Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

「大悪をこれば大善きたる」の大悪大善御書への訪問者が…

2019-01-30 13:21:35 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
ここの所、「大悪をこれば大善きたる」の大悪大善御書への訪問者がひっきりなしに我がブログへ来ていたのだが、この大半が創価学会員だったらしい。今年一月の大白蓮華の御書講義が、この御書だったらしい。
 この記事は、特に日蓮正宗を標榜して書いた記事ではなかったが、それが私は片手落ちで残念だ。
 一般論を述べただけに過ぎず、何ら学会員への折伏にはなっていない。
 しかし、この記事から他の日蓮正宗関連の記事へもその何割かは来ているだろうから、まあ良しとしよう。
 それにしても、創価学会員にそれだけ学習熱があるなら、他の、「木絵二像の事」や、卒塔婆の大事を書いた御書、三宝のことなどをよーく自分の目で御書の他のページにも目を配って欲しい。
 そして、知ろうと知るまいと創価はそれだけで堕地獄であり、御書を最も根本として奉り、御書の字義通りに振舞っているのが日蓮正宗なのだということを新たに認識して欲しい。
 御書を極めたければ、日蓮正宗の法門を叩き、創価学会を一日も早く退会して、一緒に法華講員として末寺の御住職様と御講の日ほか、学びの時を持とうではないか。

老健施設にて

2019-01-16 19:35:15 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
昨日も今日も、母のいる老健施設へ行って来た。
 母は、一時食が細くなり、心配の種だったが、何とか持ちこたえ、やっと回復してきた。ひと安心している。
 母の席のそばに、Kさんというお年をかなり召された女性がいる。
 この女性が、面白い事に、誰をつかまえても、「先生、先生」と呼んで話をする。
 いつだったかは、私に向かっても「先生」というので困ってしまった。
 母も「先生だって」といい、職員の方も、「Kさんはみんなに先生っていうから困っちゃうわー」と言ってその場が和んだ。
 思えば、仏教で不軽菩薩という方は、あなたには仏性がある、と言って合掌礼拝崇敬して万人の前で一人一人を敬って拝んだ。のちにこれが仇となり、迫害されてしまった。
 このKさんも、まあ、この場合の「先生」は、自身の保身の為の処世術かも知れないが、しかし、「人生、皆、師なり」を地で行き実践する、本人はそこまで思っていないかもしれないが、誉めてもよい事だろう。
 お年寄りのいるホームは、死が迫っている世代なので、切羽詰まっているかと思いきや、さにあらず。何とも穏やかで温かい、人のぬくもりが感じられる、微笑ましい世界が広がっていた。

老宣教師神父の言

2019-01-12 14:47:21 | 邪宗教キリスト教一神教・邪教占い・統一教会・神社神道・新興宗教・神様系・等々邪教
 私は高校生の頃、いろんなラジオ番組をカセットテープで録音するのが好きだった。
 当時、キリスト教の番組が多くあったが、その宗教性に興味があった。
 ある時、NHKラジオで、十分間位の番組で、日本で宣教に携わった老神父の話が興味深かった。
 それらのテープは皆今はないが、しっかりと覚えている。
 その神父は、日本でキリスト教伝道が失敗したのは何故か問われて、自嘲気味に、
 「ニッポン教。まさしく、この国には、ニッポン教、これが災いしている。山本七平が”日本人とユダヤ人”という著書で触れていた”ニッポン教”。これが、問題なのね。キリスト教が伸びないのはこれね。だから、今、どうしたら良いか、うーん」
 という風に、キリスト教布教に日本教が邪魔をしている、と述べていた。
 私もイザヤベンダサンこと、山本七平のこの本を高校生のこの放送を聞く前に既に読んでいたが、その中では、この日本という国は、ニッポン教とでも言うべきものが充満していると言う。日本人は皆、この信者で、外国人と日本を明確に分けている。
 曰く、ニッポン教自民党とニッポン教日本共産党、極端に言うと、この二つは対立しているようで、同じニッポン教徒なので、根本は同じ、一緒なんだと言う。
 皆、ニッポンと言う、村社会、一つの国に住む同じ、ニッポン教、とでも言う宗教の人々の国が日本、というユニークな説を唱えた。
 だから、キリスト教が広まらない、ニッポン教だから、と前述の老神父も嘆く。
 元々、鎌倉時代の、日蓮大聖人の時代から、大乗仏教が広まった国では、小乗も、外道なら尚更、広まらないと言われていた。
 この大日本国には、外道宗教のキリスト教の出る幕ではないのである。

