街道を歩く

旧街道を中心に歩く旅日記。歩行距離は、2021年11月以降は活動量計の表示にしたがっています。

志賀越道

2016年04月30日 17時34分12秒 | 街道を歩く
志賀越道(山中越)を歩きました。

荒神口の少し東、鴨川にかかる荒神橋からスタート。



石造りの亀が3基見えます。



川端通りから京都大学医学部を横目に眺めながら北東に斜めの道を進み、東大路通りへ。



東一条通を進みます。



京都大学本部入り口。



吉田神社。



今出川通と交差する角に鎮座する子安観世音。白川の村の入り口に建つ鎌倉期の石仏です。



山道に入ります。修験宗(修験道)の身代り不動堂。



身代り不動尊の不動明王(中心)、脇に役行者と大日如来。



脇に白川が流れています。



大津市に入ってすぐのところにある山中の分岐点で、府道・県道30号線を進まず脇に入ります。



樹下神社。



府道・県道30号線に合流してすぐ離れます(左手の道から来て、右手奥の道へ進む)。



土石流を防ぐ砂防堰堤が見えます。



橋を降りて、橋の下をくぐります。



砂防ダムを通過。



山道を進みます。



比叡山ドライブウェイの下のトンネルをくぐる。



トンネルを過ぎると下り坂に。かすかに琵琶湖が見えます。



細く険しい道から幅のある道へ。



鎌倉時代に廃絶した崇福寺の跡地。



志賀八幡神社。



京阪滋賀里駅が今回のゴールとなります。
歩数計では16.3kmでした。山道の上り下りの歩幅が短いので実際はもっと短いと思われます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山陽街道(加古川~姫路)

2016年04月29日 19時27分04秒 | 街道を歩く
山陽街道(中国街道・西国街道)を加古川から姫路まで歩きました。

JR加古川駅からスタート地点に向かいます。



「寺家町」交差点からスタートします。



しばらくアーケード街を歩きます。



加古川橋で加古川を渡る。



加古川橋の近くにある1919年(大正8年)竣工のニッケ印南工場。



高砂市に入ります。結婚式の「高砂や……」で知られる能の『高砂』に由来する尉と姥(じょうとうば)の像。JR宝殿駅前にて。



「左 石宝殿」と書いてあるように見える道標。宝殿駅近くにて。



生石神社の一の鳥居。脇の御神燈には「山片蟠桃結婚記念に寄進した燈籠」との石碑があります。



『月の沙漠』、『お山のすぎの子』などを作曲した佐々木英(すぐる)が生まれた正蓮寺。



JR曽根駅近くのガード下にある4基の道標。付近から集められたもののようです。



曽根駅。



六騎塚。南北朝時代の1336年、足利尊氏に敗れた児島高徳の父範長主従6人が自害した地とのことです。



JRひめじ別所駅近くにある溜め池。



JR御着駅。



山陽本線の踏切を渡り、山陽新幹線の下をくぐる。現在は使われていない線路にフェンスが建てられています。



再び山陽新幹線の下をくぐったあと、山陽本線の下もくぐる。



市川橋で市川を渡る。



播但線京口駅。



姫路宿の東の入り口にあたる「外京口門跡」があった姫路市立東光中学校。



沿道にある昔の発注先だった会社。上司の指示でここへ刷り色の確認に行ったことがあります。
上司はこの会社が芦屋にあると勘違いしていたことを思い出しました。



西二階町のアーケード街を進みます。



アーケード街の途中、「ヤマトヤシキ西」交差点。今日はここまでとしました。



姫路城。



JR姫路駅から帰宅。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山陽街道(明石~加古川)

2016年04月23日 21時00分34秒 | 街道を歩く
山陽街道(中国街道・西国街道)を明石から加古川まで歩きました。

JR明石駅。



「明石港前」交差点からスタート。



大観橋(たいかんはし)より明石川。海のすぐそばにあり、播磨灘に流れ込みます。



山陽西新町駅近くのガード下を通る。



明石市のマンホール。



西明石駅付近で国道2号線に合流。



JR西明石駅。



西明石駅付近にある三社神社。



大久保宿沿道にある蔵。屋台蔵とのこと。お祭りで使う屋台でしょうか。「西」の蔵もありました。



JR大久保駅。



富士通テンテクノロジが入居する富士通明石工場。京都(東寺)を出発した回から6回目で到達しました。



富士通の隣にあるコカ・コーラ明石工場の角で右折。
旧街道は富士通とコカ・コーラの工場内を貫通していたようですが、入れないので2号線沿いを歩きました。



大久保の隣、金ヶ崎の金崎神社(奥)と鳥居。



魚住にて。このあたりには池が散在しています。



魚住にある道標。「右 三木」「左 二見」とあります。



JR土山駅を過ぎたところで踏切を渡る。



JR東加古川駅。



旧街道がイオン加古川の店舗と駐車場の間を通っているため、イオンに入ります。フードコートで少し休憩。



野口にて、和泉式部の墓と伝えられる宝篋印塔(ほうきょういんとう)。



氷丘(ひおか)にて、胴切れの地蔵。
ある人が大名行列を横切ったために無礼打ちにあったが、地蔵が身代わりに斬られて無事だったという伝説があるとのこと。



加古川駅に近い寺家町(じけまち)交差点。今日はここまでとしました。



JR加古川駅より帰宅。



以下余談です。3月5日に阪急洛西口駅の梅田方面が高架化されました。昨日の様子です。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山陽街道(三宮~明石)

2016年04月17日 09時44分56秒 | 街道を歩く
昨日、山陽街道(中国街道・西国街道)を三宮から明石まで歩きました。

ポートライナー三宮駅に近い、西国街道の石碑がある地点からスタート。



「三宮北」交差点にて、JR三ノ宮駅と阪急神戸三宮駅。



三宮神社。



元町通商店街のアーケードを進む。



アーケードを抜けたところにある兵庫県里程元標。



JR神戸駅前。



兵庫津に近い、V字の曲がり角にある札場の辻跡。



JR兵庫駅付近のガードをくぐる。



山陽西代駅。



月見山にて、阪神高速3号神戸線の下をくぐる。直下に、阪神大震災を機に整備された天井川公園。



山陽須磨寺駅付近を通る都市計画道路「中央幹線」と、その完成記念碑。
阪神大震災直後に神戸市が発表した道路整備案に地元自治会が協力して完成したとのことです。



菅の井広場とその中にある菅公手植えの松。
菅原道真が大宰府への左遷の途上、須磨へ立ち寄った際にここで井戸の水を飲んだとのこと。



須磨浦公園にある、源平史跡・戦の浜の石碑。源平の戦いにおける一ノ谷の戦いの戦場でした。



須磨浦公園にて、1954年(昭和29年)の国土緑化記念植樹祭への天皇皇后両陛下来訪記念に建てられたみどりの塔。
左側の台座にも右側と同様に地球儀(ボール状のもの)がありましたが、阪神大震災で落下し、
震災の記憶を忘れないためにそのままにしてあるとのこと。



須磨浦公園にて、海岸沿いを走るJR。



須磨浦公園駐車場先にある敦盛塚。一ノ谷の戦いで源氏方の熊谷直実に討たれた平敦盛の供養塔との伝承があります。



須磨~塩屋間は、JRと山陽の間の道を進みます。



塩屋駅の直前、海岸沿いを走っていたJRが道路の下をくぐって内陸側に移ります。



三井アウトレットパークなどがあるマリンピア神戸への道。JR・山陽垂水駅から無料のシャトルバスが出ています。



舞子にて明石海峡大橋をくぐる。



国史跡・舞子砲台跡の石碑。1863年、勝海舟の指導により明石藩が築造した台場がありました。



JR舞子駅。



海岸より、明石海峡大橋を臨む。



山陽西舞子駅。



JR朝霧駅の少し手前にて。神戸市から明石市に入ります。



朝霧駅。



朝霧駅を過ぎた直後の陸橋を渡ってすぐ、国道を外れて左に曲がります。



山陽人丸前駅近くにある稲爪神社。



「左 ひやうご 大阪 道中」とある道標。右に曲がります。



道標のすぐ近くにある日本標準時子午線通過の標柱。



明石駅近くの商店街にて、今日の旅を終了。JR明石駅から帰宅しました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東海道(水口石橋~関)

