夢職で 高貴高齢者の 叫び

          

かき氷で 余計 暑苦しくなった

2017年08月30日 | 俺の女房は- - -

 暑い! 蒸し暑い!

 俺は女房に、道の駅でソフトクリームを食べてこようと誘った。

しかし、女房はソフトクリームはカロリーが高いから嫌だと言う。

かき氷なら栄養がないから、食べても良いと言うのだ

女房はダイエットをしているようだが、一向に効果が上がっていない様子だ。

 俺はかき氷を扱っている店を知らない。

女房は、K 珈琲店には、かき氷があると言う。

かき氷なら、食べても太らないから良いと言うのだ。

 

 俺は昔、かき氷を食べたことを思いだした。 

器はガラスのお皿に、一本足のスタンドがついているような形をしていた。

これに、手回しのかき氷機で四角い透明な氷を削る。

そして、イチゴやメロンのシロップをかけるのだ。

なつかしいなあ。

 

 俺は女房とクルマで K 珈琲店へ出かけた。

そして、かき氷のメニューを見た。

俺がイメージしていたかき氷はない。

かき氷に小倉アンやソフトクリームなどが、どっさりと盛り付けてあるのだ。

しかも、量が多すぎる。

これではダイエットにならない。

 俺は余計なものをトッピングしていない、ただのイチゴのかき氷を選んだ。

女房は抹茶のかき氷で、上に何ものせていないものが良いと言う。

しかも、普通サイズでなく、ミニが良いと言う。

だいぶ、ダイエットに気を使っているようだ。

女房はウエイトレスを呼んで、メニューカードを指さしながら注文していた。

 

 かき氷が運ばれてきたのを見て、肝を冷やした。

直径が手の指をいっぱいに広げて、親指の先から小指の先までもある深鉢に、かき氷が山盛りになっているのだ。

 そればかりではない、女房は確か、抹茶のミニと言っていたのに、注文したときに普通サイズに変更していた。

しかも、小倉アンをトッピングし、栄養価の高いミルクをかけているのだ。

 俺は、女房に小言を言った。

これではダイエットにならないだろう、と。

すると女房は近くの席のカップルを指さした。

その女性のかき氷には、さらに、ソフトクリームがどっさりトッピングされている。

女房はすまして言う。 私はソフトクリームのトッピングを遠慮したのです、と。

 また、体重が増えるだろうなあ。

体重計に乗ってから、嘆き悲しむことだろう。

 

 食べてみた。

昔のかき氷の触感とは違う。

シャリシャリとした感じではない。 

氷が柔らかいのだ。 特殊な加工をしているのか。

それに、甘ったるい。 超、甘すぎる。

俺は昔ながらのかき氷がいいなあ。

 

 ついたてでへだてた隣の席から、うるさいおしゃべりが聞こえる。

ちょっとのぞいてみたら、8人席に9人のおばさんたちが、声だかに話しているのだ。

各自が同時に声を上げているようなので、何を話しているか分からない。

おしゃべりというより騒音だ。 

氷を食べたのに、騒音で余計暑苦しくなった。

しかし、女房は平然としている。

女房がよくやる女子会も、隣のおばさんたちと同じような騒音を、巻き散らかしてくることなのだろう。

近くのカップルを、ちらっと横目で見たら二人とも静かにしている。

喫茶店で何も話さず、見つめあうこともなく、下を向いている。

二人とも、下を向いてスマホを指でなでている。

おばさんたちの騒音には、ちっとも苦にならないようだ。

スマホに夢中になって、騒音は聞こえないらしい。

 

 延々と、声だかのおしゃべり騒音が続く。

俺はかき氷を食べたのに、余計、暑苦しくなった。

 

 さて、早く家に帰って、冷やした麦茶を飲むことにしようか。 

 


夏休み明け

2017年08月28日 | 日記

 当地区の小中学校は、9月中旬を境に前期と後期に分かれ、その間に数日間の秋休みがある。

 以前、子どもに、春休み、夏休み、冬休みがあるのに、どうして秋休みがないのかと、訊かれたことがあった。

 その時は、秋は涼しくて、夏や冬よりも勉強に適した季節だから、休むのはもったいない。だから、秋休みはないのだと、話して聞かせた。しかし、今はこの理屈はとおらなくなってしまった。

