街道を歩く

旧街道を中心に歩く旅日記。歩行距離は、2021年11月以降は活動量計の表示にしたがっています。

西近江路(海津~敦賀)

2017年03月26日 06時56分47秒 | 街道を歩く
昨日、西近江路を海津から敦賀まで歩きました。

JRマキノ駅から前回到達地点へ向かいます。写真はホームより。



「海津」交差点。前回(去年6月17日)は角にラーメン屋がありましたが、跡地にコンビニらしきものが建設中でした。



JR湖西線をまたぐ。



国道161号線沿いにある道の駅マキノ追坂峠(おっさかとうげ)。ここからしばらく161号線を外れます。



161号線に戻り、県境へ。山中峠を越えます。



峠の滋賀県側にある国境(くにざかい)高原スノーパーク。



同じく峠にある廃屋。福井県側にもあったスキー場はつぶれたようです。



駄口にて、峠を下っていく途中にある一里塚とエノキ。



「追分」で161号線から別れ、愛発(あらち)地区に入ります。橋の脇に深坂古道(深坂峠を越える道)があります。



JR新疋田駅。



駅舎の内部。



JR北陸本線をくぐる。



戦国大名朝倉氏が近江・越前の国境守備のため築城した疋壇城(ひきだじょう)跡(西愛発小学校跡地)。



敦賀から京都へ物資を運ぶため整備された疋田舟川(敦賀運河)跡。近年改修されました。



去年開館した愛発舟川の里展示室。



愛発・市橋区にある逆さ地蔵。



敦賀バイパスの小河(おご)トンネル入り口下をくぐる。



鳩原にある水害記念碑。幕末、街道の分岐点である鳩原には屯所が置かれ、農兵隊が警備していました。
慶応2年(1866年)8月7日、暴風雨で河川が増水し裏山が崩れ、農兵隊隊長・小浜藩士関口恭孝ら17名が犠牲になったことを伝える記念碑です。



笙の川と並行しながら舞鶴若狭道をくぐる。



舞鶴若狭道をくぐる前に北陸本線をまたぐ。



北陸本線の踏切を渡り、ガード下をくぐる。



北陸本線をくぐるとすぐのところにある志比前(しいざき)神社。敦賀郡南方の鎮守社とのこと。



北上して北陸道をくぐる。



木の芽川と並行し、敦賀より北東へ向かう北陸本線の踏切近くの道。昨日はここまでとしました。



帰り際に、気比の松原へ寄りました。





バスでJR敦賀駅へ向かう。



敦賀駅より帰宅。

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東海道(四日市~桑名)

2017年03月20日 12時14分35秒 | 街道を歩く
昨日、東海道を四日市から桑名まで歩きました。

一昨日の交差点から少し国道1号線を歩いたあと外れて、海蔵(かいぞう)川を渡る。



海蔵川を渡ったあと、川沿いの公園に立つ三ツ谷一里塚跡。海蔵川の拡幅により、元の一里塚は川の中に取り込まれました。
2001年に、東海道宿場・伝馬制度制定400周年を記念してこの場所を一里塚跡として石碑を建てました。



近鉄名古屋線・霞ヶ浦駅近くの大宮町にある志氐(しで)神社の鳥居の通りを挟んで向かいにある妋石(夫婦石、みよといし)。
志氐神社にはイザナギ、イザナミの夫婦の神様が祀られており、縁結び、夫婦円満の神徳があることから置かれたもの。



茂福(もちぶく)町にある力石と新設用水道碑。
力石は、明治中頃に、再建する御堂に使う土台石を奉納した際、奉仕の人々が力比べに土台石を持ち上げたことに由来します。
新設用水道碑は、1904年に富田十四(じゅうし)川の中間より暗渠による水路を茂福地区へ通したことに由来するもの。
1959年の伊勢湾台風で水路に土砂が流れ込み、十四川の水質悪化もあり用水道は消滅しました。



近鉄・JR富田駅近くにある四日市市富田地区市民センター。富田は四日市と桑名の間の宿として栄えました。敷地内に古い道標があります。
「その手は桑名の焼き蛤」という地口が有名ですが、このセンターの説明によると、焼き蛤が名物なのは富田と小向(おぶけ、朝日町)とのこと。
富田が桑名藩の藩領であったことから、桑名名物とされるようになったようです。



三重郡朝日町に入り、朝明(あさけ)川を渡り、伊勢湾岸自動車道をくぐります。



「柿」交差点を過ぎたところに林立する、柿地区まちづくり協議会によるさくらまつりの幟。



桜並木のある道より関西本線を臨む。



近鉄伊勢朝日駅付近にある、街道の並木として植えられた樹齢300年のエノキ。
松並木は、第二次大戦末期に松根油をとるために使われてなくなり、エノキが残りました。



伊勢朝日駅前にある東芝三重工場。



員弁(いなべ)川を渡る手前にある金光寺。1870年以降は無住とのことですが、六地蔵を含む計10体の地蔵はきれいでした。



員弁川を渡り、桑名市に入る。



火の見櫓が再建された、矢田町の矢田立場。立場とは、宿場間にあって休憩できる茶店などがある所です。



桑名石取(いしどり)祭に使う山車をしまっている、東鍋屋町にある石取祭車蔵。蔵は方々にあります。
桑名石取祭の祭車(さいしゃ)行事は、2016年12月にユネスコ無形文化遺産に登録されました。



