goo blog サービス終了のお知らせ 

GOVAP便り

プノンペンからモンドルキリに、その前はTAY NINH省--AN GING省--HCM市GO VAP

ニャチャン

2009-06-29 23:28:43 | 旅行
先週木曜の夜行でサイゴンを発ちニャチャンに2泊して来ました。職場旅行なのではじめから気が乗らないこと甚だしものがありましたが、昨年はシンガポール旅行をサボったので2年続けて不参加というのも少々気が咎めたというわけです。ニャチャンへは一昨年だったかに仕事で出掛けたりもしましたが、遊びで行ったのは10年以上も前の90年代の初めのことです。

その頃と比べると随分と観光開発が進み様変わりしてました。最初に夜行列車に揺られてニャチャンに向かった夜のことは今でも懐かしく思い出します。当時川口の友人の家の近くに難民で日本に定住したベトナム人が経営する居酒屋があり、ベトナムに行くならついでに親戚に手紙を届けてくれと頼まれました。難民がまだ簡単には祖国に帰れず、また手紙も検閲される時代だったのかも知れません。

ベトナム語も知らないし、住所だけ教えて貰って家を訪ねるなんて出来ないと断ったのですが、「大丈夫、駅に着いたらタクシーにこの住所を見せれば行ってくれるから」とのことで引き受けてしまいました。

今もまだ列車は単線のため今回もニャチャンまでは7時過ぎにサイゴンを発ち朝6時頃にニャチャン到着です。今回は冷房の効いた寝台車でしたが、かつての木製のベンチシートに腰掛け窓を開け放って星空を眺めながらの旅のほうが遥かに楽しいものでした。サイゴンからブンタオ近くまでは線路は東に伸びています。進行方向右手が南になり南十字星を眺めながることができました。まだ外国人観光客が多くなかったこともあって、近くに座っていたオバサン達の暇潰しと好奇心の対象とされてしまい、次から次へと繰り出す質問に乗り合わせた受験生の女の子が通訳させられていました。

そしてニャチャン駅に着くとタクシーなど一台もなく、宿をとって夕方また駅に行ってみてもタクシーの姿はありませんでした。その頃のことがまるで嘘のように今のニャチャン駅にはタクシーが溢れています。訪れる観光客の数がどれだけ増えたのかは知りませんが、海岸沿いのホテルの数の多さやリゾート開発は景観を一変させるほどです。

ベトナム戦争中は米軍の休暇保養地でもあったというニャチャン。今は星が4つ5つ付いた高級ホテルもベトナム人観光客の姿が圧倒的です。Vinpearl Landという名の島一つをリゾートとしたホテルで食っては寝ての正月のような、しかし楽しくはない時間を過ごしました。帰りはカムラン空港からサイゴンまでわずか45分のフライト。空港もたぶんカムラン湾の近くのだろうと思います。ベトナム戦争の記憶を持たない若い人々のはしゃぐ姿を見ながら、ふと思いました。戦争当時のこの地のご老人の中にはカムラン湾に停泊したロシアバルチック艦隊の姿を見た人も居たに違いありません。




QV313便

2008-10-16 10:45:00 | 旅行
12時にゲストハウスをチェックアウトし、川沿いでコーヒーを飲んで時間を潰してからルアンプラバン空港にトゥクトゥクで向かいました。空港までは1台で5万キープ。一人なので4万キープに値切ってしまいました。滑走路にはVN航空の機体が見え、あれに乗って帰るんだ、と一安心。念のためにベンチに座ってチケットを確認すると15:00発のつもりが何と16:45。チケットの予約は会社の女の子に頼み、「全部VNエアー」と聞いていたのでてっきり15:00発と思い込んでいました。

ところが、ルアンプラバン-ハノイ間はLao航空とVN航空の共同運航便で15:00発がVN航空の機体を使い、16:45発はLao航空を使いますがそれぞれにシェア席があるようです。空港までは10分程度。再び市内に戻って食事をしました。旅行にトラブルは付き物。実害は往復のトゥックトゥク料金位でしたから誤差の範囲内というところです。

子供達が脇の木に登り、空港内を眺めていました。彼らと同じ年令の頃、自分も武蔵野の雑木林で木登りをしていました。調布の飛行場に三人ほどで侵入し、小型機の翼にぶら下がり、「明日学校に行ったらオレ達飛行機に乗ったって自慢しようぜ」と得意になっていたわけですが、今思えば敷地内で怒られることもなく、随分と平和な時代でした。

