街道を歩く

旧街道を中心に歩く旅日記。歩行距離は、2021年11月以降は活動量計の表示にしたがっています。

交野街道

2018年09月30日 17時59分43秒 | 街道を歩く
昨日、交野街道を寝屋川市仁和寺から交野市星田まで歩きました。

10:48 京阪寝屋川市駅から京阪バスで仁和寺停留所へ。



10:52 枝切街道から分岐する形でこの交差点よりスタート。



11:09 高柳の大将軍。高柳村の鬼門(北東)にあたる場所に建っています。



11:15 商店街ベルおおとしに入ります。



11:19 商店街を抜けると寝屋川市駅前に出ます。



11:20 京阪のガード下をくぐると、商店街ねやがわいちばんがいへ。



11:37 寝屋川市立市民会館。



11:43 地蔵堂。



11:59 打上川治水緑地。



12:47 寝屋交差点を右折して坂を登る。ここから山根街道(南山根街道)とも呼ばれます。



12:52 旧家の残る小道を進む。



13:01 第二京阪をくぐる。



13:07 寝屋長者屋敷跡伝承地。寝屋川市に伝わる『寝屋長者鉢記』にある寝屋長者屋敷の庭園跡ではないかとのこと。



13:09 JR星田駅へ向かう道より第二京阪を望む。



13:11 片町線をくぐる。



13:14 この交差点で東高野街道に合流。今回はここをゴールとしました(続きがある可能性あり)。
11756歩、7.1kmでした。



13:23 星田駅より帰宅。

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中山道(恵那~中津川)

2018年09月30日 17時16分17秒 | 街道を歩く
150回目の街道歩き旅です。24日、中山道を恵那から中津川まで歩きました。

8:26 多治見からJRで恵那駅へ戻る。



8:40 前回到達地点よりスタート。



8:45 阿木川を大井橋で渡る。



8:52 大井村庄屋古屋家。天保元年(1831年)から20年ほど庄屋を勤めた家です。「古屋圭司」の表札がかかっています。
自民党代議士の古屋圭司氏は、選出選挙区が恵那市を含む岐阜5区です。



9:06 明知鉄道・恵那~東野駅間をくぐる。



9:30 甚平坂公園より中山道(右端の道)などを望む。甚平坂は、以前は急な坂道だったため旅人に嫌われていたが、
明治13年(1880年)、明治天皇の伊勢方面視察の際に地元の人たちが頂上を2mほど掘り下げて傾斜をなだらかにしたとのこと。



9:53 広久手坂の馬頭観音。馬頭観音の姿は頭上に馬の頭を頂くものが多いが、
この観音は三面八臂という独特の姿をしているとのことです。



9:55 恵那市から中津川市に入る。



10:11 茄子川(なすびがわ)小休所・篠原家。大井・中津川宿間の小休所として本陣・脇本陣と同様の役割を担いました。
家の脇には中山道から浜松の秋葉山本宮秋葉神社へ向かう遠州秋葉道(あきばみち)への分岐点を示す大灯籠が置かれています。



10:17 尾州白木改番所(しらきあらためばんしょ)跡。抜け荷の監視などの取締を行っていました。



11:23 JR中央本線と並行して歩く。



12:13 双頭一身道祖神とヒガンバナ。道祖神の石像の左上に「是より苗木道(なえぎみち)」と彫られており、
中山道から分かれる苗木道の分岐点を示す道標にもなっています。苗木道は、現在は全線踏破できなくなっています。



12:40 昔ながらの家並みが残る道。右の白木屋は、現在は休憩所として一般開放されています。



12:44 カフェができるようです。



13:09 中津川脇本陣跡にある中津川市中山道歴史資料館。NTT西日本中津川ビルの一部を借りているため、
ビルにNTTのマークがついています。



13:21 JR中津川駅の近くにある新町交差点。この日はここまでとしました。20361歩、12.2kmでした。



14:46 中津川駅より帰宅。

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中山道(御嵩~恵那)

2018年09月30日 14時15分38秒 | 街道を歩く
23日、中山道を御嵩から恵那まで歩きました。

6:59 前日名古屋で泊まり、名鉄御嵩駅へ。



7:14 御嵩駅前の交差点からスタート。



7:20 中山道みたけ館(御嵩町図書館)。御嶽宿の整備は早く、関ヶ原の戦いの2年後、慶長7年(1602年)に始まりました。
しばらく、古い街並みが続きます。



7:48 御嵩町にある和泉式部の廟所。寛仁3年(1019年)、東山道を旅行中にこの地で没したと言われています。



8:06 ここから大井宿(恵那)までの30km、幹線道・鉄道を外れ、食堂や商店、宿泊所などはありませんという内容の
看板を過ぎてしばらくしたところより。



8:11 牛の鼻欠け坂。荷物を背に登る牛の鼻がすれて欠けるほどの急な上り坂であることからこう呼ばれます。



9:09 一呑清水(ひとのみのしみず)。将軍家降嫁のため江戸へ向かった皇女和宮がこの水を気に入ったとのこと。



10:13 御嵩町から瑞浪市に入ります。鴨ノ巣(こうのす)の一里塚。江戸へ93里、京へ41里の場所にあります。



11:21 細久手(ほそくて)宿本陣の近くにある細久手公民館。御嶽宿からは3里(約11.8km)です。
東の大湫(おおくて)宿から西の御嶽宿までの距離が長かったことから仮宿として始まりました。