2016年04月09日 23時38分19秒 | 街道を歩く
東海道を水口石橋から関まで歩きました。

貴生川駅でJRから近江鉄道に乗り換えて水口石橋駅に到着。



からくり人形のある「三筋の町」からスタート(左側にもう一筋の道があり、すべて東海道)。



東見付(江戸口)跡にある冠木門のモニュメント。水口宿の東端です。



水口宿を離れ、土山へ向かって歩く。



水口町にある八幡神社。



同じく水口町の八坂神社・御輿御旅所。



甲賀市立大野小学校。



大野の旧街道松並木。



東海道に併走する野洲川。



土山町の茶畑。



野洲川に架かる歌声橋(自転車・歩行者専用)。



歌声橋より、野洲川(手前)と田村川(左)の合流箇所。



南土山交差点の土山宿碑。土山宿は看板が多く、東海道はほとんどベージュ色に舗装されています。



土山宿本陣跡。



道の駅あいの土山で休憩。



道の駅に沿って走る国道1号線。



道の駅の向かいにある田村神社。神社の参道を進みます。



神社入り口を右折して、海道橋を渡る。かつては田村橋と呼ばれ、広重の東海道五十三次にも描かれました。



海道橋より田村川。



しばらく1号線を歩く。



新名神高速道路の超高架橋をくぐる。



鈴鹿トンネルを横目に眺めながら峠へ向かう。



鈴鹿峠。ここを境に、奥が近江(滋賀県)、手前が伊勢(三重県)の国境(県境)となります。
東海道では初めての未舗装区間です。



鈴鹿峠を下りて1号線が見えてきますが、合流せず立体交差する下の道を行きます。



坂下宿に入ります。地名の由来は鈴鹿峠の坂の下にあることから。坂下宿の松屋本陣跡の隣の集会所。



これより東、東海道関宿の道標。地名の由来は鈴鹿の関から。



関宿の街並み。電線は地中化されていませんが、電柱がなく、電線も目立たないように工夫されています。



「歴史の道」の碑がある地蔵院。



今日は駅に近い関宿途中のここまでとしました。



JR関駅より帰宅。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暗越奈良街道

2016年04月03日 12時40分04秒 | 街道を歩く
44歳になりました。今年度もよろしくお願いします。

昨日、大阪と奈良を最短距離で結ぶ暗越(くらがりごえ)奈良街道を歩きました。

地下鉄北浜駅から高麗橋へ向かいます。



京街道のゴール、中国街道のスタート地点でもあった高麗橋の里程元標跡をスタート。



地下鉄谷町四丁目駅付近、農人橋のピップ本社ビル。



JR玉造駅。



玉造駅付近にある道標。暗越奈良街道の起点は、江戸時代はこの道標のすぐ近くにあった「二軒茶屋」でした。
高麗橋が起点になったのは明治以降となります。
以前玉造に勤務していたときには昼休みにこのあたりにも来ていましたが、この石碑には今回初めて気づきました。



高井田のさくら公園。



御厨にて第二寝屋川を渡る。



意岐部西にて、近畿道・阪神高速13号東大阪線をくぐる。



花園ラグビー場近くの水走橋を渡る。



外環状線を陸橋で渡る。この後から暗峠に向かって急勾配となります。



近鉄奈良線・枚岡駅と額田駅間にあるガード下をくぐる。



枚岡公園付近より大阪方面を臨む。



花見客で賑わう枚岡公園。



暗越最急勾配37%の坂道。



山腹から「弘法の水」が湧き出す「弘法の井戸」。昔は飲んでいたそうですが、現在は生水のため飲めないとのこと。



暗峠着。標高455m。東大阪市と生駒市の境界でもあります。高麗橋から足かけ7時間でした。石畳は江戸時代に郡山藩が設置したもの。





暗峠の頭上には信貴生駒スカイラインが走っています。





暗峠より生駒市街・矢田丘陵・奈良市街を臨む。



暗峠を下り、近鉄南生駒駅付近を通過。



近鉄生駒線を横切って、矢田丘陵に向かいます。



矢田丘陵より生駒市街・生駒山地を臨む。



少しルートから外れますが、丘陵にある矢田自然公園で休憩。



矢田丘陵より奈良市街を臨む。



第二阪奈を陸橋で通過。



近鉄尼ヶ辻駅横の踏切を渡る。



JR奈良駅付近。



暗越奈良街道の終点は諸説ありますが、興福寺の三条通側にある奈良県里程元標を終点としました。
暗越だけに暗がりのゴールとなりました。
高麗橋から12時間、歩数計の計算では44.8kmの旅路でした(上り坂の歩幅が短いため、実際の距離はもう少し短いと思われます)。



近鉄奈良駅より帰宅。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする