Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

「創価学会『ニセ本尊』100問100答」を読み切る

2021年10月30日 20時03分45秒 | 読書・本を読む事への楽しみ誘い。日蓮正宗御本。その他一般著作物電子書籍・辞書類
 
 私はこの三日ほど、「創価学会『ニセ本尊』100問100答」(日蓮正宗法義研鑽委員会編)という御本をかぶりついて読んだ。
 この御本は、うちのお寺(無量山寿海寺)の御住職様の説法として、毎朝毎晩、お話なされた御本で、先日、無事最終を迎えたので、私なりに読み返してみた。
 御住職様の熱弁もさることながら、この本の中の、創価学会とは一体何だったのか、という疑問が解きほぐれていくような、創価と言う団体の不気味さも併せて考えさせられた。
 創価と言う団体は、自分たち内側ではそれはそれは大それて美辞麗句で飾りたてるが、何の事はない、邪悪な大謗法、大謀略団体だという事がはっきりと判る。
 そもそも、池田大作氏が創価を牛耳っていなければ、今日のような反宗門の団体とはならなかったのではないか、100%とは言わないが、そんな感覚だ。
 この三十年の日蓮正宗と創価の争い、関係は、不毛ではあったが、今後の広宣流布の途上の一里塚として、創価を攻め抜き、大いに反省を含め、良い教材となり得るのではないか、まずは自ら省みる、よすがとしたい。
 平成六年には、既にこの本が発行されていたのかと思うと、日蓮正宗宗門の創価に対する憂慮の念と、大法弘通の志が快く溢れていて、その先見の明に、私は胸をなでおろし、感謝と嬉しさがこみ上げて来るのである。

池田大作氏の妄念

2021年10月30日 12時35分27秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 池田大作氏は、「私は特別なんだ」と言って、自分が勤行をしなくてもいいんだという理由にしていた。まるで自分が、日蓮大聖人の生まれ変わりの大人物かのように。後の「池田本仏」の青写真が既に彼の中では出来上がっていたのだろう。 
 本当の大聖人様なら、勤行唱題を欠かさず行うはず。誰よりも信心に熱心なはず。だから、その意味でも、池田氏は異常な妄想に取り付かれていたとしか言えない。
 増上慢の最たる人物が池田大作氏その人であった。それに本人が一番気付かず、周りの側近、多くの信者たちがそれに付き従い、集団堕地獄へとひた走る。
 私だったら、そんなおぞましい事態は避けて、そんな泥船から一刻も早く逃げ出したいと思う。実際に、私は創価を脱会した。
 何で他の学会員達は気付かないのか?それが一番の謎だが、気付くのが遅い早いはあるが、今の創価の異常な教義に早く気付いて、早く日蓮正宗寺院に駆け込んで欲しいと切に願う。
 教団のトップに立つ人物の人格、人間性を見ればすぐに全てが判ると思う。
 創価は全てがニセモノの教えという事が。

ラジオ番組表2021秋号を買う

2021年10月28日 16時56分39秒 | 読書・本を読む事への楽しみ誘い。日蓮正宗御本。その他一般著作物電子書籍・辞書類

 地元書店、ツタヤみどり書房桑野店にて、三才ブックス「ラジオ番組表2021秋号」を買い求めた。
 私のようなラジオ大好き人間にはたまらない情報源であり、付録で「全国おすすめ音楽番組ガイド」が付いている。
 しかし、「ガイド」は内容が散漫で、ラジオ局、時間、番組名が規則正しく並んでいるようで、実際は見にくい。これは失敗かな、とも思う。
 表紙も前回の方が垢抜けしていたが、今回のパーソナリティは投票で人気が一位と本誌には載っていた。
 まあ、本誌の番組表はいつも通りで、中の読者の声のコーナーでは、ようやくAM放送のFM化が議論されており、中でも、それらを招く国・総務省の怠慢への訴えはラジオリスナーの琴線に触れ、思わず相槌を打った。
 まあ、マンネリの感じもする雑誌ではあるが、色々と刷新も試みられており、出版社の努力を認める。
 ラジオが地震水害災害等に果たす役割や、現今のコロナ禍での状況の下、各家庭、各人の有力なメディアとなりつつあり、今風の男性女性アイドルのラジオ番組を聞きたいとするラジオ初心者の若い世代に、どれだけラジオ放送、ラジオ機器、ラジオ雑誌が応えられるかが問われているのかも知れない。

