街道を歩く

旧街道を中心に歩く旅日記。歩行距離は、2021年11月以降は活動量計の表示にしたがっています。

物集女街道、大原野道

2016年07月29日 18時03分06秒 | 街道を歩く
向日市の寺戸町西ノ段から樫原を結ぶ物集女(もずめ)街道と、向日市の梅ノ木から大原野神社を結ぶ大原野道(おおはらのみち)を歩きました。

西国街道と物集女街道の分岐点まで歩いて移動し、スタート。右が西国街道です。



スタート地点に存在する、京都府指定文化財・須田家住宅。家業は醤油の製造販売で、少なくとも1744年には現在地にあったとのことです。



入り口が工事中の京都向日町競輪場。



「福祉会館前」交差点。右が新道、左が物集女街道、左折すると始まるのが亀岡と結ばれる柚原(ゆのはら)向日線(京都・大阪府道733号線)です。



新道から分かれてしばらくしたところの道端に立つ愛宕山常夜燈。



大原野道と交差。しばらくして、道端に立つ天満宮。



物集女町にある物集女車塚古墳。6世紀半ばに築かれた前方後円墳で、埴輪や須恵器など数多くの遺物が出土しています。



稲の新品種「旭(あさひ)」を発見した物集女の農民・山本新次郎(1849~1918)を称える旭米顕彰碑。
「旭」からさまざまな改良品種が生み出され、コシヒカリの遠い先祖にあたるそうです。



東京の専門学校の看板。現在は廃校になっているようです。



物集女北ノ口の常夜燈。「火廼要慎」の火伏札で知られる愛宕神社に火を献じるための愛宕灯籠です。
「右 柳谷/左 山崎」などと刻まれ、道標にもなっています。



北ノ口を過ぎると京都市に入り、「樫原」の交差点でゴール。大宮と亀岡を結ぶ丹波街道(山陰街道の一部)に合流します。
左が物集女街道、右が丹波街道(山陰街道)です。5805歩、1歩65cm換算で3.8kmでした。



阪急桂駅まで歩き、東向日駅へ移動します。



東向日駅前にある、築榊講が建てた常夜燈のすぐ近くに4基の石碑がある梅ノ木が、大原野道のスタート地点です。
かつては一帯が梅林だったそうです。大原野道もこの地点で西国街道から分岐する形となります。



石碑のうちで一番大きい「官弊中社大原野神社 右一里」と刻まれた道標。



昔水泳を習っていた元ピープル(後にコナミスポーツクラブ)。去年、施設不具合のため営業終了しました。



「中垣内」交差点で物集女街道と交わる。



曹洞宗の慶昌院。同院を開いた曇開(どんかい、1768~1836)の肖像画を収蔵しており、向日市指定文化財です。



京都市に入ります。虫歯だらけだった子供の頃よく通院していた三宅歯科医院。



小畑川を渡る。左手から流れる善峰川との合流地点です。



「宇ノ山」交差点付近にて、両側から竹林がそり曲がり、トンネルのようになっています。



「宇ノ山」を過ぎると田園風景が目立つようになります。



小学生の時社会見学へ行ったことのある、京都大原野灰方郵便局。



小学1年の時通った京都市立大原野小学校。同学年に元幕内力士・大碇関(現甲山親方)がいます。



小学校を過ぎてすぐのところにある大原野神社の灯籠。かつてはここに鳥居がありました。



仁徳天皇を祀る樫本神社。現在工事中です。



樫本神社を過ぎてしばらくしたところにある灯籠。



大原野神社の向かいにある正法寺(真言宗東寺派)。754年に鑑真とともに唐から来日した智威(ちい)大徳が修練の場としたことが始まりとのことです。



ゴールとなる大原野神社一の鳥居。8071歩、1歩65cm換算で5.3kmでした。



大原野神社の社殿。784年の長岡京遷都の際に春日大社からの勧請(分霊を移し祀ること)により創建された神社で、藤原氏の氏神の一つ。



珍しい鹿の狛犬。右手にこの雄、左手に雌の鹿の狛犬が鎮座しています。大原野神社から歩いて帰宅。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高槻街道

2016年07月18日 20時06分15秒 | 街道を歩く
高槻街道を宇野辺から高槻まで歩きました。

阪急南茨木駅からスタート地点に向かいます。左手に見える放射線防護服を着た子供の像は「サン・チャイルド」といい、
東日本大震災復興のシンボル像とのこと。2012年3月11日設置。



