街道を歩く

旧街道を中心に歩く旅日記。歩行距離は、2021年11月以降は活動量計の表示にしたがっています。

256 北国街道10 金沢→中津幡

2020年07月26日 20時49分16秒 | 街道を歩く
25日、北国街道を金沢から中津幡まで歩きました。

7:59 武蔵交差点よりスタート。


8:14 浅野川大橋のほとり、鏡花のみち沿いに立つ櫓。


8:42 大樋にある、清酒「加賀鶴」のやちや酒造。


9:11 東金沢駅付近、柳橋にある北鉄金沢バス北部営業所。


9:47 駅前広場を整備中のIRいしかわ鉄道・森本駅とその上を走る北陸新幹線。


9:53 IRいしかわ鉄道線をまたぎ、北陸新幹線をくぐる。


10:17 石川県指定史跡・松並木の旧金沢下口往還。
北国街道のうち、金沢城下の入り口にあたる下口筋(大樋、柳橋、森本)は下口往還と呼ばれていたとのこと。


10:56 ここまでの道は與一の道とも呼ばれています。與一とは八田與一(はったよいち)のことです。
八田與一(1886-1942)は今の金沢市出身の水利技術者で、台湾でのダム建設などの水利事業に功績がある人物です。


11:53 津幡町に入ります。8番らーめん津幡店で味噌ラーメンと餃子をいただく。


12:23 津幡川にかかるおやど橋と、大名行列で供先(ともさき)を務めた「髭奴(ひげやっこ)」の銅像 。


12:33 JR七尾線の踏切から一筋手前の交差点。今回はここまでとしました。24390歩、14.6kmでした。


12:34 JR中津幡駅より帰宅。


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255 北国街道9 明峰→金沢

2020年07月26日 16時38分15秒 | 街道を歩く
24日、北国街道を明峰から金沢まで歩きました。

7:47 JR明峰駅前からスタート。


8:22 国道8号金沢西バイパスと交差するところにある高堂遺跡公園。
高堂遺跡は、弥生時代末期から室町時代にかけての集落遺跡で、能美地域の古代を知る上で重要な遺跡とのこと。
8号バイパスをくぐると能美市に入ります。


9:12 ポストの上に九谷焼オブジェが置かれた粟生郵便局。
能美市内の若手九谷焼作家が制作した、風景入日付印を丸皿に絵付けした作品です。


9:56 手取川を渡る手前にある手取フィッシュランド。昭和42年(1967年)に釣堀センターとして開業後、
遊戯施設や熱帯魚を中心としたペットショップが加わった遊園地です。


10:01 手取川橋を渡る。江戸時代は、手取川には橋がなく「粟生の渡」という渡船で渡っていました。


10:09 橋を渡り、川北町に入る。このあたりで激しい雨が降る。


10:32 白山市に入る。水島郵便局にある一里山跡の石碑。



11:25 柏野じょんがら公園。柏野じょんがらとは、旧松任市域の下柏野町に伝わる踊りです。
白山市の無形民俗文化財です。


11:47 2018年に開業した、北国街道にも国道8号線にも面している道の駅 めぐみ白山。


11:55 道の駅にあるレストラン・風土ぴあでカレーを食べる。ついでに靴下を履き替える。


12:33 道の駅にある、白山市の鉄道施設や鉄道史を紹介するパネル。


13:52 松任駅付近にある千代尼通り商店街。
千代尼通りに面した商店の店主と思われる人のイラストのタペストリーが掲示されています。
石碑は、江戸時代の町役所跡を示すもの。明治時代には町役場などが置かれました。


14:46 松任駅付近にある白山市立松任中川一政記念美術館を見学。
中川一政(1893~1991)は、東京出身の洋画家、美術家、歌人、随筆家です。
中川一政の母が白山市松任出身のため、一政が旧松任市に作品を寄付し、1986年開館しました。


