街道を歩く

旧街道を中心に歩く旅日記。歩行距離は、2021年11月以降は活動量計の表示にしたがっています。

248 西国街道 本郷→西条

2020年07月05日 21時56分41秒 | 街道を歩く
1日、西国街道を本郷から西条まで歩きました。

9:01 JR本郷駅から前回到達地点へ向かう。


9:06 三原市本郷支所がある、この交差点よりスタート。


10:12 本郷の郷土史を研究している車の運転手に呼び止められ、手作りのパンフレットをもらう。


10:20 もらったパンフレットにも記載されている、本郷町にある貞丸(さだまる)古墳群の入り口。
この辺りは古墳が多く、案内のコンクリート柱が目立ちます。


10:32 本郷町の南方(みなみがた)神社にある二本松古墳の家型石棺。
石棺は分解されて神社の踏み石や手水鉢として使われていたが、元の石棺に復元したとのこと。 


11:29 日名内(上)交差点で国道2号線から分かれて、広島空港へと続く県道49号本郷大和線を進む。


12:12 県道からさらに分かれて、河原坂峠を越えて竹原新庄へと向かう草深い山道を進む。
途中で工事中のため前進できなくなり、日名内(上)交差点まで引き返す。


13:06 日名内(上)交差点のすぐ近くにあるサテライト山陽(競輪の場外車券売場)のレストランで食事。


13:34 山道を南側に迂回するため国道2号線を進む。三原市から竹原市に入る。


14:38 新庄町横大道交差点。ここで、河原坂峠を越えた場合の道と合流します。


14:56 新庄町にある船谷一里塚跡。看板に「1610年頃~200年間」とあります。


15:35 しばらく、賀茂川から分かれた田万里(たまり)川沿いを歩きます。
ここからの西国街道を田万里往還と呼ぶようです。


16:08 田万里町にある市恵美須神社。ここには四日市(西条)と本郷の間駅である田万里市がありました。
江戸時代には、本陣・問屋・旅籠・茶店が軒を連ね、戸数35戸余りの集落が形成されていました。


16:24 田万里黄幡坂一里塚跡。寛永10年(1633年)、広島元安橋を起点に西国街道に一里塚が設けられました。


17:07 田万里往還はここまで。この辺りから、田万里川とも別れ、竹原市から東広島市西条町に入ります。


17:23 右側の道を登ると、国道2号線を越えて上三永(かみみなが)に抜けるはずですが、
道がなかったため、左の道へ迂回します。


17:42 迂回しなかった場合の道とここで合流する。北西に進む。


17:56 国道375号線をくぐるとここに出て、さらに山道を西に進みますが、
この時間帯から山道に入るのは危険なので、最初から南側に迂回します。


17:57 日向一里塚。元々は約60m東にありましたが、東広島呉自動車道の建設に伴いここに移転しました。


18:52 ここで、山道を通った場合の道(左)と合流する。北西に進む。


19:12 東方向に向けて撮った写真。さらに西進する。



19:20 この日の東広島市の日没は19時25分31秒でした。



19:28 歌謡坂一里塚跡。



19:56 西条本町歴史広場。江戸期商家小島屋跡、四日市宿継立場跡です。
西条酒蔵通りの歴史や文化を学習する場とのこと。


20:02 西条駅南口交差点。今回はここまでとしました。52205歩、31.3kmでした。
東横インに宿泊。歩き終わりの時間が20時を越えたのは初めてです。


西国街道を、2日に西条から海田市、3日に海田市から西広島、4日に西広島から廿日市まで歩きました。
後ほどアップします。
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