Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

悩んだが、やっぱり、今まで通り、ピアノ教則本はバーナムで、否、やっぱり復習おさらい路線で。

2024年06月17日 15時29分51秒 | 音楽楽器・演奏・歌・楽典楽譜・ハーモニカ・電子ピアノキーボード
 私はつい先日、バーナムピアノテクニックミニブックを卒業ならぬ、終了した(と個人的に判断する)。
 そして、次は、ピアノの有名曲を一曲ずつ制覇していく、そんな学習法に挑戦しようとも思ったが、これは、かなり骨が折れそうであり、早くも断念した。憧れではあるが、私にはまだ早いと思う。
 今まで通り、バーナムの、ピアノテクニック・導入書、というのに取り組みたいと思う。
 しかし、ネットで調べると、このオレンジ色の導入書あたりまでは、鍵盤数が61鍵でもなんとかなるが、この一つ上あたりのピンク色の教材あたりから、どうやら、それだけでは賄えなくなるらしい。だから、これが一つの心配、懸念材料。
 もしも、そうなったら、そこを飛ばすか、或いは又、うちの奥の間に置いてある、88鍵がコタツにまた舞い戻って来るのか。私には手には負えない範疇だ。
 私が今言った、次の候補として、やろうとしていた、丹内真弓さんの本も、やはり、61鍵の、低音部が、鍵盤が足りない感じ。やはり、88鍵、おそるべし。中々バカには出来ない。
 福祉関係者達も、この間、訪看さん、訪問看護婦さんが我が家に来た時、完全に、私がピアノを88鍵から61鍵に代えた事など、これっぽっちも気付いてはいなかった。私から言って、やっと判った位であり、この場合、私が髪を自分で切るのより、気付いてはもらえなかった。
 それだから、誰も気づいてなんか、いやしないのだ。もう済んだ事なのだし。私が幾ら、その時お金の無駄遣いをしたからと言ったって、私の全権の裁量には私に任されていて、誰も文句が言えない。幾ら福祉とは言え。他人様に口出す権利など、これっぽっちもないのだ。それが自然なのだ。
 とにかく、私は、それは、クラシックの人の場合だと受け止めて、しかし、やっぱり、88鍵には、どの道、最終的には行き着くのだろうけれども。
 だから、今は、これは様子見である。何とも個人的な事で申し訳が立たない話ばかりで、失礼しました。
 こちらが、私が次の候補だった、ピアノ教則本。やはり、バーナムに慣れると、再度、バーナムを使いたくなる。バーナムは、こどもも使うので、大人にも安心感がある。こちらの丹内真弓さんの本は、初めから、中級者上級者向けには良いのかも。
 それにこちらの画像の本は、鍵盤が、低音部が、学習上、調べた所、数鍵、私のカシオの61鍵では足りない事が判明。(これは先にも述べた通りだが…)。
 「すぐに弾ける」というタイトルが、如何にも胡散くさいが。そんなにピアノの練習、レッスンは、一朝一夕で出来る訳がない。まあ、私も指使いに何とか慣れて来た時に、冷やかし程度に使ってみるか、といった所。
以上。よしなに。wainai

※編集後記 
 先程、家族に音大卒がいる、音楽にも詳しい福祉相談室の女性所長とお話する機会があり、その時、その終わった教則本をおさらい、復習を何度もする、という手がある事を伺い、成程、とも思った。
 それで時間稼ぎである。そんなに私は上手くはないのだから、そんなに急ぐ必要は全くないのである。じっくり地道に本気になって取り組み、繰り返し繰り返し、何度でも、目の前の道を、一歩一歩登る気持ちでゆけばよい。
 結果は後から付いてくる。今が本気を出す時、正念場である。宗祖日蓮大聖人様の「臨終只今」である。正直な話が。仏法仏教にも相通ずる話だ。
 「法華経を持つとは是なり。所詮臨終只今にありと解りて 」(「御書」生死一大事血脈抄 文永九年二月十一日 五一歳 )

 そこで、徳川家康の遺訓。「萬人処世訓」。これがものをいう。
 「一、人の一生は重き荷を負いて遠き道を行くが如し、急ぐべからず」
 「一、不自由を常と思えば不足なし、心に望おこらば困窮したるときを思い出すべし」
 「一、堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思へ」
 「一、勝つ事ばかり知りて負くる事を知らざれば、害其の身に至る」
 「一、おのれを責めて人を責めるな」
 「一、及ばざるは過ぎたるよりまされり」

 以上。再度、よしなに。長文失礼。wainai


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