15:26 松任駅前にある千代女の里俳句館を見学。
加賀国松任町出身の俳人、加賀千代女(かがのちよじょ、1703~1775)と俳句の博物館です。


15:44 JR松任駅。


15:48 松任駅前緑地広場に展示されているD51形822号蒸気機関車。


16:33 野々市市に入ります。稲荷西交差点で国道157号線に合流。このあたりは電線が地中化されています。


17:08 野々市市本町児童館にある野々市村道路元標。大正9年(1920年)建立。


17:18 北陸鉄道石川線・野々市工大前~野々市駅間の踏切を渡る。


18:28 金沢市に入ります。神明宮にある大けやき。
県下最大のけやきで、樹齢1000年を越えるパワースポットとのこと。


18:29 犀川大橋を渡る。ここから人通りが多くなります。


18:32 片町交差点。


19:19 さらに繁華街を歩き、武蔵交差点に。今回はここまでとしました。49476歩、29.7kmでした。


19:31 金沢駅北側のホテルに向かう途中に通った金沢駅南側にある鼓門。


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254 北国街道8 加賀温泉→明峰

2020年07月26日 15時02分02秒 | 街道を歩く
23日、北国街道を加賀温泉から明峰まで歩きました。
今回から、分割して歩いている街道の場合は街道名のあとに回数を入れます。
北国街道は、鳥居本で中山道から分岐する形で歩き始め、
長浜→余呉→今庄→鯖江→福井→芦原温泉→加賀温泉の順に7回歩いています。
最後は、軽井沢町の信濃追分で中山道に合流してゴールします。

11:05 JR加賀温泉駅より前回到達地点へ向かう。


11:11 この交差点よりスタート。


11:33 加賀温泉~動橋(いぶりはし)駅間の北陸本線と並行する区間を歩く。


11:46 動橋駅付近にある帝人加工糸加賀工場。


12:11 動橋川を渡る。


12:29 七曲り街道跡の石碑。加賀市動橋町と高塚町の間は軍事上の理由で曲折した道路でした。
昭和38年(1963年)に自動車の普及に伴い直線化されましたが、「七曲り」を後世に語り継ぐため碑を建立したとのことです。


12:50 動橋~粟津駅間の北陸本線の踏切を渡り、小松市に入る。


13:35 粟津駅付近の南部工業団地にあるジェイ・バス小松工場。向かいは、小松製作所粟津工場です。


13:55 串町にある串八幡神社の神龍像。小さな神社ですが、奉納された石像がいろいろあります。


14:24 串茶屋町にある一里塚跡。中山道回りの場合は、江戸から128里の場所になります。
ということは、(142里-128里)÷2=7里、つまりここから約28km手前の芦原温泉あたりでは、
江戸からの距離は東海道回りでも中山道回りでもほぼ同じということになるのでしょうか。


15:42 須天(すあま)熊野神社。「いぼ池さん」と呼ばれます。
境内に「いぼ池」という池があり、その水は病気を治す霊水とされています。



16:05 小松駅付近にある多太(ただ)神社。松尾芭蕉像と斎藤実盛像が立っています。
源義仲が戦勝を祈願した神社で、討たれた平家方の斎藤実盛をここで供養しました。
その故事を基に、元禄2年(1689年)小松に入った松尾芭蕉が句を詠んだため、像が立っています。


16:48 加賀藩3代藩主前田利常が建設した小松城跡地にある芦城(ろじょう)公園。


17:13 梯(かけはし)川を渡る。


17:19 建設中の北陸新幹線をくぐる。


17:40 JR明峰駅前。今回はここまでとしました。31215歩、18.7kmでした。


17:44 JR明峰駅より小松駅に移動し、駅前のホテルに宿泊。


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253 加太越奈良道 加茂→奈良

2020年07月18日 22時37分14秒 | 街道を歩く
加太越奈良道を加茂から奈良まで歩きました。

8:21 JR加茂駅より前回到達地点へ向かう。


8:22 この交差点よりスタート。


8:32 加茂駅付近の踏切を渡る。


9:26 奈良県道・京都府道44号奈良加茂線を歩く。歩道の雑草の伐採作業中でした。


9:35 ここで府道から離れて細い道を進む。


9:46 田畑の間を進む。


10:05 木津川市から奈良市に入ります。左が緑ヶ丘浄水場、右が奈良市緑ヶ丘球場。


10:41 奈良街道に合流します。国宝・般若寺楼門。鎌倉時代の建造で楼門建築としては日本最古とのこと。



10:45 浄福寺。「けんこ坊」とあるのは、寛文6年(1666年)に浄土宗の寺として賢故坊が中興したためです。


10:46 奈良阪計量器室。大正11年(1922年)の水道創設時に建造された計量器室です。
木津川を水源とする浄水場から市街地への送水量を計測するために計量器を設置していました。
土木学会選奨土木遺産(2017年選定)。


