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進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

申し遅れましたが、…謝罪を表明した

2023年04月30日 23時00分06秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
 申し遅れましたが、本日、我が菩提寺、日蓮正宗無量山寿海寺にゆき、本来は、第二地区の座談会ではあったが、私も飛び入り参加で、ペットボトルのお茶まで頂き、その会に参加した。
 その後、講頭さんともお話しし、どうしても、私のその、ブログの顛末、分からないと講頭さんが理解が出来ない部分の申し開きを致して、分かって頂いた。成程、それが、今日のあの、私の謝罪の文章に、そうやってつながるんだ、と改めて、私の言葉足らずで、誇大妄想に満ち満ちた、考え、私の文章に、ようやく理解を示した講頭さんは、そこで、実際に、けじめをつける意味で、御住職様に、御謝りになった方が宜しいのではないのか、との言葉を受けて、自身、最初は、否定的な、とてもじゃないが、私は許されざるものである、と言いつつ、すぐさま、御住職様の御前で、御謝り、謝罪をした。
 御住職様は、終始、ニコニコ、笑みを浮かべて居り、私の悪行、悪業、には全く捉われたり、悪くは思ってはいない事が、あからさまに、手に取るように分かる。申し訳ないと、一層、私は思いつつ、自身の間違って行なった、ボタンの掛け違いをして行った経過、全て、その時の病状の悪さ重さ、誇大妄想の為せる業、非常に申し訳ない、との感が重く私自身、のしかかり、感じ入る所があり、その場で、自然に土下座を、本当に、本気になって、思えばしていた。
 本当に、謝罪をして良かった。御住職様にも、分かって頂けた。講頭さんも、私の口の、言葉の言い足りなさを、その場で、私に成り代わって、言葉を補い、補足をしてくれていた。
 今日は、私にとり、自身の、最良の、蘇生の日となった。

 御本仏宗祖日蓮大聖人御書『法華題目抄』
「妙とは蘇生の義なり。蘇生と申すはよみがへる義なり。」(御書三六〇頁)

以上。よしなに。wainai

訪問看護師事務所、ともトラブル~解決法はある筈、妙な自信沸々と沸き上がる、これぞ、妙法の功徳力、流石は日蓮正宗信徒、と言われたいね!

2023年04月30日 18時09分08秒 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
 私は、訪問看護ステーションを利用する身である。その中で、去年の退院時には、私は、精神保健福祉士(PSW)のKさんからの紹介で、ベテランの良い人だよ!、という触れ込みで、Iさんという、看護師さんを直接、紹介された。

 それから、一、二週間もたたずに、そのIさんは、我が家に来られた。

 それから、現在に至るまで、直接の担当、ではあるのだが、ここ数か月間は、そのIさんの家族の看病で、うちに来られなくなった時期があった。

 そこで、代わりに登場したのが、S・Kさんという看護師だった。
 この人は、年も上で、皆さん、私は、年上の看護師と言うと、怒られるという感じしか抱かないので、電話口で、正直怖いというと、コワくないヨ、楽しみにしていて、同じくベテランだから、という。

 それで、服薬管理をそのS・Kさんがやったが、まず最初に、その日の夜の薬の飲み薬を、薬の包装に書かずに、間違えていた。これをまず、私は指摘した。

 それに対して、その事務所は、一言も、謝罪は一切、無かった。

 それから、私のうちに、そのS・Kさんは上りに来るのだが、世間話ばかりをして、肝心の、血圧測定や、体重、体温、酸素濃度、等々を、いつもと言っていい位、省いて、省略して、ただ、世間話ばかりをして帰って行ってしまう。

 それも、私は、最初の内は、そのS・Kさんは、学歴の話が大好きみたいで、私も、受験時代の悩みや、成功体験等々を得意になって語っていたが、その内、そんな話にも、飽きては来るわな。もう、学校、学校であり、その人は、福島県立田村高校(通称田高、でんこう)卒業、出身者であり、そこは、三春町や、田村郡一、いちばん頭の良い学校らしく、自分にもそれなりに自信がありげに語っている。

 うちでは、私が安積高だというと、或る時などは、wainaiさん(私)がカッコ良いんじゃない。安積高校がカッコ良いんだ、とこうである。

 それは何を話したかというと、私が、高校時代に、他の部活は皆、街中の、安積高校の本校、郡山市開成何丁目にある、我が母校に、所属していて、そこで体力をつける為にそこのグラウンドを使って練習した。

 けれども、私ら、硬式テニス部は、本校にはグラウンドが無くて、わざわざ飛び地になっている、我が家の近くの、郡山市大槻町の、現在もある、庭球場まで行って、そこで、テニスの練習をしていた、といった私の受け答えが、それ、突如、最初に、そのS・Kさんが言ったのは、感嘆の声を上げて「かっこいい~!」というので、最初、私がカッコ良いと言われたのかと(誰だって、主語が無いのだから、そう思うじゃないですか?)錯覚して、思っていたら、「wainaiさんじゃなくて、その、安積高校という、学校が、カッコ良い、という話。」とわざわざ、そんな事を言われたので、こちらはガッカリも来たし、その相手も意地悪だとも思ったし、本当に、カチンとも来た。それが、当然だと思いませんか?第一、失礼にも、程がある。それが他人様に対する、礼儀か、と。言葉使いをもっと、正して、選んで頂けませんか、と。それが良識ある、大人の態度では御座いませんか?

