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自称・熱狂的創価信者だった私に突き付けた、母からの挑戦状

2024-04-24 17:05:40 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 私と母は、母が非常に今の施設でも今なお元気だが、それ以前も今以上に、私を自分が運転する自家用車に乗せてあちこち出掛けていてより元気であった。
 そうして、その頃、今から十年~それより短い期間くらい前になろうか。その頃は、私と一緒に、車に乗って市内の図書館へと母と良く行き来した。
 その時、郡山市立富久山図書館にて、母と私はいつものように、私はCDを二枚借りて、その後、散歩をして、母が図書館で読書をしていた。
 そうして、私が図書館に散歩から帰って来た所、母から一冊の週刊誌を私に捧げ持って、私にひどく読むように勧めた。
 その週刊誌は、「週刊文春」であり、当時は創価におもねった今とは違って、創価学会だろうと何だろうと、怖いもの知らずで、言論の自由度を競うマスコミの一つであった。
 そこで、頭を殴られる程の衝撃インパクトを、その週刊誌の記事を私は読んで直にショックを受けた。
 そこにあった記事には、創価学会の池田大作氏が、その頃、もう、認知症が進んだ老人であり、週に何回か、看護人が何人も付いて、風呂好きな池田氏の為に、介護付きで風呂に入れられていると。
 そして、池田氏のベッドの脇の窓の下には棚があって、そこには、池田氏が全世界からかき集めて来た、楯やら、勲章、賞状の類が飾られているが、池田氏本人は、もう、それらに対して、それが何かも判別がつかなかったと言う。
 或る日、池田氏は、まだ物につかまって歩けたようだったが、そこに大事に置いてあった、世界の大学機関やら、国々、有名な学識があると思われた人々、とにかく、その楯やら勲章やら、賞状を、凄い剣幕で、その場から払い落として、地面に踏みつけにしたり、ガラスを割り、ぶん投げたり、粉々にして、狂ったように壊して破壊の限りを尽くしたのであった。
 それ以来、池田氏が乱行をしないように、それら勲章やら、楯、賞状はその場、その部屋からは遠ざけられ、皆、撤去されたと言う。
 私は、その話に、その当時ビックリして、母の方を見ると、母も、そういう話なんだわ、と言った風な、別の見方が必ず、世の中にはあるんだと、創価学会が言う言説、文言、言い分と、それと真っ向から反した言説がある事を、この時の母は私に最も言いたかったのだと、この時、私は認識した。
 これらの事実は、私にとっては、一度は、と言うのか、その時すでに、私は創価男子部として、一応は、池田氏が書いたとされた、実際はゴーストライターの書いた書物なども読み、池田氏を頂点とする池田創価学会に属する者としては、その池田氏を尊重して、敬愛はしていた。それだから、彼の書いたと称された書物は、丁寧に当時、読みふけっていた。
 しかし、この時のメガトン級の、当時の池田氏の実態を綴った、その池田氏の御付きだった確か看護師だか介護士のそばで見た人の手記には、私をその後の、「創価学会脱会」、「日蓮正宗帰伏」へと大きく舵(かじ)を取る、一つのキッカケになった出来事だった。

 母は、一方的な見方(味方)をするような、そんな偏った狭い料簡の人では決してなかった。私は、母の当時の、私へのそれら、創価学会と言う、日本の宗教団体で最大と言われた教団のトップの成れの果てを、そんな風にして見せてくれた、その図書館でのいきさつを見聞きするにつれ、この母の行為に何ら作為などなく、公平な見方をしたものである事。流石は我が母は、弁護士の娘、東京都立戸山高校卒業生であったと、尊敬、敬愛の念で、今更ながら、先見の明を持った偉い親、母だと、思い致している。
 創価にいながら、それに反した、公平な見方が出来得るという、俯瞰して見ていた母。
 母に対しては、後年、日蓮正宗への帰依の道を開くもの、決定打だったとの感謝の念を大したものだとの、私なりに大いにいだいている。
 以上。よしなに。wainai

創価狂学凶学、ひなびた郡山北工業高出身者ごときに従う私ではない、コノうすのろ創価学会め!

2024-04-18 14:07:30 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 私の近所の創価学会員宅には今は違う家にはなったが、当時、座談会場として使われていた御宅があり、私などは、そこへ晴れがましく通った。

 それは、私が本格的にこの信心を始めた、1998年以来、私の創価学会デビューの幕開けであった。

 その時、私は、その年に起こった、夏の栃木・福島を襲った大雨災害を機に、私なりに、天地に誓う、というのか、その座談会でも、これは、その被害者、死者からへの、何らかの、私への忠告に違いない、だから、私はこの信心を始めたのだ、と皆の前で、小さな、しかし、勇気をもって体験発表をした。

 それに対して、場を盛り上げる、太った司会者の年上女性は、凄い人が現れたものですね、と私をねぎらった。

 そこの座談会では、様々な思い出がある。しかし、そうする内に、母とも仲良く二人でそこへ通う内に、嫌な思い出も次第に多くなってゆく。

 何といっても、私たち親子に対して、快く思わない人などが、自分があげたお菓子でもないのに、私たちに勧めて、「食べな!」と乞食にでも与える風に言った時が、母にとっては、自身が受けた最大の屈辱・侮辱と受け取ったようだった。

 私は、この座談会では、男子部に属していて、そこでは、男子部の教学部を中心にして、この場を借りて、即席の教学の指導が、その場で男女関係なく、執り行われていた。

 私から見ると、その男子部でも、その教学部の中心者は、数歳、年上の、ある電機メーカーに勤める、郡山北工業高校卒業の、高卒の男性が、何か、教学の資格を持っていて、私達に教えを垂れていた。

 この人は、別の機会に、私の玄関先にきて、実際、この今から二十年位前の話だが、携帯電話の料金値下げの国会陳情に、署名が欲しいと我が家へとこの男が乗り込んで来た。

 しかし、私は、実際には、当時、郡山駅前の中町通りで、私がCDショップの新星堂にCDを買いにゆき、その足で、中町通りを自転車を引いて歩いていると、その場に、当時、市議会議員だか県議会議員だかを務めていた、箭内議員と言う人を中心にして、街中で派手に、公明党ののぼりと車を置いて、熱心に署名活動をしていた。

 それにその熱意に私は乗って、一筆、署名をしたのだ。

 それから、その、前述の、北工卒の男が我が家に来て、どうしても署名が欲しいと言った。

 しかし、私が、既に、駅前に先週だか(当時)行き、公明党議員がいた場所で、署名は済ませた、と言うと、半ば、へえー、そうなんですかー、と言いつつ、何か、不審そうに、こちらの顔色を窺い、疑問視するような目つきで、私と相対した。

 それで、私も、本当なんですよ、と言うも、どこまで信じてもらえているのか、私には判らなかった。

 しかし、明らかに、私に対しては、信用・信頼などは全くしていなかったようだった。この男は信用ならぬと。

 そんな経緯もあった。そして、私は当時から、作業所に通っていて、そこの作業所の住宅・グループホームにも住み込んでいた、障碍を負った私よりもより病状・障碍が重そうなやはり年上の男性が、この北工の男を、それはそれは、私よりも誰よりも、何か特別待遇でもしてもらっているのかという位に、持ち上げていた。

 何かにつけて、○○さん○○さん、と、まるで、その男が居ないと、自分の居場所すらないと言いたげな様子を、何時も見せていたその男性。

 そして、その重い障碍の男性も私達の地区の座談会場に姿を見せるようになった。

 そうして、御書講義を受けて、良かった、を連発した。私には、全然、心のこもってなんかいない、御書講義だとしか思えなかった。

 結局、その北工上がりの、電機メーカー勤めの男の、御書講義の最後の決めゼリフは、必ず、日蓮大聖人の言葉より何よりも、「池田大作センセー」は、こう仰っている、とこういう結末で、締めているのが通例であった。

 何よりもまずは、大聖人様の言葉は参考にしか過ぎずに、最も言いたい事は、「池田センセー」の言い分を最後には必ず持って来て、これが初めから言いたかったのだ、と言いたげであった。

 私には、とても陳腐にしか聞こえなかった。例え、その当時の、熱意ある学会員だったとしても。

 ダブルスタンダード、二重基準がある、二重人格、二枚舌、偽善者然とした、創価の間違える、狂った教学だと、この時、図らずも、私の当時、「創価脳」の足りない頭だったとしても、「池田教」「池田創価学会」の表看板に、皆騙されているんだ、と、少しずつだが、私は気付き思い始めていた。

 それに、その職業高校の、北工上がりの先輩?!講師も、年に数回、教学試験が行われているならば、私はその問題集や答案が、聖教新聞紙上に当時から、何回となく載せられていたのを見ていたが、それら、地区の学会員の、男子部にしろ何にしろ、一度たりとも、私に試験を受けてみませんか?などという、お伺い等を聞いた試しが一度もなかった。

 その、前述の、グループホーム住まいの、障碍の重い男性ですら、何かしらの教学の資格を持っているのに、だ。

 私が、この地区、郡山市内でも、最難関高校の進学校、福島県立安積高校入学合格者である事は、この座談会場でも、来ている人のほとんどは知っているみたいであった。

 しかし、それを見越して、私に、教学を下手に身につけさせて、「正教授」等でもなられたら自分らの首が困る、とでも言うのであろうか。一切、私への、それら、御書の教学試験への誘いの話など、通り一遍でも、聞いた試しなど全然なかった。

 時折見せる頭の切れの良さを警戒されて、出世を妬まれ、わざと疎んぜられているようにしか思えなかった。

 それに、私の屈辱とするべく画策があり、その当時、私の作業所には、精薄、知的障害の、高齢女性も働いていた。

 どうやら、その女性も、創価学会から勧誘されていたらしい。年に似合わずに、自分の名前すら書けない、幼稚臭い女性なんだが、「その人に、ヨロシクね!」などと、私の帰り際に、私に面と向かって、その他の或る女信者が言った。

 私は家に帰って来てから、この侮辱じみたそれら、創価の座談会での事を、一緒にその場に行っていた母とよーくと話し合い、実際に母には、これは、私を不当に面罵して、罵倒して、屈辱を与えて、侮辱するものだと訴えた。

 母も、最初はそのヨロシクと言われた女性が判らなかったみたいだったが、私から真実を聞いて、本当に酷い話だ、と私に同調し一緒に激怒していた。

 どうして、あんな、名前も書けない、知障の女を、私が面倒見て上げるかの如くの、そんな関係性もないのに、又、その情報、私が同じ職場で働いている、という、この恥とも言える話に、無性に自身を責めて、恥じ入り、創価学会という団体に対して、この時程、疑問と怒りの念を沸々と燃やし湧き上がらせた事等無かった。

 今では終わった出来事であるが、私の心の中では、いまだに終わってはいない。

 決着をつけるとすれば、日蓮正宗が、創価学会を解散破門勧告した、平成三年のその時に戻って、創価が実際上、それらを受け入れて、全て、自ら、宗教団体を解散する時が来るまで、私なりに、この悪徳団体とは、戦い続けなければならぬ、と強く思い念じつつ、感じて、考える次第です。

 今の、私の菩提寺、日蓮正宗無量山寿海寺の現講頭さんが、国立新潟大学工学部の理系で頭が非常に切れる御方!教学でも決して創価になど負けはしない。

 どっちが学力で秀でているか。創価の、ひなびた福島県立郡山北工業高校くんだりなど、今となれば、くそくらえだ!

