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GOVAP便り

プノンペンからモンドルキリに、その前はTAY NINH省--AN GING省--HCM市GO VAP

氷売り

2007-12-11 03:46:29 | 仕事
タイグエンからホアビンへと移動し、予定よりも一日早くハノイに戻ることができました。ホアビンのホテルは部屋に2004年のカレンダーが飾られていて、それがすべてを象徴するかのような環境でした。朝はまだ暗いうちから外が騒がしくて目が覚め、時計を見ると3時半。窓を開けると道路で野菜を売っている姿が見えました。ハノイでは少しゆっくりできるホテルで身体を休めようとTrieu Viet Vuong通りの何度か泊まったことがあるホテルに行ったところ「満室」。レセプションで近くのホテルに電話をして貰いましたが何処も同じだとか。この通りは日本人宿泊者が多いのでNHKBSも映りPCも日本語対応になっているのに残念。ハノイ近郊に日系企業の工場が増えたせいか、今年になってからこの通りのホテルは満室が多くなったようです。仕方なくQuang Trung通りまで歩くと、目当てのホテルは改装工事のため閉店。

歩き疲れて旧市街までタクシーで移動しました。ハノイからはダナンへ移動する予定でしたが、日程が一日早くなったのでダナンにも一日早く入ろうとしたところ翌日の便は既に満席で変更不可。空いた一日を無駄にする気にはなれない貧乏人根性のためタイグエンに向かうことにしました。

行く先々何処も空は灰色に覆われ、土埃に満ち満ちています。Gia Lamのバスターミナルからタイグエン行きのバスに乗りると荷物代2万ドンを請求され一悶着。理不尽なことは認めるべきでないとの思いでしたが、しかし無駄なエネルギーを使っているような気もします。前の席の乗客は荷物代を巡って口論してる時に乗務員に加担して口出してたので不愉快でしたが、暫くすると携帯電話を取り出してエロ画像を再生し周りの乗客に見せびらかしています。

タイグエンの宿は今回もDa Huongホテル。また外国人料金を巡って一悶着せねばならないのかと思うとウンザリでしたが、何故か今回はスンナリと「24万ドンの部屋にしますか?」と国内価格で提示してくれました。粘り強い交渉が功を奏したのか、あるいは同行の日本人がレセプション嬢の好みの好青年だったからは知りません。「こっちの人は日本の会社からの出張だから外国人料金で構いません」と言ったほうが筋かとも思いましたが。

前日の晩はハノイのホテルで足が攣り、体調もイマイチです。せっかく国内料金で泊まれるのであればと24万ドンの部屋に泊まることにしました。外国人料金なら20ドルなのでその差額は8万ドン。

しかし良いことが続く筈もなく、翌朝客先に着くと建て替え工事のため移転したとのこと。事前に電話してるのだから教えてくれても良さそうなものですが、そうでないのが当たり前のようで、昨年フートーでも同じ目に遭いました。

メンテは午前中早々に終わり、これで北部も最後と思っていたところ、追加購入があるからそっちに寄ってくれとの話。それはそれで大変嬉しいことではありますが、身体が・・・。それに契約の細かな話を下手なベトナム語で僕がしても・・・と何とか逃れる口実を探しましたが、相手の好意に応えないわけには行きません。

打ち合わせを終え、国道に戻って道路脇の店でコーラを飲んでやっと一息ついていると、他の客がやって来て「氷をくれ!」と一言。思わず「はぁ~?」と答えると再び「氷をくれ!」。日本人が二人スーツ着てネクタイ締めてコーラ飲んでいるのが何で氷売りに見えるのでしょうか。振り返ると確かに壁には「Có Đá Bán」の張り紙がありました。

空港売店のコーヒー

2007-12-05 20:34:52 | 仕事
今年最後の北部出張です。今回は日本のメーカー担当者がメンテを行うので今までよりはとても気楽。技術的な問題は全部お任せだし、諸々の問題も日本語で表現できるというのが心を軽くしてるようです。

日曜日にサイゴンの空港で待ち合わせ、夕方の便でハノイに向かいました。成田からの便が遅れことも想定して18時発のVN便を予約したのですが、そういう時に限って国際便は早めに到着し、バイクタクシーで空港に向かう途中で携帯に電話が入りました。おかげで2時間半ばかり時間を持て余すことに。一便早いのに変更しようとしたら既に満席。こんなことなら変更不可のパシフィック航空の安いチケットでも同じことでした。

仕方なくSASCOの売店のカフェテラスでコーヒーを飲むと何と一杯2万ドン。椅子とテーブルがあるだけで5千ドン値上げです。1区の日本人パブのテーブルチャージよりは安いのでしょうけど、前々回は1万ドンで前回は1万5千ドンでしたからこの半年の間に同じコーヒーが2倍にもなるというのはやはり不愉快。止せばいいのに売店のオバサンに嫌味を言ってしまいました。

ハノイへの便は出発が1時間近く遅れ、荷物が出るのも最後の方だったので空港を出たのは9時を過ぎてしまいました。荷物が大きすぎるので取り敢えずタクシーでPHU THOに向かいました。この時間ではバスもなく他に手段はありません。空港のNOI BAIタクシーと交渉し、40万ドンの料金のはずでしたが、通行料だとかお釣りがないだとかで結局45万ドン。国道3号線は前回よりかなり整備されていて思いの外早くVIET TRIに着きました。国道沿いの多少大きめのホテルに宿を取り、一泊17万ドン。お湯も出てそこそこでしたが、暫くするとドアがノックされ、開けると「私、部屋に入ってもいいですか?」と今時珍しいオネエサンのお誘いでした。

転職

2007-11-22 02:53:17 | 仕事
幾つか仕事を誘われていて、きょうの夕食はそのお誘いのために席を設けられました。ところが朝からひどい下痢が続き、体調は最悪。昼間のアポは先方から変更のメールが入っていたので一安心でしたが、下痢は昼を過ぎても収まらず昼食は抜きました。先週末から風邪を引いていたのでそのせいなのか、或いは昨日食べた魚貝類に中ったのかのどちらかのようです。北部ではコレラや急性の下痢が流行っていると新聞にあったのを思い出しました。が、腹痛を伴わないので多分風邪に疲労が重なっただけのような気がします。

こんな日はとてもじゃないけど生ものだけは勘弁なのに、運悪くこちらから日本料理を指定してしまっていました。きょうになって店を変えるわけにも行かず、とりあえず正露丸を飲んでおきました。

かつてはそれなりに僕の方が皆さんをお世話したこともあったわけですが、今や立場は逆転して皆さんからお世話される身になってしまったようです。ダナンのランちゃんから先週電話があり、中部で新しく工場を作る話があるので僕のことを紹介しておいたけど嫌なら断っても構わないから、と言われたのですが、気があるのかないのかもあやふやな返事をしたばかりです。きょうのDさんからの話も数年前から続いてるものなのに、これまたいつも曖昧な返事の繰り返し。

それでとうとうきょうの話にはD社のA君も動員して如何に将来性のあるビジネスなのかの説得にかかって来ました。仕事を変わって今の泥沼のような現実から逃れたいのは山々です。しかしそれと引き換えに新たな泥沼が待ち構えていることも十分予想できるだけの年齢を重ねてしまっているわけで、果たしてそれに立ち向かうエネルギーが自分に残されているのかどうかが見極められません。



仕事に戻って一週間

2007-11-02 23:24:44 | 仕事
まだ木曜日と思っていたらきょうはもう金曜日。今週もまた一週間分の仕事をしたという気がしません。たぶん一日の内半分はスタッフを怒鳴り続けているからなのでしょう。この不毛な状況を何とかしようとは思うわけですが、そう思うと一言言わねばならず、その一言に帰ってくる不貞腐れ返事に三言、四言と続いてしまいます。

不在にしてた一週間は、「して欲しいことはせず、して欲しくないことは必ずする」という毎度おなじみのパターンでした。優先順位に挙げた仕事はこの一週間何もしておらず、とうとう予定納期が来てしまう始末。「だって、業者が見積もり請求しても送って来ません」「あたしの知ってる業者に変えます。値段も1000ドン安いから」「今から行ってきて良いですか」?と言うので、その業者の名前と電話番号を聞くと「場所は知ってるけど住所や電話番号は知りません」。

もし不在中にA社からオーダーが来たら納品は来週だと返事するように、と言っておいた件については、予想通り注文が来て納品を済ませてしまいました。「だって、電話しても通じないのでメールに書きました」。中国に行くから電話は繋がらないとも言っておいた筈。文字化けして意味の分らぬメールで報告されても困るわけで、「するな」と言ったことをする場合は聞いて許可を取れよ。それにこのメールは許可を求める文面になってないじゃなか。と言うと今度は、「だって、ちゃんと納品しておけって言ったのだと思いました」。