 何事がカッコ良いんだか、さっぱり分からない話。キツネにつままれたような話。詰まりは、何を言いたいのかも、判然とせず、ただ、私に悪意を持っていて、この看護師が、私がカッコ悪い、と言いたいのだけは、すぐさまハッキリ分かり、釈然ともせず、憮然として、ただ、私としては、そう言うもの、事なんだと、そう、了承した。そうとハッキリ、私は、承りました。実際、結局、結果、そういう、話なんだと。私は不細工なんだと。ハッキリ言うと。そういう事。

 彼女、S・Kさんが、私を蔑視したな。これはイジメだな。と私は即座に思い、理解した。

 私は人生上、不細工な人(言っては悪いが、事実なので、しょうがない)に、モテたためしがない。いつも、美人さんか、かわいいタイプの人から、好かれるタイプだった。だから、無理して媚びる必要性は、全く無い。

 代わりに来てくれる人が居るならば、ウェルカムで、歓迎して、迎えますよ、ハッキリ言ってねえ。こんなの。

 私も、自分が、学歴の話をすると、どうしても自慢話のようになってしまうジレンマに、いつも、一人悩んでいた。

 そうだからって、その以前に来ていた、Iさんは、私と最後に訪問看護を受けた時に、Iさんと、私はどうしても、その時の模様を思い出せないのだが、ひと悶着、折り合いがつかずに、ホントにあったかどうかも分からずじまいだが、帰りに、どうやら、もう来なくて結構、バイバイ、と私の方から言ってしまったようなのである。これが今日、このブログのタイトルともなっている、トラブルの原因である。それが事実ならば、私は謝る用意がある。今すぐにでも、謝りたい所存である。

 しかし、Iさんは、相当優秀な看護師であり、私の、星ヶ丘病院にてもらって来た、「私のクライシスプラン」という、病気が軽い時、中位の時、重い時、の三つに分けて、その時の、本人の受け取り方、自分で出来得る事の実践法、第三者、時には周りや医療、病院関係、福祉関係者へのSOSの出し方、それら機関の、関わり方等々を、逐一、その、星ヶ丘でもらって来た様式の紙に、一筆入れて書く事を、彼女は最大限、いつも毎回、応援して、勧め、援助してくれていた。常に私の危機意識を本気で思ってくれてた、私の最大限の、理解者、大恩人、なのである。
 
 だから、去年の年末にも、『今年の(その時の時点で、来年の)三大目標』と銘打って、今年のスタートが無事に切れたのも、彼女、Iさんのお陰で、非常に助かっていたし、その、星ヶ丘のPSWのKさんが言う通りの、何でもそつなくこなす、本当の意味の「ベテラン」の称号を、彼女には私も送りたいし、Iさんは、絶対に、手抜き、手抜かりはせずに必ず、血圧、体温、酸素濃度、体重、これら、患者の数値の評価に対して、今までサボって帰った事など、一切なかったのである。この一事を見ても、どれだけ優秀な看護師かが判ろうというもの。

 しかし、私は、そのIさんに対して、自分の詰まらぬ、何の感情をその時いだいたのか、全く分からないが、そんな言説、「バイバイ、じゃあサヨナラだねえ」などと、この大恩人に対して、文句というか、帰り際の捨て台詞として、こちら側から声を発してしまっていた。

 私はいつもそうなのだ。不用意な発言から、何人の友を無くして来た事だろうか。そして、又、誰も、皆、居なくなってしまった。最後は、そんな寂しい人生ばかりを、このわたくしは送っては来たのだった。そうやって、後悔ばかりをする、人生なのだ、この私の人生とは。この私は、極めて今、不幸である。それらの一点においてだけは。

 もう、自分でも、自分自身が嫌になる程、自己嫌悪で、どうにかなりそうな程、耐えきれない。その不用意な言葉が、時限爆弾の如くに、炸裂してしまう。

 一歩、待ってみて、その言葉、この言葉、あの言葉を、今、発していいのかな、大丈夫ならば、言ってみても良いが、ダメな場合はダメ!、との、自己の認識、これは、言葉を選ぶ、ほとんど自分なりのセンス、美学、美意識、美的感覚の問題であり、美醜の見分けも付かない、その場の分を弁えない、私は醜悪、醜く酷い大悪党の人間なのである。そこの所の、人様に失礼さを絶対見せない、教育を受けて来なかったのか、はなはだ、心の不自由な、私の不徳と致す所、所存である。

 もう人生も、後半戦、半ばに差し掛かり、こんな調子で、子供じみた、情けない大人では、心許なく、どうしようもなく、自分でも情けなく、ここで愚痴っていても、結論も出ずに、ぐずぐず言ってるだけである。
 
 ここは、私がお得意の、御祈りの出番かも知れぬ。そうだ。日蓮正宗の、御本尊様への、ひたぶるの、自由闊達な、勤行唱題行、仏道修行が、それだ。そうだ。それしかあるまい。それに徹し、行おう!やってみるだけの、価値が有る筈だ!

