街道を歩く

旧街道を中心に歩く旅日記。歩行距離は、2021年11月以降は活動量計の表示にしたがっています。

247 加太越奈良道 上野市→大河原

2020年06月27日 22時36分57秒 | 街道を歩く
加太越奈良道を上野市から大河原まで歩きました。

10:38 三重交通バスで伊賀上野から上野市に着き、前回到達地点へ向かう。


10:41 この交差点よりスタート。


10:59 日本三大仇討ちの一つ、鍵屋の辻の決闘(寛永11年/1634年)が行われた鍵屋の辻。


11:14 木津川を渡る。


12:38 山道を進む。城主より認可のお茶屋跡。今は建物もその跡も何もないただの山道です。


12:45 三本松の池。伊賀上野と島ヶ原の国境にあたるそうです。
旧島ヶ原村(現伊賀市)観光協会制作の三本松の池とその周囲を説明する石碑が立っています。


12:54 芭蕉の尻もち坂。旧島ヶ原村観光協会の説明看板によると、松尾芭蕉がここで尻餅をついたとのこと。


13:09 旧島ヶ原村のマンホール。この辺りには、島ヶ原村の制作した石碑や説明看板など、村の痕跡が多く残っています。


13:12 与右衛門坂。距離は短いものの、暗峠に匹敵する急角度の坂道です。


13:26 再び木津川を渡る。


13:32 島ヶ原宿本陣付近にある看板。国鉄時代にも「鉄」の字のつくりを「矢」にすることはあったのでしょうか。
国鉄指定の家具屋で国鉄は何を購入していたのかも気になります。


13:58 国道163号線と交差する町交差点。「大和カイドウ(加太越奈良道の別称)」の文字が見えます。


14:15 京都府との府県境に近いとはいえまだ三重県内ですが、阪神タイガースのユニフォームのカカシ。


14:17 関所跡。文久年間(1861~64年)に藤堂藩がここに関所を設けました。


14:25 二本杭。藤堂藩(伊賀国)と柳生藩(山城国)の国境に二本の杭が設置されたとの伝承があります。
現在はこのような2つの石碑が立っています。三重県伊賀市から京都府相楽郡南山城村に入ります。


14:37 JR月ケ瀬口駅を望む。


15:06 南山城村の茶畑。


16:01 南山城村役場。


16:08 JR大河原駅。今日はここまでとして、ここから帰宅。27843歩、16.7kmでした。


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京22 一条通/中立売通

2020年06月21日 20時14分37秒 | 京都の大路小路を歩く
一条通と中立売通を歩きました。

8:56 嵐電等持院・立命館大学衣笠キャンパス前駅よりスタート地点に向かう。


9:03 駅のほぼ真南となるここから一条通をスタート。


9:16 地蔵院(椿寺)。神亀3年(726年)に行基が摂津国昆陽野池のほとりに建立したのが始まりで、
平安時代に衣笠山麓に移され、天正17年(1589年)に豊臣秀吉の命で現在地に移されました。


9:20 大将軍八神社(だいしょうぐんはちじんしゃ)。平安建都の際、都城の方除守護神として造営。
大将軍は方位を司る神のため、建築・移動・旅行に関して方除け・厄除けとして崇敬されています。


