昨日、熊野街道を泉佐野から布施屋まで歩きました。
南海泉佐野駅から前回終了地点へ戻りスタート。
「長滝北」交差点にて、JR関西空港線と関西空港自動車道をくぐる。
泉佐野に残る古い街並み。
大坂夏の陣における「樫井の戦い」古戦場跡。泉佐野市にて。
泉南市に入ります。約1350年前に建てられた海会寺(かいえじ)跡。法隆寺に似た寺だったそうです。
海会寺跡の近くにある、行基によって開かれた伝承を持つ溜め池、海営宮池(かいごいけ)。
海営宮池を過ぎたところにある信達(しんだち)宿本陣。
1815年に建てられた信達宿の常夜燈。電気による自動点灯式に変わり、200年以上使われています。
阪南市に入ります。JR和泉鳥取駅。
和泉鳥取駅を過ぎたあとJRの高架をくぐり、阪和線を臨みつつ歩く。
今年3月に山中渓自治会などによって設置された「緑の一里塚」。
緑の一里塚の近くにある山中宿本陣跡。
JR山中渓駅。
阪和自動車道をくぐる。
和歌山市に入ります。その直前にある「日本最後の仇討ち場」の石碑。
1863年に仇討ちを申し出られた紀州藩が和泉側でせよと伝えたのでそのように実行されたため、
阪南市側に石碑が建つことになったようです。
阪和線踏切の付近にある中山王子跡。このあたりは「雄(お)の山中」と呼ばれ、「山中王子」の記述もあるとのこと。
一瞬、阪和自動車道と併走。阪和道はすぐに鉄橋を渡ります。
阪和道の鉄橋を臨む。
工事中の京奈和自動車道。和歌山ジャンクションで阪和道と結ばれます。
京奈和道の近くにある山口王子跡。由来は、このあたりが「雄の山口の湯屋」と呼ばれていたため。
和歌山に入ると増える田畑の間を通る道にも「熊野古道」の道標が埋め込まれています。
JR紀伊駅に比較的近いところにある、川辺(かわなべ)王子跡。
川辺王子からしばらく歩いたところにある中村王子跡。
力侍(りきし)神社。ここも川辺王子跡とされています。
力侍神社を過ぎてしばらくのところにある、「左北大坂みち」とある道標。
川辺橋。
川辺橋で紀ノ川を渡る。
紀ノ川の側にある毎日牛乳和歌山工場。
JR和歌山線沿いをしばらく東方向に歩いたところにある吐前(はんざき)王子跡。
JR布施屋駅。昨日はここまでとして、帰宅しました。
以下余談です。
出発前に寄った貝塚年金事務所。南海貝塚駅から約5分。
南海泉佐野駅から前回終了地点へ戻りスタート。
「長滝北」交差点にて、JR関西空港線と関西空港自動車道をくぐる。
泉佐野に残る古い街並み。
大坂夏の陣における「樫井の戦い」古戦場跡。泉佐野市にて。
泉南市に入ります。約1350年前に建てられた海会寺(かいえじ)跡。法隆寺に似た寺だったそうです。
海会寺跡の近くにある、行基によって開かれた伝承を持つ溜め池、海営宮池(かいごいけ)。
海営宮池を過ぎたところにある信達(しんだち)宿本陣。
1815年に建てられた信達宿の常夜燈。電気による自動点灯式に変わり、200年以上使われています。
阪南市に入ります。JR和泉鳥取駅。
和泉鳥取駅を過ぎたあとJRの高架をくぐり、阪和線を臨みつつ歩く。
今年3月に山中渓自治会などによって設置された「緑の一里塚」。
緑の一里塚の近くにある山中宿本陣跡。
JR山中渓駅。
阪和自動車道をくぐる。
和歌山市に入ります。その直前にある「日本最後の仇討ち場」の石碑。
1863年に仇討ちを申し出られた紀州藩が和泉側でせよと伝えたのでそのように実行されたため、
阪南市側に石碑が建つことになったようです。
阪和線踏切の付近にある中山王子跡。このあたりは「雄(お)の山中」と呼ばれ、「山中王子」の記述もあるとのこと。
一瞬、阪和自動車道と併走。阪和道はすぐに鉄橋を渡ります。
阪和道の鉄橋を臨む。
工事中の京奈和自動車道。和歌山ジャンクションで阪和道と結ばれます。
京奈和道の近くにある山口王子跡。由来は、このあたりが「雄の山口の湯屋」と呼ばれていたため。
和歌山に入ると増える田畑の間を通る道にも「熊野古道」の道標が埋め込まれています。
JR紀伊駅に比較的近いところにある、川辺(かわなべ)王子跡。
川辺王子からしばらく歩いたところにある中村王子跡。
力侍(りきし)神社。ここも川辺王子跡とされています。
力侍神社を過ぎてしばらくのところにある、「左北大坂みち」とある道標。
川辺橋。
川辺橋で紀ノ川を渡る。
紀ノ川の側にある毎日牛乳和歌山工場。
JR和歌山線沿いをしばらく東方向に歩いたところにある吐前(はんざき)王子跡。
JR布施屋駅。昨日はここまでとして、帰宅しました。
以下余談です。
出発前に寄った貝塚年金事務所。南海貝塚駅から約5分。