 今日から夏休み明けの勉強が始まった。私は交通安全のボランティアで交差点に立った。

 子どもたちは、ランドセルの上に運動着を背負い、手には夏休みの作品を入れた袋を下げて歩いてくる。荷物が多いので大変だなあと感じる。

子どもたちに話しかけたら、夏休みの自由研究や作品作りに頑張ったと言う。こんな声を聞くとうれしくなる。

 交差点でクルマを止め、安全に子供たちを渡らせる。

こちらから、大きな声で「おはようございます」と呼びかけると、子供たちは同じように「おはようございます」と挨拶をしながら横断する。 

 老体で機敏に動くことはできないが、安全パトロールの目立つ服装で立っていると、クルマの方でスピードを落とし、子供たちに注意しながら運転してくれることだろう。

 【交通事故が起きませんように】


俺は、ニラをたくさん入れたチヂミを作った

2017年08月26日 | 俺の料理

 今日の男の料理教室は韓国料理だ。

チヂミとチェユッポックンというものを作るのだ。

 まずはチヂミを作る。 これは韓国料理店で食べたことがある。

強力粉に卵と水を入れてこねる。 

こねるときは弾力がついて、意外にも力がいる作業だ。

 これに、ニラ、タマネギ、ニンジン、ネギなどの野菜を入れてこね合わせ、フライパンで炒めるのだ。

 

 先生はフライパンを片手であやつり、中身をひっくり返すが、我々にはまねできるわけがない。 

だから、フライがえしで、表裏をかえしながら焼いた。

 こんがりと、きつね色に焼いたら、包丁で切る。

切るときは包丁をひかずに、押すようにして切る。

俺は先生の手元をよく見て覚えようとした。 

俺の班の料理はよくできた。

 

 次はチェユッポックンだ。 言いにくい名前の料理だ。

豚肉と野菜にコチジャンを混ぜて炒める。

コチジャンというものは、俺には聞いたことのない調味料だ。

 俺の頭には二つのレシピは入らないから、簡単そうなチヂミだけをメモして覚えようとした。


    *チェユッポックン*

 

 家に帰った。 俺はチヂミの復習をした。

野菜は、ニラ、ネギ、ニンジン、タマネギなど、教わったとおりの野菜を入れようとして、まな板で材料を切った。

ニラは、俺の好物だが、女房は嫌いなものだ。

俺は自分の趣味に合わせて、ニラを多めに切った。

すると、タマネギを入れるすきがなくなったから、タマネギは入れないことにした。

俺はフライパンで炒めた。

料理教室で作ったときよりも、量が多くて厚くできた。

 食べやすく切って、女房と二人で食べた。

俺はとても美味しいと思うが、ニラ嫌いの女房に味をたずねたら、

美味しいと言う。

 女房の返答を俺は素直に聞くことにした。

ニラ嫌いの女房はチヂミにすると食べられるのかなあ。

それでは、この次も、チヂミを作るときは、ニラをたくさん入れることにしよう。


一人ランチでイタリアン

2017年08月23日 | 俺の女房は- - -

女房は久しぶりに女子会でランチするという。

布切れで小物を作って遊んでいるサークルの仲間と出かけるそうだ。

どこで食事をするのかとたずねたら、なんとウナギで有名な料亭ではないか!

ウナギのランチだったら安くても3,000円はするだろう。

高いウナギを食べるのかと聞いたら、ウナギにするか、別の安いものにするか、皆で相談して決めるという。

安い料理だってあると思うというのだ。

しかし、あの料亭では、かけそばとか、きつねうどんなどの安いものが、あるはずがない。

 

女房は今朝の食事で使った食器を洗い、水切りかごに入れたまま出かけて行ってしまった。

残された俺は食器を拭きながら、お昼をどうしたらよいかと悩む。

俺の得意な料理は、「ゲゲゲの鬼太郎の目玉おやじライス」だ。

俺が名付けた「目玉おやじライス」とは、お茶碗にご飯をよそって、梅干を一つトッピングするだけのものだ。

しかし、これでは物足りない。

俺はスーパーの弁当にしようかと頭をめぐらす。

スーパーの弁当だと、女房の高級ランチに対して、500円か。

みじめだなあ。

そこで俺は外食しようと考えた。

俺と女房が二人で行くことのある韓国料理店へ、今日は俺一人で出かけようと思う。

そして、また考える。 この店のカルビランチは、千円でおつりがくる。

3回食べてもウナギの値段には追いつかない。

もっと高級なところへ行こう。

俺は、一度も入ったことのないイタリアン料理の店へ行くことにした。

いかにも高そうな造りのレストランなので、入ったことはない。

俺は度胸を決めてお店のドアを開けた。

すると、客は誰もいない。ランチタイムなのに誰もいないのだ。

コックが出てきて席へ案内してくれた。

店員はコック一人だけだ。

20席ほどあるお店に客は俺一人だけだ。

コック兼ボーイがメニューを持ってきた。

ランチタイムのメニューは1,600円、から3,200円だ。

女房と釣り合いの取れるメニューは3,200円となる。

しかし、高いものを注文する気になれず、一番安いものにした。

 