空港待合室には喫煙室がなく、少々早めにチェックインしたのは失敗でした。QV313便、機体はフランスのATR-72ターボプロップ双発旅客機。初めて乗る旅客機ですが、シートがちょっとチャチでガタガタでした。

全員が座席に着き、さあいよいよ出発という時になって、前方のラオス人青年が慌てて客室乗務員に何か告げました。彼女は「しょうがないわねーまったく」という顔をして操縦席に入り、男性乗務員が出てきて青年と話しています。青年は携帯電話を掛け続け。空港施設からトランシーバーを持った職員が乗り込みただならぬ雰囲気が漂います。そのまま機体は滑走路を暫く進んで止まりました。機内を何度か行ったり来たりしていたスチュアーデスが、青年が立ち上がった時に「ここにあるじゃない、パスポート」といった感じで呆れ顔。

一件落着かと思いましたが、その直後青年は航空機から降ろされてしまいました。飛び立ったQV313便は僅か1時間でハノイに到着。


ルアンプラバンの朝

2008-10-16 10:38:31 | 旅行
ゲストハウスの10ドルの部屋でも各国の衛星放送を観ることができ、NHKBSも映りましたが日本のニュースを英語で聴き取るのも億劫なので前夜早々に寝て、ラオス旅行最後の日は早朝に起きました。宿の人々はまだ起きておらず、蚊帳の中で眠る姿があり、門の鍵を開けて貰おうと声を掛けても返事がなく、しかし門の鍵は掛けてありませんでした。一晩中鍵を掛けなかったのか、朝早く出掛ける宿泊客のために一度開けて再び寝たのかのどちらかでしょうが、どちらにしてもベトナムでは考えられないことです。

川沿いの店もまだ開いておらず、コーヒーを飲むこともできないのでブラブラと川沿いの道を歩きました。夕方から夜に見た印象とは違った風景がありました。托鉢のお坊さんが裸足で歩くためでしょうか、道路はとても清潔です。

「朝は、この道を托鉢のお坊さんが通るのよ」と民芸品店の可愛い女性が教えてくれましたが、不信心ゆえか興味を抱くこともありませんでした。が、早朝の通りで出会った実際の托鉢僧の行列、もち米入れの籠を手にし通りに座る人々の姿は町を敬虔な空気で包んでいました。

1513年に建立されたラオス最古の寺ワット・ウィスナラート。ベトナムの大乗仏教の寺を見ても「宗教は詐欺だよなー。ボロ屋に住む貧乏人から金集めてこんな立派な建物つくって・・・」などと思ってしまうわけですが、ここではちょっと厳粛な気分にもなりました。ところが、中国人の団体旅行客が着き、記念撮影したりガイドの説明する声が雰囲気をぶち壊し。

ラオス観光局のHPに載っている王宮博物館、パクオウ洞窟、サンハイ村、クオンシー滝にも足を運ぶことなく、次回はもう少しラオスの歴史などを調べてから来ようと心に決めました。

ラオス米

2008-10-15 01:24:14 | 旅行
トゥクトゥクに乗って市場まで行ってみました。山の幸、川の幸がどんなものなのかを見ておこうと思い付いたわけです。

市場の造りはベトナムとほぼ同じでした。山羊の肉や水牛の皮?(毛が付いたままでスティック状のもの)はベトナムでは見慣れないものでした。魚は干物が多いのですが、生も少なくありません。残念ながらメコンデルタで獲れる魚の種類も大して知らないのでベトナムと何が同じで何が違うのかも分りません。

それどころかアジのような形状の魚もあり、海水魚なのか淡水魚かも言葉が通じないため聞くこともできず仕舞い。魚は氷で冷やされてもなかったので、遥々海から運ばれたものとは思えませんでしたが。バサ魚やナマズ、それに50cmほどの大きさの魚も並んでました。メコン河とは異なる水系の渓流に住むような魚もあり、塩焼きで食ってみたいという気にも。

イモ類は残念ながら見たのはジャガイモのみ。通りの民家の土間でキャッサバを切っていましたが、食用ではないとのこと。唐辛子、ニンニク、生姜、小茄子などは豊富のようでした。

昨年、昆明でタイ族の民族料理店に入り大粒の米が美味しかったわけですが、ラオスの通常の米がその大粒の米のようです。もち米が半分くらいの比率を占めるようで托鉢用にはもち米。レストランでライスを注文するともち米(steamed rice)かうるち米かを聞かれます。

ベトナムやタイで見る長粒米もありましたが、値段は大粒米の倍で8000キープ/kgとのこと。ラオスの農業は土地が肥えているのと購入資金がないために化学肥料や農薬が殆ど使われていないと言われてます。

大粒の米を2kg9000キープで買いました。すると隣の店で「うちの米はそんな籾殻なんか混ざってないわよ」というようなことを言われてしまい、しかも値段は4000キープ/kg。ラオスの市場でも値段の駆け引きは必要なようでした。

メコン河の筏遊び

2008-10-15 00:10:54 | 旅行
川には子供達の遊ぶ姿がありました。泥の土手を滑ったり、大きな木からロープを垂らしてぶら下がったり。筏の上から後ろ向きに身体を捻って水面に飛び込んだりするのもベトナムの子供と変わりません。たぶん自分の子供の頃も同じ環境だったら同じような遊びをしていたに違いない筈です。

子供の遊ぶ姿は万国共通なのかも知れません。仔犬にも国籍はないようで、ベトナムでもラオスでも手を差し出せば尻尾を振りながらじゃれ付いて来ます。晩年の画家藤田嗣治がフランスの小さなで子供達との触れ合いを楽しみに生きた話を思い出しました。

川に下りてみると土手の上から見ているのとは違って光のせいか景色も綺麗で気持ち良く、ズボンを捲り上げて一緒に筏に乗せてもらおうか、という気にもなりましたが、さすがに年令を考え思い止まりました。

階段のある船着場には舟で運ばれた鶏の飼料が荷揚げされ、零れ落ちたトウモロコシが散乱していました。近所の鶏が一羽それを突付いていましたが、鳩やスズメが群がることはない様子。

川の色はメコンデルタよりも濃い茶色に見えました。森に囲まれた環境が土壌を豊かなものとしているためかも知れません。

ルアンプラバンの町並み

2008-10-14 23:07:51 | 旅行
9日の夜8時頃、ランプラバンのバスターミナルに着きました。ターミナルにはゲストハウスの案内人が数人いて、観光地に来たことを実感。客引きがいるくらいだから部屋の確保は難しくなさそうだと安心して中心街に向かいました。

通り掛りに声を掛けられ案内されたゲストハウスは1泊10ドル。翌朝部屋を出て見たらメコン河の直ぐ近くでした。食事に入った店には同じバスに乗っていた中国人のグループの姿もありました。狭い町なので(観光客の行動範囲としては)歩いていると見覚えのある顔に何度か出会います。

建築中のゲストハウスも少なくなく、どの家も木材の茶色と白壁の洒落た作りで落ち着いた町並みです。昼間の高原の陽射しは強くそれだけでエネルギーを消耗してしまいますが、その代わり太陽の傾いた夕方に散歩する気持ちの良さは格別でした。

欧米人観光客が大半ですが、観光客相手の店では片言の日本語を話す人も何人か居ましたから日本人客も少なくはないようです。ラオスでは、ベトナムのように子供の物売り、物乞い、宝くじや靴磨きの波状攻撃に遭うようなこともなく、と思っていたところ、最後の日には足を引きずった物乞いの姿がありました。

「渡航の是非」

2008-10-14 16:52:35 | 旅行
外務省の渡航情報には「ラオスにおいては、2007年2月以降、国道13号線上やその付近及びボケオ県パクター郡近郊において、反政府勢力とみられるグループと政府軍との間で戦闘が発生したとの情報があります。また、国道13号線上やその付近において、通行中のトラックが銃撃を受け、運転手が死亡する事件が発生したとの情報もあります。今後も同種事件が発生する可能性は排除できませんので、渡航に際しては十分な注意が必要です」とあり、「渡航の是非を検討してください」という危険レベルだそうです。

