夢職で 高貴高齢者の 叫び

          

ガン患者は働かなくていい 

2017年05月23日 | まじめなブログ

     自民党の 大西英男 衆院議員に 物申す

 俺は強烈な腰の痛さに苦しみながらも、自分の職場の仕事を責任を持って遂行してきた。

 ガンに侵されているのに気がつかず、腰痛は仕事が多いためと思い込んでいた。

 忙しくて病院で検査する暇がなかったが、仕事の一区切りがついたとき、人間ドックに入った。

 右の腎臓にガンが発見された。

発症から5年経っており、野球のボール大にガン細胞が増殖していた。 

ガンは腎臓ごと摘出。

 腸への転移を調べるため、腸間膜を切除し、腸を体外へ取り出して検査を行なったから、大腸が癒着して、正常な位置に戻っていないし、いまだに腹筋に力が入らない。

 手術しても生死の確率は半々、5年後、10年後、15年後の生存率は何パーセントなどという情報を得ながらも、何とか28年間も生き延びてきた。

 ガンを摘出し、入院していた51歳の時、仕事が気になり、早めに職場へ復帰した。めまいと闘いながらも、人並みに仕事をやり遂げた。

 時おり、めまいのために、うずくまってしまうことがあったが、自分の仕事は完璧にやり遂げた。 定年退職まで9年間の苦闘だった。

 苦しいからと、仕事をやめれば、収入がなくなり、家族を養うことが出来ない。 だから、途中退職が出来なかった。

 もしも、俺の上司が大西議員のような人だったら、ガンと分かった時点で 《ガン患者は働かなくていい》でクビになったろうなあ。

 収入がなくなり、路頭に迷っていただろうよ。 ゾッとするなあ。

 俺は退職してからも、地域の活動に協力したり、子供たちへのボランティア活動を行なってきた。

 老体だが少しでも社会に役立てばという純粋な気持ちから行っている。

 ガンに侵され体力がなくても、社会の一員として活動はできますよ。


 

 しかし、自民党の 大西英男 衆院議員よ。

《ガン患者は働かなくていい》のか? 

働くなと言うのか?

ガン患者をクビにするのか!

患者の生活を考えないのか!

ガンでない者は勤務を続けることが出来て、ガンでも真剣に働いている人をクビにするのか。

真剣に説明している議員に対して、ヤジを飛ばすのは品がない。

 大西英男議員は 《マスコミを懲らしめるには 広告料収入がなくなることが一番だ》と報道機関に圧力をかけたことがある。

 《巫女のくせに何だ》と物議をかもしたのもこの議員だ。

  こんな議員に、投票する人もいるのだから、あきれたものだ。


若葉の作曲家 平岡均之

2017年05月08日 | まじめなブログ

「若葉」の作曲家 平岡均之

 

 さつき晴れ、木々の緑が映える。小学校の音楽で習った「若葉」の歌が思い出される。まさに ♪あざやかなみどりよ あかるいみどりよ♪ の光景だ。

「若葉」の作曲者は平岡均之(ひらおかきんし)である。意外なことに、栃木県の学校には彼の作曲した校歌が数多くある。私が収集したものでも、大田原高校、塩原小学校、上塩原小学校、三島小学校、槻沢小学校、西那須野中学校、三島中学校、東陽中学校などがある。

いずれも、塩原温泉に生まれた文人、泉漾太郎(いずみようたろう)の作詞と組まれている。

 平岡均之は明治34年旧田沢湖町(現仙北市)で生まれた。大正7年に両親が相次いで亡くなったため、埼玉県立熊谷中学校を5年生の中半に中退した。彼は小学校の代用教員を務めながら、独学で小学校音楽科専用教員の免許状を取得し、訓導となる。訓導とは現在の教諭に当たる。

 昭和3年、文部省は大礼奉祝唱歌の作詞作曲並びに明治節唱歌楽譜を全国に公募した。当時、足利尋常小学相生校訓導の平岡均之はこの二つの作曲に応募した。その結果、大礼奉祝唱歌楽譜(作曲の部)に一位入選し、賞金壱千園を授与され、また、明治節唱歌楽譜では二位入選し、弐百円を授与されると言う栄誉を受けた。

 突然、音楽の世界に頭角を現した平岡均之に会いたいと願った泉漾太郎は、彼が宇都宮市に来ることを知って面会に出かけた。そこから二人の交流が始まったのである。

 詩人の泉漾太郎は校歌の作詞を依頼されると、作曲者に平岡均之を推薦していた。このことから、二人が組んで作成した校歌が県内に多数ある。小学校だけでも30を数えた。

 泉漾太郎が上塩原小学校校歌の作曲者として平岡均之を推薦した校長への手紙には、「山田耕筰先生が『式歌校歌の作曲では平岡の右に出る者なし』と折紙をつけました。現在は文部省委託で、音楽教科書の検定審議委員です。」と書かれてあった。山田耕筰も多くの校歌作曲に携わっていた。栃木県では小山市立豊田中学校の校歌は彼の作曲である。

 私は平成12年頃、田沢湖町の教育長から電話を受けた。それは、平岡均之の音楽碑が田沢湖町にあり、音楽碑の前で町のバイオリニストと声楽家が「若葉」を披露したとのことであった。町制100周年の記念行事の一環としておこなったとのことであった。私は彼に福島県三春町でふとしたことで出会ってから、平岡均之研究のことで連絡を取り合っていたのだった。

 私は翌年の5月、栃木から新緑の田沢湖町までクルマで出かけ、教育長にお会いしてから音楽碑を見た。

 《作曲家 平岡均之 音楽碑》とあり、「若葉」の歌詞と楽譜が刻まれてあった。「若葉」は大好きな歌である。私は碑の前で歌った。

 

         若 葉    

      松永みやお作詞  平岡均之作曲

 (一)あざやかなみどりよ あかるいみどりよ

    鳥居をつつみ わら屋をかくし

    かをる かをる 若葉がかをる

  (二)さわやかなみどりよ ゆたかなみどりよ

    田はたをうづめ 野山をおほひ

    そよぐ そよぐ 若葉がそよぐ

 

参考資料 

*泉漾太郎から上塩原小学校長にあてた手紙(昭和42年2月13日)   

*塩原小学校学校概要(平成12年)

*秋田県仙北郡田沢湖町生保内田沢湖町教育委員会編集発行 

 作曲家平岡均之先生記念誌「若葉」(昭和63年発行)


2017-05-08記

 


評論家よ。 誘拐殺人事件に有効な対策を提案してくれ!

2017年04月17日 | まじめなブログ

 千葉県の小学3年女子児童誘拐殺害事件の容疑者逮捕のニュースを見てショックを受けた。

容疑者は殺されたリンちゃんの小学校の保護者会会長という。

しかも、通学路で見守り活動をしていた男だ。

保護者会会長で、子供たちの見守り活動をしていたのでは、誘拐殺人事件を起こすような人と思われないのが通常だろう。

 新学期が始まった。小さなからだに、大きなランドセルを背負った新1年生。

上級生が集団登校の新班長になり、1年生の世話をしながら登校している。

数年前、私の近所が住宅地になり、20軒ほどの家が建った。

そこには小中学生たちがいる。 中学生は自転車で通学し、小学生は集団登校をしている。

朝、住宅地へ出かけたら、母親たちが集団登校の新しい班編成を行っていた。

小学生11人のうち、新1年生は3人、5年生と6年生は1人だけという。

これを二つの班に分け、5年生と6年生をそれぞれの新班長にしていた。

少し離れたところで見守っている私のところへ母親が来て挨拶をした。

「1年生が3人もいるし、班長は新しくなったばかりなので、慣れないために心配です。また、社会人になって初めてクルマで通勤する人たちがいますので、子供たちが交通事故に巻き込まれるのではないかと心配しています」

それに、千葉県で起きた登校中の誘拐殺人事件があるから、心配であることなどについて話した。

母親たちが私を頼りにしていると感じて、うれしくなったし、見守り活動を続ける励みにもなった。

 私は今年80歳になる。 老人で体力はないが、子供たちが誘拐・交通事故などに遭わないように、微力ながらも尽くそうと思い、交通指導や下校時の見守り活動を行ってきた。(身体の調子のよいときや、他の用事がないときだけであるが)

昨年は不運にもギックリ腰に3度もなったので、満足に活動できなかったが、今は腰痛ベルトで腰を固め、杖なしで歩けるようになった。

千葉県の事件のこともあるので、子供安全パトロールのチョッキを着て、見守り活動を再開したばかりである。

 

 衝撃的ニュースのあった日の朝、私はクルマの多い交差点に立っていた。

「おはようございます。手を上げて渡りましょう」と、子供たちに注意をうながし、黄色い横断旗でクルマを制止する。

正規の交通指導員が配置された交差点であるが、老体でも何か役に立つことがあればと思い、不定期ながら交通指導をしているのだ。

 その日の午後、容疑者逮捕のニュースを見て驚いた。 子供たちの見守り活動をしていた保護者会会長ではないか。

そして、これよりもショックを受けたことがあった。 テレビでリンちゃん殺害事件について評論家たちが、事故防止策を論じていた。

「見守り活動をする人も信用できないから、複数で活動すべきだ」との痛烈な発言。

一瞬、ギョッとした。《見守り活動をお互いに監視しながら行え》というのか。

子供たちを守ろうと純粋な気持ちで、無償でボランティア活動をしている人たちだ。

お互いに監視する気持ちになれるか!

変質者ではないかと疑われ、監視されながら子供を守る気になれるか!(怒り)

評論家は、アメリカではスクールバスがとか、フランスではどうとかと、わが国では現実離れした対策を論じている。

評論家は子供たちの見守り活動をしている人たちを信用せず、お互いに監視することを奨励しているのだ。

テレビを見ている人たちにも、賛同者がでたことであろう。

これでは、純粋な気持ちで子供たちを守っている人たちに、冷たい視線がそそがれる。

こんな状態では、新たに見守り活動を行うボランティアを募っても、しり込みをする人がいるだろうし、活動に消極的になる人もでるだろう。

今後、私たちが見守り活動をしても、警戒する子供たちが現れるのではないだろうかという心配が脳裏をかすめる。

 事故が起きてから、もっともらしく、堂々と無責任なことを発言する評論家に対し、私は失望した。 怒りを感じた。

評論家が唱えるわが国で出来ることは、《子供たちの見守り活動をしている人を、互いに監視しながら行う見守り活動》なのか。

 私はこれから先、見守り活動を行うのに、すっきりした気持ちになれない。

評論家よ。 無責任なことを言わず、誘拐殺人事件を防ぐ、有効な対策を提案し、実現に向けて努力してくれ!

 


私のパソコン奮闘記

2016年12月02日 | まじめなブログ

私のパソコン奮闘記 

 (2011年記)

  

 私がパソコンを始めたのは70歳近くになってからである。この齢になって挑戦したのは、足腰が動かなくなっても、ネットでの買い物や通信手段を確保しておきたい事や、時代の波に乗り遅れるのではないかという不安な気持ちがあったからである。手引書を読みながらの独学では容易に理解できない。特にカタカナコトバが理解できないので苦労した。パソコンは調子が狂いだすことがある。予期をしない動きが起こる。パソコンは機械というよりは生き物のように感じた。

 理解しないままにパソコンをいじっていたら、フリーズしてしまった。マウスを操作してもどうにも動かないのである。そこでメーカーへ電話し、アドバイスを受けることにした。受話器を持ったが、カタカナコトバがのどにつかえて出てこない。「もしもし、鼠を走らせても矢印が固まったまま動かないのですが、どうしたらよいでしょうか。」と。電話の相手は鼠とはマウスのことと理解してくれたので助かった。いまさらカタカナコトバを覚えるのは容易なことではない。指導者は私のような者に教えるのに苦労しているようである。アイコンと説明されてもわからない自分へ、それでも丁寧に、丸の中に旗のあるマークとか、土星のようなマークというように説明してくださる。ありがたいことである。

 幸いなことに、当地区にはシニアのパソコンクラブがある。互いにパソコンの技術を教えあっているクラブある。私はそこへ誘われて入会してみた。会のモットーは、わからないことは何度でも聞きましょう。何度同じことを聞かれても、教えてあげましょう、というものである。今教わったことを3分も経たぬ間に忘れてしまう自分にとっては、好都合のクラブである。

 あるとき、リーダーから会員へ一斉にメールが流れてきた。「次の集まりには、マイカップを用意するように。」とのことである。私にはカタカナコトバのマイカップとは、どんなものかわからない。自分のパソコンには、マイドキュメントとマイピクチャーがあるが、マイカップの設定がない。電器店に行けばパーツが売っているだろうと思っていたところに、また、カタカナメールがきた。「皆さん。ハンカチにマイカップを包んで集まり、ティタイムを楽しみましょう。」と。ここで、初めてマイカップの正体がわかった。なーんだ、湯飲み茶わんのことではないかと。この会もやたらにカタカナコトバを使う。

 絶版になった函館空襲の記録を、ネットで手に入れたときは救われた感じがした。演劇のチケットや本の注文などが自宅でできるのは便利である。しかし、細かな文字をよく読まずに、同意する、同意する、とチェックを入れたため、次々に送信されてくる大量の広告メールには悩まされた。

 故郷である岩谷のポポロッコの屋上に設置されたライブカメラを、自分のパソコンで360度回転させ、周りの景色を見る技を得た。田に植えた緑の苗が、黄金色に変わり、刈り取られ、そして雪景色に変化していく様子が、はるか離れた栃木県から眺めるのは実に気分が良い。インターネットを勉強してよかったと思う時である。

 昨年のことである。ネットサーフィンを楽しんでいるうちに、ニューヨークのホームページへ迷い込んだ。そして、茶道で使うお茶の釜の絵があるページに出合った。そこには、「English」と「日本語」というボタンがついていたので、もちろん日本語を選んだ。すると、茶室で正座をしている和服姿の婦人の写真が現れ、その方の氏名と茶道教室の紹介文が載せてあった。なんと大学時代の同級生、しかも、同じサークルだった仲間ではないか。地球上の数知れぬホームページの中から、彼女のページにたどり着いたことは、まさに奇跡である。私は激しく驚き、ガタガタと震えが起こった。

 4・5日たってから、本人かどうか確かめたく、恐る恐るアドレスにメールしてみた。そして返信があった。「私はまさしく○○大学卒業生の○○○子でございます。今はニューヨークで茶道教室を開いております。すけつねさんという名前は、聞いたことがあります。」と。

 私の名前は聞いたことがあるだけ、という彼女の帰郷にあわせて、学生時代のサークルの人たちに呼びかけ、懇親会を催した。卒業後、49年ぶりの再会であった。

 


敬老会

2016年09月11日 | まじめなブログ

 自治会から敬老会に招待された。

ホテルで昼食の接待あり。

地域有志の八木節の披露。

八木節を披露した方々は高齢者であるが、地元の伝統芸能の伝承に熱心である。

最後にカラオケで楽しむ。

敬老会への招待は、元は75歳以上が対象であった。

しかし、高齢化が進み、招待にかかる費用が増えるため、年々、年齢が引き上げられ、今年は78歳以上が対象である。

そして、徐々に80歳以上とする予定という。

市からは、お祝いとして商品券を頂いた。

自治会からは食事の接待を受け、記念品としてタオルを頂いた。

私の住んでいる自治会では、会費を集めて、街灯の設置やゴミステーションの管理、道路の清掃活動

や運動会などの費用に充てている。

敬老会の費用も会員の費用でまかなっている。

一方、自治会に加入しない人もおり、その数は年々増えてきている。

自治会費を納めず、自治会で管理しているゴミステーションを使用し、また、道路の清掃作業には協力しない。

彼らの中には、自治会費を納めなくても、敬老会に招待されるから、会費を納めなくても良いのだという人が出てきた。

  虫のいい話だなあ

このような事があるためか、今年からは、自治会加入者だけに招待状を出したとのことである。

当然のことと思う。

 今からでも自治会に加入されますようにと願う。

 

 


自然葬の散骨地を見学

2016年08月14日 | まじめなブログ

3年ほど前、老人たちの研修会で、自然葬についての講話を聴いたことがあった。

那須町に自然葬が出来る所があるというので、見学に行った。

ネットで場所を調べて行ったのだが、道がよく分からない。

幸い近くに住む人が親切にクルマで先導してくださったので、後をついて行った。

山坂の急な所があり、二人で乗った軽自動車は容易に進まない。

墓地は県道から別荘地を通り抜け、奥まった所にあった。

案内してくださった方は墓地の管理者であったので、説明を聞くことができた。

直径15mの円形の墓地である。

中央からコンパスで円を描くように三つの円に分かれ、外側の円には個別用の墓地が51区画ある。

二番目の円は芝桜の花壇になっている。

中央の丸の中は永久合葬地であり、個別の区域に散骨して35年後は中央に集めて散骨するそうである。

ただ、更新すれば、さらに35年間は個別の区域を使用できるとのことであった。

周りには、うっそうとした林がある。この樹木の根元にも散骨できるとのこと。

散骨は粉砕機で砕いた骨を家族用の区画の砂地に撒くのであって、埋葬はしないとのことである。

埋葬すれば法に触れるとのことである。

砂地に散骨しただけであれば、風で吹き飛ばされることが心配なので尋ねると、粉骨が水分を含み砂地に混じって飛ばされることはないという。

粉骨は一年も経てば砂地に溶け込んでしまうとのことである。

私は散骨した古い順に粉骨が砂地に溶け込んでいる状態を観察できた。

交通には不便であるが、別荘地の奥まった所で、自然環境に恵まれた静かな所である。


(ペットと共葬できる専用の散骨地)


(粉骨の機械を設置している建物)

 

 

 


またも 来ました 怪しいメール

2016年06月28日 | まじめなブログ

 女房がケイタイに変なメールが来たと言う。

 

     【お久しぶりです。】

     【メアド変更したから登録よろしく】

 

 送信者の名前はない。

うかつに、どなたでしょうか?と、返信したら、大変なことになりそうだ。

【メアド変更したから登録よろしく】と、ネットで検索したら、同じようなメールを受け取った人の話が載っていた。

「誰ですか?」と返信したら、「良かったら話しませんか?」などと、何度もメールが来たそうだ。

 おそらく、何度か通信したあとで、有料サイトに誘導し、金銭を要求するのだろう。

 

 このような迷惑メールは、前にもあった。

前回は食事に誘うものだった。

今回もメールを削除し、無視することにした。

 

 メールで架空請求があり、被害に遭ったことが新聞で報道されている。

うかつに、返信しないように気をつけようと思う。

 

 しかし、高齢による脳細胞の減少とともに、判断力が弱くなってきた。

怪しいメールなのか否か、判断力も弱ってしまうのかなあ

 


新手の詐欺メールか?

2016年04月01日 | まじめなブログ

 女房がケイタイに変なメールがきたという。

誰か知らないアドレスの人からだ。

メールアドレスは、ほんの数人の人にしか知らせていないので、心当たりがない。

 

「おはようございます。携帯変えたよー! 体調悪そうだったけど----どう?(>_<)

寒い日が続いてるし、辛くなったら無理しないでちゃんと休んでね! 4月にはまたご飯でも行こうね」

 

女房は体調が悪いわけでもないし、仕事をしているわけでもない。友達同士でランチに出かけるものの、いわゆるご飯に行くことはない。 

女房のケイタイのアドレスは、長くて複雑に設定しているから、簡単に入力できないはずだ。

だから、他人と間違ってメールしたとは思われない。

新手の詐欺メールではないかと推測した。

うかつに返信ボタンを押すと、相手にメールアドレスが知られる。

アドレスが知られると、次は悪意のあるメールが来るだろう。

機械でランダムに文字を組み合わせ、誰かのメールアドレスと一致すると、送信される仕組みがあることを聞いたことがある。

昨年は女房と俺のケイタイにも「使用料金請求」とか「最終勧告」とかと、金銭を請求するメールがあったが、無視したので被害はなかった。その後、しばらく迷惑メールはなかった。

「ご飯でも行こう」などと、表現は柔らかいが、悪意が隠されたメールだろう。

うかつに返信したら、大変な目に遭わされていたと思う。

メールが届いてから10日も経ったがそれきり、メールも電話もない。

新手の詐欺メールか?

ご用心!! ご用心!! 

 

         《 追 記 》

参考になるブログを見つけました。

同じ文面の迷惑メールを受けた方のブログです。

対応の仕方が参考になりました。

http://tmiyu2.blog.fc2.com/blog-category-6.html

 


花粉症 俺の対策

2016年03月22日 | まじめなブログ

 

俺は花粉症で、中学生のときから悩まされてきた。

治療のために、減感作療法としての皮下注射、のどへ神経ブロック注射、服薬、点鼻薬、粉末状の薬の吸引、鼻の手術、サプリメントなどなど。

しかし、これといった効果はなかった。

 最近、良い薬が出たと聞くが、試すつもりはない。

花粉症対策としては、原因となる花粉を吸わないようにすることだ。

マスクに大型サングラス、帽子にダスターコートで身を固める。

不審者スタイルだ。

家に入るときは、花粉をブラシで払い落とす。

各部屋に空気清浄機を備える。

帰宅したら、目をや鼻をぬるま湯で洗う。

手動ポンプで、ぬるま湯に溶かした塩水をノズルから噴射して、鼻腔内を洗浄。

この方法は、10年ほど前からおこなってきたが、効果があった。

今は、手軽な鼻用洗浄器が薬液とセットで売られているので、これを使っている。

洗浄後、鼻腔にクリーム状の薬(医薬部外品か?)を塗って、花粉を吸着させる。

これで、花粉症の症状を軽くしている。

 

鼻腔のクリームが残り少なくなったので、薬屋へ出かけた。

よく見ると、パッケージから薬だけが抜き取られているのだ。

巧妙に万引きされた後だ。

このことをレジに知らせた。

レジ係は、いそがしいので後で調べるとのこと。

 

外に出てクルマに乗ったとき、アレッ!! と、嫌な気分になった。

監視カメラが万引きされた場所を映しているだろう。

もちろん、犯人は映っているはずだ。

しかし、万引き犯は素早く立ち去ったろうが、俺はパッケージをしばらく眺めていた。

俺の姿は、サングラスにマスク、帽子を深くかぶり、身体をコートで覆っている。

だれが見ても不審者だ。   

監視カメラには、俺の姿がしっかりと映っているはずだ。

カメラの係員は、まず、俺を疑うだろうなあ。

 

(一見不審者)

 

 


急いで 天国へ 行くな!

2015年12月18日 | まじめなブログ

日が暮れるのが早い。爺は散歩の途中で、小学校前の交差点にさしかかった。横断歩道を渡ろうとした時、青信号が点滅したので立ち止まった。

すると、近くを歩いていた二人の男の子が走りだした。赤に変わる前に急いで渡ろうとしたのだろう。

爺は「待て」と叫んで、手を広げて防いだ。

男の子たちは爺に叱られると思ったのだろう、おとなしくしている。

 

そこで、爺は口を開いた。

「ちょっと待て  天国行きは  まだ早い」

6年生らしい男の子たちは、爺のジョークが分かったのだろう。

ニヤッと笑った。

 

爺は天国へ行っても、空の上から子どもたちの交通指導をしようか。

おい、赤信号を無視した子ども 

天国は満員だ 

入国できないぞ!!

 

ブラックGより 


詐欺メール=督促請求至急・債務督促重要

2015年08月31日 | まじめなブログ

*8月14日金曜日の昼、妻のケイタイが鳴った。

メール着信音である。

妻が変なメールが来たというので、のぞいてみた。

「督促請求」※至急※とあり、URLが長々と続く。

詐欺メールだ。

 

街の公衆電話が少なくなってきたので、私と妻はケイタイを持ち歩くことにした。

ほとんど二人間の連絡にしか使われていない。電話番号を知っているのは限られた友人であり、メールアドレスは、身うちの者にしか教えていない。

それなのにメールが来たのだ。

多分、詐欺師がランダムに英数字を並べて発信したのが、妻のメールアドレスと一致したのだろう。

下手に開けば、相手側にこちらの情報が伝わるのではないかと思い、そのままにしておいた。

そして、ドコモのお店で削除の仕方を教わった。

*8月21日金曜日の朝9時過ぎ、メール着信音。

またも詐欺メールだ。

「債務督促・重要」に続いて、またも長いURL。

ドコモで教わったように削除した。

前回も金曜日だったから、次の金曜日も来るのではないか、その時はアドレスを替えるなり、他の方法で対応しようと考えていた。

*8月28日金曜日、気を付けていたが、詐欺メールは来なかった。

その後は何の連絡もない。

*変なメールなので、騒ぎがおきた場合に備えて、証拠写真を撮っておいた。

これを先ほど読み返してみて、おかしいと感じたことがある。

2度目の電話は朝9時過ぎに受けたのだが、着信履歴を見ると、前日の夜10時10分である。

メール着信音がなったのは、確かに金曜日の朝9時過ぎである。

携帯電話会社の機器の都合で、送受信に時間がかかることがあると聞いたことがあるので、このせいかと考えてみた。

夜の10時過ぎに着信音で起こされるよりも、送受信遅延で翌朝に届いたことが幸いであった。

詐欺師はあきらめたのか、その後、迷惑メールはこなくなった。


マララ;一冊の本、一本のペンが世界を変える

2015年08月25日 | まじめなブログ

パキスタンで、女性の教育のために戦ってきた少女。

そして、タリバンに頭を撃たれた少女、マララ。

マララ・ユスフザイの著書を読んだ。

 

「マララ・教育のために立ち上がり、世界を変えた少女」

                 (岩崎書店、道傅愛子訳)

 

彼女の家の周りには学校へ行けず、ゴミ捨て場から空き缶など、お金になるものを拾い、家計を助けている子供たちがいる。

何の教育を受けないまま、10歳・11歳で嫁がされる少女たちも。

タリバンの圧力で、学校を辞めていく少女たち。

このような中で、彼女は10歳のときから、女子の教育を受ける権利を主張していく。

そして2012年10月、タリバンに額を撃たれる。

イギリスのバーミンガムに運ばれ、頭の手術を受け、生還。

2013年7月12日、16歳の誕生日に国連本部で、世界中のすべての子供たちが教育を受けられるようにと訴える。

当時、私はテレビで彼女の演説を聴き、非常に感動したものだった。

2014年10月、ノーベル平和賞を受賞。

 

国連でのマララの演説

「一人の子ども、一人の教師、一冊の本、一本のペンが、世界を変えるのです」

 ユーチューブ「タリバンに銃撃されたマララさん、国連で演説

 

 

***もう一人のマララたち~世界の女の子に教育を***

https://www.youtube.com/watch?v=IXkDj9LcFCQ#t=52


かかりつけ薬局

2015年07月08日 | まじめなブログ

 ちょっと真面目な日記です。

友人から診察券入れを貰った。

彼女は使わなくなったネクタイを貰い集めて、診察券入れを作っている。

そして、友人たちへ分けているのだ。

俺も貰った。

 


見開きなので診察券を探しやすい


診察券11枚のほかに、保険証、お薬手帳などが納まる。

 俺は月に1度、血圧の診察に出かけている。

病院の受付で診察券を取り出そうとしたが、カードが沢山あるため、すぐ見つからない。

内科、外科、眼科、歯科、耳鼻科、皮膚科などのカードが詰まっている。

受付の方はすぐ見つけて、指さして教えてくれた。

俺は「カードは沢山持っているからなあ」とつぶやく。

同じカードでもリッチなカードなら良いのだが。

診察を終えると隣の薬局へ行く。

この春、俺は北へ4キロ先の耳鼻科へ通い始め、隣接する薬局で薬を受け取った。

このときは内科の隣の薬局の「お薬手帳」を示した。

医薬分業とかいう制度で病院(医院)と薬局は別の敷地だ。

院内処方だとよいのだが、分業だと処方箋などの手数料もあり、患者には負担がかかる。

 

お役人は「かかりつけ薬局」とかいう制度を作り、患者の服薬情報を一元管理するという。

複数の薬局から、同じような薬をもらう人がいるので、薬の無駄をなくし、医療費を抑えるというのが、お役人の考えだ。

病院ごとに、お薬手帳を複数持っている患者もいるので、薬品管理ができないこともあるだろう。

 

俺は複数の病院から薬を受け取っているが、お薬手帳は一冊だけだ。

俺は他の病院や薬局へ行くときは、お薬手帳で常備薬を示している。

飲み合わせによる副作用が起こらないように、医師も薬剤師も気を配っている。

 

お役人の言うように、どこの病院へ行っても、薬は一か所の薬局でしか受け取れなくなった場合、俺の病院・薬局へ行くルートをイメージしてみた。

「かかりつけの薬局」をまず決める。

近くても西へ2キロだ。内科の隣だ。

現在、お薬手帳を利用している薬局に決める。

眼科は東に2キロのところのある。

内科へ行くときは隣に薬局があるから、往復4キロ。

今の状態だと、眼科往復も4キロだ。

これがお役人のいうように、一か所にした場合、眼科へ行き、目薬を受け取るだけで8キロ歩くことのなる。

今はマイカー(軽)だが、高齢者は免許証返納となれば、タクシーで8キロ走ることになる。

料金は2倍になるよ。

年金暮らしは、ますます厳しくなるよ。

 

お役人は、「かかりつけ薬局」制度を作り、無駄な薬を減らすというが、庶民は遠回りして、無駄なガソリン代、タクシー代、交通費がかかることを、なんとも感じないのかなあ。

 

お役人さん。薬の無駄をなくす方法は、別の対策で対応できると思いますよ。

お役人さん。もっと、諸々との関連を検討してから、決めてくれよ。

お役人さん。切実な庶民の暮らしを考えてくれよ。タクシー代、払えないよ。

 


由利本荘ふるさと会 にて

2015年07月03日 | まじめなブログ

(秋田県由利本荘市・折渡千体地蔵)

由利本荘 ふるさと会 連合会 にて

 (2015‐6‐28)

 東京地区由利本荘ふるさと会連合会の集いが開かれた。

私は両足を痛めているので、階段の昇降はほとんどできない。

しかし、どうしてもふる里の人たちに会いたくて、栃木県から杖にすがりながら東京の会場へ行くことにした。

会場までは階段を登らず、エレベーター、エスカレーターで移動できることを知っているので気持ちは楽である。

新幹線で上野に出て、山手線で秋葉原へ。

それから、総武線に乗り換え、市ヶ谷のホテルへ向かった。

この間、階段は使わず、すべてエレベーター、エスカレーターを利用できた。

歩く途中で、杖を倒してしまった。

足が痛むので、かがんで拾うことができない。

杖は近くの人が拾ってくれたので助かった。

 

 ホテルの会場へ着いた。

足がほてって痛むので、指圧をする。

ふるさと会の初めに、由利本荘市から来られた来賓の方々がふる里の近況を語った。

羽後本荘駅の東西を結ぶ連絡通路の建設、鳥海ダムの建設、自動車道の建設などの紹介があった。

ふる里の発展は喜ばしいことだ。

 それに、昨年度の全国学力テストでは、小学校の全4科目と中学校の国語Aが全国一とのこと。

先生方も、子供たちも頑張っているのだなあ。

多分、親たちも全面的に学校を支えているためでもあろう。

 

 新聞に載ったことであるが、秋田県の駅ではICカードが使えないため、県外から帰省する人たちや、観光客には不自由ということが話題となった。

地元の人たちは必要性を感じなくとも、秋田を旅行する人たちにとっては、不便である。

また、由利本荘市の玄関であり、特急停車駅の羽後本荘駅にはエレベーターがないことも障害になっている。

このため、高齢者や車いすの人にとっては不自由であることなどの話も出た。

 先年、私は羽後本荘駅のホームで、旅行用トランクを持って階段を上ることが出来ず、男子高校生にトランクを運んでもらったことがあった。

このとき、地元の高齢者や車いすの人たちが、病院へ通院するのに困っているだろうと思った。

地元の人たちの多くは移動に自家用車を使用し、電車に乗ることは少ないと新聞にあった。電車はガラガラ空いているそうだ。

ICカードの導入や、駅のエレベーター設置には、関心が薄いのではないかと感じた。

高齢者や弱者が公共交通機関を利用できるように、駅のバリアフリー化やエレベーター設置などに努力していただきたいと思う。

バリアフリー化が進んでいる都会からみれば、異様なほど遅れているように感じる。

老人や障害者たちが、安心して電車に乗ることができるのは何年先のことであろうか。

 

 羽後本荘駅から鳥海山の麓、矢島駅へ第三セクター由利高原鉄道がある。

通常、一車両で走っている。

乗客数少なく赤字線となっている。

ふるさと会で、この電車の乗客数を増やす運動を熱心に行っている方に出会った。自らツアーを立ち上げ、由利高原鉄道に乗ってきたとのことだ。

今年もまた、実行計画を立てている。

東京に住んでいながら、ふる里を応援しているのだ。

 

 私はふる里の子守唄を収録し、ユーチューブで流していることを紹介。

(私のブログ、ブックマークの「日本子守唄協会秋田県岩谷の子守唄」をクリックされたい)

子守唄は、「おしん」の時代に子守奉公に出された少女たちが唄ったものだ。

奉公先で、ろくな物を食べさせてもらえず、子守りや食器洗いや洗濯などの家事に使われ、叱られたり、殴られたりしながら暮らした少女たちが、子守りをしながら、自分たちの境遇を唄ったのだろうか。

 子守り奉公を、やめるにやめられない少女たちの悲しみが伝わってくる。

私は、ふる里を離れ、栃木県に住んでいながら、ふる里の子守唄を収録し、唄の方言の解釈を試みた。

そして、ユーチューブで唄を流したら、これが日本子守唄協会の知るところとなり、協会のホームページで紹介されることになった。

ふる里の文化遺産である子守唄が記録に残されたことで、ひとまず安堵した。

歌い手は昭和9年生まれの高齢者である。彼女は明治20年生まれの祖母から、この唄を伝授されたという。

しかし、高齢のため、唄声がかすれている。

また、彼女に続く伝承者はいない。

地元に伝承者を作りたいが、遠方のために、ままならない。

 

 ふる里の人たちと思い出話に花がさく。

郷土のお酒、由利牛などをいただく。

秋田名物を現地のお店の方が出張販売してくれた。

秋田諸越、いぶりがっこ、蕗、地酒などだ。

思い出深い食べ物なので、皆で買い求める。

最後に、「山はあおき故郷、水は清き故郷」を歌って別れた。

来年も元気で会えますように。

 

   特急停車駅にエレベーターがない   

http://blog.goo.ne.jp/suketsune/e/0c2c5f10e9593769d80f9b3e6bc6e2da  

 

 

 


アイヌの楽器と物語

2015年02月10日 | まじめなブログ

宇都宮大学で行なわれた「アイヌ文化普及啓発セミナー」へ出かけた。主催は公益財団法人アイヌ文化振興研究機構という長い名前だ。

最初にアイヌの方々が差別を受け、つらい思いをしてきたこと。そして、差別解消に向けて努力してきたことなどのお話であった。ずいぶんと苦労されたのだなあ。

また、アイヌの楽器である「トンコリ」の演奏をビデオで聴いた。細めの小さな琴のような楽器だ。弦は3本5本7本のものがあるとのことだ。演奏は縦に抱えて行なう。ギターにも似ている。

私は別のアイヌ文化研究会でトンコリの生演奏を聴いたことがある。それに昔読んだことのある本で江戸時代に菅江真澄がアイヌコタンを訪ねたとき、珍しい楽器を見たと記していたのがこの楽器のことではないかと思った。。

(参考)アイヌの楽器「トンコリ」と「ムックリ」の演奏↓

 https://www.youtube.com/watch?v=gnD5s3nfoTA

次に「アイヌ民族のことばの世界」について学んだ。

アイヌ民族に伝わる神謡をビデオで観ながらの研修である。

*この砂赤い赤い *子守唄 *ハツカネズミが酒をつくったなどである。

この動画はネットで公開しているとのことなので、帰宅後探してみた。

*ハツカネズミが酒をつくった

 

ハツカネズミが酒をつくった アイヌ音声 日本語字幕

 

*この砂赤い赤い

https://www.youtube.com/watch?v=hPZicP4VDFk#t=10

 

*子守唄

https://www.youtube.com/watch?v=Un05KNjlUaQ