男の料理教室へ行った。
白身魚の羽二重蒸し
材料:たら,しいたけ、しめじ、焼き豆腐、餅、ねぎ,青菜、生姜、だし汁、みりん、濃口醤油、片栗粉
豚ばら肉のごぼう巻き
材料:ごぼう、豚ばら肉、ねぎ、生姜、にんにく、だし汁、濃口醤油、みりん、料理酒、砂糖、塩
作って満足 食べて満足
ボクが1年生の時の国語の教科書の最初のページには「アカイ アカイ アサヒ アサヒ」と片仮名で書いてあった。当時の1年生の教科書は片仮名である。平仮名は1年生の終わり頃に教わった。2年生の教科書は平仮名である。
1年生の時、先生が「ひらがなを覚えると新聞が読めるようになるよ」と教えてくれたことが思い出される。もう70年程前のことなのに印象深かったのだろうか。
当時は紙不足のため、教科書以外の読み物といえば新聞程度だった。2年生になったボクは新聞に○○と伏字になった記事を目にすることがあった。姉は当時の新聞は「南方○○方面で大規模な戦闘あり」というような記事であったという。ボクは「○○山で ---- 」という記事を見つけた。父は新聞を読みながら○○山とは函館山のことだと母に話しているのを、ボクは側で聞いていた。ボクは新聞が○○と伏字になっているのはスパイ対策だと子供たちの話から知っていたから、不思議には思わなかった。
時の政府は戦争に関することを秘密にし、国民へ正しい情報を伝えなかった。青函連絡船12隻が米機の爆撃で全滅しても全く報道しなかったのだ。また、青森の街が焼夷弾で焼け野原になり、1,767名もの死傷者が出たのに、新聞は「ところどころで火災発生」と報道するだけだったのだ。戦争の状況は秘密にされ、国民は戦争が悲惨な状態になっていることに目隠しされていたのだ。
昭和19年、沖縄の学童疎開船がアメリカの潜水艦に攻撃され、1,484人もの命が奪わられても報道しなかったばかりか、生き残りの子供たちへ誰にも話さないようにと、かん口令を敷いたとのことである。大本営は日本軍の敗北を報道せず、嘘か本当か敵軍に大打撃を与えたようなことを新聞に書かせていたのだ。あたかも日本軍が勝っているように見せかけていたのだ。
当時の秘密保護法で、新聞報道は制限され、○○○○と伏字が使われていたのだ。これでは真相を知ることができない。
これを皮肉った歌が子供たちの間で流行った。作者は大人であろう。検閲にかからないように、巧みに作詞された歌である。この歌をボクは面白がって、何度も歌っていた。
♪おれはマルマルマル等兵 マルマル部隊の人気者
今じゃマルマル方面で マルマル任務にご奉公
♪おれが生まれたその時は マルマル太った赤ん坊
でんでん太鼓もまんマルで 産湯のたらいもマルかった
※ネットで当時の新聞を検索したら、○○の記事が見つかったので紹介する。金属のなかった戦時中に秋田県の工場では木製の自転車を作ったが、その生産台数は軍事秘密とされ、年産○○万台の予定と報道された。
http://blog.livedoor.jp/nobo_wata/archives/15657073.html
豪雪の日、今日は外出しないことにしたのだが?
