街道を歩く

旧街道を中心に歩く旅日記。歩行距離は、2021年11月以降は活動量計の表示にしたがっています。

熊野街道(泉佐野~布施屋)

2016年05月29日 08時45分18秒 | 街道を歩く
昨日、熊野街道を泉佐野から布施屋まで歩きました。

南海泉佐野駅から前回終了地点へ戻りスタート。



「長滝北」交差点にて、JR関西空港線と関西空港自動車道をくぐる。



泉佐野に残る古い街並み。



大坂夏の陣における「樫井の戦い」古戦場跡。泉佐野市にて。



泉南市に入ります。約1350年前に建てられた海会寺(かいえじ)跡。法隆寺に似た寺だったそうです。



海会寺跡の近くにある、行基によって開かれた伝承を持つ溜め池、海営宮池(かいごいけ)。



海営宮池を過ぎたところにある信達(しんだち)宿本陣。



1815年に建てられた信達宿の常夜燈。電気による自動点灯式に変わり、200年以上使われています。



阪南市に入ります。JR和泉鳥取駅。



和泉鳥取駅を過ぎたあとJRの高架をくぐり、阪和線を臨みつつ歩く。



今年3月に山中渓自治会などによって設置された「緑の一里塚」。



緑の一里塚の近くにある山中宿本陣跡。



JR山中渓駅。



阪和自動車道をくぐる。



和歌山市に入ります。その直前にある「日本最後の仇討ち場」の石碑。
1863年に仇討ちを申し出られた紀州藩が和泉側でせよと伝えたのでそのように実行されたため、
阪南市側に石碑が建つことになったようです。



阪和線踏切の付近にある中山王子跡。このあたりは「雄(お)の山中」と呼ばれ、「山中王子」の記述もあるとのこと。



一瞬、阪和自動車道と併走。阪和道はすぐに鉄橋を渡ります。



阪和道の鉄橋を臨む。



工事中の京奈和自動車道。和歌山ジャンクションで阪和道と結ばれます。





京奈和道の近くにある山口王子跡。由来は、このあたりが「雄の山口の湯屋」と呼ばれていたため。



和歌山に入ると増える田畑の間を通る道にも「熊野古道」の道標が埋め込まれています。



JR紀伊駅に比較的近いところにある、川辺(かわなべ)王子跡。



川辺王子からしばらく歩いたところにある中村王子跡。



力侍(りきし)神社。ここも川辺王子跡とされています。



力侍神社を過ぎてしばらくのところにある、「左北大坂みち」とある道標。



川辺橋。



川辺橋で紀ノ川を渡る。



紀ノ川の側にある毎日牛乳和歌山工場。



JR和歌山線沿いをしばらく東方向に歩いたところにある吐前(はんざき)王子跡。



JR布施屋駅。昨日はここまでとして、帰宅しました。





以下余談です。
出発前に寄った貝塚年金事務所。南海貝塚駅から約5分。

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西近江路(堅田~近江高島)

2016年05月20日 23時07分49秒 | 街道を歩く
西近江路を堅田から近江高島まで歩きました。

JR堅田駅より整備中の西口広場を臨む。東口駅前のロータリーからスタートします。



堅田駅近くにある旧北国海道「一里塚」一本松跡。
昔ここに松があり、和邇の今宿の一里塚から一里の場所だったため一本松は一里塚の役割を果たしたらしいです。



びわ湖ローズタウンの最寄り駅、JR小野駅。西近江路側には出入り口はありません。



小野駅を過ぎてしばらくしたところで湖西線をくぐる。



書道の神・小野道風神社。小野神社飛地境内社という位置づけになっています。



小野道風神社からしばらく歩いたところにある小野神社(左)と小野篁神社。
小野神社は小野妹子が先祖を祀って創建したと伝えられています。



小野神社の境内にある小野小町の塔。この塔のどの辺が小野小町と関係あるのかは謎です。



JR和邇駅。駅舎横をくぐる。



和邇駅付近より山(霊仙山?)を臨む。



和邇駅へ入ろうとする列車。



みたび湖西線をくぐった直後にあるJR蓬莱駅。



JR比良駅を臨む。



「白鬚大明神 左是二里八丁」とある道標。白鬚神社までの距離を示す道標は少なくとも4基ありました。左の道を進みます。



湖西線をくぐる直前で、高架区間を終了した国道161号線に合流。



高島市に入ります。161号線を進む。



白鬚神社境内が見えてきました。



「近江の厳島」と呼ばれるゆえんである琵琶湖畔に浮かぶ鳥居。



161号線を左に外れ、若干登ります。



四十八体石仏群(看板の横)。現在は33体あるとのことです。
石仏が建立された理由は、看板の説明によれば、諸説あって特定できないようです。



161号線に戻り、JR近江高島駅へ向かう道へ分かれたあとに出会う勝野日吉神社。



高島警察署勝野交番。今日はここまでとしました。



近江高島駅より帰宅。
駅前にあるガリバー像は、柔軟な価値観をもった人間性を養い、絶えず新しいものに挑戦する町づくりのシンボルだそうです。

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熊野街道(鳳~泉佐野)