「宇野辺」交差点近くよりスタート。高槻街道は、高麗橋と亀岡を結ぶ亀岡街道から分岐する形となっています。
左右の道が亀岡街道、手前へ続く道が高槻街道です。



JR京都線(東海道本線)をくぐる。



JR京都線沿いにある東洋製罐茨木工場。



東洋製罐の向かいにある神戸製鋼所茨木工場。



「奈良」交差点で近畿道と大阪モノレールをくぐる。



茨木市役所。



市役所近くの「高橋」交差点横の欄干に立つ、酒呑童子の最も重要な家来・茨木童子の像。



「高橋」交差点を過ぎてすぐにある807年創建の茨木神社。楠木正成が茨木城を築くにあたって現在の場所に遷座したとのこと。



安威川を渡る。阪急京都線も並行しています。



安威川を渡ってすぐに阪急京都線をくぐる。



総持寺にて、街角の不動明王?



総持寺の昭和ロード商店街を進む。



富田にある大峰山日丸講(おおみねさんひのまるこう)石灯籠。1828年建立。
この灯籠がある場所は富田の南出入口にあたります。



石灯籠からしばらく北上したところにある、隣接する普門寺(禅宗)の鎮守社ともいわれる三輪神社。



芥川を渡ってすぐのところにある道標。「高槻街道 高槻 山崎」「高槻街道支線 高槻停車場」などの文字が彫られています。



高槻城跡にある城跡公園。



城跡公園内にある、高槻城主でキリシタン大名としても知られる高山右近像。



かつて城下に建てられていた商家・旧笹井家住宅。城跡公園に移設され、歴史民俗資料館となっています。



高槻城の守護神として歴代城主の信仰が厚かった、城跡公園近くにある八幡大神宮。



八幡大神宮からしばらく北進して、右折。道標には「右 京 山崎 淀 柳谷 ふしミ 宇治 八幡」などと刻まれています。



国道170号線に合流。



すぐに、「八丁畷」交差点で国道171号線と交差。ここから北は府道79号線となります。



「八丁畷交番前」交差点で阪急京都線をくぐる。



かつては高槻城から西国街道まで続いていた八丁松原。八丁畷などの地名に痕跡をとどめています。



八丁松原にはクロマツの松並木が残されています。





さらに北上し、JR京都線をまたぐ。



高槻市営バスの別所新町バス停のあるところで西国街道に合流。ここがゴールとなります。
26840歩、1歩65cm換算で13.6kmでした。阪急高槻市駅より帰宅。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

竹田街道

2016年07月16日 16時06分09秒 | 街道を歩く
竹田街道を三条大橋から観月橋付近まで歩きました。

三条大橋を、東海道とは逆方向の西に向いてスタート。



長州藩士ら尊王攘夷派が新撰組によって襲撃された池田屋事件(1864年)の跡地、池田屋はなの舞。



三条名店街のアーケードを進む。



さらに三条通を西進。日本生命京都三条ビル(1914年竣工)。辰野・片岡設計事務所の設計で、石張りの外壁が辰野金吾らしい作風。



イノダコーヒ三条店。



京都文化博物館(旧日本銀行京都支店、1906年竣工)。設計は辰野金吾。



浪人時代、1年間通学した河合塾。



河合塾の隣にある中京郵便局(1902年竣工)。設計の中心者は、多くの官庁舎を設計した三橋四郎(1867-1915)。
ここで左折して東洞院通を南下します。



四条通近くにあるプラスパー河野ビル。このビルに建て替える前は耳鼻科医院があり、小学生の頃通院していました。
古めかしい治療椅子や内装が、大正時代へタイムスリップしたかのように思わせる医院でした。



