ギックリ腰日記(2)
7月4日(月)
☆ギックリ腰は今までに何度も経験したが、今度のは、今までで一番ひどいようだ。
女房に手伝ってもらって、ベッドから身体を起こす。
座るだけで腰に激痛が走る。
左右、二本の杖に、しがみつきながら立ち上がる。
自分の身体を支えるのにこんなに苦労するのか。
左右の杖に身体を支えながら、ゆっくりと、一歩一歩、歩くのが精いっぱいだ。
☆女房に頼んで、社会福祉協会から、車椅子を借りてきてもらった。
車椅子の前方をベッドの横につける。
ベッドから二本の杖に力を入れて立ち上がり、身体の向きを変えて車椅子へ座る。
そして、足先をフットサポートに乗せようとするが、足が上がらない。
腰がやられると、足先さえ上げることが出来なくなるのだ。
女房に手伝ってもらって、足をフットサポートに乗せてもらった。
車椅子のハンドリムを回しながら前進、後退、回転の練習をした。
これは簡単に出来た。
寝室から台所を通り、廊下に出て、トイレに向かった。
車椅子を操作してドアを自分で開けた。
前進すると、トイレの便器に突き当たる。
車椅子全体がトイレに収まった。
しかし、自動で開くはずの便座の蓋が開かない。
車椅子の肘掛けを両腕で支えながら立ち上がる。
すると、センサーに反応して蓋が開いた。
低姿勢だと、センサーが反応しないのだ。
☆便座から立ち上がろうとしても、立つことが出来ない。
身体障がい者用のトイレにあるような、手すりを付けておけばよかったと反省。
立ち上がることが出来ないので、しばし、考える。
思い切って、前にある車椅子に倒れ込むようにして肘掛けをつかんだ。
そして、立ち上がった。
もし、ブレーキをかけておかなかったら、転んでいたはずだ。
☆女房のクルマで外科医へ行った。
診察していただいたら、特に治療することはないという。
ただ、シップで冷やして、一日に2回、痛め止めの薬を飲むだけである。
立ち上がると、左膝が痛い。
身体を支えるのに負担がかかったのか?
レントゲンを撮ると、変形性膝関節症になっているが、軽いので治療の必要はないとのこと。
☆歩けない身体になって、ふと、戦時中のことが浮かんだ。
中学校の時、戦地から復員してきた先生から、大砲を分解して行軍した話を聞いた。
余りの重さに苦痛だったこと。
俺は若いころから腰が弱かったから、大砲などを、担がされたら、腰が砕けたろうと思う。
ギックリ腰で歩けなくなり、仲間の兵隊たちに、おいていかれたろうなあ。
それに、先日、テレビでインパール作戦に従軍して、生き残った元兵隊から、白骨街道の話を聞いた。
命令を受けて前進するも、食料不足と病気のため、兵は次々と倒れていく。
歩けなくなった兵隊は置きざれにされ、捕虜になる前に自決せよと上官に命令され、自決用の手榴弾を渡される。
重い大砲などの武器や、食料を担がされ、ギックリ腰になった兵隊もいた事だろう。
やがて、作戦に失敗し、後退する兵隊たちの足元には、白骨が散らばっていたという。
生き残りの兵隊たちは、この道を白骨街道と呼んだそうだ。
☆もし、戦時中に、俺に赤紙が来ていたとしたら、戦う前に、ギックリ腰で捨てられていたろうなあ。
あれから70年、日本が戦争に巻き込まれなくてよかったなあ。
世界中が平和になりますようにと、ギックリ腰の俺の願いだ。
☆テレビでは選挙のことが放映されている。
戦争を知らない政治家が戦争を論じている。
☆戦争を起こさない国になることを願う。