街道を歩く

旧街道を中心に歩く旅日記。歩行距離は、2021年11月以降は活動量計の表示にしたがっています。

東海道(甲西~水口石橋)

2016年02月27日 23時01分29秒 | 街道を歩く
東海道を甲西から水口石橋まで歩きました。

JR甲西駅近くの家棟川橋を渡ったところからスタート。



文化2年(1805年)創業の造り酒屋、北島酒店。



天井川である由良谷川の下を通る由良谷川隧道は、工事中のため車両は通行止めとなっています。



天井川を解消する形に改修して、下に由良谷川が流れる予定の新由良谷川橋。
由良谷川の改修は、全体として1976年度から2023年度にかけて行われている事業とのこと。



弘法大師に由来する弘法杉(真ん中奥)。右手には大沙川(おおすながわ)という天井川が流れています。
弘法杉の枝を切って作った箸を使うと、左利きの子供でも自然に右手で食事をするようになるという伝説があるとのこと。



大沙川に登って西方向を臨む。



JR草津線の三雲踏切を渡る。



踏切の脇にある、真田十勇士の一人、猿飛佐助のふるさとをPRする幟と横断幕。ここ以外にもありました。
猿飛佐助は甲賀53家の一つ三雲家の出身で、正しくは「三雲佐助賢春」であるとの説があり、
司馬遼太郎は小説『風神の門』でこの説を採っているとの解説が地元の観光施設にありました。



荒川橋を渡る。



明治天皇聖蹟碑。沿道にいくつかありましたが、これまでで一番大きい碑でした。



JR三雲駅。



かつては野洲川を渡し舟で渡っていましたが、今はないので横田橋を渡ります。野洲川を西方向に臨む。



横田橋から見えるTOTOの看板。橋を渡ったところにある「朝国」交差点の奥にTOTO滋賀工場があります。
この看板が見えるとあと少しで水口です。



朝国歩道橋より、横田橋を臨む。



朝国歩道橋より、従来の1号線と1号バイパス(水口道路)の合流。



ベイシアとカインズホームが左手にある「泉西」交差点。ここが湖南市と甲賀市の境界になります。
ここで1号線から外れて右手の道を進みます。



横田渡跡。渡し舟はここで発着していました。



横田渡跡から野洲川を臨む。



鐘楼のモニュメントがある柏木公民館。



水口工業団地と1号線を臨む。



造り酒屋、美冨久(みふく)酒造本社。



例年4月20日に行われる「水口曳山祭」に使われる曳山が仕舞われている蔵。他にもあります。



近江鉄道水口石橋駅近くの踏切を越えたところにある石橋。



石橋の先には三筋の道が続きます(いずれも東海道)が、今日はここまでとしました。



水口石橋駅の構内。



しばらく電車が来なかったので、水口城跡(水口城資料館)へ。付近にある近江鉄道水口城南駅から帰りました。

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東海道(瀬田~甲西)

2016年02月21日 21時03分28秒 | 街道を歩く
東海道を瀬田から甲西まで歩きました。

JR瀬田駅近くの長沢川に架かる一里山橋からスタート。



狼川沿いにある、弁財天を祀った弁天池。





弁天池の近くにある元三杉里のちゃんこ屋?