 これ以外以上に、いまだに、解決の方法が見当たらずに、見つからない。現罰、現証として、結果が、因果の理法で、こうやって、ちゃーんと出ているんだからそれを改めるには、自己反省、悔い改め、自己懺悔、自己をとことんまで見詰めて、見詰め返して、他者をいたわる、慈悲、慈愛の、慈しみの修行法が、『法華経』(妙法蓮華経)による、自行化他行に他ならぬ。そして末法の最終解脱が、これら釈尊の教説の究極たる、末法の御本仏宗祖日蓮大聖人様の極説中の極説の御題目『南無妙法蓮華経』、これのみ、これ以外に、方法などは全く無い。有り得ないのだ。

 詰まりは、結果結論が、ズバリ、「宿命転換」「宿業転換」「転重軽受」の法門なのである。いわば、日蓮正宗の肝、極説中の、極説、である。これがなかったら、日蓮正宗の御教えの全てが成り立たなくなりそうな程の、重要な御教え、法門である。最後は、絶望に打ちひしがれた人々が、最後、最終的に訪れる、という最高度の法門なのだ。

 絶対に、それらこれらの、外敵外部の、それこれの魔と、己心の魔とを、打ち破り打ち勝って打ち砕いて打ち滅ぼして見せる。私は負けない。仏様も決して魔には負けはしない。

 仏様の、人法一箇の、御本仏宗祖日蓮大聖人様・御本尊様とも共に、それに、諸天善神の加護の下、有難くも、守護して頂き、私自身も獅子奮迅の闘いで、この魔に打ち克つ所存、構え。必ず、勝つ。勝利の凱歌を、勝どきを、私は必ずに、上げる。上げて見せる。

 創価学会第二代会長の、戸田城聖先生も仰られていた。「困った、大変だ、もう終わりだー、と思ったら、”しめた”と思え!(趣意)」と。

 自分がピンチにいる時こそ、実は最大限の、チャンスの時にいるのだ。「ピンチはチャンス」というではないか。

 ハッキリ言って、我が家に於いては、父が交通事故に遭って半身不随になった時、及び、私自身も、家の隣の沿道の道路を走る大型バスに轢かれて死線をさ迷い、重傷を負った交通事故等々、この他の、我が家を襲った数多の大難に比べれば、こんな事は、こんなちっぽけな事共は、小難も小難、難の内にも入らない位、程の、大難なんて呼んでいたら、大罰食らう位、取るに足らない、小さな難に過ぎぬ。そう見抜いたり。
 
 とにかく、ここは、大人になって、全ての責任を取る事を全うしつつ、君子を目指して、人格者を目指して、ただ、人生を無為に過ごすのではなくて、有意義に過ごしたい。そう願うのみ。

 人間関係、人生上のトラブルなんて、跳ね付けてやれる位の度量、クソ度胸が必要だ。簡単カンタン。大丈夫大丈夫。

 御経典・法華経即ち、妙法蓮華経・如来寿量品第十六の一節、「衆生所遊楽」の御言葉。全ての事象をまーるく収め、解決出来得るという、全ては一つの、一仏乗に収れんし、収束するという、妙な自信・プライドが、成し得る限りの智慧というものが、決して慢心ではなく、正直に、ウソ偽り等一切なく、自分自身に於いては、悠々と、懇々と尚且つ、自身の中に出でて来ているのを実感する。それはまるで、智慧が盛んに湧き出ずる、泉のようだ。懇々と。とめどなく。溢れる如くに。

 私にとり、コワいものなど、なんにもない。ただ、今を誠実に生きるのみ。ウソ偽りなど、寸分も、入り込む余地などどこにもない。ただ、誠に、真実一路に、生き切るのみ。それが私の人生。大仏法大仏教哲学・日蓮正宗と分け入り、捧げ尽くして、共に歩む人生に誠に他ならない。

以上。よしなに。wainai

やはり、元々の原点回帰へ

2023年04月29日 18時24分13秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
 やはり、元の原点の、お寺、私の菩提寺の、日蓮正宗無量山寿海寺へと、戻る。
 別に、御住職と、表立って、争ったりした訳では無い訳だし、自分が間抜けであったから、ではある。
 実際上は、なーんにも、お寺も変わらず、私の方も変わらず。
 今までは、罪障として顕れて来るのを、「五時間唱題会」のせいにしてきたけれども、今月は、その唱題会には参加はしなかったのに、そういった、自身の罪障だと思う事柄に、出くわした気がした。
 これは、唱題行による罪障ではない。結果と原因から考えても、全然因果関係には、当てはまってはいない。
 題目を唱えて、罪障が出る、というのは、誇大な自身の、呆れ果てる程の、妄想だったのではないのか。そう考えた。反対に、そういう事も、勿論ある事も理解している。
 今日もある高齢のお寺の方と語ったが、とてもじゃないが、そんな、他のお寺、須賀川市岩瀬郡満願寺にしろ、須賀川市広宣寺にしろ、三春町法華寺にしろ、そう言った所まで、遥か彼方の、郡山市の西部から、お寺を通う事は、最初の一回や二回は出来るだろうが、人生、後半戦に入って、これを続けるのは、絶対に無理、という。
 今が一番恵まれているのである、とその方は強調された。
 私には、現在のお寺には、地の利がある。それを生かさないで、どうする、という話。
 私は、今回の事で、成長したか、退歩したかは分からないが、自分の身の振り方をよーく考える動機付けにはなった。
 これを機会に、もっと、日蓮正宗無量山寿海寺を盛り上げる為に、私も小さい活動ながら、頑張ってゆきたい。

 皆様、本当に、お騒がせ致しました。済みませんでした。

以上。よしなに。wainai

Google Pixel 6a 携帯スマホによる、近頃の撮影風景、四月編

2023年04月29日 10時08分38秒 | お天気系、天候、気候。四季折々の風景。季節の花など。
開成山公園周辺、沿道の、桜並木です。見事な桜であります。

時と場所は変わって、これは、うちの近所の、綺麗な桜です。人のうちの桜ですが、見事なものです。
後は、今日の、「昭和の日」の、我が家の、日章旗の、国旗掲揚であります。

今日は昭和の日

2023年04月29日 07時02分52秒 | 人生訓・人生論・人の生き様・年末年始賀正・正月祝・祝誕生日・記念日・祝祭日旗日

 本日、二〇二三年令和五年四月二十九日土曜日は、昭和の日、国民の祝日です。
 日本人として、日本国民として、盛大に、昭和を思い、偲び、浸る、麗しい日となるように、努めて、お祝い致しましょう。
 大日本国、万歳!