最初に、冷たいトマトのスープが運ばれてきた。

次は大皿に「サラダグルマンデジーズ」というものがでた。

メニューを見て、初めて知った名前だ。

トマトを小さく切ったものや、ハーブやレタスや、玉ねぎ?、その他、

チーズらしきものなど、食べたことのないものが少しずつ盛り付けてある。

次にメインのパスタだ。

トマトやハーブ、小エビなどがからめてある。

最後にデザートとコーヒーが出た。

食事を終えても、客は俺一人のほかに誰も来なかった。

きれいなお店だ。 静かだ。

CDから小さな音で音楽が流れている。

高級ワインのメニューがある。 夜には客が増えるのだろう。

昼間だったら、ここは一人静かに物思いにふけりながら食事をする人には、最適なところだ。

 

俺は物思いにふける。

今日の女房達7人は、ウナギを食べながら、うるさくおしゃべりをしていることだろう、と。

そして、それぞれの旦那たちはどんなお昼をとっているのだろうか、と。  


マジックショーを観て

2017年08月20日 | 日記

 

    マジックショーを観て

8月20日(日)

 那須塩原市にハロープラザという名の施設がある。

職安のハローワークと間違いそうな名称だ。

ハロープラザは公民館と図書館と市役所の塩原支所を合わせたような施設だ。

 

 ここで、マジックショーを行うというので出かけた。

地元の小学生が招待されていた。

若いマジシャンが、鳩を出したり消したりする手品を披露。

2枚のハンカチを結んで放り投げると、数枚のハンカチになるものや、箱の中に人を入れ、その上に立って目隠しの黒い布を広げ、一瞬にして箱の中と上の人が入れ替わる手品などに拍手。

普段、テレビで観ているような手品だ。

マジシャンは子供たちの気分が盛り上がるように話しかける。

我々大人には、脇の方から見るとネタが見えるかもしれないが、見ないふりをしてくれと願う。(笑)

 

 小学3年生の男の子がステージに呼ばれた。

パイプ椅子を二つ並べ、その上に板を敷き、子供を寝かせた。

そして、一つの椅子を外すと、子供は宙に浮いているように見える。

拍手が起きるが、当の子どもは何が起きているのか理解できないでいるようすだ。

マジシャンは子どもをステージに立たせてから、ポラロイドカメラで撮影した写真を見せると、子供は驚いたような声をあげた。

いかにも大げさに驚いているように見えた。

子どもも役者になっているようだ。

この子は演技がうまいなあと感心。

 

 私は手品そのものよりも、さわやかな弁舌で、大人や子供たちを引き込んでいるマジシャンの話術に感動した。


8月15日を過ぎてもボクは敗戦を知らなかった  *ボクの見た戦中戦後(34) 

2017年08月15日 | ボクの見た戦中戦後

 

【8月15日を過ぎてもボクは敗戦を知らなかった】

*ボクの見た戦中戦後(34)