野路にある、「萩の玉川跡」(玉水のような清水が湧いたためこう呼ばれる)がある公園。



「矢倉南」で1号線と交差。



矢倉橋よりJR琵琶湖線を臨む。



草津宿本陣。



草津宿本陣のある通りは宿場町の風情を残す建物や交流館の整備が進んでいます。



草津宿本陣近くにある東海道と中山道の分岐点。トンネルへ進むと中山道、右折すると東海道です。
トンネルの上には天井川の草津川が流れています。



草津川橋で、整備中の草津川を渡る。



「大路三丁目」で再び1号線と交差。



新幹線の下をくぐる。



真宗大谷派の専光寺。沿道に寺社はたくさんありますが、地域柄、浄土真宗の寺が目立ちます。



坊袋の交差点。左の道からやってきて、奥へ向かう道に進みます。



坊袋の草津川。上の交差点の写真は草津川のある高さから撮影したもの。



上鈎にある、室町幕府9代将軍・足利義尚(義政の子)が六角氏討伐のために滞在した「鈎(まがり)の陣所」跡地。



「鈎の陣所」跡地の脇にある上鈎池。



若干ルートから外れますが、JR手原駅。



手原駅近くにある稲荷神社。



手原の少し東にある、日本橋から117里目にあたる六地蔵の一里塚跡。



六地蔵の一里塚跡付近より1号線側を臨む。



沿道の古い看板。



名神(栗東~竜王間)をくぐる。



JR石部駅付近。



栗東東ジャンクション(未開業)へと続く道の下をくぐる。



石部宿碑のある公園。昔は「京立ちの石部泊まり」といわれ、京をたった旅人の一泊目が石部だったそうです。



JR甲西駅近くを流れる家棟川に架かる家棟川橋を渡ったところで今日は終了。



甲西駅から帰りました。

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東海道(三条大橋~瀬田)

2016年02月11日 20時36分41秒 | 街道を歩く
東海道を三条大橋から瀬田まで歩きました。

三条大橋西詰をスタート。



三条大橋東詰の高山彦九郎像。



白川橋より。



蹴上浄水場。



車石広場。



山科駅前にて。



「大津札の辻まで一里半」の道標と、山科三条商店会が設置した牛車専用通路用の車石。



六角堂山科地蔵。



1号線を横断歩道でまたぐ。



入り口に車石が置かれた閑栖(かんせい)寺。



京街道と東海道の追分(分岐点)。京街道を歩いたときには左側へ曲がりましたが、今日は右側の道からここに来ました。
京阪追分駅と追分町の地名の由来です。ここから大津までは、京街道で歩いた道を逆行します。



名神・京津線と併走。



京阪大谷駅付近。



関蝉丸神社。踏切を越えると社殿があります。



札の辻(京町一丁目)。京街道の出発点でした。



滋賀県庁を臨む。



源義仲と松尾芭蕉の墓がある義仲寺。



京阪瓦ヶ浜駅。



瀬田の唐橋。



唐橋より1号線を臨む。



若干ルートから外れますが、建部大社の入り口。



瀬田の長沢川にかかる一里山橋にて今日は終了。



瀬田駅から帰りました。

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山陽街道(高麗橋~西宮神社)

2016年02月06日 20時48分57秒 | 街道を歩く
山陽街道(中国街道)の高麗橋から西宮神社まで歩きました。
西宮神社以東は中国街道、以西は西国街道とも呼称することが多いようですが、
高麗橋から下関まではここでは「山陽街道」とします。

京街道のゴール、高麗橋からスタートします。



なにわ橋。



太融寺を過ぎて少し北にある、菅原道真ゆかりの綱敷天神社。



NU茶屋町と、茶屋町の語源にもなった「鶴乃茶屋跡」の石碑。



阪急3線のガード下「済生会病院前」の交差点。



十三大橋の脇にある道標。下の方に「高麗橋 一里」の文字が見えます。



十三大橋。





加島にある香具波志(かぐはし)神社。



『あさが来た』に登場する「加野屋」のモデルになった豪商「加島屋」が刻まれているとのこと。



神崎川を渡る。



神崎川沿いにある葭島(よしじま)公園。



尼崎工業高校の少し南にある厳島神社。民家の間に挟まれた小さな神社でした。



公園の中に立つ大きな道標。尼崎・西宮へ向かうので、ここで左折します。



阪神大物駅。



大物駅近くにある大物主(おおものぬし)神社。



「大物川」が埋め立てられて公園になっている場所に立つ「大物橋跡」の石碑。



「築地戎湯」という温泉の近くにある東町緑地に立つ「中国街道 大黒橋跡」の石碑。



旧尼崎町の惣氏神である貴布禰(きふね)神社。



「左 西ノ宮 兵庫」と書かれた大きな道標。ここを左折したら、後はほぼまっすぐ琴浦通りを進みます。



蓬川(よもがわ)を渡る。



足下に中国街道の案内が標示されています。



「琴浦通り」の語源である、源融(嵯峨源氏の祖)ゆかりの琴浦神社。



武庫川を渡る。奥手前は阪神武庫川駅。



武庫川の途中から西宮市に入ります。



阪神今津駅。



西宮神社の近くにある、「蛭児大神御輿屋伝説地」の石碑。
イザナギとイザナミの子で、海に流された蛭児(ヒルコ)が流れ着いた場所ということになっています。



西宮神社に到着。



中では「大陶器市」が開催中でした。



今日は阪神で帰りました。



余談ながら、来年度も今の職場でお世話になることになりました。
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