沿道の菊の花と山並み
緑
渓谷の紅と緑
2014-10-26
公民館での 男の料理教室へ出席
*まず、包丁を研ぐ
*今日の料理は、鶏団子と野菜のスープ煮
材料を並べてみた
鶏のひき肉、生姜、長ねぎ、にら、椎茸、しめじ、白菜、
舞茸、油揚げ、もやし、大根、水菜
鶏がらスープの素、しょうゆ、塩、ごま、味噌、玉子、
片栗粉、ごま油、みりん、料理酒
*肉団子を丸める
*肉団子を丸めながらだし汁へ入れる
*材料をだし汁で煮込む
*出来上がり
*新米でいただきます
- - - 上のコップは飲みかけのノンアルコールビール - - -
(公民館なので本物のビールは飲めないのだ)
2014-10-25
2014-10-23
公民館のバス旅行で、五色沼を散策した。
昨日の天気予報では
今日は予報が外れて
外れて良かったと、みんな喜ぶ。
俺が五色沼を初めて訪れたのは、55年も前のことだ。
当時を思い出しながら歩く。
落ち葉の道を歩く
磐梯山の噴火で飛んできた巨岩
沼から沼へ流れる小川
*半世紀も前の夏、のどが渇いたので、ここの水を飲もうとして口をつけたことがある。
強烈に渋い。口が曲がりそうな味だった。
【浮浪児1945-戦争が生んだ子供たち】
石井光太著 新潮社(2014年8月発行)
浮浪児の本を読んだ。
涙がこぼれた。
戦災で親を亡くし、幼いながらも必死で生きようとした子供たち。
元・浮浪児たちは、困難を乗り越え、がむしゃらに生きてきたと語る。
再び子供たちが戦禍にまきこまれないように、戦争を絶対に起こしてはならない。
⇓ マイブログ:浮浪児と軽蔑された戦災孤児 ⇓
http://blog.goo.ne.jp/suketsune/e/6e9f57d1bf2d125636bc7a8cab206cf2
⇓ 本の紹介 ⇓
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2014100500007.html
大変むずかしいクイズです。
これは何でしょう? ⇓
(こちらは表側)
(こちらが裏側)
うちわの形をしておりますが、うちわではありません。
バラの写真です。
文字ではありません。
文字で模様を描いただけです。
写真用紙を丈夫にするため、中に骨を入れました。
写真に指紋がつかないように持つところをつけました。
グッドアイデアでしょう。
さくら市ミュージアムで《昭和時代~くらしと学び舎~》の展示が行われている。
先日、ここでスバル360を見学した際、昭和時代の家庭や学校の様子の展示物も見学した。私は当時を偲びながら展示された品々を見た。
***昭和30年代の居間***
>丸いちゃぶ台を囲んで食事 ⇒ちゃぶ台は一枚板なので大木が必要。
>その左わき木製の御ひつ
>ステレオ ⇒LP盤やドーナッツ盤のレコードを聴いた。
>丸型の白黒テレビ ⇒使用しないときはブラウン管を布で覆った。また、テレビを箱に納め、見る時だけ、観音開きの扉を開けるものもあった。
>戸棚の上にはラジオ ⇒このころのラジオは大型真空管からミニュチュア管に替わり、外函は合成樹脂が使われるようになった。
>振り子時計 ⇒ゼンマイ式から電池式へ
>置き薬の木箱 ⇒富山の薬業者が置いていく薬を一年後に使用したものの代金を支払った。
***生活道具(昭和30年代以前)***
>イモ洗いの道具、桶、たらい、水桶、羽釜、井戸のポンプ、炭火アイロン、ランプ、やぐらこたつetc.
