夢職で 高貴高齢者の 叫び

          

恐竜展に怖くて入れない子

2017年07月21日 | 博物館・資料館

     恐竜展に怖くて入れない子

 那須野が原博物館へ恐竜展を見に行った。

巨大な恐竜の骨格の展示は迫力がある。

館内は大勢の親子連れで賑わっていた。

子供たちは恐竜を観察したり、スマホで撮ったりなどして楽しんでいる。

ほとんどの子供たちが満足そうにしている様子がうかがわれた。

 恐竜の展示している部屋とは別の所で、母親と来た5歳ぐらいの男の子が、しょんぼりとしている。

手には恐竜の絵カードをしっかりと握っている。

他の子と様子が違うので気になり、声を掛けてみた。

 すると、黙っている子供に代わって、母親が話してくれた。

 恐竜が好きなので連れてきたけれど、怖くて見ることが出来ないとのことだ。

子供は恐竜の絵カードを集めて楽しんでいたが、骨格だけの巨大な恐竜に恐れたようである。

絵カードからは、全長13メートルもあるタルボサウルスを想像することはできない。

しかも、骨格だけでは、絵カードの恐竜とはまるで違う。

せっかく楽しみに来た恐竜展だが、見ることが出来ないのだ。

 

 我々が、昔の美男美女の骸骨が並んでいる所に出あたら、恐れるのと同じことだ。


那須与一 伝承館

2017年06月15日 | 博物館・資料館

  那須与一伝承館(道の駅・那須与一の郷)

 

今日、6月15日は栃木県民の日。

県民の日は公共施設で無料の所がある。

那須与一伝承館は無料。 無料だから入館。

 

最初に扇の的劇場へ。

スクリーンへ映し出されたのは琵琶法師。

琵琶を奏でながら謳う。

《祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。

沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。

おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。》

 

那須与一が扇の的へ向かって弓を引き、鏑矢を放つ。

海に舞い落ちる日の丸の扇。

琵琶法師は語る。 「波間に落ちる扇は平家滅亡を暗示する」と。

波間に漂う赤い幟。 平家は哀れ。

法師は謳う。

《たけき者も遂にはほろびぬ、ひとえに風の前の塵に同じ。》

ベンベンベンと琵琶を鳴らして、幕となる。

 

展示室へ移る。

国の重要文化財、与一の太刀(複製)を観る。

本物は厳重に資料室へ保管してあるとのこと。

そりの大きい太刀だ。

馬上から片手で振り回し、敵の鎧の隙間を狙い、叩き切るという。

以前、機会があって太刀を持たせてもらったことがある。

ずいぶん重いものだ。

片手で振り回すには相当な体力がいる。

 

鎧兜は文献に沿って復元したものだ。

美しい形と色合い。 美術品のような武具だ。

 

屋島合戦図を観る。

美しく着飾った平家の女性が日の丸の扇を舳先に立て、射ってみよと挑発する。

射落とさんと波間に馬を進め、弓を引く与一。

 

しばし、源平時代の思いにふける。

 

 


広重と行く東海道の旅 馬頭広重美術館

2017年06月12日 | 博物館・資料館

 

 

那珂川町馬頭広重美術館の“広重と行く東海道の旅”の特別展を観た。

歌川広重の東海道五拾三次の浮世絵が並んでいる。

傑作は “東海道五拾三次之内 御油 旅人留女”

がっしりした体格のとめ女が旅人の荷物や袖を強引に引っ張り、自分の旅籠へ泊めようとする浮世絵。

旅人は逃れようとするが、留女の腕力には勝てず、悲鳴をあげている様子。

絵の右側には旅籠があり、旅人が足を洗ってもらっている様子が描かれている。

 十返舎一九の滑稽本“東海道中膝栗毛”の弥次さん喜多さんの物語が浮世絵に添えられて面白い。

 

全体図URL:http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1309881

 

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数年前まで、シニアは無料だったが、今は有料。

入場料は700円、シニア割引はない。二人で1,400円

 


親子でクリスマスリース作り

2014年12月14日 | 博物館・資料館

            12月14日(日)

博物館で、クリスマスリースを親子で作る催しがあった。

いつもの広い部屋は、選挙の投票所になったため、使えない。

そこで、小さな部屋とロビーの一部に分かれて、行うことにした。

俺は親子でクリスマスリースを作る世話役である。

狭いところだが、特に支障なく作業できた。

リースを作りながら、男の子がサンタさんへ手紙を書いたと、そっと教えてくれた。

夢があっていいなあ。

親子で作ったクリスマスリースです。

 


昭和時代~くらしと学び舎~

2014年10月17日 | 博物館・資料館

 

さくら市ミュージアムで《昭和時代~くらしと学び舎~》の展示が行われている。

先日、ここでスバル360を見学した際、昭和時代の家庭や学校の様子の展示物も見学した。私は当時を偲びながら展示された品々を見た。

 

***昭和30年代の居間***

>丸いちゃぶ台を囲んで食事 ⇒ちゃぶ台は一枚板なので大木が必要。

>その左わき木製の御ひつ

>ステレオ ⇒LP盤やドーナッツ盤のレコードを聴いた。

>丸型の白黒テレビ ⇒使用しないときはブラウン管を布で覆った。また、テレビを箱に納め、見る時だけ、観音開きの扉を開けるものもあった。

>戸棚の上にはラジオ ⇒このころのラジオは大型真空管からミニュチュア管に替わり、外函は合成樹脂が使われるようになった。

>振り子時計 ⇒ゼンマイ式から電池式へ

>置き薬の木箱 ⇒富山の薬業者が置いていく薬を一年後に使用したものの代金を支払った。

 

***生活道具(昭和30年代以前)***

>イモ洗いの道具、桶、たらい、水桶、羽釜、井戸のポンプ、炭火アイロン、ランプ、やぐらこたつetc.

 

***学校の様子***

>二人用の机、教卓、足踏み式オルガン、温度計など。

>写真はそろばんと給食の様子 ⇒昭和30年ころの給食はコッペパンと脱脂粉乳がメインで、おかずとしてクジラの竜田揚げなど質素なものであった。アルミの食器と先割れスプーンを使用した。

 《展示は11月9日まで》

※離れた位置からの撮影とブログ掲載の承諾済み=2014-10-11=

     ⇓ お
     ⇓ ま
     ⇓ け

ランチタイムは京風のレストランで 押し寿司。

さらに、湯葉うどんを追加。一人で二人前を食す。

優雅な気分にひたる。

*クリックで拡大   

 


クラシックカー スバル360

2014年10月14日 | 博物館・資料館

 


さくら市ミュージアムで「スバル360」の展示をしているので出かけた。
幸い撮影は自由とのことなのでデジカメに記録した。
スバル360は昭和33(1958)年から昭和45(1970)年までの12年間に生産された大衆車である。

 


   てんとう虫の愛称で呼ばれた

 


   まん丸いライト

 


   サイドミラー

 


   蓋を開けて外気を室内へ入れる

 


   スペアタイヤはフロントのトランクへ収納

 


    左フロントにぶつけた痕
   
物にぶつけてボデイがくぼむと裏から拳で叩いて直した

 


   初期のワイパーは中央に1本、 後期は左右に2本

 

     


     給油口  ガソリンタンクはエンジンの真上

 


   エンジンは後ろ  すのこ状の穴から熱を逃がす

 

 
     リアサイドから外気をエンジンルームへ送る

 

 
     ドアのチョウツガイは外側




     タイヤの陰にブレーキホースが見える
 

 


     天井を囲むゴム製の帯に貼り付けた金属の帯はカーラジオのアンテナ
 

 

 私は昭和40(1965)年にスバル360の中古車を譲り受けた。1960年初めのクルマであったと思う。
その後、新車を購入したのでスバル360は2台乗った。
馬力は小さいが悪天候でも風雨にさらされることなく通勤できたので重宝したものである。あの頃はマイカーブームの始まりであった。

 

 展示されているクルマはスバルの後期のものと思われる。私が最初に乗った中古車とは違いがある。
例えば後期の窓はドアのハンドルで上下に開閉するが、初期のものは戸棚のガラス戸のように2枚のガラスを左右にスライドさせたものであった。
また初期のワイパーは中央に一つだけであった。
初期のものには燃料計がなく、給油口にオイルゲージのような棒を差し込んで燃料の残量を調べながら走行した。途中で燃料が切れたことがあったが、予備コックを開いてガソリンスタンドまでたどり着いたことがあった。後期のクルマに乗り換えたときは燃料計があったので便利さを感じたものである。
初期のクルマの燃料はガソリン25:オイル1の混合燃料を入れた。後期のものはガソリンはガソリンタンクへ、オイルはエンジンルームの別タンクに入れ、自動的にガソリンとオイルが混合出来るようになっていた。

 

 走行中にデストリビューターの接点が焼けて調子が悪くなることがあり、接点をやすりで磨いたり、また、プラグが煤で汚れて調子が悪くなると、路上でプラグを取り外して煤を取り除いて整備しながら乗ったものである。デストリビューターやプラグの電極の隙間を調整するゲージが標準工具として供えられていたのだから、今の感覚では考えられない。

 

 エンジンは空冷2気筒でオートバイのエンジンと似ていた。簡単なので素人でも分かるような構造であった。

 

     映画“三丁目の夕日”で活躍する“ダイハツミゼット”も展示されている。

     現在も活用しているオート三輪とのことである。

 

 

      (この催しは11月9日まで行なわれている)

   リンク:昭和37年型スバル360セダンのカタログ紹介 

   http://www.asahi-net.or.jp/~rf7k-inue/izen/no-3/subaru/subaru.html#su-siyo

  


新島襄・自責の杖事件

2013年08月25日 | 博物館・資料館

新島襄 自責の杖事件

群馬県安中市の新島襄旧宅を見学した。

俺は新島襄の教育姿勢に胸を打たれた。

新島は、「生徒の起こした学園紛争は校長たる自分の責任である。よって校長を罰する」と言って、自分の掌を杖で強打したという。

2013-08-23 資料撮影およびブログ掲載承諾済