりません勝つまでは、と。一億総火の玉だ、とかすぐ、ムキになり、腹を立てる。悪い性格だ。これこそが自身の人生の目立つ眼前にそそり立つ、障碍、罪障だろう。

 何事も勝負ごと、何でもかでも勝ち負けにこだわり結び付けたがる悪弊、クセは、受験生時代に身につけたものなのか。日本最大の新興宗教と巷(ちまた)で流布される、邪教創価学会のせいなのか、現時に於ける世界に冠たる世界支配大宗教、キリスト教に、その一端、典拠を求めて、習い性となってしまったものなのか?果たして?如何せん、と。

 決して、怒る事が悪い事ではない。と、アンガーマネジメントの本にはちゃんと書いてある。生物生命の、本能が、怒る、という行為そのものである。この行為によって、生物は自分の命を守って来た、何億年という怒りの生命の歴史がある。だから、正当なる怒りは、アンガーマネジメントでも認めている。

 ただ、問題は、その、怒りの起こり始めの方法や、場面での、相応しい怒り方なのか。自己満足的なる怒りは良いのか?ただ単純に、自分の気持ちが治まれば良い怒り。言ってみれば、瞬間湯沸かし器の様な怒りはこの世、この五体には存在せず、段階を経て、怒りというものは、起こる、という。

 それは何事にも、その人に「~であるべきである」という「べき」が一番邪魔をし、悪事を為しているらしい。本人がこだわりがあり、こうあるべきだ、とか、こうするべきだ、とかいう、それを傲慢にも自己の慢心からも他者にも絶対的に求めてしまう。この「べき」が人間を悩まし、人間関係を破壊する、と、アンガーマネジメントの本には書いてあった。

 だから、表題、題名、題目ともいうべき、テーマに、私は、おもむろに、「不倶戴天の敵」などと書いた。

 この、「不倶戴天」とは、日本の国民的辞書の、広辞苑によれば、
[礼記(曲礼上)「父の讐(あだ)は与(とも)に天を戴(いただ)かず、兄弟の讐は兵に反(かえ)らず、交遊の讐は、国を同じゅうせず」](父の仇は必ず殺すべきであって、共にこの世に生きてはいない意)命をかけても報復しなければやまないほど深く怨むこと。不同戴天。ぐふたいてん。「-の敵」

 これ程の怒りは私も持たないが、それでもそれに近い怒りは持つ事もある。

 だから、私は、本や書籍で、人間が変わるとは思えないとも思うが、それでも、何かの役には立つ。そう、やはり、真理真実において、文字で人の人生は変わり得る、救われ得る、との立場に我は立つ。敢えて立ちたいと私は考える。

 儒教や仏教などは、その教えに文字を立てている。文字により、仏教などは、悟りも開けるのであり、それは、御本仏宗祖日蓮大聖人様に言わせれば、不立文字などと言って、自分一人が仏の如くに振舞う自力主義の、曹洞宗や臨済宗などの禅宗こそが、この世の害悪悪行にしかならず、本などに書いてある文字に依らず、一人良しとして、いい気になっているから、(そのくせ、その「不立文字」の言葉も、偽の経典の文字に因るのであり、自己矛盾もいい所だ)「禅天魔」と大聖人様は厳しく「四箇の格言」で罵られ戒められて、お叱り遊ばされたのである。

 とにかく、この稿に於いては、もっと、個人的な恨みを、これでもか、これでもか、と暴き立てる積りで書き殴り書いてやろうと意気込んだが、最終的には、図らずにも、落語のオチというのか、仏教的平和的世界観から、落ち着く所へ落ち着いてしまいました。私にはもう、恨む相手などは、存在せず、居りません、今の現時に於いては確実に。

 書いている内に、人を恨む事がバカらしい。そのバカバカしさに情けない感情に支配される。そんな気持ちに、私の心が揺れ動いている。それが明日は、どう変化して動くのかは、仏様のみぞ知る、なんだろうけれど。けれども、文章を書いている内に、心の中身が浄化された感がある。この感覚は一体どこから来るのだろう。

 悟りとは、仏教でいう、悟達、それへ向かう懴悔悔悛悔い改め、という、私が悟り、悟達論など、本当におこがましい限りだが…。

 罪障消滅、滅罪の在り方、「怒り」からも、「怒りは地獄」とは申せども、十界互具のこの大仏法の大海原の世界では、その地獄界の中の、真っ只中の私がその業火に焼かれている最中でも、その中から、地獄の悩み苦しみ「ぱっと消へ」(日蓮大聖人・新編御書)という、お話の結末へと向かいます。

 地獄の底からでも、突如、仏法の十界中、第六位喜ぶ天界はおろか、第十番目最高位の、仏界へと諸共に瞬時に即時に通達し、没入して悟り切れる、そんな術があったらいいなあ、と、当然、事の一念三千、百界千如、十如是、三千世間、十界互具の理法からは、それらは、在り得る話なのです。