停電になった。FFストーブが消えた。ガスも作動しない。
雪の中、灯油ストーブを買うに出かけた。わだちにタイヤが取られ、思うように運転できない。
信号機が作動しないから危険だ。
やっとのことで、ホームセンターへたどり着き、ストーブを買った直後に品切れ。まずは安心。
夜になっても電気がこない。 電気釜が使えない。
やむを得ず、灯油ストーブに土鍋を載せてご飯を炊く。
味噌汁もストーブで作る。
蝋燭の明かりで食事する。
いつもなら、俺と女房は別々の部屋で別々の趣味を楽しんでいるのだが、やむを得ず、やむを得ず、一日中同じ部屋で過ごすことになってしまったのだ。
まだまだ、停電が続く。
黙って蝋燭の炎を見つめる。
女房と話すことは特にない。
50年間も話してきたから、話題は尽きたという訳ではない。
別の事情から話さないように努めているのだ。
最近、女房と会話していると、言い間違いだとか、聞き間違いだとか言って、トラブルになることがあるからだ。
だから、余計なことは言わず、女房が何か言ったら、どうでもよいから相づちを打っていれば、平和が保てるのだ。
エコクラフトで金魚を作った。
手芸の先生から金魚を教わりながら作った。
巾15ミリほどの硬い紅白のテープ2本で編み上げるのだ。
まあ、うまく出来たようだ。
家へ帰って、女房からエコクラフトを貰って作ろうとしたが、とても難しくて出来なかった。
簡単に作れないんだなあ。
ネットで作り方を調べたが編み方がよく分からない。
金魚の作り方
http://d.hatena.ne.jp/nonishi/20110220/1298180379
女房とステラおばさんのカフェへ行った。
俺はクッキーとコーヒーのセットを注文した。
女房はアメリカンワッフルとコーヒーのセットにした。
ワッフルにはバターとメープルシロップが添えられている。
クッキーセットは 599円、 ワッフルは 788円である。
そこで、数学の問題です。
( )の中へ不等号記号 > or < を入れよ。
①俺が食べたのはクッキー4枚半である。
女房はワッフル、バター、メイプルシロップと
クッキー半分である。
そこで、どちらがカロリーを多くとったか問う。
俺 ( ) 女房
②食べた物の値段について問う。
俺 ( ) 女房
③俺と女房の身長を不等号記号で示せば次のとおりである。
俺 ( > ) 女房
俺の体重は χ kg , 女房は у kg である。
そこで問う。俺と女房の体重関係を不等号記号で示せ。
俺 ( ) 女房
(ヒント)次のURAを参考にせよ。
http://blog.goo.ne.jp/suketsune/e/edf72aca7e4957221110f94976693b4c#comment-list
(注意)
問題によっては正直に答えない方が身のためであるので、充分に気をつけよ。
灯火管制電球
URL http://www003.upp.so-net.ne.jp/kataritsugu/photolibrary/bulb.htm
夜、光が家の外に漏れると敵機に見つかるから、板張りの雨戸を閉めて光が外に漏れないようにしていた。周りを光が拡散しないように青く塗り、下の方だけが透明ガラスになっている電球を使っていた。電灯の笠は乳白色をした大きなお皿のような形をしていた。この笠に、さらに風呂敷のような布を掛けて、光が外に漏れないようにするのだ。明るいところは電灯の真下だけである。
この、わずかな明かりの下に家族が集まっていたとき、外から「明かり見えるぞー」と声が聞こえた。夜になると高学年の子供たちが、光が外に漏れていないか近所を巡視するのだ。光が漏れていると、「明かり見えるぞー」と叫ぶのだ。明かりが外に漏れないように充分気を付けているのだが、わずかに光が漏れていたのだろう。
ときどき、夜中に偵察機が飛んできたが、エンジン音が遠いときは避難せずに待機していた。敵機が飛んでいても爆撃の恐れがないときは防空壕に避難せず、家の中にいたのだ。
