街道を歩く

旧街道を中心に歩く旅日記。歩行距離は、2021年11月以降は活動量計の表示にしたがっています。

東高野街道(東寝屋川~安堂)

2016年06月25日 21時12分56秒 | 街道を歩く
東高野街道を東寝屋川から安堂まで歩きました。

JR東寝屋川駅から、頭上の前回到達地点まで戻ってスタート。



花崗岩で作られた二月堂燈籠(中央)。脚部に「二月堂」「天保十四年」(1843年)と刻まれています。東大寺の二月堂を指すと思われます。
右の石灯籠には「八幡宮」「明和三年」(1766年)と刻まれています。



寝屋川市から四條畷市に入り、JR忍ヶ丘駅の下をくぐる。



四條畷市立歴史民俗資料館。資料館敷地内に「往来の 弘法大師の 高野道」と書かれた高札があり、
「平安時代に弘法大師空海が開いた高野山と京都の東寺を結ぶ聖地巡礼の道。
 四條畷を南北する古道は、忍ヶ丘駅前から清滝街道と交差し、和田賢秀の墓へ向かう。」とあります。
東高野街道は石清水八幡宮が起点とされていますが、東寺と石清水八幡宮を結ぶ街道があるようです。



四條畷市にある楠木正成の長男・正行(まさつら)の従兄・和田賢秀(けんしゅう)の墓。クスノキが立っています。
正平3年1月5日(1348年2月4日)、四條畷の戦いにおいて高師直・師泰兄弟と戦って討ち死にしました(楠木正行は自害)。



楠木正行を主祭神とする四條畷神社の鳥居。楠木正成を大楠公(だいなんこう)というのに対し、正行は小楠公と呼ばれ、
四條畷市・大東市では「楠公さん」といえば正行および四條畷神社のことを指すとのこと。
余談ながら、桂南光さんは四條畷市在住です。



大東市に入ります。野崎観音(慈眼寺=じげんじ)入り口。
野崎観音を舞台にした作品として、『女殺油地獄(おんなころしあぶらのじごく)』(近松門左衛門)があります。



野崎観音付近に残る古い街並み。



大阪産業大学野崎キャンパス。



大産大に隣接する大阪桐蔭中学校・高校。



象印マホービン大阪工場。ここを過ぎるとすぐに東大阪市に入ります。



石切神社参道入り口。「ようおまいり 石切さんへ」と書かれた横断幕。



近鉄新石切駅東のガード下をくぐる。



花園ラグビー場に近い「箱殿東」交差点で暗越奈良街道と交差。左の道が東高野街道、右の道が暗越奈良街道です。



枚岡神社の鳥居。石切神社や四條畷神社もそうですが、神社そのものは生駒山地に近い、街道よりもかなり東側に離れたところにあります。



サンロード瓢箪山のアーケードの中へ入っていきます。



アーケードを抜けたところにある近鉄瓢簞山駅。



踏切を渡って再びアーケード街を抜けたところにある瓢簞山稲荷神社の鳥居。



八尾市に入ります。「楽音寺」交差点。24年前に大阪経済法科大学を受験したことを思い出す地名です。



近鉄信貴線のガード下をくぐる。



両脇に道標が立っている交差点。元治元年(1864年)に建てられた左側の道標には「すぐ信貴山毘沙門天」と刻まれていますが、
「すぐ」というのはすぐ近くということではなく「まっすぐ」という意味らしいです。



八尾市恩智にあるシュミイ地蔵。八尾市教育委員会の説明によると、シュミイの由来はわからないとのことです。
鎮座しているお地蔵さんは普通でした。



柏原市に入ります。近鉄大阪線を渡ったところにある「安堂北」交差点。左手奥はセブンツーセブン化粧品本社。
今日はここまでとしました。



安堂駅より帰宅。

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西近江路(近江高島~海津)