神様信仰の限界

2019-01-12 14:14:16 | 邪宗教キリスト教一神教・邪教占い・統一教会・神社神道・新興宗教・神様系・等々邪教
 一神教、多神教を問わず、特に一神教は、目の前に神と言う概念を立て、そこから一切が始まったと説く。では、それ以前に、その神はどこで何をしていたのか聞いても、それが全ての根源だからそれは問うなと説く。一種のまやかしだ。
 全て、神を自分の前に立てた時点で、矛盾が出てくる。神様信仰の限界だ。
 この世を神の存在で説明しようとして、色々ボロが出てくる。だから、日蓮正宗信徒は、キリスト教等々の宗教は全く侮蔑の思いで見ている。哀れとしか言いようがない。
 正月に神社等に行った人もいるだろうが、日蓮正宗では、「神天上の法門」と言って、鎌倉時代の日蓮大聖人の時代から、神々は、謗法にまみれたこの日本国の地上からは消え去り、天へ帰ってしまわれた、だから、この国にある、神社のやしろには神は宿っておられない。むしろ、悪鬼魔神の棲家(すみか)となっている。だから、神社参詣などは虚しい、罰当たりの行為だから止めなさい、という教えだ。
 神社に行くと、おみくじなどと言う、ゲームまがいの金せびりや、効きもしないお守り・お札の類いが多く並んでいる。私は、あれは謗法の宝庫だなあ、と悪く感心する。
 うちの母が、うちの母はその当時創価学会員だったが、他宗教も信じる傾向にあり、いつだったか、福島県の会津の伊佐須美神社に寄り、車に付けるプラスチック製のお守りを買い、自分の車の後ろに張り付けた。
 その車が、その年の春に、白河を通って郡山へ帰る途中、大型トラックに真後ろを追突され、母と私はむち打ち症、車は大破、となってしまった。
 その時、母に、あのお札は全く効き目なかったね、と言うと、母は、思い出したくもないわ、と言い、それ以来、ピタリとお守りお札の類いは買わなくなった。
 お守りなど何の役にも立たない、と身に染みて分ったのであろう。母は、後年、あの神社の方角が悪かったのかなあ、など、方角のせいにもしたが、私が、お守りで守ってもらおうなんてムシが良すぎる、神社全般がいい加減な教えなんでしょ、とその頃、キリスト教に関心があった私は吐き捨てるように答えた。
 キリスト教を本格的に学んでも、守られていると言う実感はなく、当時新桜通りの前の道路で街中の郡山カトリック教会へ向かい、自転車で走行中、車で撥ねられるなど、むしろ、罰に当たるかのような不運が続いた。教会堂での祈りはちっとも楽しくなく、陰隠滅滅とした感慨しか受けず、思えばあの頃の私は、二重人格、偽善者の仮面を被った暗い青年の一人に過ぎなかった。
 日蓮正宗になって、お祈りは朝三十分、夕二十分と長くなった。しかし、これ位ないと、祈りとしては完結しないと判っている。創価の様な五分勤行、キリスト教の異邦人のようにくどくど長く祈るな、等々を聞いても、実際私のキリスト教時代の祈りは家では余りしなかった。何か、キリスト教の祈りはキザで、祈りたい祈りじゃなく、敬遠したかった。イエスの、くどくど祈るな、というのが、まるっきりキリスト教にその話の全てをお返ししたい位の代物だった。
 到底、大乗仏教国の日本には、キリスト教は広まる訳がない、大聖人様も、この国が、大乗の国か小乗の国か、程度の高い宗教を必要とする国かその逆の国かを考えなさい、と仰られたのも感慨深い。
 神様信仰、百害あって一利なし。神様に御利益などなく、ただ、謗法与同を畏れるのみ。

「折伏必携」を読む

2019-01-09 14:56:46 | 読書・本を読む事への楽しみ誘い。日蓮正宗御本。その他一般著作物電子書籍・辞書類
「折伏必携」(定価一八〇〇円、小川只道御尊師監修、暁鐘編集室)という御本を読書中。
 日蓮正宗の肝要な教え、歴史、他教の破折等が二分冊で収められている。
 とても宗教に詳しい御本であり、かなり分量もある。
 読書ライフが楽しくなる御本だ。

新年、おめでとうございます

2019-01-02 12:35:47 | 人生訓・人生論・人の生き様・年末年始賀正・正月祝・祝誕生日・記念日・祝祭日旗日
 明けましておめでとうございます。
 テレビでは、年末新年特別体制で、特別番組ばかりで、通常番組が放送されずにつまらない。かといって、ラジオはいつもは年が改まっても通常放送なのが常だったが、いつからか、ラジオ福島では箱根駅伝を二日ぶち抜きでやるようになった。NHKラジオ第一でもやるので電波のムダだと思う。
 昨日一月一日は、福島県郡山市は、日蓮正宗無量山寿海寺にて行われた元日参詣、新年勤行会に参加した。一年を始めるにあたり、改まった気分になった。
 今年は、亥年であり、猪突猛進の年だが、自分的には、余り無理をせず、平穏無事でありたいと思う。普通が一番有難く、難しい。公私ともに、良い年でありますように。