3月30日から4月2日まで、桜で賑わう街を提灯と灯籠で照らす「灯街道」を初めて実施することをアナウンスする幟。



石取会館。1925年、四日市銀行桑名支店として建築されました。文化庁登録有形文化財です。



「歴史を語る公園」の南端にある三条大橋。この公園は、東海道五十三次をモチーフにして造られています。



公園の中にある、たぶん富士山。



公園の北端にある日本橋。



春日神社(正式には桑名神社・中臣神社)の銅鳥居。1667年に7代桑名藩主・松平定重が建てた、青銅製で高さ6.9mの鳥居です。



七里の渡し跡にある伊勢神宮一の鳥居。昨日はここまでとしました。桑名宿の突端です。
東海道は、ここから海上ルートとなり、七里(約28km)を船で移動します。次は熱田からのスタートとなります。



七里の渡し跡より、なばなの里などがある長島を臨む。



JR桑名駅より帰宅。

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東海道(関~四日市)

2017年03月20日 09時34分55秒 | 街道を歩く
一昨日、東海道を関から四日市まで歩きました。

JR関駅より前回到達地点へ。



ここから出発。



町家風の百五銀行関支店。左側に現金自動取扱所があります。



関宿東の追分。鳥居は伊勢神宮の式年遷宮の際、古い鳥居を移築しています。
津市の江戸橋駅付近で伊勢街道に合流する伊勢別街道の出発点です。



関宿を過ぎ、名阪国道と東名阪自動車道を亀山IC付近でくぐる。橋桁に広重の東海道五十三次の絵があります。



高さ20m、樹齢400年のムクノキがある野村一里塚跡。東海道で一里塚にムクノキがあるのはここのみ。



亀山宿・巡見(じゅんけん)街道分岐点のある交差点。ここから北へ向かい、関ヶ原町の不破の関で中山道に接続します。



JR井田川駅前を通過。



鈴鹿市に入り、安楽川(鈴鹿川に合流)を渡る。



庄野宿に入ります。庄野宿資料館(鈴鹿市指定建築物・旧小林家住宅)。



庄野宿を過ぎて国道1号線に合流。鈴鹿川に沿ってしばらく歩きます。



石薬師宿に入ります。石薬師の一里塚跡。



一里塚跡から1.8kmの間に、「信綱かるた道」として、石薬師出身の国文学者で歌人・佐佐木信綱(1872-1963)の短歌50首が掲示されています。




石薬師宿の由来である石薬師寺の山門。



佐佐木信綱資料館。本名は佐々木信綱ですが、上海で名刺を作った際に和字の「々」がないため「佐佐木信綱」となりました。
見た目がよいと気に入り、それ以来「佐佐木信綱」を使うようになったとのこと(資料館の説明より)。



天野記念館。石薬師出身の天野修一(1890-1976)が建てたもの。タイムレコーダーのアマノの創業者です。



石薬師宿の北口にある北町の地蔵堂。家内安全、交通安全に霊験あらたかとのこと。



四日市市に入ります。国道1号線と並走。



采女(うねめ)にある杖衝坂(つえつきざか)。日本武尊が、東征の帰途に急坂のため杖をついて登ったことからこの地名があります。
1688年に松尾芭蕉がこの坂で落馬し、「歩行(かち)ならば杖つき坂を落馬かな」という歌を残しました。歌碑があります(右)。



四日市あすなろう鉄道内部線・追分駅。



日永の追分にある伊勢神宮遥拝鳥居。ここから伊勢本宮街道が分岐します。



近鉄四日市駅付近にある「表参道スワ栄」というアーケード街に入る。



四日市の産土神、諏訪神社。「四日市祭」という例祭があり、四日市空襲や戦後の大水害で奉納行事が途絶えていましたが、1997年より復活したとのこと。



1号線に接続する「諏訪神社前」交差点。一昨日はここまでとしました。四日市で宿泊。

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熊野街道(南部~紀伊田辺)

2017年03月11日 23時17分28秒 | 街道を歩く
熊野街道を南部から紀伊田辺まで歩きました。

JR南部駅からスタート地点へ向かいます。



南部駅近くの交差点からスタート。



梅のトップブランド「南高梅」の由来となっている県立南部高校。



鹿島神社。由来は沖合にあるみなべ町の島で、鹿島神宮より勧請された神社とのこと。



国道42号線(右)と並行する道をしばらく進む。



沿道にある梅林。



田辺市に入ります。



畑と梅林と建設中の田辺西バイパス。



井原隧道をくぐる。



近西国三十三所・南紀霊場第28番の井原観音。



芳養(はや)川を渡る。



「芳養」交差点にある南海道地震津波潮位標識の碑。



芳養王子跡のある芳養大神社。



芳養一里塚跡がある一里塚地蔵尊。



国道42号線に合流したあとの沿道にある松林。



田辺の三偉人の一人で、合気道の創始者・植芝盛平(うえしばもりへい、1883-1969)生誕地。



会津川を渡る。



田辺市内に入り、最後の直線コース。



「左リ くまの道」「右 きみゐ寺」とある道標。ここが熊野街道(熊野古道紀伊路)のゴールとなります。
同時に、新宮の熊野速玉神社へ向かう熊野古道中辺路(なかへち)および大辺路(おおへち)のスタート地点となります。
熊野街道全体で28万3551歩、1歩60cmで170.1kmでした。



南方熊楠顕彰館に立ち寄りました。南方熊楠(1867-1941)は和歌山市出身の植物学者、民俗学者などで、大学予備門(現東大)中退後海外留学し、
帰国後は田辺市に終生住みました。変形菌(粘菌)の研究で知られる田辺の三偉人の一人です。



顕彰館の隣にある南方熊楠邸跡。



八坂神社の中にある弁慶腰掛の岩。武蔵坊弁慶(?-1189)は田辺で生まれたとされ、田辺の三偉人の一人です。



JR紀伊田辺駅前にある弁慶像。



JRで帰宅。

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