9:27 北野商店街を歩く。商店街をこのまま進むと中立売通に入ります。
一条通は少し北に続くため、上がる。


9:44 堀川通を横切ったところにある一条戻橋。


9:54 烏丸通に交差してゴール。5127歩、3.1kmでした。


9:57 一筋南に移動して、京都御苑中立売御門のある場所から中立売通をスタート。


10:03 初代上京区役所跡のある公園。
初代上京区役所は明治16年(1883年)開庁、昭和13年(1938年)までここで区政が執行されました。


10:12 ハローワーク西陣。お世話になっております。
個人的には、お世話になることができるだけないようにしたいと思います。


10:15 京都市立正親小学校。平安宮大蔵省跡・大宿直(おおとのい)跡(平安時代)、
聚楽第本丸西濠跡(安土桃山時代)、唐津小笠原藩邸跡(江戸時代)です。


10:25 北野商店街を進み、一条通にぶつかりゴール。2874歩、1.7kmでした。


11:24 JR円町駅より帰宅。


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246 滝畑街道 滝畑ダム→汐ノ宮

2020年06月20日 20時31分53秒 | 街道を歩く
滝畑街道を滝畑ダムから汐ノ宮まで歩きました。

9:01 南海バス・滝畑ダム停留所より前回到達地点へ向かう。


9:07 この交差点よりスタート。


9:18 旧滝畑7ヶ村(現河内長野市高向の一部)の氏神だった天神社。急階段があります。



9:42 滝畑ダム行きの南海バスとすれ違う。


9:43 石川の上流部に建設された滝畑ダム。昭和56年(1981年)竣工。


10:48 滝畑ダムから離れても、石川とは付かず離れず街道が続きます。


11:43 河内長野市街にある、南北朝時代に南朝諸将の崇敬が篤かったという西代神社。


12:02 南海千代田検車地区・千代田工場付近で高野線をまたぐ。


12:11 東高野街道に合流してゴール。19609歩、11.8kmでした。
滝畑街道全体では42081歩、25.3kmでした。


12:25 近鉄汐ノ宮駅より帰宅。


14:05 帰り道にて、JR大阪駅。1ヶ月前にも寄りましたが、人が増えました。


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京21 寺町通

2020年06月14日 19時03分07秒 | 京都の大路小路を歩く
寺町通を歩きました。

10:06 鞍馬口通から分岐する形でスタート。


10:08 西園寺。西園寺公望の筆による寺号の額を掲げています。


10:13 阿弥陀寺。本能寺の変のあと、織田信長・信忠父子の遺骸が埋葬されたとされています。


10:19 出町桝形商店街。ここから河原町通まで続きます。


10:31 廬山寺。紫式部の邸宅跡のため「源氏物語執筆地」の看板が左手にかかっています。


10:39 京都市歴史資料館を見学。


11:16 西国三十三所・第十九番札所、革堂(行願寺)。


11:26 アーケード街に入ります。本能寺の大宝殿宝物館。


11:27 京都鳩居堂新店舗。斜向いにある本店は現在建替え中です。


11:40 四条通を越えたところにあるエディオン寺町店。電気屋は数えるほどしかなくなりました。


11:48 河原町通と交差して、東側(左)に進む。


11:51 五条通に交差してゴール。8080歩、4.9kmでした。


11:55 河原町五条のなか卯で昼食。1ヶ月前のほぼ同じ時間帯にもここで食事をしました。
前回はお客さんがいませんでしたが、今日は10人前後いました。


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245 加太越奈良道 柘植→上野市

2020年06月06日 19時48分44秒 | 街道を歩く
加太越奈良道を柘植から上野市まで歩きました。

8:26 JR柘植駅より前回到達地点へ向かう。


8:35 この交差点よりスタート。


8:48 大和街道・上柘植宿の説明看板。加太越奈良道は大和街道とも呼ばれます。


9:03 横光公園。小説家の横光利一の母が柘植出身であることから、利一の生誕100年を機に開園。
利一自身も当地の東柘植尋常高等小学校に4年間在籍しました。


9:14 横光利一が少年時代に住んでいた梅田竹次郎宅(母の実家)跡。


9:30 サンガリア伊賀工場。


9:54 旧上野市中心部に入るまで、街道と寄り添うように流れる柘植川。


11:14 佐那具駅の近くにある府中神社。


12:38 柘植川から分かれた服部川を渡る少し前にある、伊賀国二之宮 小宮神社。


12:50 服部川を渡り、旧上野市中心部に入る。


13:18 上野天神宮。上野天神祭のだんじり行事が無形文化遺産としてユネスコに登録されています。


13:22 今回は、旧上野市中心部のこの交差点までとしました。25968歩、15.6kmでした。


13:26 伊賀鉄道上野市駅より帰宅。


13:26 上野市駅前に建つメーテルと鉄郎の像。近鉄伊賀線の初代忍者列車を松本零士氏がデザインしました。
同じ人間がつけているものとは思えないほどマスクの大きさが違います。


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