 勿論、ひたぶるの、御本尊様の御前での、ひたむきな、真剣な勤行唱題折伏、自行化他にわたる水の流れる如くの一念の信心が大切なのは言うまでもありません。

 呑気な事を夢想し考える、初冬の候の、寒さの中で考えを巡らす、一己(いっこ)の私なのでした。
 

 とにかく、今では、わたしゃ、敵などはいないよ。いるとすれば、人々を騙して金を取る事ばかりに汲々としている、創価学会・顕正会を代表とする新興宗教教団。

 それから後は、世界に目を転じて見れば、什一献金を未だにやり続けて、世界中で金集めをしている、キリスト教が、今は一番憎いし、それら宗教者及び信者を「折伏」して「破折」してゆこう、この日蓮正宗の大仏法の信心を多くの人に伝えよう、この信念しか、今の私には有り得ないね。いまだにそれら邪師による邪教に邪宗により、相当数の塗炭の苦しみにあえぐ人々、報われない庶民がいる以上、頑張って折伏に励ませて頂く。

 今の季節は、異教の季節であり、日本人なんて、キリスト教国でもないのに、クリスマス商戦なんて言って、異教の祭りをする。

 これは、非常に問題だと、私は、宗教をかじった事がある、現在も日蓮正宗という、宗教を実際にかじる、そのまんまの現実のリアリストの宗教者としても、非常に日本の宗教の現状に危機感をいだき把握しつつ、それを覚えている。その余りの異常性に、耐え忍び、堪えているともいえる。

 何ともむつかしい国だ、日本国とは!八百万の神か?大変な国だよ、この国は!宗教のメッカ、日本、だ!(確か、小説・旧人間革命に出て来た言葉、文章)



※編集後記
 この後、私は、報告がてら、栃木のKさんに電話で一報を入れた。しばらく、笑いながら、Kさんは聞いていた。それから、言葉を待つと、何か、人間革命に出て来た、あの僧侶の話、何て言ったけなあ、○○さん、判らない?
 と聞くので、私は、あらん限りの記憶を呼び覚まして、やっと思い出した。
 それは、「狸祭り事件」という、創価にとっては大事件で、大切なエピソードである。小笠原御尊師という、その当時、戦争に賛成したと言う触れ込みで、学会内では、非常に嫌われていた。神本仏迹論という、その当時の時流を取り入れ、何とか、宗門の将来をやはり憂いてはいたが、そのやり方が、戦後、創価学会では、問題視された。
 宗門は、この時、一時、僧籍剝奪まで持ってゆくが、その後、何も無かったように、僧籍を復職させた。
 その小笠原師が、たまたま、戸田会長が総本山富士大石寺にいた時に、同時にその場に来ている事を知った創価学会青年部一同が、その、小笠原師を取り押さえて、牧口常三郎初代会長の墓の前で、何度も謝罪を要求して、謝らせた。念書も書かせたようだ。戦争に反対した、その事実は現在では、宗門関係者の誰もが、そうでなくても、当時の学会出版物を見れば、それがウソなのは判るが、その当時の学会は、学会は戦争反対を唱えた創価学会として、宗教界では名前を売り出していた。牧口常三郎初代会長は獄死、戸田会長も同じく投獄された、と頑なに信じた。それは事実だが、そこには、不敬罪で逮捕された二名の他は、皆、東京を中心にいた筈の、三千人に上る創価教育学会信者は、皆退転した。
 この時の、創価学会、及び、青年部の行動が、宗門により疑問視され、その責任論が日毎に増していき、遂に、当時の会長、戸田城聖第二代会長が、責任を取って、総講頭を辞任した。
 この後は、戸田会長は、悪乗りして、御宗門の悪口を言い募ったりした時期でもあった。創価学会の戸田会長の恥部と言えば、それまでだが。

 とにかく、栃木のKさんは、今回の事が、お寺という、清浄な場に於いて、それに相応しくはないのではないのか、との疑念を私の話の報告を聞いて、個人的な感想を、その、「小説・人間革命」の中の、「狸祭り事件」になぞらえながら、その、そんな経過をたどって、日蓮正宗の寿海寺も、正常化への第一歩となるかも知れないし、お寺にとっては、雨降って地固まる、良い方向へ行くんじゃないかな、その、H田講頭さんも、彼も反省するんじゃないかな、と言い、私は、とても、あんな奴は、反省なんかは絶対しない、サルでも反省する、という位だから、と言ったが、それには笑って答えるのみで、Kさんなりに、納得はしていたみたいで、お互い、電話をそれきり、切ったのであった。

※、この文章、七千文字をとうに越えております。誰が読むのか、という世界。ダメだねえ、これでは。ダメ出しだよう。ただ、恥ずかしい。

 人を恨んだって、人を呪わば穴二つ、であり、何のメリットもないんだもの。これに気付くのに、今の所、七千余文字を綴ってやっと気付くだなんて、何とも、私自身、愚かですな。見て居られない。情けなやー。でも気付けるだけ、儲けものです。(結局自己満足?)皆さん、済みませんでした。でも、今の私はとっても幸せです。

※編集後記その2
 この編集後記前編には、言葉足らずの面があり、補足すると、私と講頭さんのH田さんとの間で、ひどい、お寺の中での、決闘というか、女性婦人方、お寺の奥様に双方止められる程の大乱闘があり、お互い罵倒の限りを尽くした、否、私への一方的な言葉の暴言、悪口罵詈、講頭さんも私の呼び名がぞんざいで軽んずる発言等を私が聞き逃さず、言葉尻を捉えて、相手憎しから、怒った顛末が、それらの模様が、この記事の元記事となっている事を、読者諸氏には、御考察頂きたく存じます。

以上。よしなに。長文、大変に申し訳なく失礼。wainai