 昭和20年8月15日、国民学校2年生のボクは函館から秋田の親戚の家に疎開していた。

6人きょうだいの内、末の2歳の妹と乳飲み子の弟は父母と函館の鉄道官舎に残り、ボクと6年生の姉と5歳と3歳の妹の4人は叔母の家に預けられていたのである。

 8月14日の深夜、秋田市(土崎)が空襲を受け、山の向こうが赤く見えた。

翌15日は空が青く晴れ渡った日だった。

お昼頃、ボクは近くの羽後岩谷駅へ遊びに出かけた。

すると、駅前で大人たちが直立し、頭を垂れていた。

駅舎から流れるラジオの放送を聞いているようだった。

ボクには何のことか分からないけれど、大人の間を走り抜けてはいけないように思い、しばらく、大人たちの真似をして、気をつけの姿勢で頭を下げていた。

しかし、誰が何を放送しているか分からず、窮屈な思いなので、そっとその場を離れた。

これが敗戦を告げる放送とは、その後もしばらく知らないでいた。

姉は誰からか重大放送があることを知り、友達のいる駅長さんの官舎に出かけ、ひざまずいて天皇陛下の放送を聞いていたと言う。

姉は天皇陛下のお言葉を理解できなかったのか、戦争に負けたことをボクには知らせてくれなかった。

疎開先の家でも、敗戦の話は一言もなかったので、ボクはまだ戦争を続けているものと思っていた。

そのため、学校へ行くときも包帯や赤チンキを入れた救急袋を肩にかけていた。

空襲で怪我をした時の応急手当をするためのものであった。

救急袋を函館の学校(亀田小学校)では生徒全員が持って登校していたが、疎開先の学校では誰も持っていなかった。

敗戦後も、肩にかけているバッグに先生が気づき、それは何かと尋ねられたので、「救急袋です」と応えた。

この時も先生は日本が戦争に負けたことを教えてくださらなかった。

戦争中、大人たちも先生も「日本は必ず勝つ」と、言っていたので、子どもたちへ敗戦をどう説明したらよいか戸惑ったことだろう。

 

 疎開していた家は茅葺の大きな農家だった。

函館の鉄道官舎の何倍もあった。

家の前にいたとき、ゴ~と爆音が聞こえた。

敵機だ! しかし、空を見上げたが何も見えなかった。

疎開先の家には防空壕がなかった。

ボクは急いで家の中に飛び込んだ。

すると、この音は以外にも家の奥から聞こえてきた。

覗いてみると、親戚の人が石臼で米の粉を挽いているところだった。

石臼を挽く音は飛行機の爆音に似ていた。

戦争が終わったことを知らないボクは、函館で空襲に遭ったことを思いだし、いつも敵機の空襲に備えて身構えていたのだった。

 

 終戦になっても、父母はなかなか迎えに来なかった。

11月になってから母は弟を背負い、妹の手をひいてボクが疎開している秋田の親戚の家を訪ねてきた。

連絡船は全滅していたから、津軽海峡を貨物船で渡ったとのことであった。

 

 後に母親に8月15日のことを尋ねると、その日の朝、ラジオで正午に重大放送があることが知らされた。

このとき、日本は戦争に負けたことを悟ったという。

もう空襲は無くなるから、ほっと安心したとのことであった。

正直な気持ちを他人に話せば非国民と言われ、罰を受けそうなので、黙っていたとのことだ。

 

 毎年、8月15日になると、これらのことが思い出される。


俺は 梅干つき 五目冷やし中華 を作った

2017年08月11日 | 俺の料理

*梅干つき五目冷やし中華*

 【 俺はキンチョウカンを持って、シュクシュクと

テイネイに テイネイに、冷やし中華を作った 】

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 今日の午前中は、女房は友達と布切れで何かを作るとかで、公民館に出かけて留守だ。

留守の間に、俺はお昼を自分で作り、女房に食べさせようと思った。

冷やし中華だ。

最近、女房が作るお昼は冷やし中華が多くなってきた。

俺は作り方を観察してきた。

簡単な料理のようだから、俺にだって作れるはずだ。

 

 俺はスーパーへ出かけて、スープ付きの中華麺を買った。

トッピングする具材は冷蔵庫を探せばよいだろう。

帰宅し、材料をそろえる。

卵にトマト、キュウリ、ロースハム、ミョウガで五色の彩りの冷やし中華を作ろうと思い、出来栄えを想像し、ニコリとする。

 

 まずは薄焼き卵を2枚作って細く切り、錦糸卵を作ることにした。

銅製の四角い卵焼き器に卵液を流して焼いた。

卵焼き器の取っ手を持って、まな板にひっくり返して置こうとしたら、取っ手の金属部分が指に触れた。

「アッチッチッチ」 やけどをした。

急いで水道の水で冷やした。

2枚目はやけどをしないように《キンチョウカンを持って》焼いた。

錦糸卵にしようとして、細かく包丁を入れると崩れてしまったから、太めに切った。

薄焼き卵の短冊切りになった。

次にキュウリを切る。

キュウリを三つに切ってから、たてにして千切りにしようとしたら、短冊切りになってしまった。

千切りでも短冊切りでも味は同じはずだから、まあ、いいか。

それならば、初めから簡単な短冊切りにした方がよいと、俺の頭は回転する。

だから、次のロースハムは初めから短冊切りで仕上げた。

トマトは、くし切りにした。

一つのトマトを12等分するという高度な技術をクリアしたのだ。

ミョウガは切りにくいから適当に切った。

以上でトッピングの材料はそろった。

 

 俺は《シュクシュク》と冷やし中華を作る。

麺を茹で、水でぬめりを取り、氷水で冷やす。

これをお皿に盛り付けるのだ。

盛り付けは中央がこんもりと高くなるようにした。

円錐形にもりつけると麺の表面積が多くなり、トッピングの量も多くなるだろうと数学的に考えたからだ。

俺は美的センスを駆使しながら、キュウリ、トマトなどを《テイネイニテイネイニ》トッピングした。

最後に中央に梅干をのせ、スープをかけて出来上がりだ。 簡単だ。

熱中症予防の塩分補給に梅干を加えたのだ。

グッドアイデアだろう。

 

 女房と二人で食べた。

まずはキュウリから食べよう。

ガリガリと音がする。

女房の千切りキュウリは柔らかいが、俺の短冊キュウリは硬い。

女房は「キュウリを縦に切って短冊切りにすると、皮の部分と中身の硬さがちがうので食べにくい。また彩りもよくない」と、手きびしく批評。

 

「はい!2度とコノヨウナコトガオキマセンヨウに、

今後はキンチョウカンを持って料理いたします」(最敬礼)

 


永井隆博士と「長崎の鐘」

2017年08月09日 | 戦争とは何か?

       永井隆博士と「長崎の鐘」

  原爆で被爆した長崎大学の医学博士・永井隆は、妻を探しに浦賀の自宅へ戻った。

そして、焼け跡から骨の灰がまとわりついたロザリオを発見した。

ロザリオから、隠れキリシタンの末裔である妻の緑さんの遺骨と知った。

このことが「長崎の鐘」で歌われている。

 

     召されて妻は 天国へ

     別れてひとり 旅立ちぬ

     かたみに残る ロザリオの

     鎖に白き わが涙

     なぐさめ はげまし 長崎の

     ああ 長崎の鐘がなる

 

 博士は自らも被爆し、白血病になったにも関わらず、被爆者たちの救護活動を行なった。

このことを、私は中学生の時に雑誌で知った。

雑誌には博士と子供の写真が載っていた。

 25年ほど前、私は博士が暮らしたという、小さな家を訪ねた。

ローマ教皇特使として大司教のフルステンベルグがお見舞いにこられ、寝ておられる博士の側の椅子に腰かけられている写真が飾られてあるのを見て感動した。

私は博士のお墓参りをして彼の偉業に思いをめぐらした。

    

 

 


ヒロシマ・ナガサキ

2017年08月09日 | 戦争とは何か?

 

      ヒロシマ・ナガサキ

  8月6日、西那須野公民館で「1945年夏 ヒロシマ・ナガサキ」の朗読劇が行なわれた。

主催する「夏の会」は毎年この時期に朗読会を行ない、今回で27回目という。

原爆投下のため、地獄と化した悲惨な状況の中で、放射線を浴びながらも生き延びた人たちの体験集を6人のスタッフが読み上げる。 胸が詰まる。

 

   峠三吉「原爆詩集」より

     序

ちちをかえせ ははをかえせ 

としよりをかえせ

こどもをかえせ

   わたしをかえせ わたしにつながる

   にんげんをかえせ

にんげんの にんげんのよの

あるかぎり

くずれぬへいわを

へいわをかえせ

 

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 先月、国連本部で核兵器禁止条約が採択された。

しかし、日本政府は唯一の被爆国にもかかわらず反対した。

反対とは国民を代表する声なのか???????

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   被爆者が最後に「がっかりした」と嘆いたニュース  

      8月6日 TBS NEWSより ⇓ 

https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20170806-00000155-jnn-soci


大田原市 与一まつり

2017年08月05日 | 祭り

   大田原与一まつり

               8月4・5日

壇ノ浦の戦いで扇の的を射抜いた那須与一を称える祭りが行われました。

那須与一は大田原出身と伝えられております。


チアダンススクールの子どもたち


鮎の塩焼き、焼きトウモロコシなどのお店が並ぶ。

 


バッタの脱皮

2017年08月03日 | 花・自然

  

 那須野が原公園に出かけた。

林の中では、セミが鳴いている。

ジージージーとアブラゼミ。

カナカナカナとヒグラシが鳴く。

アブラゼミとヒグラシの鳴くエリアは異なっていることに気がついた。

 芝生の中で4人連れの親子が、しゃがんで何かを見つめているので声を掛けた。

4歳の女の子がバッタが脱皮している所を見つけたとのこと。

父親はショウリョウバッタが脱皮することを知らなかったと話している。

 母親はカメラで撮影していた。

珍しいので私も写真を撮りたいが、あいにくカメラを持ってこなかった。

試みにケイタイで撮ってみた。

 (脱皮したばかりのショウリョウバッタと抜け殻)


ショウリョウバッタ ( の先)


抜け殻