2016年06月18日 08時59分36秒 | 街道を歩く
昨日、西近江路を近江高島からマキノの海津まで歩きました。

JR近江高島駅前のガリバー像を横目に眺めながら前回到着地へ。



高島市勝野にある、清酒「萩乃露」を生産する創業寛延年間(1748~51年)の造り酒屋・福井弥平商店。



歴史的な建造物に見える、安曇川の桑原組本社ビル。



新旭に入ります。安曇川を渡る。



饗場にある大國主神社。五十川(いかがわ)神社とも呼ばれ、神社の脇に立っているバス停は「五十川神社前」でした。



「饗場」交差点で湖西線をくぐる。



今津に入ります。木津(こうつ)浜にある竹生島遙拝所跡。ここから竹生島詣りの巡礼船が出ていました。



毎年7月28日に雨乞いの神事が行われる二ツ石大明神。100m先の沖合にもこのような二ツ石があり、渇水時に顔を出すとのこと。



湖岸に松並木が続きます。



JR近江今津駅の近くにある琵琶湖汽船今津港。



今津港の向かいにある、火野正平さんが(たぶんサイクリング中に)来店したというソバ屋。



今津ヴォーリズ資料館。元は百卅三銀行(現・滋賀銀行)今津支店でした。ヴォーリズ建築事務所設計。
資料館の建つ通りには他にもヴォーリズ設計の今津教会会堂、旧今津郵便局が並び、ヴォーリズ通りと呼ばれています。



陸上自衛隊饗場野演習場今津敞舎の脇を進む。今日はアジサイをよく見ました。



今津敞舎の向かいにある阿志都弥(あしづみ)神社・行過(ゆきすぎ)天満宮。
樹齢1000年の県内最大の巨木・スダジイ(シイの木)があり、滋賀県指定自然記念物です。



マキノに入ります。「沢」交差点で湖西バイパス(国道161号線)と立体交差。



JRマキノ駅付近のガードをくぐる。



湖岸にある海津町(旧海津宿)へ。海津迎賓館。明治初期に大津~海津間に汽船を就航させた豪商・井花伊兵衛の元屋敷です。
塀や門が金色・紫色に塗られたのはここ2~3年のことのようです。現在は象牙取扱業者「白宝」の所有。



海津にて琵琶湖を臨む。



西近江路のゴール、「海津」交差点。大津から海津までは3回合計で11万6407歩、1歩65cm換算で75.7kmでした。



JRマキノ駅より帰宅。

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東高野街道(八幡市~東寝屋川)

2016年06月11日 21時51分36秒 | 街道を歩く
高野山へ参詣する道の一つ、東高野街道を八幡市から東寝屋川まで歩きました。

京阪八幡市駅前から出発。



去年国宝に指定された石清水八幡宮の一ノ鳥居。



しばらく石清水八幡宮の脇を歩く。



若干ルートを外れますが、石清水八幡宮の近くにある飛行神社。拝殿はギリシャの神殿風です。



徳川家康の側室・お亀の実家である志水家の菩提寺、正法寺。八幡市内には、見所に東高野街道の道標が立っています。



「左 東在所道」「左 京街道」とある道標。京都方向に向かう場合は「京街道」と呼ばれていたのかもしれません。



若干ルートから外れますが、八幡市立松花堂庭園・美術館の入り口で開かれていたイベント。
松花堂弁当の語源です。



国道1号線(京阪国道)へ出ます。明智光秀と羽柴秀吉が激突した山崎の戦い(1582年)で筒井順慶が決め込んだという洞ヶ峠。
洞ヶ峠を過ぎるとすぐに枚方市に入ります。



日本におけるソフトクリームのパイオニアで、ソフトクリームのコーンやサーバーを生産している日世の枚方工場。



日世の工場を過ぎてからしばらく道なりに進みます。



「枚方企業団地前」交差点にある、4月20日にグランドオープンしたニトリモール枚方。



1号線を外れてどんつきにある府営山田池公園と駐車場。



山田池公園付近の出屋敷に残る古い街並み。



出屋敷を過ぎて府道18号線に合流する直前にある、今年3月に整備された東高野街道の説明看板とあずまや。



枚方市立総合体育館。



フジパン枚方工場。



大阪府内42市町村に水道水を供給し、日本最大の給水能力を持つ村野浄水場を横目に眺めながら交野市に入ります。



村野浄水場前。道路は交野市に入っていますが、浄水場は枚方市にあります。



京阪郡津駅付近の踏切を渡る。八幡市駅を出てからここまで、京阪本線・交野線と片町線の中間地帯を歩き続けます。



踏切を過ぎたあと天野川を渡った直後に再び枚方市に入る。



交野南IC付近で第二京阪道路をくぐる。



再び交野市に入り、府道20号線を歩く。



20号線を外れ、田んぼに挟まれた道を、東は片町線、西は第二京阪道路を臨みつつ歩く。



JR星田駅。



星田駅を過ぎてしばらくのところにある旧道らしい街並み。



20号線に戻り、寝屋川市に入ります。



また20号線を外れ、田んぼの間を歩く。



南北に走る東高野街道と東西に走る奈良伊勢道の交差点「打上の四ツ辻」にある道標。
道標の横の石像は御伽草子の『鉢かづき姫』をモチーフにしたもの。
鉢かづき姫(初瀬姫)の父・藤原実高が高野街道の旅人に宿(=寝屋)を提供したことが寝屋川の由来です。
ここで西に曲がります。



