街道を歩く

旧街道を中心に歩く旅日記。歩行距離は、2021年11月以降は活動量計の表示にしたがっています。

大宮通

2017年02月25日 18時25分14秒 | 京都の大路小路を歩く
大宮通を歩きました。

地下鉄北大路駅から市バスに乗り換えて、御土居跡のある上賀茂御薗橋停留所で下車。



歩く前に上賀茂神社に寄る。明日午後から横綱白鵬の土俵入りがあるとのポスターがありました。



羽田記念館(京都大学大学院文学部研究科附属ユーラシア文化研究センター)のある交差点よりスタート。



社殿の横で梅が咲く久我(くが)神社。上賀茂神社の境外摂社です。



北山通と北大路通の間にある新大宮商店街。



廬山寺通と交差する場所にあるファミリーマート+薬ヒグチ西陣北店。



廬山寺通をしばらく西に入ったところにある我が家の菩提寺。



名和長年公遺跡。名和長年(?-1336)は、鎌倉幕府討幕に貢献した伯耆国(鳥取県)の武将です。
建武の新政後、挙兵した足利尊氏に敗れ、この公園の地で討死したと伝えられています。



何度かお世話になったことはありますが、できれば今後はお世話にならずに済ませたいハローワーク西陣。



二条城が大宮通を分断するため、竹屋町通で東に曲がって堀川通を下ります。



押小路通より大宮通が再開されます。



押小路通からすぐのところにある二条陣屋(重要文化財小川家住宅)。1670年頃に創建された数寄屋式住宅です。
二条城や京都所司代に仕候する中小の大名の陣屋などとしても利用されました。



嵐電四条大宮駅のある四条通と交差する。



龍谷大学大宮学舎・大宮図書館。



梅小路公園内にある京都水族館。



車道はJR京都線を跨ぎますが、歩道は下をくぐるため側道を進みます。



梅小路公園の梅林。下京区誕生120年を記念して整備されたものです。



JR京都線をくぐる。



東寺。



久世橋通の一つ南の通り(府道201号線)がゴールとなります。1歩60cmで10.4kmでした。



近鉄上鳥羽口駅より帰宅。

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竹内街道(古市~磐城)

2017年02月11日 19時43分37秒 | 街道を歩く
竹内街道を古市から磐城まで歩きました。

近鉄古市駅前からスタート。



古市駅前にある白鳥(しらとり)神社。日本武尊と素戔鳴(すさのお)命を祀る、古市の産土神です。



少し歩くと東高野街道とクロス。



石川を渡る。



近鉄南大阪線を臨む。



近鉄駒ヶ谷駅付近にある緑の一里塚。



その向かいにあるチョーヤ梅酒本社。1914年の創業以来、羽曳野市に本社を置いています。



駒ヶ谷にある杜本(もりもと)神社。藤原北家の祖、藤原房前の子・永手(714-771)の墓碑があります。



役行者錫杖水(えんのぎょうじゃしゃくじょうすい)の石碑と八丁地蔵尊。前者は、役行者が錫杖で掘り当てた水があることを伝える道標。



近鉄上ノ太子駅。バリアフリー工事中でした。



南河内郡太子町に入ります。上ノ太子駅を過ぎてすぐに南阪奈道路をくぐる。



太子町のマンホール。



太子町にある緑の一里塚。



竹内峠越えに入ります。茅葺き民家の大道旧山本家住宅。隣に竹内街道交流館(無料)があります。



太子町立竹内街道歴史資料館。平屋のコンパクトな博物館でした。竹内街道の歴史がわかるマジックビジョンを用いた3Dビデオが地味に凝っていました。



資料館のすぐ近くにある道の駅・近つ飛鳥の里・太子。



国道166号線をしばらく歩きます。大阪府による金剛生駒国定公園の碑。



竹内峠。大阪府太子町(河内国)から奈良県葛城市(大和国)に入ります。



国道を外れて、国道下のトンネルをくぐる。左手の階段を使って下りることもできます。



南阪奈道路を右手に眺めながら歩く。



芭蕉の句「綿弓や 琵琶になぐさむ 竹のおく」の句碑が建てられた綿弓塚(わたゆみづか)がある場所。
芭蕉は門人の一人が竹内出身だったため、何度も訪れたそうです。



葛城市當麻スポーツセンターにある緑の一里塚。



ゴールの長尾神社。拝殿は改修中で、寄進を募集していました。街道全体で46356歩、1歩60cmで27.8kmでした。



近鉄磐城駅より帰宅。

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竹内街道(大小路~古市)

