ニンビンからナムディンまではわずか32㎞程度。スマホのノキアマップをチラッと見て方向を確認して進みました。ナムディンには97年頃、頼まれて日本の高校生の付き添いで一度来たことがありました。農村の民家を訪れ、トイレに新聞紙を切って置いてあったのを覚えています。かつての日本と同じ文化。ベトナム南部はカンボジアと同じでお尻を水で洗う文化です。その名残は今もホテルのトイレで気付くことがあります。高級ホテルは別なのでしょうけど。
紅河下流デルタ、ナムディンの田圃は広々とし、この地でも起きた1945年の大量餓死が何故だったのだろうか、と改めて考えざるを得ない気になりました。田圃の一区画がやたら広いのは合作社の時代の名残なのでしょうか?そしてやたら教会が多いのも不思議に思います。かつてビエンホアの町の教会の多さにも驚きましたが、それはジュネーブ協定の後北部のキリスト教徒が大量に移住したため、と単純に納得しました。
暫くしてからナムディン方向への標識が見えないのに気付き、方向を大きく外れてしまっていました。スマホのMapを見ても現在地に道路がありません。何度か人に訊ね、その都度益々混乱するばかり。改めてノキアMapを見るとナムディンまで190㎞との表示。やっとのことでフェリーで河を渡ればナムディンまで一本道で行けると教えて貰えました。
大きな荷物を積み、バイクに裸足で乗るオバサン達の姿を見ると農村部の豊かさがどれほどのものであるのか想像されます。以前見たナムディンの町は人々が彼方此方でバトミントンをしている姿があり、そして泊まるべきホテルも余りなかったような・・・・。ハノイに居た時にナムディン出身のThanhさんという名の学生と知り合い、「ナムディンは何もありません。大きな繊維工場がありましたが倒産しました」と言っていたのを思い出します。町の外観は大きく変わっていました。道路や建物は立派になっても何処か実態が伴っていないスカスカな感じは残ります。人々の活気を感じることはありませんでした。
博物館巡りを予定してましたが、生憎の休館。雨が降って海岸を見に行くことも出来ず仕舞い。ハナム省の省都Phu Lyまで鉄道沿いの道路で行ってみました。途中、路上で梅の実が売られているのを見掛けました。小さい品種です。