10:56 手貝町にある東大寺転害門。


11:06 奈良県警察本部(右)と奈良公園バスターミナル(左)。


11:08 スターバックスコーヒー・奈良公園バスターミナル店。


11:09 登小路地下歩道で大宮通りをくぐる。


11:16 一の鳥居前。ここで西に曲がる。


11:23 興福寺境内で、宮島に続いてシカに遭遇。


11:23 興福寺中金堂。


11:25 猿沢池。


11:27 奈良県里程元標。ここでゴールとします。18154歩、10.9kmでした。
街道全体では118834歩、71.3kmでした。ここからさらに西に歩くと暗越奈良街道です。


13:07 近鉄奈良駅より帰宅。


15:36 JR向日町駅付近にあったJRの社宅は解体されました。


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252 加太越奈良道 大河原→加茂

2020年07月12日 17時34分12秒 | 街道を歩く
加太越奈良道を大河原から加茂まで歩きました。

8:37 JR大河原駅を下車。


8:39 大河原駅前よりスタート。


8:49 関西線をくぐる。


8:58 関西線と並行する国道163号線を進む。南山城村から笠置町へ。


9:11 163号線沿いにある有市(ありいち)國津神社。


9:46 163号線より北側の道を登る。


10:04 笠置トンネル北側の坂を登り降りして、163号線に戻る。


10:08 笠置町役場。道路沿いには民家が建ち、庁舎はその奥に建っています。


10:36 和束町に入る。


11:10 細かいカーブの続く道。


11:16 木津川市に入ります。山八キャンプ場より木津川を望む。


11:26 和同開珎の鋳銭遺跡地の石碑。奈良時代、ここに和同開珎の鋳銭所が設置されました。


11:45 湾漂山トンネル南側の道を歩き、再度163号線に合流。


12:09 恭仁大橋で木津川を渡る。


12:21 JR加茂駅前のローソンのある交差点。今日はここまでとしました。22131歩、13.3kmでした。


12:31 加茂駅より帰宅。


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251 西国街道 西広島→廿日市

2020年07月09日 21時39分58秒 | 街道を歩く
4日、西広島から廿日市を歩きました。

8:45 JR西広島駅前からスタート。


8:48 老朽化により閉館したひろでん会館の跡地にできたパブリックスペース・KOI PLACE(コイプレ)。
奥は広電西広島駅です。


9:56 広電荒手車庫。


10:03 JR新井口駅付近。


10:26 井口の公園にある一里塚跡。


10:29 街道は工事中で通行止めのため迂回。


10:48 八幡川を八幡橋で渡り、広島市西区から佐伯区に入る。
八幡橋は、元来の木造橋を昭和4年(1929年)にコンクリート橋に改築しました。
その当時の親柱がモニュメントとして残されています。現在の橋は平成21年(2009年)架橋。


11:35 広電楽々園駅と松並木。


12:25 広島市佐伯区から廿日市市に入ります。廿日市招魂社。
神社名の石碑には「衆議院議長 灘尾弘吉書」とあります。灘尾弘吉は現在の江田島市出身の官僚・政治家です。
40年前、大平内閣不信任案決議案が可決され、初の衆参ダブル選挙が行われたときの議長が灘尾でした。


12:29 廿日市天満宮の入り口。篠尾山(天神山)に鎮座しています。主祭神は菅原道真で、合格祈願の神社です。


12:32 山の上にある拝殿。


12:33 北側を望む。JR廿日市駅、広電廿日市駅が見えます。


12:46 廿日市天満宮の斜向いにある廿日市中央市民センター・公民館。廿日市にあった本陣の跡です。


12:47 今回はこの交差点までとしました。18908歩、11.3kmでした。


12:51 広電廿日市駅へ向かう。

 

