街道を歩く

旧街道を中心に歩く旅日記。歩行距離は、2021年11月以降は活動量計の表示にしたがっています。

亀岡街道(茨木~余野)

2017年04月22日 21時12分16秒 | 街道を歩く
亀岡街道を茨木から余野まで歩きました。

阪急茨木市駅から前回到達地点まで戻ります。



前回到達地点よりスタート。



名神高速道路をくぐる。



中河原にて、西国街道との交差点に建つ道標。茨木城の城主であった中川清秀の生地ともされています。



摂津福井城跡近くにある福井橋を渡る。



福井橋を過ぎると本格的に上り坂に入っていきます。



佐保にて彩都を臨む。のどかな山里に、人工的な街の端っこが唐突に現れる印象です。



同じく佐保にある小西篤好(あつよし、1767-1837)の顕彰碑。同地の庄屋で、農事の研究を行い『農業余話』上下巻を著しました。



新名神高速道路の鉢伏山トンネル近くに建設中の橋梁をくぐる。



茨木市立キリシタン遺物史料館がある千提寺(せんだいじ)地区。隠れキリシタンの里でした。



府道を外れ、山道を歩く。藪漕ぎをしながら倒木を越えていきます。



山道の途中で道を間違えました。豊能町に入り、採石場の付近から希望ヶ丘(北大阪ネオポリス)に出ます。



亀岡街道に合流。



曹洞宗朝川寺。



府道を外れ、110号線「希望ヶ丘」交差点を臨む。



余野に入ります。110号線に戻り、沿道にある走落(はしりおち)神社。



「余野」交差点。今日はここまでとしました。



豊能町役場前にある阪急バス余野停留所から池田停留所へ向かい、阪急池田駅から帰宅。

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亀岡街道(高麗橋~茨木)

2017年04月15日 20時10分08秒 | 街道を歩く
亀岡街道を高麗橋から茨木まで歩きました。

地下鉄北浜駅から高麗橋へ行き、スタート。



天神橋を渡る。



日本一長いアーケード商店街である天神橋筋商店街をしばらく歩きます。1丁目商店街。



大阪天満宮参詣道・繁昌亭を示す提灯。



2丁目商店街。



3丁目商店街を過ぎて、JR天満駅そばを通る4丁目商店街。



5丁目商店街の途中でアーケード街を外れます。



北上して、毛馬(けま)の閘門(こうもん)がある淀川河川公園長柄(ながら)地区に入ります。写真は旧第一閘門跡。
閘門とは、高低の差のある水面で船を昇降させたり水量を調節したりする装置のある水門のことです。
淀川の氾濫による洪水を防ぐために1897年から淀川改修工事が始まりました。旧第一閘門の竣工は1907年です。



公園内にある毛馬洗堰(あらいぜき)跡。洗堰とは、水量の調節を目的とした堰のことです。
旧第一閘門、洗堰ともに現在は役割を終えて重要文化財に指定され、近くにある毛馬排水機場、淀川大堰が跡を継いでいます。