四条通東洞院西入ルに置かれている、毎年必ず山鉾巡行の先頭に立つ長刀鉾(なぎなたほこ)。



東洞院通を塞ぐように立つ、丹後守平井保昌(やすまさ)と和泉式部の恋物語に由来するという保昌山(ほうしょうやま)。



塩小路通との交差点。このあと東洞院通はJRで寸断されるため、西に迂回してJRをまたぐ橋を渡ります。



橋より在来線を臨む。



アバンティ付近より新幹線京都駅方向を臨む。観光バスの乗り場とその近辺が整備中です。



「竹田街道十条」交差点直後に阪神高速8号京都線をくぐる。



8号京都線のすぐ南に流れる鴨川を勧進橋で渡る。



橋を渡ったあと、高速道路を眺めながら少しの間川沿いを歩く。



東高瀬川沿いを歩き、地下鉄・近鉄竹田駅付近で府道68号線を横切る。下道で水口へ向かう場合はこの府道を使います。



名神をくぐる。



400~500m東進すると京都教育大附属高校のこの写真のあたりから東高瀬川を離れ、国道24号線に合流。



右折すると城南宮道。そのまま24号線を南下します。



「深草加賀屋敷町」交差点で、24号線沿いを進まず直進して近鉄伏見駅付近のガード下をくぐる。



24号線から分かれたあとは府道115号線を南下し、月桂冠昭和蔵工場の脇を通過。



大手筋と交差。さらに南下。



運河の手前で左折。薩長同盟成立直後に発生した坂本龍馬襲撃事件(1866年)などで知られる寺田屋。今ある建物は再建されたものです。



月桂冠本社など、月桂冠所有の建物が並ぶ伏見区南浜町の町並み。





伏見の酒造りと月桂冠をテーマとする博物館、月桂冠大倉記念館(元は1909年築の酒蔵)。
見学と純米酒のおみやげ付きで入場料300円。



近鉄京都線のガード下をくぐる手前の京町通の終点にてゴール。ガード下をくぐった先のどんつきで奈良街道と合流します。
18225歩、1歩65cm換算で11.9kmでした。



京阪観月橋駅より帰宅。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東高野街道(安堂~河内長野)

2016年07月02日 21時28分40秒 | 街道を歩く
東高野街道を安堂から河内長野まで歩きました。

柏原市の近鉄安堂駅からスタート。



安堂の大和川治水公園にて。洪水被害の多かった大和川の付け替えや治水に尽力した農民・中甚兵衛(1639-1730)の像。



新大和川橋で大和川を渡る。対岸は安堂。橋の真ん中が柏原市と藤井寺市の境界です。



新大和川橋と並んで大和川を渡る近鉄道明寺線。



道明寺駅から柏原南口駅へ向かう近鉄電車。



国府(こう)八幡神社。背後には允恭陵(市野山古墳)が控えており、御陵の守り神という位置づけの神社です。



東高野街道の石碑がある白光龍王大神(はっこうりゅうおうおおかみ)の祠とムクノキ。



ムクノキの向かいにある道明寺。関西風の桜餅を道明寺というのは、原料の道明寺粉がここで最初に作られたかららしいです。



羽曳野市に入ります。西名阪自動車道をくぐってしばらく歩くと石畳の舗装が続き、
日本最古の八幡宮と称する誉田(こんだ)八幡宮が見えてきます。



応神陵(誉田山古墳)のすぐ南に鎮座する誉田八幡宮。祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと=応神天皇)。



誉田八幡宮の近くにある2つの道標。大きい方には、北側に「柏原 大阪 方面」、西側に「藤井寺 大阪 方面」、
南側に「富田林 長野 方面」と刻まれています。



近鉄南大阪線の踏切を渡りしばらく行った古市駅近くにある、堺と磐城を結ぶ竹内街道との交差点に立つ大きな道標。



付近にある安閑天皇陵(高屋築山古墳)内に本丸を置いていた高屋城(河内国守護職畠山家の居城)跡にある城山姥(うば)不動明王。



古市にある高屋神社。創建は538年で、祭神は饒速日命(にぎはやひのみこと=物部氏の遠祖)と
広国押建金日命(ひろくにおしたけかなひのみこと=安閑天皇)です。



7月10日投票の参議院選挙・羽曳野市長選挙・羽曳野市議会議員補欠選挙のポスター掲示場。



「水守」交差点で南阪奈道路をくぐる。



富田林市に入ります。美具久留御魂(みぐくるみたま)神社の鳥居。主祭神は美具久留御魂大神(=大国主命)。
社伝によれば、創建は崇神天皇10年(紀元前88年)とのこと。



富田林西口駅近くにある、富田林寺内町にある杉田医院。
このあたりは、戦国時代に寺内町を形成した興正寺門跡・証秀の要請による町割りや町家が数多く残っています。



寺内町を抜けてしばらく歩くと南西方向に見える田園風景。



近鉄長野線・川西駅横のガードをくぐる。



川西駅から古市駅方面へ向かう近鉄電車。



「川西南」交差点付近で国道309号線と立体交差する。



国道170号線に合流し、しばらく近鉄長野線と並走する。



河内長野市に入ります。すぐに長野線の踏切を渡る。



踏切を渡ったところにある孝子(こうし)地蔵。地蔵自体が道標となっている地蔵道標です。



南海高野線に架かった橋を渡る。



7月10日投票の参議院選挙・河内長野市長選挙・河内長野市議会議員補欠選挙のポスター掲示場。



近鉄・南海河内長野駅前のアーケード街を抜けたところにある高野街道の石碑。
ここが東高野街道のゴール地点であるとともに、高野山へ向かう高野街道のスタート地点となります。
東高野街道は3回合計で92102歩、1歩65cm換算で59.9kmでした。



南海河内長野駅から帰宅。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする