総本山第六十七世日顕上人猊下御講義「近現代における戒壇問題の経緯と真義」を本日、読み切った。今日、私の菩提寺、無量山寿海寺の御本のコーナーで買い求め、すぐさま読み終わった。
顕正会・創価学会等との軋轢を経て、今は日蓮正宗宗門は広宣流布の道を開き、世界広布へ邁進中だが、昭和・平成と、異流義を生むきっかけ、経緯がつぶさに分かる、日顕上人猊下が当事者として本当に悩み苦しまれた御心境がそこここに述べられている。それは日顕上人の時代の創価に限らず、先師、日達上人の顕正会との苦渋の決断にまで遡る。
あの時代、正本堂なる建物の建造に熱狂した創価と、それに次第に背を向け始めた顕正会、という潮流があり、一つの建築物によってこうまでも集団・団体を狂わすものなのかと驚きを禁じ得ない。この建物は願主が池田大作であり、彼は本門寺の戒壇にこだわり、大石寺から広宣流布の達成された時の改名の名称、大石寺改め「本門寺」となり、正本堂は事の戒壇、大聖人御遺命の戒壇となるのだ、その為の正本堂なり、との野望・野心に燃えた。自分がその本堂の願主となったのだ、との池田の目論見はもろくも崩れ、正本堂は解体された。
この本では触れられていないが、元々耐震上も問題があり、末期の頃はコンクリートが安く済ませたのか塩水が入っていたらしく、錆び果てていた。あちこち劣化して、非常に危険であり、年間何億円何十億も修理に金が掛かり、金食い虫の伽藍の遺物だった。正に解体して大正解だった。
日顕猊下は、顕正会の「国立戒壇」に対して、「国主立戒壇」という、国民主権の世の中で、国主たる国民が立てるならありだ、とかなり譲歩して仰る。しかし、自身も、言葉を選ばれ、「私は『国主立ということを言いなさい』と言っているわけではありません」と猊下は仰り、強制的に言っているわけではないことを示される。敢えて、顕正会の言い分にも歩み寄り、自身の見解を述べている。
総本山富士大石寺にまします、戒壇の大御本尊様。未来の事は誰にも判らないが、日顕上人猊下のお言葉は耳朶に染み渡り、正に日蓮正宗の時代の証言者であり、貴重な提言、資料、格言として未来を指し示している。