夢職で 高貴高齢者の 叫び

          

ミニ門松作り ボランティア

2016年12月27日 | 日記

 

 博物館の親子工作で、ミニ門松作りのお手伝いをした。

最初にのこぎりで竹を切る。

親子で協力して、竹を押さえる人と、のこぎりで切る人に分かれる。

以前の事であるが、父親が竹をなかなか切れないでいるのに気が付いた。

のこぎりを引くのではなく、押しているのだ。

これでは切れないはずだ。

子供の手前、親のメンツが丸つぶれになるだろうから、父親に注意ができない。

そこで私は、この親子のそばで、別の竹を切り始めた。

父親に見えるように、ゆっくりとのこぎりを引く。

父親が気が付いて、押していたのこぎりを引き始めた。 

気が付いてくれて、ほっとした。

今回は、のこぎりを押している人はいなかったので安心。

 

親子で協力して、3本の竹をまとめ、下の方を粘着テープで止めてから、ひもをきつく巻いていく。

竹とひもの間に、松の葉や花を差し込んで出来上がり。

良い正月が迎えられますように。

2016-12-25

 


忘年会は 全員参加 と 強行採決

2016年12月25日 | 俺の女房は- - -

忘年会は 全員参加と 強行採決

女房と卓球クラブを作ってから5年ほどになる。

男性1人に女性5人のクラブだ

午前中に汗を流して、お昼頃、解散。

女性たちは時々食事会をしているが、俺は毎回不参加。

理由は俺が女性たちのおしゃべりについていけないからだ。

俺は女性たちのおしゃべりの洪水の中で食べるより、静かなところで食事をしたいのだ。

今日も卓球が終わった後に、昼食会をやろうという。

当然、俺は欠席しようと思う。

ところが、忘年会も兼ねるから全員出席しようとの、緊急動議が出された。

民主主義のルールに従い、多数決で決定するという。

ろくに審議しないうちに、強行採決。

5対1で可決だ。

これは多数の暴力ではないか。

 

国会議員の先生方がやっていることと、同じではないか。

戦争法、年金法、カジノ法など、審議を充分煮詰めないうちに、強行に採決。

国会議員のエライ先生方は、国民の意見を満足に聞かずに、国の重要なことを決めるのだから、女房達もこれに見習っているのか。

俺という貴重な存在の男性の意見には、全く耳を貸さない。

俺の発言は全く無視するのだ。

 

俺は忘年会に狩り出された。

食堂は混んでいた。

席についてから、一時間も待たされた。

俺はおしゃべりのシャワーの中で、食事が運ばれてくるのをじっと待っている。

やっと食事が運ばれてきた。 

また、シャワーが降ってきた。

忘年会なのに、アルコールは出なかった。

 


ハタハタの思い出 (配給)

2016年12月23日 | その他

     ハタハタの思い出

敗戦後、2度目の冬のことと思う。

当時、私は秋田に住んでいた。

隣組にハタハタの箱詰めが配給された。

私の父が隣組の当番らしく、各戸に分ける仕事をしていた。

隣組の人たちが集まっている前で、スコップで雪の棚を戸数分作り、それにハタハタを分けている。

おそらく、世帯ごとの人数に合わせて分けていたのだろう。

食糧難の時代だった。

秋田では、大量にとれると言われていたハタハタさえも、配給制だったのか。

 


ハタハタ

2016年12月22日 | 日記

 

 

 先月、北海道産と山形産のハタハタがスーパーに出ていた。

しかし、ハタハタの本場、秋田産が見当たらない。

山形産でも秋田産でも味に変わりはないはずだが、秋田出身の俺は郷里のハタハタにこだわる。

今月の初めに、秋田の友人から、秋田でもハタハタ漁が始まったとの知らせを受けた。

 スーパーで秋田産のハタハタが出るようになった。

しかし、全部オスでブリコ(卵)が入っていない。

俺はブリコの入ったハタハタが大好きだが、俺が行くスーパーでは見かけなかった。

 それで、デパートの食品売り場に行って、ハタハタを探した。

ブリコの入ったハタハタがあった。しかも、秋田産だ。

 

   しかし、値段を見てビックリ。  一匹399円。

   スーパーのオスは一匹65円だ。  すごい差だ。

   手が出ない。  あきらめて帰る。

 


ひいらぎの とげ

2016年12月20日 | 日記

 博物館の親子工作で、クリスマスリースを作るお手伝いをした。

 あけびのつるのリングは、ボランティアの仲間が一人で作った。

 まつかさやひば、もみの木、ひいらぎの葉などを用意した。

 鈴や玉などの飾り物は100円ショップより。

(ひば)

(もみの木)

(ひいらぎ)

 親子でリースを作る。あけびのつるの輪にひばやもみの木の葉を細い地巻き針金で巻きつける。

それにまつかさや鈴、玉など、好みのものを飾り付ける

 母親がひいらぎの葉を付けようとしたら、子供が痛いと言っていやがった。 

 

 私は子供に話した。

「痛い方がいいんだよ。悪魔がひいらぎのとげを見て、怖がって家に入ってこないからね」と。

2016-12-18


迎賓館赤坂離宮 見学

2016年12月13日 | 国内旅行

 迎賓館赤坂離宮見学

 

 妻と迎賓館赤坂離宮見学のツアーに参加した。

JR信濃町駅改札前に集合し、聖徳記念絵画館見学、明治記念館でランチ、それから迎賓館を見学するツアーである。 

①聖徳絵画記念館

 信濃町駅から徒歩で聖徳絵画記念館へ行く。


        (きつい階段を杖を頼りに上る)

 明治天皇の功績を称えた絵画が展示されてある。

西郷隆盛と勝海舟の江戸開城談判の絵や、徳川慶喜が大政奉還を告げた二条城の絵など、歴史の教科書で目にしたことのある絵画が展示されてあった。

http://www.meijijingugaien.jp/art-culture/seitoku-gallery/

 

②明治記念館

 ランチは和食。

同じ素材でも、料理人の腕によってこうも違うのかと思うほど味付けが良い。上品な味だ。

 

 庭園を散策。

 

③迎賓館赤坂離宮

 入館の前に手荷物検査と金属探知機での検査を受ける。

ペットボトルの水は一口飲んで、劇物でないことを証明しなければならない。

まるで空港での検査のようだ。

普段は運転免許証などで本人確認をするそうだが、混雑しているとの理由で身分証明書の呈示は省略された

(混雑しているほど危険なのになあ)

 

 

 イヤホンガイドを借りて館内を見学。

各ホールでは放送やガイドによる説明があるが、混雑していて聞き取れない。

イヤホンガイドでは、はっきり聞くことができたので借りてよかったと思った。

 

 彩鸞の間、花鳥の間、朝日の間、羽衣の間と、きらびやかなホールを見学。

私は羽衣の間に興味を持った。

羽衣を着た天女が舞を舞いながら天へ昇っていく絵が描かれていると想像していた。

天井画を見たが、それらしきものはない。

不思議に思っていると、ガイドさんが説明してくれた。

この部屋で舞踏会が行われ、淑女たちを羽衣を着た天女になぞらえていたそうである。

奥ゆかしい発想に感動。

(男性たちは浜の漁師か・・・・・失礼

 館内の見学を終えて庭を歩く。噴水前で休憩。

 

   *内閣府のホームページより*

 

        ***採鸞の間***

http://www8.cao.go.jp/geihinkan/img/akasaka/big/bgei09-09.html

 

        ***花鳥の間***

http://www8.cao.go.jp/geihinkan/img/akasaka/big/bgei09-11.html

 

        ***朝日の間***

http://www8.cao.go.jp/geihinkan/img/akasaka/big/bgei09-13.html

        ***朝日の間(天井絵画)***

http://www8.cao.go.jp/geihinkan/img/akasaka/big/bgei09-14.html

 

        ***羽衣の間***

http://www8.cao.go.jp/geihinkan/img/akasaka/big/bgei09-15.html

        ***羽衣の間(天井絵画)***

http://www8.cao.go.jp/geihinkan/img/akasaka/big/bgei09-16.html

2016-12-09

 


後ろ手に縛り 人の首を斬る   *ボクの見た戦中戦後(31)

2016年12月08日 | ボクの見た戦中戦後

後ろ手に縛り、人の首を斬る     

*ボクの見た戦中戦後(31)

 

  高校生の頃、ボクは友人から人の首の斬り方を教わった。

戦争中に捕虜の首を斬った話である。人を地面に座らせ、後ろから刀を斜めに振り下ろす。

刀を振り下ろすときは、同時に左足を後ろに引かないと、自分の足先を切る恐れがあるという。

友人の知っている元兵隊に、左親指がない人がおり、人の首を斬ったときに、足を引かなかったため、自分の左足の親指を斬り落としてしまったそうである。

この元兵隊は硬い革製の軍靴ではなく、地下足袋を履いていたのではないだろうか。

友人は木刀を斜めに降り下ろしながら、左足を引く姿勢を示した。それは一度だけのことなので気にかけず忘れ去っていた。

 

