夢職で 高貴高齢者の 叫び

          

原発避難児童生徒のいじめ対策(疎開者いじめに遭ったボクからの提案)

2017年03月14日 | いじめ イジメ

2011年の3月11日、東日本大震災発生。

大地震 ⇒ 津波 ⇒ 家屋流失 ⇒ 被災者

 ⇒ 原子力発電所の崩壊 ⇒ 放射能汚染被害

  ⇒ 避難 ⇒ 転校 ⇒ いじめ ⇒ 自 殺

 

津波だけの被害は、復興に向かって進んでいる。

しかし、放射能汚染のため、立ち入り禁止区域あり。

放射能汚染が解決するのは何100年先のことか?

 

被災者たちに対する、学校でのいじめが続いているという。

住んでいた家を放射能で追われ、他県に避難してきた子供たちをかばうことなく、いじめるのは卑怯。

被災児童生徒に対するいじめは、最初から予想できたはずだ。

賢明な教師たちは被災児童生徒の受け入れと同時に、いじめ対策をおこなったことであろう。

しかし、教師たちの中には、被災児童生徒たちが転校してきたとき、当然起こるであろうクラスの子供たちの心の変化を読み取ることに努力せず、また、いじめ対策をおこなわず、いじめがあっても気がつかない者がいるとは情けない。

いかに教科指導に優れていると評価されている教師であっても、児童生徒の心理を理解することに努めない教師は優れた教師と言えない。

 

70年前、学校で同じようないじめが起きていた。

戦災で家を失い、親を亡くし、親戚に引き取られ、疎開してきた子供たちを地元の子供たちはいじめた。

私の家族は戦時中、函館に住んでいた。

たび重なる空襲。

ついには青函連絡船12隻全滅

しかし、当時の「秘密保護法」で連絡船沈没は秘密にされていた。

大本営は発表しなかった。

新聞にも載らなかった。

私の家の場合、父親は両親と末の二人の子供が犠牲になっても、年上の子供たち4人の命を助けようとして、臨時の連絡船として使われた砕氷船で秋田の親戚へ預けて函館へ戻った。

まもなく敗戦となり、空襲はなくなった。

しかし、両親はしばらく迎えに来ることが出来なかった。

母は仕事の都合で動けない父を函館に残し、弟を背負い、妹の手をひいて、津軽海峡を貨物船で渡り、秋田の親戚の家へ着いた。疎開していた4人のきょうだいは、母親に逢うまでの4か月間、着替えが無かったので、同じ夏服を着ていた。洗濯も出来なかった。シラミが湧いていた。

 

私は自分の名前でなく、「ソカイシャ」と呼ばれていた。

疎開者は田舎と言葉が違う、服装が違う、習慣も違う、村では見慣れなかった人である。

疎開者は田舎の子供たちとは異質の人だ。

このことは、いじめの標的にされる。

私の他にも、疎開してきた子供たちはいじめられていた。

始めのうちは「ソカイシャ」「ソカイシャ」と囃し立てたり、疎開者をからかう歌を歌われていた。いやな気分であった。

《そかいしゃは、かわいそうだな。ばくだんのために、おうちがペッチャンコ。 そかいしゃは やっこ(乞食)だな、たべるものがなくて - - - - - 》

 

一人二人から小突かれることには軽く耐えられた。

いじめはエスカレートする。

下校を待ち受け、物陰から集団で襲い掛かり組み伏せる。

そして親分格が馬乗りになって、石で頭を何度も叩く。

頭は内出血でコブだらけになった。

遊びに行こうと、家から外へ誘いだし、物陰に隠れていた上級生や同級生たちが集団で襲い掛かり、組み伏せて、唐辛子を口の中に無理やり押し込む。

くちびるが腫れあがった。口の中が熱い。炎を飲み込んでいるような感じだ。

こんなことがあっても、先生に知らせることはなかった。

じっと堪えていた。

私はソカイシャ呼ばわりをされ、集団で殴られ、蹴られ、立ち上がることが出来ないほどの暴行を受けたが、自ら命を絶つということは、微塵にも頭に浮かばなかった。

しかし、あれから70年経っても、いじめの恐怖は忘れられない。

(いじめた者たちは、すっかり忘れているだろうが)

 

今、原発事故で故郷を追われた子供たちが、いじめで自殺することが問題となっている。

しかし、かつて疎開者いじめで、子供が自殺したという話は聞いたことがない。

いじめで自殺をすることと、いくらいじめられても、死ぬことが微塵にも浮かばないという違いはどこにあるのだろうか。

 

気持ちが弱いとか、強いとかというようなことでは解決されない。

 

私の体験が、いじめ予防の研究に役立てば幸いである。

 

専門家の皆様、よろしくお願いします。

 

※ 子供が自殺した。同じ学校の小学5年生の男子である。学校でイジメに遭っている子供ではない。疎開者ではない。何不自由なく暮らしている地元の農家の子供だ。大切にしていた から傘を壊してしまったので、父親に叱られるのを恐れて首をつった。(敗戦から間もない秋のことである)

 

問題が起きると、教育委員会はいじめがあったかどうか調査するという。

それよりも先に、教育委員会や校長たちは、被災などでの転校生やクラスの子供たちに対する教師の心構えを指導し、いじめが発生しないように努力しなければならないと思う。

災害発生当時は多くの避難児童が転校してきたのだろうから、当然教師に対して研修の時間を持つべきであった。

教育委員会や校長たちは、このことを反省しているであろうか。

教師も積極的に児童生徒の心理を理解するように努めてほしい。

 

これから、小学校も英語教育が必修となり、ゆとりの教育もなくなり、授業時間が増えると聞く。

教師の仕事はさらに忙しくなる。

先生たちはゆとりがなくなって、子供たち一人ひとりの心を理解する時間が少なくなり、問題を持つ子供たちが増えるのではないかと心配である。

先生たちが忙しすぎて、いじめが起きても、気が付くことが容易にできなくなるのではないかと心配である。

( 2017-03-11記)