1975年から33年が過ぎた今でも少数民族問題と絡み合った戦争時の対立が武器を持って継続されているようです。ベトナムではハイバン・トンネル完成後に人通りの少なくなった旧道での山賊被害が増えているとのニュースもありましたから、ラオスの国道13号線で武器を持った山賊に遭遇する可能性も皆無とは言えないとしてもその確率は国道1号線の交通事故に比べれば取るに足らないもののようです。

手持ちの地図を見る限りバンビエンを過ぎればルアンプラバンまでは残り半分以下の距離。ところが昼食後、道路は山越えが続きカーブの連続と傾斜がきつくてバスのスピードは上がりません。水田を作るほどの平地も見えなくなり、所々道路沿いにバナナがちょこっと植えられている程度。それでも多少の平地があれば道路沿いに粗末な小屋の住居が立ち並んでいます。

山を越える度に雨が降ったり止んだり。時に雨雲に覆われた真っ黒な山肌と陽が当たって明るく輝く緑の景色が同居してたりもしています。そんな風景にも見飽きた頃、山の中でバスが止まりました。トイレ休憩かと思ってタバコ片手に降りてみると運転手がバスの後部を開けてエンジンルームを覗いています。

小雨が降るものの外の空気は気持ち良く、誰も濡れることを気にしてないようでした。雨が強くなればバスの中に戻り、止めばまた外に出て写真を写したりしているうちに1時間近くが過ぎました。旧式のローカルバスが着き交換用のファンベルトを持って来ました。少し離れた茅葺の屋根の下で雨宿りしてると、ローカルバスから外国人旅行客が一人降りてこちらに歩いて来ました。何やら知らない言葉で話しかけられ、「ハァ~」?と間抜けな返事をすると、彼女は山々を眺めて静かな声で「beutiful!」。

まぁ、確かに気持ち良い風景ではあるけれど殊更「美しい」というほどでは・・・と思っていたわけですが、そんな自分がどこか軽薄に感じられるような雰囲気が彼女の言葉にありました。「イスラエルから来た」と聞いて勝手にイメージを膨らませてしまったせいかも知れません。Good luck と告げてバスに戻る後姿に何故か自分は何も言葉が出ませんでした。

オンボロのローカルバスが先に立ち去っても、わがVipバスはファンベルトの交換に梃子摺り山の中は暗くなりはじめました。3・4本のベルトがあり交換したのはその中の一本ですが、取り付けるのに他のベルトを外したり軸の距離を調整したりしてました。1時間に数台のバスやトラックしか通らない山道です。日が暮れればリスクも高まりそうな気がしないこともありません。

バスがやっと動き始めた頃、窓からは半月が見えました。どことなくベトナムで見る月と欠け方が異なるような気がしました。ビエンチャンから8時間ならもう直ぐにでもルアンプラバンに着く筈です。ところがどうして山道が続き、もう少しと思ってからの時間は堪らなく長く感じるものでした。

国道13号線

2008-10-14 02:46:41 | 旅行
ルアンプラバンまで8時間という朝8時発のVIPバスでビエンチャンを発ちました。運賃は多少高めですが、バスの旅も三日目。乗車時間の短い方を選びたくなりました。メコンデルタの水路が張り巡らされた水田風景を見慣れているせいか、国号沿いのラオスの田んぼは、やけに貧弱に感じられます。川は少なく、時折小さな池というか沼が見える程度。これでは灌漑の程度は不十分なのでは、と思いつつ、しかし走行中のバスの窓からではよく分りません。

暫く走ると湖らしきものが見えました。地図を見るとたぶんラオス最大の湖Ban Sam Pongの一部だったのだようです。海のないラオスにとってメコン河とこの湖が如何に重要なものなのかは容易に想像できます。

Van Vienの町らしき平地でそろそろ昼飯かと期待しましたが通り過ぎてしまい、昨日に続いてきょうも昼飯抜きかと諦め、出発前の売店で買った大きめのフランス・パン(とても美味しい)を食べ始めました。

ところがその後1時過ぎに食堂に寄り昼食休憩となりました。チケットを良く読むとラオス語に混じってCouponとの印字がありました。VIPバスなので食事付きだったようです。

ほぼベトナムの定食屋と同様の店で好きな料理を指して皿に盛ってもらいました。が、パンを食べたばかり。近くに居た犬を呼ぶとおとなしく寄って来たので豚肉の大半は彼女とシェアしました。

