Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

ラジオの一長一短

2021年03月30日 14時29分53秒 | ラジオ・テレビ・新聞雑誌ネット等マスコミ。ラジオ機器オーディオビジュアル製品
 今、私が注目し、愛用しているラジオはTECSUNのPL-380であるが、以前はソニーのICF-T46というポケットラジオを使っていた。しかし、ソニーのそれは強力局、電波の強い放送局に負けてしまい、隣接局が聞こえない、といった癖があるラジオだった。
 日曜の夜九時は北海道札幌のSTVラジオで松山千春のラジオを遠距離受信して聴くのだが、地元のNHK第二放送に邪魔されて電波が途切れ途切れになる。これをどうにかしなくては、といつも悩んでいた。
 PL-380にしてからは、遠距離受信で問題なく聴こえるし、どうしても隣接局が被る場合は、選択度の6,4,3,2,1kHzの五つから選べるので楽ちんだ。
 しかし、DSPラジオの特性で電池の持ちは悪く、最後まで使えば数日は持つのだろうが、毎朝用心して充電している。本体もT46に比べると大きく、T46の名刺サイズの軽快さが懐かしい。
 けれども、短波で海外の放送が聴けて、AM、FMで国内の天気、ニュース、音楽等々を惜しみなく聴けるのは有難い。ボタンが多くて使いづらいが、その分機能は満載で、今の部屋の温度が判ったり、電波と雑音の強度が表示されたり、周波数が判る明かりがついたり、面白い。
左、PL-380と右のICF-T46。

中華ラジオPL-380を購入

2021年03月24日 16時39分00秒 | ラジオ・テレビ・新聞雑誌ネット等マスコミ。ラジオ機器オーディオビジュアル製品
中国TECSUN(徳生)製の短波ラジオ、PL-380を買ってみた。五千円しなかった。DSPラジオであり、電池は単三3本である。
以前、と言っても十年位前のTBS系ラジオ、「Dig」という番組で、藤木TDCという専門家が、ラジオ機器を何を愛用しているかと聞かれ、このラジオを挙げていたのが印象に残っている。
ソニーもラジオに頑張っているが、いかんせん、短波ラジオから撤退してしまった。ソニーも日本製から撤退してしまっている。まことに残念。
感度は抜群のPL-380である。これで日本国内、海外の情報が網羅して聴ける。今は余り日本語放送は少なくなったが、全くない訳ではない。
海外から日本を見るのも良いかも知れません。国内のAM・FMも聴ける訳で、贅沢に尽きる。
これにUSBミニプラグを挿してエネループなど、ラジオごと充電できる。便利な機能だ。
アンテナ端子はないが、付属で簡易取り付けヒモアンテナが付いている。ステレオが聴ける両耳イヤホンも付属するが、自分は片耳イヤホンが好きなので、それを挿している。
ラジオは初期投資にラジオ機器一台を買うだけで、後は電気電池代のみで、タダで楽しめるが、時間を自分の一人の為に使える贅沢な趣味だと思う。
午前中は短波で韓国の放送を聴き、午後は夕方から夜、北朝鮮の将軍様のラジオを聴く。夜も台湾や中国、ベトナムほか、夜中には北朝鮮への拉致被害者救出の北朝鮮向け日本語放送も聴ける。日本のNHKでやっているラジオ日本国際放送も聴けるし、国内向けの株や音楽、競馬のラジオ日経も聴ける。昔の海外渡航ビジネスマンは、インターネットなどなかった時代は、手元に国際短波ラジオを忍ばせて海外で活躍した時代もあった。
皆さんも、趣味の一つに如何でしょうか。

井上陽水「人生が二度あれば」を聞く

2021年03月19日 12時12分14秒 | クラシック洋楽日本邦楽演歌雅楽江戸明治大正昭和平成令和現代歌謡伝統音楽集
 今日、井上陽水の曲「人生が二度あれば」を久々に聴いた。
 この曲はバブルの頃、確かナショナル(現パナソニック)のビデオ、マックロードか何かの宣伝CMで使われていた。私はその頃陽水のCDを買い、これはテレビCMの曲だ、と感慨にふけっていたのを思い出す。
 陽水は人生の無常、はかなさを歌い、歌には老人となった父母が出てくる。曲の最後では思わず声が上ずり、「人生が二度あれば」と絶唱し、泣き崩れている。
 私もここ最近は物思いにふける事が多く、この曲を聴いて不覚にも私まで泣いてしまった。
 日蓮大聖人の仏法、法華経では、三世永遠の生命、と説き、過去世・現世・未来世と我々は展転に生まれ変わりを繰り返し、またこの世界に戻ってくる、と言う。次は人間に生まれてこれるかどうかは保証はないが、とにかく、また生まれて来る。
 それを考えると、無常観に浸る間もなく、何も寂しがる事もなく、何とか今生で善徳を積み、来世でまた会いましょう、との凛凛たる心地が湧く。
 この歌とは別に、息苦しい世の中は嫌だし、何とかこの世を仏国土にすべく、一隅を照らせる人になりたいと思った。

今どきの風潮には何だか合わないなぁ

2021年03月15日 11時56分47秒 | クラシック洋楽日本邦楽演歌雅楽江戸明治大正昭和平成令和現代歌謡伝統音楽集
 今どきの、と言ってもここ十年位の話だが、私は昭和世代のせいか、全くついていけない。
 歌の世界で、卒業式の歌の定番だった、仰げば尊しなどの歌が今は歌われず、代わりにレミオロメンの三月何日とか、旅立ちの日に(合唱曲・川嶋あい作の二曲)などがあるらしいが、私は異邦人状態だ。
 今の人たちが良いと言ってるのでそうなのか、としか言えないが、世は歌につれ、時代の変革には逆らえない。
 レミオロメンの曲などを聞いても、「これのどこが卒業ソングなの」と言うほど、世代の格差を感じる。
 訳が分からなかったのは、「世界の中心で愛を叫ぶ」という映画で、最後はオーストラリアのエアーズロックで愛を叫んで終わるが、そこで今の人たちは大泣きに泣く、感動するというんだが、私はちっとも感動できなかった。
 昔と今では、価値観が違う、と言えばそれまでだが、思えば、私の頃だって、テレビドラマで流行った歌を卒業式に歌ったりしていたので、母の世代からみれば、何てミーハーなんだろう、と思ったかも知れず、私も人の事は言えない。
 しかし、ドラマの主題歌だった「贈る言葉」は、親世代も感動しうる分かりやすい名曲だったし、今とは少し違う気がする。
 今の時代は、ポストモダンの、時代的に何かが軽薄な感じを受ける。その軽薄さが、何に起因するのかまだ分からない。若い世代も私たちも、私の親世代ほど苦労はして来なかった。底が浅いのだ。
 私たちの世代は、そんな苦労を親から聞かされて育った。まだ免疫があったが、その下の世代はそれが皆無なのだろう。
 今は、何でも揃っていて、昔よりも幸せなはずなのに、環境よりも中身が伴わない。
 何か無機質な、表情のないマスク姿のような我々世代にも、感動を感ずる力はあるのだから、感受性を研ぎ澄ませて、日々を彩り、生きていく他ない。
 今の時代に無理に合わせる必要もなく、河島英五の「時代おくれ」の歌の如く、孤高を目指すのも有りなのかとも思う。

創価学会が懐かしい、と思うのは魔のささやき

2021年03月08日 15時52分53秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 よく、創価学会時代を振り返り、組織にいると、皆が面倒見が良く、懐かしい、と創価を良く評価してしまう人もいるが、それは、魔にやられている証拠だ。
 面倒見が良い組織は、創価のみでなく、共産党やヤクザなど、幾らでもある。皆、組織的に充実しており、「面倒見」は抜群だ。
 私は、私個人のあくまでも意見だが、私の場合は、創価時代より、日蓮正宗法華講の方が「面倒見」では数倍優れている、と思っている。
 日蓮正宗は、皆さん、人間的に素晴らしい、人格者が多く、尊敬でき、何を相談しても、打てば響くような熱血指導だ。本当に日蓮正宗で良かった、と惚れ惚れする程だ。
 創価が行なっていたのは、カラオケ、飲み会、といった娯楽、慰安事業の類だ。そんなのは仏道修行に外れている。これらを法華講員で行ってもいいだろうが、あくまでもお寺は修行の場と心得ている。踏み外してはいけない師弟の道がある。
 創価は、本当に文化活動を主にした団体だと思う。本来の仏法・仏教とは何ら関係がない。そういうのは、個人的に、サークル活動、地域、職場、趣味など、幾らでも活躍の場がある。
 仏道修行の場であるお寺、寺院では、あくまでも修行の場なのだから、人生の探求、もっと真剣さが求められるのだ。
 もう一度言おう、創価が懐かしいと思うのは、魔のささやきに他ならない。