街道を歩く

旧街道を中心に歩く旅日記。歩行距離は、2021年11月以降は活動量計の表示にしたがっています。

丹波街道、京街道(納所~八幡市)

2016年09月24日 18時58分37秒 | 街道を歩く
丹波街道を山陰街道沓掛から調子八角まで、京街道を納所から八幡市まで歩きました。

山陰街道上にある「山陰街道沓掛」交差点からスタート。



すぐに「沓掛」交差点で国道9号線を横切ります。京都縦貫道・沓掛ICがすぐ近くにあります。



しばらく京都縦貫道と並行する大枝西山街道を進んだあと左折する。



大枝の富有柿を直売する農園が並び、「柿街道」とも呼ばれる沿線。柿はまだ青く、柿が店に並ぶ収穫期は10月中旬ごろです。



大原野街道と交差。



「右 大原野神社 花ノ寺 岩倉 善峯寺/左 粟生光明寺 柳谷」と刻まれた道標。



ここで右折して洛西ニュータウンに入ります。本来の丹波街道はさらに直進します。



過去の地図と現在の地図(グーグルマップ)を左右に並べて比較できる「今昔マップ」で確認すると、本来の丹波街道は青線の線形であったことがわかります。
左の地図は、1970年に修正され、1972年4月30日に発行された地図です。洛西ニュータウンは1972年から造成が始まりました。
洛西ニュータウンが造成された結果、道の一部が失われたため、実際には赤線の道を進みます。



洛西ニュータウン内の迂回ルートを出て元の丹波街道に戻ります。



母校(?)大原野幼稚園を臨む。



「宇ノ山」交差点。ここから先は既に歩いているので省略します。



西国街道に接続するゴール地点・調子八角に到着。13381歩、1歩65cmで8.7kmでした。
調子八角のすぐ近くに京都縦貫道・長岡京ICがあります。
スタート地点の山陰街道沓掛の近くにある沓掛ICと結ばれているので、この区間は丹波街道と同じ役割を果たしていると言えます。
ただし、京都縦貫道のルートは西側に大きく膨らんでいます。



調子八角から、鳥羽街道と京街道の結節点である納所まで歩き、京街道を進む。



京街道も既に歩いているため途中は省略します。京阪八幡市駅前で、京街道は左の道を進み橋本方向へ向かいます。
今回京街道を歩く目的は東高野街道に接続することなので、さらに八幡市駅方向(手前)へ進みます。



東高野街道の説明看板が設置されている八幡市駅前に到着。6319歩、1歩65cmで4.1kmでした。
今日は、JR長岡京駅から長岡天満宮を経て石清水八幡宮へ向かう、JR東海が主催する「さわやかウォーキング」が開催されており、
長岡天満宮から石清水八幡宮までは、調子八角から納所までの移動も含めて概ね今回の私の歩行ルートと偶然同じであり、
しかも実施時間帯もかぶっていたため、さわやかウォーキングの参加者の方々と歩くことになりました。
オレンジのジャケットの方は、さわやかウォーキングのスタッフ。



八幡市駅より帰宅。

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柳谷道(西陣町~柳谷観音)

2016年09月19日 14時10分41秒 | 街道を歩く
柳谷道(やなぎだにみち)を西陣町から柳谷観音まで歩きました。

丹波街道から分岐する形で、「西陣町」交差点から出発。



長岡天満宮の鳥居。



京都縦貫道を臨みつつ、小泉川を渡る。



「荒堀」交差点にて、柳谷観音の標柱と、柳谷観音に関連すると思われる石碑。



京都縦貫道をくぐる。



地蔵と道標。「右 柳谷参拝道」とあります。



「柳谷観音」交差点。今日はここまでとしました。6774歩、1歩65cmで4.4km。



柳谷観音で知られる楊谷寺(ようこくじ)。平成に入って、光明寺、善峯寺とともに「西山三山」を結成しています。



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高野街道(河内長野~橋本)

2016年09月17日 20時16分52秒 | 街道を歩く
高野街道(不動坂口道)を河内長野から橋本まで歩きました。

東高野街道と西高野街道の終点である近鉄・南海河内長野駅前をスタート。



河内長野市商工会が5年前に設置した道標。銅鐸と梵鐘をイメージしているとのこと。



先の道標を過ぎるとしばらく「高野街道 酒蔵通り」が続きます。
左右の建物は登録有形文化財の「西條合資会社旧店舗主屋・土蔵」。現在の事務所・酒蔵も旧店舗の北側にあります。



酒蔵通りを過ぎたあと急坂を上がり、国道371号線を横切ってさらに別久坂(びっくざか)を上がります。



楠木正成が築いたという伝説のある烏帽子形城跡がある烏帽子形八幡神社。



向かいには、神社参拝者向けの駐車場と高野街道の休憩所。



三日市宿に入ります。宿の本陣があった油屋の跡。
尊王攘夷派の天誅組が、天領である奈良・五条の奉行所を襲撃したことで知られる天誅組の変(1863年)ゆかりの地です。