***学校の様子***
>二人用の机、教卓、足踏み式オルガン、温度計など。
>写真はそろばんと給食の様子 ⇒昭和30年ころの給食はコッペパンと脱脂粉乳がメインで、おかずとしてクジラの竜田揚げなど質素なものであった。アルミの食器と先割れスプーンを使用した。
《展示は11月9日まで》
※離れた位置からの撮影とブログ掲載の承諾済み=2014-10-11=
⇓ お
⇓ ま
⇓ け
さらに、湯葉うどんを追加。一人で二人前を食す。
優雅な気分にひたる。
*クリックで拡大
さくら市ミュージアムで「スバル360」の展示をしているので出かけた。
幸い撮影は自由とのことなのでデジカメに記録した。
スバル360は昭和33(1958)年から昭和45(1970)年までの12年間に生産された大衆車である。
てんとう虫の愛称で呼ばれた
まん丸いライト
サイドミラー
蓋を開けて外気を室内へ入れる
スペアタイヤはフロントのトランクへ収納
左フロントにぶつけた痕
物にぶつけてボデイがくぼむと裏から拳で叩いて直した
初期のワイパーは中央に1本、 後期は左右に2本
給油口 ガソリンタンクはエンジンの真上
エンジンは後ろ すのこ状の穴から熱を逃がす
リアサイドから外気をエンジンルームへ送る
ドアのチョウツガイは外側
タイヤの陰にブレーキホースが見える
天井を囲むゴム製の帯に貼り付けた金属の帯はカーラジオのアンテナ
私は昭和40(1965)年にスバル360の中古車を譲り受けた。1960年初めのクルマであったと思う。
その後、新車を購入したのでスバル360は2台乗った。
馬力は小さいが悪天候でも風雨にさらされることなく通勤できたので重宝したものである。あの頃はマイカーブームの始まりであった。
展示されているクルマはスバルの後期のものと思われる。私が最初に乗った中古車とは違いがある。
例えば後期の窓はドアのハンドルで上下に開閉するが、初期のものは戸棚のガラス戸のように2枚のガラスを左右にスライドさせたものであった。
また初期のワイパーは中央に一つだけであった。
初期のものには燃料計がなく、給油口にオイルゲージのような棒を差し込んで燃料の残量を調べながら走行した。途中で燃料が切れたことがあったが、予備コックを開いてガソリンスタンドまでたどり着いたことがあった。後期のクルマに乗り換えたときは燃料計があったので便利さを感じたものである。
初期のクルマの燃料はガソリン25:オイル1の混合燃料を入れた。後期のものはガソリンはガソリンタンクへ、オイルはエンジンルームの別タンクに入れ、自動的にガソリンとオイルが混合出来るようになっていた。
走行中にデストリビューターの接点が焼けて調子が悪くなることがあり、接点をやすりで磨いたり、また、プラグが煤で汚れて調子が悪くなると、路上でプラグを取り外して煤を取り除いて整備しながら乗ったものである。デストリビューターやプラグの電極の隙間を調整するゲージが標準工具として供えられていたのだから、今の感覚では考えられない。
エンジンは空冷2気筒でオートバイのエンジンと似ていた。簡単なので素人でも分かるような構造であった。
映画“三丁目の夕日”で活躍する“ダイハツミゼット”も展示されている。
現在も活用しているオート三輪とのことである。
(この催しは11月9日まで行なわれている)
リンク:昭和37年型スバル360セダンのカタログ紹介
http://www.asahi-net.or.jp/~rf7k-inue/izen/no-3/subaru/subaru.html#su-siyo
女房が作った弁当の中身
時計回りに、昆布巻き、茄子の漬物、厚焼き玉子。紫蘇巻、人参・玉ねぎ・こんにゃく・その他二つの食材(食材の名が分からないのだ)が入った煮物
今朝、女房が用事が出来て外出。
帰りは午後3時ごろとのこと。