夜中に空襲だと母に起こされた。枕元に畳んである洋服を素早く身につけて防空壕に飛び込んだ。防空壕に飛び込んだのはボクだけのようだった。防空壕の中は真っ暗で一寸先も見えない。耳元で蚊の羽音が聞こえる。しばらく我慢していたが敵機のエンジン音は遠く、しかも1機か2機のようなので、家に戻った。電灯の下に父母が座っていた。と、間もなく、雨戸の隙間から鋭い光が差し込んできた。「照明弾だ」と父が言った。母は照明弾で火事になるかも知れないと心配していた。
いつ空襲があるか分からないのでラジオは点けたままにしていた。空襲や警戒警報をラジオでいち早く知ることができた。緊急放送はベルを鳴らしてから行なわれるのだ。ラジオからジーンとベルの音が聞こえた。「照明弾落下」とラジオが知らせる。敵機は照明弾を落下傘で落とし、周囲を明るく照らして偵察するのだ。
偵察機は照明弾の強烈な光で街や港の連絡船の様子などを撮影して行くのだろう。夜間に飛来する偵察機を高射砲で撃つために、敵機を照らす照明灯の話は函館で聞いたことはなかった。だから敵機はゆうゆうと飛行していたのだ。あの連絡船が全滅した前夜も、照明弾で連絡船の位置を偵察していたのではなかろうか。
夜間は偵察飛行をし、状況を調べてから、空襲していたのだろう。
UHOの正体は照明弾・2014年1月23日沖縄(動画)
(ボクの見た照明弾は照明時間が短かった)
http://www.j-cast.com/tv/2014/01/29195370.html
2月7日(金)
宇都宮へ出かけた帰りの電車で、今どき珍しい男子高校生に出会った。
俺が腰かけている前に、丸刈り頭の高校生が立ったまま勉強しているのだ。
片手に本を持ち、ボールペンで何か書き込んでいる。チラッとのぞいてみたら、世界史の問題集だ。答えを書いては解答書と見比べている。
目は本から離れることはない。一心に問題の解答を書き込んでいる彼には、電車の揺れは関係ないようだ。
近くの座席が空いた。彼は足元のバックを片手で引きずりながら席に着いたが、その間も本から目を離さないのだ。
驚いたなあ。感心だなあ。
俺が今まで電車で出会った高校生はスマホで遊んでいる子が多かった。年寄りが立っているのに、シルバーシートに平気で座ってスマホに夢中になっている高校生を見て不快であった。
しかし、今夜出会った高校生は向学心に燃え、寸暇を惜しんで勉強しているのだ。
この高校生の将来が楽しみだなあ。
ボクは函館空襲の後、父に連れられて秋田の親戚の家に預けられた。
疎開先の秋田の家では少し前まで馬を飼っていたが、叔父が亡くなったので手放していた。馬小屋は家の中にあり、その前は広い土間になっていて農作業ができるようになっていた。外には馬小屋から出る肥やしを積み上げておく所があった。土地の人たちはコンヅゲと呼んでいたのだが疎開したばかりなので、その呼び方を知らなかった。コンヅゲとは肥塚の訛りではないかと思う。北海道の町で育ったボクは初めて見たものであり、汚いものが積み上げられているから、ボクはここをゴミ捨て場と思っていたのだ。
疎開したばかりのころ、祖母が割れた茶碗を“サド”へ捨ててくるようにと、ボクに言いつけた。“サド”というのは近くの川のことだったがボクは知らなかった。このとき、ボクはこのゴミ捨て場を“サド”と呼ぶものと思ったのだ。
ボクは割れた茶碗を馬小屋の前の汚い藁などがある所へ捨てた。それを見た祖母は 「なぜサドに捨ててこないのか!!」と怒鳴った。ボクはかけらをゴミ捨て場に捨ててきたのに、なぜ叱られるのか理解できない。次々に聞いたこともない言葉で怒鳴るのだ。意味がわからないから、ボクは茶碗のかけらをコンヅゲから拾わなかった。そのため、さらに叱られるのだ。
なぜ叱られるのか分からず、怒鳴られながら泣いているボクを叔母がなだめに来た。「百姓は裸足で田んぼに入るから、瀬戸物のかけらをコンヅゲに捨ててはだめだ」と説明するのだが、ボクは田植えや稲刈りの様子を見たことがないばかりか、北海道では“田んぼ”そのものを見たことがなかった。まして、ゴミ捨て場と思っていたコンヅゲに積み上げられたものが、肥料であることを理解することは出来なかったのだ。