都合が悪くなるとコロコロ返事を変えて非を認めない態度に怒りは益々つのり「じゃ、これからは、言われたことは全部見てる前でメモしろよ」「1.客先への文書類はすべて許可を得ずに出さないこと」。と言い、そのばで書くように要求すると「そんな子供みたいなことできません」。子供以下のことしか出来ないから言ってるんだろう・・・、と双方エスカレートして泥沼状態。時間だけがしかり過ぎてしまいます。

悪い予想は的中し、納品と同時に渡して来た領収証に記入ミスがあり、差し替えを要求する電話が入りました。単価が一桁足りません。どう見ても小学生以下的レベルの間違いです。「スイマセン」の一言でもあれば諦めもつきますが、「だって」「でも」の繰り返し。

それでも何もこの惨状がわが事務所に限ったことではないことも確か。昨日、株の売り注文を出したところ、午後になって携帯メールに銀行口座から引き落としの連絡が入りました。慌てて証券会社の営業に「売ったのに何で口座から引き出されるのか」?と電話しても「問題ありません。大丈夫です」と繰り返すのみ。「じゃ明日会社に来てください」というので昼過ぎに出向くと、あろうことか売り注文の伝票なのに買いで処理してました。「だって日本人は買いばかりで売りはないから、買いだと思いました」。こちらは開いた口が塞がらないというのに、相手は平然と「月曜に売れば問題ありません」。「スミマセン」とは言いつつ、それが謝る態度か?と呆れるばかり。不愉快に拍車がかかるばかりなので「じゃ証券会社を他に替えます」と言い残して切り上げました。

今日中に前払い金1/2を払えというので4時に印刷会社へ行くとガードマンに止められ、もう帰ったので明日の朝に出直せとのこと。一昨日も他のビルでガードマンに入り口で入室を断られたばかりです。携帯電話でビルの中の担当者に連絡してやっとお許しが出ました。余程人相が悪いのでしょうか。立場上はこちらが客の筈なのですが、貧乏人故か相手は客とも思わぬ態度ばかり、「売ってやってるだけあり難いと思え」とばかり直ぐに呼び付けます。それでいて小雨の中をバイクを飛ばして行けば「停電だから帰った」。腹が立ったので「停電はオレのせいじゃないんだから、早く帰るなら電話すべきだろ。来るのは知ってたんだから。威張ってるんしゃねーよ」と最後の言葉だけは日本語で言い捨てて帰りました。




間の悪さ

2007-10-19 03:15:07 | 仕事
久しぶりにSさんH君と一緒に食事をしました。店はレタントン通りのH。何でこんな店で食べるのか?と少々ガッカリでしたが、聞けばSさんと同県人なので一度は来なければならなかったのだとか。6年前に一度だけ入ったことがある店です。その時はご飯がベチョベチョで二度と来る気がしませんでした。折角の日本米をこんな炊き方したら意味ないだろうに。というよりも、どうすればこんな炊き上がりになるのかが不思議なほど。当時はちょうど☆5個のホテルの朝食を手伝っている時だったので「ご飯」には少々敏感でした。何しろホテルのセールスマネージャーが直ぐに「客から不味いと言われた」とクレームを付けて来ます。そう言われても何処がどう不味いのかさっぱりわかりませんでした。

子供の頃はお米が美味しいと感じたことはありませんでした。初めてお米が美味しいと思ったのは、練馬にある施設などで暫く過ごし、麦飯を食べ続けた後のことです。家に戻って祖母が迎えてくれ、最初に食べた白米は見た目にも輝いていました。おお、なるほどそれで「銀シャリ」というのかと納得。次に残る記憶は、大内君に連れて行ってもらった神保町の店。天ぷら屋さんだったかと思いますが、「割り箸に暖かいご飯粒が着くだろう、あの感触が・・・」と教えられ、言われてみればその通り。その次は哲也君のお母さんが田舎から駅留めで送って来てくれたお米です。その三度とも確かに美味しいと感じたわけですが、今思えば味そのものよりも祖母であるとか、大内君とか、あるいは不肖息子へ米を送る哲也君のお母さんとかの存在が味覚を敏感にさせてくれたようにも思えます。

明日の晩からサイゴンを離れるので今日は大忙し。皮肉にもこういう時に限って客先やら何やらからの電話が相次ぎます。おまけにビザも期限切れ。延長手続きは頼んであるものの夕方になってもパスポートが帰っていません。これじゃ明日の便に間に合わないかも、と気付き慌てて電話を入れました。半年前の更新時もハノイへの出張と重なってしまったし、思えば生まれ落ちたその時からタイミングの悪さに付きまとわれているようです。たぶん両親が離婚寸前状態で母親が実家に帰って出産。1年ほど母の実家で育てられ、その後父親に引き取られて母とは離別。物心ついた頃は継母が居ましたが、可愛がられた記憶が一つもないまま10年ほどで死別。

今日は、同じ時間に約束を入れてしまい、冷や汗ものでした。何とか調整はついたもののまたまたドンナイ橋を越えての距離ですから往復だけで2時間を費やしました。カントー橋崩落の一ヶ月ほど前にはさかんに崩落の危険性が取り沙汰された橋です。生来の間の悪さ故、宝くじを引き当てることはなくても橋崩落時に通過する偶然を引き当てるのではないかとの思いが過ぎらないでもありません。

もっとも走行時に崩落してもバイクなら助かる可能性も高いかも知れないとの話。災害時の死亡確率はお金持ちより貧乏人の方が圧倒的に高いわけですが、川に転落しただけなら車よりバイクの方が助かりそうな気もします。間の悪さにもかかわらずここまでどうにか生き延びられて来たわけですから、明日一日で何とか重なった仕事も目処を立てたいものです。

晴れ後雨

2007-10-10 20:31:52 | 仕事
三日ほど雨が降らなかったせいで昨日の昼間の暑さは我慢できないものがありました。
先週は四人居たスタッフですが、土曜日に二人にはお引取り願い、そして昨日は帰り際に「明日から来ません」と言われてしまい、残るはたった一人。こんなことなら200ドルのモニターも買う必要なかったのに。

一、二週間それなりに一生懸命あれこれ仕事を教えて、直ぐに辞めてもらうというのは虚しいものがあります。それに次の仕事が簡単に見つかりそうなタイプでもないし、もう少し様子を見てからでも・・・と弱気になりかけたところ、毎日「ここのPCは仕事のために使うものだから遊ぶな」と言っているのにも拘わらず目を盗んでは凝りもせずにIPotを持参しダウンロードしているのを見て、その不貞腐てしさにこちらも切れました。

来週末から一週間ほど留守にするので、せめて九月中には人を揃えておきたかったのにこの始末。幸い残る一人は何とか続けて貰えそうですが、身体が丈夫ではない様子。昨日からも風邪を引いてかなり咳き込んでいます。慌てて再び求人の面接を入れました。

新聞の求職欄を見る限り、会計のチュン・カップ(中級)との学歴が一番多いようで希望給与が1.2~1.5百万ドン。営業職だと短大の経営管理科卒で初任給2百万ドン前後と書かれてます。中には何を考えてるのだ、と思わせる高額給与希望者も。経験的にはどちらも卒業証書には何の価値も認められず、アルバイト経験の方が参考になります。文系の専門性など殆ど意味をなさないのは日本と同じですが、ここではその卒業証書に本人が価値があると勘違いしてるところが厄介。

面接した三人は三人共中部高原の出身者。地元の高校を卒業してサイゴンの短大などに進学し、成績もイマイチでコネもなくて就職口がないということのようです。その内の一人は履歴書を見ると9人兄弟の9番目で20歳。家族対抗野球とか両親含めればサッカーも可能な人数。二人子供が居ればもう一人増えたところで何とかなりそうにも思えますが、三人が四人になるのもまた然り。そして八人が九人になっても似たようなもの。しかし二人と九人では大違い。近世日本においても農村での自律的な人口抑制メカニズムが働いたようですが、中国やベトナムでは何故、国家の強制によってしか人口を抑制できなかったのでしょうか。

堪らぬ暑さに音を上げると決まって直ぐに雨が降ります。昨夜も8時過ぎから激しい雷鳴を伴って降り始めました。こういう時には、「自然とは何とバランスが取れているのだろう」と感心してしまいます。こういう繰り返しの中でいつしか自分も「まぁ、そのうち何とかなるだろう」との楽天的ご都合主義が身に付いて来たようにも感じてます。