 ボクは大学に進んだ。入学してから最初の3年半は学生寮で過ごし、最後の6か月はアパートに住んだ。

このアパートは四畳半一間の部屋で、炊事場と便所は共用だった。

大家さんの家は2階建ての瓦屋根で、床が一般の住宅よりも高く造られた立派な建物だった。そして、当時はまだ珍しかったテレビがあった。

近くに銭湯はなかった。そのため、アパートに住んでいる人たちは、大家さんのお風呂のお世話になった。

アパートの人たちは、大家さんの居間でお風呂に入る順番を待ちながら、テレビを見たり、雑談をしていた。

 

 あるとき、ボクともう一人の学生が風呂の順番を待っているとき、大家さんが別室から古い封筒を持ってきた。

そして、中から満州の軍隊にいたときのものだと言って、数枚の写真を出した。セピア色の古い写真だった。

そのうちの一枚には、後ろ手に縛られ、手拭いで目隠しをされた男が二人座らせられている。

その後ろに二人の兵隊が立ち、一人は軍刀を振り上げて、男の首を斬ろうとしている。

ボクたちは恐ろしい写真を見せられて驚き、声も出なかった。

そのとき、大家さんの20歳くらいの娘さんが写真をのぞき、刀を振り上げているのは自分の父親であることを知った。

娘さんは父親を責めるように「なぜ首を斬ったのか」と訊ねた。

「俺のいうことに反抗したからだ」と説明する父親を罵り、娘さんは部屋を出て行った。

大家さんは娘さんに責められることは予想していなかったのだろう。多分、ボクたちに軍隊に入っていたころの話をしたかったのだろう。

大家さんは娘さんや家族の人たちに、戦争中の体験を話してこなかったのではないだろうか。

娘さんは自分の父親が戦地で、人の首を斬ったことを知って、心に傷がついたことだろう。

大家さんは首斬りの写真を娘さんに見せたことを後悔したに違いない。大家さんはそれきり何も言わなかった。

 もし娘さんに責められなければ、大家さんは軍隊での様子をボクたちに話したことであったろう。首を斬る話もしたことだろう。

大家さんは写真を封筒にしまった。何も説明しなかった。ボクたちも黙り込んでいた。

 このときボクは高校生の時に友人から聞いた話を思い出した。

人の首を斬るときは左足を後ろに引きながら刀を降り下ろすことを。

大家さんは庭を歩くときに下駄を履いていた。左足の親指はあるはずだ。

 

 大家さんは、ボクたち学生やアパートの住人に優しくしてくれる人なので、人の首を刎ねた人とは想像もできなかった。

    戦争に駆り出された人々は、人の心を失うのか。

    鬼畜になるのか。

    戦争では無抵抗の一般人を躊躇なく殺害するようになるのか。

 


カキフライ御膳

2016年12月06日 | 俺の女房は- - -

          カキフライ御膳    

 レストランでカキフライを食べたいが、年金生活なので、俺は我慢をしてきた。

 しかし、女房は女子会と称して、誘われれば意気揚々と昼食会に出かけていく。

そして、ランチタイムが終わるころまで、おしゃべりしているらしい。

 こんなとき、俺は家に取り残され、一人ご飯だ。

冷蔵庫から残り物を取り出してモサモサ食べる。 みじめなものだ。

 今日もまた、女房に手芸教室の仲間から電話が掛かってきた。

どうやら、また昼食会の相談らしい。

女房は俺に気兼ねしてすぐ承諾せず、後で返事をすると言ったそうだ。

 女房は「今度また昼食会がありますが、行ってもいいですか」と、俺の許可を貰いたいというのだ。

わずかながらも俺に気兼ねしているのだ。

もし俺が「ノー!!」と言ったとしたら、何かが起こることだろう。

ノー!!」と言えたものではない。

 そして俺に言う。 「あした二人でカキフライを食べに行きましょう」
カキフライの話を出すのだから利口なものだ。

俺は気前のよいふりをして、「昼食会に行ってらっしゃい」と言わざるを得ないのだ。

カキフライの話がなかったにしても、「ノー!!」とは言えたものではない。

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《ブログを追加しました》

女房におごってもらったカキフライ御膳

女房は刺身御膳

前回の女子会はカキフライ御膳

次の女子会でもカキフライ御膳の予定だから

今回は刺身御膳にしたそうだ

            食後のスイーツとコーヒー

   