以上。よしなに。wainai

複音ハーモニカの教則本を買う、私の音楽人生

2023年04月28日 10時50分46秒 | 音楽楽器・演奏・歌・楽典楽譜・カリンバ・ハーモニカ・ギター・電子ピアノキーボード
数日前に、複音ハーモニカの教則本を購入した。どちらも優しく書かれている風に見えるが、「ハーモニカ道」は奥が深くて、一歩立ち入ると、その雄大さに圧倒されてしまう自分である。
やっぱり、個人で習うのには限界もあるが、今更授業料を払ったり、その分、毎週時間を掛けて、教室まで通う手間ひま、お金等々を考えると、自宅で独学の方法が一番手っ取り早い。自由度が全然違う。
けれども、自由には、責任が必ず伴う、との言説の通り、自身で立派に時間を管理して、執り行わなければいけない。
まずは、ハーモニカに触れ、吹き吸いするのには、毎度、歯を丁寧に磨く、という手間ひまが必要だ。それに、近所迷惑にならないように、出来るだけ夜間、夜中、夜半のハーモニカ演奏は避けた方が良いと思う。
これらの、本当に努力が実を結ぶんだと思う。

私の母方の、母の母、つまりわたしのおばあちゃんの家系で、その親戚で、自衛隊で音楽隊に長い事いた人が居たという事実を、母からは聞いている。だから、母が言うには、我が家の家系は、音楽には元々強いのだと言う。
実際、母自身も、三味線、箏、ギター等々を習っていた口である。それの修業に、若い頃は明け暮れていた。
私も、クラシックギター、ピアノ、複音ハーモニカ、と、三種三様の、音楽を習った。そのどれも、途中でやめてしまい、自身にとって、辞めた事への最大限の後悔がある。
どれも、私には、徹底させたり、実らせては決していないのである。皆、でも、音楽や芸術はそうで、おんなじなのかも知れない。
先日亡くなられた、音楽家・坂本龍一氏も、「人生は短く、芸術は長し」の名言を残している。そうだ、芸術は、音楽は、長い事の、修行が大切なんだ、との思いが溢れて来た。
音楽を、途切れ途切れでも、なるたけ、少なくとも一日置きにでも、継続する事に意義がある。自分には、電子書籍や、こうした、紙による、本の音楽教則本があるのだから、これは音楽、この場合、ハーモニカの上達へのチャンスだと捉え直すいい機会である。
音楽が、大好きなのは、子供の頃からの、レコードを母に買ってもらい、聞いていた、その影響が、一番に大きい、私の音楽遍歴の半生であります。

以上。よしなに。wainai

窓ぎわのトットちゃん、その3

2023年04月27日 19時21分25秒 | 黒柳徹子著・朗読・窓ぎわのトットちゃん
窓ぎわのトットちゃん、その3

 窓ぎわのトットちゃん、三回目です。昔、この本は、小学校でも話題となり、先生方の推薦本になって、父兄や、私達子供までが読んでいました。けれども、不良じゃなかったけれど、不真面目っぽかった、というよりも、余り、絵のついたのとかじゃない、文学書っぽい本は、当時の私は苦手でした。やっと、小学校高学年で、夏目漱石の、坊ちゃんだか、吾輩は猫である、等々を読んだ位。読むのは苦手で、むしろ、書く方が、作文が、少しは得意、といった子供でした。 (本を読まないで読書感想文を書く、解説やあとがきだけを読んで、とか、あくまでも、本を読んだ気持ちになって、という離れ業を、やってのけていました。思えば、そんな事もあったなあ。勿論、一回か二回位でしたけれど)。

以上。よしなに。wainai

私の大反省と一般人の反応。池田大作氏・浅井昭衛氏と日蓮正宗

2023年04月24日 10時44分18秒 | 人生訓・人生論・人の生き様・年末年始賀正・正月祝・祝誕生日・記念日・祝祭日旗日
 私は、大悪党と申すか、否、いわば、小者の、悪党であると他人には目されているみたいである。私はそうは思わないにしろ。
 それは、各所、随所での、私自身の犯して来た、悪事を見れば、一目瞭然である、という。何か、昔通りに自分がやっていても、年齢相応の、実際上の行動を求められる事が多くなった。

 悪事と言っても、他人様から見ても、他愛のないものばかりではあるが、自身が、それらを犯した自覚が、他人様から指摘を受けない限りに於いて、全くの自覚がないのだから、呆れる外はない。おそらくは、自身の、倫理観の欠如か、忘れっぽさか、罪の意識の自覚の無さか、その他に起因するものと言えるのかも知れぬ。

 それらは、私が知らぬ間に犯したものが殆どであるが、実際上、人様からは、お前は悪事を為した悪党だ、と言われているのが物語り、その時初めて気づき、何も申し開きなどは、出来ない関係性となってしまう。

 為に、特に、多くの、私の周りの関係者には、迷惑を掛けどうしであり、私の被害者と成り果てて、未だに、私は、憎まれっ子世に憚る、柳に風の、皆の心を傷つけている、と聞くに及ぶ。

