街道を歩く

旧街道を中心に歩く旅日記。歩行距離は、2021年11月以降は活動量計の表示にしたがっています。

中山道(醒井~垂井~岐阜)

2016年03月21日 08時50分35秒 | 街道を歩く
おととい中山道を醒井から垂井へ、きのう垂井から岐阜へ歩きました。

JR醒ヶ井駅からスタート地点へ。



醒井宿を出発。



名神の真横にあり、高さも名神本道とほぼ同じの加茂神社から眺める醒井宿。



醒井と柏原の間にある旧梓河内村(現米原市)の松並木。



柏原宿の街並み。



旧跡・寝物語にある、美濃と近江の国境(岐阜県と滋賀県の県境)。細い溝が国境(県境)です。



関ヶ原町に入ります。今須宿の村の鎮守、八幡神社。



柏原~関ヶ原駅間を走る貨物列車。



新幹線のガードをくぐる。



国道21号線を横断直後、建設途中の道路の下をくぐる。



畿内を守っていた三関の一つ、不破の関跡。ここから東を関東とすることもあります。左側の道から登ってきました。



関ヶ原の合戦の死者の首級を葬った西首塚。



少しルートから外れますが、JR関ヶ原駅。駅前の土産店に観光客風ではない外国人がいたので何かと思いましたが、
後でニュースを確認すると、当日「世界古戦場サミット」というものが開かれていました。
世界三大古戦場ということで、ワーテルロー、ゲティスバーグと関ヶ原が提携しているそうです。



垂井宿の一里塚。



垂井宿の街並み。おとといは垂井までとしました。



JR垂井駅から岐阜駅へ移動し、駅前で宿泊。



きのう、垂井・相川橋からスタート。相川の両岸に大量の鯉のぼりが渡されていました。



赤坂宿西口にある、西濃鉄道昼飯線廃線跡。



西濃鉄道市橋線と赤坂本町駅跡。



養老鉄道養老線東赤坂駅。



大垣市にて、建設中の東海環状自動車道?の下をくぐる。



大垣市三津屋町にある、道標にもなっている聖観世音菩薩。



鷺田橋で揖斐川を渡る。



美江寺宿に入ります。美江寺千手観音像。



樽見鉄道樽見線美江寺駅。



河渡(ごうど)宿の馬頭観音堂と河渡宿大灯籠。



河渡橋で長良川を渡る。



加納宿の街並みと脇本陣跡。



きのうは加納宿までとしました。



加納宿の最寄り駅、岐阜駅より帰宅。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中山道(愛知川~醒井)

2016年03月13日 10時11分07秒 | 街道を歩く
きのう、中山道を愛知川から醒井まで歩きました。

近江鉄道愛知川駅からスタート地点へ。



江戸側の中山道愛知川宿ゲートから出発。



平将門由来の歌詰(うたづめ)橋で宇曽(うそ)川を渡る。



豊郷にて、「江州音頭発祥地」の碑がある千樹禅寺。



昔はやったアニメのポスターが貼ってある「玉屋」。



はす向かいにある、丸紅と伊藤忠を設立した伊藤忠兵衛の生家(伊藤忠兵衛記念館)。



彦根市葛籠(つづら)町にて、近江商人らの像が建つモニュメントと、往時を偲ばせる松並木。



高宮橋を渡る。



高宮宿の多賀大社大鳥居。



名神彦根IC付近の高架をくぐる。



少しルートから外れますが、近江鉄道鳥居本駅。



鳥居本宿旧本陣。現在建っている洋館(左)はヴォーリズ設計によるもの。



8号線を歩きながら、フジテックのエレベータ研究塔を臨む。



8号線から分かれ、しばらく山道を登る。



舗装路を横切って階段を登る。



しばらく名神に沿って進み、米原トンネルの上を通過。米原トンネルが彦根市と米原市の境界です。





名神沿いにある中山道番場宿碑。



番場の忠太郎に由来する忠太郎地蔵がある蓮華寺入り口(番場の忠太郎は架空の人物です)。



醒井宿着。今日はここまでとしました。



JR醒ヶ井駅から帰りました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中山道(武佐~愛知川)