秋田の家では、モノサシを“サシ”と言っていた。囲炉裏の側を通り過ぎようとしたとき、祖母が「サシくべろ」と言った。ボクはモノサシを持ってきて囲炉裏の前に立った。なぜモノサシを火にくべなければならないのだろうと立ちつくした。「サシくべろったら、サシくべろ!!」と怒鳴られても、ボクはモノサシを火にくべるのはおかしいと思って、火を見つめながら黙って立っていた。囲炉裏の薪が燃えて中ほどが赤いおきになり、燃え残りの薪が炉の灰に横たわっている。
祖母はボクを怒鳴りながら薪を中央へ押した。「サシくべろ」とは薪を囲炉裏の中央へ差し込むようにすることなのだということをこのとき知った。
このように、言葉の意味が分からず意思が通じないため、ボクは大人の言うことを素直に聞かない子だと思われるようになってしまった。
2年生のボクは薪を運んだり、馬小屋の前の土間を掃く手伝いなどをしていた。箒は雑木の小枝をまとめて作ったものである。その形は竹箒の柄を根元から切り落とした枝先の部分だけの形のようなものである。北海道の鉄道官舎では畳一枚に満たないコンクリートの玄関をシュロ箒で掃くお手伝いをしていたが、秋田では勝手が違った。その箒で掃くときは腰をかがめて箒を斜めにし、右から左へと弧を描くようにして使うのだ。
この土地の子供たちは、このような仕事を普通に行なっていただろうが、ボクは急激な環境の変化の中で、お手伝いをすることが多くなったから、休むことができないように感じていた。近所のお婆さんがボクに声をかけた。「ヤスメラレナイカ?」と尋ねたのである。ボクは家での仕事がたくさんあるから 「休むことができない」という意味で、相手の語呂にあわせて、「ヤスメラレナイ」と答えた。するとお婆さんは「良かった、良かった」と言うのだ。どこが良いのだろうとボクは怪訝に思った。
「ヤスメラレナイカ」というのは、いじめられていないかという意味なのだ。
疎開者いじめがあった。ボクもいじめられていた。お婆さんはボクがいじめられているのではないかと心配で「いじめられていないか?」を土地の言葉で「ヤスメラレナイカ?」と声をかけたのだ。ボクの答えた「ヤスメラレナイ」は休むことができないという意味ではなく、土地の言葉で「いじめられていません」ということだったのだ。ボクはいじめられているのに、お婆さんは、いじめられていないから良かったと受け止めていたのだ。
方言が分からないので、相手と意思が通じない。まるで言語の異なる外国で暮らすような様子だったろう。
言葉だけではなく、数字の読み方も違っていた。ボクが数字を読むと、発音がおかしいとからかうのだ。ボクの数字の読み方がおかしいからと“正しい発音”を教えてくれる子がいた。真似をしてみろというのだが、ボクは拒んだ。
その子は得意になって“正しい発音”で数字を読んだ。
100(ヘーグ)、101(ヘグイヅ)、102(ヘグヌィ)、103(ヘグサン)、 104(ヘグスー)、 105(ヘグゴ)、 106(ヘグログ)、 107(ヘグスヅ)、 108(ヘグハヅ)、 109(ヘグク)、 110(ヘグヅー)
リンク⇓ 《ボクの見た戦中戦後》
http://blog.goo.ne.jp/suketsune/c/50ec25a89de726ff074b8a7101a6833f
2月3日(月)今日は節分です。
ロウバイの花が開きました。
蜂が飛んできました。
花の蜜を吸っています。
フクジュソウの花も咲き始めました。もうすぐ春です。
板橋区役所前の 北村西望作 平和祈念像
板橋区のホテルに泊まった翌日、区役所の前で長崎の平和祈念像が立っているような銅像を見た。
作者を見ると、なんと北村西望ではないか。
長崎の平和祈念像の作者である。 長崎は坐像だがこれは立像である。
制作した昭和62年2月は西望 102歳、 他界の1か月前ではないか。
長崎平和公園・平和祈念像
元URL http://isidatami.sakura.ne.jp/heiwa2.html
高橋由一の絵画展が栃木県立美術館で開かれた。
私は中学か高校の教科書に載っていた、由一の鮭の絵の本物を見ようと出かけた。
荒縄で吊るされた鮭の絵だ。
由一の鮭の絵は小骨一本一本、うろこ一枚一枚が本物そっくりに描かれている。荒縄のけばたったところの描写にも目がうばわれた。
帰りのバスで小学4年生位の女の子が席を譲ってくれた。
感心な子だなあ。この子も婆さんになったら、子供たちが、きっと席を譲ってくれるよ。