 以上。よしなに。wainai

お願いですから『日蓮正宗』と『冨士大石寺顕正会』とはまるっきり別個の団体だとお見知り置き下さい!!

2024-04-04 18:06:36 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 私は、今週先日の月曜午前中に、A相談室の長の方と、面談、モニタリングがあった。
 その時、私は、先月の末に、日蓮正宗総本山富士大石寺(静岡県富士宮市上条)へ行き、参詣したのだ、と語った。片道十時間以内、掛かったと。
 そんな話をしていたら、A相談室のK女史が、あの、(以前、また別の人からも聞かれた、おんなじ話題ですよ?!)女子大(郡山女子大)のそば、開成山大神宮のそばにある、国道49号線沿いの、たしか「顕正会」ってあそこにあるよね。あの団体に、○○さん(私)は入っているの、と聞かれて、とんでもない、それは事実に反する、とこちらはお答えし反論した。
 こちとら、宗教の話にはうるさいもんでね、と啖呵を切り、あの団体は、総本山富士大石寺を名乗る、真っ赤なニセモノ。そいつらは、新興宗教で、日蓮正宗からは昭和の頃にとっくに破門された団体。正信会や創価学会がのちに破門になる前から、邪教として破門に付された。
 そうして、悪どく、えげつない事に、その宗教団体名に女々しくも、いつまでも「冨士大石寺顕正会」と「冨士」の「冨」の字が、うかんむりじゃなくて、わかんむり、と、わざと紛らわしい名前にして、自分らを偽装して、伝統宗教・仏教の日蓮正宗に擬して、真似をして騙(かた)っている悪辣な、いかがわしい宗教団体なんだと。
 そうだから、その「顕正会」は、今も、常に、その暴力宗教としての振る舞いから、日本の公安調査庁からもマークされている団体で、宗教に無知な人々につけこんでは、勧誘して、拉致監禁等々、住所と名前を書かせるまでは、会館と称する施設に閉じ込めては、絶対に家には帰さない、強制的な勧誘をする、それで信者を増やした事にしている、ろくなことをしない団体だ、けしからん団体なのだ、と私は声を大にして、心から訴えた。
 そして、そんな団体と、間違われるだけ、こちら側、日蓮正宗も大迷惑であるし、その、名前を紛らわしくして、他人の宗教の名前を使って公言しているだけ、余計におかしな団体なんだ、と私は心から、訴えて、心底悲しんだ。
 そうしたら、そのK女史も、なーんだ、今までは、その団体に○○さんがてっきり所属しているものだとばかり思っていたけれど、実際は違うし、色々このうちへ来ると勉強になるね、と言われた。

 それに対しては、私共のお寺、菩提寺は、郡山市西部の大槻町の中の、郡山市土瓜、私のうちにも近くに存在し、在るのであり、あんな、女子大前の、開成山公園のそばの、開成何丁目ではないんだ、と強く訴えた。

 それから、あちら新興宗教と、こちら伝統宗教とでは、百八十度、全く違った雰囲気、邪教は邪教でしかなく、伝統にのっとった、厳(おごそ)かなのが当宗本宗、日蓮正宗の持ち味なんだ、とお答えした。

 とにかく、いまだに、私の家に来る、来た、福祉関係者の中で、この、新興宗教の顕正会と、伝統宗教・伝統仏教の日蓮正宗とを取り違えて間違えて、混同したり、同一視していた、と言う発言を聞くのは、これが一体何度目だろうか?とにかく多い。多すぎる。
 
 これら誤解を解くためにも、私たち、日蓮正宗法華講の一員ともなっている私にとっても、正に正念場だとも言えます。日々、日夜、こちらも広宣流布の為に一肌脱いで、これら邪教共の餌食にならぬよう、善良な市民、他宗教を信じる皆様にも、御注意を喚起し願いたく、ペンならぬ、PCのキーボードを叩いて、強く訴えるものです。
以上。よしなに。wainai

戸田第二代会長先生がいなければ今日の創価学会は無かった。池田氏は只のコケ脅し悪乗りの張本人

2024-02-04 08:17:37 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 今の創価、自称八百万信徒、そのレールを敷いたのは、今では極めて影が薄くなってしまった、「創価学会第二代会長、戸田城聖先生」以外に有り得ず、他ならない。
 その、レールの上を、その第三代会長の座席をかすめて、盗み取った、「池田大作氏」が、何か、大物気取りで居て、彼自身は生前から、功労者然としていたが、あの男は、全てが法盗人の性質を持ち、日蓮正宗御宗門からも教義を盗み獲り、戸田会長からも、物心両面にわたり盗み上げ、自分がその最大一の後継者だと、一般会員に信じ込ませる事に成功する。
 誰が、池田などが、折伏など出来ようか。彼の一家の、父母も、兄弟親戚すらも、彼のうちの宗教の宗旨は、「真言宗」だが、その誰一人も、池田自身、家族一家を改宗、折伏など一切手をこまねき、出来なかった事が全てを物語っている。
 全ては、当時の末端の、草創期の名もなき創価学会員が、毎日毎日、手弁当で、戸田先生の遺訓を胸に、東奔西走していた努力の結晶が、当時の創価学会の屋台骨を築き支えたと言っても過言ではなく、池田大作氏などは、ただの、自身では何も手を下さない、見ているだけの、正月の餅の上に乗った、ミカン、柑橘類の飾り物に他ならなかった。
 決して、池田氏自身が、個人的な折伏の名手などでは一切、なかったのだ。
 誰が池田の自分の手柄・自慢話に出て来るような、苦労に苦労の挙句に、折伏の地獄の如くの行を行って来たのか。今は鬼籍に入った、鈍感な池田氏には永遠に判らないであろう。
 池田大作氏は、裸の王様、ただのコケ脅し。それ以外の何物でもない。
 戦後の創価の発展の歴史は、戸田城聖氏の、立派に生前築いた、創価の折伏精神を受け継いだが、結局八百万止まりで、信徒数は伸び悩み、今の学会は、少子高齢化の波を受けて、退潮減少が止まらない。
 これは池田大作氏を、或る番組で持ち上げた話では、その池田氏が他の宗教団体に潜り込み、入会していれば、今度はその団体が日本一の宗教団体となっていた、などは全てウソである。池田氏は、学会で薫陶を受けたが、その効果と、その時の戸田会長のカリスマ、指導力に伏して、目ざとく、第三代の会長席に座っただけの、形だけの会長であり、全ての功労、功績は、その先代の、戸田城聖先生にあった事だけは、これは口を酸っぱくして言い募っても、言いすぎる事では決してない。池田氏などは、功労者でも何でもない。むしろ、最大一の敵対者だ。
 彼は、法華経の破壊者、現代の、釈尊に敵対した、破仏法・破和合僧・極悪・地獄界の使い化身、提婆達多の生き写し、生まれ変わり、体現者である、正に。
 それに、日蓮正宗の教学、即ち、大乗仏教の教え、その中でも実教の法華経の教え、文底秘沈の大法、三世永遠の生命、五重の相対、十界論、事の一念三千の法門、転重軽受の法門、大御本尊様と日蓮大聖人様の人法一箇の理(ことわり)、等々の教えが一番の、一般大衆への訴求力、説得力を持つ、まさしく正宗教学の面目躍如、それらが魅力でこそあったのである。
 池田大作などは、とてもじゃないが、若い頃から、勤行は大嫌いで鳴らしていて、日蓮正宗などには、その権威を最初から認めてはいなかった。大体南無妙法蓮華経自体が初めから大嫌いであり、怨念を懐いていたともいう。
 それに、生活自体が乱れていて、ご飯を具合も悪くないのに、布団の寝床で食べるクセ、女遊び、女たらしで名を上げていた、全国各地に、女性との醜聞が絶えなかった、との言説が、その当時からあり、創価学会の会長になる器ではなかった事を全て物語る俗物の会長であったと。
 あの豚みたいな風体で、脂ぎっていた、ギトギトの肥満体の不細工な池田氏などとは、長身のスマートさと、豪放磊落さを合わせもった戸田先生とは、全くの異質の関係性だ。池田は直接に、戸田先生からは、後継指名を受けてはいなかった。それが証拠に、戸田先生亡き後、二年間の、会長職が空白の期間があった。この間に、池田は権力闘争に打ち勝ち、会長職を盗み取ったのだ。
 とにかく、戸田先生は、今頃、今現在の創価学会の有様を見て泣いているだろう。戸田先生は、将来、今の創価学会が、御宗門に対して、裏切り行為、横暴を振るい、干渉を加えて来たり、反乱反旗を翻す時が来たならば、その時はどうぞ、学会を解散破門処分に付してもらっても結構で御座います(趣意)との言説を生前の言葉として残している。
 それらは見事に今現在の創価学会の悪徳・背徳の醜悪腐敗の愚劣の実態の姿を現実上、実際上、真実味で、全て映し出し、言い当てている。それら戸田先生の見る目は、節穴ではなくて、戸田先生の頃から将来の学会の行方・成り行きを言い当てていて、個人的に、戸田先生の直感・予感・予想・予言は当たっていたと言えるのではなかろうか。
 以上。よしなに。長文失礼。wainai