俺の昼を心配して弁当を作っていった。
丸い漆塗りの弁当におかずが入っている。
俺の昼食はご飯を電気釜からよそるだけで済むのだ。
弁当を眺めるだけで幸せ感
ありがたや ありがたや
奥日光散策
湯滝~小田代橋~戦場が原~光徳入り口
10月6日、台風のため交通機関は混乱。日光へ向かう電車は線路上に立ち往生。風にあおられ電車が横揺れする。
日光駅から迎えのバスで中禅寺湖畔の宿へ着く。
翌7日は晴れ、湯滝から光徳入り口までを散策。
露出した木の根
宇都宮文化会館のポスターより
この世の名ごり 夜もなごり 死にに行く身をたとうれば
あだしが原の道の霜 一足づつに消えて行く
夢のゆめこそ哀れなれ
近松門左衛門の曽根崎心中の名台詞に魅せられて、人形浄瑠璃文楽を観に宇都宮文化会館へ行った。
人形浄瑠璃はテレビで観たことがあるが、舞台で観るのは初めてである。
人形遣いの操りにより、細かなしぐさをする人形。一体の人形を三人で操っているのだ。人形の細かなしぐさから感情が伝わってくる。
三味線を伴奏に太夫が語る。太夫の語りは難解だが、字幕を読みながら理解していった。
濡れぎぬを着せられた醤油屋の手代徳兵衛と、恋仲の女郎お初が冥途への道を行く場面がクライマックス。
あれ数うれば暁の 七つの時が六つ鳴りて
残る一つが今生の 鐘の響きの聞き納め
寂滅為楽(じゃくめついらく)と響くなり
二人はひもでしっかりと体を結ぶ。
お初を刺し、返す刀で首を突く徳兵衛。
のけぞるお初を抱きながらくずれる徳兵衛。
長き夢路を曽根崎の 森の雫と散りにけり
幕が下り、感動の余韻にひたりながら外へ出た。
外では会館横の出入り口に長い行列が続いていた。全員が若い女性だ。男子は一人もいない。
女房が何の行列かと尋ねたら、「シャイニー」という韓国人グループのライブコンサートが大ホールで夜6時から始まるが、その前にグッズを買うために朝から並んでいたそうだ。バッグやTシャツ、キーホルダーなどのグッズを買った子は幸せそうな顔で見せてくれた。
若い子たちはグッズを買ってライブを楽しんで幸せなんだ。いいなあ。
文楽のグッズも販売していた。売り子さんが呼び込んでいた。
小ホールでの人形浄瑠璃の客層はほとんどが年金生活者である。
グッズはどれだけ売れたのかなあ?
爺も文楽のグッズを横目で見ながら通り過ぎただけだけど。
爺は若い子たちが夢中になるシャイニーとはどんなものかと検索してみた。韓国のイケメンか。感じのいい歌だなあ。韓国語は分からないから、字幕があればよいのになあ。
今年は例年になく熊が多く目撃されていると新聞報道がある。山のドングリが不作なのでこれから冬眠の時期にかけて熊が人里へ下りてくることが多くなりそうだとのこと。
新聞には熊に遭遇した場合の対策について専門家の意見も寄せられている。
私は熊に出遭ったことがあるし、遭遇した人たちから直接体験談を聞いたり新聞などでも読んだことがある。
いずれもツキノワグマのことであるが、熊に出遭ったときの参考になればと思いブログに載せることにした。
① 私の体験=走って逃げた(那須山・自然研究路)
私がまだ若い頃だったからもう50年も前のことだ。
9月中旬の夕方、山の中の自然研究路を歩いていたときだ。
雑木林が抜け、熊笹の生い茂った所に出たら、笹薮の中から黒い服を着た人が起き上がろうとする姿が見えた。30メートル程先である。黒い登山服が流行したころだったからそう見えたのだ。次に黒いものが四つ這いになった。白い牙のようなものが見えた。イノシシと思った。目を凝らしてみると、牙のようなものは熊が歯をむき出している姿だった。熊を真横から見たのだ。熊は人の気配を間近に感じて起き上がり、歯をむき出して飛びかかろうとしていたのだろうか。横向きだから、まだ私を目で見ていないようだ。
心臓が一度ドキンと高鳴りした。胸をたたかれたような感じだった。次の瞬間、私はきびすを返して走った。全速力で走った。息切れして走れなくなった。熊に追いつかれたらと心配になった。そこで早足で歩きながら、獣のように「ガオ~!! ガオー!!」吠えてみた。熊はどのようにして吠えるのか分からないが、とにかく大声で吠えたてた。熊は私を大きな熊か、ほかの獣と間違えて追ってこないだろうと咄嗟に思いついたのだ。
私は子供の頃、熊に出遭ったら、死んだまねをしろと教わったのだが、あの歯をむき出した姿を見たら、とても死んだふりは出来なかったのだ。
② 死んだふりをした男(秋田県の新聞による)
これも50年も前のことだが、新聞に載った話だ。
山で熊に遭遇した男は咄嗟にうつ伏せになって死んだふりをした。熊は男の周りを遠巻きにしながら、ぐるぐる歩き始めた。そして蚊取り線香の渦巻きのようにだんだん近づき、男のそばで立ち止まった。そして、男の頭をペロリと舐めた。
男は驚いて飛び起きた。熊は頭に一度噛みついたが逃げて行った。
死んでいると思っていたのが飛び起きたのだから、熊も驚いたろうなあ。
③ 視線をそらさず後ずさり(那須塩原市上塩原)
老人は山道で熊に出遭った。熊が杉の木に爪をかけて立ち上がっていた。上を見たら子熊が2匹、木の上に登っていた。老人は親熊から視線をそらさないようにして、ゆっくり後ずさりした。親熊は男と子熊の方を交互に見ていたが、襲ってこなかった。
④ 視線をそらした
山を登っていたら、草むらから熊が出てきた。熊と若い男の視線が合った。
熊は身動きせず、若者を見ている。若者は視線をそらし、石を拾って、熊のいない方向へ投げた。するとクマは茂みの中へ飛び込んで行った。
⑤ 石を投げつけた(那須塩原市上塩原)
玄関から外へ出たら、物置小屋の前に熊がいた。そこで石を拾って熊をめがけて投げた。当たらなかったが、熊はドドドドと走って逃げて行った。
数日後、同じ物置小屋の前に子熊が2匹いたので、男はまた小石を投げた。すると、どこに隠れていたのか親熊が猛烈な勢いで襲いかかってきた。男は急いで家に入り戸を閉めた。ガラス戸だったが、親熊は飛び込まず、玄関の前で引き返した。
⑥ 転んで様子をみた(⑤の家の近く)
小学生の姉妹が、朝登校しようと家を出てから100メートル程の所で、藪の中から熊が出てきた。熊は仁王立ちになって姉妹を脅した。姉は走って逃げたが、妹は転んでしまった。妹はランドセルを背にして転んだまま、じっと動かず、熊の様子をうかがっていた。熊が反対側の藪へ入っていくのを見てから家へ逃げ帰った。
⑦ 木に登った
山仕事に出かけた男が、熊が栗の木に登り実を食べている所に出会った。
男は恐ろしくなり、近くの杉の木へ登って逃げた。
すると、熊は栗の木からゆっくり降りてきた。立ち去るのかと思ったら。男の登っている杉の木を登り始めたのだ。男は出来るだけ上に登ったが熊はよじ登ってくる。
熊が男を爪で引きずり降ろそうとして杉の幹にそって手を伸ばしてきたとき、持っていた鉈で手の甲をたたき切った。熊は木を滑り落ちていった。そして逃げ去った。
⑧ しの竹でつついた(栃木県の新聞による)
中学生が朝早く学校の工作で使うしの竹を採って家へ帰る途中、唸り声を聞いた。見ると石の陰に黒いものがいる。犬と思って中学生も「ウ~」と唸った。黒いものも「ウ~」と唸っている。中学生は面白がってまた唸った。人と黒いものは何度も「ウ~」「ウ~」と互いに唸りあった。
中学生は石に近づき、犬と思った黒い動物をしの竹でつついた。
黒いものは立ち上がった。それは熊だったので家まで走って逃げた。
⑨ クルマで撥ね飛ばした(また聞き)
山間部の道路で熊が車道に飛び出してきた。アクセルを踏み込んで熊を撥ねたら即死した。
その熊を売って収入を得た。しかし、クルマの修理代の方が高くついた。