灯火管制電球
URL http://www003.upp.so-net.ne.jp/kataritsugu/photolibrary/bulb.htm
夜、光が家の外に漏れると敵機に見つかるから、板張りの雨戸を閉めて光が外に漏れないようにしていた。周りを光が拡散しないように青く塗り、下の方だけが透明ガラスになっている電球を使っていた。電灯の笠は乳白色をした大きなお皿のような形をしていた。この笠に、さらに風呂敷のような布を掛けて、光が外に漏れないようにするのだ。明るいところは電灯の真下だけである。
この、わずかな明かりの下に家族が集まっていたとき、外から「明かり見えるぞー」と声が聞こえた。夜になると高学年の子供たちが、光が外に漏れていないか近所を巡視するのだ。光が漏れていると、「明かり見えるぞー」と叫ぶのだ。明かりが外に漏れないように充分気を付けているのだが、わずかに光が漏れていたのだろう。
ときどき、夜中に偵察機が飛んできたが、エンジン音が遠いときは避難せずに待機していた。敵機が飛んでいても爆撃の恐れがないときは防空壕に避難せず、家の中にいたのだ。
夜中に空襲だと母に起こされた。枕元に畳んである洋服を素早く身につけて防空壕に飛び込んだ。防空壕に飛び込んだのはボクだけのようだった。防空壕の中は真っ暗で一寸先も見えない。耳元で蚊の羽音が聞こえる。しばらく我慢していたが敵機のエンジン音は遠く、しかも1機か2機のようなので、家に戻った。電灯の下に父母が座っていた。と、間もなく、雨戸の隙間から鋭い光が差し込んできた。「照明弾だ」と父が言った。母は照明弾で火事になるかも知れないと心配していた。
いつ空襲があるか分からないのでラジオは点けたままにしていた。空襲や警戒警報をラジオでいち早く知ることができた。緊急放送はベルを鳴らしてから行なわれるのだ。ラジオからジーンとベルの音が聞こえた。「照明弾落下」とラジオが知らせる。敵機は照明弾を落下傘で落とし、周囲を明るく照らして偵察するのだ。
偵察機は照明弾の強烈な光で街や港の連絡船の様子などを撮影して行くのだろう。夜間に飛来する偵察機を高射砲で撃つために、敵機を照らす照明灯の話は函館で聞いたことはなかった。だから敵機はゆうゆうと飛行していたのだ。あの連絡船が全滅した前夜も、照明弾で連絡船の位置を偵察していたのではなかろうか。
夜間は偵察飛行をし、状況を調べてから、空襲していたのだろう。
UHOの正体は照明弾・2014年1月23日沖縄(動画)
(ボクの見た照明弾は照明時間が短かった)
http://www.j-cast.com/tv/2014/01/29195370.html
自分着てる物をたたんで枕元に置く
小さいころから父母の寝る前に良く
言われた事を思い出します、
今の人たちには平和が長く続いて
わからないでしょうね、
平和は良いのですが
照明弾のお話し。
その頃東京に住んでいた母から聞いたことがあります。
照明弾が落ちてくると、必ずと言ってよいくらいその後に爆撃があったそうです。
町内で空襲警報が発令される時にはもう、頭の上に敵機が来ていたそうです。
なんとも怖いお話しです。
私が子供の頃は、
必ず洋服は枕元に畳んで寝るように言われました。
戦争を体験してきた母だからこその教えだったのですね。
いつも貴重な体験談、ありがとうございます。
私は着る物を枕元へきちんと畳んできましたが、結婚してからは女房が世話をしてくれるようになったため、これに甘えて次第次第にだらしなくなり、洋服をあちこちに脱ぎ捨てるようになってしまいました。
しかし、今になって女房は私に自主性をもたせるためと称して、手抜きを始めましたので弱っています。