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250 西国街道 海田市→西広島

2020年07月07日 23時04分32秒 | 街道を歩く
3日、西国街道を海田市から西広島まで歩きました。

7:04 JR海田市駅より前回到達地点へ向かう。


7:11 この交差点よりスタート。


7:15 海田市の一里塚跡。平日朝のため、細い道に通勤車のラッシュが続きます。
海田町から広島市安芸区に入ります。


7:44 広島市安芸区から府中町に入り、離合しにくい道から片側二車線の道に変わります。


8:24 府中大橋を渡り、広島市東区に入る。


8:32 イオンモール広島府中を右手に眺めながら西に進む。イオンモールは府中町にあります。


8:33 イオンモールのすぐ近くにある矢賀一里塚跡。広島市東区にあります。


8:39 芸備線・広島~矢賀駅間をくぐる。


9:01 愛宕神社。延宝年間(1673~81年)にこの地区(愛宕町・松原町)でたびたび大火が発生したため、
京都愛宕神の分霊を祀ったのが始まりです。この付近には、愛宕神社とカープの幟が数多く立っています。


9:01 愛宕神社のボール型の絵馬。広島では、カープも信仰の対象でしょうか。


9:07 山陽新幹線をくぐったあと、芸備線・呉線・山陽本線を横切る踏切に遭遇。右手の愛宕跨線橋を渡る。


9:09 跨線橋よりJR広島駅を望む。


9:16 猿猴橋町電停の左手を進む。


9:18 猿猴橋を渡る。16世紀の毛利時代に木橋として架けられました。
猿猴とは、広島地方でサルに似た河童のような想像上の怪物です。


9:25 駅前通りにある、西国街道柄のマンホール。ここ以外にも見かけました。


9:30 京橋川を京橋で渡りながら、稲荷橋を渡る広電を望む。


9:38 銀山町電停の左手の横断歩道を渡る。


9:45 流川の仏壇通りを進む。仏壇仏具店がある通りであるとともに、飲食店の多い歓楽街でもあります。


9:49 中央通りと交差。左手にあるのは広島アサヒビール館。


9:52 本通のアーケード街に進む。


10:07 本通電停右手の横断歩道を渡る。


10:13 元安川を元安橋で渡り、平和記念公園へ。


10:15 平和記念公園の街道は緩いS字カーブになっています。城下町特有の鍵型の道だった名残りです。


10:16 街道右手奥に原爆ドーム、左手奥に平和記念資料館。



10:40 公園で休憩後、平和大通りを望みつつ旧太田川(本川)を本川橋で渡る。


10:48 土橋電停の右手横断歩道を渡る。


10:53 広電天満橋を望みつつ天満川を渡る。


11:09 新己斐橋を望みつつ太田川放水路を渡る。


11:18 JR西広島駅。今回はここまでとしました。20015歩、12.0kmでした。


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249 西国街道 西条→海田市

2020年07月06日 21時43分32秒 | 街道を歩く
2日、西国街道を西条から海田市まで歩きました。

8:16 西条駅南口交差点よりスタート。


9:04 寺家賀茂ハイツという住宅街を経て飢坂(かつえざか)を越えようとしましたが、
道が途切れていたため引き返して北側へ迂回します。


9:18 国道486号線に迂回中、JR寺家駅付近を歩く。


9:42 飢坂を越えた場合の道に合流。交差点角にある、かつえ坂にこにこ第二公園(さくら公園)で休憩。


10:52 JR八本松駅前を通り、山陽本線をまたぐ。


11:17 工事中の安芸バイパスをくぐり、大山峠へ向かう。


11:23 大山峠は道が途切れていたため、引き返して北へ迂回するため国道2号線へ。


12:05 迂回中の国道2号線を歩く途中、山陽本線(八本松~瀬野駅間)をまたぐ。


12:41 東広島市から広島市安芸区に入り、大山峠を越えた場合の道に合流。


12:47 瀬野川と山陽本線の間の道を進む。


13:02 瀬野川沿いを進むが、道が緊急工事中で進めないため、南側を通る国道2号線に迂回。


13:07 国道2号線から最短で本来の道に戻ることができるはずの橋は流されていたため、さらに2号線を歩く。


13:19 2号線から本来の道に戻り、西に進む。


15:01 若干道から離れますが、JR瀬野駅に隣接するスカイレールみどり口駅で休憩。


