夢職で 高貴高齢者の 叫び

          

源実朝の歌碑

2017年09月29日 | 日記

 9月29日

那須野が原の烏が森公園にクルマで出かけた。

烏が森には、源実朝の歌碑が建立されている。

今日はギックリ腰の歩行訓練で、森の頂上にある歌碑まで行くことにした。

若い頃は、100段ばかりの階段を上って歌碑を見たが、今では上れない。

そこで、遠まわりの小道を歩いた。 ゆるやかな坂道である。

しかし、ゆるやかな坂道でも、ギックリ腰の俺にはこたえる。

 

やっと、頂上について歌碑を見る。

歌碑は、あまりにも達筆な文字なので、俺には読めない。 ただ、眺めるだけだ。

『武士(もののふ)の やなみつくろふ こての上に 

あられたばしる 那須のしのはら   実朝(さねとも)』 と読むそうな。

 

 

烏が森の頂上から、塩原温泉の山を眺める

 

 

以前なら上れた階段を上から見おろす

  


1万円札が落ちていたら?

2017年09月27日 | ギックリ腰

 ギックリ腰になってから3か月が過ぎた。

腰を痛めたときは、ほとんど歩けなかった。

今は杖をつきながら、少しずつ歩く練習をしている。

 

 今日は杖なしで歩く練習に出かけた。

場所は那須野が原公園。 今日は人の姿がまばらだ。

ここはクルマの心配がない。

舗装された小道や、柔らかい芝生の上を歩く。

途中、花を見つけてはデジカメで写す。

のんびりゆっくり歩いて1時間。

 

 昨年は、ギックリに3回もやられた。

 今年は、まだ、1回だけだ。

 これ以上ギックリ腰になりたくない。 

 昨年は、落ちていた紙屑を拾おうとしたらギックリ。

 今年は、卓球の練習のとき、落としたボールを拾ったらギックリ。

 俺は物を拾おうとして、腰をかがめたときにギックリ腰になりやすいのだ。

 公園に、100円玉が落ちていても拾わないことにしよう。

 わずか100円拾って、ギックリになったら、大損害だ。

 

しかしなあ、1万円札が落ちていたらどうしよう。

迷うなあ?

    

  

      

 

    

   

 


一線を越えて

2017年09月22日 | 国内旅行

会津ころり三観音 

2017-09-21

 

 歳をとった。まだまだ歩けるが、病院通いに忙しい。

いずれは、あちらの世界へ旅立つだろうが、逝くならば長く苦しまず、できるだけ人の世話にならず、ころりと逝きたいものだ。

 

 この度、某サークルの仲間のバスツアーに参加。

会津のころり三観音巡りだ。

 最初のお参りは鳥追い観音。

   

 左甚五郎作と伝わる『隠れ三猿』がある。

①   災難より隠れ猿 *鷹に狙われ、さらわれないように隠れている猿

   

 

②   災難より逃れ猿 *鷹に見つからず、難から逃れた猿

   

 

③   安楽に暮らし猿 *鷹がいないので、安心している猿

    

 

 次は立木観音へお参り

本尊は国指定重要文化財・千手観音立像。

左右に二十八部衆という武者のような仏像が並ぶ様子は壮観。

   

 

 最後に中田観音に寄る。残念ながら工事中。

   

工事中だが賽銭箱あり。

ころりと逝きますようにと、お賽銭を喜捨。

   

 

やがて

お誘いが来たら

  一 線 を 越 え て

 未知の楽園へ行くことにしようか

 

  綺麗なお花が見られるだろうなあ

ハスの花か!

 


下界は晴れ、那須山は風雨強し

2017年09月19日 | 日記

2017-09-18(敬老の日)

台風が去った。今日の気温は30度を超えるとの予報。

暑くてたまらなくなるから、女房を誘って那須山へ行こうと思った。

登山ができる体力はないので、ロープウェイに乗って那須山の冷気に触れ、下界を見下ろしたいのだ。

しかし、朝、突然の提案に女房は渋った。今日は洗濯したり、お掃除をしたり、床のワックスがけをするので行きたくないとのことだ。

掃除洗濯は毎度の事ではないかと俺は思う。暑い日にワックスがけなどをしたら、熱中症になるからと誘うが、まだ渋っている

俺は超高齢者だ。病院通いに忙しいが、今日は天気がよいし、体調もよい。歩きたくても歩けなくなる前に山へ行こうと、切り札を出す。

止むを得ず女房は俺に従う。夫唱婦随の美徳だ。我が家では戦前の道徳教育が生きている。

 

クルマで那須山へ向かった。ロープウェイ駐車場は意外にも空いていた。雨が降ってきた、風も強い。下界とはまるで違う天候に驚く。

ちょっと晴れ間があり、山頂駅が見えたがすぐガスがかかる。

山麓駅へ入ったら、強風のためにロープウェイは運転中止とのアナウンス。

がっかりしたなあ。

 