 それを聞き付けるにつけて、私は、一日の終わりには、自己自身、瞑想に近いが、反省の機会を、眠りに就く間の、ほんのひと時に、寝床に於いて、懺悔の時を自身、持つ。
 それ以外にも、最も大事なのが、朝な夕な、特に、夕べの勤行に於いては、日蓮正宗信徒としての、反省の時の、法華経の読誦の、読経唱題の時を以て臨む。
 むしろ、読経唱題の、夕べの感謝と反省の勤行、御勤めに於いて、それらは最大限に、発揮される。それらで思いついて、気が付いたうえでの、夜寝る直前の、瞑想である。

 この時に於いて、目まぐるしく、自己への自己批判、自己反省、自己懺悔、の念慮を、人一倍抱き、自身の恥じ入るばかりの、正に生まれ変わりの瞬間の如くの、反省、悔い改め、が、自己が思いつく範囲内で、思い、致している。

 しかし、一回くらいは、人様、相手側様方の皆様に対しても、私に弁疏(べんそ)、反省の申し開きの機会が与えられても良いとさえ思う。私にも、相手側からは、問答無用に、私からは、一つの言い訳も許されずに聴かれる事もなく、それら罪状が事務的に処理され、他言無用になってしまっている現状には、私自身、非常に戸惑いを感ずる。相手様は、将軍か、内閣総理大臣か、天皇陛下か、司法を司る裁判長か法務大臣か、はたまた、日蓮正宗御宗門・猊下様なのか。果たして?!それ程に、御偉い存在なのか!まあ、被害者なのだから、それなりの存在なのではあろうが。

 怒る気持ちも判らなくもないが、私だって、それらが、思わぬ内に行われていた、事実に、自身でも戸惑いつつ、思い返しては、恥ずかしくもなり、反省もちゃんとはして居る積りなのである。その後、反省しています、御免なさい、とは言っても、これは、日蓮正宗内の人々は、非常に、あっさりとして、私の事を一つも責める事無く、「もう二度と、しちゃ、ダメだよ」と言って、親心から、有難くも、お許下さりして頂いている。

 許していただけないのは、むしろ、一般大衆、日蓮正宗以外の人々ばかりではある。これは徹底している。絶対に、日蓮正宗信徒以外の人達は、逆恨みしているみたいに私に接して、お灸を据えるみたいに、懲らしめて、私が苦しむ姿を見て、むしろ、慶びを感じつつ、良いザマだ、とばかりに、私を弄ぶ如くに、絶対に許してくれはしない。これは、経験上、人生上の、私の体験した、実際に感じた感慨、思慮である。(そうとも言えない事実を、正宗信徒だから信用してよい、とはどこにも書いても話されても無くて、私の単なる思い付きでしかなかった出来事が、最近も事実上、あった。だからこの記事は、ウソ、信ぴょう性がない。)。


 閑話休題。それはさておき。

 創価学会と日蓮正宗が、今までとても仲が良かった一時代があった。所謂、「日蓮正宗創価学会」と、どちらの団体も一緒くたに呼び並び称されていた。一体不二の関係に、どちらの団体も名乗り、関係性は良好な時代が、長期にわたり続いた、昭和の頃の両者、であった。

 しかし、昭和も五十年代あたりから、おかしな動きが、創価側から一方的に発せられた。所謂「昭和五十二年路線」というものだ。
 この路線の特徴は、日蓮正宗の化儀化法を守らず、教義逸脱が謀られた。その一端に、曰く、

一、創価仏法の原点は、戸田会長の獄中の悟達にある
二、唯授一人の血脈否定、途中の人師論師は無用、大聖人直結
三、人間革命は現代の御書
四、池田会長に帰命、池田会長は主師親三徳・大導師・久遠の師である
五、寺院は単なる儀式の場、会館は広布の道場
六、謗法容認(祭りへの参加等)
七、供養は在家でも受けられる
等々、である。

 それから、その時の、『山崎・八尋文書』(昭和四十九年四月)には、こうある。
「一つは本山といずれ関係を清算せざるを得ないから、学会に火の粉がふりかからない範囲で、いつでも清算できるようにしておく方法と、いま一つは長期にわたる本山管理の仕掛けを今やっておいて背後を固めるという方法です」というもの。

 もう一つの、後の第四代創価学会会長を務める事になる北条浩による、『北条文書』(昭和四十九年六月)には、こうあった。
「長期的に見れば、うまくわかれる以外ないと思う」「やる時がきたら徹底的に戦いたいと思います」などとある。

 池田は、正本堂建立を機に宗門に根強い反感をいだくと同時に、「学会は主、宗門は従」との本末転倒の考えをもとに、宗門支配を画策し、宗門に対して様々な圧力を加え始めた。

 学会に批判的な僧侶に対して吊し上げを次々に行い、公然と宗門批判・僧侶否定の指導をするようになったのが、昭和五十二年であった。それを「昭和五十二年路線」と呼び、いう。

 こうして、創価学会は、日蓮正宗の教義信仰から次第に逸脱し、ついには、御法主上人の許しを得る事無く、紙幅の御本尊を勝手に板御本尊に模刻するという大謗法を犯すに至った。それらが皆、創価学会による、「五十二年教義逸脱問題」と言われるものであった。

 これらの創価による謗法行為に対し、宗内僧侶を中心とした学会批判の声が全国的に広がり、脱会者が続出した。池田は、創価学会の崩壊につながりかねない事に最大限、危惧をこの時抱き、第六十六世御法主日達上人猊下様に情けなくも泣き付き、謝罪を申し上げ、事態の収束を願い出た。