15:56 山陽本線に並行する道を進む。


16:11 広島国際学院大学入り口。


16:18 JR中野東駅前を通過。


17:01 JR安芸中野駅前を通過。


17:17 中野砂走の出迎えの松。樹齢100~250年と推定されるクロマツの並木です。左に瀬野川。


18:03 広島市安芸区から海田町に入ります。海田町役場。


18:13 江戸時代には上級役人が休泊することもあったという旧千葉家住宅(書院は広島県重要文化財)。
隣接する形で、4月に開業した織田幹雄スクエアがあります(織田幹雄は海田町出身)。
今回はここまでとしました。47469歩、28.5kmでした。


18:22 JR海田市駅より広島駅に向かい、広島で宿泊。


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248 西国街道 本郷→西条

2020年07月05日 21時56分41秒 | 街道を歩く
1日、西国街道を本郷から西条まで歩きました。

9:01 JR本郷駅から前回到達地点へ向かう。


9:06 三原市本郷支所がある、この交差点よりスタート。


10:12 本郷の郷土史を研究している車の運転手に呼び止められ、手作りのパンフレットをもらう。


10:20 もらったパンフレットにも記載されている、本郷町にある貞丸(さだまる)古墳群の入り口。
この辺りは古墳が多く、案内のコンクリート柱が目立ちます。


10:32 本郷町の南方(みなみがた)神社にある二本松古墳の家型石棺。
石棺は分解されて神社の踏み石や手水鉢として使われていたが、元の石棺に復元したとのこと。 


11:29 日名内(上)交差点で国道2号線から分かれて、広島空港へと続く県道49号本郷大和線を進む。


12:12 県道からさらに分かれて、河原坂峠を越えて竹原新庄へと向かう草深い山道を進む。
途中で工事中のため前進できなくなり、日名内(上)交差点まで引き返す。


13:06 日名内(上)交差点のすぐ近くにあるサテライト山陽(競輪の場外車券売場)のレストランで食事。


13:34 山道を南側に迂回するため国道2号線を進む。三原市から竹原市に入る。


14:38 新庄町横大道交差点。ここで、河原坂峠を越えた場合の道と合流します。


14:56 新庄町にある船谷一里塚跡。看板に「1610年頃~200年間」とあります。


15:35 しばらく、賀茂川から分かれた田万里(たまり)川沿いを歩きます。
ここからの西国街道を田万里往還と呼ぶようです。


16:08 田万里町にある市恵美須神社。ここには四日市(西条)と本郷の間駅である田万里市がありました。
江戸時代には、本陣・問屋・旅籠・茶店が軒を連ね、戸数35戸余りの集落が形成されていました。


16:24 田万里黄幡坂一里塚跡。寛永10年(1633年)、広島元安橋を起点に西国街道に一里塚が設けられました。


17:07 田万里往還はここまで。この辺りから、田万里川とも別れ、竹原市から東広島市西条町に入ります。


17:23 右側の道を登ると、国道2号線を越えて上三永(かみみなが)に抜けるはずですが、
道がなかったため、左の道へ迂回します。


17:42 迂回しなかった場合の道とここで合流する。北西に進む。


17:56 国道375号線をくぐるとここに出て、さらに山道を西に進みますが、
この時間帯から山道に入るのは危険なので、最初から南側に迂回します。


17:57 日向一里塚。元々は約60m東にありましたが、東広島呉自動車道の建設に伴いここに移転しました。


18:52 ここで、山道を通った場合の道(左)と合流する。北西に進む。


19:12 東方向に向けて撮った写真。さらに西進する。



19:20 この日の東広島市の日没は19時25分31秒でした。



19:28 歌謡坂一里塚跡。



19:56 西条本町歴史広場。江戸期商家小島屋跡、四日市宿継立場跡です。
西条酒蔵通りの歴史や文化を学習する場とのこと。


20:02 西条駅南口交差点。今回はここまでとしました。52205歩、31.3kmでした。
東横インに宿泊。歩き終わりの時間が20時を越えたのは初めてです。


西国街道を、2日に西条から海田市、3日に海田市から西広島、4日に西広島から廿日市まで歩きました。
後ほどアップします。
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