12:43 中山道の難所の一つ、琵琶峠の石畳。コケが生えているため滑りやすい道です。熊も出るようです。



13:40 海抜510mにある大湫宿の高札場。東の大井宿には3里半、西の細久手宿には1里半の位置にあります。



13:59 「是より東 十三峠」の石碑。大湫宿から大井宿は「十三峠におまけが七つ」と呼ばれる
起伏に富んだ尾根道の連続です。



14:17 十三峠の三十三観音。十三峠での人馬の道中安全を祈って建てられたものです。



14:40 このあたりは、ゴルフ場(中仙道ゴルフ倶楽部)の間を歩く形になっており、ゴルフコースをつなぐ道と
何度か交差します。ゴルフ場の様子。



15:42 恵那市に入ります。深萱立場(ふかがやたてば)跡。数件の茶屋があり、旅人たちの憩いの場になっていたとのこと。



16:21 紅坂(べにさか)一里塚。江戸へ89里、京へ45里の位置にあり、これで中山道を3分の1歩いたことになります。



16:50 十三峠の一つ、乱れ坂。坂が急なため、大名行列が乱れ、旅人の息が乱れ、女性の裾も乱れるほどであったため
乱れ坂と呼ばれるようになったとのこと。この坂の途中、黒い影が道をよぎり、うなり声が聞こえたので心も乱れました。



16:54 首なし地蔵。宝暦6年(1756年)、地元・武並町美濃の人たちが旅人の道中安全を祈って建てたものです。
首がないのは、旅人が腰の刀で地蔵様の首を切り落としたからで、のちに首をつけようとしたがつかなかった、
という伝説が残っています。



17:07 下街道との分岐点。下街道は、ここを起点として釜戸・池田を経て名古屋に通じる道で、伊勢参りの
旅人が利用しました。



17:24 桜百選の園・西行の森。100種類の桜が植えられ、4月上旬から5月上旬には多種多様な桜が咲き乱れるとのこと。



17:38 十三峠終了。



17:46 JR中央本線の踏切を渡る。



18:05 歩道橋より、中央自動車道・恵那ICへ向かう車の列を望む。



18:22 JR恵那駅前の中央通1交差点。この日はここまでとしました。55297歩、33.2kmでした。



18:24 恵那駅より、多治見市のホテルへ向かう。

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四十箇街道、茨田街道

2018年09月17日 19時10分42秒 | 街道を歩く
四十箇(しじゅうこ)街道を寝屋川市萱島から太間(たいま)町まで、
茨田(まった)街道を太間町から大東市大東町まで歩きました。

6:42 京阪萱島駅よりスタート地点に向かう。


6:48 萱島駅入り口付近より四條街道から分岐する形で四十箇街道をスタート。


6:50 萱島駅の真下にある萱島神社とクスノキ。昭和47年(1972年)11月の土居~寝屋川信号所間高架複々線建設の際、
地元の、クスノキに寄せる尊崇の念に応えて残したため、樹木がホームと屋根に突き抜ける形になったとのこと。


7:03 寝屋川では、犬のフンは犬自身が始末するシステムが採用されていた……?


7:06 しばらく京阪本線と並行して歩く。


7:27 寝屋川市駅付近にある住吉神社(通称・ねや川戎神社)の戎さん像。


7:30 寝屋川と寝屋川せせらぎ公園、奥に京阪寝屋川市駅を望みつつ川沿いを歩く。


8:19 北上し、太間天満宮。


8:21 淀川の堤防へと登る。


8:22 京街道に合流してゴール。四十箇街道は9576歩、5.8kmでした。


8:34 京街道から分かれる形で茨田街道を太間町からスタート。


8:45 摂南大学寝屋川キャンパス。


8:52 菅原神社。寝屋川市池田中町に鎮座する産土神で、元の祭神は大國主命だったが、
寛永年間(1624~44年)に菅原道真に変更し、大正元年(1912年)に現在の神社名になったとのこと。