2016年03月05日 15時57分00秒 | 街道を歩く
中山道を武佐から愛知川まで歩きました。

近江鉄道武佐駅からスタート。



武佐宿本陣。



本陣横にある武佐郵便局。



ポストが明治時代の形です。



橋が工事中で通行止めのため、迂回。



工事の様子。



武佐の隣、西生来(にししょうらい)にて。特にベンチや休憩所はありません。



老蘇(おいそ)にて、奥石(おいそ)神社と老蘇の森。
神話時代に森の主だった石辺大連(いそべおおむらじ)が百数十歳まで生きながらえたという伝説から生まれた地名です。



8号線に合流。しばらく8号線に沿って歩きます。



近江商人の象徴である天秤棒をかついだ「てんびんの里」の像。



愛知川西岸の常夜燈である睨み灯籠。昔はここから渡し舟が出ていましたが、今はないので橋で愛知川を渡ります。



御幸橋(みゆきばし)で愛知川を渡る。手前は近江鉄道。





愛知川東岸にある、祇園神社と常夜燈。渡し舟はここに着いていました。



「不飲(のまず)橋」交差点から中山道愛知川宿ゲートをくぐる。



愛知川宿にある、広重の版画のレリーフがあるポケットパーク。



今日はここまでとして、近江鉄道愛知川駅から帰りました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中山道(草津~武佐)

2016年03月04日 20時11分28秒 | 街道を歩く
中山道を草津から武佐まで歩きました。
三条大橋から草津までは東海道と同じルートなので省略します。

JR草津駅から、スタート地点の草津宿本陣へ向かいます。



中山道と東海道の分岐点となる草津宿本陣付近の分かれ道。
右奥に伸びる道が、東海道です。左のトンネルを進むと中山道です。
以前ここを通り過ぎた際に、トンネルの上を草津川が流れているとしましたが、
天井川が解消され現在は流れていないことがわかりましたので、訂正します。



しばらくJR在来線の南東側を歩いた後、トンネルで北西側に出ます。
東海道本線・草津線の横を併走。



栗東の綣(へそ)にある大宝神社。
「へそむらの まだ麦青し 春のくれ」という芭蕉の句碑があります。



小野篁作とされる閻魔像がある十王寺閻魔堂。



閻魔堂の近くにある「焰魔堂町」交差点。



東門院守山寺。最澄が比叡山を開いたとき、東の鬼門を守るために建立したとされる寺で、「守山」という地名の由来になりました。



守山宿にある、東門院近くの中山道街道文化交流館。
守山は東下りの最初の宿泊地で、「京立ち守山泊まり」と呼ばれ賑わいました。



野洲川橋で野洲川を渡る。



野洲川橋より東海道本線を臨む。



橋を渡ってしばらく後、東海道本線の下をくぐる。
野洲市コミュニティバスがなぜ「おのりやす」なのか、少々考えました。



野洲から安土を経由して鳥居本で再び中山道に合流する、織田信長が幹線整備した朝鮮人街道との分岐点。
「朝鮮人街道」の名称は、朝鮮通信使に由来します。左が朝鮮人街道、右が中山道です。



野洲市立野洲小学校の前にある、外和木(そとわぎ)の標(しるべ)碑。
「外和木」は、朝鮮人街道と中山道の追分の地名に由来します。



家棟(やのむね)川新橋で家棟川を渡る。ここも草津川などと同様に天井川で、かつてはトンネルがありましたが、
2007年に橋がかけられて天井川を解消しました。



篠原の「浄勝寺前」交差点にて、また同じようなダジャレ。



篠原の東池。



竜王町・鏡にある源義経元服の地。



向かい側にある、道の駅竜王かがみの里。
鏡の宿は中山道六十九次には含まれませんが、守山と武佐の距離が長い(三里半)ため、宿場町として賑わいました。



近江八幡市に入り、日野川(横関川)を横関橋で渡る。この川も、昔は船渡しでした。



東横関町にて新幹線を臨む。



東横関町の隣、馬淵町にある、鳥居の上に瓦が載っている八幡社。



後鳥羽上皇寵愛の女官を法然に帰依させたとして斬首された住蓮坊の首が洗われたという住蓮坊首洗い池(法然、親鸞は流罪)。



武佐に入ります。住友財閥を明治時代に発展させた伊庭貞剛(1847-1926)の生誕地(現在は「いばECOひろば」)。





近江鉄道八日市線に交差します。今日はここまでとしました。



踏切の横にある武佐駅から帰宅。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする