爺さんたちの料理教室へ参加した。
家庭用の小さな流し台が一つあるだけの部屋に
会議用のテーブルを4個合わせて調理台にした。
それに新聞紙を敷いてカセットコンロとまな板を置いて調理するのだ。
豆腐の水分をキッチンペーパーで吸い取り、サラダ油で揚げた。
シメジとエノキを麺つゆでさっと茹で、揚げ豆腐とともに皿に盛り、カタクリのあんをかける。
なるべく、きれいに見えるように盛り付けを工夫する。
茹でた春雨を初めて手に持ってみた。ごにょごにょしているのに驚き
2時間半かかって、やっと出来上がりました。
爺さんたちの感想は
①食べる時間はわずか10分だけど、料理がこんなに時間がかかる
とは思わなかった。
②婆さんが倒れたら、食べていけなくなるから、少しは料理ができる
ようにしよう。
③男子厨房に入るべからずという教えを守ってきたのに、時代が変
わり、女房が威張るようになったから、やむを得ず俺も台所に立
たされるようになってしまった。
東日本大震災からの復興を願い山形市で東北6県を
代表する祭りが行われた(6月24日~25日)
東北六魂祭である
青森ねぶた祭
秋田竿灯まつり
盛岡さんさ踊り
山形花笠まつり
仙台七夕まつり
福島わらじまつり
2014-05-18
日光東照宮春季例大祭の百物揃千人武者行列です。
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神輿に観光客が賽銭を投げ入れます。
ヒョットコやお猿などのお面を腰につけた子供たちが神輿のあとに続いて、落ちているコインを拾っていきます。
拾ったお金は自分の小遣いになるとのことです。
《参考》
日光東照宮の例大祭
神事 流 鏑 馬 5月17日 10月16日
千人武者行列 5月18日 10月17日
日光東照宮神事流鏑馬
2014-5-17
矢を射る前の神事
的場へ向かう武者
矢を射た瞬間(画像がぶれました)
的に命中 杉板の的が割れる
当たり的で作った記念品(昨年秋の流鏑馬での当たり的)
国民学校の2年生になったとき、先生が1年生で使った教科書を学校へ寄付するようにと言われた。 ボクは3歳年下の妹にあげたいので学校へ寄付したくありませんと先生に告げた。 先生は寄付しない人には2年生の教科書を渡すことが出来ないとお話ししたので、やむを得ず教科書を提出した。
戦争で物資が不足し、教科書を印刷することが困難になっていたのだ。 思い起こしてみると、あのころはノートさえ満足に買うことができなかったから、ボクは新聞の余白に文字の練習をしていた。
北海道の学校から秋田の学校へ疎開したとき、教科書を持っていない子がいることに気が付いた。 学校へ配布された教科書が少なかったのか、当時は有償だった教科書を買うことが出来ない子どもたちがいたのかも知れない。 そのため、二人並びの机で国語の本を二人で手に持って読んでいた。
戦争に敗れて、マッカーサーとか進駐軍の命令という言葉を耳にするようになってからのことである。 先生の指示で国語や音楽などの教科書へ墨を塗り始めた。 途中で教頭先生が墨塗りの様子を見に来られて、受け持ちの先生へ墨塗りを追加するように指示していったようだった。 墨塗り箇所は全国統一ではなく学校へ任せられていたのだろうか。
墨塗りをした部分は軍国主義的な文章や民衆主義に反する箇所であったろうが、2年生のボクたちには理解することができるはずはなかった。 読み物が満足に手に入らなかった時代であったせいか、ボクは墨塗りで残った活字を家で繰り返し読んでいたようである。 そして今、墨塗りされなかった一部を思い出すことができた。 それは天女の羽衣の物語である。 ボクはその物語の中でたいそう気にいった文章を口ずさんでいたから、今でも思い出せるのだろう。 三保の松原で漁師が羽衣を拾ったとき、天女が現れて舞を見せるから羽衣を返してくれと頼むが、漁師は羽衣を返すと舞わずに天へ帰るだろうと疑い、返そうとしない。 すると天女は「天人はウソというものを知りません」という。 漁師はこれを聞き、恥じて謝るのだ。 ボクは羽衣の歌とともに天人の言葉を暗唱していた。 このとき、ボクは天人のようにウソをつかないようにしようと心に決めたように思う。
♪白い浜辺の 松原に 波が寄せたり 返したり
あまの羽衣 ひらひらと 天女の舞の美しさ
いつかかすみに つつまれて 空にほんのり 富士の山♪
こんなによく記憶しているのは、墨が塗られて教材が少なくなったので、残ったところを先生が熱を込めて教えてくださったためか、読み物がなかったから教科書を繰り返し読んでいたせいかも知れない。 ボクは羽衣の歌を歌いながら天女が舞う姿を想像していたのだ。
敗戦で学校の様子が変わった。 朝礼での宮城遥拝はなくなった。 奉安殿に最敬礼することもなくなり、教育勅語の奉読もなくなった。 軍国主義の教育から民主主義の教育に変わり、墨塗りの教科書で学校の先生たちは、子供たちの教育に戸惑ったことであろう。
敗戦後30年余り経った1976年、ボクは羽衣伝説の三保の松原へ旅をした。
【墨塗り教科書参考URL】
庭の片隅にある砂利の所に翁草が増えております。
土地の条件が良いのでしょうか、今年も新しい芽が育ちました。
発芽から花を付けるようになるまでは2年ぐらいかかるそうです。
花は白い柔らかな毛におおわれ、うつむいて咲いております。
オキナ草の実は翁の白髪頭のようです。
綿毛になりました。
綿毛が飛んでいき、どこかで新しい芽をだすことでしょう。
庭のタマリュウの間に発芽した新芽を砂利の所へ移植しました。
5月10日(土)
プランターのサヤエンドウの蔓がのびてきました。
グリーンカーテンになるまでは、まだまだです。
花が咲き実がつき始めました。
お汁の具にするのが楽しみです。
5月7日(水)天気 心も
いつものようにパソコンの電源を入れた。
ところが、いつまで経っても画面は真っ黒。
電源を切ってみようと、 CTRL+ALT+DELのボタンを押したが反応なし。
いつまで経っても真っ黒のままだ
そこで、電源ボタンの長押しで強制終了させた。
二度三度とパソコンを立ち上げようとしたが同じ結果になる。
以前、同じような症状がでたので修理にだしたら、ハードディスク交換で高い費用が掛かったことがある。
またも、ハードディスクの故障か
修理代は、ン万円もするだろう。 弱った弱った。
年金暮らしの高貴高齢者の俺は顔面蒼白
俺はパソコン仲間のM氏へ 「ヘルプ」と連絡した。
M氏が我が家へ来てくれて、問題のパソコンをいじっていたら、なんと、
気持ち良い起動音とともにパソコンが立ち上がったではないか
M氏の神業に感謝感激
俺の気分は
大田原市内のぼたん園にて
2014-05-04
小山市間々田のジャガマイタ(蛇祭り)
毎年5月5日に間々田八幡宮でジャガマイタが行われます。
ジャガマイタとは蛇が巻いたという意味です。
疫病退散や五穀豊穣を祈願する行事とのことです。
3年前の祭りの想い出をブログにしてみました。
長さは約15メートル、胴の太さは30センチ程の蛇体を担ぎ、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/84/24868b4805a2e526f33490051f9daacd.jpg)
八幡宮社殿へ向かうジャの数は七体
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/b7/db8edf956797871c059962332d8d461a.jpg)
ジャは孟宗竹にわらや縄を巻き、シダ類を差し込んで作る
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/83/c4dd15383ae5446665599f7879a97587.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/86/3d5dfdde1552dcec09d087cef5381b5b.jpg)
水呑みの儀 = ジャに池の水を呑ませる
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/2a/5d595be3bcf0c986a06aa3d70242623d.jpg)
水を呑み終え、池から上がろうとするジャ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/74/4c377482881d75c1badd55e3d795f75d.jpg)