選挙へ行ってきた、迷う

2021年10月25日 14時59分17秒 | 政治政党・左右政党・国際情勢・時代論・護憲憲法論・日蓮正宗から見た政治論
 土曜日の23日、期日前投票(不在者投票)に行ってきた。地元のふれあいセンターが選挙会場だった。
 地域地方票は、地元の自民党の根本匠さんに入れ、比例代表は日本共産党に入れてきた。地域票で、立憲民主党の候補も迷ったが、可哀想だったが、自分の高校の先輩の根本さんに一票入れた。
 私のお寺の同信の男性の方は、何だ根本なんて饅頭だかせんべいだか潰したような顔して、大臣の時に対応がいつものろくて、あんなのには絶対入れたくない、と言い切る人がいて、私も迷ったが、迷いを振り切り、根本さんに入れた。
 比例代表は共産党だったが、何だか与党自民公明に野党連合を批判される時、必ず共産党がやり玉に上がり、イジメられているようで、あの一生懸命に声を振り絞って演説している志位さんが可哀想になり、つい一票入れた。後悔はない。
 地域票の、立民の馬場さんという候補も後ろ髪引かれる。
 自民と共産という、全く違う政党への投票行動だったが、これが私の微妙なバランス感覚である。迷いに迷った結果であった。

要望。現自公政権、狂った創価に対して

2021年10月17日 12時10分08秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 衆議院選挙戦がたけなわだ。しかし、若い人を中心に投票率が上がらない。どうしたものかと、お寺の高齢の女性の方に電話で聞いた所、成程と思う所があった。
 まず、現在の与党、自民公明政権の責任であるが、自分らの組織票がおびやかされるので、浮動票が怖くて及び腰になっている。
 やろうと思えば幾らでもアイデアはある。重視したいのは、郵便投票、インターネット投票の解禁だ。
 若い人などは特に、あの、選挙会場独特の、何か選挙立会人に見張られているような、あんな堅苦しい雰囲気が嫌な人が多いという。
 そして、選挙に行くにも、服装を考えたり、髪をくしで整えたり、気を使う。
 そこで、郵便投票やネット投票だと、くしで頭をとかして、などと言う手間暇、気遣い無しで選挙権を行使できる、と言うのだ。
 その女性の意見は、正に的を射た発言だ。
 
 あと、私のブログ記事の、「池田創価学会への果し状、妙観講との共同折伏戦、所詮は池田教! 」コメント欄の、コメント者の、創価を名乗る人が、創価は真の日蓮仏法、と豪語するので、じゃあ、その証拠、根拠は、と私が質問し尋ねたが、一切その後、返答がない。
 コメント欄はそのままにしてあるが、自分でそう言うのなら、責任を持て、と思わず言いたくなるし、創価学会員の無責任さに腹も立つ。
 結局、創価の言う事は、嘘、言葉だけの美辞麗句、形式的な問答に終始するだけの、書き散らかしてトンづら。こちらにとってはしんどい、徒労に終わり、心労ばかりの対話にしかならない事を痛感した。
 以上、現自公政権、創価学会に対して、私なりの要望をまとめてみた。

池田大作の同時中継、哀れな提婆達多並みの呂律(ろれつ)