 そして、昭和五十三年六月三〇日、創価学会は機関紙・聖教新聞紙上に、「教学上の基本問題について」と題し、教義逸脱に関する訂正文を掲載した。
 しかしそれは、訂正内容が曖昧であった上に、会長である池田大作の責任を明らかにするものでは無かった。

 この頃、創価学会による本尊模刻も発覚し、同年九月二八日、学会は急遽、勝手に作った七体の本尊を総本山へ納めた。

 窮地に追い込まれた学会は、同年十一月七日、総本山において、幹部二,〇〇〇名による「創価学会創立四八周年記念代表幹部会」(通称 お詫び登山)を開催し、列席した宗内僧侶の面前で公式に謝罪の意を表明した。

 しかし、実際には、それらの逸脱は一向に改められはしなかった。

 一旦は、創価側が謝って来た筈が、歴史の誤ったボタンの掛け違いが、後の世に、大きく影響を与えて行った。

 これらが、約十年をかけて後の、平成二年からの、池田大作氏による、一方的、悪意に満ち満ちた、「謗法スピーチ」へと連なっていく。正に、創価独立を宣言し、企てるものであった。

 平成二年十一月十六日、池田氏は、全国の学会員に対して、衛星放送を通じて、法主上人への誹謗と宗門蔑視のスピーチを行ない、こう言った。

「猊下というものは信徒の幸福を考えなきゃいけない。権力じゃありません。」

「五〇周年、敗北の最中だ。裏切られ、たたかれ、私は会長を辞めさせられ、ね。もう宗門から散々やられ」というものであった。

 その後は、皆様御存知、創価の宗門批判記事が創価機関紙「聖教新聞」に活字がまがまがしく載って踊り、創価の宗門離反劇へと連なる。

 その時にも、現在も、当時の学会員達も、は、宗門が、池田大作氏を破門に付したのを、一方的にいまだに恨んでいるが、そこに、落とし穴がある。

 何も、日蓮正宗宗門は、池田氏を一方的に破門に付すのじゃなくて、ちゃんと、池田氏側からの、それに対する、弁疏の機会を、事前に池田氏側には、猶予を与えていたのである。
 それに対して、無視を決め込み、答えなかったのは、池田大作、その人、その本人の責任なのである。張本人は、池田である。
 池田がすべてを取り仕切り、成り行き任せに、御宗門に弓矢を向けた張本人であり、全ては、計算され尽くされた出来事であったのだ。宗門からは、いつでも、もう学ぶべきものは何一つ、無い、と企む。我々は、独立できる段階に居る。もう、宗門の力を借りる必要など、どこにもない、という、大慢心、謗法まみれの、創価学会、及び、主に池田大作氏の、魂胆がここにあった。

 そうやって、宗門蔑視の謗法スピーチをぶち上げ立ち上げて、それから怒涛の平成三年の、聖教新聞、創価新報等の、反日蓮正宗・反御宗門への、大デマ、大プロパガンダ報道へと学会はなだれ込んで行った。どうしようもない連中である。



 それと、私の反省とを、比べようとも、比べ切れないが、歴史に学べば、私にも、一つ、反省の弁を述べる機会、制度が欲しい、と望んでいる。

 今も述べた、仏の団体、七百五十年、八百年の伝統と文化を護持し、誇る、日蓮正宗御宗門は、仏の顔も三度と言うが、一回は、池田大作さんには、否、二回目も、弁疏の機会を与えて、一回目は、見事、池田氏側から、泣き付く様に、創価代表者として、謝って許された。恐らく、二回目は、池田氏の方からは、もう、宗門側に飽き飽きして、謝るのも面倒、とも思ったのかも知れない。

 辛抱強く待っていたのは、いつも御宗門の方であった。極論すれば、あの時、平成二年から平成三年の間、若しも、池田氏が翻意して、謝って来ていたならば、今日でも、創価は独立などせずとも、「日蓮正宗創価学会」の名誉ある地位の名称、名前のまま、存続しつつ、昔の創価学会のままの方が、もっとも良い組織で居られたのでは無かったのではないのか。果たして。

 その創価学会の名前も、今の現在の世間の悪評通りの代名詞、となってしまった。あの、池田大作氏がいなければ、この世に生誕して来なければ、話は、歴史に違(たが)い、歴史に、if、若しもは無いのだが、もしも、池田氏がこの世に生まれていなかったならば良かっただろうに、との念慮が、非常に今になり、そんな考えが支配して、働き、及ぶ。

 例えば、創価学会が、「ただの新興宗教じゃないのか?」や、「ニセ本尊を祀り配って歩いて売りさばいて、何様の積りなんだ一体?」とか「犯罪集団が創価学会の本質・特質なんだろ?」とか「元々は、池田教の、池田大作が根本崇拝の、池田ファンクラブなんだろ?」「金だけには、うるさい宗教だよね?」とか「選挙の時になると、選挙の時に限って、猫なで声で、電話でまでそこら中に宣伝して、公明党に入れろ入れろ、って、うるさいったらないよね?」とか言った、創価自身のイメージダウンに結び付きはせずに、済んだはずではあった。

 今日の創価の価値は、その昭和の頃の当時よりは遥かに下がり、福徳・功徳もだだ下がりに下がり果てて、大御本尊様をも見棄てて否定するという、何とも情けない、見下げた姿、状態と成り果ててしまった。

 全ては、池田氏による、個人的な恨み、私恨、宗門蔑視、宗門への十四誹謗が為せる業、わざわいによって引き起こされた。一般の創価学会信徒とは一切関係がない。
 トップが狂えば、末端までにその狂い、ひずみが及ぶという、悲喜劇を池田大作はこの世の舞台で巻き起こし、末端会員までをも巻き込み、本当に、全く失礼しちゃうよなあ、という、感想を懐いた次第。こんな事も、この世には在るんだ、という、ビックリの、歴史的事実。
 
 私も、反省に反省を加えないと、あの、自身が今では最も忌み嫌う、創価の会長の池田大作氏や、顕正会の会長の浅井昭衛氏と同じ立場、狂った立場の人種・人間となってしまう。

 これら、昭和の新興宗教の立場にしか立てない、哀れな人種を見ていると、自身もそうなりはしないか、との懸念、念慮をいだき、危惧、惧れをいだく。ハッキリ言って、コワいと思う。

 この二人とは、他山の石として、反面教師として、自身の反省材料として、自身の鏡を磨くが如くに、重々、しつこい位に、悔い改めて行かねばなるまい。

 そう思い、考えた、自身の振る舞いを大いに大反省致し、自己を改め、改心して、心と行動を転回して、生きて行こう、生き直そう、と思い直しました。

 例え、人が、許そうが許すまいが、私が反省している事には変わりがないのだから、愚直にも、それこそ、御本仏宗祖日蓮大聖人様が仰った、「冥の照覧」であり、たとえそれが、誰にも認められなくても、ただ、御本尊様だけは、ちゃーんと見詰めて見抜いて下さっている。御本尊様だけは、確かに、何の、誰にもよらずに差別なく、左右されずに、この私をしっかりと見定め見続けて居られている、との自覚の下に、自身、晴れがましく、何人にも左右されずに、他人から認められようが認められまいが、そんな事共には一切関知せずに、御本尊様根本で、生きてゆく事をこの場に於いて、御本尊様の面前にても、本気で、本心から、必ず誓い申し上げます。なづき(脳髄)が砕ける程に、強盛にお祈りし奉ります事を、ここに誓い申し上げます。

 さすれば、いつの日にかは、私にも、人々からの御赦免の機会も訪れ、人との和解の時が必ず持たれ、来たる日も、遠くはない筈、との確信めいたものをも、感じ取った、春四月の、下旬の最中、もうすぐ五月になんなんとする、うららかな日ののどかな一日であります。


以上。よしなに。wainai


『だから、結論は何なんだ!?』の問いに対する、私の答え⇒結局「起承転結」なんだよ!全て結論がモノを言う

2023年04月23日 13時12分06秒 | 人生訓・人生論・人の生き様・年末年始賀正・正月祝・祝誕生日・記念日・祝祭日旗日
 私と親しく話す人の中には、まるで、人を蔑視して、差別するように、結論を急がせて、「だから、結論は何なんだ」との如くの、まるで「脅迫」「恐喝」「脅し」ともとれる如くの、言説の私に対して、行う者が散見される。

 これには私も内心、怒り心頭であり、何で私の話す内容に、いちいち落語の、「オチ」の様なモノをわざと付けねばならないのか、不思議であった。 

 世の中では、目まぐるしく社会情勢が変化し続けていて、それに伴い、早く、コンビニかファストフード店のような、即断即決、早ければそれで良し、の悪弊が蔓延している。

 私は安高で、応援団にも誘われスカウトされた程、声も人一倍大きく、人よりも目立つために、こうした集中砲火を浴び続けなければならないのであろうと個人的に思う。注目を集める人とそうでない人の差が、差別がある。

 これが、極端に無口の人達は話がまるで違う。みんなで聞く耳を持って、まるで腫れ物に触る如くの扱いで珍重しつつ、ご機嫌を伺い、私など、耳が遠い方なので、そんな小声の人種などに、一切聞く耳も持たず聞く気も起きない人への感想も一切なく、興味なども微塵もない。しかし、そんな奇特な人の発する言葉の一挙手一投足に非常なる大注目を浴びせ、致し、まるで大聖人様の御金言の如くに、その人の言葉を大事に扱う。この場合、声の小さな人の言う事は、皆大事に聞く。ハッキリ言って、差別。

 うちの母などは、元々地声も大きく、こんな、こえの小さい人間を、差別とまでは行かないが、蔑んでいた位だ。私が小声で話すと、何でもっと大声で、明るみで言う如く、喋らないんだ。それは自分にやましい事が、あるからだろ、と。うちではこんな感じで、うちの家庭の人種の声は大きかった。
 
 こんな事、小声の人を珍重するのは、この福島県だけなのではないのか、と私は思う。何か、特別、えらい人、偉い物事をしゃべる人との錯覚が働いている気がする。

 元々、田舎には、こうした、寡黙な人ばかりが暮らす集落が幾つもあり、特に方言、ここでは福島方言だが、何を言っているか分からない人の集まりに於いては、聞き逃したら、一生の損、という不文律の様なモノが、昔からあったと見た。

 そこへ行くと、私ら父亡き母子家庭の、元々は父含め東京神奈川から来た私達親子など、ちっともどこへ行っても、この福島では珍重、大切になど扱われた試しなど、一度も一切ない。

 文句ばかり言う、とか、声ばかり大きな、標準語でしゃべる人達、とか、言葉が綺麗な日本語(東京方言、江戸弁)を流ちょうに話すが、綺麗事に聞こえて信ぴょう性がない、私ら東北人・田舎者を見下している、とさえ言った輩が現にここ、福島県郡山市には、ちゃんといるのである。

