街道を歩く

旧街道を中心に歩く旅日記。歩行距離は、2021年11月以降は活動量計の表示にしたがっています。

268 有馬街道2 間道 神崎津→宝塚

2020年09月27日 16時48分55秒 | 街道を歩く
昨日、有馬街道を神崎津から宝塚まで歩きました。
262回目で有馬街道の本道を神崎津から安倉まで歩きましたが、今回は間道を歩きます。

7:15 JR加島駅よりスタート地点に向かう。


7:35 神崎川沿いにある神崎津よりスタート。


7:42 この交差点で右折すると有馬街道の本道です(奥への道)。今回は右折せず直進します。


8:15 近松公園。隣に、近松門左衛門の墓所がある広済寺があります。
有馬街道を説明する石碑も立っています。


8:36 JR塚口駅前を通る。


9:36 阪急塚口駅と稲野駅の中間あたりにある塚口神社。東側に昆陽川が流れています。


9:39 阪急塚口~稲野駅間の踏切を渡る。


10:01 伊丹市に入ります。山陽新幹線をくぐる手前にある南野三丁目という地域。
今日最終回の『半沢直樹』に出演していた南野陽子は伊丹市出身ですが、ここと関係があるのでしょうか。


10:29 昆陽四丁目で西国街道と交差する。


10:49 昆陽池公園より昆陽池を望む。


11:11 常夜燈と、「右 中山寺/左 小濱」と刻まれた道標。


11:35 宝塚市に入ります。安倉。
ここで、有馬街道の本道(左)とつながります。本道としてはここまで歩きました。


11:38 下の池公園の中を進む。


12:40 中国道をくぐって小浜宿に入り、ここで京伏見街道と合流。


13:20 西宮街道(右)との合流地点。今回はここまでとしました。28261歩、17.0kmでした。


13:29 阪急宝塚駅より帰宅。


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267 西国街道24 柱野→欽明路

2020年09月27日 15時23分45秒 | 街道を歩く
21日、西国街道を柱野から欽明路まで歩きました。

8:26 JR柱野駅から前回到達地点に向かう。


8:31 御庄川沿いにある前回到達地点よりスタート。


9:05 岩徳線・柱野~欽明路駅間のガードをくぐる。左に流れる川は、御庄川から分かれた柱野川。


9:42 欽明路トンネルの脇にある道を進み、欽明路峠を登る。


10:16 山陽道を欽明路橋で跨ぐ。
写真が左に傾いているのは、フェンスが高くてモニターが見えなかったためです。



10:29 欽明寺。
欽明天皇(509?~571?)が、筑紫から都へ戻る途中にここで休息したという伝説が寺名の由来となっています。


10:51 JR欽明路駅前を少し過ぎたこの交差点で、街道を外れて北へ向かいます。


10:59 国道2号線沿いにある「いろり山賊 玖珂店」という和風レストラン。
広島に住んでいたときに、広島で免許を取ると最初に遠出をする店と聞いていました。
駐車場はすでに満車でした。



11:35 子供連れのファミリー客が目立ちます。
ここで、山賊焼き(鶏を串に刺したもの)と山賊むすびの入った山賊弁当を買う。
学生時代を広島で過ごした人の話では、夜にこの店に繰り出す若者が多いとのこと。
9月3日より、閉店時間が23時に繰り上げになったという告知がされていたので、
今後はそういうお客さんは減りそうです。


11:44 西国街道に戻り、今回はここまでとしました。15352歩、9.2kmでした。


11:49 欽明路駅より帰宅。


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266 西国街道23 玖波→柱野

2020年09月27日 13時27分06秒 | 街道を歩く
20日、西国街道を玖波から柱野まで歩きました。

9:25 JR玖波駅より前回到達地点に向かう。


9:27 ここからスタート。


11:19 慶応2年(1866年)の幕長戦争の舞台にもなった「苦の坂」の入り口。
通行止めになっているため迂回します。


「苦の坂」は青線の部分で、南西にある「ちきり池神社」に向かう予定でしたが、
北→東→南→西に向かう赤線のルートで迂回します。



12:22 油見トンネルを抜ける。


12:27 椦池(ちきりいけ)神社。通称、ちきりさん。ちきりとは機織り機の部品です。
苦の坂を歩いた場合はこの神社の右側に出るはずですが、道らしいものは見当たりませんでした。
この辺りで下関側から西国街道を歩いてきた人に出会い、苦の坂が通行止めになっていることを伝える。


13:06 小瀬川を渡り、山口県岩国市に入る。


13:31 山道を歩く。


14:05 関戸宿の本陣跡。「吉田松陰先生東遊記念碑」という石碑が立っています。


15:19 錦川に架かる御庄橋を渡ろうとしましたが、老朽化により橋が閉鎖されていたため迂回します。
御庄橋は修繕されず、今後撤去されるとのこと。


15:27 御庄橋の東にある橋で錦川を渡る。


16:28 錦川から分かれた御庄川の川沿いを南下。今回はこの交差点までとしました。
36223歩、21.7kmでした。


16:31 JR柱野駅より岩国のホテルに向かう。


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265 西国街道22 廿日市→玖波

2020年09月22日 20時31分29秒 | 街道を歩く
19~21日まで、西国街道を廿日市から欽明路まで歩きました。
西国街道は、2015年12月9日に東寺を出発してから、
高槻→石橋→西宮→三宮→明石→加古川→姫路→相生→三石→香登→岡山→清音→小田→神辺→東尾道
→三原→本郷→西条→海田市→西広島→廿日市の順に歩いて今回が22回目になります。
19日は廿日市から玖波まで歩きました。