淀川河川公園の様子。



公園を出て淀川沿いの道を歩きます。右が淀川大堰、左が阪急千里線(柴島~天神橋筋六丁目間)と長柄橋です。



阪急千里線をくぐる。右が千里線、左が長柄橋。



阪急電車が淀川を渡る。



長柄橋を渡ったあとしばらく淀川沿いを東に進み、城東貨物線の踏切を渡る。



再び北上します。菅原にある和合(わごう)公園と亀岡街道の道標。



亀岡街道の説明看板が近くにある阪急京都線・上新庄~淡路間のガード下をくぐる。



東海道新幹線のガードをくぐったあと吹田市に入ります。
神崎川を高浜橋で渡る。川向こう左手に見えるのは大幸薬品吹田工場で、渡ると沿道で正露丸の匂いがしました。



吹田歴史文化まちづくりセンター・浜屋敷。庄屋だった古民家を改装した施設です。



浜屋敷の近くにある高浜神社。735年には吹田の大宮として存在していた古社です。



JR吹田駅の下をくぐり、アサヒビール吹田工場の脇を通ってさらに北上します。



岸部にある吉志部(きしべ)神社の常夜燈と鳥居。
重要文化財に指定されていた本殿は2008年に全焼して指定が取り消されましたが、2011年に再建されました。



一瞬摂津市を通ります。千里丘にある市場池(いちばいけ)公園。池は、江戸初期に灌漑用溜池として築かれたものです。



吹田市に戻り、すぐに茨木市に入ります。宇野辺にある、去年歩いた高槻街道との分岐点。



大阪モノレール宇野辺駅。駅に付随する歩道で近畿道をくぐります。



さらに北上してJR茨木駅近くの交差点へ。今日はここまでとしました。



阪急茨木市駅より帰宅。

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西大路通

2017年04月14日 20時35分59秒 | 京都の大路小路を歩く
西大路通を歩きました。

市バス金閣寺道停留所の近くにある西大路通と北大路通の境目よりスタート。



安産の神として知られるわら天神・敷地(しきち)神社。安産御守りとして藁が授与されることからわら天神と通称されます。



平野神社。現在の地に遷座したのは平安遷都の794年。境内は桜の名所で4月10日に桜花祭があります。



衣笠校前停留所が隣接する京都市立衣笠小学校に設置されている大文字駅伝記念像「都大路の風になれ」。



嵐電北野白梅町駅とイズミヤ白梅町店。



JR嵯峨野線円町駅付近をくぐる。



三条通との交差点を嵐山へ向かう嵐電の電車が渡る。



バリアフリー工事中の阪急西院(さいいん)駅がある西大路四条交差点。新しい駅ビルは2020年開業予定です。



3月25日から阪急西院駅の東側に北改札口と南改札口が新設されました。少し寄り道をして行ってみました。



阪急の改札口の新設に伴い、北改札口のある新設のビルに併設される形で移設された嵐電西院(さい)駅嵐山方面行きホーム。



嵐電西院駅四条大宮方面行きホームと旧嵐山方面行きホーム。



西大路四条に戻ります。北東の角にある西院(さい)之河原(賽の河原)の通称で知られる高山寺。



西大路五条交差点。電気・水道・通信・電話のパイプが通る共同溝の整備が進んでいます。



五条から少し下がったところにある京都府中小企業会館。最初に入った会社に出会った場所です。



七条から下がったところにある、鉄道模型やフィギュアのメーカー・ボークス京都本社(旧日栄本社)。



西大路八条にある若一(にゃくいち)神社。平安末期の1166年、平清盛がここに別邸を建て「西八条殿」と称し、
紀州熊野の若一王子の御霊を祭ったのが始まりです。その後清盛の勢威が伸びたため開運出世の神として崇められています。
歩道側にある大きなクスノキは区民誇りの木とされています。



JR西大路駅近くにある日本新薬本社。



JR東海道本線・東海道新幹線をくぐる。



イオン洛南店。



西大路十条。ここまでが西大路通となります。1歩60cmとして7.8kmでした。



西大路十条の近くにある吉祥院天満宮。祭神として菅原道真を祀っています。



吉祥院は菅原道真誕生の地として知られており、境内には道真のへその緒を埋めたと伝えられる「菅公胞衣(えな)塚」があります。
JR西大路駅より帰宅。

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中山道(坂祝~御嵩)

2017年04月09日 06時48分34秒 | 街道を歩く
昨日、中山道を坂祝から御嵩まで歩きました。

JR坂祝駅から前回到達地へ向かう。



前回は国道21号線沿いを歩いていましたが、国道に沿ってサイクリングロードとして整備されている堤防の道が中山道であったため、
少し戻って本来の中山道を歩き、「取組」交差点付近からスタート。



行幸巌(みゆきいわ)の石碑。木曽川の名所で、この坂祝河畔は「ライン下り」第一の佳景とのこと。



その景色。



行幸巌の石碑の地点から国道に戻ります。坂祝町役場付近。



パジェロ発祥の地、パジェロ製造の本社工場。坂祝町の税収の3分の1がパジェロ製造からによるそうです。



また木曽川沿いに戻り、堤防の道を進む。美濃加茂市に入ります。



国道41号線をくぐる。この直後、堤防の道を外れて町中へ入ります。



太田宿に入ります。高札場跡にある郡上街道追分の道標。ここで、郡上へ向かう郡上街道と中山道が分かれます。



太田宿中山道会館。土産物や特産品の店があり、同じ建屋に太田宿と中山道についての展示室がありました。



再び木曽川沿岸に戻ります。岡本一平(1886-1948、漫画家で岡本太郎の父)終焉の地の石碑。



あずまやの横にあるのは「アメンボーク」という芸術作品。美濃加茂市では「文化香るまち」「清流と彫刻のまち」をテーマに
美濃加茂彫刻シンポジウムを実施しており、作品の設置はそうした活動の一環のようです。



木曽川を渡る太田橋のたもとにて。



太田橋を渡る。



可児市に入ります。太田橋を渡ったところにあるポケットパークに建つ今渡の渡し場跡の石碑。
かつては中山道三大難所の一つだったとのこと。



可児市内をしばらく歩いたあと、可児郡御嵩町に入ります。



上恵土(かみえど)神社の桜。



伏見宿に入ります。本陣跡のある御嵩町伏見公民館。



東海環状自動車道をくぐる。



御嶽宿に入ります。鬼の首塚。鎌倉時代に、不破の関出身の「関の太郎」と呼ばれた狼藉者の首をとったことに由来するものです。



名鉄御嵩駅。今回はここまでとして、名鉄広見線に乗り新可児駅からJRに乗り換えて帰宅。

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中山道(岐阜~坂祝)

2017年04月02日 07時24分40秒 | 街道を歩く
昨日、中山道を岐阜から坂祝(さかほぎ)まで歩きました。

JR岐阜駅から前回到達地点へ向かいます。



加納宿の途中より出発。



加納宿は加納城の城下町でした。関ヶ原の戦いのあと岐阜城は破却され、新たに加納城が築城されて地名も岐阜から加納に改められました。



名鉄茶所駅付近の踏切を渡る。



明治18年の道標。反対側には「左 西京」と刻まれています。



大正天皇が行幸の際、日陰で休息したという松がある八幡宮。神社名の下に「文部大臣 鳩山一郎」と刻まれています。
文相だったのは犬養毅内閣、齋藤実内閣(1931-34)の時です。



八幡宮の近くにある、慶長9年(1604年)に作られた細畑の一里塚。



名鉄切通駅近くの伊豆神社の隣にある馬頭観世音菩薩。
説明看板によると、「交通安全・赤ちゃんの夜泣き封じに霊験あらたか!!とか(古老談)」とのこと。



各務原市に入ります。東海北陸自動車道をくぐる。



間(あい)の宿である新加納立場(たてば)。加納宿と鵜沼宿の間隔が長い(約17km)ため、小休所として発展しました。
鵜沼宿の観光ボランティアの方の話によると、鵜沼宿の整備状況を見た地元の人たちが新加納も整備すべきと考え、
最近になって舗装をベージュにしたり道標を設置したりしたとのこと。



各務原市民公園の手前にある新境川を渡る。



市民公園では「桜まつり」が開催されていました。この場所は、1982年までは岐阜大学農学部でした。



公園の隣の那加交番にある「ナッシー」。那加地区内での事件・交通事故が皆無(=なし)の願いが込められているとのこと。



各務原市役所。



桜まつりの山車(?)。



名鉄三柿野駅付近で川崎重工岐阜工場の敷地内を走る名鉄各務原線をまたぐ。



沿道にあるJR各務ヶ原駅。各務ヶ原と書いて「かがみがはら」と読みますが、市の名称は「各務原」であり「かかみがはら」と読みます。
余談ながら、岐阜県立各務原高校は「かかみはら」と読み、地元でもさまざまな読み方が使われているようです。



JR高山本線をまたぐ。



鵜沼羽場(はば)町の羽場公園内にある津島神社。付設されている農村舞台「皆楽座」は市指定重要有形民俗文化財です。



同じく鵜沼羽場にある衣裳塚古墳(県指定遺跡)。
墳丘は直径52m、高さ7mで、元は前方後円墳でしたが前方部分が削られて後円部分が残ったと考えられています。



鵜沼宿に入ります。二ノ宮神社のある高台より中心部を臨む。



円憤の上に鎮座し、石垣に横穴式石室を残す二ノ宮神社。



鵜沼宿を抜けて坂を上がり、車道を外れて公園・日本ラインうぬまの森に入ります。
日本ラインとは、ドイツのライン川に見立てた木曽川の別称。



公園内にある石畳の道を進む。このあたりは昭和以降「うとう峠」といいます。
気味が悪いという意味合いでの「疎い」から来ていると言われています。



公園内の道を下ると高山本線をくぐるトンネルがあるのでくぐり、地上へ上がる。



加茂郡坂祝町に入ります。高山本線と並行する国道21号線を進む。



国道を少し外れた観音坂にある岩屋観音より、国道と木曽川を臨む。



国道に戻って進む。



「取組」交差点。木曽川の対岸にある桃太郎神社が地名の由来で、桃太郎が鬼退治に取り組んだことから来ているとのこと。
昨日はここまでとしました。



JR坂祝駅より帰宅。

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