夢職で 高貴高齢者の 叫び

          

秘密保護・新聞は伏字○○○○*ボクの見た戦中戦後(22)

2014年02月21日 | ボクの見た戦中戦後

ボクが1年生の時の国語の教科書の最初のページには「アカイ アカイ アサヒ アサヒ」と片仮名で書いてあった。当時の1年生の教科書は片仮名である。平仮名は1年生の終わり頃に教わった。2年生の教科書は平仮名である。

1年生の時、先生が「ひらがなを覚えると新聞が読めるようになるよ」と教えてくれたことが思い出される。もう70年程前のことなのに印象深かったのだろうか。

当時は紙不足のため、教科書以外の読み物といえば新聞程度だった。2年生になったボクは新聞に○○と伏字になった記事を目にすることがあった。姉は当時の新聞は「南方○○方面で大規模な戦闘あり」というような記事であったという。ボクは「○○山で ---- 」という記事を見つけた。父は新聞を読みながら○○山とは函館山のことだと母に話しているのを、ボクは側で聞いていた。ボクは新聞が○○と伏字になっているのはスパイ対策だと子供たちの話から知っていたから、不思議には思わなかった。

時の政府は戦争に関することを秘密にし、国民へ正しい情報を伝えなかった。青函連絡船12隻が米機の爆撃で全滅しても全く報道しなかったのだ。また、青森の街が焼夷弾で焼け野原になり、1,767名もの死傷者が出たのに、新聞は「ところどころで火災発生」と報道するだけだったのだ。戦争の状況は秘密にされ、国民は戦争が悲惨な状態になっていることに目隠しされていたのだ。

昭和19年、沖縄の学童疎開船がアメリカの潜水艦に攻撃され、1,484人もの命が奪わられても報道しなかったばかりか、生き残りの子供たちへ誰にも話さないようにと、かん口令を敷いたとのことである。大本営は日本軍の敗北を報道せず、嘘か本当か敵軍に大打撃を与えたようなことを新聞に書かせていたのだ。あたかも日本軍が勝っているように見せかけていたのだ。

当時の秘密保護法で、新聞報道は制限され、○○○○と伏字が使われていたのだ。これでは真相を知ることができない。

これを皮肉った歌が子供たちの間で流行った。作者は大人であろう。検閲にかからないように、巧みに作詞された歌である。この歌をボクは面白がって、何度も歌っていた。

 

 ♪おれはマルマルマル等兵 マルマル部隊の人気者 

  今じゃマルマル方面で マルマル任務にご奉公

 ♪おれが生まれたその時は マルマル太った赤ん坊

  でんでん太鼓もまんマルで 産湯のたらいもマルかった

 

※ネットで当時の新聞を検索したら、○○の記事が見つかったので紹介する。金属のなかった戦時中に秋田県の工場では木製の自転車を作ったが、その生産台数は軍事秘密とされ、年産○○万台の予定と報道された。

http://blog.livedoor.jp/nobo_wata/archives/15657073.html