2021年10月09日 14時03分16秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 今から何年も前、創価学会員だった私含め家族は、自家用車で毎月一回、せっせと文化会館へ同時中継の為に駆り出され、映像を見に行っていた。
 その建物はいかにも新興宗教の施設そのものだったが、当時は何も疑問にも思わなかった。
 男子部長、女子部婦人部部長あいさつ…、と続き、いよいよ池田大作氏がお出ましになる。
 センセーは、何とか笑いを取ろうと必死のようで、同時中継の中の大勢の人も、そこの会館の人も、ぎこちなく無理に笑顔を作り、無理に笑う。この時のイヤーな感じが、冷や汗をかきに来ているようで、私は嫌いだった。
 そして、センセーが座席に座り、スピーチを始めると、「ん…?!」と言う程、呂律(ろれつ)の回らない言葉とも言えないノイズのオンパレード。池田は、既に、この時、自由に言葉を発することの出来ない老体の身だったのだ。
 本当は、そんな事で差別したくもないが、池田は、もう人前に姿を現すのは無理な程、身を持ち崩していたのだ。
 そんな姿を毎月見せ続けられ、ある日から、「思い出の池田センセー」と言った感じの、在りし日の池田が映ったビデオを十年前から見せつけられ、「もう池田はいない!」と確信した。
 今もそんな映像スピーチを学会員達は見せられているのだろうか。日蓮正宗に立ち返った私は分からない。
 土台、池田本仏論、池田神格化は無理だったのだ。生身の人間が、長寿を得たとしても、永遠に生き永らえる事など不可能だ。どんな人間だっていつかは死ぬ。いつまでも「池田センセーはお元気です」と何百回幹部達が言いつのっても、それは虚しさばかりを振りまき、人間の限界の証明をするに等しい。
 私は、以前もこのブログ記事で述べたが、泥船には乗りたくはなかった。今のままでは、多くの学会員達が、謗法与同罪で堕地獄の悲惨を逃れる事は出来ない。私は創価の謗法、日蓮正宗の正義に気付けたので良かったが、今残っている学会員達の多くが池田や幹部にいまだに騙され続けている。
 まことに、創価の謗法の集団洗脳の心理はコワイ、と思わざるを得ない。

 日蓮正宗の御僧侶方の、どんなにお年を重ねても、御言葉はかくしゃくとして、あの池田のようなたどたどしい、濁った口振り、話し方は誰一人していない。日顕上人猊下だって、晩年、頭脳明晰、御言葉もはっきりお話なされ、年齢だけがあんなろれつの回らないスピーチの原因とも思えない。
 釈尊に敵対して地獄に落ちた提婆達多(だいばだった)も、釈尊に反抗した半生を反省し、言葉を発しようとした刹那、言葉にもならない「南無~」とも聞こえない言葉で臨終を迎え、堕地獄の末路となった。
 晩年の池田も、大謗法、堕地獄の業罰、業火の中、言葉が貧相になり、発声にも困る事態に陥った事は、想像に難くない。

松山千春のOn The Radioを聞いての感想

2021年10月06日 13時46分26秒 | ラジオ・テレビ・新聞雑誌ネット等マスコミ。ラジオ機器オーディオビジュアル製品
 松山千春さんは、弟さんがこの間亡くなって、一月の母親に続いて、家族二人が今年亡くなり、これで、姉、父、と先に亡くなった五人家族の中で松山千春さん一人が残った。
 千春さんは、ラジオ番組の中で、弱者という言葉を政治家が喜んで使うのを疑問視し、そういうお前ら、政治家ほどの弱者はない、何せ、議員バッジが無くなればなーんにも出来ない、弱者はお前ら政治家だろ、と手厳しい。
 政治家が弱者に挙げる、障碍者も女性も高齢者も子供も貧乏人も、幸せな人生、たくましくうらやましい程生き抜いている人もいるだろうし、何が弱者だ、俺は弱者って言葉が大嫌いなんだ、と仰る。その迫真の主張にしばし聞き入った。
 土曜日の夜八時の千春さんのラジオは、そのパワー、独特の話術にこちらも恐れ入り、さすが、と唸らざるを得ない貴重な一時間であった。