片町線東寝屋川駅の上あたりにある交差点。今日はここまでとしました。



東寝屋川駅より帰宅。

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奈良街道

2016年06月05日 09時34分30秒 | 街道を歩く
昨日、奈良街道を清水五条から東大寺転害門まで歩きました。

京阪清水五条駅から五条通を東に三筋目の交差点からスタート。



東海道新幹線・東海道本線を歩道橋で越える。



京阪東福寺駅近くにある瀧尾神社。



拝殿の天井には、ドラゴンボールのように金の玉を抱えた龍の木彫りが据え付けられています。
社殿・拝殿は、大丸創業家の下村家の寄進によるものです。



京阪東福寺駅出入り口。



東福寺。



伏見稲荷。



JR稲荷駅。



深草直違橋にある、龍谷大学深草町家キャンパス。



藤森神社。ここを過ぎたあと、しばらく京街道と同じルートを進みます。



京阪墨染駅。



墨染駅近くにある日蓮宗の墨染寺(ぼくぜんじ)。寺にある桜は墨染桜(すみぞめざくら)です。



国道24号線を横断。交差点にある元ガソリンスタンドには、前回京街道を歩いたとき(1月17日)には、
宮崎謙介氏のポスターがいっぱいに貼り付けられていました。ここを過ぎると京街道から分かれます。



京阪丹波橋駅の出入り口のはす向かいにある、中学時代にサッカー用品を買っていたBOX SPORTS。



若干ルートから外れますが、川村康文東京理科大教授の著書『エレガンス物理』の出版元・ルガール社。



京阪観月橋駅前の歩道橋より。



近鉄向島駅。



京滋バイパスをくぐる。



しばらく近鉄京都線と併走。



「槇島」交差点で府道69号線を歩道橋で渡る。



古代の豪族巨椋氏が氏神を祀ったのが始まりという巨椋神社。式内社として子守神社があります。
このあたりに製茶工場があり、お茶の香りがします。



「小倉西山」交差点で府道69号線に合流。



JR新田駅近くの広野町にある皇大神宮社(こうたいじんぐうしゃ)。元は広野神社だったのこと。



皇大神宮社の横に建設中のバイパス道路。JR奈良線の下をくぐるようです。



城陽市に入ります。右手の神社は御拝茶屋(おがみちゃや)八幡宮。



5世紀前半に作られた南山城地域の首長の墓とされる久津川車塚古墳。



再度府道69号線に合流。すぐにこの道は国道24号線に合流します。



「城陽荒見田」交差点近くにある奈良街道の道標。玉水・木津・奈良までの距離が案内されています。



「長池駅前」交差点。このあたりには長池宿があり、京都からも奈良からも5里であるため「五里五里の里」として賑わいました。



「青谷橋」交差点を渡り、井手町に入ります。



JR玉水駅。



天井川を渡ってすぐのところで木津川市に入ります。



木津川市立棚倉小学校の近くにある、頭上にも注意すべきトンネル。かがんで通り抜けました。



JR棚倉駅。



JR上狛駅近くで国道24号線を横切ります。上狛茶問屋街にある、山田啓二京都府知事による山城茶業之碑。



上狛にある森徳の茶本店。「かおりちゃん」の宇治森徳とは別会社のようです。
街道沿いではありませんが、「伊右衛門」の福寿園の本社も上狛にあります。



泉大橋で木津川を渡る。



木津川市にある幣羅坂(へらさか)神社。



神社ですが、鐘楼があります。



幣羅坂神社を過ぎてしばらくすると奈良市に入ります。



奈良豆比古(ならつひこ)神社。771年創建とされ、境内にある樹齢1000年を超えるクスノキは天然記念物に指定されています。



ゴールの東大寺転害門(てがいもん、国宝)に到着。東大寺では天平時代から残る唯一の遺構です。
「転害門」の由来については、吉祥の位置(大仏殿の西北)にあり害を転ずる意との説があります。



総歩行距離は、歩数計によれば46.9kmでした(歩幅72~73cmで計算しているようなので、実際は1割強短いと思われます)。
近鉄奈良駅より帰宅。

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