街道を歩く

旧街道を中心に歩く旅日記。歩行距離は、2021年11月以降は活動量計の表示にしたがっています。

364 てくてくまっぷ8 奈良公園から奈良町 歴史と文化コース

2022年08月28日 21時30分02秒 | 街道を歩く
てくてくまっぷの8回目、奈良公園から奈良町 歴史と文化コースを歩きました。
近鉄奈良駅10:24→近鉄奈良駅12:29 9021歩、6.09km

10:23 近鉄奈良駅前から歩き始める。


10:28 興福寺への石畳。奈良公園は元々興福寺の境内でしたが、廃仏毀釈運動を経て官有地となりました。



10:30 最初のチェックポイント、興福寺東金堂。


10:53 2つ目のチェックポイント、浮見堂。鷺池(さぎいけ)の中ほどにある東屋です。


11:26 4つ目のチェックポイント、元興寺(がんごうじ)の東門。かつては興福寺と並ぶ大寺院でした。
世界遺産「古都奈良の文化財」の構成資産の一つです。


11:36 3つ目のチェックポイント、名勝大乗院庭園文化館。興福寺の子院であった門跡寺院、大乗院の庭園です。
現在は庭園のみが残されています。一度通過してしまったため、元興寺から戻りました。


11:48 最後のチェックポイント、猿沢池の向かいにある采女(うねめ)神社と隣接するスタバ。


12:00 東向商店街にあるマクドナルド奈良店で昼食。


12:29 近鉄奈良駅前に戻りゴール。近鉄で帰宅。


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363 長崎街道11 彼杵→大村

2022年08月12日 23時23分26秒 | 街道を歩く
10日、長崎街道を彼杵から大村まで歩きました。
彼杵9:15→大村15:39 32306歩、21.85km

9:07 武雄温泉から早岐経由で彼杵駅へ移動。


9:15 前回到達の東彼杵町役場前から歩き始める。


9:19 彼杵神社。神社のある彼杵宿は長崎街道と平戸往還(平戸市~東彼杵町)が合流する地点です。
神社は、江戸時代までは彼杵宿の本陣のあった場所とのことです。現在は彼杵小学校の中にあります。


9:26 大村湾に突き出すような場所にある八坂神社。


9:27 八坂神社より大村湾を望む。


10:04 大村線彼杵~千綿駅間にある踏切を渡る。


10:46 街道は国道34号線から外れて丘を登ります。海岸沿いを通る大村線を見下ろす。


10:47 東彼杵町は長崎街道の案内看板の設置に力を入れています。


10:58 千綿駅。大村湾が目の前にあるロケーションで、18きっぷのポスターに採用されたこともあるとのこと。


11:29 街道は再び国道34号線から外れます。平原一里塚跡より大村湾を望む。


12:12 国道34号線に戻り、東彼杵町と大村市の境界より大村湾と大村線を望む。


12:38 国道から海岸側に道を外れて歩く。右手奥は鹿ノ島(しかのしま)といい、頂上部に弁財天があります。


12:56 松原駅。付近に松原海水浴場があります。また、松原宿のあった地域です。


13:06 松原宿にある旧松屋旅館。江戸時代には諸大名の小休憩所でした。現在は資料館になっています。


13:19 つばき屋という、五島市を中心に展開するスーパー(五島市以外にある店はここのみと思われる)。
ロゴがスガキヤにそっくりですが、資本関係や業務提携などはないようです。


13:50 9月23日に開業する大村線の大村車両基地駅。松原駅と竹松駅の間にあります。


14:01 昊天宮(こうてんぐう)。平安時代より大村家の守護神で、江戸時代には大村藩総鎮守神とされました。
大村湾の東岸は、古代には彼杵郡と呼ばれていましたが、昊天宮は彼杵郡の総鎮守でした。


15:39 竹松駅、諏訪駅を通る大村線に並行する街道を歩き、大村駅へ向かうアーケード街の交差点に。
今回はここまでとしました。


15:48 大村駅より帰宅。


17:53 諫早駅で特急かもめに乗り換えて博多駅へ。博多からはのぞみで帰りました。


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362 長崎街道10 武雄温泉→彼杵

2022年08月12日 20時24分28秒 | 街道を歩く
9日、長崎街道を武雄温泉から彼杵(そのぎ)まで歩きました。
武雄温泉7:41→彼杵16:40 45581歩、30.88km