 何をかいわんや、である。ここの田舎だから、郡山くんだりだから、そういった物言いをされるのだとの諦めの気持ちしか今は無い。

 あの、創価学会時代の座談会で、どこかの女子部の幹部で、「御書」の一節から何から、池田会長のスピーチの代読から何から、つっかえつっかえ、ポッツリポッツリ、途切れ途切れ、語り、ほとんど日本語の体を為してはいなかった女子部員がいた。

 あーいうのを、あーいう手合いを、母は非常に蔑視した。ちゃんと学校教育を受けたんでしょ?おそらくは、若いが女子部長にまで抜擢されたのならば、大学教育まで受けて居る筈である。それがこのザマである。文字一つ読めない。それで女子部長?!笑わせんな、の世界だと母は言っていた。

 私に読ませた方が、よっぽど綺麗な日本語、流暢で美しい日本語で読んで見せるわよ、と母は憎しみを込めて、よく言っていた。私は、創価では、幹部になるのも金次第なんだな、とも思った。創価の役職は、皆、コネ、コネクションで成り立っているんだろう。

 そんな人材しかいない、創価の弱点、汚点を見たような非常に胸糞悪い話ではあった。

 とにかく、冒頭の問い、「結論は何なんだ」の答えとして、私はすぐに、その場に於いて、結論を導き出す事にてんてこ舞い、自身、学校教育の悪弊で、すぐに答えを求め出す事に汲々としてきた人生であった。特に私は、受験戦争に巻き込まれ、人以上に、結論、詰まりは答えを人様からは必ず求められるとオウム返しに答えてしまっていた。

 これを、今日から実験的に、辞めてみようと思う。だって、自分だって答えが分からないから、結論が出ずに分からないから、相談に乗ってもらっている訳だから、その答えを相手からもらえずに、自分で出せ、とは、ちょっと、相手にとってもムシが良すぎる話ではないか。

 だから、ハッキリと「結論は判りません、自分でも考えましたけれども、答えが出せませんでした。」これで良い。何も、相手も無理強いして、結論を導き出すのに、脅迫してまで、こちらに伺っている訳でもないんだろう。それでいいと思う。

 今までの、そうした受験戦争時代の、答えを求められたら、即答で応えなければ、受験に失敗、等という、脅迫じみた事は、余り現代社会では見受けられない。DKグループのようだ、と言われて謗られても、気にする事は無い。

 数学の世界でも、謎の公式なるものがあり、これが解ければ、ノーベル賞級の賞がもらえそうな程の大難問の数学公式の問題があり、何百年もその答え、解答が得られないのだそうだ。

 学問の世界だって、結論が未だに出ない世界は世界広しといえども、何処も同じであり、何も私だけ、結論を人から責められて求められる筋合いは全く無い、それは時として、言葉の暴力を私が受けたのと同じ事になる。ハッキリ、わかりません、それで良い。それはそれで、エクセレント、秀逸なのだ。

 私は、人から「要するに結論は?」と言われるのが非常に嫌なのだ。こういう問いを投げ掛けるのは主に男性が多かったが、最近では、女性の社会進出が進み、女性にも今日、電話口で、若い人だったが、結局結論は何、と聞かれ嫌な思いをした。

 そうやって、人を急かして、何が面白いのだろう。もっと、人間、ゆっくりできないものだろうか。命は短く、時間も有限なのは分かるが、日本はせかせかとし過ぎて、結果結論を性急に求める者が何と多い事か。五万といる。

 人生に結論なんか要らない。好きなように生きられればそれで良い。こうも短絡的で、結論ありき、何で総括して、結論を必ず導かなければならない訳?貴方、試験官?!何の資格があって、そんな物言いをする訳?一体何様の積り?

 これが福島県一県の話ならまだ分かるが、きっと日本全国の風潮で、行き亘っているのであろう。
 
 けれども、沖縄辺りは、のんびりムード漂い、そんなに人に急かして迄「結論は何?」などと聞く人は希なのではないのか。また、よその国でも、そんなに生き急いでどうすんの、との問いかけをもって、日本人に相対する民族もいよう。

 要するに、こういった類の、日本の振る舞い、作法などは、世界から見れば、「超ローカル地域」「ガラパゴス化」した、救われない世界、国家という事。

 こんな濁悪の世相、末法から飛び出して来たのが、御本仏宗祖日蓮大聖人様。大聖人様も、非常な長文で文章を作られている。長文オッケーである。正に。

 全くもってして、人間が、器が小さすぎるよ。もっと大局観、大物になって見て頂戴。

 自分が、私が、最後に、「これが結論だ!」と言えば、それがその場で即、結論となる。それが、宿命の様なものだ。

 ただ、それだけの事なのだ。

 まあ、考えてみると、そうなんだよねえ。「結論」は、結局、時には必要な、あいさつ代わりの様なものだと、弁えておいた方が、無難ではあり、得策なんだよね、やっぱり。

 数学の、論文形式の、答え、解答だって、それに、則っていて、それが、論理学の、元だもんねえ。答え自体が、「結論」、だしねえ。

 やはり、最初と話は矛盾はするが、結論は、必要で、大事なんだよ。世の中は、そうやって出来ていると、達観しちゃった方が、よりましになるのかも知れないね。

 世の中の、道理、物事は、『起承転結』で成り立っている、と理解した方が、良いのかもね。

 これが、本日の、私の『結論』だね。オチが付いて、良かったと思うね。非常にね。

 ここまで、私の長々とした愚問愚答に付き合って、読んで下さり、誠に有難う御座います。感謝致します。


以上。よしなに。wainai