 


私のパソコン奮闘記

2016年12月02日 | まじめなブログ

私のパソコン奮闘記 

 (2011年記)

  

 私がパソコンを始めたのは70歳近くになってからである。この齢になって挑戦したのは、足腰が動かなくなっても、ネットでの買い物や通信手段を確保しておきたい事や、時代の波に乗り遅れるのではないかという不安な気持ちがあったからである。手引書を読みながらの独学では容易に理解できない。特にカタカナコトバが理解できないので苦労した。パソコンは調子が狂いだすことがある。予期をしない動きが起こる。パソコンは機械というよりは生き物のように感じた。

 理解しないままにパソコンをいじっていたら、フリーズしてしまった。マウスを操作してもどうにも動かないのである。そこでメーカーへ電話し、アドバイスを受けることにした。受話器を持ったが、カタカナコトバがのどにつかえて出てこない。「もしもし、鼠を走らせても矢印が固まったまま動かないのですが、どうしたらよいでしょうか。」と。電話の相手は鼠とはマウスのことと理解してくれたので助かった。いまさらカタカナコトバを覚えるのは容易なことではない。指導者は私のような者に教えるのに苦労しているようである。アイコンと説明されてもわからない自分へ、それでも丁寧に、丸の中に旗のあるマークとか、土星のようなマークというように説明してくださる。ありがたいことである。

 幸いなことに、当地区にはシニアのパソコンクラブがある。互いにパソコンの技術を教えあっているクラブある。私はそこへ誘われて入会してみた。会のモットーは、わからないことは何度でも聞きましょう。何度同じことを聞かれても、教えてあげましょう、というものである。今教わったことを3分も経たぬ間に忘れてしまう自分にとっては、好都合のクラブである。

 あるとき、リーダーから会員へ一斉にメールが流れてきた。「次の集まりには、マイカップを用意するように。」とのことである。私にはカタカナコトバのマイカップとは、どんなものかわからない。自分のパソコンには、マイドキュメントとマイピクチャーがあるが、マイカップの設定がない。電器店に行けばパーツが売っているだろうと思っていたところに、また、カタカナメールがきた。「皆さん。ハンカチにマイカップを包んで集まり、ティタイムを楽しみましょう。」と。ここで、初めてマイカップの正体がわかった。なーんだ、湯飲み茶わんのことではないかと。この会もやたらにカタカナコトバを使う。

 絶版になった函館空襲の記録を、ネットで手に入れたときは救われた感じがした。演劇のチケットや本の注文などが自宅でできるのは便利である。しかし、細かな文字をよく読まずに、同意する、同意する、とチェックを入れたため、次々に送信されてくる大量の広告メールには悩まされた。

 故郷である岩谷のポポロッコの屋上に設置されたライブカメラを、自分のパソコンで360度回転させ、周りの景色を見る技を得た。田に植えた緑の苗が、黄金色に変わり、刈り取られ、そして雪景色に変化していく様子が、はるか離れた栃木県から眺めるのは実に気分が良い。インターネットを勉強してよかったと思う時である。

 昨年のことである。ネットサーフィンを楽しんでいるうちに、ニューヨークのホームページへ迷い込んだ。そして、茶道で使うお茶の釜の絵があるページに出合った。そこには、「English」と「日本語」というボタンがついていたので、もちろん日本語を選んだ。すると、茶室で正座をしている和服姿の婦人の写真が現れ、その方の氏名と茶道教室の紹介文が載せてあった。なんと大学時代の同級生、しかも、同じサークルだった仲間ではないか。地球上の数知れぬホームページの中から、彼女のページにたどり着いたことは、まさに奇跡である。私は激しく驚き、ガタガタと震えが起こった。

 4・5日たってから、本人かどうか確かめたく、恐る恐るアドレスにメールしてみた。そして返信があった。「私はまさしく○○大学卒業生の○○○子でございます。今はニューヨークで茶道教室を開いております。すけつねさんという名前は、聞いたことがあります。」と。

 私の名前は聞いたことがあるだけ、という彼女の帰郷にあわせて、学生時代のサークルの人たちに呼びかけ、懇親会を催した。卒業後、49年ぶりの再会であった。