7:41 前回到達の交差点より歩き始める。武雄温泉駅のある南方向の道路が整備中でした。


8:39 渕ノ尾ダム。1980年(昭和55年)竣工の上水道用水目的の重力式コンクリートダムです。


8:52 渕ノ尾ダム建設によって旧街道は部分的に失われていますが、峠は残されていました。渕ノ尾峠を通過。


10:18 山を降りて、西九州自動車道・武生南ICをくぐる。自動車道の上には西九州新幹線が通っています。
西九州新幹線の武雄温泉から長崎のルートは概ね長崎街道に沿っているので、何度か新幹線と交差します。


11:04 嬉野市に入ります。西九州新幹線に並行する道を進む。
長崎への原爆投下時間である2分前、サイレンが鳴りました。


11:28 嬉野茶の茶畑に沿うように街道を進む。


13:09 嬉野温泉に入ります。赤い屋根の下にあるのはシーボルトのあし湯。24時間無料で利用できます。
シーボルトが嬉野温泉に立ち寄ったことにちなんで名づけられました。


13:11 シーボルトのあし湯のある広場には、来月開業する嬉野温泉駅をアピールする幟が立っていました。


13:18 豊玉姫神社。祭神の豊玉姫はなまずを遣いとしていて、なまずは肌の病にご利益があるそうです。
そのため、嬉野温泉の効能と相まって「美肌の神様の神社」とされています。


14:57 嬉野温泉からさらに南下して、嬉野市から東彼杵町へ。県境を越えてからは下りです。
長崎への原爆投下から77年となるこの日、長崎街道の歩き旅としては初めて長崎県に入りました。


15:11 そのぎ茶の段々畑と西九州新幹線。ここ東彼杵町坂本地区は、「長崎県だんだん畑十選」認定の地です。
平地の少ない長崎県では山の斜面などが畑として切り開かれてきたため、段々畑の多い土地柄です。


15:46 鳥越一里塚跡入り口。一里塚そのものには立ち入りませんでしたが、きれいに残っているそうです。


16:40 峠を下って大村湾が見えてきたところでJR大村線の踏切を渡り「東彼杵町役場前」交差点へ。
今回はここまでとしました。


16:45 彼杵駅から武雄温泉駅へJRで戻り、武雄温泉で宿泊。


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361 長崎街道9 肥前山口→武雄温泉

2022年08月12日 18時00分53秒 | 街道を歩く
8日、長崎街道を肥前山口から武雄温泉まで歩きました。
肥前山口9:09→武雄温泉14:03 27666歩、19.07km

8:49 武雄温泉駅のコインロッカーに荷物を預けたあと、特急みどりで肥前山口駅に戻ります。自由席の車内。


9:08 肥前山口駅北口から歩き始める。右側にあるのは「JR最長片道切符の旅 ゴール 肥前山口駅」の碑。



9:35 江北町石原区の小田宿広場にある、実物に基づいて復原された道標(左側)。


10:06 大町町にある浄土真宗・正善寺の掲示板。一癖ある掲示は、浄土真宗が目立つように思います。


11:15 大町町から武雄市に入ります。北方町にある海童(かいどう)神社。東側に焼米溜池があります。
ここは焼米(やきごめ)宿のあった地域で、上使屋(大名などが宿泊する施設)のない、庶民の宿場でした。


11:26 北方駅付近にある長崎街道の追分。南西へ向かう「塩田道」と北西へ向かう「塚崎道」の分岐点です。
当初は塩田川を上り嬉野へと向かう 塩田道が本道でしたが、塩田川の度重なる氾濫により通行不可能になり、
武雄温泉のある塚崎を経由する塚崎道が本道になりました。塚崎道を進みます。


12:25 かつては交通の要衝であった北方宿の本陣跡。伊能忠敬一行が、測量の際に宿泊したとのこと。


12:56 高橋駅に近い、高橋宿にある高橋天満宮。高橋宿は有明海に近く、水路と陸路が通じていました。
江戸時代には月に6回市が立ち商業で栄えましたが、1895年(明治28年)に鉄道が開通してから衰退しました。


14:03 塚崎宿(武雄温泉)に入ります。東口にある鍵型道路。今回はここまでとしました。
今回で街道歩き旅の通算歩数が1001万1808歩となり、1000万歩を超えました。