9:41 南下して、萱島駅西側のガードをくぐる。


9:58 門真市に入り、第二京阪をくぐる。


10:09 景観条例のある京都なら修正が必要になりそうな、ウンコちゃんの家具屋さんブリブリ門真店。


10:40 大東市大東町の寝屋川にぶつかったところで、河内街道に合流してゴール。13495歩、8.1kmでした。


10:54 JR住道駅より帰宅。

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田邊街道

2018年09月15日 21時41分12秒 | 街道を歩く
田邊街道を宮之阪から京田辺まで歩きました。

6:33 京阪枚方市駅から交野線私市行きの電車に乗る。



6:41 宮之阪駅で下車、スタート地点へ向かう。



6:46 枚方警察署のある禁野橋西交差点から、磐船街道より分岐する形でスタート。



6:50 宮之阪駅付近で交野線をくぐる。



6:59 宮之阪にある百済王(くだらおう)神社。百済の滅亡後、日本に残留した百済王族にゆかりのある神社です。
かつては当地に百済寺もあり、跡が残っています。



7:36 四辻交差点で東高野街道と交差。



7:39 アピカ枚方工場。



8:03 片町線・藤阪~津田駅間のガードをくぐる。



8:06 ここからしばらく山根街道との重複区間を歩きます。



8:08 奥に、山根街道でも立ち寄った春日神社。



8:12 ここで山根街道(左の道)から分かれます。



8:17 惣喜(そうき)池沿いを歩く。



8:33 第二京阪をくぐる。



9:10 やや街道から外れたところにある厳島神社。
本殿右側に厳島神社末社の春日神社本殿があり、重要文化財に指定されています。



10:11 枚方市東端にある東部公園。



10:16 京田辺市に入る。



10:21 椿本チエイン京田辺工場。



10:23 椿本チエインの隣にある田辺高区配水池。



10:26 京田辺市環境衛生センター甘南備園。



10:31 京奈和道・田辺西IC。



10:51 山手幹線との交差点にある池。



10:57 府道22号線(奈良街道)との交差点でゴール。21807歩、13.1kmでした。



11:07 近鉄新田辺駅より帰宅。

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富田林街道(三国ヶ丘~富田林)

2018年09月09日 16時40分57秒 | 街道を歩く
富田林街道を三国ヶ丘から富田林まで歩きました。

7:44 JR三国ヶ丘駅よりスタート地点に向かう。



7:55 堺市堺区にある、中央環状線・向陵中町交差点近くの竹内街道との分岐点よりスタート。



8:08 中百舌鳥の堺市産業振興センター。



9:05 堺市東区役所。



9:21 美原区の北余部区民会館。



9:30 同じく美原区の大阪府立農芸高校。1917年、黒山実業学校として設立。



9:47 同じく美原区の舟渡池公園。公園を抜けたあと、中高野街道と交差します。



10:10 大阪府立美原高校。



10:43 フルタ製菓平尾工場。



10:57 富田林市に入る。このあたりはゴルフ場が続きます。



11:14 PL病院。



11:15 PL病院の向かいにある大平和祈念塔。1970年に落成した戦没者を鎮魂するための塔で、PL教団が建立。



11:40 近鉄長野線の踏切を越えたところにある常盤町交差点までとしました。20858歩、12.5kmでした。



11:44 近鉄富田林駅より帰宅。

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山田街道

2018年09月08日 21時39分03秒 | 街道を歩く
山田街道を野田から十三まで歩きました。
この街道には山田という地名はなく、吹田市の山田に通じる道なのでそう呼ばれているのかもしれません。

7:25 大阪メトロ阿波座駅からスタート地点に向かう。



7:41 尼崎街道との分岐点である(安治川の渡し舟が廃止された関係で現状は「分岐点であった」)
大阪市中央卸売市場前よりスタート。



8:04 福島の玉江橋付近にある逆櫓(さかろ)の松跡。『平家物語』によると、源義経が平家追討のため
京都から四国高松の屋島へ向かう際、この福島から船で急襲しようとしたが、船での戦いの経験が少なかったため、
参謀の梶原景時が、船を動かしやすくするために櫓を船尾だけでなく船首にもつけたらどうかと提案したという
故事に基づくもので、義経はこの案を採用しなかったが、その論争が行われたとされるこの場所に樹齢1000年を
越える松が生えていたため逆櫓の松と呼ばれるとのこと。



8:07 主祭神が菅原道真の福島天満宮。菅原道真が大宰府に配転される際に当時は餓飢島と
呼ばれていたこの地を福島と名付けたといういわれが残っています。



8:12 JR福島駅をくぐる。



8:20 梅田街道と重複する道を歩く。上福島北公園にて。



8:34 北上して淀川の川べりを歩く。かつてはこのあたりから渡し舟が出ていました。



8:48 阪急3線と並行する十三大橋を渡る。



8:55 橋を渡ったところにある十三渡し跡の石碑。



9:01 阪急十三駅前で、阪急線をくぐる。



9:03 神津(かみつ)神社。毎月13日に様々な店が出る十三市(じゅうそういち)が開かれます。



9:14 十三駅と南方駅の間にある踏切の手前で能勢街道に合流してゴール。10218歩、6.1kmでした。
南方駅より帰宅。

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