夢職で 高貴高齢者の 叫び

          

3年経っても生きてます

2015年02月27日 | 日記

俺は51歳のとき、ガンのため右腎臓を摘出した。

医務室に家内が呼ばれ、ガンは発病から5年も経っているし、野球のボールほど大きくなっているから、手術での生死の確率は五分五分と告げられたそうだ。

あれから26年経ったけれど、片方の腎臓で俺は生き延びている。

しかし、3年前、左腎臓の副腎に異常が見つかった。何か影があるとのこと。

小さな腫瘍のようだが、今は病気なのかどうかはっきり分からないという。

もし分かったとしても、残り一つの腎臓と副腎を処理するのは難しいことだろう。

高齢になるといろいろ障害が出てくるそうだ。

 

ドクターは言った。「3年経っても元気でしたら、また来てください」と。

俺は背筋がヒヤリとした。

俺はオウム返しに「3年経っても元気でしたら、また来ます」と言って診察室を出た。

 

あれから3年経った。病床に伏すことなく俺はまだ生きている。

同僚に比べて体力はグーンと衰えているが、元気さはチョットだけしか衰えていない。

 

俺は再びあの病院へ出かけた。

ドクターは替わっていた。俺は新ドクターへ挨拶をした。

「3年経っても、まだ元気なので来ました」と。

新ドクターは3年前の電子カルテを見ながら言った。「なるほど、そう書いてある」と。

俺はパソコンをのぞき見した。

電子カルテには患者の言葉として「3年経っても元気でしたら、また来ます」と記録されていた。

あのセリフはドクターの言葉をオウム返にし言ったのであるが、あのときのドクターが告げた言葉は書かれていない。

 CTで腹部の検査をした。どこにも異常はなかった。

あの副腎の異常な影と伝えられたのは別の臓器の奇形だそうだ。

副腎に重なって見えたのだろう。これは病気ではないとのこと。

胃腸の内視鏡検査もした。ガンの転移検査で定期的に行ない、これまでにポリープを何度か取り除いてきた。

ただ一度だけ、ガン化した8ミリほどの大腸ポリープができていた以外は問題はなかった。

胃のポリープはピロリ菌を駆除した後はできていない。

今回の検査で大腸にポリープがあるものの、切除するほどのものではないとのこと。

 

3年間の心配は消えたが、検査の疲れが残った。

 次の日、俺は元気を取り戻した。

さて、まだまだ生きられる。楽しいことを探そうか。

旅をしようか。ボランティアと称して他人のおせっかいをしようか。

 

それから、今度こそ、2度も食べ損じたピザを食べに行こう。

 


中華料理店で

2015年02月25日 | 日記

前回の続きです

中華料理店に入った。

初めての店だ。

テーブルの呼び出しボタンを押した。

普通なら、ピンポンとチャイムがなるのだが、ここは違う。

フロントの受信機が「ニイハオ」と鳴るのだから面白い。

店員が話しかけてきた。

発音に特徴があるので尋ねたら台湾出身とのこと。

俺は「豚肉と野菜炒め定食」を注文した。

俺はご飯をいつも左に置く習慣なので、食器の配置が気になるなあ。食べにくいなあ。

 

それに、小さいスプーンは表向きで、大きい方は裏返し。

共通点はスプーンの縦置き。異文化か? 

そんなことはともかくとして、おいしかったなあ。

680円也

 ピザは食べられなかったけど、おいしい中華料理を食べることができたから満足)

 


今日もまた、ピザが食べられない

2015年02月23日 | 俺の女房は- - -

 

今日もまた、女房は女子会とかやらで昼食に出かけた。

こんなとき俺はいつもなら、女房が置いて行ったオムスビを独りさびしく食べるのだ。

しかし、今日は違う。 むしろ、この日を待っていた。

女房が食事会でいないときは、イタリアンレストランでピザを食べると決めていたからだ。

先月は俺はイタリアンへ行くと女房に言っておいたのに、女房は友達に言われたからとて、俺が行く予定の店に行ってしまったから、俺はピザが食べられなかった

 

昼近く外出中の女房からメールがきた。

女子会は回転寿司へ行くとのこと。

俺は安心して、うきうきしながらピザを食べようとクルマで出かけた。

 

駐車場はひっそりしている。今日は定休日でないはずだ。

入口に看板と張り紙がある。

残念

いつになったら、ピザが食べられるのだ。


モグラが出た

2015年02月16日 | 日記

 