2017年02月04日 20時34分36秒 | 街道を歩く
竹内(たけのうち)街道を大小路から古市まで歩きました。
『日本書紀』の推古天皇21年(613年)の条に「難波(なにわ)より京(飛鳥)に至る大道(おおじ)を置く」とあり、
この道は「丹比道(たじひみち)」と呼ばれました。竹内街道はこの道とほぼ同じルートで、最古の官道です。

南海堺駅よりスタート地点に向かいます。



紀州街道に接する大小路からスタート。ここからしばらく西高野街道と同じルートを通ります。



Amazon堺FCの従業員を運んでいると思われるバス。



南海堺東駅近くにある堺東年金事務所。



堺東駅前にあったショッピングセンター・ジョルノ。2018年頃をめどにリニューアルオープンが予定されています。
昔、仕事で屋上に行ったことがありました。



南海高野線の踏切を渡ってしばらくすると榎元町に道標のある分かれ道があり、左に進むと竹内街道、直進すると西高野街道となります。左折します。



府道2号線を少し歩きます。



JR三国ヶ丘駅近くで阪和線の上を通過。



黒土町にある黒土西地蔵尊。形も大きさもバラバラの地蔵が5体並んでいました。



平安前期の宮廷画家・巨勢金岡(こせのかなおか、生没年不明)を祀る金岡神社。
巨勢金岡は、唐風の絵画が主流だった時期に日本独自の様式を追求し、唐の影響を脱した大和絵の様式を確立しました。



境内の御神木であるクスノキは樹齢推定900年で、堺市指定保存樹木に指定されています。



大阪4大緑地の一つ、大泉緑地。この公園の縁をしばらく進みます。



大泉緑地を過ぎてすぐのところにある大池。府道2号線を臨む。



松原市に入ります。竹内街道を解説する看板のある公園。



公園のすぐ近くにある岡の大師堂。高野山で得度した神田覚栄(かくえい、1852-1943)が空海を信仰するために創建しました。



阪和道をくぐる直前の「立部西」交差点近くにある緑の一里塚。2013年に竹内街道敷設1400年を記念して整備されました。
この辺りは立部遺跡と呼ばれ、旧石器から近世に至る複合遺跡です。鋳物製造の残骸などが見つかっており、工房の存在が推測されています。



羽曳野市に入ります。野中寺(やちゅうじ)の近くにある、地元在住の方が寄贈した高灯籠。



少し街道から外れますが高野山真言宗の野中寺。「中之太子」とも呼ばれ、飛鳥時代に蘇我馬子が開基したとされます。
伝承では聖徳太子建立48寺院の一つとされ、叡福寺、大聖勝軍寺とともに「三太子」の一つに数えられています。



街道に戻り、この道標から南下します。



峰塚公園の前にある噴水。



「軽里北」交差点で外環状線(国道170号線)と交差。



ウォーキングトレイルとして整備された古い街並みを残す道を進みます。



白鳥陵古墳(軽里大塚古墳)。古市古墳群では7番目の大きさとなる、全長190mの前方後円墳です。宮内庁により日本武尊の陵墓とされています。
ヤマトタケルが伊勢で息を引き取った際、白鳥に姿を変え古市に舞い降りたと『日本書紀』に記されています。
その後白鳥は舞い上がり羽を曳くように飛び立ったとあり、これが「羽曳野」の由来となっています。



堀には白鳥はいませんでしたがカモが大量にいました。



近鉄古市駅近くの踏切。今日はここまでとしました。

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