8:16 JR廿日市駅より前回到達地点に向かう。


8:22 この交差点よりスタート。


8:53 JR宮内串戸駅前を通過。


9:14 山陽道・廿日市IC付近にある一里塚跡の石碑。


10:00 廿日市JCT付近で山陽道と並行する道。


10:34 安芸野球村塾という、子供向けの野球教室のような施設の付近にある一里塚跡の石碑。


11:19 高庭駅家(たかにわのうまや)跡・濃唹駅(のおえき)跡。
駅家とは、役人の宿泊や乗り継ぎの馬を準備する施設です。
平安時代に駅制の改定により、「濃唹駅」になったとのこと。


11:28 陣場。慶応2年(1866年)の長州征伐の際、幕府軍が検問所を設けていました。


11:41 山陽道・大野IC付近にある滝の下交差点。ここで少し街道を外れて北上します。


11:48 大頭(おおがしら)神社とその横を流れる毛保(けぼ)川。ここに妹背(いもせ)の滝があります。


11:49 妹背の滝のうち、雌滝(めんだき)。


11:52 毛保川の川上にある雄滝(おんだき)。毛保川と雄滝では、子どもたちが水遊びをしていました。


12:44 街道に戻り、JR大野浦駅にある一里塚跡。その横に、駅名の由来となった今川了俊の歌の碑があります。


13:48 旧大野町が建てた「宮浜温泉 海望の源泉地」の石碑と瀬戸内海。


14:02 しばらく、「残念さん道」という山道を進みます。ざんねんさん砦の石碑。


14:11 蜘蛛の巣の多い山道を進むと、この残念社に出ます。この付近一帯は長州征伐の古戦場です。
慶応2年7月9日、幕府軍の丹後宮津藩士・依田伴蔵(よだはんぞう)が、
この道を単騎で軍使として長州に向かっていたところ、
戦闘員と勘違いした長州軍が狙撃し、伴蔵が「残念」と言って倒れた故事に基づく神社が残念社です。


14:21 三県一望の地。安芸、周防、伊予が一望できるため、吉田松陰が「三県一望の地」と名付けたとのこと。
「残念さんからの眺望」という説明地図によれば、左の島が宮島です。


14:41 瀬戸内海を望みつつ、山陽道と並行する道を歩く。


14:43 道路をふさぐように立つ不法投棄禁止の看板。看板を立てているタイヤは不法投棄されたものではない?


15:11 廿日市市から大竹市に入り、山道を歩いて鉾の垰(たお)を越えて、
大野浦・玖波駅間の山陽本線をまたぎます。
垰とは峠のことで、中国地方で使われる独自の漢字です。


15:15 山道を越えて住宅地に出ます。この辺りで滑ってこける。


15:34 玖波の高札場跡。玖波は江戸時代は宿場町で交通の要衝として栄えていましたが、
慶応2年の長州征伐で人家・本陣のすべてが焼け落ち、現在は往時を偲ぶことはできないとのことです。


15:38 JR玖波駅付近のガード前。今回はここまでとしました。33459歩、20.1kmでした。


15:40 玖波駅より岩国のホテルに向かう。


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264 伊勢南街道5 大和上市→鷲家

2020年09月05日 06時40分03秒 | 街道を歩く
昨日、伊勢南街道を大和上市から鷲家(わしか)まで歩きました。

8:13 近鉄大和上市駅から前回到達地点へ向かう。


8:18 この交差点よりスタート。


8:19 近鉄吉野線をくぐる。


8:33 吉野町役場。


8:40 吉野川沿いを歩く。


9:46 吉野川を離れたあと北東に進み、吉野山口神社。
代々の紀州藩主は、参勤交代の際に参拝し、長旅の安全を祈りました。
徳川吉宗寄進の灯籠があります。


10:03 牛滝神社。昭和6年(1931年)、畜産振興の風潮が高まったため当地で放牧場をつくり、
家畜の育成につとめたことが神社の起こりのようです。
当初は別の場所にありましたが、平成13年(2001年)に現在地に移設されたとのこと。


11:12 久須斯(くすし)神社。酒造りの神として信仰されています。
ここは、東西に走る伊勢南街道と南北に走る宇陀・吉野を結ぶ街道の交差点に位置し、古来より交通の要衝でした。
この地は、紀州藩主の参勤交代の折にここで昼食をとったため三茶屋と呼ばれます。


12:14 山道を進む。


12:33 峠。ここで、吉野町から東吉野村に入ります。


12:54 峠を下りている途中、ここで道を間違っていることに気づく。
本来東に進むはずが途中から南に進んでいましたが、引き返さずそのまま南下。


13:07 県道16号吉野東吉野線に出る。天誅組をPRする幟。


13:25 天誅組終焉の地の碑。文久3年(1863年)8月、討幕を目指して五條で旗揚げした天誅組は、
幕軍の追討により9月24日から27日にかけて東吉野村で15人が戦死し終焉しました。


13:31 この交差点で本来の伊勢南街道に合流。今回はここまでとしました。30128歩、18.1kmでした。


13:31 交差点に建つ伊勢南街道の道標。上部に常夜燈がついています。文政11年(1828年)建立。
この交差点にある奈良交通バスの鷲家停留所より近鉄榛原駅に向かい帰宅。このバス路線は平日のみの運行です。


今回使用したきっぷ。


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