今年も嫌がらせ行為、模造銃で…

2024-01-14 08:30:50 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 今年一月七日夜七時五分から十五分の間にそれは起こった。私は中音で尻強で読経唱題していた所、どこからか、模造銃、玩具のピストル銃によるものか、弾がバチンと強くうちの壁に当たる音がした。
 私は例により、「このバカ野郎」(女郎かも知れないが)と言って、窓から外へ出て、竹刀を振るって、大声で威嚇したが、誰も、人っ子一人その場にはいない。
 急いで携帯電話を握り締め、警察署に一般電話で電話した。そうして、警察が我が家に来た。
 私は、この近所で、私の声が気に入らないんだろう、しかし、節度を持って守って、日蓮正宗第五十九世日亨上人の仰る通りの、中音で勤行唱題、読経を執り行っただけ。それを何だ。と警察には訴えた。
 それから、私は覆面などせずに、ユーチューブに出演している事を言うと、警察の方々は、どんなチャンネル名ですか、と言われて、私は特定のチャンネル名は名乗っていないので、口をつぐんでしまったが、とにかく見てくれ、とばかり、その場で私の動画集を警察に見せた。
 そうして、私は、この犯人が許せず、この近所でも、戸やドアを1~2センチ開けて、銃を撃つ、もしくは、この同じ近所で、この住まう区画から、車で、やはり、運転席からは不可能かもしれないが、助手席、後部座席から、やはり数センチ、窓を開けて、弾を撃つ事位簡単だろう、と述べた。
 そして、私は、その犯人を見つけ次第、「ぶっ飛ばす」、勿論、正当防衛の範囲内で、というと、警察の皆さんは、それはいけない、それは私達の役目ですから、と言う。
 私も、実際上、こうやって、動画で顔を出していて、それに、邪宗教を破折、折伏する動画を打ち出して、前面になって撮影しているので、その関連で、敵も多く、宗教批判を行っているんだと言うと、警察の方は「批判は、ちょっと、いけないんじゃあ…」と言うので、私は、
 「今から数十年前の、あの、オウム真理教事件、あの時、坂本堤弁護士一家殺害事件が起こった時、それに、東京の霞が関等々の、地下鉄サリン事件が起こった。あの時、警察がそうやって及び腰だったからこそ、そんな、あんな、大事件が巻き起こってしまった。あの時の初動の遅さが、警察がはっきりした態度で、間違った宗教は間違っていると言わなかったから、あーなったんじゃないか。言論の自由でしょ。それのどこがいけない!思想信条の自由で、宗教批判の自由は現憲法下でも認められている。今だって、顕正会、創価、キリスト等々、間違った宗教共と、私は一生懸命になって、体を張って戦っている最中なんだ!これは今言った通り、信教の自由、宗教論争の自由でもある!」
 と私は熱を込めて訴えた。
 それに関して、警察の方々も、これは、私の方が、宗教論では一枚も二枚も上手だと判断したみたいで、堂々と、そのまま、おやりになって、やっていって下さい、たしかに、○○さん(私)のいう通り、言論の自由ですから、自由にやっていって下さっても結構です。しかし、相手がいるものですから、そういった、相手に直接暴力には暴力で対抗するような、今はこんなご時世ですから、余り思い余った、暴力行為は、気持ちはわかりますが、控えていただきたい。
 いつでも、今日は警察署の番号の方に電話なされたようですが、今度からは、直接、110番へ通報をお願います。
 この後は、この近所をパトロールしてから、帰ります。これ以後、今日一日、は外へ出ないで、大人しくしていて下さい。と言われ、それら警察官たちは、うちを出て行かれた。
 その後、私はその禁を破り、外へ出て、我が家の庭を巡っていると、何と、敵方の撃った、銃のBB弾を又もう一個見つけた。同じく弾は白色だ。これで、証拠品・戦利品の弾は去年のと合わせて、二個目である。
 とにかく頭に来る。誰がやっているのかも分からない。この薄気味悪い、不吉な、わが近所。去年の十一月、十二月以来、それら月は一切無かった弾撃ち込みが、今回、新年の七日の夜に起こり、こちらも騒然とした。
 やい、犯人。今度見つけたら、容赦は絶対にしないからな。覚えて置け、このタコ野郎(女郎)めが!!絶対に許さない!!

以上。よしなに。wainai
このように、中高生時代に使っていた剣道の竹刀を庭に面した仏間の窓に立て掛けて置いたら、しばらくはそれら暴力、脅迫、恐喝、威嚇、強要、ストーカー行為は収まっていたのであるが。
これが戦利品の、BB弾。これで一個加わり、二個となった。犯人捜しの旅はまだ続く。
再度、以上。よしなに。wainai

無音・小声・サイレント勤行のすすめ

2024-01-08 22:40:04 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
無音・小声・サイレント勤行のすすめ
May 7, 2015, 2:03 am≫ Next: 成りすまし詐欺(振り込め詐欺)は許せないが…≪ Previous: 落ち着いた、家並みの低い街、宇都宮~郡山~。
 わたしは学会員で、一応毎日朝晩、怠る事もあるがお経・唱題を時間を取って仏壇の前にてお勤め、勤行をするのが日課だ。この勤行、朝余りに早すぎたり、夜遅すぎたりしても、勤行をしなければ(自分のケジメとして)ならない時がある。そんな時に、日中と同じく、余りに大声では周囲に迷惑極まりなく勤行は出来ないのは当たり前。そこで、学会員の方には、無音・小声・サイレント勤行をお勧めする。
 これは簡単で、お経の文句、題目を、字を目で追って黙って無音で、感じが出ない場合は極力小声で、鈴も鳴らすか鳴らさないかの微かな音で唱える。最初は物足りないかも知れないが、時を追って次第に慣れて来る。達成感もバッチリである。
 このやり方はわたしが男子部で会社の寮生活をしていた時、隣との壁も薄く、時々変なお経が聞こえてくる、あれは何だ、となり、苦情寸前だった。その事を男子部の先輩に相談したら、上記のやり方をすすめられ、それを実行に移す事にした。
 朝晩それを実行する事により、苦情らしい苦情も聞こえなくなり、こちらも安心した。やはり、従来の古いやり方よりも、学会流の新しい時代に即応したやり方が奏功したと言える。
 朝起きるのが早すぎる、夜帰るのが遅い、といった方々にオススメである。


日蓮正宗と創価学会、僧俗和合から犬猿の仲へ

2024-01-08 21:59:56 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
日蓮正宗と創価学会、僧俗和合から犬猿の仲へ
May 18, 2016, 6:16 am≫ Next: トランプ氏が大統領候補とは…≪ Previous: 風が強い
 創価学会の会則が変わったのが去年かと思っていたら、二年前の平成二十六年の事だった。去年変わったのは経本、勤行経典の方であった。
 日蓮正宗が今まで通りの教え方で済んでいるのに対して、創価学会の変わり方は十年単位のような気がする。しかし、学会の努力の結果が今日の現状だ。
 会則が従来の戒壇の大御本尊重視から、本尊観の転換があった。これを日蓮正宗や他宗教などは信者奪回のチャンスと捉えた節があるが、今の所奪回の気配はない。外部の人間たちが心配する割には、いつも学会は安泰である。これはどういう訳か。
 近所でも、いつものごとく学会員の来訪があり、いつもと何ら変わらない。わたしは、最初大御本尊の軽視につながるのでは、と思うが、あくまで大御本尊の否定ではなく、謗法の地にある本尊は用いない、という事だ。しかし、大御本尊崇拝の時代を共に生きた者にとって、少し悲しい。
 それもこれも、学会を破門した宗門の無慈悲に原因がある。学会は難をくぐり抜けてあるものは捨て、かようなものを得て、今日まで来た。被害者は学会側であり、創価学会を生み出した宗門側には文句を言う資格はない。
 ニセ本尊の害悪なんて言って、この超高齢社会の中、社会問題のすべてを本尊のせいにするのもおかしい。それではオカルトだ。
 将来的には、一致して一緒にまた学会と宗門が和解して僧俗和合して欲しいが、今や誰も元のサヤに戻ろうとはしていないのも何かなあ、と思う。
 今じゃ別の宗教で、完全に仲たがい。学会も宗門も大人げないと思う。この問題は西洋のプロテスタントとカトリックに似ていて根深い問題だ。薩長の同盟を結ばせた坂本龍馬のような人が現れて、手助けしてあげられたら良いのに、と思う。
 池田会長にも責任はある。生きている内に、再度和解に向けての話し合いなど、幾らでも出来たろうに。メンツが邪魔をする。
 二十年かけて起こった問題を、個人で語ってもしょうがないのは承知だが、内部の者からすれば、情けない、本当に残念な話だ。

戸田会長の言葉と現在の創価学会

2024-01-08 21:41:50 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
戸田会長の言葉と現在の創価学会
February 13, 2017, 1:00 am≫ Next: 東芝製ノートパソコンである≪ Previous: 日蓮正宗に宗旨替えしました-勧誡式を受ける
 戸田第二代会長は、日蓮正宗に多大の功績を残し、一信徒として赤誠の限りを尽くし、日蓮正宗宗門発展に寄与なされた。
 今日の創価学会は、戸田先生が余りに日蓮正宗の富士大石寺大御本尊様を根本に実践したものだから、それに学会員の目と耳をそらし、深い信心を拒絶し、戸田城聖全集を絶版にするなど、自身に都合の悪い事は、何でも覆い隠すつもりで暴走している。
 戸田会長の言葉。
 「余は二十七年なりとは弘安二年十月十二日の総与の御本尊の出現をさしての御仰せであって、このお言葉によって本仏出世の御本懐は此の御本尊の出現にある。世の不幸を救ふ一大秘法は此の本尊にありと信じなくてはならぬ。」(大白蓮華昭和二六年六月号)
 「弘安二年十月十二日の本門戒壇の御本尊は究竟中の究竟本懐の中の本懐で真に尊き事と拝さねばなるまい。この御本尊こそこれ三大秘法の随一であり、一閻浮提総与の御本尊である。」(大白蓮華昭和二八年二月号)
 「御本仏は、生きていらっしゃるときには、日蓮大聖人、亡くなられては本門戒壇の大御本尊と仰せられ、その仏のお名前と年月はちがいますが、同じくわれわれを化導して下さるのである。」(日蓮正宗方便品寿量品講義)
 「日蓮大聖人はいつも、この娑婆世界に住んでおられる。現在は富士大石寺におわします戒壇の大御本尊として出現されているのだが、多くの邪宗のものたちは、近くにいながら、かわいそうにも日蓮大聖人の御当体とは気がつかないでいるのである。」(日蓮正宗方便品寿量品講義)
 「学会は今大聖人の命うけて弘安二年十月十二日に御顕しになられた一閻浮提総与の御本尊を日本に流布せんことを誓う。」(聖教新聞昭和二六年一一月一〇日付)
 「われわれの貧乏と苦悩を救わんがために、日蓮大聖人様は大御本尊様を建立し、遺されてある。これは、弘安二年十月十二日の大御本尊様のただ一幅なのです。そこから、分身散体の方程式によりまして、ずうっと出てくるのです。それから、ほかの本尊、どこのを拝んでも絶対にだめなのです。弘安二年十月十二日の大御本尊様から出発したものでなければ、法脈が切れてますから、絶対だめなのです。」(戸田城聖全集)
 「この本尊論がまことに大事なところなんです。これが狂ってくると、一切が狂ってくる。ただ、富士大石寺の文底深秘の大御本尊、これより他にはない。これが根本なのですよ。」(大白蓮華昭和三四年四月号)
 「日蓮大聖人の真実のお教えは、独一本門といい、文底秘沈というも、みな一閻浮提総与の三大秘法の御本尊を根本としたお教えでなくてはならない。この教えは、今日末法においては、富士大石寺にこそあれ、ほかにはないのである。(戸田城聖全集)
 「日蓮大聖人様から六百余年法灯連綿と正しく続いた宗教が日蓮正宗である。最も完全無けつな仏法が正宗なのである。この仏法こそ私達を真に幸福に導いてくれる宗教であることを私達は日夜身をもって体験してゐるのである(中略)私達は無智な人々を導く車屋である。迷ってゐる人があれば車に乗せて大御本尊様の御もとへ案内して行くのが学会の唯一の使命である。宝の山に入って宝をとるかとらないかはその人の信心の結果であって、ただ宝の山たる大御本尊様へ案内するのが我々学会の尊い使命なのである。」(大白蓮華昭和二四年一二月号)

 現代現在の学会は、人師論師の説に過ぎぬと、あれだけ三代会長と謳っていながら、初代二代会長の言葉は蔑ろにされている。どう過去を捨て去っても、日蓮正宗の信徒団体として出発した創価学会は変節と謗法の限りを尽くしてしまい現在に至る。日蓮正宗と創価学会は元から親と子のような関係であり慈悲から親の日蓮正宗が子を叱るのは当然なのだが、学会は聞き入れはしない。今は幹部が会員を牛耳り耳も目も塞いでしまっている。学会は、決して日蓮大聖人の正統な継承者ではなく、やがて将来は日蓮大聖人の金看板を外してしまいかねない危惧さえある。大御本尊への信仰を放棄するくらいだから、何をしでかすかは誰にもわからない。
 牧口会長・戸田会長が、現在の創価学会を見れば、その謗法(ほうぼう)まみれの変貌ぶりと慢心に、さぞ嘆き悲しみ泣き叫んでいることであろう。

何故、創価ブログ『私の知らない創価学会』は挫折し失敗したのか?※長文失礼

2023-12-07 13:12:53 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 以前、創価ブログで、「私の知らない創価学会」という、人気ブログがあった。たしか、アメーバブログであった。 
 そこでは、毎日、隔日で、ブログ更新が行われ、個人的な、創価への内部からの疑問を投げかける、という風刺のきいた、形態をとっていた。
 そして、その当時は、読者のコメント欄を堂々と設けていた。その時或る時、これは創価学会員女性信者と思われる人から、こんなブログ、さっさと止めて消し去ってしまえ、という、ケンカを売るに近い、コメントが寄せられて来た。
 そこで繰り広げられるブログ記事は、素直で率直な、現在の創価学会に対する、一、末端・未活女性による、素朴な疑問であって、私もちょくちょく、そこに入り浸り、日蓮正宗側からの、折伏も兼ねて、私自身も、コメント欄にコメントの意見を述べたりしていた。
 しかし、前述の、ある、女子部員と見受けられる、ふざけた、バカにするような意見に、売られたケンカを買う形で、その、ブログ主さん(たしか、「とも」さんと言ったか?)は、その時の年末を限りに、このブログを閉じる。そうして、今までの記事を、別の運営のブログに全て移して、アーカイブ化すると言い出して、それをそのまま即、実行に移してしまった。
 今現在は、そこでは、コメントを大っぴらには受け付けずに、ただ、アーカイブと称する、今まで書き綴っていた記事と、最新のつぶやきに似た、ごく最近の著者の意見、特に創価学会への意見が載るばかりである。
 その時、ブログ主は、今年の十一月初頭だかに、創価学会脱会届を、自分と一緒に暮らす「パートナー」と共に、内容証明郵便で書き送り、「(ニセ)本尊」も、その後送り届けた事。その後の、十一月中旬頃の、池田大作Xデーに、簡単に触れて、今では、それに対して、大した感慨もない、どうぞご勝手に、もう今となっては、よそ事、他人の宗教の事(趣意)、と言った、妙にサバサバとした、感想を述べている。
 しかし、私は、この人、この女性は、大いにいまだに、創価の洗脳の呪縛からは、立ち直っていないと観ているし、思っている。
 創価では、かなりタチが悪いとこちらが思う程、日蓮正宗の事を、「日顕(上人)宗」などと言って、非常に毛嫌いする。それらを今でも、聖教新聞、創価新報などを使って、いまだに吹聴して、まるで悪魔の団体の如く、「洗脳の完成」を目指して、非常に悪辣に悪質になって、大騒ぎで執り行っている。
 私だって、自分自身の自殺未遂事件が無ければ、そんなに悪く言われた、「日蓮正宗」になど、果たして、宗旨替え、宗門へ帰伏したかは、果たして疑問だ。
 まあ、私の一家、我が家の父が、この今の我が家の菩提寺、日蓮正宗無量山寿海寺の納骨堂に眠っている関係で、この日蓮正宗との太い絆は、切れずに済んだ。この縁を、ひとえに大切にした、私、及び、母、それから、七年前の当時の勧誡式でお世話になった、我がお寺の、初の女性トップだった、G元講頭、その他の信徒の皆様、それから、何と言っても大事なのが、私のみならず、母の勧誡をも勧めて下さったお寺の御住職様、多くの皆様に支えられて、今の大なる幸せに包まれた私がある。
 この、勧誡式の前日には、私は絶望の淵、極致にいて、死を念じ考えていて、それを実際に実行に移した時、母に見つかってしまい、私の生への希望がその時、非常に湧き、そのまま、次の日の、私の菩提寺、お寺、日蓮正宗無量山寿海寺への道、帰伏、宗旨替えへの第一歩が築かれたのである。2017年平成二十九年二月七日から八日への、私の人生のベクトルが転回し百八十度変わった瞬間であった。(平成二十九年二月八日が私の日蓮正宗入信記念日)。
 正に、死から生へと、「妙とは蘇生の義なり」(新編御書)との大聖人様の御金言そのままに、私はその後、見事に再生・蘇生する。
 だから、この、他人事ながら心配するが、ここで、この、「私の知らない創価学会」の著者のブログ主さんも、万が一にも、自分が死ぬ思いをしなければ、「日蓮正宗」には入り直しはしないのではないか。
 決して、私共家族の場合は、昭和の頃に日蓮正宗創価学会時代に於いてお寺で御授戒を受けたから、「勧誡」だったが、この人達の場合、平成以降の入信の場合は、創価は邪教時代なので「御授戒」となるが、この人達の強情さが変わるのは、命と命を懸ける程の、命を亡くす寸前の、それ位の想いをしなければ、今の書いている文章も、何ていう、人生の深みの無い、甘い、軽佻浮薄な、今の自分らさえ良ければよい、刹那的な、「パートナー」とやらとの、欲と淫行にまみれた、汚らわしい関係を書き連ねているに過ぎない。(何故に、「パートナー」などと相手を呼び、正式に「結婚」に踏み切らない?この不純な関係性に、どうして踏み留まるのか?)。
 このぬるま湯の様な人生を抜けだすように、必死になって自身の人生とあがき闘い向き合うひと時、一生を左右する、大事が、この二人に、或いは片割れに確実に訪れて起こらない限り、全く有り得ないと思う。
 勿論、平成以降の創価入信者などは、それ以前の、戸田先生時代から受け継いだ、日蓮正宗の清新な息吹など完全に消え失せ果て、とっくに失われているのでほぼ日蓮正宗入信は絶望的だが(我々とて、まだ折伏を諦めた訳じゃないよ!)、こちらとしても、救いの手は、ネット上でしかこの人らとのコンタクトは採れないが、何としてでも、救い出して、行なわなければならぬ。
 とにかく、今現在は隠棲したかのような、力強い生命力もほぼ絶えた、この、ブログ「私の知らない創価学会」は、確実に失敗した。それは、一創価女子のコメンターの言い寄る意地悪な嵐に、炎上までは行かなかったが、その心ない意見に付き従ったばかりに、自身の財産を失った。
 幾らアーカイブ化が成功したと豪語しても、私達共のそのブログへのコメント文章群をかなぐり捨てて、捨て去り、平気の平左でいられる。
 他人がどんな気持ち想いで、それらコメントを、文字をもって、時間をかけて書き綴った日々を、無視した暴挙。
 そのまま、その、狂った価値観、今までの愛読者に向けた傲慢さ、尊大さ、慢心さ、夜郎自大な、勘違いした感覚は、その女性のブログ主の、全ての過ちの元は、そこから発し起こった、としか、これは、今では私にはそうとしか、かたじけなくも、言えないのである。
 合掌。南無妙法蓮華経。
以上。よしなに。長文失礼。wainai