14:34 武雄温泉駅前にある武雄市役所内の「NAGI cafe」で魯肉飯(ルーローハン)をいただく。


15:09 武雄温泉駅前の「セントラルホテル武雄温泉」に宿泊。部屋の窓から整備中の南口駅前が見えます。


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360 長崎街道8 佐賀→肥前山口

2022年08月12日 15時26分08秒 | 街道を歩く
7日、長崎街道を佐賀から肥前山口まで歩きました。
佐賀9:27→肥前山口15:02 28148歩、19.40km

8:45 肥前山口駅から佐賀駅へ向かう。肥前山口駅は、稚内駅を起点としたJR最長片道切符の旅の終点です。
来月23日からは、西九州新幹線開業に伴って開業する新大村駅が新しい最長片道切符の終点となります。
また、新幹線開業の日に肥前山口駅は「江北駅」に改称されます。


9:27 前日到達地点の、佐賀駅から中央大通りを南下したところにある交差点から歩き始める。
「佐賀城下栄の国まつり」は、この日も午後から中央大通りを歩行者天国にして開催されました。


9:30 龍造寺八幡宮と境内社の楠神社。楠神社は、日本で最初に楠木正成・正行父子を祀った神社とのこと。
龍造寺八幡宮は龍造寺・鍋島両氏の崇敬を集め 、古文書・宝物類が多数ありましたが、
1874年(明治7年)に発生した佐賀の乱の兵火により大半が焼失したとのことです。


10:27 本庄江(ほんじょうえ)という川に架かる高橋。佐賀城下の西の出入り口にあたる場所です。


11:27 佐賀県立森林公園。佐賀県における広域的スポーツレクリエーション活動の一大拠点施設です。
「明治百年を記念して森林公園を創る」という、1968年(昭和43年)当時の知事の筆による石碑があります。


11:39 嘉瀬川を渡る前にある佐賀西ロータリークラブによる看板。
佐賀県警察によると、よかろうもん運転とは、「車間詰めてもよかろうもん」、「信号守らんでもよかろうもん」、
「スマホ使ってもよかろうもん」、「合図出さんでもよかろうもん」のことをいいます、とのことです。


12:50 JR牛津駅。駅に誰でも弾けるピアノがあり、当日開催されるコンサートのリハーサルが行われていました。


13:34 牛津のジョイフルで昼食。ホタテと鮭の雑炊とサウザンサラダをいただく。


15:02 肥前山口駅北口。今回はここまでとしました。


15:13 宿泊したホテル。トレーラーハウスがホテルの部屋になっているので、ナンバープレートがついています。


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359 長崎街道7 吉野ケ里公園→佐賀

2022年08月11日 19時31分01秒 | 街道を歩く
6日、長崎街道を吉野ケ里公園から佐賀まで歩きました。
長崎街道は、これまでに小倉から黒崎、小竹、天道、筑前内野、弥生が丘、吉野ケ里公園の順に歩いています。
吉野ケ里公園13:24→佐賀18:22 24869歩、17.15km

13:17 昼前に激しい雷雨が降ったため、荷物を預けた佐賀駅で雨脚が弱まるのを待ち、吉野ケ里公園駅に移動。


13:24 前回到達の交差点より歩き始める。


14:30 ひのはしら一里塚。長崎街道で唯一築山が残されている一里塚です。
「ひのはしら」の由来は、この一里塚の西にある櫛田宮の赤木の鳥居がかつてはそびえていたことです。


14:49 神埼宿にある櫛田宮(くしだぐう)。神埼市役所の隣りにあります。博多の櫛田神社はこの分社です。


15:05 神埼名物おこわの弁当などを販売している「まんえい堂」にある、ミスト(?)を吐き出す信楽焼の狸。
このお店は神埼宿・西の木戸口跡付近にあります。


17:45 佐賀城下に6つあった入り口の一つ、牛嶋口跡。ここで検問をしていました。現在は公園になっています。


18:22 佐賀駅から佐賀城跡の間にある中央大通りの交差点。今回はここまでとしました。
この日は、コロナの影響で3年ぶりとなる「佐賀城下栄の国まつり」開催のため、歩行者天国となっていました。


18:42 駅前広場を整備中の佐賀駅まで歩く。JRで肥前山口駅へ移動して、駅付近にあるホテルに宿泊。


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