三日市宿は古い街並みの保存に力を入れているとのこと。江戸時代末期に建てられたと考えられる八木家住宅(登録有形文化財)。



南海三日市町駅。



駅前に飾られた、地元のだんじり祭りに協賛する企業などの提灯。



三日市町駅を過ぎてしばらくのところにある「高野山女人堂江八里」の道標。
西高野街道にもあった、1857年に設置された里程石の続きです。江戸時代は西高野街道が賑わったようです。



三日市以降は国道371号線に概ね沿った形で歩き続けますが、南海天見駅を過ぎてしばらくしたところで371号線(左)は紀見峠トンネルに入ります。
高野街道は通れる部分がほとんど残っておらず、わずかに通れる道を目指し旧371号線(右)を進みます。



蛇行する道を上がります。



紀見峠で和歌山県橋本市に入ります。左の道が現在も残っている本来の高野街道。左へ進みます。





橋本市に入ってすぐのところにある「高野山女人堂江六里」の里程石。



さらに、里程石のすぐ近くにある数学者・岡潔(1901-78)生誕の地の石碑。



「橋本市岡潔数学WAVE」が今年7月に設置した「情緒の道」の標柱。「人を先にして自分を後にせよ」という岡潔の言葉が書かれています。
生誕の地の石碑の横にも同じ標柱がありました。



山を下りて「柱本」交差点で371号線に合流し、国道沿いを歩きます。「光陽台北」交差点にて、両側にローソン。



再び国道を外れ旧道を歩きます。古い街並みの向こう側に見える、林間田園都市の高層マンション。



「高野山女人堂江五里」の里程石。



林間田園都市を結ぶ橋梁をくぐる。



老朽化のため総重量2t以上の車両が通行できない橋を慎重に渡る。



古い街並みを残す御幸辻周辺。



「小原田南」交差点を過ぎて京奈和道をくぐる。



JR和歌山線のガードをくぐる。



道は奥へと続きますが、左に曲がるとJR・南海橋本駅のため、ここまでとしました。



南海橋本駅より帰宅。

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鳥羽街道

2016年09月10日 19時09分04秒 | 街道を歩く
鳥羽街道を羅城門跡から納所(のうそ)まで歩きました。全区間に渡って旧千本通または千本通です。
したがって、鳥羽街道は京阪鳥羽街道駅付近は通りません(約2.6km離れている)。

整備中の京都駅八条口からスタート地点へ向かう。



東寺の近くにある公園に「羅城門遺址」と刻まれた石碑があります。ここからスタートします。



上鳥羽にある恋塚浄禅寺(こいづかじょうぜんじ)。1182年に文覚(1139-1203)によって開基。文覚は出家前は北面の武士で遠藤盛遠(もりとお)といいます。
『源平盛衰記』によれば、盛遠は従兄妹である袈裟御前に横恋慕し、袈裟御前に別れを迫った結果袈裟御前は夫に殺されます。
自分の罪を恥じた盛遠は出家し、この寺を建立したとされます。境内に恋塚(袈裟御前の首塚)と呼ばれる五輪石塔があります。



名神の下をくぐる。



小枝橋で鴨川を渡る。



小枝橋より名神を臨む。



小枝橋を渡ってすぐに南下し道なりに進むと現れる千本通と城南宮通の分かれ道。直進すると城南宮、右折すると鳥羽街道。
ここが、慶応4年1月3日(1868年1月27日)夕刻から始まる戊辰戦争の端緒となった鳥羽・伏見の戦いの勃発地です。
元日に挙兵した旧幕府軍が小枝橋を渡ろうとしたところ、新政府軍が阻止して発砲し、戦いが始まりました。



「千本通赤池」を通過。



下鳥羽にある恋塚寺(こいづかでら)。由来は恋塚浄禅寺と同じです。



丹波橋通との交差点を過ぎてすぐのところにある、純米酒「月の桂」を製造する造り酒屋・増田徳兵衛商店が右手に見えます。
このあたりは古い街並みが残っています。



下鳥羽のこのあたりで西高瀬川が鴨川に合流します。河原に並んでいる3つの石は鳥羽の大石。
河原を公園化する整備事業の際に鴨川の水中から引き上げられました。二条城の城郭石材として使われる予定だったものという説があります。



川沿いに整備された桂川サイクリングロードは、自転車とランナーが頻繁に行き交います。



外環状線が通る羽束師橋の下をくぐる。



羽束師橋を過ぎると道が細くなります。



沿線に広がる田園風景。



横大路にある市立洛水中学校。



京阪淀駅付近にある「納所」交差点。ここがゴールとなります。14412歩、1歩65cmで9.4kmでした。
納所で京街道に合流します。左端が鳥羽街道、右端が京街道。
鳥羽街道は、東寺と高野山を結ぶ広義の高野街道の一部となります。
納所で京街道に合流したあと京阪八幡市駅付近で橋本方面へ進まずに東高野街道の起点に合流します。
そのまま東高野街道を進み、西高野街道と合流する河内長野以降は高野街道を進むことになります。