15inchモニター

2007-10-04 00:11:36 | 仕事
人が増えたのでパソコンが足らなくなりました。7月に買ったノートPCは貸し出した客先がまだ返してくれず、もう一台はモニターがありません。LCDモニターは昨年、でうみさんが5台ほど日本から持ってきてくれるとの話があったのですが、税関で中古PCは輸入不可と言われ、揉めてる最中に本人が亡くなってしまい、それっきりになっていました。

旧正月に日本に戻った際、中野の商店街でLCDモニター付の中古PCが9800円で売っていました。買おうかと迷いましたが持ち歩くのが面倒なので諦めました。タダで貰えるとか1万円以下で買えるとかの意識が残り、それからも「余ってるモニターない」?と恥知らずにもあちこちに声を掛けてみましたが効果なし。

そうこうしてる内にK君から電話で「余ってるPCない」?と訊かれ、「そんなもん自分で買えよ。貧乏事務所に動くPCが余ってるわけないんだから」と少々腹を立てました。何しろお付き合いとかでビアオムやら日本人ラウンジに行くお金はあるわけですから。「こんなこと恥ずかしいから他の人には訊けないし・・・」とのことですが、その羞恥心が何故僕に対しては適用されないのかは不明。

モニターはCRTなら価格はLCDの3分の1以下で済む筈ですが、持ち運びと置き場所に不便。見た目にも余計暑苦しいわけですし。それでとうとう昨日、一区に行ったついでに買ってしまいました。HP製で200ドル弱。METROの広告を見て、特売のLG21インチTVが2台買える値段だと知り、やはり高い買い物だったのかと少々後悔しつつもやはり自分の席でPCを使えるのは快適です。とは言え、5時を過ぎスタッフの皆さんが帰った後からでないと落ち着いてPCを開くこともできないわけですから実質的には大した違いはないのかも。

ガレージの一部を借りてコーヒーを売ってるオバサンが、「ここも今月一杯で閉めることになった」と話しかけて来ました。大家が場所を貸してくれなくなったのだとか。昼食後の眠くなる時間に眠気覚ましのコーヒーを飲めなくなるのは少々問題です。それにスタッフに腹を立て頭に血が上った時も事務所を抜け出して気分転換したりしてたわけですから。

それでオバサンの話を聞いていると、あろうことかこちらの事務所の一部を貸してくれないかとのこと。当然ながらそんなスペースもないわけで断りました。が、「テーブルや椅子が置けなくても良いから。出前だけでできれば十分。場所は取らないし、助けると思って・・・」と食い下がります。「助けると思って」と言われても、初めから僕には助けたいとの思いがあるわけでもないし。

家に帰る途中でコープ・マートに寄りました。果物売り場の前で「韓国梨-中国産」「林檎ふじ-中国産」の表示を見ていると偶然顔に見覚えのある女の子に挨拶されました。3年ほど前までよく通っていたジュース屋の娘です。彼女の姉のモモちゃんには2ヶ月ほど仕事を手伝って貰ったことがありました。気が付くと台所用品やらサンダルやらを勝手に持ち帰ってしまってたので、こちらはモモちゃんには余り良い印象は残っていません。が、妹が言うには本人は懐かしがっているのだとか。2割ほど他の店より値段が高いのでわざわざ出掛けてジュースを飲みに行くつもりもありませんが、調子良く「今度また飲みに行くから」などと言ってしまいました。彼女に「ジュースを売る場所がなくなったので助けてくれ」と言われれば、何とか一肌脱ごうという気になるに違いありません。15インチのモニター一台買うのも大変だというのに果たして脱ぐ肌があるのでしょうか。


秋の長雨

2007-09-29 00:32:05 | 仕事
昼から降りだした雨が延々と続いています。上がったと思えばまた降り出します。

カレンダーを見ると来週月曜日はもう10月。ということは今日が月末の金曜日。何でこうも早く月日が過ぎてしまうのでしょう。またまた一ヶ月間、何もせずに終わってしまいました。人の採用も失敗続き。取りあえず誰もいないよりはマシだろうと妥協しても一週間と我慢できません。

決して良い人がいないわけではなく、何人かは「これで安心」と思わせてくれました。が、必ず後から断りの電話が入ります。一人はご丁寧にも延々と辞退の理由を書き連ねた詫びの文章をメールで送ってきました。そんなものは一言で十分なわけですが、こういう時に限ってはベトナム式の誠意と礼儀を尽くすようです。一方で形式主義的な過剰な礼儀が建前としてありながら、実質的なところでは無礼千万。最初の一日、二日は過剰な挨拶をしてたのが三日もすると知らん顔に豹変。

今朝は朝、二人の面接がありました。前日に電話をした時からどうにも期待できない応対振りでした。一人は2年制のパソコン過程終了で就職経験なし。就職先がないので会計の教室に通い始めたばかりだとか。君が仕事が見つからないのはそういう専門性の問題ではなくて、そのヘナヘナした喋り方が仕事もきっちりできないように感じさせるからだよ。と思ってしまいました。

もう一人は「あなたのベトナム語は不自由だから・・・」などと電話で言われた相手です。それじゃ、日本語か英語で面接してやろうか、と思って受話器を置いたことは忘れてました。経歴は、サイゴンの短大を卒業後、ドンナイ省に帰って韓国企業の縫製工場の倉庫係り。生まれは北中部のタィンホア省で10歳まで暮らしたそうです。たった一度だけ訪れたタィンホア駅前の不愉快さを思い出させてくれる人柄でした。短大では「経営管理」を専攻と書いてありましたが、前職も希望職種も「倉庫」とあったので仕事の内容も作業内容に即して説明したところ。「そういう仕事にはマーケティングが必要です。商品の案内を郵便で出しても効果はありません。こんなもの送られてきてもちらっと見るか見ないかして捨てられてしまいます。良い(面白い)仕事ではありません」。

顔を見た時からこちらも一言も口を利きたくないタイプでしたが、それも自分の偏見かもしれないと思い直し、我慢して何とか一緒に仕事ができないものかと可能性を追求していたつもりでしたが、その努力の挙句がこのケチ付けです。日本で亜鉛部品製造の会社にいた時も納入先の受入れ検査担当の20才前の女の子に惨々な文句を聞かされたことがありました。しかしその時は怒られても仕方のない製品を納入していたので「口の利き方気を付けろよナー」と思いつつも立場上は甘んじるしかありませんでした。

とにかく理由にならないような理由をまくし立てることが好きな風土のようです。失敗すれば、「まだ慣れていないので、それに初めからちゃんと教えてくれませんでした」。分らないことは聞いてください、と言っても聞いてくるのは分り切ったことばかり。自分には向いてないので働きません、とは言わず、あなたの仕事の仕方が間違ってるので働きませんと言いたいようです。

先週から新しく二人働いてもらってますが、どうにもなりません。一人は履歴書ではフエ大学の情報処理卒の男子。一週間経ってもプログラムは一行も書けません。前任者の書いたプログラムソースを見ている振りだけで、目を離すと関係のない画像ファイルをあちこち開いて暇つぶし。毎日遅刻するくせに5時にはきっかり帰り、我慢できないのはトイレの便座に小便を振りかけたまま放置してくれることです。「トイレを汚したら自分で掃除してください」ってベトナム語でどう言うのかは知りません。多少言い回しには心当たりがありますが、それを口にするのも馬鹿馬鹿しく気力が失せます。


会計

2007-08-26 09:31:13 | 仕事
先週から知り合いに頼まれて一人雇いました。高卒で就職すれば良いものを中途半端な2年制の会計のtrung cấp(中級過程)などに行くものだから却って就職口がないようです。グイ・ラオ・ドン紙の求職欄でもよく見掛ける経歴です。昨日の新聞には食品工業短大(Trường CĐ Công nghiệp Thực phẩm TPHCM)が、9年間にわたり偽の履修書類(hồ sơ đào tạo giả,)を発行し続けていたことが取上げられてました。
CHUYỆN KHÓ TIN TRONG ĐÀO TẠO (信じ難い履修内容)
教育内容の杜撰さはそんな記事が出るまでもないとも思うのですが。

特に酷いのが「会計」を勉強したという新卒で、卒業証書があることで何かしらの技能を本人が身に付けていると錯覚しているから最悪です。それだけに会計の新卒は勘弁して貰いたいところでしたが、こちらは電話番も居ない状況ですから贅沢は言ってられません。またまたFAXの送受信や電話の応対、銀行送金の手続きやら付加価値税の申告等々を一から教えることになりました。自転車で片道45分掛けて通い、携帯電話も使ったことのない今時のサイゴンでは珍しいタイプの女の子です。

