街道を歩く

旧街道を中心に歩く旅日記。歩行距離は、2021年11月以降は活動量計の表示にしたがっています。

長尾街道(花田口~二上山)

2017年06月25日 12時28分46秒 | 街道を歩く
昨日、長尾街道を堺市の花田口から二上山まで歩きました。

阪堺花田口停留場から少し南に歩き、紀州街道と分岐する交差点からスタート。



スタートしてすぐのところにある菅原神社の御影石でできた神牛。
祭神の菅原道真が丑年生まれのため、牛はおつかいという位置づけであるようです。



阪神高速をくぐる。



堺東駅付近で南海高野線をくぐる。



北三国ヶ丘町にある方違(ほうちがい)神社。摂津、河内、和泉の3国の境目にあることからこの地は三国ヶ丘と呼ばれ、
かつどの国にも属さないため方位のない方災除けの神社として信仰を集めてきました。
社殿は現在建て替え中で、来年完成予定。



JR堺市駅付近の踏切を渡る。



松原市に入ります。布忍(ぬのせ)橋西詰にある古井戸である惣井戸。



近鉄布忍駅。



田井城今池親水公園。左奥は松原市民体育館。



「ちちかみばし」と長尾街道の道標。松原市役所が近くにあるこのあたりの道路は、街道を意識した整備がされています。



阪和道をくぐる。



羽曳野市に入ります。島泉丸山古墳(雄略天皇陵)。古市古墳群の一つで、実際の被葬者は明らかになっていません。



藤井寺市役所の裏手にある元禄十四年銘の道標。ここより200m西にあった道標を移築したとのこと。



西名阪自動車道藤井寺IC。



藤井寺市にある市野山古墳(允恭天皇陵)。堀はほぼ空堀になっています。



東高野街道と交差。



近鉄道明寺線と大和川を渡る。すぐに柏原市に入ります。



長尾街道と竜田越奈良街道の道標。引き続きまっすぐ進むのが竜田越奈良街道です。長尾街道はここで右折(南下)。



長尾街道は明治時代に二上山の北麓・田尻峠越が開削されましたが、今回は以前のルートであるさらに北側の関屋越ルートを通ります。
ブドウ畑のある道を登る。



舗道がなくなり、藪漕ぎもしながら山道を登る。



奈良県香芝市に入ります。関屋地蔵尊。地蔵尊の右脇にある道を登ると明神山です。長尾街道はここから右下方向に下ります。



山道が終わり、住宅街に出る。



近鉄関屋駅近くで西名阪自動車道をくぐる。



二上小学校近くの交差点。今日はここまでとしました。



近鉄二上山駅より帰宅。途中、京都駅前でダンポポ氏と飲みました。




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杣街道

2017年06月17日 20時56分15秒 | 街道を歩く
杣(そま)街道を三雲から柘植まで歩きました。

JR三雲駅よりスタート地点に向かう。今年4月から橋上駅舎の供用が始まっています。



去年2月に東海道を歩いた時はこんな駅舎でした。



三雲駅前の交差点からスタート。今日では東海道との事実上の分岐点となります。



スタートしてすぐのところにある横田常夜燈。かつては横田の渡しがあり、野洲川を舟で渡っていました。
ここがかつての東海道と杣街道の分岐点となります。



街道から少し離れたところにある天保義民碑。1842年に発生した近江天保一揆の犠牲者を義民として伝えるために建てられました。



JR草津線に並行する道を歩く。



甲賀市(水口町)に入ります。



草津線をくぐる。



水口町岩坂にある岩坂十三仏。



トンネルで再び草津線をくぐる。以後何度か草津線を渡ります。



国道307号線を渡ってすぐに信楽高原鉄道をくぐる。



杣川大橋より、街道と並行して走る杣川を臨む。野洲川から分かれた杣川に沿った道であることが街道名の由来です。



甲南町に入る。



矢川橋のたもとにある天保義民メモリアルパーク。



1889年に建てられた「伊賀街道」の道標。杣街道の別称です。



甲南町に3月開通した、草津線と杣川をまたぐ結幸(ゆいさち)高架橋をくぐる。