2016年05月14日 21時56分48秒 | 街道を歩く
熊野街道を鳳から泉佐野まで歩きました。

JR鳳駅からスタート地点に向かいます。



鳳本通商店街のアーケードを歩きます。



アリオ鳳。



高石市に入ります。堺泉北有料道路をくぐる。



和泉市に入ります。手作りのガラス細工を製作する井阪硝子製作所。



篠田(信太)王子跡。このあたりは、篠田王子にちなんで王子町となっています。



フェンスの向こうに見える祠。



陸上自衛隊信太山駐屯地(左)。いちばん右の道を進みます。



大阪府立伯太(はかた)高校にある熊野街道の道標。



和泉市に残る古い街並み。



泉井上(いずみいのうえ)神社。「和泉国」の語源とされます。



井ノ口王子跡。



岸和田市に入ります。JR久米田駅。



貝塚市に入ってすぐのところにある堂ノ池。このあたりには池が多くあります。



堂ノ池を過ぎてしばらく歩いたところにある「半田一里塚」。
「麻生中一里塚」と書いてありますが、真横にある看板の説明には「半田一里塚」と書いてあります。



貝塚の古い街並み。



JR和泉橋本駅。



近木王子と鞍持王子が合祀されている南近義(みなみこぎ)神社。



熊取町を過ぎて泉佐野市へ。佐野王子跡。



泉佐野駅近くにある大阪府立佐野高校。



佐野高校を過ぎてしばらくのここまでとしました。



南海泉佐野駅より帰宅。



泉佐野駅ビルにあったアバンティブックセンター。

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熊野街道(天満橋~鳳)

2016年05月07日 23時05分33秒 | 街道を歩く
熊野街道を天満橋から鳳まで歩きました。熊野街道は、熊野参詣に利用された街道です。

起点は天満橋の八軒家船着場です。下の船着場は、2008年に観光用に作られた現在のもの。



街道沿いには熊野神社の分霊社である「王子」と呼ばれる神社が点在しており、まとめて「熊野九十九王子」といいます。
1番目の王子である「窪津(くぼつ)王子」の跡とされる坐摩(いかすり)神社行宮(エル・おおさかの向かい)。



京阪天満橋駅向かいの昆布店の軒先にある八軒家船着場跡石碑。ここからスタートします。



北浜方向に歩いてすぐの交差点にある熊野街道の石碑。
ここを左折してしばらく暗越奈良街道と同じルートをたどります(暗越奈良街道は北浜方向から右折)。



谷町六丁目駅付近で谷町筋と交差。



谷六を過ぎてすぐの長堀通と交差。このあたりで暗越奈良街道のルートから分かれます。



南下していきます。谷町筋の四天王寺近くにある世界最古の会社・金剛組本社。今年で創業1438年(578年創業)。



四天王寺に寄ります。四天王寺を造った方からの注意喚起。



四天王寺の六時礼讃堂。



JR天王寺駅。



移設工事中の阪堺電軌天王寺駅前停留場。



阿倍野区にある、安倍晴明が生まれた地と伝えられる安倍晴明神社。



安倍晴明神社の約50m南にある阿倍王子神社。九十九王子のうち、大阪府内に現存する唯一の王子です。
安倍晴明神社は阿倍王子神社の飛び地境内社という扱いになっています。



阿倍野区の阪堺電軌姫松停留場。



南海住吉東駅付近から、立体交差する阪堺電軌上町線を臨む。



遠里小野橋で大和川を渡る。堺市に入ります。



南海浅香山駅付近の踏切を渡る。



南海堺東駅付近の大阪刑務所のある交差点で右折。



田出井山古墳(反正天皇陵)の縁を進みます。写真は遥拝所。



堺と磐城を結ぶ竹内街道との交差点。工事の道具が立て掛けられている道標には「竹内街道」と書かれているはずです。



大仙古墳(仁徳天皇陵、左)の縁を進みます。



石津川の近くにある、日本最古の戎宮と称している石津神社。



JR鳳駅近くにある全国の大鳥神社の総本社、大鳥大社。



今日は、鳳本通商店街の手前までとしました。



鳳駅より帰宅。

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西国街道(姫路~相生)