創価ブログ「創価の森の小さな家通信」を破折、善導する

2023-12-05 08:14:02 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 インターネットで、創価学会のブログを検索すると、その代表格として、いくつかの創価系ブログが散見される。
 その内で、私が創価時代から、時々見ていたブログが、「創価の森通信」とかいう、欺瞞に満ちたブログであった。
 このブログ、私は、同信者の為、文句は言えずに、その矛盾点を突く事は無かった。
 しかし、我が家では、創価系新聞、「聖教新聞」を取らなくなって、十年以上の、隠れ、未活動の、その代わり同中、同時衛星中継にはその券がうちには人数集めの為、いつも配られていたので、同中には必ず参加した。
 その、創価の我が家の微々たる活動の中で、私の、創価教義に対する疑問点が噴き出すキッカケは、いつの間にか、それが決まった半年か、一、二年の間の後に私は気付いたのだが、とっくに、五座の勤行から、一座、のみの、しかも、長行の如来寿量品が省かれた、方便品と寿量品自我偈のみに限定された、簡略化された代物のお経典に決められ変わっていた点だった。私は新聞も取らず座談会にも出ていなかったので、それを知ったのが今言った通りの事であった。
 それで、私はおかしいと思いつつ、その、創価を代表とするブログ数件に、アクセスしてみた。
 大抵は皆、自画自賛に終始していた。スッキリした、あれだけ長い勤行とおさらばできて、本当に良かった、と。(これには私は不満で、そんな権限が、我々創価という団体には本当にあるのかな、幾ら仏意仏勅の団体、などと名乗ったって、その証拠はどこ?本当に、創価は仏意仏勅の団体なのか?自称に過ぎず、詐称ではないのか?自分で名乗っているだけの、はすっぱな、宗門に破門された強がりを言い募った、新興宗教教団団体に過ぎないのでは?と自分なりに疑問に思っていた。)
 その、「創価の森通信」も、今回の決定は、良かった、とこれも、虎の威を借るキツネの類であり、諸天善神への祈りを無くしたりしたのも良かった。
 長行を無くしたのは、世界広布への布石となる、三師供養で、日目上人がいなくなったのは、これもむしろスッキリして、前よりもより拝み甲斐がある。(そんな事やって、罰が出ないの?幾ら宗門と別れてから、十年以上経ったからって。教義や本尊がコロコロ変わるのは、昭和の頃、それに類した、「立正佼成会」を非難していたのが、自身にブーメランで帰ってこないのかなあ?)
 そうして何より、三師供養よりも、創価にとって大事な、三代会長、牧口・戸田・池田、の歴代会長並びに、創価の万代の繁栄を祈る、などと自己満足、自分勝手、手前味噌、自画自賛の狂態には、この男、「創価の森通信」の男は、諸手を挙げて賛成していた。(大体、三代会長、歴代の内の、池田センセーをも祈願の対象として迎え加え入れるということは、その当時から、池田はその創価版勤行要典では祈っていないのではないのか?自分の名前の記入された経本などに頭を下げて自ら毎日祈りを捧げる池田の姿を想像するだけで、虫酸が走り、笑われるだけの、噴飯ものであり、この時には既に、池田は完全にこの新しい経本の観念文では祈っていないと軽く当時から思っていた。不可能だ。いくら池田神格化を自分が中心になって進めていても、祈りの対象が初代牧口、二代戸田までが関の山であり、池田も当時、私の名前など載せなくても良いと事前に学会内で語り言っていた位だった。私の想像では、誰もが薄々思っただろうが、おそらく植物人間状態か、存命ではないな、と。要するに、創価は泥船だったんだよ。)
 私は、そんな、一応、我が家には、日蓮正宗宗門のお寺から御下附頂き御貸し下げし頂いた、昭和三十年代の日寛上人の御本尊様と、創価のニセ本尊とがうちにはあったが、そんなにいとも簡単に、創価の教義がコロコロコロコロと代わるのを目の当たりにして、何か身が千枚通しで切り刻まれるような痛み、心許なさ、気色の悪さを感じざるを得なかった。何か心がざわめき、落ち着かず、おかしい、という念慮をまずは抱(いだ)いた。
 「創価の森通信」とは、ただの創価幹部のイエスマン、言いなりの部下、配下としか見受けられず、人気取りをそのブログでしていて、今までの「創価マンセー(万歳)!」の記事からも、そうやって、自身の心ない事、矛盾点を指摘されても、言い訳も出来ない程、思考が停止しているのであろう。 
 それも或る一面、可哀想な、ここにも、創価の大なる被害者がいる。救ってやる必要性が、緊急度が増して余りある。
 現世にいる内に、早く、創価の謗法に、気付かせてやらねばならぬ。どんなに本人が、創価の池田や幹部に洗脳されて、御宗門、日蓮正宗を毛嫌いして、大嫌いなのは百も承知。
 その、独善的な態度を、動執生疑を起こして、帰伏させねばなるまい。諌暁して、その非を悟り、判らせるには、これだけのブログ記事を書いて来た手前、かなりの困難を、彼自身、抱えているだろうが、間違っているものは、間違っている。これは、鉄則である。
 その間違いを、その人の人格は護りつつ、その頭の考え方、教義、信ずる心情を、その間違いを指摘して、変えさせる。それを、これこそが正に、日蓮正宗が説く、「折伏」という。
 結局、創価は、昭和の頃の生まれの仇花(あだばな)、新興宗教教団の一団体に過ぎなかったんだ、と気付き思ったのは、それから、又、何年も掛かって、私が自殺未遂という、人生の根本を考えるキッカケが訪れない限りは、私自身、在り得なかった。これが、最終決断に至る、自身の極み、創価を切り捨て、辞めにしたいと切に思い望む、よすがとなった。
 要するに、創価など、その「創価の森通信」なる、愚者の集まりで、ただ、一緒になって同じ傷をなめ合う、今という時を一緒に群れていたいだけの、弱虫共の集まりなんだと思った。こんな時代に、池田という、師匠にするのもはばかられる、実には張りぼての、極悪人間がその、イケダ本人だったとは、後世に、私の場合は、気付くのを譲らねばならなかった。
 しかし、自分でキチンと、自己自身を反省して、見直して、日蓮正宗の御宗門の軍門に帰し伏し、還って来られただけでも、天晴(あっぱ)れ、見事であった、と自分で自分を褒めたくもある。小さな、否、大なる幸せがここにある。
 とにかく、不信謗法、懈怠謗法、慢心謗法、折伏しないのも、これも何かの謗法なんだろう。
 世の不正、世の邪師による、邪義邪説邪道邪法邪教邪宗邪行邪淫を貪り耽り構えた、己心の魔にも、それら邪宗教団(凶弾)にもそれらに、加担するがあまり、塗炭の苦しみに喘いでいる人々の助けとも充分なり得る、法華経の良薬、詰まりは、日蓮正宗の御本尊様が、我らのバックには付いている。
 それには無論、これは全てを代表とする、大御本尊様、御本仏宗祖日蓮大聖人様、歴代上人様方、現御法主上人猊下様、末寺の御住職様、と幾重にも、我ら正宗信徒には、後ろ盾がかなりある。
 それら邪宗邪教の方々にとっても、これこそ、まさしく、日蓮正宗こそが救いの道なのである。これを知っているのと知らないのとでは、天地雲泥の差がある。御利益・功徳が必ずある。それを言い切っても良い。必ずあり、必ずまします。
 それに比べて、創価など、今は亡き、イケダの亡霊の他は、頼るすべもない。全くない。
 今後は集団指導体制に移行するのか、全く五里霧中で、先が見えないが、今後も、大聖人様の仏法僧の三宝観の、仏宝から、僧宝への格下げ、これは、創価が身延化する事を意味する。それだけ、今の創価は、危ない橋を渡ろうとしているのだ。
 これは、創価が、創価大学教授の、とある人間に(名前も忘れた、たしか宮田とか言ったか?)最高幹部たちが、今後の参考に、として、「仏法僧」という、創価が現時に於いて最も悩ましている問題についての考察を、大聖人様を僧の代表とする考え方に立ち、持とうと呼びかけていた、それら代表幹部たちが有難がって講義を受けていた事実は、今後の万人が知る所である。
 創価側も、臆面もなく、それらを公表している。詰まりは、近い将来、御本仏は日蓮大聖人ではなくなり、仏の位は、釈尊、釈迦が占める事を意味し、これからの創価のトレンドとして、その創価大学教授の肝いりで、成し遂げて、教義を、出来るだけ、日蓮正宗色を薄めて行こうとしているのだ。
 そうして、日蓮宗身延派と、結託し、手を結ぶのか。「身延問答」という、私は「人間革命」の中でその事実を学び、戦後の学会の壮大な金字塔ともなった、昭和の頃の創価が日蓮宗身延派にディベート、論争で勝利した、その場の一司会者が、「池田大作」氏その人であった。
 この、自ら打ち負かした、一度は創価の勝利により身延をひれ伏せさせた、その軍門に、果たして今度はどの面下げて、創価は身延に近づき降(くだ)ろうとするのか。
 それに、この時の勝利は、「三大秘法の戒壇の大御本尊」の存在の有る無しが論争の勝利の行方を決定し左右した事実。
 三宝論でも、創価は日蓮正宗の教義を最大限に利用して行使したから、結果勝てた。
 その勝利の現実に泥を塗る。現在の学会の教学等ではたかが知れていて、今、現代で、日蓮正宗と法論を交えても負ける運命であり、日蓮宗身延派とも同じく負けるかひれ伏す運命であろう。
 むしろ、仲良しこよしで、持ちつ持たれつ、迎合に迎合を重ねて、処世術を身に着けた積りの、自己矛盾、自家撞着、自語相違の、最たる、日本を代表する、サギ集団、ウソツキ集団として名を為し残すのが、創価の最期の末路だろう。
 それ位の事、今の創価ならば、思い切って、やったっておかしくはない。充分今から考えられる事だ。
 こうなったら、何でもありの様相を呈してきて、創価自身の自滅化、自らの身を滅ぼす結果となる事は、火を見るよりも明らかであり、その教義の変遷に戸惑う者達は、特別に中央の幹部としてお金をもらっている甘い汁を吸う官僚的職業職員の者だとか、余程の凝り固まったバカでもない限りにおいて、その教団から大量脱会へと向かう道が、それしか学会には残ってはいない事だとは、想像には難(かた)くない。
 すぐさま見通せる、想像、イマジネーション、イマジンに於いても。
 その時、もしも、日蓮大聖人が、仏の地位から、一介の僧侶の地位まで貶められたとしても、それだけ、大聖人様がバカにされても、創価のバカ共は、果たしてそんな傲慢で矛盾に満ち満ちた教義や組織にいつまでも、どこまでも、自語相違なのを納得づくで付いていく積もりなのだろうか。今の創価には大義などは何も何処にもない。公明という、一政治団体も、池田センセー亡き後大義名分を失い制度疲労して確実に壊死し政治寿命が来ているのでは?
 今言った、「創価の森通信」の愚劣者も、創価の寄らば大樹の陰で、日蓮正宗とも、誰の言うことも聞かずに、ただ闇雲に創価上層部のイエスマン、言いなりになり、無駄な人生を過ごしてゆくのが、目に浮かぶようだ。そこには、人生の破滅が待っているだけだ。
 「日蓮を悪しくうやまはゞ、国亡ぶべし」(新編御書一0六六頁、「種々御振舞御書」)との、大聖人様の御金言、御聖訓を反故(ほご)にして、今の日本の、世界の災厄をもたらすのかが、現在の、今後の創価の動向に帰趨して、全てはその双肩に掛かっている事は、言うまでもない。
 それらは、同じ異流義の、顕正会、正信会にも言えるのだが、今日は、創価の事のみの問題提起にして、まずは、筆を、キータッチを止めて、とどめ置く事にする。
以上。よしなに。長文、非常に詫びいるが如く失礼。wainai

Xデー迎えた創価学会。さて、今後は?!Come Together ! 一緒に行こう、さあ!創価未来予想図

2023-11-19 19:02:11 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 まずは初めに、この文章が、長文となる事を失礼しつつ、申し上げます。

 二〇二三年令和五年十一月十五日水曜日に、東京新宿信濃町で亡くなった池田大作氏。その辺の事情は、詰まり、本当にこの日に亡くなった、正確な日なのか、正確な場所なのか、これは置いておいて、(実際、充分な検証が必要なのは言うまでもない。年金詐取、遺体遺棄の疑い等々、刑法他、年金関連の法律に触れる怖れのある疑いを例え掛けられても、何も文句は言えまい。それだけのウソ位は、平気な、無様で厚顔無恥な団体なのであるから)、その実態、というのか、そのXデーを迎えた後に創価学会が辿るであろう、「未来予想図」を、ここで、箇条書きにして、書き出してみたい。
 
 一、今よりもはるかに、二倍三倍と、どんどんと、創価の信者が増え出して、創価学会員が大賑わいとなる。「池田の夢を後追いの、人口減少で現実的に無理な教勢拡張拡大路線派・説」「かなりヤバい、この考え方は、未だに昭和の栄光を、日蓮正宗の教義のお陰だったとは気付かぬ、愚者の勘繰り・説」
 答え:これは有り得ないと思う。教勢を伸ばした、池田大作氏が存在した最後の晩年、否、平成が始まった、日蓮正宗との確執が起きた時以来、教勢は衰えていく一方であった。創価学会が支持母体の、公明党も、この間、大幅に得票率が、ダダ下がりで、地盤沈下を起こしている。幾ら、池田氏が死んで、弔い合戦だ、などと意気込んでも、死んだ者は帰らないし、誰か、合戦と言うからには、敵、仮想敵でもいいから、が必要である。
 しかし、今は、自民党とズブズブの下駄の雪の状態、下駄の石、と言った方が良かろう。どこまでも、自民党に付いてゆこうとする公明党には、それ程の求心力が集まるとも思えない。それは、数パーセントの、実質上の、票数の上積みがあろうとも、それを境にグッと得票率は「センセー」が健在だった時よりも、必ず、公明も、創価も、今以上に、特に今は少子高齢化であり、日本の経済が停滞していて、暗黒の三十年、四十年と言われたこの長期不況、大不景気の中で、必ず創価・公明は沈没する。日本での立場は悪くなる。これだけは言って置くから。
  
 二、創価は、退潮現象が止まらず、宗教人口が四分五裂に分裂して、日本での主導的立場にあった自民公明党政権も、自民党から、その議員数の下落傾向に拍車が掛かり、国会議員数、地方議員も減った時点で、自民から見棄てられる。「創価四分五裂・衰退・説」「創価退潮現象、人生黄昏派・説」
 
 二のうちの①、今のままの状態で、集団指導体制で、原田稔、谷川一派が創価を指導してゆき、何の波風も立たずに、創価は愚民化政策を採り続け、やがて、犯罪集団化して、自滅の一途をたどる。 「愚民化何もやらずに堕落派集団指導体制自滅組・説」

 二のうちの②、今の状態のまま、創価は、ゆるやかに、やがて自然消滅してゆく。「自然消滅説、自然淘汰派・説」

 二のうちの③、特に、原田、谷川ら、東大や京大、早大慶大等々の、エリート軍団に象徴された一部の者達が今の創価の実権を握って牛耳っている現状に、最早、我慢が成らぬと、以前、数年以上前に、創価学会中枢から追いやられた、創価大学学閥の生え抜き、正木正明一派の、左遷組の、創価での復権を狙う者達が大反乱を起こして、池田先生の教えへ返れ、とばかりに、日本中を巻き込んで、創価の分裂騒動を起こして、創価のダメージ、イメージダウンに余計に拍車を掛ける。「創価大学学閥派独立復権大反乱大分裂騒動・自界叛逆難・説」
 
 三、それに加えて、今現在の執行部の間違いを指摘するのみならず、その、戦争法案、PKO法等々に賛成を決めた公明党とも別れを告げ、党を手放し、政教一致の憲法違反との、言われなき差別を今まで受け続けて来たと信ずる、創価学会内外の批難、批判、矛盾の解消を受けた上でそれらを見事、汚名返上、退けて、潔く普通の宗教団体の体裁を整えて、敢えて、二度と政界へは舞い戻らず、政治から脱却して、政治団体公明党を見限る事で統率を取ろうとする者達の分派活動化。「政治からの自由を謳う、宗教にのみ特化した集団としての一から組み立て直し再生潔癖派・説」

 四、むしろ、創価学会自体を、宗教団体ではなく相互扶助団体として、政治団体として、開き直り、公明党員として、全ての会員を振り分けて、政治団体と化した学会は、誰からも文句は言わせない、憲法違反でもない、とする者達。「宗教団体から政治団体へと鞍替え、変更を経ても、宗教が熱狂を生んだ力がやがて削がれて、これも一時的熱狂で、消え去る運命。元々宗教団体から政治団体化移行・説」

 五、その他、今まで提示した予想図は、これらの派閥の領袖・ボスは、皆、池田センセー・先生マンセー(万歳)と、池田信奉者、池田教、池田を信じ抜き、信頼するのが、その池田崇拝ポーズのみを取った者達ばかりだったのだが、頭一つ飛び越えて、考え方を改めて、素朴な疑問で、池田指導体制の時代に全ての疑問符を投げ付け投げ掛けて、大反省しつつ自己批判を盛大に盛り込み試み、池田会長の指導が全ての誤り間違いの根本だったと振り返りつつ、諸悪の根源が池田大作本人だったと気付き、自分の一途に信じた百年の恋も一人相撲だったとようやく覚め、悟り切りやっと自ら認めて目覚めて、池田の洗脳が解けた者達で再結成しつつ、池田の存在自体を全否定しつつ、元々の、創価学会の原点、初代・二代会長の、牧口・戸田両会長が築いた黄金時代に帰れ戻れとばかりに、王政復古、原点回帰の、むしろ、日蓮正宗の、お山へ帰りたい、総本山富士大石寺へ還ろう、とばかりに、一大ムーブメントと成り、そのけなげな心で、日蓮正宗宗門へと回帰志向をひたすらに向けて、その分派活動により、元いた地点へと戻ろうと言う者達。「スタートライン復帰新傾向原点回帰修正改革革命派・説」
 それが、日蓮正宗の猊下様、御僧侶方、一般信徒、皆に認められ得ると判断された暁には、脱会届を皆が出して、日蓮正宗に大挙して戻る事を誓う人達。  
 こんな人達ばかりならば、我々も大歓迎なのだが。

 そうして、日本国、全世界での、日蓮正宗・人法一箇の大御本尊・日蓮大聖人の御教え、折伏への、方途を考え直して、又、一からやり直し、猊下様が先頭に立って御指南遊ばして、宗門と和合した時代へと戻り、ニセ本尊は総本山へ全てお返しし返還して、新たに、日蓮正宗御宗門の御本尊の御下附を各菩提寺の御住職様方から、御貸し下げ、お戴き致して、奉掲して、正真の御本尊様へと元創価員の各家庭に行き渡らせる。
 勿体なくも、有難き、大御本尊様への真に直結直通の、真の本物の御本尊様であらせられる。
 そうして、その、戸田会長も申していた、各家庭の電球を光らせる、電気を行き渡され得るのは、根本の電気の発電所、総本山多宝富士大日蓮華山大石寺の現在は奉安堂に御安置され厳護された、弘安二年十月十二日に宗祖日蓮大聖人様が御建立遊ばされた、三大秘法の戒壇の大御本尊様へ、皆で一同、懴悔滅罪、罪障消滅をこの時、祈るのだ。これは、再度の、日本国、全世界に於ける、現在に於いて、大折伏戦を再開させ得る好機となる。沈滞した日本国、世界への、もう一度立ち上がるチャンス、好機と成り得る。
 日本のみならず、世界も、「雨つちくれを砕かず」の「法華独り大繁盛」の「大地を的とする為るべし」との、大聖人様の御金言を、元創価員の一人一人が、我ら日蓮正宗へと戻るチャンス、好機とすべきなのだ。
 池田氏死去により、悲しんでいる前に、一応の、義理は果たした、との、もっと、ドライに、というか、ウェットじゃなく、或る程度、クールに割り切る事も必要である。
 我ら日蓮正宗法華講では、創価学会員のお一人お一人が、漏れなく、この大法の御慈悲に浴しつつ、塗炭の苦しみに喘いでいた人々・物事が、目の前から悩み苦しみが「ぱっと消へ」過去へと代わり得る、快方、解放への道がここにあるのだ、との、物の道理を説いて申し上げている。
 変わるのは簡単だ。良く変わるか、悪く変わるか。そのどちらかが全てだ。或いは、努力をせずに、何も変わらないのか。それは縁としか言いようがない。その縁により、良くも悪くも、結果がかなり変わり得る。原因を作り出すのはあくまで自分自身だ。原因を他のせいにしてはいけない。自業自得。万事、自分が一切を決めているのだ。その点を、充分考えて!その極意極説が、宗祖日蓮大聖人様の大仏法仏教哲学だ、日蓮正宗が説く所の。
 その袋小路と言うか、二つに分かれた、大事な分かれ道に、貴方方、創価学会員の皆様はおられると言う事。
 どうか、一人でも、真実に気付いた人達の連帯を、日蓮正宗へと目を転じ、向ける心掛けをもって、もっと自分自身の心に正直素直になって、正宗に帰って来て欲しい。それだけを、ただ、ひたすら、吉報を、信じつつ待っている。

 悩んでいる(いた)のは、あなた一人だけじゃない。私達、日蓮正宗法華講員も、元をたどれば、時代をさかのぼれば、大多数、元創価学会員だった者も多いのだから。その他に、元顕正会員。元正信会員。その他の元新興宗教構成員だった者。元爾前権教の伝統宗教者。元キリスト教者他。世界的に見れば、元イスラム教徒他。皆、元が付いた者で溢れかえるのが我が宗の実情だ。
 でも、しかし、それに対して、誰からも文句も言われず、皆が皆、正々堂々と、日蓮正宗信徒として、再生復活を果たして、生き直し、生まれ変わり、気分良く過ごせる。心配は要らない。
 我々も、気持ちは、充分に理解している。正に将棋の駒のように、王将が、宗祖日蓮大聖人様であり、現在は、第六十八世御法主日如上人猊下様。その手駒の一つに、あなたも成ってみませんか。自由に、この世で振る舞い、邪宗教撲滅の為に、あなたも我らと共に闘ってみませんか!かなり、やりがいはあります。生き甲斐になり得ます。カンタンに、物事の苦悩、悩み、争い、人生の悲惨さが、この信心で解決した者は、五万と居ます。
 一つ、あなたも、やってみませんか? 日蓮正宗と言う大船、大道、恵まれた、この世の別天地、人々のつながりが凛々しく麗しい環境下で人生をもう一度、謳歌して見ませんか。昭和時代の、戸田先生の夢の続きの日本一国広宣流布、世界広布を私達の手で、もう一回、やってみましょうよ!
 
 みなさん。時代は変ったのですよ!時代は変る、変えられるのですよ!皆、大挙して。我々の手でも見事に変えられ得る。この世を仏国土として建設し直せる。「総本山富士大石寺」へと、お山へと、皆で帰ろう!

 財(たから)は身近な所にある。財とは、勿論、大御本尊様、分身散体の各家庭の御本尊様の事である。少なくとも、ニセ本尊では全くない。

 正に、大聖人様御生誕から八百年。これら慶賀の年々に我々が生まれ逢わせたのも何かの不可思議な奇遇の今生の縁に他ならない。
 
 Come Together !  いっちょ、やってやろうぜ!一緒に行こう、さあ!
(ザ・ビートルズ「カム・トゥギャザー」ジョンレノン作、レノン=マッカートニー作詞作曲・作品の題名の曲、歌の歌詞の一節でもある)

以上。よしなに。wainai

池田大作創価学会名誉会長が死去。巨魁、逝く!

2023-11-18 16:40:19 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 創価学会は、池田大作名誉会長が、本日発表した所によると2023年令和五年十一月十五日、老衰の為、享年95歳で死去を発表した。(まあ、今となれば、本当にこの日に亡くなったのかも怪しいが)。
 公明党を作って政界に進出し、創価学園を作り、政治、教育、文化、宗教界、等々を牛耳り、力を尽くしたが、ここ、十何年間というもの、音信不通で、消息が全く伝えられずに、その行方が注目されていた。

 とうとう、来たるべき日が来た。巨魁、逝く!この、魔物が消え去り、その後の、創価学会、公明党は果たしてどう進み、どうなってゆくのか。それのみが、私の気がかり。元はと言えば、こ奴が全ての、宗創戦争の火種となった張本人なのであるからして…。先日の顕正会浅井昭衛会長、共々、何たる体たらくか?今年、これら二人も相次いで、カルトセクトの教団の巨頭巨悪が二ヶ月続けて二人もの代表が逝くとは。これも何かの縁か。今年の四月頃には、幸福の科学の大川隆法総裁も急逝しているし…。今年は何かがあった年なのだろう。そうとしか思えない。
 丁度、日蓮正宗御宗門では、今年は大々的に、宗祖日蓮大聖人様の御生誕八百年の慶賀の御祝いを盛んに行い、そんな、法盗っ人の、小物達の相手等する程暇じゃない。まるで、大聖人からの大罰を敢えてそれら大謗法者は必殺で受けているのではないのか。「日蓮を用ひぬるとも悪しく敬はば国亡ぶべし」(種々御振舞御書1066頁-新編御書)の御金言の如くに。
 この男の為に、どれだけ日本の政界だけじゃなく、その宗教の正義・正法の本流たる、日蓮正宗にとっても、最大限に大迷惑を被ったこの根源の人間、極悪人の被害者であった事か。人非人。この、宗教界の無責任男の、この現世からの退場、堕地獄行きにより、その後が非常に注目に値する。これから、一波乱もふた波乱もありそうな、きな臭い感じがプンプンだ。
 池田大作創価学会名誉会長、正に逝く。その甚大なる堕地獄の所業は、断罪されて余りある。
 創価学会員の一日も早い、創価からの洗脳が解け、長い眠りから覚め、創価脱会へと向かう事を祈るのみ。そうして、私の望みは、皆が大挙して、富士の清流、日蓮正宗へと舞い戻って頂きたい。
 私は、以前からブログ上で申し上げた通り、今日の日を寿ぎ、家で赤飯を食べる積り。来るべき日が、とうとう来たのだ。

 一応、冥福のお題目を祈らせて頂く。合掌。南無妙法蓮華経。

以上。よしなに。wainai

 一応、仁義を尽くして、赤飯おにぎりを二つ買ったが、一つは食べてしまったので、お祝いとしての、残りの一個の赤飯おにぎりです。
以上。

創価学会員の過ち間違えた勤行姿勢

2023-11-03 07:04:07 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 私が、以前、元講頭さんから聞いた事がある、その方の創価学会の親戚は、とんでもない、勤行をしているという。
 それは、その方が目に耳にしたのは、何と、勤行を始める時に、テレビだか、ラジオのスイッチを最初に付けた上で、うわの空でそれらテレビラジオと勤行とをながらで同時進行で進める、というものだった。
 これは、私は日蓮正宗の書籍に載っていた写真画像で確認済みだが、あの、稀代のペテン師、邪師の池田大作が、これも同じく、彼の文化会館であろうと思われる場所での勤行中の写真を見た事がある。
 それには、御本尊に池田は向かってはいたが、その経机には、ご飯だか、お茶の類の、飲食をしながらの、会長にあるまじき、ふざけた勤行を行なっていた、というものである。
 会長が会長ならば、会員も会員であり、皆、ミニ池田化していた、という他はない。
 もう、彼らにつける薬は無いと見えた。こんなおぞましい、悪徳集団は、金輪際、この世から消え去って頂きたい、と切に思い願う。
 神聖な、信徒にとって最大限の祈り、即ち勤行を、ここまで汚(けが)して、平然としている、会長池田、並びに幹部やその他大勢の会員一同達には、それ相応の、大仏法の自業自得の、堕地獄行の鉄槌が下る事、必定(ひつじょう)であることは、論を俟たない。
 仏様大聖人様は、学会の会長・幹部及び末端会員の集団共の束になっての悪業を、悲しんでおられるのを、汝らは、何故気付かず分からぬのか?大慢心もここまで来ると甚だしい!大謗法、大仏罰必定だ。

以上。よしなに。wainai

今日は甚だ気分を害した!以下、その、反論文。

2023-10-13 10:53:54 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
この文章は、前回、私のコメント欄に乱入して来た、創価共のコメンターに対する反論である。これにその書き逃げして行った張本人が、言う事があれば、いつでも相手にしてやる。
まあ、どうせ、Unknownなどと、自身の名前も名乗れぬ、名無しの所業であるので、こちらもまともには相手にはしてはいない。
しかし、随分と、こちらを馬鹿に出来得るものだな、とは感心した。
こちらが大恩人と、この元となった記事にも、私が書いているにも関わらず。
とにかく、これは、私の、そしてその大恩人、S楽さんにとっても、名誉棄損もいい所であり、私に対する、ケンカを売る行為と同じだ。それに対する、謝罪一つない。自分が正しいと今でも思っているのか?正々堂々と名を名乗って法論、論を戦わせる気概すらない。男として、人としても、恥ずかしくないのか?それでも人間か!
それが、たまたま、名無しのお陰で、私からの直接の反論が無いだけ。
それが手なのかも知れぬ。
とにかく、今後は、名無しは徹底的に削除したい、私も腹が立つ記事、コメントがそれらを読む度に記憶上に思い出し、腹立たしい極みであるからだ。しかも書き逃げ。名も名乗らない者にこれだけの仕打ちをされている私はマゾか?
今は少し冷静になっていますが、この度の、名無しの勝手な振る舞いに腹が立ち、こちらの本記事へと、転載致します。
今後、名無しのこれらの文章は、即、コメント削除致します。削除に踏み切ります。
以下、その、それに対する私の文章群です。長文失礼。その元となったブログ記事もURLで。


今日は甚だ気分を害した、人を許せる気分では今はない!それでも、ここに載せ続けているんだから、有難く思いなさい。以下、その、反論。
 (wainai123753)2023-10-13 10:46:22
2023-10-13 10:35:20
『仏壇を捨てさせた癖に、今ではあべこべに父が仏法の守護者の如くに菩提寺の寿海寺に眠っているのは何か腑に落ちない、と以前、広布推進会でいわき市の大華寺に向かう道すがら、車中でS楽さんに言うと、』(私の記事引用終)
Unknown (Unknown)2023-09-29 00:53:39 さん、
此の引用文章を見ても判らないんですか。この御方、S楽さんは立派な日蓮正宗法華講信徒、それも、昭和の五十二年路線を過てる創価が引き起こし、惹起して居った最中、この御方は、颯爽と創価を去り、日蓮正宗へと、新興宗教創価から、日蓮正宗御宗門へと、颯爽と自身が気付き、寝返った、その当の本人なんですよ。
大体、そんな、このお寺の重鎮でもあるべき御方に対して、「邪宗」「邪教」の発想だ、などと、その御方の思想信条まで思いやりを気付けずに、私共の仁義を尽くした先輩後輩同志の友情など露も知らぬ、赤の他人の、貴方にはそのままで済むとお思いなのでしょうか。勝手な物言いだと、思わない、無責任さ。無慈悲の極み。
S楽さんは、第一次創価学会問題が起こった頃からの、いち早く創価の異常性に気付いた、昭和の頃の生き証人でもあります。
その御方を謗る事は(邪宗教だと)、自分にそれらの言葉がそっくり返って来ます。
還着於本人です。
それに、随方毘尼という言葉を貴方は知らないのですか。
それに、御本仏宗祖日蓮大聖人様は、御書、「太田左衛門尉御返事」(一二二二頁)に、
「予が法門は四悉檀を心に懸けて申すなれば、強(あな)がちに成仏の理に違はざれば、且(しばら)く世間普通の義を用ゆべきか。」
現代語訳、『通解』
「私の法門は四悉檀(仏の教説を四種に分けたもの。①世界悉檀②為人悉檀③対治悉檀④第一義悉檀)を心に懸けて申す法門であるから、必ずしも成仏の理に違わなければ、少しは世間一般の義(厄など)も用いてよいのである。
(以上。出典『御聖訓一読集』令和四年度版・奉祝 宗祖日蓮大聖人御生誕八百年)[諸難を乗り越える信行])
とありますように、多少の、時代に合わせ、その時の風俗に合わせ、その場、その時、その場合に合わせても一向に構わない、その場その場での、御教えの改変、改革、等々を認めているのが、本来の踏襲の教義です。
それを認めないならば、今、現今の創価の言う、言うなれば「途中の人師論師は認めない」との言説と、同一ではありませんか。
私は、一見、このような、日蓮正宗信徒を思いやった風の貴方が、最初から、我々日蓮正宗の信徒の一分であると、思って居りましたが、どうやら、私の買いかぶりであったと思い直しました。
あなたは、当宗信仰者ではない。日蓮正宗信徒を名乗る、エセ信者、おそらくは創価の回し者である、と見抜いた。
それは、その後の二度目に登場した、創価信徒丸出しの情けないコメント欄のコメンターと軌を一にする者であり、やはり、時間的にも、正真正銘の同一人物、それが、いわゆる、Unknown (Unknown)を名乗る、一連の名無し氏による、自作自演のパフォーマンスであったと、今は喝破して見抜きました。
人を騙そうったって、そうはゆかない。どんなに日蓮正宗信徒を名乗るが如くの、見せかけの、御立派に見せた所で、その所属性、在所、身分はすぐばれる。どうだ、思い知ったか、此の創価の名無し野郎めが。
とにかく、これからは、名無しは一切、コメント欄に表示されたら、自身を名乗る勇気すら持ち合わせていないとこちらが判断を下す以上、削除に次ぐ削除へと、私を駆り立て発動してゆく事を、ここに於いて宣言させてもらい、これを掉尾として、この文章の幕引きとする。

以上。非常に腹立たしい、胸糞悪い、気分を害した気持ちを抑えつつ、この文を結ぶ。よしなに。wainai123753

※追記:同コメント欄から追っての私のコメントの転載。

unknownは、削除一掃致しました。 
(wainai123753)2023-10-13 11:17:10
とても目障りなので、これからのブログ綴り、作成上も問題となり、気分を害するので、全てのunknownは削除致しました事、ここに表明宣言致します。どうせ、創価の連中の、炎上作戦、嫌がらせの類でしょうから。
それゆえに、名前が名乗れない、卑怯者である訳、理由がその体を顕わしているのですからね。
報告がてら、事実を書き残して置きます。
以上。

日本が戦時中、米国と停戦協定を結んでいたら~たらればの話になるが…。創価という悪の元凶・一凶についての話へ

2023-10-04 12:15:45 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 或る方のブログを覗いていて、日本国が、敵国の、英米中ソ仏等との第二次大戦の戦いにおいて、甚大なる被害を、この場合、東京を始めとする都市の絨毯爆撃、二度の原子爆弾の投下、等々を迎える前に、変な意地を張らずに、敢えて前もって、事前に、停戦協定を結んでいれば、今よりも、より良い条件で敗戦を迎えられ、無駄に兵士や一般市民を巻き込んだ戦死者、被害者も出さずに済んだのに、とあり、成程、そういう考えもあったんだ、と、歴史の「逆算」論だと、今更ながら、思い致した。
 その通り行けば、今、憲法改正で苦しんでいる、日本国憲法(昭和憲法)なども制定されずに済んだかもしれないし、自前の軍隊もそのまま、存続させ得ることも出来たかもしれない。
 何よりも、甚大な被害者を出した、莫大な死者、被害者の命、特に、沖縄戦などは、沖縄県が皆焦土と化し、決戦場となった訳であり、日本は沖縄にはその被害の全責任がある。その他、全日本国土の一般民衆、軍人たちへの無駄になった死傷者への責任も同様に重大重要事項だ。
 私は、今の日本は、それらの犠牲者の上に成り立つ国家だが、戦前戦中と、「大本営発表」に騙された当時の日本人たち、ダマした軍部政府にも問題が大ありだと思う。一般日本人には、その、ウソの情報の本質を何一つ見抜けなかった、誰一人として。その責任を問われる。騙されて、かわいそうな気もするが。しかし、一般理念からすると、その責任は重い。要するに、悪、ウソを見破る、賢い智慧が当時の国民には全く無かった。「赤信号、皆で渡れば怖くない」➡「赤信号、皆で渡れば皆が死んだりケガをする」となる。

 しかし、その戦争が真に間違った戦争であり、それに抗い戦争に反対し闘った人も少なからず当時にはいたが。(創価はそれには当たらない、その対象者対象団体ではない。当時、牧口会長、戸田理事長は、盛んなる、絶賛、戦争賛美、戦争に非常な協力体勢者であったから。それが知りたければ、その当時の資料が一杯たくさん残っているから、ネット等でご自身でお調べ下さい)。
 これ、昭和の軍部の大政翼賛体制と大本営発表との、似た構造にあるのが、今現代で、宗教界に当てはめてみると、「創価学会」という組織に他ならない。
 「聖教新聞」「創価新報」等の、大本営顔負けのデマ、プロパガンダ機関に騙され、言いくるめられた、一般会員、それをこれ見よがしに煽る創価学会の幹部、現会長ふくむ、今は無き、特に十数年前の中心者トップだった、筆頭格の池田大作氏。
 こんなに騙されやすい会員などは全て、幼稚臭く、今どきのオレオレ詐欺顔負けの悲しい様相を呈している。
 騙されている方もその間違った教えの応援者である以上、そのデマを拡散する張本人である以上、尚更、罪深い。
 これら人々の、この大罪は、幾ら今は日蓮正宗から破門され、解散勧告が布告され、別団体、新興宗教の一団体となったからと言って、決して許されない事である。
 いまだに「日顕(上人)宗」、などと、この世に有り得ない、存在しない宗教団体名として、日蓮正宗を蔑視して蔑称で呼び習わし、悪口罵詈の罵倒の限りを尽くしているのだから。その罪業、大罪は計り知れない。幹部・一般会員共に、正に堕地獄行だ。
 とにかく、「謗法与同」といって、それら歪んだ教義の創価などの大謗法団体に一日でも籍を置き、属している限り、同じく公明党などという、邪政治団体にフレンド票として一票を投じた者共も、その山ほど積んだ罪障は非常に重く、それら方々の身には重すぎて、正真の日蓮正宗の信仰に改心し戻り還らない限り、帳消しとはならない事共を、学会員他は肝に銘ずべきである。
以上。よしなに。wainai