モグラが出た。と言っても姿を見ることはない。

いつの間にか庭の土が盛り上がっている。

今回は直径約40センチ、高さは15センチほどだ。

庭のあちこちに穴をあけられてしまう。

モグラと付き合ってもう40年にもなるのだ。

忌避剤をまいても効き目はない。

モグラ捕りを仕掛けたが掛ったことがない。

モグラの穴を固めると、さらに大きな穴を掘られてしまう。

庭の土をたたいても、よそには行かない。

土中に音を立てる機械を埋めてみたが効果なし。

穴に爆竹を仕掛けたり、水道のホースで水攻めなどで、残酷なほどいじめたが、何の効果もなかった。

モグラ攻めがエスカレートして、ついにクルマのマフラーからホースでガス攻めにした翌日、さらに大きな土の山ができていた。

芝生を剥がして、モグラの居そうなところを掘ってみたが、土の下はトンネルだらけだ。骨折り損のくたびれ儲けというところか

近所が宅地化され重機が入り、ドスンドスンと地面が揺れたときはモグラはしばらくどこかに行ってしまったが、また戻ってきた。

よほど俺の土地が好きなのだろう。

土の中からミミズが這い上がってくるし、いろいろな虫たちが棲んでいるだろうから、モグラにとっては魅力があるのだろう。

近所が宅地化されて、モグラも棲むところがなくなったのか。

棲むところがないなら勝手に棲めよと思うようになったりもする。

でもなあ、玉竜の植え込みはあまり荒らさないでくれよ。

 


今日は バレンタインディ

2015年02月14日 | 日記

 

うしちこ母さんからお借りしました

今日はバレンタインディ

ガールフレンド5人からチョコを貰った。

 最初の彼女からもらったチョコ

 

 次の彼女からは

 

 3人目は

 

 そして4人目の彼女は、バックの中をごそごそして

チョコレートをだした。

曰く。「いつ買ったか忘れたけれど、バックに入って

いたから、あげるよ」

          

          

          

 最後の彼女からのプレゼントは

 


アイヌの楽器と物語

2015年02月10日 | まじめなブログ

宇都宮大学で行なわれた「アイヌ文化普及啓発セミナー」へ出かけた。主催は公益財団法人アイヌ文化振興研究機構という長い名前だ。

最初にアイヌの方々が差別を受け、つらい思いをしてきたこと。そして、差別解消に向けて努力してきたことなどのお話であった。ずいぶんと苦労されたのだなあ。

また、アイヌの楽器である「トンコリ」の演奏をビデオで聴いた。細めの小さな琴のような楽器だ。弦は3本5本7本のものがあるとのことだ。演奏は縦に抱えて行なう。ギターにも似ている。

私は別のアイヌ文化研究会でトンコリの生演奏を聴いたことがある。それに昔読んだことのある本で江戸時代に菅江真澄がアイヌコタンを訪ねたとき、珍しい楽器を見たと記していたのがこの楽器のことではないかと思った。。

(参考)アイヌの楽器「トンコリ」と「ムックリ」の演奏↓

 https://www.youtube.com/watch?v=gnD5s3nfoTA

次に「アイヌ民族のことばの世界」について学んだ。

アイヌ民族に伝わる神謡をビデオで観ながらの研修である。

*この砂赤い赤い *子守唄 *ハツカネズミが酒をつくったなどである。

この動画はネットで公開しているとのことなので、帰宅後探してみた。

*ハツカネズミが酒をつくった

 

ハツカネズミが酒をつくった アイヌ音声 日本語字幕

 

*この砂赤い赤い

https://www.youtube.com/watch?v=hPZicP4VDFk#t=10

 

*子守唄

https://www.youtube.com/watch?v=Un05KNjlUaQ

 

 


日野原重明先生の講話を聴く

2015年02月06日 | まじめなブログ

 

日野原重明先生の講話を聴く

2015-02-01

103歳の高齢でありながら、現役医師として活躍しておられる聖路加国際大学病院の日野原重明先生の講話を聴きに出かけた。

演題は《いのちを守り、平和を築く》 主催は新老人の会栃木支部

会場は栃木県総合文化センター、定員1600人の会場は満席。

ステージの袖から、両手を挙げながら、にこやかに歩いて現れた先生に拍手がわく。

昨年、心臓が悪いことが分かったので、負担が掛からないように移動のときだけは車いすを使うようになったとのこと。

心臓が悪いのにも関わらず、ステージの中央でステッキを握り、立ったままで講話されたのである。

先生は1970年によど号のハイジャックに遭遇し、人質になったとのこと。当時の運輸政務次官、山村新次郎が人質の身代わりになり、乗客全員が北朝鮮に連れて行かれずに救出されたという。救出され飛行機のタラップから降りた瞬間に、自分に与えられた命を誰のためにどう使おうかと考えたそうである。

話は戦中、中国で人体実験を行なった731部隊の話に触れる。捕虜にコレラ菌やチフス菌に感染させ、その様子を観察するという非人道的なことが行なわれていたこと。人間の命が粗末にされたのだ。

命は大切にしなければならない。戦争というものはあってはならない。

子どもたちに平和と愛の大切さを伝えなければならないとして、小学校で子供たちに、お話をしているとのこと。

私たちは次世代に何をどのように伝えていくかを考えなければならない。

私たちは戦時中の体験を次世代へ伝えなければならない。

実りある第三の人生のためには、愛し愛されることが大切。何か創めようと思うだけでなく、行動すること。困難に耐えること。子供たちに平和と愛の大切さを伝えていこうと呼びかけた。103歳という高齢でありながら、先生の声には張りがあるのだ。

 

老いても、よりよい生き方をしようと呼びかけ、新老人の会を結成。入会資格はなんと20歳以上と若い設定だ。

20歳から59歳はサポート会員、60歳から74歳は、まだジュニア会員というから面白い。75歳でやっとシニア会員となるそうだ。

 

新老人の会の目標は五つ

①   自立とよき生活習慣やわが国のよき文化の継承

②   戦争体験を生かし、世界平和の実現

③   自分の健康情報を研究に活用

④   会員がお互いの間に新しい友を求め、会員の全国的な交流を図る。

⑤   自然への感謝とよき生き方の普及

 

講話が終わったとき、先生に花束を贈呈したのは100歳の女性である。

先生は、私は花束をいただいた感謝の気持ちを行動で表したいと言って100歳の女性を抱きしめた。会場は笑いと拍手に包まれた。

 


パソコンが狂いだした

2015年02月03日 | 俺の女房は- - -

 

     パソコンが狂いだした

 ★昨年の暮れにセブンのハードディスクが壊れた。修理に4~5万円もかかるとのことなので廃棄し、Cの容量が50ギガしかないビスタを使ってきた。ところが、このビスタの動きも鈍くなった。

ワードを立ち上げるのに1分もかかるようになったのだ。Cディスクの空きが2ギガと非常に少なくなった。使用量を示す青い帯が赤くなっている。パソコンが燃えているような感じだ。このままではパンクしてしまうのではないか。パソコンが狂いだしたのだ。それで、この機会に買い替えようかと思った。

 

★俺はブログで女房の悪口を内緒で書いてきたのだが、密告者のために知られてしまった。女房は平然を装っているようだが、実のところ、どこかで仕返しをしようとしているのかも知れない。そのせいか前のブログに書いたように、俺がピザを食べに行こうとしたのを女性集団で邪魔をしたのだ。

いまさら女房にパソコンをおねだりすることは到底できないのだ。

 

★パソコンを買ったばかりの状態に戻そうとしてリカバリを試みた。説明書を読んでも、以前のように理解できない。加齢とともに脳細胞がぽろぽろと剥がれ落ちて理解困難となったようだ。

2時間がかりの苦闘の末、どうにかリカバリ成功。ネットが通じ、メールも起動した。だが、問題が起きた。ウイルスバスターを入れようとしたら受け付けないのだ。それでウイルスバスターの会社へ電話で相談したら、リカバリでインターネットエクスプローラーが《8》から《7》に戻ったために使えないという。《8》以上にする作業はメーカーに相談するようにとのことだ。

 

★俺はメーカーに電話でアドバイスを受けながらこの作業をすることにした。電話からの指図でパソコンを操作しようとするが専門用語が理解できない。担当者が丁寧に説明しているのだが、さっぱり理解できない。すると遠隔操作で俺のパソコンを動かす方法があるとのことなのでお願いした。俺がマウスを握らなくてもポインターが動き、作業が進む。しかし、担当者が操作してもパソコンが治らない。《サービスパック1・2》と《エクスプローラー9》がなかなか設定できないのだ。専門家でも難しいようだ。

初日の午後は電話アドバイスで終わり。二日目は朝9時から夜9時までの作業。三日目は朝8時から夜10時までの14時間もの作業でやっと使えるようになった。この間、俺にかかわった担当者は13人に達した。相手方も疲れただろうが俺も神経がすり減ってへとへとだ。しばらく、パソコンから離れたくなった。

メーカーのアドバイスは終わったがまだ仕事がある。ウイルスバスターを入れる。無線ランやプリンターなどとの接続。更新作業など。これらはゆっくりと行なった。

 

★まだまだ、このパソコンは使える。ということは、再び女房に向かって言えないことも書けるのだ。

だが、待てよ。今度壊れたらどうしよう。

買ってもらうようにするには、たまには女房のよいことを書いて、ゴマでも擦っておくことにしようか。