2016年05月05日 07時05分48秒 | 街道を歩く
昨日、西国街道(山陽道)を姫路から相生まで歩きました。
今回より街道の呼称を改めました。「山陽街道」の標示が見当たらず(「山陽道」はある)、「西国街道」を一番よく見かけるためです。
「中国街道」は、西宮神社以西では使わないようなので外しました。

JR姫路駅からスタート地点に向かいます。



アーケード街の途中からスタート。



姫新線播磨高岡駅。駅名標示が小さいので、近くに寄らないとわかりませんでした。



姫新線の上を高架橋で渡る。



西国街道の道標がある姫路市下手野の下手野町公民館。



夢前(ゆめさき)川を渡る。



夢前橋を渡ってすぐのところにある大きめの道標。「すぐ 姫路 大坂 京 江戸 往還」
「左 備前 九州 金比羅 宮嶋 往来」などと書いてあります。



山田峠を越える。



姫路バイパス・太子竜野バイパスをくぐる。



揖保郡太子町へ。国道179号線をしばらく歩く。



「南無妙法蓮華経」と書かれた題目碑のあるところで右折。



黒岡神社参道入り口の鳥居。社殿は300m先です。



太子町の鵤(いかるが)宿にて、斑鳩寺への参道が続く常夜燈(「聖徳皇太子」と刻まれている)とその反対にある太子堂・地蔵堂。
太子町は聖徳太子に由来するものが多いです。



太子町役場。



林田川を渡る。



たつの市に入ります。西構公民館の横にある四阿(あずまや)で休憩。



播州手延べそうめんの工場。販売もしているようです。



山陽新幹線と交差する山陽本線。網干~竜野間にて。



揖保川の近くにあるUCC上島珈琲兵庫工場。



揖保川を渡る。



揖保川を渡ってすぐのところにある揖保川町の正條(しょうじょう)宿本陣跡。



JR竜野駅。



揖保川町の片島宿本陣跡。



相生市に入ります。高台にある神戸若宮神社。



新幹線の高架下をくぐってすぐのところにあります。



相生那波野郵便局。地元の高校生が描いた『獅子牡丹絵図』が飾られています。



JR相生駅南口近くの交差点。昨日はここまでとしました。



南口の西側にスーパーのラ・ムー相生店が建つようです。



相生駅より帰宅。

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西近江路(大津~堅田)

2016年05月03日 17時37分18秒 | 街道を歩く
西近江路(旧北国海道)を大津から堅田まで歩きました。

改装中のJR大津駅からスタート地点に向かいます。



札の辻。京街道のスタート地点であり、東海道・中山道の通過点です。
東海道では東に曲がりましたが、今回はここからスタートしてまず西に向かいます。



琵琶湖疏水の上を通る。



「右 山王唐崎道」とある道標。右の道を進みますが、左の遊歩道は「大津絵の道」といい、江若鉄道の軌道跡です。



近江神宮へ向かう道と交差。



2011年に閉鎖した大津びわこ競輪場。



琵琶湖に流れ込む柳川。



柳が崎湖畔公園。



陸上自衛隊大津駐屯地。



少し道を外れます。前回歩いた志賀越道は、西近江路に接続するところまでとする場合もあるようなので、
京阪滋賀里駅まで歩いておきます。



滋賀里駅との往復の間にある毎日牛乳の工場。



西近江路に戻って、唐崎神社。



唐崎神社より琵琶湖を臨む。



神社中央部にある唐崎の松。この松と琵琶湖を描いた『唐崎の夜雨』という広重の作品があります。



神社の近くにある唐崎苑という公園。



隣からヨットが出てきました。



隣は同志社大学ヨット部でした。



真宗大谷派の長善寺。このあたりは浄土真宗の寺が連続します。北陸につぐ真宗王国らしい街並みです。



坂本のカネカ滋賀工場。元はカネボウの工場でした。琵琶湖畔にあるのは、カネボウ時代に琵琶湖の水を利用するためでした。
印刷会社にいたときには、岩倉の得意先へ行ったあと、途中越で坂本に抜けてここへ納品に行ったこともありました。



苗鹿にある那波加(なはか)神社。668年創建と伝えられます。



雄琴を過ぎて、堅田・仰木口近くの天神川を渡る。



JR堅田駅。今日はここまでとしました。

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