何しろ就職先がなかっただけのことはあって、同じことを何度も言わねばなりません。僕の下手糞なベトナム語を理解できるような勘の良さとは無縁ですから彼女も大変なのでしょうけど、こちらもだいぶ疲れて来ました。それでいて彼女も慣れるに従い手抜きを始めます。こちらは仕事の仕方を教えてるつもりでも相手は文句を付けられてるとしか受け止められない様子。不貞腐れて「知らない」と答えるので「それじゃぁ仕事にならないんだよ」「知らないのならそれまで(Không biết thì thôi)」と突き放してしまいました。

何度となく繰り返してきたパターンです。向こうから謝って来るわけないのに。彼女が出て行った後「再たやってしまった・・・」としばし呆然。月曜日から無断欠勤を続けたT君も前日「辞めます」と言いに来たばかり。また明日から一人でどうしよう。再び頭を抱えることになったわけですが、諦めるしかありません。それでいて身体が軽くなった気がして来ました。この解放感は何なのでしょう。

ところが、土曜日の朝事務所に着くと既にシャッターが開いてます。「あれっ」と驚くと彼女が出てきて「昨日はスイマセン、私が悪かったです」と、か細い声。これで気が軽くなったのか重くなったのかは微妙なところです。



電話番もできない自分

2007-07-24 21:14:51 | 仕事
試験シーズンも終わり、こちらの仕事も7月は一段落のはず。人を慌てて雇ってもまた同じ繰り返しだからと思っているうちに、とうとう昨日きょうは事務所で一人で過ごす羽目になってしまいました。ところがやはり顧客からの電話が入ってしまい、相手は僕のベトナム語を聞き取れない様子。ベトナム語をまともに話せない人間には用がない、とでも言いたいのか、会社名すら名乗りもせず途中で電話をプツンと切られてしまいました。こういう人が自分のところのスタッフでなくて良かった、とは思いましたが、こちらから注文を断るわけにもいかず、対応しなければなりません。

仕方なく、またロアンさんの携帯に電話して2.3日一人貸してくれるように頼みました。1区で2時に会う約束をし、その前にレ・タン・トン通りで5ドルの昼食を食べました。胃の調子が相変わらずで、昨夜はお粥を作って食べたわけですが、何となく寿司飯が消化に良さそうな気がしたので寿司ランチを注文すると、側に居たKさんに「お前、ナニ見栄張ってるんだよ。ご飯と味噌汁だけなら只で食えるのに。尤もまだ、それを注文した客は一人もいないけどな・・・」と先制攻撃をくらったので「この寿司飯少し硬いんじゃないの。30分前に握った寿司みたい」と正直に感想を申し上げて来ました。

板長のTが姿を見せたので結婚式の日取りなどを訊くと、「何人で来るのか」と問うので「披露宴で寿司の屋台が出るなら大量参加になるぜ」と答えると「日本人のテーブルだけ和食を出しましょうか?」と真に受けたかの返事が返って来ました。しかし新郎が披露宴で寿司を握るわけにもいかないでしょうし、サイゴンの普通の披露宴会場で和食の対応は無理のようです。

約束の2時に店に着いてもロアンさんの姿はなく、電話をしてもらうと「今向かってる途中」だとか。しかし30分ほど待たさて、着くや否や「3時だと思ってました」。「何で一々言い訳をするんだろう、ロアンさんが2時に店に来るというからその時間に合わせたのに」とは思いましたが、無理を頼む立場ですからそんなことは言えません。それにしてもこの社会の「言い訳」の多さは一体何故なのでしょう。言い訳をすれば済んでしまうことが多いからなのか、それとも相手が僕だから言い訳をして誤魔化そうとするのでしょうか。最近は、どうも後者のような気がしています。

とにかく、きょう明日中に片付けねばならない仕事ができたので、「じゃ今から借りるから」と、姪のTさんを連れて事務所に戻りました。何の仕事をするのかも分からないのでTさんの表情は少々硬めでしたが、普段ロアンさんの仕事の手伝いをしているためか、ハノイへの電話の応対なども無難にこなせて一安心。またもや何とか窮地を凌げそうです。