ベトナムの食堂でも客が床に捨てる食べ物を目当てに佇んでいる犬がいますが、警戒心が強く呼んでも近寄って来ることはありません。ところがこの食堂の犬には警戒心がなく、肉を手で摘まんで渡すとそのまま食べていました。その上、かつて日本で飼っていた欲張り犬のように吠えたり飛びついたりして催促することもなく実に行儀良く座っています。

ラオス人の人柄というか、人間の犬への接し方が犬の行動様式や性格を決定するのようです。ベトナムの犬はベトナム人そっくりと思うこともしばしば。隣の家の犬などは呼んでもわざと聞こえぬ振りを決め込みます。それにまた犬にとっても過密な都会生活というのはそれだけでストレスなのかも知れません。鶏や豚や山羊や猫や人間と共にのんびりと犬が生活できる環境がここにはあるからなのでしょう。

メコン河沿いの夜店

2008-10-14 01:21:34 | 旅行
東京都よりも広い面積で人口密度は東京都の100分の1以下のビエンチャン。ちらっと通り過ぎただけで何が分るということもないのでしょうけど、たぶんこの町の首長は選挙で選ばれた日本の巨大都市の知事よりも知的で温厚であるに違いない、などとふと思い、東京や大阪が病理の域に達してしまっていることの象徴として二人の知事の顔が浮かびました。

メコン河で獲れたと思われる焼き魚を夕食に食べてみました。「Fish BBQ」で通じました。炭火で焼いた名前も知らぬやや大きめのこの魚は思いのほか美味でした。メコンデルタでも養殖しているCa traが並べられてあるのを見たのは店を出る時。1kgほどの大きさで養殖か天然かは分りません。

川沿いの道路には夜店が並び、射的ならぬ「風船当てダーツ」がずらーと並んでいました。昨年訪れた雲南の元陽の町ではボール投げで景品を落とす形式で子供の頃を思い出しながら久々に挑戦してみましたが、ダーツには郷愁もなく眺めただけ。

テント張りの夜店が並ぶ賑やかな雰囲気は初めて訪れる旅行者にとっては楽しめるものでした。並べられた商品は手にとって見るほどのものとは思えませんでしたが。婦人用サンダル、シャンプー、携帯電話等々殆どがタイ製品のようでした。

歩き疲れた頃ちょうど小奇麗なCoffee & cake 店がありました。ラオスのコーヒーはベトナムのように煎りが強くなく癖がありません。ケーキも申し分ないものでした。価格をベトナム・ドンに換算してしまえば美味しくて当たり前、とも言えますが。店員の対応にはベトナムでの不愉快さに慣れてしまったためか驚くものがありました。

首都ビエンチャン

2008-10-13 22:58:41 | 旅行
バスターミナルから市中心部まで乗ったトゥクトゥクは少々やり手の女性でした。どんな商売でも上手くやれそうな明るさと積極性を持ち、まだ25歳だそうです。玉ねぎを詰めた50kg飼料袋やら何やら荷物も積んでやや窮屈でしたが、お陰で車内の雰囲気も親密になれたようです。

向かい合って座った中国からの3人連れは、てっきり国境を接する雲南省からだと思っていたところ湖南省から来たとのこと。雲南省であれば「実は去年旅行したんですよ」とでも話せたのですが。湖南省と聞いて記憶を辿っても「毛沢東の生地でしたよね」?と捻り出すのがせいぜい。「トンファンホン~マォツァトン~」と調子に乗って歌ってみましたが、勿論それ以上の歌詞もメロディーも出てきません。「湖南省商会分会」(?)とか書かれたホテルの前で彼女達は先に降りました。

夕方5時前後にも関わらず、サイゴンの渋滞を思えば信じられないほどのビエンチャンの静かな道路でした。1,2度信号での待ち時間はありましたが。首都人口20万人はHCM市の30分の1以下。面積はHCM市の1.9倍ほどで3,920km2。

ガイドブックに載っていた評判の良いゲストハウスは満室。何軒か探し歩きましたが、町並みは落ち着いていてハノイやサイゴン、あるいはプノンペンの喧騒とは異なる趣でした。日本なら六本木や広尾とか日頃は縁のないようなそんな場所だったのかも知れません。日本料理店もありましたが、とても5ドルのランチが食べられるような気軽に入れる雰囲気ではありませんでした。