淀駅より帰宅。

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丹波街道(宇ノ山~調子八角)

2016年09月09日 20時23分11秒 | 街道を歩く
丹波街道を宇ノ山から調子八角まで歩きました。
山陰街道の京都寄りを丹波街道という場合もありますが、今回歩いた街道は調子八角で西国街道から分岐する道です。

どこから始まる道なのかはっきりとわからず、Googleで検索した限りでは起点と思われる、
善峰道と交わる位置にあたる「向イ芝」交差点からスタート。左が善峰道、右が丹波街道。



光明寺道と交差。右折するととすぐに光明寺があります。



上長法寺バス停付近に広がる田園風景。



長法寺稲荷神社の鳥居。神社は右折して約200mのところにあります。



村田製作所・長岡事業所がある「西陣町」交差点。楊谷寺(柳谷観音)へ向かう柳谷道はここから始まります。
右の道が丹波街道、いちばん左の道が柳谷道。



「八条ヶ池」交差点あたりより、長岡天満宮の八条ヶ池。



長岡天満宮の鳥居。



丹波街道の道標。



旧道(左)と新道の分岐点。左に進みます。



阪急西山天王山駅と京都縦貫道・長岡京IC付近にて、旧道(左)と新道の分岐点。左に進みます。



阪急京都本線の下をくぐる。



西山天王山駅前の「調子八角」にて西国街道に合流。
道標の横に設置されている説明看板によると、丹波街道は山陰街道にどこかで接続するようです。
一旦西山天王山駅より帰宅。



どのようなルートで山陰街道に接続するかはわからなかったので、洛西ニュータウンに入る手前の大原野道上にある
「宇ノ山」交差点から「向イ芝」まで歩きます。



善峰川を渡る。



「向イ芝」着。合計8323歩、1歩65cm換算で5.4kmでした。
「宇ノ山」から山陰街道に接続するルートがわかれば続きを歩くことにします。

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西高野街道

2016年09月03日 22時56分42秒 | 街道を歩く
西高野街道を大小路から河内長野まで歩きました。

南海堺東駅からスタート地点へ向かいます。



阪堺大小路停留場のあるスタート地点。南北に走る紀州街道に接し、堺と磐城を結ぶ竹内街道ともしばらく並走します。



大小路橋を渡る。



「堺東駅南口」交差点を渡る。



JR・南海三国ヶ丘駅近くで南海高野線をまたぐ。



仁徳陵の縁を進む。西高野街道沿いには、街道を示す道標が多数設置されています。



三国ヶ丘と中百舌鳥の間にある梅北町にて、「梅北町ふとん太鼓」の横断幕。



地下鉄・南海中百舌鳥駅付近にて、「中百舌鳥町ふとん太鼓」ののぼり。ふとん太鼓というのは百舌鳥八幡宮の祭礼です。



大阪府立大学。



南海白鷺駅近くにある白鷺公園。



泉北高速鉄道線をくぐる。



地蔵堂の前に建つ「右 高野山女人堂 十二里」の道標。1857年に設置されたもので、一里ごとにあります。



阪和道をくぐる。



地蔵堂の前に建つ「右 かうや 大ミ祢/左 たきたに金剛山」と刻まれた道標。右に進みます。



堺市中区福田にある福島屋治郎兵衛(本名・氏家武俊)に由来する旧家を活用したデイサービスの拠点。
氏家武俊は江戸時代初期の大阪の豪商で、江戸初期に存在した陶器藩の藩主小出有棟の依頼で堺に移住し新田開発に尽力しました。
その労をねぎらうため、「福島屋治郎兵衛の新田」ということでこのあたりは「福田村」と名付けられました。



大阪狭山市に入ると田園風景が目立ち始めます。



「是ヨリ 高野山女人堂 十一里」の道標。



「右 あまの山 二里/左 かうや山 十里」の道標。左に進みます。



しばらく上りが続いたあとに急な下り坂が現れ、展望が開けます。



「おわり坂」交差点にて。左が下りてきた坂。右が四天王寺から高野山へ向かう下高野街道。この交差点で合流します。



三津屋地蔵。このあたりは「三津屋」と呼ばれ、陣屋、旅籠があったとのこと。



町会の集会所の前に建つ「弘法大師御堂建立」の碑。ここで右折して茱萸木(くみのき)へ入ります。



茱萸木にある「高野山女人堂 十里」の道標。これらの里程石建立を発起した小左衛門と五兵衛の2人は茱萸木出身とのこと。



河内長野市に入ります。市の指定文化財である曼荼羅図があるという松林寺。



X字型の交差点にある西高野街道と中高野街道(平野の杭全神社から高野山を結ぶ)の合流点にて、道標を兼ねた地蔵堂。



古そうな瓦工場。現在も操業しているかは不明。



ゴール直前で東高野街道に合流(左が西高野、右が東高野)。



駅前のアーケード街を抜けて河内長野駅前のゴールに到着。29317歩、1歩65cm換算で19.1kmでした。
南海河内長野駅より帰宅。

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