日本一長いプレビーム合成桁橋とのことです。



甲南町寺庄にある旧滋賀銀行甲南支店。ヴォーリズが設計し、1925年に寺庄銀行として建築されました。



同じく寺庄にある六角堂と呼ばれる地蔵堂。交差点にあるためよく目立ちます。



新名神をくぐる。



JR甲賀駅。忍者のトリックアートが描かれています。



JR油日駅付近。



油日神社の大鳥居。明治に入る前までの名称である「油日大明神」の文字が見えます。



油日川を渡る。



塩野義製薬油日事業所。この近辺は薬品関係の事業所がいくつかあり、「くすりの町甲賀」の看板がありました。



甲賀市から三重県伊賀市に入ります。



伊賀市に入ってすぐのところにある余野公園。



柘植町役場跡。



役場跡を過ぎてすぐのところにある交差点。ここが杣街道のゴールとなります。1歩60cmで22.8kmでした。
ここで、亀山市の関から奈良(大和)へ向かう大和街道に接続します。



JR柘植駅より帰宅。

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山陰街道(柳瀬~福知山)

2017年06月10日 19時20分05秒 | 街道を歩く
山陰街道を柳瀬(福知山市三和町)から福知山まで歩きました。

JR園部駅からJRバスで移動し、柳瀬停留所近くからスタート。



土師(はぜ)川を渡る。



三和町千束で国道9号線を横切る。



少し街道から外れますが、街道に並行して走る9号線の脇にある「我等の製糸」の碑。
郡是製糸(現グンゼ)第4代社長波多野林一(1886-1962)による書。
道路の向こう側には1963年まで郡是萩原工場があり、石碑は工場正面にあったものが移設されました。



生野天神社。小式部内侍の和歌「大江山いく野の道の遠ければまだふみも見ず天の橋立」で知られる生野庄のたもとの杜の社にある神社です。



三俣にある生野神社。生野庄の惣社で、祭神は天鈿女命(あまのうずめのみこと)。
明治に入るまでは御幣大明神で、通称はみてぐらはん。綾部藩主九鬼氏が御供米を奉献していたためです。



池田にある北向地蔵尊。珍しい北向子育地蔵尊として、住民の暮らしや京街道(山陰街道)の旅人の安全を守り霊験あらたかとのことです。



舞鶴若狭道をくぐる。



舞鶴若狭道をくぐってすぐのところにある京街道(山陰街道)を示す標示。



再び土師川を渡る。



山陰本線をくぐる。



福知山城の脇を通る。



福知山城を過ぎて最初の交差点。今日はここまでとしました。



福知山城と福知山市内の様子。





JR福知山駅より帰宅。

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山陰街道(京丹波~柳瀬)

2017年06月03日 19時52分05秒 | 街道を歩く
山陰街道を京丹波から福知山市柳瀬まで歩きました。

JR園部駅からバスで桧山まで移動し、京丹波町役場瑞穂支所からスタート。



京都縦貫道をくぐる。



京丹波町上乙見(かみおとみ)にある熊野神社。



下大久保にある京セラのソーラーパネル。



右手に土師川、左手にたんば虹の村文化財の「巌洞岩」。
「この洞穴からにわとりを放すと三和町に出たという伝説がある」という説明看板が設置されていました。



福知山市に入ります。



福知山市に入って直後にある細野峠の入り口。歴史100選の道とあります。



三和町大身にある廣谷神社。創建伝1567年。旧大身村の氏神で、大身地区の集落センターが社殿のそばに建っています。



三和町菟原(うばら)を過ぎたところにあるJRバス柳瀬停留所。今日はここまでとして悔い改めます。



柳瀬から桧山を経て園部までバスで戻り、園部からJRで帰宅。桧山まで乗客は自分一人でした。

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