東高野街道を東寝屋川から安堂まで歩きました。
JR東寝屋川駅から、頭上の前回到達地点まで戻ってスタート。
花崗岩で作られた二月堂燈籠(中央)。脚部に「二月堂」「天保十四年」(1843年)と刻まれています。東大寺の二月堂を指すと思われます。
右の石灯籠には「八幡宮」「明和三年」(1766年)と刻まれています。
寝屋川市から四條畷市に入り、JR忍ヶ丘駅の下をくぐる。
四條畷市立歴史民俗資料館。資料館敷地内に「往来の 弘法大師の 高野道」と書かれた高札があり、
「平安時代に弘法大師空海が開いた高野山と京都の東寺を結ぶ聖地巡礼の道。
四條畷を南北する古道は、忍ヶ丘駅前から清滝街道と交差し、和田賢秀の墓へ向かう。」とあります。
東高野街道は石清水八幡宮が起点とされていますが、東寺と石清水八幡宮を結ぶ街道があるようです。
四條畷市にある楠木正成の長男・正行(まさつら)の従兄・和田賢秀(けんしゅう)の墓。クスノキが立っています。
正平3年1月5日(1348年2月4日)、四條畷の戦いにおいて高師直・師泰兄弟と戦って討ち死にしました(楠木正行は自害)。
楠木正行を主祭神とする四條畷神社の鳥居。楠木正成を大楠公(だいなんこう)というのに対し、正行は小楠公と呼ばれ、
四條畷市・大東市では「楠公さん」といえば正行および四條畷神社のことを指すとのこと。
余談ながら、桂南光さんは四條畷市在住です。
大東市に入ります。野崎観音(慈眼寺=じげんじ)入り口。
野崎観音を舞台にした作品として、『女殺油地獄(おんなころしあぶらのじごく)』(近松門左衛門)があります。
野崎観音付近に残る古い街並み。
大阪産業大学野崎キャンパス。
大産大に隣接する大阪桐蔭中学校・高校。
象印マホービン大阪工場。ここを過ぎるとすぐに東大阪市に入ります。
石切神社参道入り口。「ようおまいり 石切さんへ」と書かれた横断幕。
近鉄新石切駅東のガード下をくぐる。
花園ラグビー場に近い「箱殿東」交差点で暗越奈良街道と交差。左の道が東高野街道、右の道が暗越奈良街道です。
枚岡神社の鳥居。石切神社や四條畷神社もそうですが、神社そのものは生駒山地に近い、街道よりもかなり東側に離れたところにあります。
サンロード瓢箪山のアーケードの中へ入っていきます。
アーケードを抜けたところにある近鉄瓢簞山駅。
踏切を渡って再びアーケード街を抜けたところにある瓢簞山稲荷神社の鳥居。
八尾市に入ります。「楽音寺」交差点。24年前に大阪経済法科大学を受験したことを思い出す地名です。
近鉄信貴線のガード下をくぐる。
両脇に道標が立っている交差点。元治元年(1864年)に建てられた左側の道標には「すぐ信貴山毘沙門天」と刻まれていますが、
「すぐ」というのはすぐ近くということではなく「まっすぐ」という意味らしいです。
八尾市恩智にあるシュミイ地蔵。八尾市教育委員会の説明によると、シュミイの由来はわからないとのことです。
鎮座しているお地蔵さんは普通でした。
柏原市に入ります。近鉄大阪線を渡ったところにある「安堂北」交差点。左手奥はセブンツーセブン化粧品本社。
今日はここまでとしました。
安堂駅より帰宅。
JR東寝屋川駅から、頭上の前回到達地点まで戻ってスタート。
花崗岩で作られた二月堂燈籠(中央)。脚部に「二月堂」「天保十四年」(1843年)と刻まれています。東大寺の二月堂を指すと思われます。
右の石灯籠には「八幡宮」「明和三年」(1766年)と刻まれています。
寝屋川市から四條畷市に入り、JR忍ヶ丘駅の下をくぐる。
四條畷市立歴史民俗資料館。資料館敷地内に「往来の 弘法大師の 高野道」と書かれた高札があり、
「平安時代に弘法大師空海が開いた高野山と京都の東寺を結ぶ聖地巡礼の道。
四條畷を南北する古道は、忍ヶ丘駅前から清滝街道と交差し、和田賢秀の墓へ向かう。」とあります。
東高野街道は石清水八幡宮が起点とされていますが、東寺と石清水八幡宮を結ぶ街道があるようです。
四條畷市にある楠木正成の長男・正行(まさつら)の従兄・和田賢秀(けんしゅう)の墓。クスノキが立っています。
正平3年1月5日(1348年2月4日)、四條畷の戦いにおいて高師直・師泰兄弟と戦って討ち死にしました(楠木正行は自害)。
楠木正行を主祭神とする四條畷神社の鳥居。楠木正成を大楠公(だいなんこう)というのに対し、正行は小楠公と呼ばれ、
四條畷市・大東市では「楠公さん」といえば正行および四條畷神社のことを指すとのこと。
余談ながら、桂南光さんは四條畷市在住です。
大東市に入ります。野崎観音(慈眼寺=じげんじ)入り口。
野崎観音を舞台にした作品として、『女殺油地獄(おんなころしあぶらのじごく)』(近松門左衛門)があります。
野崎観音付近に残る古い街並み。
大阪産業大学野崎キャンパス。
大産大に隣接する大阪桐蔭中学校・高校。
象印マホービン大阪工場。ここを過ぎるとすぐに東大阪市に入ります。
石切神社参道入り口。「ようおまいり 石切さんへ」と書かれた横断幕。
近鉄新石切駅東のガード下をくぐる。
花園ラグビー場に近い「箱殿東」交差点で暗越奈良街道と交差。左の道が東高野街道、右の道が暗越奈良街道です。
枚岡神社の鳥居。石切神社や四條畷神社もそうですが、神社そのものは生駒山地に近い、街道よりもかなり東側に離れたところにあります。
サンロード瓢箪山のアーケードの中へ入っていきます。
アーケードを抜けたところにある近鉄瓢簞山駅。
踏切を渡って再びアーケード街を抜けたところにある瓢簞山稲荷神社の鳥居。
八尾市に入ります。「楽音寺」交差点。24年前に大阪経済法科大学を受験したことを思い出す地名です。
近鉄信貴線のガード下をくぐる。
両脇に道標が立っている交差点。元治元年(1864年)に建てられた左側の道標には「すぐ信貴山毘沙門天」と刻まれていますが、
「すぐ」というのはすぐ近くということではなく「まっすぐ」という意味らしいです。
八尾市恩智にあるシュミイ地蔵。八尾市教育委員会の説明によると、シュミイの由来はわからないとのことです。
鎮座しているお地蔵さんは普通でした。
柏原市に入ります。近鉄大阪線を渡ったところにある「安堂北」交差点。左手奥はセブンツーセブン化粧品本社。
今日はここまでとしました。
安堂駅より帰宅。