そこで、平成の森へ行くことにした。

平成の森は霧雨。濡れながら歩く。

紅葉が始まったばかりの樹々が見られる。

舗装された道にドングリが落ちている。

アザミの花に蝶や虫が密を吸いに止まっている。

双眼鏡を持って、バードウォッチングに来たというカップルに出会ったので、俺も若い頃、バードウオッチングをしていたことを話した。

今日は天気が悪いので、野鳥を見つけるのは難しいだろう。

 

お腹が空いたので、道の駅・那須高原友愛の森へ向かう。

遅いお昼に、那須和牛コロッケ定食をいただく。

下の天気は良い。俺が引き返した後に、ロープウェイは動いただろうかと気になる。


シェイクスピア・夏の夜の夢

2017年09月11日 | 俺の女房は- - -

 

シェイクスピア・『夏の夜の夢 』

栃木県総合文化センターへ、シェイクスピアの『夏の夜の夢』の観劇に出かけた。

役者は全員男性。女役も男が演じる。だから、奇妙な感じがしだ。

しかし、歌舞伎も役者は全員男性ではないか。

シェイクスピアの時代は、歌舞伎のように全員男性で演じていたそうだ。

その400年前の上演方法を再現したそうである。

 

眠っている人の瞼に、妖精が媚薬を塗る。

媚薬を塗られた人は目が覚めたときに、最初に見た人に恋をする。

妖精のいたずらで、恋の相手が取り換えられる喜劇。

 

演劇が終了後、夕食は宇都宮駅で。

これも楽しみで、観劇にきたようなものだ。

二人でレストランへ入る。

珍しい間仕切りを見た。

鹿沼の伝統工芸品の組子のようだ。優雅だ。

   

ヒレカツ定食を注文したら、最初にゴマの入った小さなすり鉢が出された。

ウエィトレスは、ゴマをすってタレと混ぜ合わせると、美味しいタレが出来ると説明。

俺は女房の目の前でゴマをする

何か、良いことが起こることを期待しながら、ゴマをすった

 


道の駅・明治の森でピザ

2017年09月05日 | 日記

9月5日(火)

女房は何かのボランティアで留守。

俺は気晴らしに、道の駅・明治の森までドライブ。

青木周蔵別邸を眺める。

 

トンボがヒマワリの葉の上で羽を休めている。 もう秋です。

 

遅咲きのヒマワリがちらほら。もう、花は終わりです。

 

お花畑の手入れをしている人たち

 

 

ヒマワリの実をいただきました。冬になったら野鳥の餌にします。

 

小腹が空いたのでカフェでピザを注文。

3時のおやつでは多すぎる。

今日は半分食べて手伝ってくれる人がいない。

 


映画;母 小林多喜二の母の物語

2017年09月04日 | 映画演劇など

     映画;母 小林多喜二の母の物語  

           原作 三浦綾子 『母』

 

 昭和8年2月20日、『蟹工船』の作家、小林多喜二は特高の拷問で虐殺された。「武器を作るお金で、皆に白い米のご飯を!」と、反戦を訴えてきたことが、治安維持法に触れたのだ。

 三浦綾子は多喜二の弟や多喜二の知人などから取材を行ない、多喜二の母をモデルに、小説『母』を書いた。そして今年・2017年に映画化された。

   

 

   (三浦綾子著 『母』より抜粋)

 布団の上に寝かされた多喜二の遺体はひどいもんだった。 首や手首には、ロープで思いっきり縛りつけた跡がある。 ズボンを誰かが脱がせた時は、みんな一斉に悲鳴を上げて、ものも言えんかった。 下っ腹から両膝まで、墨と赤インクでもまぜて塗ったかと思うほどの恐ろしいほどの色で、いつもの多喜二の足の二倍にもふくらんでいた。 誰かが、

「釘か針かを刺したな」

と言っていた。

 ------ああ、いやだ、いやだ、あの可哀相な姿は思い出したくもない。 思い出したからって、どうしてやりようもない。

 よくまあわだしは、気絶もしなかったもんだ。 それどころかその時わだしはこう言ったんだと。

「ほれっ! 多喜二! もう一度立って見せねか! みんなのために、もう一度立って見せねか!」

ってね。 多喜二のほっぺたに、わだしのほっぺたばくっつけていたと。

わだしは多喜二が死んだと思いたくなかったのね。 ほんとに生き返って欲しかったのね。 

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 今年の夏、図書館で、大きな活字の本の中から、小林多喜二の『蟹工船』が目に止まった。 小説をあまり読んでこなかった私であるが、なんとなく気がひかれて読んでみた。 それから、三浦綾子が多喜二の母を書いた小説、『母』を読んだ。

   

 新聞で、『小林多喜二の母の物語』が鹿沼市で上映されたことを知ったのは、三浦綾子の『母』を読んでいた時のことである。

 ネットで検索し、9月2日から15日まで、宇都宮市のヒカリ座で上映するとを知った。 偶然が重なり幸運なので、映画へ出かけた。